破局の瞬間が容易に想像できる。
 あなたはきっと驚くに違いない。けれどいつまでも呆然としているような愚鈍な男ではないから、やがてわたしにその銃口を向けるのだろう。
 それでいい、躊躇せず己の決めた道を邁進する男にわたしは惚れたのだ。
 そう、これだけは伝えておかなければいけない。
 わたしはあなたのことを本当に愛していた。あなたにはあまり嬉しいことではないのかもしれないけれど、わたしはあなたに会えて幸せだった。
 キスもセックスもした。ウロボロスの刺青を誤魔化すのは簡単だった。それでもいつか来るカタストロフの日に怯えないことはなかった。いっそさっさとばれてしまえばよかったのだろう、しかしそれにはわたしは狡猾すぎた。
 全てが終わった後に生き残っているのは、きっとわたしではなくあなたなのだろう。あなたはわたしの醜い骸の前で一体何を考えるのだろうか。
 わたしの正体を知って、目的を知って、そしてこのくだらない芝居の筋書きを知って。
 それでもあなたはまだわたしを好きでいてくれるかしら?


*


 肌寒いある夕方、仕事帰りの彼と待ち合わせをした。もう彼から情報を引き出すということは諦めていて、かつて感じた苛立ちは賞賛に変わっていた。
「お疲れ様」
「さんきゅ」
 彼が座ったのを見計らってメニューを渡すと、軽く片手で止められた。それならホットコーヒーだろうとウエイトレスを呼ぶ。
「なんだか最近忙しいみたいね。東部の頃と比べるとどうなの?」
「あんまり変わらないさ。事件があれば忙しくなるし、無いなら無いで、住民の苦情だのなんだの片付けなきゃならないから、忙しい」
「ふうん、軍人さんも大変なのね」
 その仕事の一端を自分が作っていると思うと、なぜだか少しばかり嬉しかった。恋人が疲れているのを喜ぶなんて、なんて酷い女だろうか。
「まあな。あ、吸うぜ」
 言いながらもう彼は煙草に火をつけている。その表情は心底幸せそうで、わざわざテラスの喫煙席で待っていた甲斐があったというものだ。
 問題はといえば、彼のライターが東部時代の恋人に貰ったものだということだろう。わたしは最初、ライターか彼女を始末してしまおうと、そして落ち込んだ彼がわたしに縋ればいいと思った。しかしそれはやめた。これ以上醜くなって、彼にふさわしい女を演じることすら出来なくなるのが、たまらなく怖かったからだ。
 その判断はきっと間違っていなかった。こうして顔を見る度にほっとする。
 少しだけ会話に間が空いた。彼は沈黙が苦手のようで、なにか話題はないかと探して、そして可愛らしい紙袋を取り出してみせた。
「ほら、プレゼント。食い物だけどな」
 袋に入った流麗なロゴに驚いた。
「珍しいのね……そこのケーキ、毎日お昼には売り切れてしまうって有名なのよ」
 彼がそんな店を知っているということが意外だった。何より、多忙な彼が、わざわざ朝から並んでくれたとも思えない。
「そうなのか?いやな、前に上司がお裾分けってくれてさ、それが美味かったもんだから、時間に融通の利く知り合いに並んで貰ったんだ」
「上司?イシュヴァールの英雄の、大佐さん?」
「いや違うよ、その副官の方。大佐にもの貰ったら、かえってあとが怖いなー」
 マスタングの副官。リザ・ホークアイ。
 名前を思い出したのと殆ど同時にわたしは悟った。自覚があるかないかは解らないが、きっと、彼は彼女のことが好きなのだ。そうでなければこんなに嬉しそうな顔はしないだろう。
 わたしの内で焔が舞い上がる。嫉妬の黒い焔。
 父も軍も人造人間も賢者の石もマスタングもホークアイも鋼の錬金術師も、皆目の前から消えてしまえばいい。お互いしか見えない部屋で、わたしだけがいつでも彼の側にいる。色欲の塊でしかないわたしが相手を独占したいと思うだなんて滑稽すぎる。
「ねえジャン、この後うちに来ない?お礼がしたいわ」
 下腹が疼く。
「古い友人にお酒を貰ったの。ひとりで飲むのは勿体ないでしょう?」
 稚拙な誘い方だ。しかし彼の腕を握ったわたしの指を外されることはなかった。


 彼は優しく、そしてとうとうわたしの刺青に気づくことはなかった。


 研究所で出迎えたわたしを見て、彼は心底驚いたようだった。ああ、本当に気づいていなかったのか。けれども仕方がない。父の命令は絶対で、わたしはもう人造人間として生きて死ぬと決めていた。
 ただ、こんな馬鹿げた舞台に彼をいつまでも立たせておく気もなかった。それでわざわざ彼の脊髄を狙った。本当は、殺す方がずっとずっと楽だったのだけれど。
 父の計画に彼自身は必要ない。マスタングなんかについているからこんな目に遭うのだ、さっさと退役してくれればいい。たとえ半身が使えなくなったとしても、生きていてくれればそれだけでいいのだ。そう思っての行為だった。
 それからわたしはマスタングと相対する。わたしは彼に殆ど好意を抱いているようなものだった。彼の目が軍部の頂点を向いている限り、あの女はその背を見つめるしかないのだから。
 このまま彼女を殺してやろう。わたしはきっと今笑っている。志は半ば、想い人には背を向けられたままで、絶望の淵に落とし込んで嬲り殺してやろう。
 男ふたりが起きあがらないのを確認してから別室へと向かった。
 彼は今日のことをどう思うのだろうか。誑かされたなどと己を責めるくらいならいっそ、わたしを憎めばいい。


 *


 シンプルな淡いブルーの封筒を開ける。何かを察したのだろう、届けてくれた同僚がそそくさと去ってくれたのがありがたかった。
 出てきた揃いの便箋には、女性らしい美しい文字が並んでいる。
 予言めいた言い回しは、きっと以前にあの日のことを考えて書いたからに違いない。一体どんな気持ちでそうしたのか。本当に愛しているのなら気づいてやるべきだったのにと、後悔は尽きない。
 仰向けのまま読むとかすかに体が痛んだが、何も考えなかったことへのささやかな罰だと己を嗤った。
 ──それでもあなたはまだわたしを好きでいてくれるかしら?
 YES以外の答えがないのだと、彼女が知っていてくれればいい。
 あのとき、彼女は一撃で自分たちを殺すことだって出来たはずなのだ。脊髄なんて不確かなものを狙うより、脳や心臓を狙った方が絶対に楽だった。
 しかし彼女はそうしなかった。それを理由に、つい、殺す必要はなかったのではないかとさえ考えてしまう。
 周囲は自分のことをどう思っているのだろうか。女に騙された哀れな男か。確かに彼女は大嘘をついていたわけだが、自分はそれでも一向に構わなかった。下肢の自由を奪われた今でさえ好きだと思っているのだから。
 彼女は死の瞬間に何を考えたのだろうか。嘲弄でも何でも構わない、それが自分のことであればいい。
 ──わたしはあなたに会えて幸せだった。
 この一文にどれだけ救われるだろうか。今はもういない女の手紙を濡らさないよう、目蓋を交差させた両腕で覆って、泣いた。