バレンタインデーにはなにをあげようか。フローリングに座りこんで、ツナはううんと呻った。
 養われている身分なのにあんまり高い物をあげては失礼だし、手作りもだめだ。うっとうしいやつだと思われてしまう。かといって、かたちの残るプレゼントもよくない。きっと、おくさんに言い訳するのに困ってしまうだろうから。
 そこまで考えてはっとした。いけないいけない、今はもうそんな気の使い方をしなくてもいいのだ。
 なぜなら、もう、ツナは愛人なんかではないからだ。挙式まであと三月を切って、ようやっとそのことにも慣れてきた。今では左手にはめてもらったリングをそうっと撫でるのがくせとなっている。そして、自分がそうしていることに気づくたびに、照れて盛大に転げ回るのだ。
(あー、でも、本当になにをあげればいいんだろう……)
 あかくなった頬をこすってごまかしながら起きあがって、新聞広告や雑誌をぱらぱらとめくってみるが、とても決めきれない。なにしろ、ケーキの紙型から高そうなセミオーダーの万年筆まで、どれもこれも「バレンタインギフト」と銘打ってあるのだ。
 去年も、バレンタインデーやスクアーロの誕生日にプレゼントを贈りはしたのだけれど、それらを用意するのなんて簡単なことだった。百貨店か美味しいと評判のパティスリーへ行って、甘いものが苦手な人でも食べれられそうなお菓子をひと箱買えばそれでおしまい。気をつけなければならないのは、甘すぎないこと、滞在中に食べきれるくらいの量であること、そしてだいすきだという気持ちがつたえられること、それだけだった。吟味はしても、なやむ余地などほとんどなかったのだ。
 問題は重大だけれど、あらためてしあわせを実感してしまって、ツナの表情はでろでろに緩んだままもとにもどらない。
「あーっ、もう!恥ずかしいけど、その、しょうがないよな!うん、しょうがない!」
 おのれを奮起させるようにひとつ声をあげて、ツナはそうっと携帯電話に手を伸ばした。こんなときは、人生経験豊富な友人たちに頼るに限る。
 いくつになっても変わらないかわいらしい声に、ツナは縋るようになやみをうちあけた。


 *


 仕事から戻ったスクアーロは、家中に漂う甘ったるい香りに顔をしかめた。
 今日がバレンタインデーだということはちゃんと知っている。だが、ツナはこれまで、イベントだからと言ってスクアーロに手作りの菓子類をくれたりはしなかった。いつもよりほんの少しだけ豪華な食事を用意して、プレゼントと言って既製品の菓子をひと箱くれる。けれど、そのときのツナの表情はいつも決まって切ないものだったから、スクアーロはちっとも嬉しくなんかない。それがふたりのイベントの過ごし方だった。
 だが今回はなんだ。チョコレートの香りは玄関先からでもわかるくらいに充満しているし、ばたばた走り回る足音や「どうしよう京子ちゃん助けてー!」だなんて叫び声まで聞こえてくる。
「う゛おぉい!帰ったぞぉ!!」
 とりあえず騒音に負けないように声を張り上げてみた。
「わあっ!!スクアーロ!?」
「あ゛ァ?他の誰に見えるんだよ」
「え、ちが、そういうんじゃないけど……は、はやかったね」
 玄関まで出てきたツナは、そうもにょもにょ呟いて、それから俯いてしまった。この香りに、この態度。スクアーロには非常に心当たりがあった。
 他の男に心変わりでもしたか。恋人同士のためのこの日を、本当に好きな男と過ごしたいとでも言い出すのか。だが、スクアーロには、それを許してツナを解放してやるだけの余裕などない。
 他人のためにはにかむ顔など見たくなかったから、乱暴に細い肩を引き寄せて抱き込んだ。ふわふわの髪から香るカカオに、舌打ちのひとつでもしてやりたい気持ちにさせられたが、そうすればきっとおびえられてしまうだろう。どうにか我慢した。
 しばらくそうしていると、落ち着かないようにもぞもぞと動いていたツナが、意を決したかのように顔を上げた。
「あの、あのね、スクアーロ」
「なんだぁ」
「今日が、何の日か、知ってる?」
「……いや。何かあったか?」
「あ……うん、今日、バレンタインなんだけど」
 とっさに気づいていないふりをしたが、もちろんそんなことわかっている。朝からいくつもいくつもチョコレートを貰い、その度に、受け取りはするが食べられない、と詫び続けてきたのだから。
 ぼんやりと今日一日の苦労を思い返していると、ツナが、スクアーロの服の袖を控えめに引いた。
「あの、ちょっと、きてください」
 ああ、これからその間男に引き合わされるのか。いっそ殺してしまいたいが、長いことツナに不安を抱かせてきた自分にそうする資格などない。ならばやはり潔く身を引くのがツナのためか。短い廊下を抜け、ダイニングに付くまでに、そんなことを鬱々と考えた。
 ところがダイニングに人影はない。ただ、テーブルの上に見事なハート型のガトー・オ・ショコラが載っていただけだった。その周りには、くしゃくしゃのラッピングペーパーやリボン、はさみ、テープ台、それに携帯電話などが散乱してひどいありさまだったが、そのケーキだけはまるで売り物のように完璧なできだ。
 いったいどういうことだ。ぐるぐる混乱するスクアーロの袖をもういちど引いて、ツナが言った。
「えっと、今日バレンタインでしょう?で、ラッピングとか間に合わなかったんですけど、」
 ツナは俯いてはにかんだ。そういえば、さっきから、耳まで赤く染まっている。
 なんだ、全身から力が抜けそうだ。彼の心を疑った自分はなんて馬鹿だったのだろう。
「今年は手作りでもいいかな、って、……その、だいすき、です」
 えへ、だなんて笑うツナを、スクアーロはぎゅうぎゅう抱きしめ、俺こそ好きだ愛してると繰り返した。
 あれだけ待たされても、寂しい思いをしても、なおツナはスクアーロのことを好きでいてくれたのだ。うれしい、しあわせだ、今なら天国にだって行ける気がする、やばいかわいい、ぐちゃぐちゃにしてしまいたい。ああでも先にケーキを食べないと、このネガティブ男はまたいらぬ誤解をして泣きそうだ。
 別の意味でぐるぐる考え出したスクアーロを置き去りに、今年のバレンタインデーは、チョコレートの香りとツナの笑顔とともに甘く甘くすぎていった。