整然とコンピュータが並んだ無機質な部屋の端っこの仮眠用ベッドに、マイクトロフという子供がひとり横たわっています。外見は五歳ほどの少年ですが、最新の人工知能を搭載した彼は、一部機能ではあの鉄腕アトムすらしのぐ──と製作者が豪語する──ヒューマノイド・ロボットです。
マイクロトフの生みの親はアダリー教授といって、このデュナン大学で情報工学を教えています。才能はあるのですが、研究バカで人当たりが悪いため、生徒たちの評判はプラスマイナスゼロといったところです。このアダリー教授が、家事と講義の煩わしさから解放されたいと、大学からぶんどった予算と六年もの歳月をかけて作ったのがこのマイクロトフなのでした。
「……ふん、酷い嵐じゃ」
窓の外を眺めて、教授は忌々しげに吐き捨てました。今日は、これまでに用意した知識データをロムチップに焼き、マイクロトフを初めて起動させるという、とても大切な日です。落雷などして彼の電気回路が壊れてしまっては大変です。
不意に、エレベーターの停まるチーン!という音がして、廊下が騒がしくなりました。
「教授!お久しぶりです!」
ぺこりと頭を下げて研究室に入ってきたのは、卒業生のカミューとフリックでした。その後ろではビクトールが、興味津々といった風情であちこちそ見回しています。彼は大学へいかず就職したので、研究室が珍しいのです。
「何の用じゃ」
「つれないですよ教授。マイクを起動させるんでしょう?どうして教えてくださらなかったんです」
「ふん、卒業してまでここに来るような馬鹿がいるとは思わんかったんじゃ。しかし研究生すら来んとは!まったく最近の学生は」
「台風で電車が止まってるんですよ。仕方ないでしょう」
カミューとアダリーは揃って窓へ目をやりました。タイミング良く雷光がひらめきます。
カミューもフリックも、情報工学部卒ではありません。しかし後輩のフリードがここアダリー研に配属されていたので、殆ど毎日入り浸っていたのです。当然マイクロトフのことは、開発が始まったときから見知っています。
「ところで先生、今どこまで進んでるんだ?もう動かしちまったか?」
「手伝いが要るなら言ってくださいよ。力仕事の得意な奴を連れてきましたから」
フリックがビクトールを指して笑います。
「今ロムにデータを焼いておるところじゃ。当面することなどないわい」
アダリーご自慢のあやしげな自作コンピューターの画面には、「推定残り時間:1時間30分」の文字が表示されています。三人は顔を見合わせ、持参のお茶を淹れおみやげの饅頭を出しました。
データコピーの残り時間が五分を切ったあたりのことでした。突然ドォォォン!という轟音と共に、明かりが全て消えてしまったのです。
「なんだあ!?」
「停電だろ。動くなよビクトール、ここの設備は俺やお前の安月給じゃ弁償しきれんぞ」
こんな時にも腐れ縁コンビはのんきです。一方アダリーはちらりとモニターを見やりましたが、予備電源で作業が再開されたのを確認すると、もうどうでもいいというように饅頭に手を伸ばしました。
幸い電気は四分ほどで復旧しました。
「停電なんて何年ぶりだろうなあ」
「お前がオデッサ殿とプラネタリウムでデートした日以来じゃないか?」
カミューが学生時代の笑い話を持ち出すと、ビクトールもその話を知っていたのか、にやにやとフリックを小馬鹿にしたように「いや映画以来だろ」などと言い出します。
アダリーはそんな三人を尻目に、コピー作業の完了したチップを慎重に手に取りました。
それきり停電のことは皆忘れてしまいました。
マイクトロフの着ていた生徒のお古のTシャツを脱がせ、この日のためにヨシノが作ってくれた子供服を着せてやります。
「まったく、フリードはどうしたんじゃ!」
忌々しげに元教え子の名を叫ぶ教授を、カミューが宥めます。
「子供が生まれそうなんですよ。ヨシノ殿が入院されたので、つき添っているのです」
男の子だったら富市、女の子だったら早苗と名付けるのだと幸せに笑った若夫婦の顔が思い出されます。ちなみにその話を聞いたカミューとフリックは、生まれてくるのが女の子でありますようにと全力で祈ったのでした。
そんなことはすっかり忘れたらしいフリックが、頭部にチップを納めて丁寧にねじを締めます。
「よし!」
皆でひとつ肯き合って、アダリーが主電源スイッチを押しました。
「レッツ・ゴー・オン!」
スイッチ横のパワーランプが青く光ります。まるで眠っているかのようなあどけない表情の子供が、ゆっくりと目を開けました。
きれいな黒い瞳に思わず見とれてしまったカミューは、慌てて視線をそらし、背中に腕を回してマイクロトフが体を起こすのを手伝いました。機械工学科のジュッポ准教授や、医学部のリュウカン教授・ホウアン准教授も協力したというだけあって、彼の体は動きも手触りもほんとうの人間のようです。
まずアダリー教授が声をかけました。
「わしの声が聞こえるか?」
マイクロトフはにっこり笑います。
「きこえます、アダリー教授。おれは今、教授の研究室で完成したところです」
その言葉にアダリーは満足げに頷き、フリックとビクトールは「すっげえ!」と歓声を上げました。カミューは黙っていましたが、やはり嬉しくはあったので、空いた手でそっとマイクロトフの黒髪を撫でてやりました。
「自分の名前と仕事が言えるか?」
「はい。おれはマイクロトフです。教授の講義の準備と、家のことを手伝います」
「よろしい!では今から、インプットしたITの知識をテストするぞ」
そんないきなりな、と皆思いましたが、密かに嬉しそうなアダリー教授と、こっくり懸命に頷くマイクロトフの前では何も言えません。
「では、そうだな、世界で一番最初の電子計算機の名前と役割は何じゃ?」
「え?」
マイクロトフの表情が凍り付きます。
「ええと、ええと……わかりません」
アダリーもすこしばかり驚いたようです。
「知識データに入れ忘れたか?こんな基本的なことをか?おかしいな……マイクトロフ、OSI基本参照モデルの全階層の名称を言ってみろ!」
しかしマイクロトフは黙ったまま、首を横に振りました。よく見ると涙までにじんでいます。それが痛々しくて、カミューは助け船を出しました。
「他のことはわかるかい?たとえばそうだな、私やそこの青い男のことは?」
カミューたちが学生だった頃、作り始めたばかりの知識ファイルに、冗談半分で自分たちの個人データを入れたことを思い出したのです。
ようやっとマイクロトフは答えます。
「知ってるぞ!名前はカミューで、グラスランド生まれの二七歳。身長は178センチ、乗馬とフェンシングがうまいんだ!それから青いほうはフリックで、戦士の村出身で、今二八歳だ。大学一年生のときに交通事故で入院して休学したのだ。それで、その時応急処置をしてくれたオデッサ・シルバーバーグとつきあってて……あ、デートのたびにトラブルが起きるんだ!プラネタリウムと映画館にいったときは停電して、遊園地にいったら大雪でアトラクションが全部とまって」
すらすらと言葉が出てくるのが嬉しいのか、頬もうっすら上気しているようです。
「ストップストップ!もういい!!」
「そうか、フリックは不幸なのだな。……あ、ごめんなさい、そっちのおじさんのことは知らないのだ……」
さっきとは一転して、ビクトールの知識がないことにまた泣きそうな顔をしてきゅっと唇をかんでしまったので、不幸といわれてこちらも泣きそうだったフリックが慌ててフォローします。
「当たり前だ、こいつは今日初めてここに来たんだからな」
「ふむ……情報関係の記憶だけがすっぽり抜けておるのか」
四人は顔を見合わせ、心当たりを考えます。真っ先にさっきのことに思い至ったのはビクトールでした。
「あれじゃねえのか?」
「あれって何だよ」
「停電」
ふうっとアダリーがため息をつきました。
「まったく、これでは仕事の手伝いなどできんわ!ロムチップに焼いたデータは削除も修正できんし……くそっ、上の連中が予算などけちるからこんなことになるんじゃ!」
「過ぎたことを愚痴ったって仕方がありませんよ。それより、これからどうするんですか?」
「新しいロムに知識データを入れて、交換するしかないじゃろう」
その言葉にマイクロトフがびくりと体を震わせました。どうしたのかと見つめる一同の目の前で、みるみる涙があふれます。
「お、おねがいします……それはおれを殺すということです!また新しいチップを入れても、それはもうおれじゃなくて、ただのクローンで……」
だから止めてほしい、と嗚咽を殺して泣くマイクトロフが可哀想で、カミューは思わず彼を抱きしめていました。一瞬しまったと思いましたが、腕の中で「おねがいします」と繰り返す可愛らしいロボットと、横でもらい泣きしているフリックを見て、なんだか考えるのが嫌になってしまいました。
「おれ、これからたくさん勉強するから!」
実は、マイクトロフの人格を決定するためのデータと、経験した記憶と、知識を蓄えるチップはそれぞれ別に内蔵されています。ですから今回停電のせいでダメになった知識データのチップを交換しても、このマイクロトフの中身が変わってしまうわけではありません。せいぜい本人が気づかないうちに、少しばかり知っていることが増えるくらいです。しかしそんなことはマイクトロフ自身も、門外漢のカミュー達も知りません。アダリー教授は解っているはずですが、きっと忘れてしまったのでしょう。なにしろマイクロトフのボディや人格決定プログラムが完成したのは三年も前の話です。
教授は苦虫を噛み潰したような顔で、半ばうめくように言いました。
「カミュー」
「はい?」
「お前が連れて帰れ。家事はできるはずだから丁度良いだろう。半年に一度レポートを出してもらう。わしの助手には予備機を使うことにした」
「そんなものがあったんですか!?」
カミューは心底呆れました。もちろん、そんな金があるなら最初からこんな安い装置を使うなよと考えたのです。何もかもが手探り状態の研究ですから、比較やデータ移行のためにもう一台製作するのはよくあることなのですが。
「電気代なら心配要らんぞ。基本的に光で充電するからな、梅雨くらいで十分だ。消化吸収はせんが食事もできる。一週間ごとに知識と記憶のバックアップを取るから、DVDを忘れず用意するように」
アダリーの言葉になんだか眩暈までしてきます。しかし、ビクトールに「よかったなあお前!」と頭を撫でられ、いつの間にか顔を上げて幸せそうに笑っているマイクロトフを見て、まあこの子のためになにかしてあげたいのも事実だし、と思い直しました。
なにしろ開発の初期段階から、ずっとずっと早く動けと焦がれてきたのです。
「これからよろしくね、マイク」
「マイクって?」
「愛称だよ。仲良しの証だ」
そう教えてやると、マイクロトフはぎゅうっとカミューの服にしがみつきます。そのまま抱き上げると本当に簡単に肩に乗ってしまいました。さすが完璧主義者が四人も集まって作ったヒューマノイド・ロボットです、重さも本物の子供と大差ありません。
「ふう……一時はどうなるかと焦ったぜ」
「まあな。丸く収まって良かったよ。しっかしあのカミューが、フリードより早く親になるとはなあ」
人生って解らねえな、ははは──残った饅頭を食べながら話すフリックとビクトールに、アダリーが命じます。
「お前らは隣の教員室からシズを運んでこい!そーっとじゃぞ、そーっと!」
「はいはい」
どうやらスペアロボットの名前はシズというようです。仕方ないなと肩をすくめて二人は隣室へ向かいました。長いつきあいですから、これくらいのことは慣れっこです。彼らが愛らしいボブカットの少女を抱えて戻ってくるのを見計らって、カミューは教授に頭を下げました。
「それじゃあ、我々はこれでお暇させていただきます」
「うむ。そのうち学生にマニュアルを作らせるから、取りに来い」
「わかりました。……フリック、ビクトール殿!帰るぞ」
歩き出したカミューに振り落とされないようにか、マイクロトフは慌ててカミューの頭にちいさな腕を回します。その顔は心底幸せそうで、アダリーはふと、まるで孫とわかれる祖父のような寂しさを覚えたのでした。
これがカミューとマイクロトフが一緒に暮らすようになったきっかけの顛末です。