暗闇にはもうとうに慣れた。むしろ、光に満ちた世界にいる方が落ち着かない。そう言うと、恭弥は秀麗な眉をぎゅうっと寄せて、やるせない顔をした。そんな顔してほしくないのに、いつでも幸せでいてほしいのに、ツナが何かを言う度に彼はこういう顔をする。そして、きまって己の掌に爪を立てるのだ。
「ダメですよ。傷になっちゃう」
「これくらい、なんてことないよ」
「なんてことなくないですよ!たとえ小さな傷でも、それが命取りになることがあるって聞きました。ものを握る感覚が変わるからって……恭弥さんトンファーで戦うでしょう、この傷のせいで何かあったら、オレ……」
そこまで言ってからはっとした。思わず出てしまったそれは、ただ彼を心配するゆえの発言だったのだが、説教したととられてもおかしくない。いや、それ以前の問題だ。ダメダメのダメツナごときが雲雀の身を心配すること自体、十分おこがましいではないか。
ああ殴られる、身を縮めて打撃に備えた。
「……ありがとう」
だが、ツナの頭を襲ったのは、痛みではなく暖かな手だった。
おそるおそる上目遣いに彼を伺うと、恭弥は穏やかな顔でツナを見つめていた。薄い唇には笑みさえ浮かんでいる。
「お、怒らないの?」
「なに、きみ、おこられるようなことをしたわけ?」
きょとんと聞き返す恭弥に、ツナはとうとう泣いてしまった。
「なかないの、つなよし」
「っぁ……ぃ、」
返事は嗚咽に混じってきっと届かなかったけれど、それだって恭弥は優しく笑って許してくれた。小さな体のぬくもりがこんなにも頼もしいものだと、その日ツナは初めて知ったのだ。
後日恭弥は、屋根裏に明かり取りの窓をつけることを諦め、代わりにかわいらしい行燈を持ち込んだ。これなら明るすぎないだろうと言うのだ。その心遣いにツナはまた泣いた。このときも恭弥は少しも怒らず、つなよしは泣き虫だねと、呆れたため息をついただけだった。
そんなやりとりをいくつもいくつも繰り返し、屋根裏には、布団や暖房器具や衣類、そしてそれらを収納する家具までが次々と運び込まれた。
長じるにつれ恭弥は母屋に戻ることをしなくなり、それどころか、学校とトイレと入浴以外のほとんどすべての時間を屋根裏で過ごすようになった。暗闇の中の生活で恭弥がめくらになってしまうのでないか、ツナはそんな心配をして、とうとうあれだけ拒んだ窓の工事を自らねだった。それだって恭弥は笑って許した。
一事が万事そんな調子で、結局、優しい恭弥と泣き虫のツナはべったりくっついたまま数年を過ごした。
昔、ツナがまだあやかしになる前に、大切な友が結婚した。身分が違ったから祝ってはやれなかったけれど、こっそり覗いた新居の縁側で幸せそうに寄り添う若い夫婦の姿に、ツナのちいさな胸までもがじんわり温かくなったものだ。
恭弥との生活は、まるでそのふたりになれたかのようだった。毎日をともに過ごして、離れるときには見送って、帰ってきたら抱きついて。守るべき家の主を相手にあんまりずうずうしいので口には出せなかったが、ツナはそれが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
「いってらっしゃい、恭弥さん!お仕事がんばってくださいね!」
そういって学ランを手渡すと、恭弥はツナの髪にひとつキスをくれて、それから屋根裏を出て行った。
ダメツナには洗濯や食事の用意はできないが、掃除や制服のアイロンがけはできる。いつか恭弥が継ぐこの家を守る力がある。ささやかでも彼のためにできることがあるのだ。
かつて、あのひとのためにできたことなどほとんどなかった。彼はとても立派で、自分のことは何でもできる人だったから。そして、恭弥も成長していつかそうなるのだろう。
(どうかその日が一日でも遅くなりますように)
恭弥のためにならないということはわかっていても、月に、星に、願わずにはいられない。ツナだって自分を大事に思うこともある。もうあんな悲しい日々はたくさんだ。
この離れは、あやかしが一切出入りできないように造られている。逆にいえば、中に閉じ込められいるあやかしは、建物内ならばたとえ階下の部屋にだって自由に移動できるのだ。それでもツナがかたくなにそうしたがらないのは、いつか屋根裏からこっそりと覗いた光景があまりに衝撃的だったからだ。
ある日から、ひとりの女性がこの離れに住むようになった。きれいな和服を着た艶やかなひとだった。彼女は大勢の召使いを引き連れ、たくさんの家具とともにやってきた。確かにツナの目にはきらびやかで美しくみえたのだけれど、同時にあのひとの好みではないなと安心したのだった。
彼女はツナが屋根裏にいることにまったく気付かなかった。当然だ、雲雀の血でも引いていない限り、あやかしの存在に気付くことなどまずできない。
だからあのことに関して彼女を責めることはできなかった。知らなかったのだから仕方がない。だが、あのひとに限っては、そうではなかったはずだ。だって、ツナを捕まえ、ここへ居るよう命じたのは彼自身だった。
(……それなのに、あのひとは、)
思い出す度にツナは後悔する。一体どうしてあのとき自分に死を選ばなかったのだろう。そうすればあんなものを見ずにすんだのに。ただ純粋に彼だけを想ったまま、幸せなままで死ねたのに。
しかしもはやそれは叶わない夢だ。ツナはあのひとを未だに好きでいるが、同時に憎まずにはいられない。綺麗だった想いは今やどす黒く濁り、今もなおツナの心を苛んでいる。