こうしてこの家に通い始めて何年になるだろう。数えてみようにも手の指ではとうに足りない。それでも、幾夜を過ごしても、骸が窓を叩くたびに、胸の奥底からほっこりと温めてくれる微笑みを浮かべて駆け寄ってくるツナが、ひどくいとおしかった。ベッドから立ち上がって窓辺によるまでのその速度は驚くほど遅いのだが、それさえ好ましく思えてしまうのだから、重症だ。
「こんばんわ、綱吉くん」
自分でも驚くような笑みを浮かべて名を呼ぶと、ツナは顔を真っ赤にして、うん、とうなずいてくれた。
「いらっしゃい、骸」
「入ってもいいですか?」
「うん!」
こっくりとあどけなくうなずく姿がかわいすぎる。抱き潰してしまいたい!欲求に逆らうことなく骸は腕を伸ばして抱き上げ、いつものようにベッドの端にかけて、膝の上にのせたツナの小さな体を覆うように抱きしめてしまう。それにもう慣れっこなツナは拒否することもなく、嬉しそうにそれを受け入れてくれた。
「むくろ、むくろ」
「はい、なんでしょう?」
「あのな、今日学校でさ……」
ツナがにこにことあんまり幸せそうに話すので、骸の顔はもうでろでろだ。よく顔を合わせる三人はともかくとして、それ以外のしもべたちが今の骸を見れば、普段とのあまりの変わりように目を瞠るに違いない。見せてやるつもりもなかったが。
「それで、教授がオレのこと、ほめてくれたんだ。オレだけだよ!」
「当然ですよ。綱吉くんがあれだけがんばったのですから」
話題は中世ヨーロッパで「異端」とされた宗教に関するレポートだった。ツナは毎日毎日骸の屋敷へと通い、今では夕方から動けるようになった骸とともに、毎日懸命に本を読み頭を捻っては議論を交わしたのだ。
だが、骸はたしかにツナにつきあいはしたが、決して手を出したわけではない。自分のみてきたものや考えを語って聞かせただけだ。本だって貸しはしたけれど、それを選び出したのも、読んだのも、すべてツナ自身なのだ。それなのに、彼はぷるぷると首を振って、いじらしいことを言う。
「んーん、骸が手伝ってくれたからだよ。ありがとな!」
本当になんだこの子は!この六道骸が照れるだなんて、もしかしたら初めてのことかもしれない。
「ねえ綱吉くん、僕はきみが好きですよ」
「うん。オレも骸のこと、大好きだよ。骸のこと考えると、昔はドキドキして泣きたくなったんだけど、今はほわってあったかい気持ちになるんだ。よくわからないけど、『恋』が『愛』になったんだって、黒川ときょうこちゃ……うわ!」
ツナのせりふは骸の抱擁によって遮られた。いつかのようにぎゅうぎゅうと、相変わらず細い体を締め上げるかのように抱きしめる。ツナは悲鳴を上げ、陸に上がった魚のようにびちびちともがき、叫んだ。
「痛い、痛い痛い痛いってば骸、離せ!」
「あ、すみません」
「ぜってー反省してないだろ!おまえなー!!」
悪かったと思ってはいるのだ、一応。ただ、思考するよりも体が動く方が早いものだから、二度とやらないだなんて言い切れないだけで。
ぺろりとそんなことを言う骸に、ツナは、もういいとひとつ息を吐いた。
「綱吉くん?怒りましたか?」
「ううん、もういいよ、キリないし」
「嫌いになりませんか?」
「うん」
なるわけないだろー、とツナは笑った。嫌いになるならもうとうになっている、だそうだ。骸にはよくわからない理論だったが、とりあえず嫌われていないのならそれでいい、十分だ。
「そう、それでさ、オレもう卒業が確定したようなもんなんだ」
「はい」
「ちゃんと社会人になるんだよ。法律上とか建前上じゃなくて、ちゃんと自分の意志とか責任で、住むところも結婚も決められるようになるんだ」
「……はぁ」
いまいち話が飲み込めない骸に、ツナは、焦れるように早口で、いちばん伝えたかったのだろうことを言った。
「だから、だからな、オレがおまえんちにいくことも、おまえのお嫁さんになることも、もうできるんだよ……!」
がば、とあげられた顔は、目元も、頬も、耳元も、首筋も、みな真っ赤で。この目の前の子供がどれだけの緊張と羞恥心に耐えているのか、想像するのはたやすかった。
五十年でも百年でも待つ。幼いツナと交わした約束を、骸は守るつもりだった。それどころか利用するつもりでさえいた。もしツナが心変わりをしたときには、この口約束を盾にして、何度でも追いつめ取り戻そうだなんて考えていたのだ。
それが、現実ときたら。まだあれからたったの十年しか経っていないというのに、ツナは、もういいからと言う。言って、くれた。
「綱吉くん」
「なに?」
「僕は、もう永遠にきみのものだ、だから」
「うん」
もう何百回何千回と繰り返した言葉をまた交わして、宝物などを扱うときよりもずっと丁寧に恭しく子供の手を取って、骸はそうっとその指に指輪をはめた。
「……きみも僕のものになってください」
安っぽい蛍光灯の明かりの下、きらりと輝いた小さなダイヤモンドの粒とツナの涙を胸に抱き。すぎた幸せに骸もまた、少しだけ、ほんの少しだけ、ひくりとのどを鳴らした。