「スクアーロはさ、自分が殺した人のことを覚えてる?」
 小柄な少年が、その体躯に不釣り合いな大きさの豪奢な椅子に、それはもう堂々と座っている。スクアーロはデスクを挟んでその前に立っていた。緊張などまるでしておらず気楽なものだったように思う。一方子供は肘をつき、組んだ指の上に顎を乗せて、ひどく真剣な顔をしてこちらに問うのだ──曰く、自分が殺した人のことを覚えてる?
 それはかつて現実にあったことだった。その頃スクアーロは人を殺すのを生業にしていて、毎月数回の「仕事」をこなしていた。一度の仕事で殺す相手は一人でないことも多くあったから、換算すれば一日一人くらいにはなったかもしれない。それくらい殺しはあたりまえに生活の中にあったし、それはその子供だってきっと同じだった筈だ。だからスクアーロは、その質問に、いちいち覚えてられっか阿呆とそっけなくこたえたのだ。
 ほそくほそく止めていたらしい息を吐いて、彼は寂しげに瞳を揺らしてスクアーロに一礼した。
「そうだね、でもオレは忘れないよ。ひと仕事お願いするね……ごめん」
 きっともうかえってこれないよ。ほとんど泣いているような声でそう言った彼の奔放な髪を撫でたところまでは覚えているが、なんと言ったのかはもう曖昧で思い出せない。これは、それほどまでに遠い遠いできごとだった。
 夢はそこで途切れたが、この後彼と部屋に併設された仮眠室になだれ込んだことをスクアーロは知っていた。ひどく雪の積もったヴィジーリャ・ディ・ナターレの夜のことだった。


 目を開けるとそこは慣れた自室だった。安堵と落胆が半分ずつのため息をついて起き上がる。
 時計を見ると、もう昼をとうに回っていた。だがどうせ仕事は休みなのだ。就任したばかりの新社長が提唱した「クリスマス休暇」は、年末のこの時期にと部下達には不評だが、イタリア出身のスクアーロには馴染んだものだ。さして気になるものでもない。こうして寝坊ができるのも好ましいものだ──ただし夢見さえ悪くなければの話だが。
「……だりィ」
 声に出すとますます駄目だった。隣に誰もいないのも無気力を助長する。ずるずると伸ばし続けた髪が絡んでいるのを見つけたが、それをどうにかするだけの精神力がもう残っていない。ぼすんと音を立ててまたベッドに逆戻りする。
 耳の奥に、夢の中のあの柔らかく愛しい声が、鮮明に蘇る。思わず玄関の方を見やってため息をついた。
 ──でもオレは忘れないよ。
(嘘をつくな!)
 綺麗さっぱり忘れ去って、何もなかったかのように新しい人生を送っているくせに!このことを考えると、いらいらするような泣きたくなるような、どうでもいいと全てを投げ出したくなるような、それでいて笑いが止まらなくなるほど嬉しいような、奇妙な気分になる。
 それとも、彼も、あの約束を憶えているのは自分だけだと思っているのだろうか。頭がおかしいと言われるのを恐れて、この関係をだめにしたくない一心で黙っているのか。今のスクアーロがそうであるように。それが本当ならばどんなにか素晴らしいだろう。
 もし、もしもだ、今夜雪が降らなかったら、少しだけかまをかけてみようか。それもいいなとひとりごちる。どうせ今夜も彼は、二人には多すぎるほどの料理を抱えて泊まりに来るのだから。せっかくのクリスマス・イブを、ただの恋人同士のように過ごすだけというのは、どうしてかひどくもったいないような気がした。


 ピンポーンと間の抜けた音が響く。ツナはこちらの在宅がわかっているときは、決して合い鍵を使おうとしない。まるで本当の家族になったようだと緩む頬をどうにかごまかして、スクアーロは足早に玄関へと向かう。
 既にシャワーを浴び、着替えをすませ、鳥の巣のようになっていた髪も梳いて一本に括ってある。だらしない姿を恋人に見せたくないからだ。それなのにツナはくすくす笑って言う。
「おはようースクアーロ!寝てた?」
「見りゃァ解るだろ、起きてるぜぇ」
 どんだけ寝てるイメージなんだとぼやくと、ツナは少しだけ顎を引いて「だってスクアーロってだいたいいつも疲れてるから」とさらりと返してきた。
「でも今日は元気そうでよかった」
「まあなぁ」
 バックに花が飛びそうな笑顔を直視できず、ごまかすように荷物を受け取ってツナに背を向けた。エコバッグふたつの中身は鍋と大量のタッパーだったので、ダイニングテーブルの上に並べておく。
 ちなみにこっそり覗いた鍋の中身はアイリッシュシチューのようだった。いつか食べてみたいとこぼしたのを憶えていてくれたらしい、優しい心遣いがあたたかい。
 このままでいいじゃないか。憶えているか確認したりしなくたって、いまのままで十分だ。スクアーロの中の臆病な部分がそう囁く。
(結局てめえは、忘れられてるって現実をつきつけられるのが恐いだけだろ)
 内心で反論し、なおも噴出し続ける不安をふりきるようにツナに声をかけた。
「何か手伝うことはあるかぁ?」
「んー、テーブルの片付けだけお願い!あとはそれ温めて、生ものやっちゃうだけだから、適当にくつろいでて」
 すぐにできるよーと言ったその声の通り、本や筆記用具がいくらかおいてあっただけのダイニングテーブルはあっというまに料理でいっぱいになった。カルパッチョ、アイリッシュシチュー、ジャーマンサラダ、鴨肉のロティに百合根饅頭。統一性もクリスマスらしさもないが、どちらもそんなことは気にしない。
「なかなか豪勢じゃねえかぁ」
「うん、クリスマスだからね」
 ツナはあっさり笑ってすませたが、これだけの料理を用意するのは大変だったに違いない。来年は何を言われても手伝うことにしようと内心で固く決意した。
 向かい合ってテーブルに着き、シャンパンで乾杯をした。今年のクリスマスはあらゆる意味で記念の一日になるはずだったから、その前祝いということで盛大に。何を話しても笑顔が消えることはなかったし、どの皿に手をつけても最高においしかった。何より目の前に恋人がいてくれるというのがよかった。
「どう?」
「美味い」
「よかったー!はじめて作るのとか結構あったから、心配だったんだけど」
 誇らしげな言葉によくよく考えてみると、シチューに限らず、卓上のほとんどの料理がいつかスクアーロが美味いと褒めたり食べてみたいとこぼしたりしたものだった。うれしくて仕方ない。明日からこの彼と家族になれるのだ、そう思うと、このままテーブルに突っ伏してしまいたい気持ちになった。
 ツナは可愛い。そのうえ善良で献身的で、自覚などないくせに他人を立てるのがうまい。他の、たとえば彼の学友達や自称兄弟、親戚、そういったライバル達にかっさらわれる前にここまでこられて本当に良かった、スクアーロはしみじみ頷いて酒をあおった。
 食事が済みケーキを取り分けたところで、スクアーロはぼんやりと──少なくともツナからはそう見えるような態度で切り出した。
「今年もホワイトクリスマスにはならなかったなぁ」
 分厚いブラウンのカーテンの向こう側は、寒風こそ吹き荒れているものの、雨も雪も降る気配はない。スクアーロの視線を追ってそちらを見、ツナもまた何気ない口調で応えた。
「ことし『も』ってどういう意味?」
「降らなかっただろ、去年も、一昨年も、ずっと昔に降ったきり」
「……スクアーロ、オレちゃんと憶えてるよ」
「なにをだ」
「すっごく前のクリスマスイブ。オレたちはちゃんと一緒にいて、どっちも気にしてなかったけどきっと外はたくさん雪が降ってた。ねえ、スクアーロ、おれのことおぼえてる?最後のひに、じぶんが、こ……ころした、ひとのこと、おぼえてるって、訊いたよね?」
 混乱して支離滅裂な口調が、縋るような茶色い瞳が、心底いとおしいと思った。座っていた椅子を蹴り倒し、足音も荒くツナの傍へと向かう。たった数歩の距離がひどくもどかしい。
「憶えてんのはお前ひとりじゃねえぞぉ」
「ん、うん」
 まるで幼い子供のようにぼろぼろと涙をこぼして、ツナは何度も何度も頷いた。


 その晩は睡魔に負けるまで離れずにいた。一緒に片付けをし、風呂に入った。夜中に嫌がらせの電話をかけてきたライバル達にもしっかりみせつけてやった。ざまあみろ、ツナの見ていないところでスクアーロはひとりにやりと笑う。
 少しばかり早かったがプレゼントも開けた。ツナからは万年筆、スクアーロからは腕時計だった。そしてそれとは別に、ツナの鞄のなかには奈々からふたりへの贈り物も入っていた。中身は毛糸のミトンと黒革の手袋で、過去を憶えているふたりは妙に納得し、母親というのは偉大でなんて勘の良い生き物なんだと感心した。
「あ」
「何だぁ?」
 片手にしまおうとしていた手袋を持ったままで、チェストの抽斗を引く手を止めそちらを向くと、窓際に立っていたツナが嬉しそうにカーテンを開ける。
 暗闇の中にちらちらと真白い雪が舞っていた。
「降ったね」
 まるで、互いが互いの記憶を確かめ合うのを待っていたかのようだ。スクアーロは苦笑し、忠誠ではなく生涯を共にすることを誓って、ツナの手を取り恭しく口づけた。