ああ、そうだ


俺はそいつが一番嬉しいのさ










  説 話  『小僧が見た緋』





 
 ああ、いやだいやだ。小僧は主が嫌いだった。

 年の近い奉公人たちは、王都一の仕立て屋で働く自分を羨ましく思うのだろう。
 実際、給金もいいし、設備も行き届いていた。
 支給されるブルゾンなんか糊がぱりっと利いているし。
 小僧ひとりひとりに専用のアバカスが与えられているの は王都でもこの店だけだ。
 何より店は大きかった。
 王都一美麗で高価な衣装を取り扱う仕立て屋は、
 「夜会に行くならまずはこの店へ!」
 貴族たちがそんな風に語るほどの大評判である。
 だがその風評こそが、小僧は気に入らなかったのだ。

「ああ公爵さま、ようこそいらっしゃいまし。
 ええ、先日ご注文いただいた山高帽がご好評でございましたか。
 それはそれは大変よろしゅうございました。
 いえ いえ、私めも公爵さまに相応しい商品をご提供できて嬉しゅうございます」

 小僧は貴族が嫌いだった。
 自分の六月分の給金にもなる金貨をぽんと出し、
 「ああ、代金はいくらかかっても構わんぞ!」
 などと威丈高に申しつける態度は気に 障った。
 はん、奴らセンスの欠片もないくせに注文ばっかりしやがって。

「はいはい、紅玉の首飾りがご所望で。
 でしたら、このレイラントのものはいかがでございますか。
 ええ、ご婦人方の評判も請け合いです。
 お気に召しましたら 他のものも取り寄せますよ。
 はは、もちろんお代は勉強させて頂きます、はい」

 そんな腹の立つ輩に、犬のように身を縮める主も小僧は大嫌いだった。
 何だい、旦那ときたら貴族連中に見苦しいおべっかばっかりじゃねえか。
 それでもヴァレイっ子かよ。
 ああ、いやだいやだ。
 こいつらは緋獅子閣下が言うとこ ろの「クソ野郎」だってえのに。
 まだ青いがゆえに熱い若者の大半がそうであるように、年若い小僧も騎士団びいきであった。
 ああ、緋獅子閣下がいればなァ。
 あのひとだったら、こうやって 斜に構えて
 「失せな、金食い虫ども」
 なーんて胸がすっとする台詞を吐いてくれるはずだぜ。
 そんな愚痴にさえも熱っぽさが混じるほど、小僧は英雄の男っぷりが大好きだった。
 ずんずんと大股で歩くさまもいい。
 馬上で揚々と手を振る姿も甲乙つけがたい。
 武骨な黒外套でも古風な陣羽織でも、どんな格好をしていても緋獅子は絵に なった。
 その輪郭はまるで筆でぐいと塗られたように、どこにいても圧倒的な存在感を発した。
 驚くほど小柄な背だとて、群衆の間に埋もれることはないのだ。


『おゥ、ボウズは商人かい』


 あれはいつだったろうか。一度だけ英雄は声をかけてくれたのだ。
 熱に酔った波にもまれていた小僧に、王国一の武勇を誇る英雄はにっこりと微笑んでくれた。
『は、は、はい。ま、まだ使い走りの小僧 ですが、じじ、じ、自分は商人です!』
『はは、よく言った! それでこそヴァレイっ子だなァ』
『は、はい!』
『いいか。立派な商人になるには銭勘定は必須だが、差し引きだけに頼っちゃおしめえだぜ。まァ、頑張るこった!』
 白馬の上で、鮮やかな赤髪が炎のように踊っていた。
 その色に見とれ、自分はしばらく立ち尽くしたものだった。
 ああ、どんな美麗な衣装も、高価な宝石も敵うまい。
 この目に焼き付いた緋色は何より高貴で雄々しかった。
 いつかそのたてがみに似合う衣装を手掛けてみたい。
 自分が誂えた陣羽織にそでを通し、颯爽と身を翻す英雄の姿を拝んでみたい。
 そう夢に見るほどに小僧は ウィリアム・ロビンに心底ほれ込んでいた。
 だからこそ、小僧は主の性根が嫌でたまらないのだ。

「いやいや、自分はただの一商人に過ぎません。
 そんな、公爵さま直々にお褒め預かるなど恐縮です。
 まことに、まことに、おありがとうございます!」

 ぺこぺこと頭巾がずり落ちるように首を振って、その卑屈さはまるで乞食のようだった。
 ああ、いやだいやだ。
 旦那ときたら、そんなに金が大事かよ。
 閣下 だって「銭勘定だけじゃいけねえ」って仰ってるのによォ。
 けっ、と内心つばを吐きながら小僧は主を蔑んだ。
 そうやって嘲らなければ、雇われる自分の身が惨めでならなかった。
 貴族に尾を振る同類と思われるのが嫌 でたまらなかったのだ。

 はん。俺は絶対にこんな金狂いにァならねえぞ。
 見てやがれ。こんな店とっととおさらばしてやるぜ。

 そうやって小僧は主を嗤い、英雄を慰みにして日々を過ごしていた。

 そう、あの日までは――








 取り立て何事もない、普段通りの日だった。

 いつもと同じように貴族連中の態度に辟易し、いつもと同じように卑屈な主の態度を小馬鹿にする。
 それは小僧にとってはありふれた一日だった。
 朝から客の応対に追われ、気がつけばもう陽は傾いていた。
 息つく暇もなく懇意の両替商への言伝を命じられ、店を飛び出すと外は夕靄が立ち込めていた。
 小用を済ませた頃にはすっかり夜である。
 「そのまま帰ってしまっていいぞ」とは言われていたが、自分のアバカスを置き忘れてきたのを思い出して、小 僧は店に踵を返した。
 いけねえいけねえ、あの口うるさい番頭にまた叱られちまう。
 そう溜息混じりで戻った店には、果たして人の姿はなかった。
 年少の奉公人どころか、最後に店を閉めるはず の番頭すら見えない。
 無人の店内で小僧は頭をひねった。
 何だよ、これじゃまるで葬式だ――


「……本当に……ございま……」


 と、聞き覚えのある声がかすかに洩れた。
 何事かと耳をそばだててみれば、それは店の奥、商談に使う小部屋の方から聞こえてきた。

「本来なら……伺うべきところ……わざわざ……恐縮でございます」

 途切れ途切れだったが、すぐに正体は知れた。
 自分が何十何百編と嗤った文句。
 それは主の見え透いた世辞だった。
 そんな言葉が出る場といえばひとつしかない。
 小僧はぴんときた。
 はーん。さては旦那の野郎、密談の真っ最中か。
 なるほど、貴族の太鼓持ちならばこの手の話は珍しくない。
 人目につかないようにと人払いをしたのも頷け た。
 それなら、この際どんな悪事か拝んでやるか。
 ああ、場合によったら騎士団に届け出てやろう。
 小僧は義侠心半分、好奇心半分で近づいた。
「――いえいえそんな楽になど、滅相もございません!」
 声がしっかりと聞き取れる距離になって、小僧はふと違和感を覚えた。
 おや、普段こんな声だっただろうか。
 文言は同じはずなのに、その響きは単なる社交辞 令を越えた、とても真摯なものに聞こえたのだ。
「ええ、商いは信用がすべて。増長しては商売人失格でございます」
 それに旦那がこんな態度を取るなんて、相手は一体どんな野郎だ。
 興味を惹かれた小僧は、つい扉の隙間から室内を覗きこんだ。
 さあ、そのツラじっくりと拝んでや――


「はは、お前の律儀さは昔からだなァ」


 あっ、と思わず声が飛び出そうになって小僧は口を押さえた。
 な、何で、何であの人がここにいるんだ。
 見間違うはずなどない。
 何度も夢に見た人物、憧れの英雄がそこにはいたのだ。
 信じられない、こんなのありえない、と再度小僧が目をこらしたときだ。
 いつかと同じ陽気な声がその耳朶を叩いていた。
 ああ、そういえばお前は小僧の時分から、銀貨一枚 だって貸しは作らなかったっけ。
 まァ、分かっちゃいるがよ、それにしても少々固すぎだぜ。


「俺らはダチだろう? そんな悲しい態度を取らねえでくれや」


 網膜に張りついた鮮やかさが蘇る。
 炎のような赤髪を震わせて呵々と笑ったのは、誰であろうウィリアム・ロビンその人だった。
 小僧は今度こそ口を両手で覆った。
 「ひ、ひひ、ひええ」と指の間から、引きつった息がこぼれる。
 とっさに押し殺しはしたが、飲み込んだ分だけ悲鳴は小僧 の頭に遠慮なく吹き乱れていた。
 どど、ど、どうして緋獅子閣下が……。それにダチって一体何の冗談だよ……!
 暴れ狂う疑問符に思考を奪われながらも、これは見逃してはなるまいという直感が体を自然に動かした。
 いまにも崩れそうになる膝を何とか浮かせ、小僧は隙 間へとにじり寄った。


「もったいないお言葉でございます。私をまだ友と仰って下さいますか……」


 やはりいつもと違う。
 表情が見て取れたところで、小僧は改めて思った。
 こんな旦那の顔は見たことがない。
 嬉しそうに、誇らしそうに、それでいて申し訳な さそうに主は微笑んでいたのだ。
 ああ、頂いたご恩も返せない不忠者を……まこと痛み入ります。
「六年前、騙し取られかけた店を、閣下は悪漢どもより奪い返してくださいました。それだけも大恩ですのに、大アクラル各地のつてまでご紹介くだされ て……」
 主は頭を下げた。
 卑屈さに身を縮めるのではない。それには心の底からの感謝がにじみ出ていた。
「おかげさまで商いは順調と相成りました。これもすべては緋獅子閣下のご助力のたまものでございます」
 ありがとうございます、ありがとうございます、と頭巾は一向に上がる様子がない。
 と、小僧は思わず目を見張った。
 苦笑しながらウィリアムが取ったのは大げさに肩をすくめる動作。
 それは伊達者の緋獅子がおどけるときのくせだったから だ。
「はて“ご助力”ねえ。そんなことしたったっけかなあ」
 素知らぬ顔のウィリアムはぽりぽりと鼻の頭をかくばかりだった。
 おっかしいなあ。俺ァ自分の仕事をしただけなんだがなあ。
 メゾネア商会の件だって、向こ うさんと単なる世間話しかしてねえんだがなあ。
「ああ、昔馴染みのダチとの思い出話、それだけさ」
 ようやく顔を上げた主に、緋獅子閣下は群衆を魅入らせる最高の笑顔を浮かべてみせた。
「閣下……!」
 主の目が潤む。
 何度も言葉を詰まるたびに目尻の玉は膨らみ、しまいには透明な線となってその頬にこぼれた。
 ひょうきんに表情を変えながらウィリアムは続けた。ま、ひとつ予想外なこともあったが、なァ。
「ダチは想像以上にやり手で有名になっちまった。おかげで、茶飲み話ひとつするのにもこそこそ隠れなきゃいけないハメになる」
 ああ、評判になるのも考えものだぜ、とウィリアムはこれ見よがしに大きく息をついた。
 その芝居じみた動きに誘われたのか、涙を拭った主は「ええ、お互い に」と笑顔で応えた。


「……本当に、本当に閣下は昔から変わりませんな」

「これでも少しは変わったさ。ほら背だって、ほんのちょっとは高くなったぜ。拳ひとつ分ぐらいはな」


 明るい声が室内に響く。
 何の取り繕いもない笑顔、それは間違いなく心を通わす友人同士のものだった。
 こんな、こんなふうに旦那も笑えるのか。
 なぜだろう。小僧は胸に熱いものがこみ上げるのを感じていた。
 ああ、憧れの英雄が目の前にいるというのに。
 あれだけ恋い焦がれたというのに。
 どうして自分はそれよりも主の笑顔に惹かれて いるのだろうか。
「おお、もうそろそろか」
 と、小僧の視界の端で黒陣羽織の裾がひるがえる。
「元気な顔を見れてよかったぜ」
 別れの挨拶代わりにとウィリアムは片手を差し出していた。
「お名残り惜しゅうございますが、ご多忙とあれば仕方がありませんな」
「ま、ひとり四の五のうるさい奴がいるんでな。あんまり遅いと叱れちまう」
 放蕩者と呼ばれたかァねえしな。変わらぬ緋獅子の口ぶりに主は苦笑した。
「はは、鷹殿が相手では私も無体な真似はできませんね」
 ではせめてこれを、と主は懐から革袋を取り出した。
 ウィリアムの手の中にそれを納めよう、と――


「……おい」


 低い声とともにすっと手は引かれる。
 とたんに、小僧は息を呑んだ。
 暗い。暖炉の火さえもが、にわかに絶えてしまったかのようだ。
 そこには、もう弾けるような明るさはなかった。
「こいつは何だ」
「い、いえ、せめてもの心付け程度と……」
 ぎろりと剥いた金眼が主をにらみ上げていた。
 主の声が上ずったのも当然だろう。
 こうして脇から覗く自分でさえ、緋獅子の剣幕は皮膚にちりちりと刺さる火傷のように感じられるのだ。
「……ンなこたァ訊いちゃいねえ。何のつもりでこいつを出したのか、俺ァ訊いてるんだ」
 それは万軍を、逆賊を、魔物さえもねじ伏せる緋獅子の覇気だった。
 じりと近づく赤髪に主の額から汗がつたい落ちる。
 そのさまを見つめる小僧もまた汗ばんでいた。口の中がどんどん乾いてく。
「いいか……俺はダチの首に鎖をつける趣味はねえ」
 ウィリアムは剣の視線を浮かべたまま、ゆっくりと続けた。
 ああ、単純な差し引きだけで考えりゃ、人間なんて簡単になびきやがる。
 どいつもこいつも薄っぺ れえ。金に踊らされてばかりだ。
「だがな――」
 と、そこで一度顔を落としてウィリアムは声を絞り出した。
「俺らはダチだろう。貸しも借りも作らねえ、対等な関係だろうが……!」
 小さな背は震えていた。
 言うな。そんな悲しいこと言うんじゃねえ。
 そう、繰り返す姿は小僧が知る英雄のものとは違うものに見えた。


「……ウィル、私は自分が嫌でたまらないんだ」


 主は英雄でなく友の名を静かに呼んだ。
「……昔は君と同じだった。一緒に王都中を駆け回ったり、肩を組んで夢を語り合った。同じ時間を過ごす、私たちは間違いなく親友だった」
 なのに、いまの私ときたらどうだ。
 改まった態度に小僧は目を見張った。
 自嘲げに顔を歪める主の言葉、それは自分が何十何百と吐き捨てたものと同じだった のだ。
「商いのためとはいえ犬のように貴族連中に尻尾を振っている。それも嫌でたまらなかったはずなのに、いまでは普通にできるようになってしまった。ああ、英 雄と称えられる君に比べれば、薄汚い犬のようじゃないか」
 懺悔するように頭巾はうなだれた。
「私は自分を許せない。だから、だからせめて――」
「金ぐらいは、か……」
 ハッと顔を上げた主にウィリアムはもう一度「言うな」と同じ台詞を吐いた。
 だが、表情は違った。
 群衆を魅せる笑みでもなく、
 敵を怯ませる意気でもなく、
 不器用に、苦笑するように、
 ウィリアム・ロビンは顔を歪めたのだ。
「……覚えているか。まだガキだったころ、他愛のない言い争いになったとき、俺は『アクラル一の英雄になってみせる!』なんて似合わない見栄を切った。それに 張り合ってお前さんが何て返したのかを、さ」
「……覚えているさ。忘れるはずがない」
 同じ記憶をたどりながら、向きあった二人は声を合わせた。





『――なら俺はアクラル一の仕立て屋にな る!』



 

 しばしの沈黙の後、ぷっと二人は噴き出した。
 くつくつと押し殺した笑い声が二つ洩れる。
「……だからよ、そういうことさ」
緋獅子は晴れ晴れとした表情で友を見上げた。
「騎士団なんて結局は人殺しだ。救われる奴もいるだろうが、それにしたってほめられたもんじゃねえ。立派に生きている人間がいて初めて、俺は自分の仕事に 胸を張れるんだ」
「……ウィル」
「俺はアクラル中の悪党をぶっ潰してる。お前さんは王都で評判の仕立て屋になった。だからそれだけでいい。金なんかいい。そんなことよりも、ダチが昔の約 束を守って立派にやってくれている。ああ、そうだ――」







 俺はそいつが一番嬉しいのさ。







 今度こそ、ウィリアムは友に向ける最高の笑顔を浮かべていた。
「ウィル……ありがとう」
 主、いやそれと向き合う友人が同じ最高の笑顔で応える。
「ま、でも確かに重荷に思われたんなら、それも申し訳ねえ話だ」
 と、不意にウィリアムはこれまで所在なかった革袋をひょいとつかみ上げた。ああ、ならひとつ頼まれちゃくれねえか。
「もうすぐ謝霊祭だ。たまの休みならってことで、うちの団員たちにも暇をやるつもりなんだが、ここでひとつ問題がある。野郎はいいだろうが、女たちはよそ いきひとつもないと晴れの場じゃ気後れしちまうもんだ」
 くりくりと金眼を踊らせて、おどける緋獅子はいつもの調子だった。
「部下思いの団長サマとあれば、是非とも面倒見てやりたいところなんだが、俺ァそういうのにはからっきし不得手でなァ。で、だ」
 小さな手が革袋を差し出す。
 それを恭しく受け取ったのはいつもと同じ、王都一と噂される仕立て屋の主人だ。
「……ふふ、承知いたしましてございます。必ずやご満足できる品をご用意いたしましょう」
「おお、ご自慢の腕前を拝ませてもらうぜ」

 二人の友は笑った。

 王国の英雄が笑う。王都一の仕立て屋も笑う。

 その二つの笑顔を視界いっぱいに焼き付けて、小僧も同じように笑っていた。








 あの日から小僧は変わった。

「ああ伯爵さま、ようこそいらっしゃいまし。
 いえいえ、お褒めのお言葉などもったいない。
 私は仕立て屋としての仕事をしたまでです、はい」

 今日も店には必要以上にへりくだった声が響いている。
 王都一と評判の仕立て屋の主。
 それはかつてその態度を嗤った小僧だった。

「ほうほう、夜会用の燕尾服にあつらえる胸飾りですか。
 でしたら、こちらの古王国の真鍮製のものがいかがかと……ああ、よくお似合いで!」

 緋獅子の言葉を聞いて以来、小僧は遮二無二働くようになった。
 とことん嫌ったおべっかも、追従笑いさえも進んで身につけた。
 気づけばその仕事ぶりを見込 まれ婿養子として迎えられたのだ。

「ありがとうございます。おありがとうございます。
 今後ともご贔屓のほどをよろしくお願いいたします!」

 ぺこぺこと床にこすりつけるように頭を下げるなど、かつての自分からは想像もできない姿だろう。
 だが、それもいまでは何の抵抗もなくできる。
 あ の日見た笑顔を思い変えせば、ちっぽけな自尊心などどうだってよかった。
「……旦那ァ、いけ好かない貴族相手に何でそんな態度を取るんですか?」
 生意気に口を尖らせたのは、下働きの小僧。
 彼も昔の自分と同じ、主の卑屈さを内心小馬鹿にしているのだろう。
「……ワケ分かりませんよ。どう見たって旦那のやり方はおかしいです」
 ああ、最近の小僧ははっきりと物を言うようになったものだ。
 苦笑しながら、それでも主はかつての自分を見るようで微笑ましかった。
「……あそこの古ぼけた陣羽織にしたって、何のために置いてるのか……」
 小僧が指を差したのは、店の一番目立つ場所に飾られた額だ。
 中に収められているのは自分が店を継ぐ記念にこしらえたもの。
 そう、もはや意味はないと は分かっていたが、どうしても作らずにはいられなかった品だ。
「ああ、あれはね、ちゃんと意味があるんだよ」
「その通り。いい機会だ。教えてやったらどうかね」
 と、自分の加勢に来たのは先代の主、かつて自分が嗤った主人だ。
 ああ、そうですねお義父さん。一線を退いた義父に若旦那は微笑んだ。


「あの陣羽織はね、あるお方のためにあつらえたものさ」

「あつらえた、って誰も取りに来やしないじゃないですか」

「いやいや、取りに来る者がおらぬとも、あれはその方のためのものなのだ」

「わっかんないなあ。旦那も大旦那も」


 小僧は相変わらず納得がいかない顔だ。
 やれやれ、これでは話を進めるのに苦労しそうだ、と苦笑する主を先代が目を細めて笑った。
「ふふ、かつてのお前を見るようだのう」
「やめて下さいよ、お義父さん。さ、アバカスは置いて。これから話してやるから、よくお聞きなさい」
 もはや誰も袖を通すことのない小さな陣羽織を眺めながら、主は晴れ晴れと笑った。

 ああ、教えてやろう。

 かつて英雄と謳われたひとと、その友人。
 そしてひとりの小僧の話を――












≪解説≫

「王都市民」
 オベロンでの王都市民の最大の特徴は、騎士団びいきというところです。
 特にウィリアムに対しては熱狂的で、支持する者たちは実に王都市民の八割以上にも上ります。
 洒脱な講談師を始めとして、目に見える形で喝采を送る人々もいれば、この文中の仕立て屋主人のように心の奥で応援している人々もいるのです。
 彼らはウィリアムに何かあったら、暴動を起こしかねないぐらいの連中です。まるでフーリガン(笑)
 まあ、騎士団は建国から続く、根っからのヴァレイっ子でもありますから、現実の働きとは別に郷土愛のようなものも手伝っているのでしょう。ここんとこもやっぱりフーリガンちっく(笑)
 その点については下記で別に説明しますが、ここでちょっとぶっちゃけ本音。

 この話、ただの平民が書きたかっただけなんです、しょーじき(汗)
 いや、確かにゲームでは彼らは汎用グラの通行人でしかありませんよ。
 でも、ゲフ兄としては騎士団の話を書くためにはその周囲、彼らを取り巻く普通の人々もやっぱり気になってしまうワケなんですよ!

 平民たちは騎士団をどのように捉えていたのか。
 騎士団は平民たちにどのように接していたのか。
 平民たちと騎士団はどのような関係を築いていたのか。

 そんなことを考えていると書きたくなって仕方がなくなってしまった、というワケです。
 ええ、分かってます。なんにでも手を出すのは自分の悪いクセです、ハイ……(汗)
 あ、ちなみに「アバカス」とは西洋そろばんのことです。フランスではいまでも土産物屋とかで普通に売ってます。


「英雄ウィリアム・ロビン」
 この説話のテーマはふたつ。「平民視点」と「英雄像」です。
 ご覧になってみれば分かると思いますが、ここに出てくるウィリアムは本編とは少し違ったふうに書いています。
 友人に哀願し、弱音をはき、どこか人間くさい。
 言ってしまえば、普通の友人関係を求める「非英雄」な姿が特徴です。
 これが何の表れなのかは、いまは秘密にしておきます。でっかいネタバレなので……
 ただ「英雄」とは、それが望まれるだけの舞台がそろい、それを後押しする人間たちがいて初めて生まれる、ということだけは言っておきましょう。
 ナポレオンもジャンヌ・ダルクも、あのヒトラーでさえも多少の差異はあっても図式は同じですしね。
 
 ……あ、いま気がついた。すでに文中で思いっきりネタバレしてるじゃん!(笑)