グラスランドとの国境にほど近いあばら屋に腰を落ち着けて、数年が経つ。
 年を取ったという証拠なのだろう、ここ最近昔を懐かしむことが急に増えた。ベッドに入ってから寝付くまでだとか、キッチンの抽斗から栓抜きを出してくるのを待つ間とか。そういった些細な時間に、気づけば同盟軍で過ごしたあの時間のことを考えている。


 村の中にはささやかながら酒場があって、カミューとマイクロトフも、家で飲む気のしないときや用事を済ませた帰りなどにはよく寄っていく。今日もそうで、買い置きの酒が切れたからと誰にともなく言い訳しながら、二人並んで卓についた。
「今日はえらく混んでいるが、何かあるのか?」
 店主はいかにも楽しくて仕方がないというふうに、にやにや笑いながら答えた。
「ああ、楽団が来てるんだ。若いが腕は良いらしい」
「それでか」
 なるほどとうなずいて、急ごしらえのステージを見やって酒をあおる。
 音楽に耳を傾ける余裕も、その楽しさも、すべてたった数ヶ月の間に知り得たものだ。あの激動の日々がもたらした影響をいちいち数え上げる事なんて出来ないくらい、銃後は生き方ががらりと変わってしまった。
「久しぶりじゃないか?こうして酒を飲みながら音楽を聴くなんて」
「下手をしたら戦時中以来だな」
「そんなになるのか!……まあどんな楽団だって酒舗だって、あの城には敵いっこないからなあ……そんなものか」
 苦笑しながらカミューは酒をあおる。勿論あの城とは湖畔に立つ、同盟軍の本拠地のことである。寄せ集めて出来た城下は賑やかで、レオナの店で出される酒はどれも最高にうまかったし、ステージに立つアンネリーバンドの演奏は、戦後何を聴いても物足りなく感じるほどに巧みだった。
 二人が飲み始めてから三十分ほど経った頃、十五六ほどの歳の少年たちが、手に手に譜面や楽器を持ってステージに上がった。芝居がかった礼をして、代表者らしい一人が口上を述べる。
「……おい」
「ああ」
 歓声や拍手で全てを聞き取ることは出来なかったが、それでも曲名だけはちゃんとわかった。La passione commuove la storia、情熱は歴史を動かす――思い出などありすぎて、かえってどこから懐かしめばいいのかわからないような曲だ。
「懐かしいね。最後に皆でやった曲だ」
 それはいつものごとく、軍主の一言で始まった企画だった。とにかく集団行動を嫌うクライヴやペシュメルガやメイザース、果てはあのルックにまで強制してしまったあたりに彼の本気が伺える。それだけ必死だったのだろう。
「全員参加とはいかなかったのだったな」
「そればかりは仕方ないさ」
「まあ、な」
 キバとナナミは志半ばにして逝った。ムクムク、フェザー、ジークフリートは楽器など演奏できない。だから参加した宿星は正確には百三人だった。
 ピコとアルバートが曲を作って、アンネリーが歌詞をつけた。楽器も譜面も足りなかったから、少しでも歌の得意なものはコーラスに回して、皆必死に自分のパートを暗譜して。とにかく慌ただしかったが、どうにか終戦までには形にすることが出来た。――いつ誰と別れることになるかわからなかったから、せっかく集まった、血ではなく魂でつながった兄弟たちと少しでも何かを残したいと、きっと皆思っていたのだろう。
 酒の他に娯楽のないような田舎の酔っぱらい達は陽気で騒がしい。歌詞を知っているものは歌い、知らないものは踊り、すぐに酒場はとんでもないお祭り状態になった。
 一曲終わったところで、カミューが楽団員に声を掛けた。
「この曲はどこで知ったんだい?」
「建国一周年の祝典で譜面が配られたんだ。だから楽団名乗ってる奴らなら大抵知ってるよ」
「そうか。実はね、私達も演奏したことがあるんだ。一緒にやらせてもらってもいいかい?」
「もちろん!」
 そう言って彼らは酒場の主人に掛け合い、彼の私物だというヴィオラとコントラバスを借りてくれた。なんてちょうどいいとマイクロトフは笑わずにはいられない。あの城で初演をしたとき、二人が演奏した楽器がこれらだった。
 ここは皆のいたあの城ではなく、一緒に楽器を弾く顔ぶれも変わってしまったが、それでも築いた平和と歴史はちゃんと続いているのだ。そう思うと本当に幸せで、普段の半分も飲んでいないのにふわふわして、笑い出しそうなくらい愉快だった。


 演奏は一時間と少しで終わった。客の半分ほどが引けたのを見計らって、二人は楽団の控え室に顔を出した。
「お疲れ様。楽しい時間をありがとう」
「昔に戻ったようで本当に嬉しかったよ」
 正直に感想を述べると、先刻口上を述べていた少年が笑う。
「お兄さん達、あの曲本当に好きなんですね」
「とても大切な思い出があるのだ」
「……でも、あれ良い曲なのに、グリンヒルの評論家の間じゃあけっこう評判悪いんですよ!なんでもパートごとに難易度が違いすぎるとか、編成のバランスがおかしいとか」
 憤慨するピアノパートの少年の言葉に、マイクロトフは吹き出し、カミューがにやにや笑いながら応じた。
「そりゃあそうさ。あれは同盟軍で演奏するためだけに作られた曲だからね」
「え?」
「百三人いたメンバーを、まず楽器の数に合わせて割り振って、それから曲を作ったんだ。編成がおかしいのは楽器の数に限りがあったからだし、パートの難易度の違いは、そのまんま彼らの実力の違いなんだよ」
 だからコーラスのメンバーは多すぎだし、プロのアンネリーが担当したソプラノのソロなどは、とんでもなく難しいのだ。
 これを知っているのは当時集った宿星くらいなものだけれどね。それを聞いたヴァイオリニストが吹き出した。
「なんだよそれ!」
「じゃああのえらそーな専門家は、全然見当違いなこと言ってたのか!!」
 総譜を見やりながら少年達は笑う。こうやって逸話と共にこの曲が連綿と伝えられていけばいい、カミューとマイクロトフは心の底からそう願った。


 後日、少年達は件の男二人の正体を知り腰を抜かし、出立を二週間も遅らせた。その間彼らがに聞き取った同盟軍の数々の裏話と、祝典で「La passione commuove la storia」と一緒に配布された「Orrizonte」「La mia tristezza」といった数々の楽曲は、その後末永く伝えられ、デュナン地方独自の音楽を生み出す礎になったと言われている。