きっかけはよくあるいじめだった。
 子供会が企画したハロウィンの仮装行列、それを抜け出して、町はずれのお屋敷で肝試しをしようと誰かが言い出した。集まった子供は全部で五人。そのうち、四人が示し合わせて、ツナをひとり置き去りにしたのだ。陰気で、ぼろぼろで、とても薄気味悪いお屋敷の、二階の一番奥の図書室でのことだった。
 建物こそ古いものの、鬱蒼と茂る木々のなかに建っているわけでも、壁面をびっしりと蔦に覆われているわけでもないから、窓からは煌々と月明かりが射している。けれど、光があるからこそ、それによってできる影がこわかった。窓枠の影、本棚の影、そういったひとつひとつが、今にも勝手に動き出して、今にもツナに襲いかかってくるような気がするのだ。
 こわいこわいこわい、今すぐ逃げ出してしまいたい。けれどここを動くわけにはいかないのだ。はぐれた皆を残して一人帰るだなんて選択肢はツナにはない。たとえ、どんなにおそろしいものがそこにいても。その皆がもうとうにいないだなんて、考えもしなかった。
 逃げたい気持ちを押し殺して、のどの底から絞りだすように声を出す。
「み……みんな、どこ?」
 しつらえられた本棚やデスクが音を吸うのか、ツナの声が反響することはなく、そしてもちろん返事もない。しんと静まりかえったままの部屋がたまらなくおそろしかった。まるで、世界中の自分以外の人が消えてしまったような気さえした。
(もうだめ、むりだよ……!)
 そう思った。だって自分はダメツナだ。きっとここで一人きりで死んでしまうか、おばけに食べられるか、ゆうれいにあの世に連れて行かれるかしちゃうんだ。おそろしくて仕方がなくて、せめてとその場にぎゅうっと縮こまって小さくなった。まるで、なにものかの襲撃に備えるように。
 声がしたのはそのときだった。
『大丈夫。ひとを喰らうような化け物がいても、子供を連れていってしまうような悪霊がいても、きみだけは僕が守りますから』
 それは耳元で甘く甘く囁く、優しげでしっとりとした、大人の男の声だった。涙を浮かべたまま顔を上げ、おそるおそる周囲を見回してみたが、どこにも誰もいない。
『何をしているんです?ほら、立ち上がって。せっかくの服が汚れてしまいますよ』
「あぅ……は、はい、ごめんなさい」
 声の調子は変わらなかったけれど、だからこそダメツナだと見放されるのが怖かった。大急ぎで立ち上がり、ぽふぽふとおしりをはたく。
『くふ、きみは素直でいい子ですね』
「ぅえ!?」
 そんなこと言われるのは初めてだ。ツナは、とろくて、だめで、ばかで、運動もできない、みんなに嫌われている子供だから、奈々以外に褒めてもらえることなど滅多にない。こんなことを言われてしまうと、どうしていいのかわからないのだ。
 けれど、礼も言わず、ただあうあうと口を開いては閉じるばかりのツナを見ても、やはり声の主は怒ったりしなかった。それどころか、目を細めて笑ってくれた気さえした。
 優しい人だ。ツナはそれに少しだけ勇気をもらって、ほかの子供たちのことを訊いてみることにした。
「あ、あの」
『はい?なんでしょう?』
「あなたは、みんながどこにいるか知ってますか?おれ、五人できたんですけど、みんないなくなっちゃって」
 ツナの言葉に声はくふくふ笑った。おかしくておかしくて仕方がないという様子だ。
『知っていますよ。君のお友達は、皆無事にこの家を出て、今頃は仲良く帰途についているでしょうねえ』
 きとってなにとツナが問うと、彼は、ようするに君はおいて行かれたんですよと言いなおした。
「え、えぇー!?」
『きみも早く帰った方がいい。きみのうちまで、亡霊に送らせますから、ね?さあ、早く』
 ツナには亡霊に送らせるというのがどういうことかわからなかったが、それらをぐっとのみこんで、ただ足を動かそうとした。この声の主はきっと穏やかな人で、さっきは質問にも答えてくれたけれど、今度は呆れられるかもしれない。
 これまでツナに親切にしてくれた人がいなかったわけではないが、彼らはみんな、ツナが二度三度と面倒をかけるうちに離れていってしまった。もうあんな思いはごめんだ。はやく声に従わなければまた同じことの繰り返しになる──だが、わかってはいても、あの寂しくて悲しくて惨めな出来事の数々を思い出してしまえば、もう一歩も動けなくなってしまった。どんなに焦りが募っても、足はまるで鉛になってしまったかのようだ。
「ご、ごめんなさい……」
 せめてもと謝るが、声はなにも言ってくれない。
 じわじわと涙がにじんでくる。まただ、またやってしまった。情けなさと、忘れていた恐怖で、ツナはとうとう泣き出してしまった。
「う、うぅ〜〜〜〜っ、」
『ちょ、きみ、なんで泣く!?』
「っ、あ、あぅ」
『ひとりにしたのがそんなに怖かったんですか?置いていったりなんてしませんよ。ちょっと、僕の眷属を呼びに行っていただけですから。だから泣かないで、ね?』
 あわてたように言いつのる声に、今度はほっとして涙が止まらなくなってしまった。
「お、おこって、ないの?」
『怒る?なぜ?』
 ああ、このひとはほんとうにやさしいひとだ。ツナのことをまだ見放さずにいてくれる。それが嬉しくて嬉しくて、ツナの小さな胸は、きゅうきゅうとせつなく痛んだ。かわいい京子ちゃんが、クラスの男子と仲良くしゃべっているときに感じたもやもやや痛みを、もっと重たくしたような感覚だった。
『動けますか?』
「う、うん、だいじょうぶ」
『よかった。……千種、犬、クローム!』
 声の主がそう呼ぶと、開けっ放しだった部屋のドアから、ひょこりと子供たちがあらわれた。めがねとニット帽をつけた子供が、興味津々にツナに近づこうとする派手な金髪の男の子と紫色の髪の女の子を止めているのだ。皆ツナとおなじくらいの体つきだが、ツナは飛び抜けて小柄だから、きっと三人の方が年下だろう。
「わ!」
『僕の眷属です』
「けんぞく?」
『従者、僕に従うもののことですよ』
「へぇー!すごいんだね!」
 まぬけな返事だったが、誰も気にしないようだった。
『おまえたち、彼を家まで送りなさい。くれぐれも丁重に……そう、家に入って、彼がベッドに入るまで、決して目を離すな』
「はい、骸様」
「まかせてくらさい!」
 三人はさきほどすでに主から命を受けていたようで、それだけですべて承ったというように、それぞれ返事をした。
 しかし、ツナはそれに素直にはうなずけない。
「えっ、でも、だめだよ!そしたらかえりが三人だけになっちゃう……かあさんがね、夜はあぶないから、子供だけでいたらだめよって。おれはおにいちゃんだから、ちいさい子をひとりにしちゃだめなんだ。みんなになにかあったらやだもん、おれひとりでかえるよ!」
 そのツナの言葉に、声の主どころか、子供たち三人まで驚いたようだった。金髪の子供などはぽかんと口を開けてしまっている。
「な、なに?」
 少しばかりその空気に気圧されながらもツナが首をかしげると、リーダー格の子供はぱっと二人の体を離した。とたんに、二人ともツナに突撃してきて、それぞれぎゅうっとしがみつく。
「わあっ!!」
 力一杯抱きつかれてツナは思わず叫んでしまった。ツナは恋人はもちろん親しい友達すらいないから、ここまで誰かにくっつかれたのは初めてで、驚いたのだ。
 あわてるツナを無視して、子供たちは懸命に主張する。
「みくびんな!だいじょーぶら!」
「ボス、大丈夫よ。骸様はわたしたちの世界の王様だもの。正子を過ぎれば迎えに来てくれる」
「しょうし?むくろさま?ボスって、おれのこと!?」
 わからないことが多すぎて、ツナの頭の中は大混乱だ。それを察したのか、声の主が助け船を出してくれた。
『「正子」は夜の十二時のこと。僕は今、力が足りなくて、十二時まで体が動かせないんです。この子たちは亡霊だから、僕がいなくたって危険なんてないんですけどね。それから、「骸」は僕の名前です』
「むくろ、さん……えへへ、ありがとう!」
 やっと呼べたとその名を口にして、声の主がいそうな方を向いてぺこりと頭を下げはにかむと、それにならってか、くっついた骸の眷属たちも次々と頭を下げた。うらやましくて仕方がなかった少年野球のあいさつみたいで、嬉しくなる。
「えっとね、おれはツナ、つなよしって言うの。みんなは?」
「犬!」
「……柿本千種」
「く、クロームって言うの……!」
 けなげ、という言葉を幼いツナはまだ知らなかったが、それでもその一生懸命な態度に感じるものがあった。小さな手のひらで、自分と同じくらいのその子の髪をいいこいいことなでてやる。自分のものとは違うつやつやの手触りで、これが女の子かと思うと、なんだかどきどきした。
『ひどいですよ。僕にはどきどきなんてしてくれないくせに』
 背後で骸がぼやく。きっと唇をとがらせたのだろう、そんな声音だった。
 本当は、さっきから、彼になにかを言われるたびにどきどきしていたのだけれど、恥ずかしいからそれはツナだけの秘密にしておくことにして。かわりに、骸の声が聞こえるあたりを向いて、別のことを言った。
「おれ、むくろさんともっといたい。『しょうし』までここにいちゃ、だめ?」
 ツナの言葉に子供たちの顔色がかわった。きらきら、そんな擬音がしっくりくる。
 四人の幼子たちの視線に負けたように、骸は、好きにしなさいと苦笑した。


 それから日が変わるまで、ツナは、骸の寝室で過ごした。
 骸はツナに、時間が来るまで一緒に眠ってほしいと乞うた。だから、今、ツナは骸の本体に添い寝する形でベッドをともにしている。三人の従者たちはそれぞれベッドの周りに陣取っているから、恥ずかしいことこの上ない。それでも、是非にと言われてしまえば断れない。
 コテリと頭の向きを変えると、ちょうど骸と向き合う形になる。白くて傷ひとつないすべすべの肌、長いまつげ、そして紺色の長い長い髪。その髪をひとふさ手にとって梳きながら、幼心に、きれいなひとだなあと関心する。外見がこんなにきれいで、声はかっこよくて、中身は優しいなんて。骸はなんてすごいひとなんだろう。ツナはすでに骸のとりこだった。
『そういえば、クローム』
「はい」
『どうして綱吉くんがボスなんですか?』
 正子まではもう一分を切っていて、あきらかに間を持たせるためのどうでもいい質問だった。だが、骸もツナもその答えに赤面することになる。
「だって、綱吉様は骸様のお嫁様になるんでしょう?だったら私たちのボスだわ」
 自信満々にそういわれてしまって、ツナは返す言葉がなかった。骸と結婚するだなんて考えもしなかったけれど、結婚というものが好きな人とするもので、そして自分が骸に好意を持っているという自覚はしてしまっていたからだ。姿を見たときにはすでに好きだっただなんて、もはやひとめぼれどころの話ではない。
 頬をばら色に染めてふたたび骸の方を向くと、眠っていたはずの骸は驚いたかのように目を見開いていた。青と赤の色違いの瞳が、宝石みたいできれいだなとぼんやり思った。