扉の前に立って、ジャケットの裾とネクタイを直す。
もはや別荘と呼んでもおかしくない程の頻度でここに来ているが、それでもこの扉に向かう度に回れ右をして帰りたくなる。 安らぎ、癒し、そういった暖かみとは無縁の、ただ冷たいだけの家だ。いっそこの体まで冷え切って、ただのモノになれてしまえばよかったのに。そうすればこんな思いをしないで済んだのに。溜息を笑顔の下に隠してチャイムを鳴らした。
「何の用」
「お見舞いです。まだ熱が下がらないと聞いたものですから」
「……ああ、そう」
家主のひとりが骸を先に行けと促す。すれ違った瞬間に、厭な匂いがした。
「昨夜、何度か連絡したんですが、……留守だったみたいですね」
「君には関係ないだろ」
「病気の時は弱気になるっていうの、知ってますよね?もちろん」
「そうらしいね」
当てつけもどこ吹く風、自分には関係ないといわんばかりの態度に腹が立つ。たとえ想い合っていてもこんなものなのだろうか。それとも彼らが特別なのだろうか。いずれにせよ目の前のこの男を殺してやりたいと思った。
力量は互角だ、差し違えることくらいならできるはず。しかし、雲雀の死によってツナが泣くというならば、骸は槍の穂先を向けることすらできないのだ。
「綱吉、客だよ」
声を掛けながら雲雀が引き戸を開けた。声は変わらずそっけない。
この家はどこも木目を生かした、ナチュラルで落ち着いた造りになっている。住人だけが酷くそぐわない。まるで、子供が無理をして大人の服を着ているようなものだ。例えにひとり胸中で笑う。
「僕は出かけるから。何かあったら連絡して」
「……はい」
返事が聞こえたのかそうでないのか。言うだけ言い捨てて雲雀は出て行った。
雲雀はツナに冷たい。皆口をそろえてそう言うし、骸自身も会う度にいつも実感することだ。それでも、せめて病気のときだけでも思い遣りはあるのだと信じたかった。だが現実はどうだ?弱り切ったツナはひとりきりでベッドに沈んでいる。容態が急変したらどうするつもりなのだろう。それとも、そうなればいいと思っているのだろうか。
「むくろ?」
呼ばれてはっとした。雲雀の背中を睨みながら立ち尽くしていたらしい。
「ごめん、忙しかったんだろ?」
「そうでもありませんよ。なにしろ殺すマフィアがいないのだから。君のおかげでね」
「そっか。骸が殺さなくなったなら、よかった」
ツナはそういって密やかに笑った。似つかわしくはないが、それでも先ほどまでの青ざめた無表情よりは、ずっと彼らしい。応えるように骸も口角をあげて、ベッドサイドに腰を下ろした。椅子はひとつも見あたらなかった。
「それより綱吉くん、君の具合は?」
「悪いつーか何つーか。熱があるのにももう慣れちゃった」
「そうですか……ああ、ハーゲンダッツを持ってきたんです。ラムレーズン、好きでしたよね?」
「あ、うん。でもごめん、今はちょっと……あとでもらうね」
「それでは冷凍庫をお借りしますね。食欲が出たら言ってください。」
カップアイスの大量に入った紙袋を見せると、ありがと、とまた笑ってくれた。
「面倒なことさせてごめんな。ここまで結構かかっただろ?」
「気にしないでください、僕が来たくて来たのだから」
「ありがと。むくろは優しいなー」
それならあんな奴さっさと見限って、僕を選んでくださいよ。しかし想いは声にはならないままだ。お互いに顔が見えないのが幸いだった。きっと今、骸は悪鬼のような貌をしているに違いない。
そっぽを向いたまま黙り込んだ骸をどう取ったのか、ツナが遠慮がちに零す。
「なあ、手つないでもいい?」
「そういうことは好きな人にして貰いなさい」
「オレ、むくろのこと、好きだよ」
期待させるようなことなど言わないでくれ。耳を塞いでしまいたい衝動を堪えて、笑顔を作って振り向いた。きっとこの家に1泊するだけで、笑みが張り付いてしまうに違いない。そう、まるで、いつかのツナのように。
「……知っていますよ。でも、僕の言っている『好き』は、LikeじゃなくてLoveの方です」
「違いなんてわからない」
「君が雲雀を好きなのがLoveで僕を好きなのがLikeだ」
「あ、あんな奴、すきなもんか。車にでも轢かれて死ねばいい」
憎しみの籠もった声がまるで神の息吹のように感じられる。思わず声を上げて笑い出しそうになった。
「好きでないのなら、どうして君たちは一緒に居るんですか?」
ツナは表情を消して、繋いだ手をその頬に当てた。濡れた感触と不自然な熱に鼓動がはやくなる。今が永遠に続けばいい。しかしそんな望みは聞き入れられはしない。
「痛いところが一緒だから馴れ合ってるんだ。でも皆はそんなことないだろ?だから」
ああこれはきっとうわごとだ。だってそうだろう、そうでなければこんな投げやりな口調で彼が話すことはない筈だし、こんな諦めたようなことだって言わない筈だ。
あの、強く清廉な光を宿して未来を見据えていたのは、いったいどの目だ?すうっと骸のなかの情熱が冷めていく。
「オレたちは死ぬまでふたりでいるんだ」
翌朝になってようやっと戻ってきた雲雀からは相変わらず、甘ったるいくせにほんのりスパイシーな、まるで女物の香水のような気持ちの悪い匂いがした。せめて一発殴ってやりたい。けれどやんわりと拒絶された身ではそれすら赦されないのだと、自分に言い聞かせる。
「それじゃあ、僕は帰りますから」
「ああ」
見ないように触れないように。届くところにあれば、手を伸ばしたくなるから。
「安心してください、もうここには来ません。綱吉くんは昨夜ずっと泣いていた……あの子に何かあるなら、せめて君がどこかをほっつき歩いているときであればいい」
精一杯の呪詛を投げつけて迎えの車に乗った。
視界が霞むのは朝日が眩しいからだ、張りつけたはずの笑みが消えているのは睡眠不足の所為だ。きっと間違いない。仮眠を言い訳にシートに身を沈めても、気付かないふりをしてくれる運転手の心遣いが心底ありがたかった。