ぷつ、ぷつ、ぷつり、ベッドの端に腰掛けて、上から順番にボタンを留めていく。掛け違えないように、ボタンホールを広げてしまわないように、丁寧に丁寧に。ひとつすすむたびに、頬の赤みが増していくのがわかる。だって、まさに「脱がされるために着ている」のだから。考えるだけで茹だりそうだ。
すがすがしいラベンダーの香りのするソープ、汗の匂いも汚れもきれいに取り去るシャンプー、髪をふわふわに仕上げるコンディショナーとトリートメント、そして滑りのいいマッサージクリーム。ツナのためにと選び抜かれたそれらを使って、体じゅうあますところなく、丁寧に磨きあげる。どこを見られたってはずかしくないように、どこから触られたって嫌われたりしないように。その体を今度は、いやらしいことなどほんの少しも考えていません、とばかりに、やわらかく無垢なコットンの布地で隠していくのだ。
オレって恥ずかしいやつ、だなんて葛藤はもうし尽くしたように思う。恥ずかしくても、照れくさくても、あの人が好きだと言ってくれたから、それでいいんだ。自分がこんな考えをもてる人間だったなんて、実際にこうなるまでは、想像もしなかった。
パジャマを着終えたツナは、白フクロウをぎゅうっと抱きしめ、そのふかふかの羽毛に顔を埋めた。このフクロウは骸のしもべの亡霊で、ツナの護衛兼連絡係として、もう何年も一緒にいる。
骸というひとは傲慢でわがままで子供で、独占欲にまみれたどうしようもない男なのだと、彼をよく知るものたちは言う。けれど、ツナにとっては、優しくてツナをなにより大切にしてくれる、余裕にあふれた男だ。はじめて会った晩から今まで、ずうっとそう。ツナの目にフィルターがかかっているのか、それとも骸がツナの前でだけ態度を変えているのか。後者だったらうれしいな、そんなことを考えて、いけないいけないと首を振った。
骸のことをほんのわずかでも思いだしてしまえば、会いたくて甘えたくて仕方がなくなってしまうのだ。だからツナは、必死に、学校であったことや宿題のことを思いだして、骸のことから考えをそらそうとした。
そのときだった。
「綱吉くん」
こつりこつりとガラスが叩かれる音とツナを呼ぶ低い声。ふだんの無気力さや鈍くささがまるで嘘のようにぱっと立ち上がって、ぱたぱたと窓際に駆け寄った。
窓をあけたのと、フクロウごとしなやかな腕に閉じこめられてしまったのは、ほとんど同時だった。
「骸!」
「綱吉くん綱吉くん綱吉くん、会いたかった……!」
「わ、むく、骸、くるしいよ!」
暴れるツナを抱きしめ、骸はすり、とその首筋に顔を寄せる。
「石鹸、つかってくれたんですね。いいにおいがします」
「あ、うん、オレもこれ好きだし……」
骸が選んでくれたものだからとはさすがに言えなかったが、それでもわかってもらえはしたようだ。骸は上機嫌にくふくふ笑い声をあげ、さらにツナを抱く腕に力を込めた。
「ちょ、むくろ、はなして!」
「いやです」
「いたいんだってば……!」
懇願しても骸は笑うだけできいてくれない。なんだかどうしようもなくなってしまって、茶色の大きな目から、とうとうほろりと涙がこぼれた。嫌がらせでもなんでもなく、ほんのちょっとでもツナと離れたくないと思ってくれたゆえの行動なのだろう。そんなことはわかっている。わかっているが、それでも、どうにもならなかった。
「いじわる!もういい、骸なんてキライ!」
「……ひどいですよ、綱吉くん。僕がどんなにきみを好きか、わかっているでしょうに」
ひとつため息をついて、骸はようやっとツナをはなしてくれた。
骸という男は、冷酷で、鬼畜で、性格が悪くて、まるで霧のようにつかみ所がない、のだそうだ。ところが、それがツナのこととなると別人のようになる。どんな相手にでもひどくあたるくせに、ツナのことだけはとにかくべたべたに甘やかすのだ。
「入ってもいいですか?」
ツナはうなずき、窓枠を越えて入ってくる骸のためにと場所を空けた。顔を背けてしまったのは、せめてもの意趣返しだ。だが効果は覿面だった。そっぽを向いたまま自分を見ないツナに焦ったのか、今度は背中側から抱きつき、ちいさな耳朶に唇を寄せて、謝罪と言い訳をはじめた。
「すみません、でも、嬉しかったんです。今夜もまた会えた……今夜もまだ、綱吉くんが僕を好きでいてくれる」
「むくろ」
「だってきみが昼の間何をしているか、僕は知ることができない。毎夜毎夜目覚める度に、きみの身に何もなかったか、きみが心変わりをしていないか、気になってしかたがないんです」
日長の季節なのがうらめしい。そんなことまで言い出した骸に、ツナの胸もきゅうきゅう締め付けられる。ああ、ほんとうに、昼夜を分かたず傍にいられたらどんなにすばらしいだろう。こんなふうに抱きしめられなくても、側にいられるだけでもいい。ただ彼とともにあって、同じものを見て、同じものを感じられれば、それで十分、なのに。
「ねえ、綱吉くん」
「なに……?」
「きみに、僕のものであるという証をつけたい。ね、いいでしょう?きみはもう、すみからすみまで、みんな僕のものなのだから」
蜂蜜のようにとろとろと甘い、低くてつややかな声をじかに注ぎ込まれ、ツナはまるで操られたかのようにこくりとうなずいた。はじめにちゅう、とかわいらしいキスをひとつ落とされ、それからはめたばかりのボタンがはずされていく。
するり、と肌をすべる手の冷たさに、ほんのすこしだけ鼻の奥がつんとした。
「ひとめぼれだったんです。本当に、一瞬できみを好きになりました。きみは本当にきれいだから……僕にはまぶしすぎるくらい」
真摯な告白に、しかしツナは、くすくすと笑い出した。骸は少しだけむっとしながら問うた。
「なんですか。僕と一緒にいるのにほかのことを考えて、しかも笑い出すだなんて。ひどいですよ」
「う、ごめん……でも、考えてたの、おまえのことだよ」
骸と最初に出会った、三年前のハロウィンの夜のことを思い出していたのだ。
「おまえ、クロームに本気で嫉妬してたよな」
「当然ですよ!僕はひとめで君を好きになったんです。それなのに、その子がほかのものにばかり気を遣るんですから、そりゃあ嫉妬だってします」
むう、と年甲斐もなくむくれる骸にツナはまた少しだけ笑って、それからふぁ、と大きなあくびをした。
こうしてふたりでべたべたくっついて、キスしたり、自分が骸のものだと示す痕をつけられたりしているうちに、ツナはいつもうとうとしてしまう。仕方のないことだ。ツナはまだ育ち盛りの中学生で、本来寝ても寝ても足りないくらいの年頃だ。どんなに授業中に睡眠をとったって、夜にきちんと眠るのとは意味が違う。昼に生きるものであるツナにとって、夜とはやはり、眠る時間なのだ。
ツナのあくびに、同じことを骸も感じたのだろう。すらりと長い指でツナのくちびるをひとなでして、それからそうっと目を伏せた。
「きみを逃がしてやるつもりなどないけれど、かといって無理強いする気もありませんよ」
「むくろ」
「きみは思う存分ひとの人生を楽しめばいい。毎晩こうして会うことさえ許してくれるのなら、最終的に僕のもとにきてくれるのなら、五十年だって百年だって、僕は待ちます」
骸は強大な力で一族すべてを従わせる、冷酷非道で残虐な王だった。きっとそれは今でも変わらないのだろう。けれど、ツナは、そのことをまだ半分ほどは信じられずにいる。なにしろ骸は、ツナの前ではそんなそぶりは少しも見せないのだから。
ツナの知る骸は、いつだって優しく甘ったるい男なのだ。毎夜毎夜喜々としてやってきて、ツナをべたべたに甘やかし、時に愛して、夜明け前に未練たらたらといった表情を浮かべてねぐらへもどっていく。ツナは、ツナだけは、ひどいことをされたことなどないし、冷たい態度もとられたことがない。
それを証明するようなエピソードがこれだった。
骸はツナを、今すぐにでも自分と同じ夜のいきものにしてしまいたいと願っている。幼かったツナを膝に乗せ、切々と語ったのだ、心の底からの本音なのだろう。けれどツナはそれにうなずくことができなかった。夜のいきものとなってしまえば、ツナにはもう骸しかいなくなってしまう。そんな状態で、もし骸に捨てられてしまったら。そんなことをついつい考えてしまうのだ。これだけ愛されているくせに。
うつむいて何も言えなくなってしまったツナの顔をそうっと持ち上げ、ちゅう、とふれるだけのキスをして、骸は少しだけ寂しそうに笑った。
「きみが落ち込む必要なんかないんですよ。僕は、いつかきみがうなずいてくれるまで、いつまでだって待てますからね」
「え……オレが、よぼよぼのおじいちゃんになっちゃっても、いいの?」
「くふ、もちろん。そうしたらライバルが減っていいですねぇ。きみはもちろん僕らのうちに来てくれるのでしょう?」
骸にうっとりと言われ、ツナも今度こそうなずいた。
「うん!千種さんと、犬と、クロームと、みんなで暮らそうね!」
ツナの返事に骸は一瞬固まったものの、すぐに、ああきみはあの子たちのお母さんになってくれるんですね、と自己解決して立ち直った。
きっと、骸に捨てられるのなら、それは十年後とか二十年後とかのことだろう。五十年も経ってからなら、骸と婚姻を結んで夜のいきものとなっても、捨てられひとりきりになってしまうことなんてないのだと、信じられる気がした。
「漆黒の婚礼衣装をまとったきみはきっととてもきれいですよ。純白のドレスももちろん似合うと思いますが、やはり僕らにはまぶしすぎる」
「え、そんな……あ、でも、骸は黒いタキシード似合うと思うよ。その……いまもかっこいいけど、もっと」
ツナがもごもご言うと、骸は感極まったようにツナを抱く腕に力を込めた。先ほどの「嫌い」が尾を引いているのか、少しは加減してくれているようだけれど、やっぱり痛い。
ツナはあきらめてひとつため息をついて、骸の胸にことりと頭をあずけた。男の胸は広くがっしりとしていて、少しも柔らかくなどなかったのだけれど、守られているのだととても安心できた。