いらいらする。物心ついてからずっとずっとそうだ。特別何に対してというわけではないが──いや、もしかしたら、周囲のあらゆるすべてにいらいらしているのかもしれない。家も、人も、国も、制度も、そして自分自身にも。
 もういつだか思い出せないほど昔の話になるが、雲雀は子供をひとり拾ったことがある。人さらいにでも攫われてきたのか捨てられたのか、或いは死別でもしたのか、親とはぐれたそれは死にかけていた。気まぐれに手をさしのべてやったらすぐに懐いた。その単純さが好ましかったので、連れて帰って小間使いにした。普通なら女中にやらせるような仕事だが、それだって子供はよろこんだ。
 骨と皮ばかりのやせっぽちの子供だった。名を問うと舌っ足らずに「つな」と答えたので、二文字足して綱吉という名をやった。家族や親戚たちは不敬だと諫めたが雲雀は気にしなかった。自分以外のものなど取るに足らないと思っていたし、なにより雲雀の前以外でその名を名乗らせるつもりはなかったから。
 そんな経緯でツナは雲雀家のものとなったのだが、雲雀のいらいらはそれからますます加速した。ツナの一挙一動が神経を逆なでするのだ。
 ツナが笑えば殴った。他のものと喋れば無視をした。悲しい顔をすれば食事を抜いてやった。だが、どれだけ子供じみた仕打ちをしても気は晴れない。折檻はあっという間に度を超し、ほとんど嫌がらせのようになった。
 今にして思えばただの嫉妬だ。すまないと思ったこともあったが、けれどそんなものはすぐに霧散した。
(この気持ちを思い知れ)
 あの頃はただそれだけだった。それで思いつく限りのことをした。ツナが少しでも醜く嫉妬して苦しめば、それでよかったのだ。それなのに。


 その日、雲雀が久しぶりに屋根裏に上がると、ツナは伏せていた顔を上げて笑った。泣きはらしたまぶたからも、涙でかぴかぴになった頬からも、その笑顔が心からのものでないということは明らかだ。けれどツナはそのことに気づいていないし、雲雀もまた見なかったふりをした。
「……明日からここに人が住むけど、」
 ツナは何も言わない。使用人が主人の許可なしに喋ることは許されないからだ。ときに武器や拳をふるってまで教え込んだことを、この子供はあやかしになった今もなおかたくなに守っている。
「君はここにいて、下には顔をださないように」
「はい」
「大切な人だから、粗末に扱ったりしたら……わかってるよね」
「はい」
 大切な人──確かに大切だ、雲雀は内心で苦く笑う。彼女が子さえ産んでくれれば、雲雀は晴れて自由の身だ。家が傾かないことは目の前の小さなあやかしが保証してくれる、あとは跡継ぎさえいれば、もううるさい両親にも親戚にも何も言わせない。
 そんな雲雀の考えを知らないツナは、表情をぴくりとも変えず、わかりました丁重にお迎えいたしますと頭を下げた。
 なぜだか無性にいらりとした。
 トンファーをツナに向けて振り下ろす。
「……ひっ!」
 小さな悲鳴が上がる。だが、トンファーは空気を切り裂いて、床に突き刺さっただけだった。そうだ、雲雀はもはやあやかしとなったこの子供には触れられないのだ。そのことにまたいらだちが増す。
 肉体を責められないのなら精神的に責めるしかない。結局雲雀はその生涯で、ツナに思いつく限りの嫌がらせをした。
 やがて生まれた子供を雲雀は取り上げて母屋で育てさせることにし、妻たる女を住まわせていたこの離れには近づかなくなった。使用人たちの噂では、彼女は夜な夜な呪詛の言葉を吐きながら死んでいったらしい。ツナはそれを見つめながら何を考えたのだろう、長い長い時間の中でそんなことを考えるようになった。
 答えなど明白だ。ツナは雲雀を憎んでいるのだろう。ツナだけではない。雲雀が利用するだけ利用して切り捨てた女も、おそらくその子供も、そして六道骸も。皆が皆雲雀を呪った。今雲雀がここでこうしているのがその証ではないか。
(だが、もうすぐだ)
 並盛山の力によって、雲雀はもう長いこと並盛町から閉め出されている。その効力があと数日で切れるのだ。
 その瞬間が待ち遠しい。ツナは今もあそこに、変わらない姿のままでいるのだろうか。会いたくて仕方がない。根拠などないけれど、今なら優しくしてやれる気がする。


 *


 恭弥は結局骸に協力を乞うた。悔しいことに、それ以外にできることなど何もなかったのだ。あやかしのことも、並盛山のことも、信仰や伝承の廃れた今ではもう理解することすら難しくなっていた。今となってはもう、骸の持つ知識と経験に頼るしか、他に方法がない。
 骸は報酬代わりにツナとの再会を望んだ。座敷童が家を出て行ってしまうと、その家は大きな不幸に見舞われる。座敷童によってもたらされた幸運に、さらに利息までつけて返さなければならないのだ。だから、ツナを連れ出すのではなく、骸が雲雀家の離れまで出向くことになった。
 勝手知ったる、という態度で離れにあがりこんだ骸を、ツナは申し訳なさそうに迎えた。骸はまぶしくて仕方がないというような顔をした。
「お久しぶりです、綱吉くん。元気そうでなにより」
「骸も。全然かわってないな」
「ええ、おかげさまでね。そんなことより、恭弥くんとの暮らしはどうですか?」
「あ、えっと、あのね、すっごくよくしてもらってるんだ。いつもはきれいな着物なんだけどね、今日はむくろと会うからって洋服を買ってくれたんだ!」
 ツナは頬を真っ赤に上気させて語る。
 食事は恭弥と同じものを向かい合って食べるし、眠るのも、起きるのも一緒。読み書きや計算も教わってできるようになった。ツナがへまをやらかしたって、せいぜい強めのデコピンをされるくらいで、叩かれたりなんかしない。ラムネやコーラも飲ませてもらった。それに、いつか骸が食べさせてやりたいと言っていた、チョコレートだって──
「よくしてもらいすぎです!」
「それくらい、いいんですよ。これまでずっと辛かったんだから。君はね、少しくらい自分の幸せを望むべきなんですよ。ねえ?」
「まあね」
 返事こそぶっきらぼうだが、その手は優しくツナの髪をなで回している。そこからは好意しか感じられなくて、それがもう嬉しくて嬉しくて、ツナはうつむいてしまった。骸は二人の姿を見て口の端をあげ、恭弥はひとつため息をついた。まったく、こんなに可愛い姿、他人になんて見せてやらなくていいのに。
 しばらくそうやって和やかに歓談していたのだが、恭弥とツナがあまりにべたべたいちゃいちゃするので、耐えきれなくなった骸がとうとう本題を切り出した。
「それでですね、雲雀のことなんですけど」
 「雲雀」という名にツナがびくりと身を震わせる。恭弥はその背をゆったりと撫でてなだめ、骸に続きを促した。
「おそらくあと二三日で動けるようになると思うんですよね」
「根拠は?」
「何というか……蛇の道は蛇というか、あやかしにはあやかしの法則があるんですよ。まァ、ただで座敷童のもたらす幸運を独り占め……だなんて、そんなうまい話がそうそうあるわけじゃないってことですかね」
 彼はそう答え、自ら持ち込んだココアを旨そうに啜った。なんの説明にもなっていないが、もとより理解できない事象を理解するために、骸を呼んだのだ。まあいい、恭弥は深く追求しなかった。
 代わりに、ぴったりとくっついていたツナの身体をそっと離して、その潤んだ目を見て問うた。
「綱吉」
「はい」
「僕はそいつを咬み殺すよ。きっと綱吉がとめてもやめない……ごめんね」
 ツナは何も言わず、ただふるふると首を横に振った。
 ひんやりした空気が部屋に満ちる。この子はあいつのことを好きなのだろうか、恭弥はふとそんなことを考える。もしまだそうならば、きっとツナは、雲雀を咬み殺そうと武器を向けた恭弥を軽蔑するだろう。そうなれば立ち直れないに違いない。
 そして、おそらくはその逆も又しかりなのだろう。ツナが恭弥をかばって雲雀を軽蔑すれば、彼もまたどうしようもないくらいの傷を負うのだろう。それをざまあみろと嗤うことは、恭弥にはできそうにない。