もう記憶は随分と薄れていて、どこから思い出せばいいのかわからない。
それでも口の端だけを上げたクールな表情だとか、辛辣なのに柔らかな口調で語られる言葉の端々だとかは頭の中に残っているから、きっかけひとつで際限なくあふれ出してしまい、その度に泣きたくなる。だが、これだけ歳をとってしまうとプライドが邪魔をしてそんなことはできない。苦しんで苦しんで、結局アルコールと一緒に飲み下すことになる。そうして酔いが覚めるのと一緒に忘れたふりをして、また日々を過ごすのだ。
その日の場合は、掃除中に彼女から貰ったカップを見つけたのがまずかった。午後からは腑抜けて仕事にならず早退し、非番のフュリーを無理矢理引っ張り出して夕方の街を闊歩する。
「少尉、勘弁してくださいよー」
抗議を無視して、適当に目についたカバレットの扉を開ける。その店の営業時間が早かったのは幸いだった。
「いらっしゃいませ」
席まで案内しようとするボーイに手を振って断って、あきらかに慣れていないフュリーを半ば引きずるように、店の奥へと向かった。
わざわざこんな店を選んだのは、誰でもいい、知らない誰かとくだらない話でもして気を紛らわせたかったからだ。馴染みのバーテンにべらべら喋るのも、居酒屋のカウンタでフュリー相手にくだを巻くのもいやだった、それだけだ。それなのに、
「こんばんわ、一緒に飲みましょう?」
なんてことだ。
緩くウェーブした黒髪、漆黒のドレス、冷たい笑顔。美しい踊り子が、彼女の貌で名前で声で艶やかに笑う。
ああまだ彼女の幻影から逃れられないのか。それとも未だに騙されているのか。
酷く眩暈を感じた。