「知ってるか? 最近、神隠しとやらが多発してるそうだ」

「なによ唐突に」

茶を啜りながら霊夢は答える。予想通りの返答だったのか、待ってましたとばかりに魔理沙は卓袱台に手をつき身を乗り出して説明し始めた。

「何、表面だけ掬えばなんてことのない話なんだよ。何も疚しいことなどない、善良な里人が失踪する事件が起こっているそうなんだ。一人二人なら、まぁ分からないでもないだろ? でも、今回の件はちーっと特殊でな……」

そう言って一旦言葉を切り、ぽりぽりとこめかみの辺りを指で掻く魔理沙。その様子を見て、一筋縄ではいかないのだろうなと悟った霊夢はことりと湯呑を置いてふぅと深めに一息吐いた。

「……はいはい。それで? 続きを言いなさいよ」

「あぁ、それがな。たった、たった一週間で、だ。大凡二十人程が消えていたんだよ。流石におかしいだろう?」

「ふーん。確かにおかしいわね」

「軽いな」

その霊夢の素っ気ない言葉に苦笑する。が、平時から話していても大抵こんな反応なので魔理沙は気にせず話を続けた。

「――妖怪たちに襲われたにしても、この短期間でこの人数は少々多過ぎる。そもそも、私の知っている彼らならそんな、妖怪たちに襲われてしまうような危険で迂闊な行動を取るとはとても思えない。しかし現実には幾人もの男たちが消え、その結果働き手を失い路頭に迷っている者もいる。……博麗霊夢、これは明らかに異変だ。願わくば、その真相を暴いては貰えないだろうか? このままでは人と妖の釣り合いが取れなくなって、幻想郷のバランスも崩れてしまう。何より、私自身がこれ以上仲間を失いたくはないんだ。頼む。どうか力を貸してくれ、博麗の巫女よ。って白澤が言ってた」

白澤。

里で寺子屋を営んでいる、半人半獣の賢人上白沢慧音のことだろう。彼女は里を守る番人としても名が知られている。自分の守るべき対象の、いやそうでなくとも知り合いであり友人である人間たちが続々と姿を消していけば心も痛めるに違いない。また、博麗の巫女である霊夢はこの手の異変解決のエキスパートでもある。従って彼女がこのように霊夢に異変の解決を依頼するのも自然な流れであった。

しかしこの霊夢が、そんな切実な願いの込められた言葉などで揺れ動くことはないことも最早周知の事実なのだ。

「面倒くさいわね。パス」

「おいおい、そりゃないだろ。お前のことを頼ってるんだぜ? せめて調査ぐらいは請け負ったらどうなんだ」

魔理沙は苦笑いを浮かべる。だがこれもいつものことだった。仕事に関してはあまり熱心でないのが彼女の特徴である。

「そもそも頼む側が来なくてどうするのよ。誠意を見せようとは思わないの?」

「あぁ、そりゃ忙しかったんだそうだ。寺子屋で教師やってるからな、朝だし大方授業の準備でもしてたんだろう」

朝頃、まだ鳥の鳴き声しか聞こえないぐらいの時間帯。魔理沙は日課の散歩をしに外へ出た。

コースは魔法の森を出て、森の入口辺りにある香霖堂を訪れ主人を叩き起こし、里を通り、開店の準備を始めた店々の品物を物色し、他愛もない会話を交わしながら最終的には神社へと至る。すると境内で掃き掃除をしている霊夢がいる、と、そんな毎日を繰り返していた。

ところが今日、たまたま出会った慧音に呼び止められ、ここ最近こんなことが起きているんだ、と事件の説明を受けたのだ。彼女は魔理沙が神社に通っていることも知っている。そこで、丁度良いところに通り掛かった魔理沙に言付けを頼んだ、とこういう事情らしい。また魔理沙も一応何でも屋のようなこともしているので、きっと解決に力を貸してくれると踏んだのだろう。霊夢がだめでも魔理沙がいる。慧音らしいと言えばらしいのか、妙に計算高い思考であった。

「だとしても、ねぇ……話してるだけで疲れるのに、鎌の掛け合いまでしなきゃならないじゃない。面倒にも程があるわ」

つっけんどんな答え。

だが、その言葉にはどこか含みがあるのを魔理沙は聞き逃さなかった。

「もしかして……お前、誰の仕業なのか分かってるのか?」

「分かってるも何も……最初から一人しかいないじゃない。他に誰かいるの?」

そう、真顔で返されて、

「――あぁ、そういやいたな」

魔理沙は漸く思い至った。

 

 

暫くして後、二人で談笑していたところ宙に突如として現れたその亀裂をむんずと両手で捕まえ、霊夢は彼女を逃がさないように押さえつけてから詰問した。

なんだかんだ言って結局協力する辺り、霊夢も根本のところではお人好しなのかもしれない。

だが二人の予想に外れて、彼女は容疑を一向に認めようとはしなかったのである。

「……残念ですが、私は何も知りませんわ。全くの無関係でございます」

「嘘ね」

「嘘だな」

「本当よ。少なくとも、私はこの件に関与していない。何かを命じてもいない。そもそもそんな妙な事件が起こっていること自体知らなかったのよ? 勝手な印象で決めつけて……全く、失礼な話ですわ」

しかしやはり、二人の瞳は未だ疑念の色に染まったままである。当然だ。相手にしているのが、胡散臭さを具現化したような存在なのだから。

八雲紫。幻想の賢者の一角と謳われ、どこまでも底の見えない思考で相手を惑わし、見えない蜘蛛の糸で標的を気付かぬ内に絡め取る、論理に満ちた大妖である。あらゆる境界を操ることのできるその能力は、彼女と同様に限界が見えない。彼女の一挙一動全てに伏線が張られているので、何をしようが真正面から素直に受け取ることなどできない。どこまでも胡散臭いと評判である。実は全部はったりの可能性も否めないのだが。

そんな彼女の二つ名は“神隠しの主犯”。これ以上ないくらいにうってつけの呼び名だ。故に二人は、疑う余地もないと最初から紫が犯人だと決めつけていた。

しかし、だ。

「日頃の行いが何とやら、だよ。疑われても仕方ないだろ? 第一、お前さんは人を攫うのに丁度良い力を持ってるんだぜ」

「と、言われましても……知らないものは知りませんわ。そんな些事に興じる程、私も暇ではありませんもの。ほら、さっさと放しなさい」

知らぬ存ぜぬの一点張り。飽くまで自分は関わっていないというスタンスを突き通すようだ。確かに紫がやったという証拠もないので、霊夢は大人しく紫を掴んでいた手をぱっと放した。

がっちりと締め付けられていた両腕を軽く曲げ伸ばし、ストレッチ染みたものを始める。余程強く締めていたのだろうか。ややオーバー気味に紫は手を肩の辺りに当てながら、首を左右に思い切り揺らし傾けボキボキと音を鳴らす。少しババ臭い。

そしてふぅと軽く息を吐いて、霊夢たちの方に改めて向き直って言った。

「あんまり力任せなのも良いことだとは思えないわね、霊夢。まぁそれはいいとして……人を攫ったとして、私に何かメリットでも? 何か事件があった場合、犯人を推測するにはまず誰が一番得をするのかを考察する。ミステリの初歩ですわ」

「ミステリ? なんだそりゃ」

「あんた妖怪じゃない。実際に見たことはなくても、知識として人間を食べることは知ってるわよ。疑う材料には十分だと思わない?」

軽く魔理沙の疑問を無視して、霊夢は続ける。だがそんな霊夢の言い分を、紫ははんと鼻でせせら笑った。

「それは他の多くの妖怪もまた同様。私だけを疑う理由としては弱過ぎる。加えて殊最近は、人間を食べることなんて殆どなくなったと言っても過言ではないのよ。他に美味しい食べ物なんて幾らでもあるしね。他に理由は? 私を羽交い締めにしたのだから、それなりの理由がないと流石に怒るわよ」

「まぁ、何だかんだ言ってお前が一番怪しいからなんだけどな」

茶々を入れるように魔理沙は言った。霊夢もそれにうんうんと頷き同意する。それまで真面目に話していたにも関わらず、結局そんな理由に尽きるということが分かった紫はすっかり脱力してしまった。

「……はぁ。まぁ良いわよ。とにかく私はやってない。誰が犯人なのかも知らない。例え私がやるにしても、もっと疑われにくいように上手にやるわよ。全く……なんだか話すだけで疲れちゃったわ」

すっかり肩を落として嘆息する。話していて疲れるのはこっちも同じだと霊夢たちは反論したくなったが、理由らしい理由もなく疑われた紫の姿があんまりにも惨めに思えてしまったので口には出さないようにした。幾ら外道と呼ばれようと、たまには気遣うこともあるのである。そもそも疑ったのは自分たちであることは特に気に留めないが。

やはり、外道なのかもしれない。

 

紫に言われて何のメリットがあるのかを考える必要があることを知った二人は、再度疑わしきは誰かを考えざるを得ないという結論に至った。しかしだからと言って、新しい候補が頭に浮かばないのもまた事実。健常な男たちを攫ってどうするのかなど、全く見当がつかないのだ。ましてや何のメリットがあるのかなど、余計浮かぶ筈もない。ああでもないこうでもないと言い合っている霊夢と魔理沙を横目で見ながら蜜柑を頬張っていた紫であったが、何か思いついたようにそう言えば、と不意に口にした。

「この前境界が不安定になったことが一度あったけど……これはどうなのかしらね? 一瞬のことだし、そうそう関係があるとは言えないとは思うけど」

その言葉にきょとんとし、段々と血相が変わってきて、最後には二人とも紫に掴みかかるような勢いでずずっと近寄り顔を近付けた。何故そんな重要なことを言わない、と声を揃えながら。

今紫の言ったことは、もしかしたらこの事件の解決に大きく役立つパーツなのかもしれないのである。一応ではあるが真剣に考えていた二人にとって、何も手掛かりのない現状を打破できそうなこの情報は何よりも重要なものとなり得るのだ。そのことを分かっているのか、と紫に問い詰めるが、彼女は自分にも自分なりの言い分があるのだと弁明してから語り出した。

「だって、本当に一瞬だったのよ? 境界が乱れ、外の世界と繋がってしまう時でもあんなに短くはない。やっぱり、向こうとこちらを行き来するには相応の時間が必要なのよ。だから所謂誤差の範囲、って私は思ってるんだけど……違う?」

「知るか」

その道のスペシャリストである紫が疑問に思うのだから明確な答えなど出せる筈もない。明らかに人をからかっている紫に対し、霊夢はぞんざいに言葉を返した。

しかし、貴重な情報であることには変わりはない。いつから失踪し始めたのか魔理沙も詳しくは聞いていないため時期が合っているのかどうかは分からないが、何かしら関連があると見た方が良さそうである。精神的に。

霊夢に乱暴な口調で返され悲しみのあまりよよよと泣き崩れている紫を適当に流しつつ、霊夢と魔理沙は更に議論を深める。たまに外の世界から人が訪れるように、こちらからも誰かが向こう側の世界へと紛れ込んでしまったのではないか、などと。しかしこれは実際そのように境界が乱れていれば八雲のどちらかが気付くであろうし、そんな大人数が消えてしまう程大きな境界の解れがあるとも思えなかった。そんな風に案が出され、それに対する反論を返し、また振り出しに戻るということを繰り返すばかりだったのである。

一歩進んだかと思えば進んだ分だけ戻らなければいけなくなるやり取りの繰り返しに、魔理沙は苛立ち頭をくしゃくしゃと掻きむしる。

「だーもう! こんなんじゃ埒が明かないなぁ……そうだ! こんな時こそ発想の転換だぜ!」

何かを思いついたように魔理沙は卓袱台をばんと叩き立ち上がる。その衝撃で置いてあった湯呑の中身が少々零れ出し、霊夢は露骨に嫌そうに眉を顰めた。

「……何? 発想の転換?」

「あぁ。何故、と理由を求めるんじゃない。その行為自体に意味を見出してるかもしれないだろ? その可能性も考えに含めるべきだと私は思うぜ」

「えぇ……確かにそういう可能性もなくはないわね。例えば快楽殺人。あれは人を殺してどうこう、ではなく、殺人という行為自体に愉悦を感じ行っていますもの。結果を求めるのではない、手段を愛し、その結果が取り沙汰される、というわけ。ミステリでもよく用いられる手法ですわ」

いつの間に気を取り直したのか、いつものゆったりとした調子で紫が魔理沙の言葉に賛同する。魔理沙がすかさずだからそのミステリって何だよ? と尋ねたのをまたもや無視しながら。何の証拠もなく疑われたことに対する腹いせなのだろうか。

紫の言葉を受けて、だとしても、と霊夢は続ける。

「人を攫うことに意味を見出すって? そんな悪趣味な奴どこにいるのよ。気持ち悪い」

苦々しげな表情で体を震わせる。確かに、と魔理沙も苦笑しながら同意した。

だがしかし、ただ一人紫だけは不思議そうな顔で二人を見ていた。

「あら……私はそうは思わないけど」

「え? 誰か心当たりがいるの?」

心当たりというか何というか、と紫は視線をやや上の方へと上げる。

「だって……人攫いはあれの領分でしょう。違うかしら?」

そう問う紫に対し、霊夢と魔理沙は顔を見合せ、

「――あ」

そう、小さく呟いた。

 

 

「はぁ? 何それ、私は知らないよ」

神社の裏の納屋の奥で、呆れ混じりに彼女は返す。そりゃそうか、と霊夢たちの反応は至って冷めたものであった。そもそも期待していなかったのである。適当なこと極まりない。

一体何の話なんだい、と伊吹萃香は足を組み直し二人に尋ねた。それに応じ、霊夢は頷きこれまでの経緯を話し始める。

合間合間にどうでも良い酒の話などを混ぜ、段々と本筋から離れて行きながらも途中で話を引き戻し、時間を掛けて一部始終を話し終えてから萃香は何度も頷いて言った。

「はーん……そりゃ妙な話だね。で、何で私のところに? 調べる手伝いをしてほしい、ってわけじゃないみたいだけど」

首を傾げて萃香は問う。ただの酔っ払いだということは本人も自覚しているので、情報を集めようにも萃香の耳を通した時点で信憑性はないに等しくなってしまうのだ。嘘は吐かないが、自分で嘘と思っていなければ間違ったことも口にすることだってある。意図的に嘘を吐かないだけ、下手に信じてしまい余計ややこしいのでそういう意味で萃香は問うているのだ。無論霊夢たちはそんなつもりでは最初からないので、取り越し苦労であったが。

そもそも何故二人は萃香のところへやって来たのか。その理由はただ一つ、彼女が鬼だったからである。

鬼はその昔、人間を攫うことで自らの力を示していた。そうして人間と対立する関係を築き、競い合うことで互いを高め合うことを目的としていたのだ。今では鬼も幻想郷から去り、地上では萃香以外の鬼の姿を見ることもなくなって久しいが、それでも鬼は人を攫うという伝承だけは脈々と語り継がれてきた。その伝承に則るのであれば、萃香が人を攫ったとしてもおかしくはない。彼女の友人である紫はそう主張したのだった。

因みに紫は自分の言いたいことを滔々と喋った後に、それじゃあもう寝るわと言って帰ってしまった。初めから茶を飲むことと雑談以外に大した目的はなかったらしい。傍迷惑な妖怪である。

それはともかくそんなことを理由として述べると、萃香は笑いながらないないと手をひらひらと振った。

「その文化自体、大分昔のものだしね。それに今地上にいる鬼は私一人。たくさん仲間がいた昔ならいざ知らず、今そんなことをすれば袋叩きに遭っちまう。流石に多勢に無勢じゃ、応戦するにも限度があるしねぇ」

やったところで自分の身が危なくなってしまう、というわけだ。やはり仮説は仮説でしかない。現実的な問題をこうして並べれば、余計鬼が犯人であるという可能性はないということに気付かされる。

また振り出しに戻った二人は、ならどうしようかとまた計画を練ろうとすると、不意に萃香が言った。

「あぁ、そだそだ。人を攫うってんなら妖怪みんな当てはまるけど……一種族、やけに目立ってた奴らがいたねえ」

「ほう? 何か知ってるのか。そりゃ丁度良い、教えてくれるとこっちも助かるんだがな」

「うん、教えてやっても良いよ。ただメリットなしに教えるのはちぃっと納得いかないなぁ……うん、ギブアンドテイクでないと」

萃香はきょろきょろと辺りを見回し、床に転がっていた瓢箪から手元にある赤い杯へと酒を注ぐ。そしてなみなみと注がれたそれを一気に呷ると、ぐいっと濡れた唇を拭って不敵に笑った。

 

 

「ったく、私の酒だってのに遠慮なく呑むんだから……必要経費として請求してやろうかしら」

「そう怒りめさるな。第一お前も貴重だ貴重だっつってちっとも呑まなかっただろうが? 幾ら珍しいもんだっつっても呑まなきゃ勿体ないぜ。あの酒も萃香のような酒豪に呑まれて幸せだっただろうな、うん」

「あんたは良いじゃない。一緒に呑めたんだから……私なんか気付いたらもうなかったんだからね。どんだけ呑むの早いってのよ」

大きな声で愚痴を溢しながら、霊夢は大通りを練り歩く。その隣で苦笑しているのは勿論魔理沙だ。

里。人間たちが日々をのんびりと過ごす、比較的長閑な場所である。稀に妖怪がここを訪れることもあるが、人々はそれを嫌悪することもなく普通の客と同じように親身に接していた。昔とは違い人間と妖怪の親交が深まっているということを、実際に目で見て確認することのできる場所でもある。

何故二人が里までわざわざやって来たかと言うと、理由はただ一つであった。

「お、いたいた。おーいブン屋! 私だ私! おーい!」

魔理沙は遠くに誰かと話している最中の彼女の姿を見つけると、大きな声で呼び掛け右手を頭の上でぶんぶんと左右に振る。それに気付いた彼女は、話を適当に切り上げたのか頭を下げてからゆっくりと二人の方に向かって来た。

頭に乗せた飾りを揺らし、至極迷惑そうな表情を浮かべている。取材中だったのだろうか。しかし魔理沙は悪びれもせずによっ、と軽く手を上げ挨拶した。

「……はぁ。前々から思っていたのですが、どうも貴女は人の迷惑を顧みない傾向があるようですね。他人の都合も考えて下さいよ、本当」

返ってきたのはやや呆れ気味の声色。やはりあの呼び方では迷惑だったようだ。度々呆れられているのは気のせいではないと思う。

だがこの二人には何を言ったところで通じる筈がないのは周知の事実。彼女も諦め、顔を左右に振り深く溜息を吐いてから何の用でしょうか、と尋ねた。

「んじゃ早速本題に入るとするか。ここ最近起こってるらしい失踪事件、お前何か知ってるか?」

「あぁ、そのことですか。奇遇ですね、私も丁度そのことを調べていたところなんですよ。今度の文々。新聞に載せようと思いまして」

ビンゴ、と魔理沙は呟く。新聞を書いている彼女であれば、恐らく情報を集めにこの里へ取材に来ているだろうと踏んでいたのだ。そしてそれはどうやら予想通りだったようである。

「あ、もしかして貴女たち、異変としてこの一連の事件を追ってるんでしょうか? それなら是非とも密着取材を。異変解決のその瞬間を、このカメラに収めたいと思っていますので」

にこりと営業スマイルで、天狗の射命丸文は大事な商売道具のカメラを構える。幾ら新聞が売れずとも、ジャーナリスト精神だけは一人前らしい。その努力を向ける先をパパラッチからもう少し外れると、きっともう少し発行数が伸びると思われるのだが。

この様子なら、彼女から幾らか情報は得られるようにも思える。情報通である天狗のことだ、仲間内だけでも二人の知らない情報がたくさん流れているに違いない。その一人でありこうして今も情報を集め歩いている文であれば、尚更新鮮な情報が得られることだろう。

しかし、それより何より二人には尋ねたいことがあった。

「その事件のことなんだけど……あんた、犯人が誰か知らない?」

「はい? まさか。私が知ってたら今すぐにでもスクープにしますけど。何故私が知っていると思うのです?」

「いや、ね……あんたの種族、天狗じゃない? だから少しは脈あるかなーって」

「天狗……あーあーはいはい、そういうことですか」

合点が行ったように文はぽんと手を叩く。しかし納得されても心当たりがないのでは意味がない。あまり期待はしていなかったけれどこれも違ったか、と二人はやや肩を落とした。

天狗とは読んで字の如く、空を駆ける犬のことである。一般的なイメージとしては、赤い顔をして大きく立派な長い鼻を持ち多くは白い髭を伸ばしているものが浮かぶだろう。このことからその昔天狗と呼ばれていた者たちは、外国から日本を訪れてきた諸外国出身の者ではないかと推測されているがその真偽は定かではない。また、天狗は寺の厳しい修行から逃げ出した破戒僧であるとも言われていたりはたまた山の修験者であるとも言われていたりするので余計ややこしいのである。何れにしろ答えは出ないのでこの場で結論は無理に出さないことにしておく。

さてそんな天狗であるが、その全てに共通しているのは山の奥深くで暮らしているらしいこと。また山の一つや二つなど軽く飛び越えてしまうような超能力を持っていることである。それだけに素質のある者でなければ天狗にはなれないと言われ、山などで姿を消した――所謂神隠しのことだ――子供は、天狗に素養を見込まれ連れ去られたのではないか、とよく言われていたのだ。要するに神隠しは天狗の仕業説である。

それもまた噂に過ぎないのであるが、火のないところに煙は立たないともよく言われる。何にしろ、天狗が一般民衆の間に広く知れ渡っていることは事実なのだ。これまで同様最初からまるで期待はしていなかったのだが、情報収集を兼ねて二人は里に出てあわよくば文本人に話を聞こうと思っていたのだった。

そしてこれまた二人の予想通り、

「それは昔の話ですよ。天狗が人間の子供を攫わなければならない程困窮していたのはほんの最初の頃だけです。現に今の天狗社会を見れば分かるでしょう? あれ程繁栄していれば、妙な趣味のある者ならばいざ知らず、人間など攫ったりはしませんよ」

文は笑いながらその仮説を否定した。三回目ともなればもう慣れたものである。逆にリアクションに困ってしまうくらいだ。

やはり籠って考えているだけでは正解は見つからないらしい。同じやり取りを三回も繰り返したのだ。もう推理ごっこなんて懲り懲りである。こうなるのであれば、最初から地道に調査していれば今頃は正解を見つけられていたのかもしれない。無駄な時間を費やした、と霊夢はぼやき嘆息する。

「……ま、今更嘆いても仕方ない、か。しょうがない、情報を集めるとしますか」

「だなー。……よっしブン屋。私らに情報を寄こせ。悪いことは言わないから」

「脅したところで意味はないですよ? 真のジャーナリストは暴力には屈しないのです」

三人は横並びになり、姦しく騒ぎながら往来を歩む。

こうして霊夢と魔理沙の、暇潰しにも近い探偵ごっこは終わりを告げたのだった。

 

 

橙色の光が、境内の中に満ちる頃。

それから一日中歩き回って情報を集めた二人は、疲れた体を畳に預け今日の行動を反芻していた。

文から何か変わったことはないか聞き出し、それから被害者の家族にどういう状況でいなくなったのかを説明して貰い、寺子屋に行って酒代を請求する。但し一番最後のものは敢え無く拒否されてしまった。少々色をつけていたので、仕方がないと言えば仕方がないのかもしれない。それでも霊夢は文句をぐちぐち言い続けていたが。

新しく得た情報としては、失踪してから帰ってきた者が極僅かではあるがいること、人間だけではなく家畜の類もいなくなっていることが多いこと、それに被害者の畑が荒らされていたことくらいか。しかし帰ってきたとは言ってもその間の記憶は例によってすっぽり抜け落ちているらしく、誰が犯人なのか、どういう状況でどういう風にして拉致されたのかを聞き出すことはできないようである。

時間も経てば何か閃き快刀乱麻の如く事件を収束へと導くアイデアが浮かぶのかもしれないが、今の疲れた頭ではそれも不可能であろう。今日はこのまま仕事を中断し、、酔いに身を任せずっぷりと眠ってしまおうと霊夢は考えていた。

魔理沙は既に顔を真っ赤にし、げひげひ笑いながら卓袱台に突っ伏している。垂れた涎は翌日霊夢が掃除するのだろう。そう考えるとやや憂鬱ではあるが、しかし酒を呑んでいる時ぐらいは世俗的なことは全てすっぱり忘れようと霊夢は決めていたのでより酔いを深めるべく更に一杯酒を呷った。

神社の中は既に酒の匂いが充満している。この酒気を嗅ぎ付け、あの年がら年中酔っ払っている鬼がやって来るのも時間の問題の筈だ。いや、もしかして姿が見えないだけで実はもういるのか? そんなことをぼんやりと霊夢は頭に浮かべる。取り留めのない思考である。

そんなどろどろとした時間を過ごしている時であった。

「……んっ……ん、あ、あぁ――あぁ?」

魔理沙が体を震わせ、すっくと立ち上がった。

「んー……何? トイレ?」

「いや、そうじゃない……ん、だけ、ど……?」

どうも語尾の調子が上がり気味に思える。なんだ寝ぼけてんのかこいつはと思った霊夢は、魔理沙を放っておくことにした。

と、突然よたよたとおぼつかない足取りで玄関に向かって歩き出す。

「ん? 何? 帰るの?」

「い、いや、違う、そうじゃない……なんか……勝手に、体が動いてる、んだよ」

「はぁ? 何言ってんのよあんた、呑み過ぎなんじゃない」

「そうじゃなくて……あぁ、あぁ、あぁー……」

段々とフェードアウトして行く声。やはり酔っているようである。霊夢は気にせず盃に酒を注ぎ、一気にそれを呷った。

その時だった。

霊夢の耳に、魔理沙の明らかな叫び声が届いたのだ。

がたん、と卓袱台を揺らし立ち上がる霊夢。それまではただ酔っているだけだと思っていたが、あの悲鳴は違う。真に迫っていた。迫り過ぎていた。

何か嫌な予感がする。こういう時の予感ばっかり、よく当たるものなのよね、と霊夢はどこか冷静にその状況を観察しながら急いで外へと飛び出した。

 

「――なんだ、何もないじゃない」

ただの取り越し苦労だったのだろうか。魔理沙は何かに襲われているということもなく、少し離れた境内の大体中央辺りにぼーっと突っ立って、真っ直ぐ上を向いているだけだった。

いつもの悪戯だろう。変に驚かせられるのはよくあることである。そんな悪友を持った自分を恨めしく思いつつ、しかしどこか憎めない彼女とはいつまで経っても縁を切れないのが正直なところである。結局関係を保っているわけなのだから、ある程度は我慢しなければならないと霊夢本人も覚悟はしている。しかしこうやっていちいち驚かされるのも、もう少し回数を控えてくれると嬉しいと思う霊夢であった。

はぁ、と妙に脱力した心持ちで深く息を吐き、また中へと戻ろうとすると、

 

大きな大きな黒い影が、霊夢の全身を覆った。

 

はっとなってすぐ上を見る。何もない。それでも自身を覆った何かは、すぐそこにいる筈なのだ。きょろきょろと辺りを見回しその正体を探ると、ほんの数秒も掛からずにそれは見つかった。

今も突っ立ったままの魔理沙の真上。黒く大きく、目に眩しい強い光を発しながら空に留まり続けている、妙に丸っこいその何か。

角ばっているところなどどこにもない。全体の形は円盤形とでも言えばいいのだろうか、あまり目にしたことのないような妙な形をとっていた。

しかし空中に浮いていると言うのに、その質感は重々しい金属でできているように見えるのはただの錯覚なのだろうか。金属が浮くなど絵空事である。ましてやこれ程大きな――神社と等しいぐらいの全長である――物体が、金属でできているとしたら空を飛べる筈がない。しかし霊夢の目の前にあるそれは、どこからどう見ても金属質の物体で構成されているようにしか思えなかった。

更に霊夢は気付いていないが、この物体は何の音もなく、また風を巻き起こすこともなくそこにじっと留まり続けているのである。霊夢たちは自身が飛べるので気付くことができないのだろうが、普通これ程の大きな物体であれば耳をつんざく程の轟音と神社を吹き飛ばす程の風を伴っていてもおかしくはない。それがないということも、余計異常さを際立たせていた。

霊夢があまりの出来事に唖然としてそれを見詰めていると、それは下側面から黄色く柔らかい、ともすれば優しいとも形容できそうなほんわりとした光を放出した。真下にいる魔理沙は、当然その怪しげな光に包まれることになる。

しかし彼女は抵抗しない。身動き一つせず、じっと仰ぎ見たままで逃げもしないで突っ立っているのだ。

――いや、抵抗しないのではない。できないのだ。

霊夢の目に僅かに映った、魔理沙の叫び。その口は確かに動き、何かを叫んでいるように激しく動く。しかし声だけが出ないようで、霊夢からはまるで金魚が餌を求めるようにぱくぱくと口だけを動かす様しか見えなかった。

きっと助けを求めているのであろう、届かぬ叫び。本人は必死に叫んでいるつもりなのだろう。だが肝心のその叫びは、全く耳に届くことはなかった。

直後魔理沙の足が宙に浮く。そう、まるであの物体に吸い込まれているかのように。いや、実際に吸い込まれているのだ。

掃除機がゴミを吸い取るように、磁石が砂鉄を引き付けるように。重力を無視した謎の力で、魔理沙はどんどんと浮いて行く。

魔理沙の体は柔らかな光に包まれながらぐんぐんと上昇し、そして最後には完全にそれに吸い込まれてしまった。

その間、霊夢は動けなかった。目の前で“神隠し”が公然の如く行われていたというのに、その常識を大きく外れた異常さに圧倒されて足を動かすことができなかったのだ。

魔理沙を“回収”したそれは、もうここに用はないとでも言うかのように動き出し、そして霊夢の目の前から一瞬にしてパッと消えてしまった。瞬き一つしなかったのに、である。まるで時が止められて、その間に遠くへと逃げて行ってしまったかのような錯覚に陥ってしまう。

それでも霊夢は動くことができず、ただただ立ち尽くすことしかできなかった。

 

 

「ああ、それはアブダクションですね」

山の上にある守矢神社、その風祝である東風谷早苗は、何の疑問も持つことなくさらりと言ってのけた。

聞き慣れない横文字に、霊夢は顔をしかめて問い返す。

「アブダクション? 何それ」

「おや? 知らないのですか霊夢さん。未確認飛行物体――アナイデンティファイド・フライング・オブジェクト、いわゆるUFOの行う誘拐のことですよ。霊夢さんの言ったような感じで、人間とか牛が度々連れ去られているんです」

「ふーん……誘拐、ねぇ」

そう言われても、霊夢としては“神隠し”と言った方が馴染み深かった。誘拐なんて物騒な単語、まして横文字に訳されても余計困惑するばかりである。しかしそこはそこ、今時の若い娘であることに変わりはなく、霊夢も違和感に慣れるのに然程時間は掛からなかった。

だが内容は別である。“UFO”だなんて八雲紫並みに胡散臭い言葉、一体誰が信じようか。怪訝な表情を作る霊夢に、早苗は尚も嬉々として話を続けた。

「そしてアブダクションされた人間は、エイリアンによって様々な人体実験を施されるのです! 細胞レベルの実験から、新たな生命を誕生させるに至るまで! 時にはトランスミッションを埋め込まれたりすることもあるみたいで、それらの実験が全て終わると漸く人間はアブダクションから解放されるのです!」

「は……え、何? ごめんもう一度言って」

「エイリアンは宇宙人。トランスミッションは発信機です。この発信機は大体において金属片で、後で病院で検査を受けた時などに発見されることが多いみたいですね」

霊夢の疑問を察知し、段階を一つ飛ばして説明をする早苗。それなら最初から日本語に訳してから言えよ、と内心思ったが、もう面倒なので何も言わないことに霊夢は決めた。

それにしても東風谷早苗、恐ろしい知識量である。外界から最近やってきた、如何にも現代っ子の風体である彼女なら、幾らか新しい情報をもたらしてくれるとは思ったが……まさかここまでとは。女子高生様々である。正直ドン引きだ。

知りたいことに精髄していたのはありがたいが、ここまで来ると行き過ぎだ。あれから数日が経ち、まだ魔理沙は帰って来ず、心配というわけでもないがふと気になったから適当な奴に尋ねたことが間違いだった。

当たりなのか外れなのか、どうにも判別し難いところである。

しかし成程、そのアブダクションとやら、確かに今回の事件と似通っている部分が多い。多いどころかそのものではないか。霊夢自身の見たそれは、他でもないUFOそのものだったのだから。

幾らその手のサブカルチャーに疎い霊夢でもUFOぐらいは知っている。が、しかし目の前で見たことはない。あの場は気圧されてただただへたり込むだけだったが、こうして思い返してみればUFO以外の何だと言うのだろうか。考えれば考える程、早苗の言葉がぴたりと当てはまる光景だった。

だが、それ以上に気になる言葉が、霊夢の頭の隅にあった。

「宇宙人……そう、宇宙人」

宇宙人。と言えば、やはり永遠亭の面々が浮かぶ。

地上の兎である因幡てゐはともかく、後の三人は紛れもない月の住人である。いや、「であった」とする方が正しいか。今は幻想郷に住む、ただの薬売りに過ぎないのだから。

あいつらと出会ったのは、いつぞやの永夜異変の時。と言っても明けない夜の異変を起こしたのは霊夢たち自身であるから、実際には「偽月異変」が原因だろう。まぁそんなことはどうでもいい。問題なのは永遠亭のツートップである蓬莱山輝夜と八意永琳、その二人が月人であるということなのだから。

月人とは文字通り、月に住む高貴なお方のことである。ということは地球から見れば月人も宇宙人であることに変わりはない。火星人やら金星人やら、分類的には何ら変わりはないのだ。

穢れた地に住む地球人には考えも及ばないくらい、あの二人の考えていることは斜め75°のベクトルを向いている。今回の異変についても同様と考えればどうだろうか。全て辻褄が合うのではないか。何しろ永遠の命を得られるという蓬莱の薬も作ることのできる技術力を持った集団である。UFOなんてちょろいものかもしれない。

が、しかし。

そうなると動機が浮かばない。紫の言葉ではないが、村の男ども、ひいては魔理沙を連れ去ったところで一体何のメリットがあると言うのだろうか。これまでは男という点で労働力としての共通点があったが、その線も魔理沙の存在で薄くなってしまう。はて、村の男と魔理沙に、一体どんな繋がりが……?

そこで霊夢はふと気付く。そうだ、早苗は言っていたじゃないか。「新たな生命を誕生させる」……これは男たちだけでは決して達成できない。実験体として、女のサンプルも自然必要になってくる。健康体の、それも若い女のサンプルが。

蓬莱人には果たして生殖能力はあるのだろうか。それは分からないが、少なくとも中身は違うのだろうと推測はできる。あんな頓珍漢な思考をした奴らと自分たちが同じ構造をしているとはとても思いたくない。うん、違うのよ。きっとそう。そうに違いないわ。

しかし、だとすれば――霊夢はぶるっと身を震わせ恐怖に戦く。そう、一歩間違えればそうなっていたのは自分なのかもしれないのだ。誰とも知れない男に種を植え付けられ、望みもしない子供を孕む――これ以上の苦痛が、一体どれ程あるというのだろうか。

全く、そんなのはそこら辺にいる妖精でもふん捕まえれば済むことでしょうに。友人がそんな責苦に遭っていると思うと気が気でないが、まぁ仕方がないと思って諦めよう。そうでなきゃ私がそんな目に遭っていたわけだし。さよなら魔理沙、あんたのことは決して忘れないわ――! 人知れず、霊夢は心の中で一筋の涙を流した。

「……あのー、霊夢さん? どうしました? さっきからずっと黙ったままですけど」

「え? あぁ、いや、ね。尊い犠牲者に、黙祷を捧げていただけよ――」

「はい?」

ふっ、と霊夢は首を横に振り目を瞑る。どこかアンニュイなその表情は、何故か悲哀も秘めているように見えた。

「……まぁいいですけど。それより、そんなことを聞くってことはやはり探しに行くんですね! あの、最近この辺りで出没しているという――他でもないUFOを!」

「あ? UFO?」

「はい! だって、立派な異変ですもんね! 是非ともお供させて下さい、霊夢さん!」

早苗は目をキラキラと輝かせて、鼻息荒く霊夢に詰め寄る。まるで以前より欲しがっていたおもちゃを目の前にした幼児のようであった。

そんなつもりはないと言いたかったが、ここまで情熱的に迫られると何とも断り難い。まぁ、この際魔理沙も連れ戻しに行くとするか。あのUFOも、ちょっと操縦してみたいしね。うんうん、それがいい。そうしよう。

とんとん拍子に霊夢の頭の中で彼女なりに合理的な理論が展開され、次々に承諾されていく。最終的な結論は「GO」。霊夢は早苗に向って、大きくゆっくりと頷いた。

 

とは言え、一度は調べた異変のこと。

早苗も加わりより深く妖怪の山周辺を調べることができるようになったといえども、新しい情報を得ることはかなわなかった。

守矢神社の二柱にも尋ねてみたが、何も知らないと首を横に振るばかり。ここのところこいつらが異変の元凶だったりするのでもしやと思ったのだが、敢え無く空振りに終わってしまった。

いつものように単純解決、といかない現状に、これまでの進捗も既に聞いていた早苗は眉を八の字に曲げて、心配そうな表情を作った。もう候補は殆ど出尽くしていることも知っていたのだ。

「どうします? 他に心当たりがあるんですか?」

「……うーん。ないわけじゃないんだけどねぇ。というかそこが本命だとも思うんだけど」

本命。なんと、まだそんな隠し玉があったか。なら最初に行けよとの突っ込みもせず、早苗は俄かに喜ぶが、しかし霊夢の煮え切らない様子にすぐに困惑の色を示した。

「どういうことですか? 何か気になることでも?」

「どうもこうも……いや、よくよく考え直してみたらあいつらがそんなことするかなぁ、って」

永遠亭のことだ。

何かしらの人体実験にしたって、そんな関係のない人を巻き込むような危険な集団ではなかったはずである。それどころか、実質の頭目である永琳は自ら率先して幻想郷に溶け込もうと人間妖怪何でもござれの薬屋まで営んでいるのだ。実際に永遠亭まで訪れれば医者の代わりとなって診てくれもする。人間ですらどこか尖がった奴の多いこの幻想郷の中で、常識人を代表するのは彼女と言っても差し支えはないかもしれない。

はたしてそんな奴が適当な人材を誘拐するなどという暴挙に出るだろうか。答えは否。確かに変人ではあるが、やっていることは善人のそれ以外の何物でもないのである。それを否定する材料はない。

そんなことを要約して口頭で霊夢は早苗に伝えた。すると早苗は何度も頷き確かに、と小さく呟く。

「私はその永遠亭の方々とは面識がありませんが、霊夢さんの言うことが真実なのならば、私もそう推理するでしょう。ええ、確かに理解できます。

しかし、それならば確かめるために尚更行ってみた方が良いのではないのでしょうか? それが正解かどうかはともかく、可能性は早く潰しておくに限ります。そうは思いませんか?」

「そりゃそうだけど、ね。でも、段々わざわざ自分から動かなくても良いんじゃないかって思い始めたのよ。少なくとも、今はまだ、ね」

「……勘、ですか?」

「そ。勘」

目を瞑り、それが当然のことであるが如く霊夢は言う。霊夢の勘。それは異変が起きた時に最も冴えて、解決までの最短距離を指し示してくれるとても便利な方向指示器なのだ。

先日の間欠泉異変でもその類稀なる直感を存分に発揮し、根本の原因までストレート一直線に突き進んだというのだから筋金入りだ。霊夢が博麗の巫女足れる理由も、ここに秘められているのかもしれない。

それだけに彼女の言う「勘」は、おいそれとは無視できないものであったのだ。幾ら早苗がどんな判断を下しても、霊夢の一言でそれは全て覆される。それだけの力を持った、ある意味ではとても危険な、彼女だけが持つ特殊能力だったのである。

早苗ははぁ、と一つ溜め息を吐き、思いを巡らせる。霊夢さん自身がこの件に関して面倒だ、という感情を持っている可能性は否定できない。しかし、今回は事情が少し違う。何しろ自身の唯一無二の友人が実際にさらわれてしまっているのだ。それも、自分の目の前で。それを助けず、はたして単に面倒だからという理由で調査を止めるだろうか?

いや、それはない、と早苗は断言する。友人は友人だ。他の何にも取って代えることはできない。少なくとも、私の知っている霊夢さんはそんな非情な人ではない。そう、早苗はどこまでも断言する。

正直霊夢が魔理沙のことにそこまで必死になれるかどうかは疑問であるが、事実はどうにせよ早苗はそれで納得した。分かりました、と早苗は霊夢に向けて頷く。

「では、一旦神社に戻って策を練り直しましょう。休めば何か、良いアイデアも浮かぶかもしれませんしね」

「そうね。ちょっと疲れちゃったし、お茶でも飲みましょうか。ちょうど数回分の出涸らしが残っていたのよ」

出涸らしって。それはお客に出す物じゃありませんよ霊夢さん、と早苗は笑いながら突っ込みを入れる。

突っ込まれた当の本人の霊夢は、はて、何か面白いこと言ったかしらと戸惑いの表情を浮かべていた。

 

 

ところがところが、事態はここから急展開を見せたのである。

二人が博麗神社に戻り、さぁ一息つこうと境内の中に入ると。

「お。やっと巫女様のお帰りか。遅かったな」

縁側に座り、暖かな陽光に包まれながら、湯呑を手に持ち笑う少女。

いなくなっていた筈の彼女、霧雨魔理沙その人が、なんとそこにいたのだった。

 

 

探していたその人が、さもそれが当然であるかの如く神社にいるのを見て、霊夢と早苗は暫く声も出せないくらいに驚いていた。

ただただ沈黙するだけの二人を前にした魔理沙は、なんだこいつらと思いながらも静かにずずと茶を啜る。勿論使った茶葉は新品の物である。出涸らしは捨てた。

やがて叫び声を出せるくらいに回復した二人は、そこで漸く神社中どころか里にまで届いていそうなくらいの大声を出した。魔理沙は咄嗟に耳を塞ぎ鼓膜を守る。十数秒後、声で表わされた驚きが途切れたのを確認してから魔理沙は言った。

「おいおい……なんだいきなり。騒がしいにも程があるぜ。仮にも花も恥じらう乙女ってんなら、もう少しお淑やかにしてほしいところだな」

「いやいやいやいや。あんたにそれ言われる筋合いないから」

「そうですよ。それに大体、貴女がここにいること自体がおかしいんですよ。私たちが驚くのも無理はありません」

「あー? なんだ、いちゃ悪いって言うのか?」

「いえ、悪いなんて……そういう意味じゃあ、ないんですけど……」

そういう意味じゃないけど、遠回しにそういう意味だった。

押し黙ってしまう早苗を見かねて、やれやれと霊夢は首を横に振りずいと一歩前に出る。それに応じるように、魔理沙もまた立ち上がり胸を大きく張った。

「あんたアブダクション……だっけ。まぁいいわ、とにかく誘拐されたじゃない。いつ帰ってきてたの? 折角探してやってたのに、これじゃ骨折り損じゃない」

「はぁ? 誘拐だぁ? 何言ってんだお前。夢と勘違いしてんじゃねーのか?」

「そっちこそ何言ってんのよ。UFOに捕まって、ぷかぷか浮いてたのはあんたじゃない。覚えてないって言うの?」

「UFO? おいおい霊夢、お前自分の言ってることよーく考え直してみろ? 多分正常な奴なら誰でも頭の心配をすると思うぜ」

「失礼ね。私はいつだって正常よ」

「ああ、そうだな。お前の頭ん中限定でな」

こっちは真面目に言っているのに、どうにも軽口でかわされている気がする。どうにも噛み合わない会話に、霊夢は次第に苛立ってきた。

聞きたいことは山程ある。言いたいこともたくさんある。だというのに、まるで手応えのない反応。そう、まるで本当に、軽口に対して軽口で返しているような――そんな会話をしていることに、霊夢ははたと気付いた。

そうだ、冗談を言っているわけじゃないんだ。ごまかしているようにも見えない。つまり、魔理沙は本当に、UFOだなんて「知らない」のだ。

それはまるで記憶の欠落。だがしかし、言っていることは正常な人のそれである。表面だけを掬って見れば、おかしいのは霊夢たちの方だった。

霊夢は早苗の方を見遣る。彼女も同じことに気付いたようで、とても深刻そうな顔をしていた。二人は顔を見合せ、ひそひそと魔理沙には聞こえないように話をする。

「ねぇ……なんか、おかしいと思わない? 冗談って言うか、まるで本当にそんなことはなかったって感じなんだけど」

「ええ、私も同感です。……これはまだ言ってませんでしたっけ。アブダクション遭遇者の中には、記憶を失っている人もいるんですよ。戻って来て、時計を見て、空白の時間があることに気付き、医者に催眠療法を施して貰って初めてアブダクションされていたことに気付く……そんな例も、少なくはないらしいんです」

「じゃあ……魔理沙もそれ、ってこと?」

早苗は黙ってこくりと頷く。成程、状況にぴったりである。普段と何ら変わりなく、まるで自分の家にでもいるかのように傍若無人に振舞っているいつも通りの態度もそれで解決する。寧ろそれ以外に考えられない。

しかし、魔理沙が帰って来た、ということは。

二人はそうだ、と気付き、いてもたってもいられずに神社から駆け出す。背後から魔理沙の呼び止める声がしたが、そんなことは関係ない。とにかくその仮定が事実なのかどうか、それを確かめなくちゃいけない。半ば強迫観念と化したそれに駆られ、霊夢と魔理沙は再び人間の里へと向かうのだった。

 

「はぁ……皆はそう言いますが、オラはてんで分からねんで。ただ、気が付いたら家の前に立っていた、と、そんくらいしか言えねえです」

成人して数年程の、働き盛りであろう若者がこめかみをポリポリと掻きながらそう答えた。紅白と風祝はやっぱり、と頷き合う。

そこは失踪した里人の内の一人が住んでいる家だった。二人が確かめたかったのはただ一つ、いなくなってしまった里人たちが魔理沙と同様に帰ってきているか、であった。

それが正しいのなら、やはり一斉にUFOは連れ去った人々を解放したのだろう。そう二人は推測し、そしてやはりその推測は当たっていたのである。

既に二十数軒あまりを回り、ただの一人たりとも欠けていない、帰ってきていることを確認して最後の一軒へと向かった。それがここだったのである。

気が付く前は何をしていたのか、と尋ねるといつも通りに畑仕事をしていたとしか答えない。やはり魔理沙同様、記憶はすっかり抜け落ちてしまっているようである。それは今までの里人たちも同様であったから、この結果は意外でも何でもなかった。

しかし改めて回ってみた結果、魔理沙からは得ていなかった情報を新しく得ることに成功した。それは失踪したと言われる里人全員が、若い男であったということだ。それも顔立ちは悪くない。思わず霊夢もぽーっとしてしまう程の美形も中にはいた。

だからなんだ、という話でもあるのだが。

「うーん……よく分かりませんねぇ。どうして奴らは皆一斉に返したのでしょうか。ちょっと気になります」

「そりゃ用が済んだからに決まってるでしょ。私としては、どうして皆記憶を失くしているかの方が気になるんだけど」

「ああ、それはほら、実験の記憶とか自分たちに関することをぺらぺらと喋られたら困るからですよ。記憶を抹消しておかないとやはり危険ですしね。安全のためでしょう」

記憶を抹消しないと何が危険なのか。そう霊夢は思ったが、敢えて再度尋ねることはしなかった。どうでもいいとすぐに判断したからである。

とにもかくにも、こうして全員は帰って来たのである。これで一応はめでたしめでたし、見事異変は何もせずとも勝手に解決と相成ったわけだ。奇しくも霊夢の勘は、ここでも的中したことになる。

が、当の霊夢本人は何とも納得の行かない、苦虫を噛み潰したような表情のままだった。それも仕方のないことだろう、いつものように「これで解決!」と言い切ることのできない顛末だったのだ。これでは消化不良もいいとこである。

そんな霊夢を、早苗はまぁまぁと必死になだめる。皆帰ってきたんですし、それはそれでいいじゃないですか。確かに色々気にはなりますが、何も起こらなかっただけマシですって、と。

だからそれが気に食わないのだ、と霊夢は言う。あれだけ妙なことをやっておいて、結局何事もなかったように事を運ぶとはどういうことだ、と。異変解決の専門である博麗の巫女のお言葉とは思えない台詞だった。最早異変を楽しんでいる節すら言葉の端々から窺える。

仕方がない、帰ったらたっぷり魔理沙に詰問してやろう。忘れたのなら思い出させてやる。いえ、嫌でも思い出したくなるようにしてやるわ。

「ふ、ふふ、ふふふふふふ」

不気味な笑い声を上げる霊夢。異変が尻すぼみに終わるとこうなってしまうのか。早苗は戦きながら、それでは解決もしたことですし、そろそろお勤めに行かなければと霊夢に別れを告げたのだった。

 

――結局、その後数か月が経っても、何ら原因が分かることはなく、霊夢たちはこの異変に関して諦めざるを得なかったのであった。

 

 

 

その、数ヶ月後。

神社の中に、ぽんと紙の束が投げ込まれた。射命丸文の発行する文々。新聞である。

やれやれまたか、と思いつつも、他にやることもないので霊夢は新聞を広げた。一面にはこんな見出しが載っていた。

『月の都の博覧会 「月都万象展」いよいよ来週開催』

月都万象展。月の都の文化を紹介するという、蓬莱山輝夜の主催する博覧会である。

これも永琳が考案したプロジェクトの一環で、こういった催し物を通じて幻想郷の人々と親睦を深めようという目論見らしい。その考えは見事功を奏したようで、第一回は大成功に終わったと霊夢も聞いていた。

前回わりと面白かったみたいだし、もし次回があるなら暇潰しに行ってみようかな――そんなことを霊夢は考えていたのだ。その次回、第二回がついに来週から開催だと新聞には載っていた。

来週かー、と霊夢は新聞に載っている日付を見て、カレンダーを見て、更に再度新聞を凝視する。そこに書かれていた日付は、紛れもなく本日のそれだった。

「あんの天狗……っ! 来週じゃなくて今日じゃないの! 一週間何やってたのよあの馬鹿はっ!」

もし今カレンダーを確認していなかったら、まんまと騙されていたところだ。一週間後、既に展示物の撤去された永遠亭の前で一人呆然と立ち尽くす――冗談でも笑えない光景である。その可能性は充分にあったのだから。

しかし、今日は丁度暇な日だった。忙しい日など異変の起きた時以外なのだから殆ど暇だ。ま、遅れなかっただけ良しとしましょうと早速霊夢は支度を始めた。当然、「月都万象展」へと赴くためである。

そうだ、どうせだから魔理沙も誘って行きましょうか。それに早苗も、永遠亭には行ったことがないって言ってたっけ。よし、それならもう決まりだ。

娯楽の少ない幻想郷。たまにこういう催し物があれば、行かない手はないのである。

 

「おうおう。すげー人だかりだな。随分と人気があるようで」

「そうですねー……。前回は盛況のうちに終わった、と聞いていましたが……まさかここまでとは。と言うか、ここにこんなに人いましたっけ」

「妖怪も大分混じってると思うわよ。暇なのは皆一緒ね」

月都万象展、特設会場。迷いの竹林前に張られたとても大きなテントの前には、見物客がごった返していた。

各窓口の前に並ぶ人、人、人。長蛇の列とはこのことか。端から端を見渡すのに、首を180°、実に真反対に向ける必要がある。視界の中に全員を収めるには一体どれだけ離れなければいけないのだろう。まさに行列と呼ぶに相応しい光景だった。

入口では地上の妖怪兎たちが忙しなく働いている。チケット販売、確認、列整理。全く途切れない来場者たちを捌くのに、とても苦労しているようだった。

そんな列から外れた隅に、ウェーブのかかった黒いショートヘアの妖怪兎が一匹。でかでかと「チケットあります」と書かれた幟を背負っている。ダフ屋の類だろう。

少々割高だが、チケットを買うために長時間並ぶくらいなら、と列から抜けて彼女に駆け寄る客も少なくない。そんな客が現れる度に兎はにまっと笑い、顔をやや下に向けて黒いサングラスの隙間から相手を見る。そして「ありがとございやーす」と小さく呟く様子は、如何にも裏社会に生きる者が身につけた、金儲けに際する卑屈な接客術であり、見る者の背筋をぞっとさせるものであった。あった筈だが、しかし背丈の小さい、見た目だけは可愛らしい少女のそれであったので、寧ろ見る者の心を和ませていた。

そんな会場近くの喧騒を三人はスルーし、何も問題はないとでも言うかのように入口まで歩き、何気ない顔で中に入ろうとする。あまりにも堂々とした自然な動作だったので係の者は危うくそのまま通しそうになったが、先頭を切る霊夢が横切ろうとしたところで何とか自らの仕事を思い出しギリギリのところで呼び止めることができた。

「ちょ、ちょっとちょっと! 何勝手に入ろうとしてるんですか! チケットは!?」

「ないわよ。顔パスで良いわよね?」

「良くない!」

妙なところで足止めを食らったものだ、と霊夢は思った。一応主催者とは見知った仲であるのに、わざわざチケットを買って来いと言うのだろうか。何時間掛かると思っているのだ。この恩知らず。

後ろに控える二人は苦々しい顔をして共に見合わせる。霊夢が我が物顔で歩いて行くものだから、てっきりチケットは持っていたとばかり思っていたのだが。その実顔パスで済まそうとしていたのか。そう親密な仲というわけでもないのに、無謀にも程がある試みだった。

早苗はおずおずと霊夢にすり寄り、ほら、チケット買わないとだめじゃないですか、早く並びましょうと耳元でそっとささやく。だが霊夢はそれを無視し、尚も兎に詰め寄るばかりだ。

「とにかく、他のお客様にも迷惑ですからどうか何卒。私も忙しい身ですので」

「って言われてもねぇ……」

霊夢はこういった催し物、それも人がごった返すようなものには参加したことがない。だから列に並ぶ、という発想が霊夢の頭の中にはなかったのだ。見るだけで嫌悪感を催すようなその列の中に自分も加わるなど、そんな酔狂な真似をしなければいけないなどとは信じられなかったのだった。

けれども係員と押し問答をする姿は、やはり周囲の景色からは浮いていて違和感の種となる。大勢の客からは奇異の目を向けられ、魔理沙と早苗はただただ恐縮するばかりだった。

と、その時である。

「なーにー? やけに騒がしいと思ったら……あれ、貴女たち……?」

テントの中から、のそりと顔を出した、薄い紫色をした長い髪の少女。

言わずもがな、永遠亭の頭脳である八意永琳の助手、鈴仙・優曇華院・イナバであった。

入口付近で何やら問答があるのを聞いて駆け付けたようである。しかしその問題を起こしたのが以前出会った巫女であるのに気付き、目を丸くさせていた。

よくよく見れば後ろにはその友人である黒白の魔女、最近こちらに越してきたという風祝がいるのまで見える。有名な人間三人が勢揃いで問題を起こすとは、一体何事だろうと鈴仙は訝った。

「何しに来たの? また何か異変でも?」

「違うわよ。普通に客として」

「つっても今はただの冷やかしだけどな。霊夢が常識を知らないもんだから困る」

「あーん? どの口が常識を語ってるのかしら。自分が普通だとでも思ってるの?」

「普通だぜ」

「あーもう! あんたらと話してると埒が明かないわ。とりあえずこっちに来なさい」

早くも泥沼化し本筋が逸れ始めた不毛な会話を、鈴仙は一刀両断する。そして一歩身を引き霊夢たちに手招きし、中に入れと促した。

彼女の言葉に素直に従い、初めに霊夢が大きく胸を張って入り、後に苦笑いを浮かべながら魔理沙が続き、最後に早苗が周囲の客にぺこりぺこりとしきりに頭を下げながらテントの中へ入る。その様子を不審そうに見つめる兎にいいから、と鈴仙は手で制し、それじゃあ頑張りなさい、と言い残して自らも内部へと消えて行った。

 

中は思いの外快適だった。

人は考えていたよりも少なく、自由に動けるだけの空間は充分にあった。外での係員は余程手間取っていたということらしい。あるいは、中の空間を弄って物理的に広くしたか。そう思わせるくらいに、会場内は空いていた。

だから展示物もよく見える。見たことのない月の文明が生み出した品の数々を、三人は物珍しそうにしげしげと眺めていた。

「ほー……こりゃ凄え。香霖を連れてきたら大喜びしそうなところだな」

「そうね。でも、ここにも大喜びしてるのが一人いるわよ」

「わ、わ、あれ! ほらあれ! アポロの装甲板ですよ! 歴史的なあのアポロのあれですよ!! あ、今度はあっちに!」

早苗は興奮しながらあちこちに指を突き付ける。見る物見る物全てが彼女にとって驚くべき物だったらしい。目移りしっぱなしでとても忙しそうに見えた。

一見落ち着いた態度に見える霊夢と魔理沙も、内心かなり興奮していた。何しろ宇宙である。行ったことがないわけではなかったが、しかしそれでもどこか神秘的な物と言うのは心を躍らせるものなのだ。見るだけでドキドキしてしまう。ましてや、一部はアトラクションになっていて自由に触ったり動かしたりまですることができるのだから尚更だ。

そんな無邪気な反応を示す三人に、鈴仙は歩きながらそれで、と言った。

「結局何が目的なの? まさか本当に客として来たわけじゃあるまいし」

「え? だから普通に見に来たんだけど」

「えっ」

鈴仙は思わず立ち止まって振り返る。瞳に映るのはいつものような凶悪な妖怪退治の専門家ではなく、不思議な物に心惹かれる純真無垢な少女たち。成程、いつもは多分に大人びて見えるが、実際は高くて十代の中盤までしかないまだまだ子供の時分なのだ。皮肉の応酬を見慣れ過ぎていたせいでどこか実年齢とはちぐはぐな印象を受けていたようだ。考えてみれば、こうして遊びに来ることもに充分にあり得ることなのであった。

「っていやいやいやいや。他の子供たちならともかく、あんたらに限ってそれはない。何か企んでるのね?」

「酷い言い草だな。私らを何だと思っているんだ」

「……人間?」

そりゃそうだけども。

因みに会話に全く参加していない早苗は、周囲の展示品に気を取られっぱなしで全く話を聞いていないだけである。誰も聞いていないのに解説まで始める始末だ。ある意味では彼女が最も子供らしい反応を見せていると言えた。

まぁいいか、と鈴仙は深く溜息を吐く。そして顔を上げて、どうにも気疲れした様子でぞんざいに言った。

「そこまで言うなら信じましょう。別に何かされたところで、防衛システムが働くでしょうしね。それより魔理沙、師匠があんたのことを呼んでたわよ」

「あー? 私がか? なんでだよ」

突然名前を出されたことに、疑問を素直に口にする魔理沙。それに対して鈴仙は首を横に振る。

「ううん、よく分からないんだけど……師匠曰く、『きっと来るでしょうから、その時はこちらに連れてきなさい。お礼をしなければ』って」

「お礼? 何かしたっけ? なぁ霊夢?」

「私に聞かないでよ……知るわけないでしょ。宇宙人だし」

「あぁそうか。宇宙人だったな、あいつ」

「いちいち宇宙人って付けるな!」

別に他意はない。

まぁそれなら、と魔理沙は続ける。

「行ってやらんでもないな。お礼なんだろ? 貰える物は貰っておこうじゃないか」

「そのお礼に悪意が含まれてなければ良いけどね。何かの仕返しかもしれないわよ」

「お返しの方が嬉しいぜ」

またもわけの分からない軽口の応酬。こいつらは日常的にこんな会話を続けているのだろうか。痛む頭を押さえながら、鈴仙は永琳のいる場所――“新アトラクション特別ブース”へと足を向けた。

 

「着いた。この中よ」

そう言って鈴仙が示した指の先は、テント全体の約四分の一を占めているのではないかというくらい大きな個別テントだった。脇には“新アトラクション特別ブース”と書かれた立て札が置かれている。アトラクションと言うからには乗り物か何かに違いない、と早くも魔理沙と早苗の二人は興奮していた。

それとは対極的に、霊夢だけはどこか冷めた様子でじろじろと小テントを眺めていた。この会場をまるごと包み込んでいる大テントをそのまま縮小したような感じだ。よく分からないが、中はもっと広いのだろう、と霊夢は思った。

「ここは何をやっているところなの? 新アトラクションとしか書いてないけど」

「それは入ってみてのお楽しみよ。ま、実際に見て驚きなさい。何しろ開発に半年も掛けた一大プロジェクトだったんだからね」

「開発?」

「そこは聞かんで宜しい」

思わず口を滑らせてしまった、と鈴仙はこほんと咳払いをする。霊夢は首を傾げるが、まぁ入れば分かるならいいかと流すことにした。

鈴仙はテントの中に首を突っ込み、永琳の名を呼ぶ。程なくして幕が上がり、中からは銀髪の天才頭脳、八意永琳がいそいそと現れた。

永琳は軽く会釈をして、鈴仙にご苦労様、もう持ち場に戻っていいわよと告げると鈴仙は頷きどこかへと走って去って行った。彼女は他の兎たちより格は上だった筈だが、それでも特別扱いはされていないらしい。その上上司からは雑用を任せられていたことを考えると、少し不憫にも思えた。

まぁそんなことはさておき、永琳は鈴仙がいなくなったのを確認すると、満面に笑みを湛えてようこそとやけに嬉しそうに言った。

「やっぱり来たわね。お待ちしておりましたわ。さぁ、こちらへ」

優雅な動きで手招きをし、中に入れと促す。が、魔理沙はちょっと待った、と首を左右にぶんぶんと振った。

「? 何かしら?」

「いや……あの兎から聞いたんだけどな。“お礼”ってのは何なんだ? お前に対して何かした覚えはないんだが」

「あら、とぼけても無駄よ。あの時収集したデータは全て有効活用させて頂きました。私は恩は忘れても義は忘れない女よ? 見くびらないで」

えっへん、と永琳は大きく胸を張る。しかしどうにも要領を得ないといった風に、魔理沙は尚更首を傾げた。

「何の話をしてるのかよく分からんな。収集? データ? 何だそりゃ。全然記憶にないぜ」

魔理沙の瞳は真剣そのものだ。しらばっくれているのではないということが一目で分かる。それを見て永琳も漸く冗談ではないということが分かったようで、ふむ、と一言呟き腕を組み、目を瞑って思案に耽る。

暫くその状態のままで、顎に手を当て唸り続ける。やがて答えが出たのか、ああ、とすっきりした表情になってぽんと手を打ち鳴らした。

「そうだった。記憶消してたの忘れてたわ」

「はぁ? どういう意味だ?」

「まぁいいわ。とりあえず入りなさいな。そちらの巫女さんたちもご一緒に、ね」

永琳はくすくすと笑いながら、垂れ下った布を捲くり上げて中へと入る。三人は怪訝そうに顔を見合わせて、やや躊躇ってから言われたことに従うことにした。

 

中は少々薄暗い。手元は辛うじて見えるが、数歩先は真っ暗闇だ。照明か何かだろう、時折一瞬だけ横切る小さなライトの光のみが唯一頼りにできる明かりだった。

永琳はどこに行ったのやら、すぐ傍にはいないようである。三人は一歩ずつ慎重に、暗闇の中を手探りで歩いていた。

「ここが新アトラクション、……ですか? 何だかよく分からないところですね」

「ったく……どこ行ったんだあいつはー? 呼んでおいて置き去りにするとは何事だ」

「魔理沙、あんたやっぱり何かしたんじゃない? 適当なこと言って仕返しする腹積もりなのよ、きっと」

「だから身に覚えはないって言ってるだろ。記憶とかなんとか言ってたのは気になるが……ま、なるようになるだろう。行くぜ」

「巻き込まれるのだけは勘弁だけどねぇ」

魔理沙は更に歩を進める。暗闇にも多少目が慣れてきたからか幾分視界が開けてきたような気がするが、それも精々気休め止まりだろう。少なくともどこに行ったのか分からない永琳を探すに足るとは到底言えない。

まさに暗中模索といった、そんな時だ。手を前に突き出して歩いていた筈だが、いつの間にか気が抜けていたのだろう。魔理沙は誰かにぶつかったのを感じた。急に止まったため、後ろに続く二人もどん、どんと連続して衝突する。まるで玉突き事故の現場だった。

反動で尻餅をつき、いてて、と地面に打った場所をさする。すると前方からすっと手が伸びてきた。恐らくはぶつかってしまった相手だろう。ごめんなさいと頭を下げつつ手を貸して貰い立ち上がり、相手の顔をよく見た魔理沙の表情は途端に驚愕の色に変った。

「おう? なんだなんだ、姫様のお出ましじゃないか。なんでこんなところに突っ立ってんだよ」

そう、魔理沙の前方にいたのは永遠の罪人、蓬莱山輝夜。いつもは屋敷の中でも奥の更に奥に潜み滅多に人前に姿を現さない彼女が、なんとこんな場所にいたのだった。

主催者側の者なのだからいてもおかしくはないのだが、しかし彼女に限ってはここにいることがおかしく思えた。何しろ高貴で雅なお方なのだ。こうやすやすと人前に現れてしまっては、ありがたみも薄れるというものだろう。

そんな心配も知ってか知らずか、輝夜はただ黙って微笑み返すだけだった。

霊夢たちものろのろと、腰をさすりながら立ち上がる。そうしてから魔理沙の言葉を聞いて、あれ、と首を傾げた。

「……え? 姫様? 輝夜でもいるの?」

「輝夜って……えっ? も、もしかしてあのかぐや姫のことですか!? ちょ、サ、サイン下さい! サイン!」

霊夢にもそれはやはり意外だったようで、疑念の色はすぐに表情に表れる。早苗に至っては以前外の世界にいた時に習った、古文やお伽話の世界にしか存在しない月のお姫様の名を聞いて早くも浮き足立っている。何とも場違いなお願いを口走っていた。

それでも輝夜は意にも介さず、お久しぶりね、人間、と呟くのみ。噛み合わない会話にじれったさを感じつつ、魔理沙はそうだ、と思い付いた質問を口にした。

「お前、永琳がどこにいるか知ってるか? あんにゃろ、私らを呼んでおいてどっか行っちまったんだよ。お前の従者なんだろ? 何とかしてくれ」

「永琳がどこにいるか、ですって? 今はそう、確か起動準備を始めていた筈だけど……まぁ、待っているだけで良いと思うわよ」

「あん? 起動準備だ?」

またもや聞き慣れない単語に眉をひそめる魔理沙。こいつら、私らが何も知らないことを知っててわざと思わせぶりなことを言って楽しんでいるんじゃないか、とすら思えてくる。実際その推測は当たっているのだが、そんなことは今の魔理沙には知る由もなかった。

その時である。いきなり何かのうぃーんという機械音が、周囲から騒がしく鳴り始めたのは。

なんだなんだ、と三人は驚きうろたえる。しかし輝夜は一人くつくつと笑いながら、その場にしゃんと立っている。

そして輝夜は大仰に振り返り、三人に向かって両手を広げながら大きな声で宣言した。

「さぁ……そろそろ始まりますわ。月の科学の粋を集めた、人知の結晶とも言うべき研究の集大成! 聞いて驚け、見て驚け! 本日最大の大目玉、世にも奇妙な空飛ぶ円盤のお出ましよ!」

 

瞬間、視界が白く染まった。

いや、明かりが付いただけだ。それまで暗かったのが急に明るくなったせいで目が順応し切れていないだけだ。少し待てば、すぐに見えるようになる。

そう、すぐに、すぐに。

すぐに見えたのは、とても幻想的な風景だった。

「……っておい、なんじゃこりゃ」

「あれ……? これ、もしかして……」

「ですよねぇ……やっぱり、あれって……」

三人の見つめる、その視線の先に浮かぶもの。それは紛れもなく、あのUFOだった。

色も形も全く同じ。ただ違うのは、大きさが十分の一程になっていることぐらいだろうか。そんなUFOが十機、空中にふよふよと漂っているのだった。

その中の一機、中心にいるUFOの上部がぱかっと蓋のように開いて、中から一つの影がゆっくりと上昇してくる。

仁王立ちで何やら偉そうに見えるその影は、言わずもがな、腕組みをして勝ち誇ったような笑顔を浮かべている八意永琳だった。

 

 

 

夕焼けが辺りの風景を朱く染め上げる時間帯。霊夢、魔理沙、早苗の三人は姦しく、今日の催しを改めて反芻していた。

あれもこれも、楽しかったのは間違いない。でも、一番を問われれば、間違いなく挙げることのできるものが一つあった。

無論あのUFOである。

「にしてもまさか、本当にあいつらが主犯だったとはね……単純に考えてりゃ良かったわけか。全く、あの時の苦労は何だったのやら」

「でも、結局無害だってことは分かったんですし良いじゃないですか。何事も平和が一番です。宇宙戦争なんて事態に発展したらそれこそ洒落になりませんし」

「そうそう、そのUFOのことだ。本当にそんなことがあったのか? 何とも信じられん話だったし、あん時もただの冗談だとばかり思ってたんだが」

「自分の目で見た癖に何を言っているのやら。無様に吸い込まれて行く様が今でも目に浮かぶわよ。“あぁ、霊夢ぅー! たーすけてくれー!”って感じの」

「……お前、私が覚えてないからって適当なこと言ってないか? そんなことは死んでも言いそうにないと思うんだが」

「どうかしらね」

魔理沙は霊夢の方をじと目で睨む。だが霊夢は至って平然としており、さして気にもしていないようだった。

――事の顛末は、このような次第だったのだ。

魔理沙が連れ去られたのは事実だった。しかしそのUFOの持ち主というのが、なんと永遠亭だったのだ。

輝夜は今回の催し、月都万象展にこのUFOを出展しようと考えていた。が、例え月人には楽しめる乗り物だったとしても、地上人も同様とは限らない。そこでとりあえずサンプルとして複数人の里人を半強制的に誘拐し、乗り心地や運転の具合などをモニターして貰っていたのだ。

霊夢や魔理沙たちのように自由に空を飛べる人間は少ない。一般的な里人たちは、やはり普通に地上を這うことしかできないのである。それ故にかなりの数の人間が、頭上に広がる大きな空へ淡い羨望を抱いていた。

そういう背景もあってか、モニターたちの感想は上々だったという。実験が終わって里人たちは無事に元の家へと返されたが、肝心の本番までにネタばらしされてはたまらない。このUFOは今回の目玉なのだ。なるべく開催まで極秘裏にしておきたいという気持ちもあった。そういうわけで、魔理沙を筆頭とした失踪した里人たちは全員記憶を失っていたのであった。

しかしそのまま展示するには、現在の状態のままでは少々大き過ぎるという懸念があった。それから永琳は研究に研究を重ね、UFOの小型化に成功したのだ。それが事件から月都万象展開催まで、数か月を要した理由である。

永琳のお礼とは、このUFOの初のお披露目、その立ち会いに参加することだったのだ。当然この世にも珍しいアトラクションに真っ先に乗ることもできる。記憶はないが、面白いのなら構わんと魔理沙は笑いながら言った。

三人の中で一番上手に乗りこなしていたのは、意外にも早苗であった。前々から妙な知識を披露していたこともあるが、彼女はどうやらサブカルチャー方面に特化しているようである。好きこそ物の上手なれ。彼女が一番操縦が上手いというのも、そういう意味では道理だったのかもしれない。

また逆に一番下手だったのは、これまた意外にも霊夢であった。何度説明されても上手に操縦することができない。他のUFOと激突しそうになったことなど、一体何度あったことだろうか。余程の機械音痴なのかもしれない。

あるいは、彼女は元々何事にも束縛されないからか。UFOに乗るということは一種の束縛状態である。彼女の能力と照らし合わせて考えてみれば、そういったことが不得手であるのもまた道理なのだろうか。それでもそれなりに楽しめていたようではあった。

一通り楽しむべきものを楽しんでから、霊夢たち一行は迷いの竹林を後にした。たまにはこうして羽目を外すのもいいかもしれない。三者三様に思うことはあったが、それだけは共通して思ったことだった。

「あー……今日は疲れたわ。ぐっすり寝れそうよ」

「へっ。機械の操縦ってのはデリケートな作業だからな。普段神経を使わないお前にゃ少しばかり重荷だったようだ」

「うるさいな。明日は見てなさいよ、今日のでちゃんとコツを掴んだんだから。早苗にも負けない華麗な動きを見せてあげるわ」

「あ、明日も行くならうちの神様たちも連れて来て良いですか? 結構、こういうの好きな方なんですよ。きっと喜ぶと思いますし」

「俗っぽいな」

「俗っぽいわね」

「……まぁ、確かに」

否定はしなかった。

 

まぁ、でも、と霊夢は切り出す。

「何だかんだ言って、結構面白かったわよね。あんまり期待してなかったんだけど」

「だな。そりゃ人気も出るってもんだぜ」

「確か期間は三日間だけ、でしたっけ? 勿体ないですよね、毎日やればいいのに」

それは誰もが思っている。でも、メリハリをつけなければその面白さも段々と薄れて行くのだ。日常は同じことの積み重ねである。当たり前が当たり前でしかない時、その当たり前はとてもつまらないもののようにしか見えていないのだ。

でも、きちんと緩急を付ければそれは違ったものになる。楽しいことは、素直に楽しいと感じられる。つまらないものでも、もしかしたら楽しく感じられる日が来るかもしれない。日常があるからこそ非日常がある。ケがなければ、ハレの日だってない筈だ。

たった三日間しかないそのお祭りを惜しみつつ、それでも、だからこそそれがいいと少女たちは思った。

だから、そう。

もし、次回があるのなら。

「もし、三回目があったら。……その時はまた、皆で行きましょう?」

その問いに、二人は大きく頷いた。

あとがき

アブダクションと神隠しって、どこか似てると思いません?