その日カミューは酔っており、その上ひどく疲れてもいました。エレベータのボタンに逃げられ、鍵穴やドアノブもつかまえることができません。ようやっと辿り着いた玄関先で、とうとう框に座り込んでしまいました。
「おかえりカミュー。だいじょうぶか?」
「うー、ただいま……水をくれないか」
「わかった」
 たたっとキッチンへ向かう軽快な足音に、なんだかとてもほっとしました。今ここに一人でないことがこんなに嬉しいことだとは思わなかった、とぼうっとする頭で考えます。
 トイレでこっそり吐き、持ってきてもらった水で口を濯ぐと、冷たさに少しだけ理性が戻りました。
「待っていてくれたんだね」
「ああ!おかえりを言いたかったから」
「そうか、ありがとう」
 嬉しいよと正直に伝えると、マイクロトフはぱあっと笑います。それが酔眼に眩しくて、カミューは思わずその小さな体を抱きしめていました。年相応に柔らかくあたたかな体です。胸に耳をつけると、鼓動の代わりに低い機械音が聞こえます。
「……大好きだよ」
 しかしそれは小さな小さな声だったので、高性能集音マイクにも届かなかったようでした。


 ふかふかに整えられたベッドに入っても、カミューはマイクロトフを離そうとしません。最初は単純に喜んでにこにこしていたマイクロトフですが、さすがにおかしいと思いだしたようです。
「カミュー、今日は一体どうしたのだ?」
 上目遣いにそう訊かれ、じわりと胸が痛みます。
「カ、カミュー!」
「うわっ……」
 気づけばぼろぼろと涙があふれていました。実はいちばん驚いたのはカミュー自身だったのですが、それでもマイクトロフに心配をかけるまいと無理矢理笑顔を作ります。
「ごめん、びっくりさせたね」
「あ、あやまることじゃないだろう!」
 マイクロトフの、特に感情に関する知識はまだ少ないのでよく解りませんが、「泣く」のが辛いときや悲しいときだということは知っています。そして、そんなに悲しいのに自分を気遣おうとするカミューのことが、ほんの少しだけ嫌いだと思いました。
「泣いてるのに、なんであやまるんだ。カミューはなんにも悪いことしてないのに!」
「うん……ありがとう。なんだか今日はこればっかりだね」
 腕の力を緩め、マイクロトフに視線を合わせてくれたカミューは、照れたように涙を拭いました。マイクロトフも小さな手を伸ばしてそっと頬に触れてみます。濡れているせいかひんやりとしていてせつなくなりました。
「ねえ、マイクは死ぬっていうのがどんなことか、知ってるよね」
 初めて起動した日のことを思い出しているのでしょう、カミューは静かにそんなことを訊きました。
「ああ。動かなくなることだな」
「……もしマイクロトフが死んでしまったら、私はきっと悲しくて悲しくて、生きていけなくなってしまうと思うんだ。だからちゃんと、自分のことを大切にして、ね」
 言い終わって一つ満足そうに頷くと、酔っぱらいはあっという間に眠ってしまいました。
 ひとことずつ大切そうにささやかれた言葉を、マイクトロフは頭の中で何度も再生します。五回目が終わったあとで、黒い大きな目からぽろりと涙が零れました。
 嬉しいときにでも泣けるものなのだと知り、そしてカミューの次くらいには自分を大切にしようと、密かに誓った夜のことでした。