「……いけ好かない、本当にいけ好かない男だ。あいつは綱吉くんが自分に好意を寄せているのを良いことにやりたい放題やっていた。何度殺してやろうと思ったことか!!昔の君がそのまま育ったらきっとああなっただろうが、最近はずっとましだ。あいつは君などよりずっと気にくわない。追い出しただけなんて生ぬるい!!死んでしまえばいいんだ!!……できることなら、今からだって、この手で殺してやりたい」
 けれど、と骸はうつむいた。
「でも僕にはそれはできない。できないんだ。綱吉くんが、あの子が悲しむとわかっているから」
 骸はそう呪うように吐き捨て、話を締めくくった。丁寧語のめっきはぼろぼろとはがれ、今やもう見る影もない。それでも恭弥はそれを馬鹿にしようとはしなかった。出来るはずもなかった。
 代わりに、からからの喉に鞭を打って問うた。
「そいつはあの子に何をしたの」
「……何もかも、思いつく限りのことを。暴力をふるうことなど日常的だった。あの子を犯して嬲って、客まで取らせていた。そんなことをしておいて、それだけじゃ飽きたらずに、あいつは、あやかしになったあの子を離れの天井裏に閉じこめて……自分は娶った女をその下の部屋で抱いて……」
 孕ませたんだ。最後はもう音になっていなかった。それでも常人より優れた恭弥の聴覚はしっかりと聞き取ってくれたようで、ひゅうと息を詰めて、それからひどく忌々しいといった様子で舌打ちをした。


 はじめてここへ来た日のように、恭弥は畳にごろりと横になった。ここへ来てすぐに手ずから替えた畳は、これまで天井裏にばかり意識がいっていたから気づかなかったけれど、もうすっかり茶色く変色してしまっている。それだけの年月を彼と共に暮らしてきたのだと実感してしまってますますやるせなくなった。
 こんな気持ちのままツナと顔を合わせればきっと傷つけてしまう。けれど、感情を鎮めることも、マンションや母屋や応接室にいることもできなかった。奴がツナのところに来るのではないか、そうしてまたツナを泣かせるのではないだろうか、そう考えると気が狂いそうになるのだ。それで番犬よろしくここでこうしている。
 哀れみゆえではない。これは嫉妬だ、そんなことわかっている。
 ぼんやりそうやって天井を眺めていると、骸の話がつぎつぎに思い出された。自分とそっくりな顔でそっくりな思考回路をしていたという先祖。その男がツナにしたこと。これからするだろうこと。
「あれは本当に酷い男だった。そして、僕は幼い君をみて、きっとあの男と同じように育つのだろうと思いました……けれどそうはならなかった。君が救いとなるはずなんだ。どうか、どうか、なにもかも諦めたあの子を救ってやってください」
 僕にはできないから。骸は複雑そうな顔でそう言った。認めたくないが、すがるものはもはや恭弥以外にないのだといった口調で。そしてもちろん恭弥にも否やはない。


 どれだけそうしていただろう。いつの間にか眠っていたようで、外はすっかり薄暗く、手足も冷え切っていた。それなのに胸のあたりだけが妙にあたたかい。まるで猫か何かを載せているように──そこまで考えて、恭弥は飛び起きた。
「……綱吉!」
「わぁ!」
 ツナはどうやら、恭弥の脇にちょこんと座って、胸に耳を当てていたようだった。恭弥がいきなり動いたせいで驚いたのだろう、目を丸くして、あわあわと言い訳をしている。
「あ、その、オレ、恭弥さんがその、風邪とか、し……死んじゃったりとかしてたらどうしようって、その、べつに危害を加えるつもりはなくて、約束だから天井裏にいたけど出られないわけでも、」
「綱吉」
「はいっ!!」
「今日、六道に会って、君を上に閉じこめたやつの話を聞いたよ。……ねえ、君は今でもそいつのことが好きなの?」
 ひゅう、と、ツナが息をのんだ気配がした。
「す、き……」
「僕は君が好きだよ」
 恭弥は隣のツナを抱きしめて、肉付きの悪い背中に腕を回した。この子供が骸の言うところの「ひも男」を選んでも、そしてそれで恭弥との仲が気まずいものになってしまっても、逃がしてやる気などない。恭弥にはもう、この子供のいない生など考えられないのだ。
 しばらくしてツナが口を開いた。
「その人は雲雀恭弥さんっていいました。あなたと同じ名前の人です。あなたの何代か前のご先祖様になります。ヒバリさんは恭弥さんみたいに強くてまっすぐで、それで……」
 ひどい人でした、ツナはひそりと笑って顔を伏せた。
「オレがあの人のことをどう思ってるか、わかってて見せつけるようなことばかりするんです。いっそ、少しも気にしてくれないほうが、よっぽどオレには楽だった」
 離れの天井裏に閉じこめて、自分は娶った女をその下の部屋で抱いていたのだと、そういえば骸も言っていた。だが、それだけのことをされてなお、ツナは、眉を寄せながらも笑顔を作るのだ。そんなにあの男が好きなのか、恭弥はあまりの口惜しさに拳を握りしめた。
「……いらないよって、はっきり言われたこともありました。君みたいに何もできない子はもういらないって」
「そんなひどい男、さっさと見捨てて、他の誰かと幸せになろうとは思わなかったの?たとえば、そう、六道骸とか」
 ツナは何も言わずただ笑みを深くした。
 恭弥は初対面のとき以来、ツナの笑っていない顔を見たことがない。悲しいときも寂しいときも、恭弥が「雲雀恭弥」の話をさせている今も、このけなげな子供は口の端だけをむりやり上向きに歪めた、寂しい笑顔をつくるのだ。
「オレの幸せはあのひとの幸せなんです」
 それが嘘だと恭弥にもわかるような、暗く重い口調だった。死んでからもなおツナを虐げ、搾取し続ける己の先祖を、できることならこの手で殺してやりたい。
「並盛山のお社に、昼に五十回、夜に五十回、あわせて百度お詣りをすると、あやかしになれるっていう噂があったんです。骸は、ただの迷信だって馬鹿にしたけど、オレはそれにすがった。すがるしかなかったんです」
 そういえばツナはどこかを患ったのだったか。恭弥が頷いて続きを促すと、彼は、言いにくそうにふたたび口を開いた。
「オレはそうやって、誰かを幸せにできるって力を授かりました。骸は座敷童って呼んでいました。オレの姿はひとには見えなくなっていたから……ヒバリさんに目障りだって言われちゃったけど、見えないならこれでまたそばにいられるんだって、ものすごく嬉しかった。結局気づかれちゃいましたけど」
 そして彼はツナをこの離れに縛り付けた。決してこの家が傾かないように──そこさえクリアーしていれば、自分がどんなに好き勝手なことをしても、先代も親戚も一切鬱陶しい口出しをしてこないと、おそらくわかっていたからだ。
 自分勝手で傲慢でどうしようもない男だ。骸と恭弥は決して気があう方ではないが、この点に関しては同じ考えのようだった。
「いけ好かないね、そいつ」
 最初にツナを見た日のことを思い出す。真っ暗な部屋、ぼろきれのような服、骨の浮いた体、そして涙。人一倍さみしがりなこの子供を、一人きり、あんな必要なものすら満足にない世界に閉じこめておくだなんて。恭弥はツナに見えないところで拳を握りしめた。掌の皮膚がぷつりと切れ血が滴ったが、すこしも気にならなかった。それほどツナを縛り付けるあの男が憎かった。
 それなのにツナは目を伏せ、睫毛の影を白い頬に落として、そっと言うのだ。
「そんなことを言わないでください」
「どうして!君にさんざんひどいことをした奴だよ!?」
「でも……でも、オレが、悪かったんですから」
 ツナの細い指が、きゅう、と袷を握りしめた。緋色の鮮やかな袖が擦れて涼やかな音を立てる。恭弥はそれから目をそらし、呻くように声を出した。
「君を傷つける男なんかみんな嫌いだよ」
 苛立ちのままに畳を殴りつけた。ツナは何も言わず、ただ、恭弥の腕の中でそうっと目を伏せた。