骸は町内の見回りを終え、ゆっくりと帰途についた。
 ここ数日めっきり春めいて、町全体が浮かれているように思える。活気が出るのはいいことだ。だが、馬鹿どもが馬鹿なことをやらかすのはいけない。骸の支配するこの町で好き勝手をされれば、面子は丸つぶれだし、あがりも減るし、なにより視界にはいるのが不愉快だ。それで、普段はまずしない見回りなどという行動に出たのだった。
 効果は覿面だった。骸が不機嫌な顔で大通りを歩いただけで、小悪党やごろつきどもは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。もう少し骨のある連中は、骸直々にたたきのめした。
 さんざん暴れて、からまれていた大店の主人や助けた内儀からたんまり礼をもらい、骸は非常に機嫌がよかった。そう、だから、あんな気まぐれな行動に出たのだ。
「おい餓鬼、いつまでもそこにいられると邪魔なんだよ!」
 粋がったどら声にいらりときて、発生源を探すと、そこは小さな小さな菓子屋だった。骸からは声の主らしい巨漢が壁となって見えないが、どうやら子供が商品を選ぶのに手間取ったことに対し、男がいちゃもんをつけたようだった。
 普段ならまず捨て置いた。店に損害が出るようならば別だが、客の少年ひとりが暴行を受けたとしたって骸にはなんの関係もない。だが、今日の骸は非常に機嫌がよく、同時にこの手のちんぴらに嫌気も差していた。それで男に近寄って背後から声をかけ、振り向いたところを殴り倒した。
「ぐぅ……っ」
「ここがどこかわかった上で騒いでいるのか?ならば加減の必要はありませんね」
 だが声をかけても男は立ち上がらない。ダメージが重かったか、脳震盪でも起こしたのか、それとも戦意を喪失したか。どれでもいい、骸には関係のないことだ。
 引き連れていた部下に男の処分と後始末を任せ、骸はからまれていた少年に向き直った。
「怪我は」
「え、あ、ない、ないです」
「よかった。僕の不始末で怖い思いをさせましたね。うちまで送りますから、さっさと用を済ませてしまいなさい」
 ふわふわの髪をそっと撫でてやると、彼は頬を染め、ありがとうございますと礼を言った。それから大福を五つ買った。
 少年の身なりはいい。着物は質素だが上質だし、髪もひどい癖毛だがほつれているところはない。なにより、彼から香るのは、垢じみた体臭ではなく石鹸のそれだ。それなのに金を扱う手はわずかに震えている。それで、裕福なのは彼自身ではなく彼の主なのだろうと見当をつけた。
「お遣いですか?」
 彼は案の定うなずいた。
「あ、はい!主人がここのお店の大福がどうしても食べたいって。それで買いに来たんです」
「えらいですね。きみの主人の屋敷はどこになるんですか?」
 骸の問いに彼は誇らしげに胸を張って言った。
「並盛の、雲雀様のお屋敷です!」
「……うん?ヒバリ?」
 それなら骸もよく知っているが、果たしてこんな使用人がいただろうか。あそこのものたちといえば奇妙な髪型をしたいかつい男たちばかりだった気がするのだが。
 骸の疑問を察したのか、彼はうつむき、あまり人前に出してもらえないのだと言った。
「オレ、ダメダメだから。お客様が来ても裏にいるように言われてるんです。オレみたいなのが外に出たら、雲雀家の恥になるからって」
(それは違う)
 骸と雲雀はよく似ている。嗜好も考え方も行動も、なにもかもだ。だから骸には、雲雀がこの子供をおもてに出さないのがそんな理由ではないことが、よく分かった。おおかたこのかわいらしい子供に心底惚れていて、他人に見せたくないだとかそんな理由だろう。ひどい言い方をしたのは照れ隠しか、好きな子をいじめたいという子供じみた感情か。
「雲雀はきみに優しいですか?」
「え、あ、はい!すっごくよくしてもらっています!」
「それはよかった」
 それからふたりは、連れだって歩きながらたくさんの話をした。
 骸が雲雀とは幼なじみのようなものなのだと言ったとたんに、ツナの僅かな警戒心は霧散してしまったようだ。さすがに言っていいことと悪いことの区別はついているようだが、それでもほわほわと笑いながら、たくさんのことを話してくれた。
「それでね、ヒバリさんは、すっごく格好いいんです。オレのことも拾ってくれたし、何にもできないのにおいてくれるし、優しくって、ちょっと怖いけど、でもわけなく暴力をふるったりはしないんですよ!」
 興奮に頬を紅潮させて主張するツナに、骸のおなかの少し上あたりがきゅうきゅうと軋む。面白くない。面白くないが、それでも、ここで余計なことを言ってツナを悲しませたくなかった。我慢が聞かなくなる前に並盛についたのは、だから、骸にとっては幸運といえた。
 雲雀家の立派な塀が見えてきたところで、骸はぴたりと足を止めた。
「骸さん?」
 不審がって見上げてくるツナに、骸は、なんでもありませんよと笑って頭を撫でてやった。
「僕と雲雀はあんまり仲がよくありませんから。見つかると面倒なんですよね。ですから、ここで失礼します」
「あ……そっか」
 それからツナはありがとうございましたと頭を下げ、何度も何度も振り返りながら、屋敷の門へと駆けていった。その小さな背が見えなくなるまで、骸はそれを見送った。


 その一件があってからというもの、骸はことあるごとにツナを構うようになった。
 つきあううちに、ツナがなかなか無気力で大雑把な性格であることを知った。ただし雲雀に関することだけは例外で、けなげに一生懸命に取り組んでいたので、気づけば助けてやっていることもしばしばだった。礼を言う姿がまた愛らしいのでなおさら手が出る。
 だが当の雲雀は、そんなことは砂粒ほども思っていないようだった。雲雀は少しもツナのことをかえりみたりはしない。寄せられる好意があまりにあからさまだからか。ツナが雲雀にべったりだからか。それらが永遠に与えられ続けるわけではないのに、そんなこと考えもしないで、ただツナが自分を嫌うことなどないと高をくくっている。どれだけひどいことをして、どれだけ彼を傷つけても。その傲慢さが、骸にはあまりに腹立たしかった。
 雲雀と骸はよく似ている。他者はもちろん、自分たちでさえももそう思ってきた。だがここへきて差がついた。
 ツナは雲雀のことを優しいひとだという。だがそれは、ツナが雲雀を好きだからだ。彼はいつか、雲雀を好きでいることを諦めてしまうだろう。そして、そのときもきっと、雲雀はツナに背を向けたままでいるに違いない。自分が何をしても、ツナが笑ってついてくるのだと、疑わないままでいるに違いない。
 事実、ツナのまろい体には、会うたび無惨な痣が増えていた。笑顔は少しずつ陰っていった。


 破局の瞬間、それはひぐらしが喧しい、夏の夕暮れのことだった。気温が高い割に湿度は低く、時折涼しい風が路地に吹いていたのを今でも憶えている。
 ツナはその日、骸の住む質素な長屋をおとずれた。くしゃくしゃに丸めた手ぬぐいで泣き顔を隠して。細い足を引きずるようにして。初めて骸と出会った日のあの笑みなど、もうどこにもなかった。
「む、くろぉ」
 酷く憔悴した様子で、枯れた喉から絞り出したような声で、彼は泣きながらごめんねごめんねと繰り返した。おまえがオレをすきでいてくれること、本当は知ってたんだ、でもごめんね、オレはそれに応えることが、もう絶対にできなくなっちゃったよ。
 骸は腕をツナの細い背に回した。汗が風で冷えたせいで、ツナの着物はぞくりとしてしまうほどの温度になっていた。
「オレ、多分病気なんだ。きっともう長くない」
「どうしてそう言えるんですか?医者にかかったわけではないのでしょう?」
「わかるよ。だって自分のことだもん」
 そこまで言われてしまうと骸はもう納得することしかなかった。骸の右目の能力と同じくらいに、彼の直感は確実で信用できるものだと、すでに知ってしまっていたからだ。
 それで、疑うのではなく未来につながる話をすることにした。
「僕はいくらか医者につてがある。お金は立て替えましょう。返してくれなくともいいし、それで君の気が収まらないなら、返してくれてもいい。何十年だって待ちますよ。だからどうか治療を受けてください……といっても、君は」
「うん……骸の気持ちはすごくうれしい、けど、もう決めちゃったから」
 そういってツナは、首を巡らせ、並盛の方を向いた。遠く遠くを見る琥珀色の目にはきっと、彼の主の姿があるのだろう。
「骸、オレさ、並盛山にお詣りしようと思うんだ。死んじゃったらもうヒバリさんのためになにもできないから……でも、あやかしになれれば、まだ何かできることがあるかもしれないだろ?」
 でもきっとあの人にオレは要らないんだろうけどね、と付け加えた。
 雲雀はツナを軽んじている。いつまでも、ただただ彼がついてくると、好意を向け続けてくれると疑わないのだ。そしてそれ故にツナは、役に立たない自分を養ってくれているのだから、雲雀にあんな仕打ちをされても仕方がない、むしろ彼にそうされることが恩返しになるとさえ思いこんでいる。
 いびつでゆがんだ関係だが、二人の間に、骸の入り込める隙間などほんの一分もないのだ。改めてそのことを突きつけられた骸は、ショックをごまかすように無理矢理笑顔を作って、ツナの髪をそっと撫でた。
 どうして止めなかったのだろうか。どうしてあのとき強引に自分のものにしてしまわなかったのだろうか。
 まるで自虐でもするかのように繰り返す。あのときの骸は選択を間違えた。彼を傷つけたくないのなら、多少は強引でも、ツナの望む結果にならなくとも、骸は動くべきだったのだ。