「何その子。どっから連れてきたの?」

「知らない。いつの間にかここにいたんだよ」

霊夢が怪訝そうな顔をする。

「うーん……鬼って人を攫うっけ」

「攫うよ。……じゃなくって。だから知らないってばさ」

萃香は眉を八の字に曲げて反論した。

その答えに暫くうーんと唸り続けた霊夢は、まぁいっか、などとこぼして本殿の方へと行ってしまった。

案外どうでも良かったようである。

もしかしたら追い出されてしまうのではないかと内心冷や冷やしていたものだったから、それ程関心を示さなかったことは彼女にとって好都合だったかもしれない。

それはそうとして、何れにしろ、だ。

「……さて。どうしたもんかね」

萃香は軽く右側を見遣ってぼやく。

そこにはちょこんと座っている、齢五六歳程度の少女があどけない表情でいた。

 

「すいか?食べ物の?」

「字が違うね。萃まる香りって書いて萃香……まぁいっか。好きなように呼びな」

字を書く機会などそうそうない。そう考えて説明するのも億劫になった萃香は、突然投げ遣りになった。

そんな萃香の態度に少女は顎に指を当てて考え始めると、

「んー……じゃあ、萃香、お姉ちゃん?」

「おお、お姉ちゃんか。成程成程、お姉ちゃん、ねぇ……ふーむ」

今度は萃香が唸り始めた。

萃香の見た目はかなり幼い。実年齢はかなり、というか断然長いことは間違いないのだが、外見だけで判断するのならこの少女と然程変わらないように思えた。

故に萃香は誰からも子ども扱いされることが多かったのである。それが地味に萃香には不満であった。

そんな時のこの「お姉ちゃん」。今まで一度もそんな風に呼ばれることはなかった。しかしこうしてじっくりと考えてみると、成程お姉ちゃんも悪くない。寧ろ良い。沸々と心の底から高揚感が湧き上がってくるのを感じる。

「よし!それで行こう!」

「分かった。これから宜しくね、萃香お姉ちゃん」

首を少しだけ傾け、可愛らしくにこりと笑う少女。

対して萃香は、その「お姉ちゃん」という響きに深く感動していた。

深く噛み締め、

「ってそんなことに感動してる場合じゃないんだよ。何であんたがここにいるか、それを先に聞かないとね」

一人で突っ込む。

そんな萃香の様子をきょとんとしながら少女は見つめていた。

「というわけで教えて貰うよ。ここは博麗神社、脆弱な妖怪はそうそう寄り付けない人間にとっては極めて安全な場所。けれどここに来るまでが、人間にとっては最も危険な区間でもある。

さて嬢ちゃん、あんたは一体どうやってここまで来た?」

「うーん……よく分かんない」

ずっこける。

長々とちょっと格好つけて口上を述べたまではいいものの、返ってきたのは「分かんない」。これでは拍子抜けするのも当然である。

萃香はよろよろと体勢を立て直しながら続けて聞いた。

「わ、分かんないって……それじゃあこっちも困るんだよ。何かちらっとでも覚えてないの?」

「だって、起きたらここにいたんだもん。昨日まではお母さんと一緒にいたのよ。お母さんに聞いてよ」

つんとそっぽを向く少女。

しかし少女の言う「お母さん」など、萃香は見ても聞いてもいなかった。今朝目覚めたらこの少女が何故か自分の隣で眠っていたのである。だからその情報は突飛ながらも、とても重要なものでもあった。

「お母さん、ね……悪いけど、私はそんな人見ちゃいないよ。……ん、もしかして……?」

はたと思いつく。

が、少女の様子が急におかしくなったのを見てその思いつきに思考を傾けることは止めざるを得なかった。

眉を八の字に曲げて、鼻を赤くし、下唇を噛み、ぷるぷると震えている少女。

瞳には少しだけだが、涙が浮かんでいた。

「お母さん……いないの……?どこ……どこ行ったの?お母さん……?」

声も上ずり、今にも大声を上げて泣き出しそうである。

萃香は慌てて宥めるように優しく語りかけた。

「おおっと待て待て、大丈夫、大丈夫だから!安心しなよ、ちょっと散歩にでも出かけただけさ!」

鬼も泣く子にゃ勝てない。ましてや萃香は子供をあやしたことなど一度もなかった。だからどんな言葉を掛けてやれば良いのかも分からずに、恐る恐るながらも執り成すことに集中し続けた。

 

暫くそうやって話しかけて、漸く少女は鼻を啜りつつも落ち着いたように澄ました表情に戻った。

一方萃香はこれまでにない体験に途方もなく疲れてしまったようで、少女が自分の言葉に応じてくれた時に体全体の力が抜けたようにだらんと崩れてしまった。

「あー……何なのよぉ、全く……」

口から魂でも出そうなぼやきであった。

「ねぇ、萃香お姉ちゃん。お母さん、どこ行ったのか知ってる?」

目を真ん丸くして首を傾げる。

先程まで泣きかけていた少女の言葉とは思えない。元気なものである。

こんなことなら慌てて宥め賺してやる必要もなかったのではないかとすら思えてしまった。

「いや、知らないけどさ……って泣くなよう、分かった、分かったから。私が探してきてやるからさ」

「本当!?」

萃香がそう提案すると、途端にぱぁっと顔を輝かせて少女は笑顔を見せた。

泣き真似じゃないだろうかとすら疑ってしまう。既に二十分に振り回されている萃香としてはいい迷惑であった。

だがもう言ってしまった以上修正はできない。鬼は嘘を吐かない。絶対に、というわけでもないが、萃香自身が嘘が大嫌いなのだ。

「勿論。……そうだね。何か見分けられるようなもんがあれば良いんだけど……親御さんに貰ったもんとか何かない?」

そう萃香が尋ねると、少女は一瞬きょとんとし、すぐに懐を弄り始め、

「んー……あ、あったあった。はい、これ」

萃香の小さく柔らかそうな手にぽんと置かれる白い「く」の字を模した装飾品。

いわゆる勾玉と呼ばれるそれであった。

少々歪な形であり、少なくとも量産されたものでないことは見て分かる。

「これ?見せれば分かるの?」

「うーん……多分、かなぁ。お母さんに貰ったものなんだ」

そう言ってにっこりと笑う少女。

持ち歩いている辺り、余程思い入れがあるのだろう。萃香も大事そうに懐に仕舞い込んで満面に笑みを湛えた。

「よっし、なら任せな。きっと見つけてみせるよ」

「本当?本当に見つけられる?お母さん、戻ってくるんだね!?」

「鬼は嘘を吐かないのさ。とは言っても自信はないけど……でも、きっと結果は出せると思う。だから安心してここで待ってな、お姉ちゃんがぱぱっと見つけてくるよ!」

「うん!お願いします!」

ぺこりと少女は頭を下げる。

萃香は胸を張って誇らしげに仁王立ちしていた。

お姉ちゃん。

やはりその言葉の響きに、どうしても口元が綻んでしまう萃香であった。

 

口にはしなかったが、あの娘が神社に捨てられたことは明らかだった。だからこそ、厄介なことからなるべく逃れようと霊夢もあまり深入りしなかったのだろう。自分のいない間に解決でもしていてくれれば、という魂胆も見え透いている。

一応それなりの期間神社に居座っているだけあって、その主の思考パターンは大体読めてしまっていた。となると残るは自分しかいない。仕方なく萃香は自ら動くことに決めたのだ。

しかしそんな、捨てられたなどという残酷な現実をあんな幼い子供に突き付けるのも酷な話だろう。母親を見つけ出したとしても引き取るとも思えない。無理に押し付けたとしたら、今度はあの少女の命すら危うくなってしまう。元々子供を捨てるような親だ、何をするかも分かりはしない。

かと言ってそんな横暴な振る舞いをした親に怒りを抱いているのも事実であった。だから神社でこれから育てていくにしても、一発がつんと言ってやらねば気が済まなかったのだ。ここは萃香の我を通した部分である。

故に萃香は少女のため自分のため、右手に少女から受け取った勾玉を握り締め、人間たちの暮らす里へと向かった。

 

 

 

 

やはり、意気込みだけでは結果には直結しないらしい。

自身の体を疎にし、色々なところを訪問したのだ。

例えば、白澤が教鞭を執る寺子屋へ。

例えば、人気のない古びた道具屋へ。

例えば、本ばかりある大きな屋敷へ。

例えば、民間の家々一つ一つ丹念に、隅々の埃一つ見逃さないまでに。

ついつい幾つかの居酒屋にふらふらと入り込んでしまうこともあったが、概ね真面目に探索した筈だ。

そうして自身の持つ能力を最大限に活用してまで情報を萃めたが、結局大した物も得られずに里を出る羽目になってしまった。

さて、大見得切った以上は何も収穫がないままに帰るのは悔しいものだ。加えて嘘を吐いたことになってしまう。嘘を吐くことは伊吹萃香の絶対的ポリシーに触れる禁忌であった。

ならどうしようか。そんなことを考えながらとぼとぼと来た道を戻っている最中のことだった。

「……ん?」

ふと視線を下に向けると、明らかに不自然な落し物。

そこに転がっていたのは、片方しかない靴と、そして黒い石のような何か。

いや、石ではない。

そそ、と近付き屈み込み、それが何かを見定めるべくまじまじと眺める。

「これは……勾、玉?」

拾い上げ側面をつつとなぞる。

やはり歪で、ところどころ角ばっていた。

ふと思い立ち、少女から受け取った白い勾玉を懐から取り出し形にそって宛がってみる。

側面をやすりか何かで削ってあったせいかぴったりとまではいかなかったが、しかし確かに元は一つであったと確信が得られる程には嵌った。

それが指し示す事実はただ一つ。

「ってーことは……いやはや、全く厭なオチがついちゃったね」

頭をぽりぽりと掻きながら言う。

足元に落ちている女性物の靴。子供のものでないことは一見して分かるぐらいには大きい。

行きの道中で発見できなかったのは、自分が里に行っている間に事件が起きたのか、それともただ見落としていただけなのか。そのどちらかは分からないが、何れにしろ同じことのように萃香には思えた。

その一帯は都合よく木々に囲まれ、地面にはぼうぼうに生い茂った草がそこら中にあり視界が悪い。

そう、例えば、倒れた人一人は隠れてしまう程には。

範囲も高さも広く高いために日中でも少々薄暗く感じるくらいだ。里から離れているから、そんな言葉すら冗談には聞こえない。

あぁ、厭な予感がする。そう思いながら辺りを見回してみた。

すると一際大きな茂みが萃香の目に留まった。

「……あちゃー。的中かね」

点々と続く小さな赤い印。

紛れもなく血痕であった。

その血痕を辿れば、先程目に留まった茂みの向こうにまで続いている。何をどう前向きに解釈しようとしても、これはもう逃れられないだろう。

覚悟を決めて歩み寄る。

その茂みの向こうを覗くと、萃香は思わず顔を顰めてしまった。

予想通りである。そこには成人した女性が力なく横たわっていた。

服は薄汚れ、ボロボロになりほぼただの布切れとなっている。

だがそんなことは大した問題ではない。萃香が嫌悪感を催したのは、その襤褸切れを身に纏った「それ」に対してだった。

口で言うことすら忌まわしい。言葉になど表せられるものか。唯一つ、形容しろというのであれば、それは原形を留めぬほどに崩された肉片という他なかった。

実際近付くことすらも避けたいような有様だったのだが、しかしそれはある一つの出来事が起こったことを推測させる。

「……成程、成程。そういうことね」

一人呟き、深く噛み締めるように何度も頷く。

恐らく、あの少女の母親は帰り道に妖怪に襲われたのだろう。

時間は人の目を避けて、誰もが寝静まった頃の丑三つ時辺りか。まさしく妖怪の蠢く時間帯。そんな時間に里の外を出歩いて、片道だけでも無事だった方が驚きだ。

勿論、そうそう幸運が続くわけでもなかったようで母親はこの通り襲われてしまったのだが。

では、何の故にあの子を神社になど置き去りにしたのか。……理由は明白。貧困故に、である。

見たところ、それ程上等でもない衣類。それも暫く洗われていないように薄汚れボロボロのものだ。例え妖怪に襲われたからといって、昨日今日の出来事の筈なのにこれ程みすぼらしい様になることはない。

つまり、日頃裕福な生活をしていなかったという証拠である。

子供一人、それも女子といってもやはり食い扶持は食い扶持。男子であればまだ力仕事を任せられた筈だが、あれ程幼い女子では母親の仕事の手伝いもできなかっただろう。明日明後日の飯にすら困る有様だったとするならば、被扶養者などがいては生活は苦しくなるばかりである。たった一人減るだけで、どれだけ我慢するものが減ることだろうか。酒さえあれば十分な萃香には分からなかった。

今でこそめっきり減りはしたが、一昔前までは人捨てなどほぼ公然と行われていたものだった。山に住んでいた頃にはよくその犠牲者の亡骸を見たものだ。やはり仕事を手伝えないような老人や子供が多く、妖怪である自分の目から見てもそれは悲惨な最期であった。貧困と飢餓により痩せ細り骨と皮ばかりになった体に生気などなく、それでも妖怪たちは嬉々としてその肉にありつくのだ。

吐き気すら催す光景だった。

無論そうすることで漸く生き延びることのできる妖怪がいることも萃香は知っていたし、また同時に人間も助かることは分かっていた。たった一人の犠牲でその数倍の命が助かるのだ。ある意味では合理的とも言えた。

非人道的であることには変わりない。しかしそうせねば生き延びられない。その狭間、ぎりぎりの境界線で、こんな残酷な行為が確かに行われていたというわけだ。

…………でも。

でも、やっぱり萃香にはそれが理解できない。

座り込んでまじまじと死体を眺める。

酸っぱいような、生臭い臭いが鼻腔に満たされる。

「子供捨てて生き延びようとして……結果がこれね。因果応報とまでは言わないけど、責任ぐらいは取れっての」

だってあんたが死んでんなら、私のこの蟠りをどこに向ければいいのさ。

くそったれ。

……と一人ごちてみても何も返事はない。当然だ。既に死んでいるのだから。

死人に口なし。こいつを責めたって何も変わりやしない。そう思って萃香は立ち上がりその場を去ろうとし、そして、

「……厭な感じ、だね」

母親の姿を今一度見返した。

考えてみれば、今はもう既に動くことのないこの食べ残しは、例え腐ってもあの子の母親なのだ。誰がどう思ったって、その事実は変わらない。

私自身はこんな糞みたいな親のところに二度と戻ることがなくなったことは喜ばしいと思っているけど、あの子はそうは思ってはいないだろう。決して。

自分を捨てたような親だったとしても、最後まで子供を守り切ろうとしなかった親だったとしても、あの子にとってはたった一人の、愛すべき母親なのだ。

その母親が死んだのは、果たして彼女にとって幸福だったのかどうか。そう考えると、何とも言えない奇妙な感覚に包まれる。

……いけないいけない。もう全部済んだことじゃないか。あの子にゃ悪いが――もう、戻ることなんてできないんだから。

せめて、生きてりゃどうにかできたんだろうけどねぇ。

不幸と幸福ってーのは、こんなにも近い場所にあったもんか。畜生が。

茫々とした蟠りを、汚い言葉に変換して吐き出す。

それでも、心の中は沈殿した黒い塵が舞うばかりでまっさらに澄むことはない。

振り切ることのできない後味の悪さを引き摺りながら、萃香は神社へと向かった。

 

 

萃香が神社に戻ると、夕日に照らされた少女が境内で一人ぽつんと佇んでいた。

そして彼女の姿を目視すると大きく右手を振ってお帰り、と呼び掛ける。

萃香も力なく弱弱しげではあるが、ゆっくりと右手を振ってそれに応えた。

すると少女は萃香の方に向かって駆け寄り、いつものように笑顔で萃香に問うた。

「どうだった?私のお母さん、どこにいるか見つかった?」

見つかった。

とは言えなかった。

あんたの母親は死んでたよ、だなんて、冗談でも誰が言えるだろうか。

こんな純朴そうな汚れのない澄み切った少女の心に真黒な墨を落とすような真似を、一体誰がするというのか。

萃香は目を伏せ視線を逸らす。

それでも少女の追究は終わらない。

「ねぇ、どこに行ったの?教えてよ、萃香お姉ちゃん」

少女は問う。

しかし萃香は答えない。

萃香には、決して答えられない。

鬼は嘘を吐けないから。

だから、沈黙しか返すことはできなかった。

「……知ってるんでしょ、教えてよ。…………ねぇ」

けれど、その沈黙は決して否定にはなり得ない。

加えて萃香の態度や表情からは、何かがあったのだと推察するに十分足るものであった。

少女の気弱そうなその声は、……つまり、その真の意味を理解したからで。

とうとう少女は、不安定だった感情を爆発させてしまった。

「ねぇ……ねぇ……何で?どうして?教えてよ、いたんでしょ、ねえってばぁ……」

肩を揺さ振り問い詰める。

それでも萃香は答えない。答えることが彼女にはできない。

答えた時点でそれが現実のこととなってしまうかのように、萃香は口を噤んだままで。

日はすっかり落ち、夜の帳が下りかけた境内に響き渡る啜り泣く声は、いつまでも正直者を苛み続けた。

あとがき

短編を書いてみようシリーズ第三弾。急転直下。

エイプリルフールから思い付いたお話。短絡的ですが、やっぱりそういうことは普通にあると思うんです。ある程度劣悪な環境である筈の幻想郷ですし。

現実は斯くも、忌避すべき程に非情である。そんなテーマ。

もう少し、同じような路線でこう、読んだ後に良い意味で何も言えなくなるような、そんなお話が書きたいです。そういう意味では実験作。