どんなに憎らしくとも主は主、まるきりなにも知らないではすまされないだろう。そう考えて彼の人となりを知り、後悔した。
彼はずっと、落ちこぼれかけながらも、ごくごく平均的な日常を謳歌していた。アルコバレーノと出会って幾分騒がしくはなったものの、マフィアなどまだ遠い存在だった。──そしてその生活を骸がぶち壊した。
骸が彼を狙って日本へ来、行動を始めてからというもの、まるでドミノの牌がぱたぱた倒れていくように事態は進んでいった。驚いたことに彼はつい先日まで十年後の世界に行っており、そこで後継者としての資格を認められてきたらしい。ヴァリアーたちを退けたこともあり、地味に平凡に一生を終えたいと願っていたという少年は、引き返すにはもう遅いのだと、しゅわしゅわと気泡の上がるグラスを揺らして、諦めたような顔で笑った。
「こうなったらさ、いったんボスになってから、早く辞められるように頑張るしかないよね」
「へえ、やめられるように、ね……跡継ぎ作りにでも励むつもりですか」
からかうような口調でそう返すと、ツナは盛大にむせた。
「はァー!?わけわかんない冗談やめろよ!」
「冗談ではありませんよ。君が引退するならするで、次のボスが必要でしょう」
「本気かよ余計タチ悪いよ!!」
炭酸は気管にはいるとたいへんなことになる。実際彼の目には涙さえ浮かんでいた。どれだけその身を抉られたって泣いたりなんかしないくせに、こんななんでもないことで泣くだなんて。どうしてかとても腹が立った。
それでも、ツナに当たるなんてプライドが許さなかった。顔だけはいつもどおりのポーカーフェイスで、「いちいち反応する君が悪いんですよ」なんてうそぶきながら、骸は、右手でこっそり置いてあったクッションを殴りつけた。ツナの代わりだ。おかげで少しだけ溜飲が下がった気がした。
「ったく。そうじゃなくてさ、ボンゴレ自体を壊すんだよ」
「は?」
「歴代のボスにそう宣言してきたんだ。何でかそれで認められちゃったんだけど……あのひとたちも本当わけわかんない……」
唇をとがらせそういうツナは非常に可愛らしく、骸は状況も忘れて見惚れそうになったが、彼のその言葉がやけに気になったので無理矢理口を動かした。
「壊す?」
「うん。だって沢山の人がボンゴレファミリーのせいで傷ついてたから」
どこまでも彼らしい返答に表情は自然と苦くなる。
お前のせいだと詰ればいいのに。後継者として候補にあがった以上、いずれヴァリアーとはやりあう羽目にはなっただろうが、骸の一件がなければあと数年は先になるはずだった。極東の片隅の、まったく有力視されていなかったツナとそのファミリーの存在が知れ渡ったのは、マフィア殺しで名を馳せていた骸を倒したのが切っ掛けだったのだ。
それなのに、隣に座る子供は、ただぼんやりとした顔で、はやく普通の生活に戻りたいなあだなんて言うばかり。
「おかしな人だ。ボンゴレのトップに立とうとあらゆるものを捨てた者だっているというのに」
「仕方ないだろ!オレはマフィアなんか全然関係ないところで育って!抗争なんかしないで病気か老衰で死ぬんだって、ずっとずっと思って生きてきたんだから」
叫ぶツナに、骸は思わず安堵の息を吐いてしまった。
「……やっぱり君はそう騒がしい方が君らしいですよ、ボンゴレ。大人しいと不安になる」
「なんだよそれ」
「まあ、ボンゴレファミリーが無くなれば、同盟の結束力もおちて殲滅しやすくなるでしょうからね。君がそういうつもりなら、僕としても、協力するのも吝かではありませんよ」
「こないだと言ってること違うじゃん」
「僕は変幻自在で臨機応変なんです。霧の守護者ですから」
「意味わかんねー!!」
それきり会話は途絶え、しばらくツナがばりばりと煎餅を咀嚼してコーラで流し込む音だけが聞こえていたが、不意にそれらが止んで小さな小さな声がぽつりと言った。
「ね、いつか必ずファミリーをなくしてみせるって約束するからさ、だから……『ボンゴレ』って呼ぶの、止めてくれないかな」
「は?」
「だってボンゴレはオレのいるとこじゃないのに、呼ばれ続けたらかんちがいしそう」
へにゃりと笑う顔はいつも通りで、骸は少しだけほっとした。正直ハイパーモードのツナは苦手だ。そしてそれを彷彿とさせる、凛とした言動も。
少しばかり、否、三百六十度どこから見てもダメツナなくらいが彼らしいのだ。そうだろう、自問してその通りだという結論を導き出し、満足して一つ頷いた。
「そうやって、将来の挫折を僕のせいにしようとするわけですね。まったくマフィアというのは姑息でいけない」
「は!?いやそんなつもりは」
「いいでしょう、たった今から名前で呼んで差し上げます。その代わり諦めたりしたときには、宣言通り、君の体をいただきますよ!」
ツナの顔からさあっと血の気が引いた。だが彼から言い出したことだし、前言撤回など受け付けるつもりはない。
「さっきも言いましたがね、僕は結構何にでも適応できるんですよ」
「……『霧』だから?」
「そうです。たとえばマフィアにだって」
主たる彼が、一時とはいえ憎むべきマフィアの頂点に立つのだということには、このさい目を瞑ってやろうじゃないか。
骸のことを責めることも恨むこともしない、素直で善良でやさしい彼が挫折などしないように。血と硝煙に慣れきった豚どもに手折られないように。そして彼が、一日でも早く目標を達成して、ボンゴレ・デーチモからただの沢田綱吉にどれるように、どんな協力だって惜しまない。そして、万が一彼が夭折したときには、その志を継ぎファミリーをたたき潰す。
「平和な日常を取り戻したいんでしょう?」
これ見よがしに指に填めたリングを掲げると、綱吉は心底嫌そうな顔をしてふいと視線を移した。骸の懺悔も勝手な誓いも聞く気はないらしい。──それならそれでいい。全て骸ひとりが知っていればいいことだ。
奪ってしまったのと同じだけの時間を、平穏を、いつかきっと返しましょう、たとえ生涯をかけてでも。誰が聞いても吃驚するようなことを考え、骸はそっと目を閉じた。
すぐに煎餅をかじるぼりぼりという音が混じってムードも何もなくなったが。