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――おや、これは珍しいお客様ですな。
ああ、筆立ての中から失敬。
どうも、お初にお目にかかります。
わたくしは一介の筆墨。
方々からは『緑翅の筆』と呼ばれております。
説
話
『古筆の語り』
ええ、『緑翅の筆』でございます。
はは、とんだ大層な名前と自分でも恐縮しておりますが、これとて自ら名乗った覚えはございません。
すべてはこの――そう、この身にあしらわれた尾羽が由縁です。
さ、是非お近くでご覧を。どうです、綺麗なものでしょう?
蝶のごとく光沢を持った羽。緑地に藍の楕円模様。
ええ、これはわたくしの自慢でしてね。
かつては空の貴婦人と謳われた、翠鵬の尾羽でございます。
燕雀を婢とし、蒼穹を優雅に舞う女王。しかしそれも過去のこと。
美しさゆえに狩り尽くされた後となっては、この尾羽こそが女王が遺したる昔日の一羽というわけですな。
はい、嘘騙りなくこれが最後の翅翼でございます。
他のものはすべて蝋で拵えた模造品。
三等文官が数多く下賜されるものの中で、唯一わたくしのみが真の『緑翅の筆』というわけなのです。
はは、初代さまには感謝しなければいけませんな。
ご両親が誹りにも屈さず守り続けた故郷の品を、あの方が血族の誇りと携え続けたがためにわたくしの今日はあるのですから。
ああ、ご存知ではありませんでしたか。
そう、まだ冠位も定められていなかった建国時、誰よりも早くおのれの立場を示した軍務書記官。 その者の愛用品こそが現在の文官の証となったことを。
おかげで、わたくしは王国有数の由緒正しい身分、というわけです。
三百年余りの歴史を誇る騎士団、その監査役たる軍務書記官に引き継がれる古筆。
それこそが、わたくしめのお役目にてございます。
と、偉そうに申しましたが、実際華々しさとは無縁。
わたくしが経たこれまでの変遷を見ても、とても胸を張れるものではありませんがね。
物珍しいだけの文具が戦場に駆り出されたのが契機。
初めは初代さまの懐にて、砂塵やら血煙やらと戯れる毎日でございました。
その後数十年、ようやく血なまぐさにも慣れたと思ったら、今度は筆立てに置いていかれる日々でございます。
もちろん二代目以降のご主人さまからしてみれば、わたくしは国王陛下の賜品。 大事あっては不遜、と考えるのも道理でしょう。
しかし、ひとり机の飾りに追いやられ、あげく埃をかぶるだけとは、筆としては悲しい限りでございます。
気がつけば、わたくしの来歴を知る者もいなくなり華の舞台である口頭論述にすら、とんとお呼びがかからない。
そんな日々が幾星霜。 正直、鬱屈を通り越して、諦念すら覚えておりました。
ですから、いまのご主人さまには感謝しているのです。
初代さまとどこかお人柄は似ておられるのも結構。 わけても『緑翅の筆』をただの飾りとしないことには、懐かしさとともに感動すら覚えているのです。
文具としての働きは元より、それこそ鉄火場から戦場まで常におそばに置いてくださる。
ええ、これこそ『緑翅の筆』 これこそがわたくしのお役目です。 いやはや、こんな日々が二度とは来ないと思っていただけに感慨もひとしお、というわけで
す。
まあ、冷や汗をかくこともたまにはありますがね。
いつだったか、火の粉が舞う戦場に飛び込まれたことがございましたが、あのときは本当に肝を冷やしました。 全身煤まみれの上、ご自慢の広つば帽
まで焼け落ちるという有様。 あれが自分だったらと思うといまでも怖気を感じます。
しかし、それも軽挙妄動ではございません。 すべてはご自身も戦士たらんとする覚悟がため。 ああ、この方は倫理というものをまことに体現されていらっしゃいます。
……ただ、厳格ゆえ融通が利かないのが玉に傷、でございますがね。
ええ、さきほども無理難題を呑まされて、こめかみを震わしていらっしゃいました。
まったく、団長閣下にはご自重いただきたい限りです。
そちらは笑ってどこ吹く風で結構でしょうが、こちらは御主人さまの手の中。 押し殺した怒りで握られては、わたくしの細い体はめりめりと悲鳴を上げるばか
りです。
ええ、この際ちょっと言わせていただきます。 報告書やら始末書やら、最近は筆墨の出番は増えてばかりです。 もちろん本分を果たすわたくしは構いません
が、ご主人さまの心労はどうか慮っていただきたい。
ご存知ですか、あの方は鏡に映った自分の姿にため息をついておられるのです。 「ああ、また皺が深くなった」とか 「ふう、どうしても隈が消えないな」とか それはもう見え
ないところで色々と悩んでおられるのです。
軍務書記官は日陰の仕事。 それは初代さまのときから変わりませんが、少しは心に留めて欲しいものです。
そう、捨て置かれ、忘れ去られることこそ恐怖。
ひと、ものに限らず、忘却こそが真の死を与えるのでございますからな。
おっと――どたどたと覚えのある足音が聞こえてまいりました。
おお、これはこれはご主人さま。まあまあ、随分と怖いお顔で。
やや、その手の大量の羊皮紙は…… はあはあ、なるほど。また団長閣下がでございますか。
それで、新しい油煙墨の瓶を開いたということは…… はいはい、もうみなまで聞くますまい。
ああ、申し訳ございません。筆はお呼びがかかってしまいました。
卒爾な挨拶から始まっておきながら、別れも締まりがないという体たらく。
いやはや、心痛の至り、慙愧に堪えません。
しかし、これもすべては「緑翅の筆」がお役目のため。どうかご容赦いただきたい。
続きはまたいつか改めまして。
この古筆の四方山話でよければ、いつでもお呼びくださいませ。
では、そのときまで――どうぞ御機嫌よう。
ああ、ご主人さま。 もう少し力を抜いてくださいったら!――

≪解説≫
「軍務書記官」 オベロン騎士団を「団長の出自は異民族」と妙にひねった設定にしたのが始まりです。 元々は敵だったのだから、そんな簡単に権限は与えられないな、と。それなら厳格な法制はもちろん、監査役も置くのが自然だろうな、と。そんなゲフ兄の愚にもつかない妄想から「軍務書記官」は誕生しました。 この役職はれっきとした団員でありながら、王国の官職も有する文官という不思議な立場です。 まあ、簡単に言ってしまえば、コレ王国の「スパイ」なんですよね。
お前ら、騎士団が勝手なことしないように見張ってなさいよ、と。 ちゃんとマジメに仕事してるかチェックしときなさいよ、と。 反逆とかヤバそうなことしそうなら、報告しなさいよ、と。
そうした一種の監視装置が「軍務書記官」であり、その報告をする場が「口頭論述」ということです。 古今東西の歴史を見ても、植民地や征服した土地の人間を兵士として登用する場合には、この手の用心は必須なワケでして、ゲフ兄も足りない頭で考えてみたワケです。 まあ、そう言っても時間がたてばもう異民族なんてすっかり忘れられて、ウィリアムの時代には形骸化していますがね。 今じゃ、ただの事務屋(笑) 哀れ鷲鼻さん合掌!(笑)
余談ですが、これらの考えはガリア人を積極的に登用した、ローマ帝国のユリウス・カエサルの軍事方針をモデルとしています。 残念ながら、良いとこ取りの穴だらけになってる感は否めませんが……(汗)
「緑翅の筆」 文中で述べた通り、元はただの筆です。 まだアクラル王国ができる前に、後にオベロン騎士団初代団長となるラッセル・ロビンの監視役をしていた文官が持っていたものです。 で、建国後、初代軍務書記官になった彼の筆が王さまの目に止まり、それが彼の立場を示すものになった。ついでに王さまは筆の色で官職の位階を定めちゃった――というわけです。 一応、代々の軍務書記官に受け継がれる由緒正しい筆です。 まあ、途中約百年間は机の肥やしになってはいましたが…… これも「軍務書記官」の本来の役目と同じく、半ば形骸化してしまった形ですね。
余談ですが、あー、ラッセルと「初代さま」の話は王国建国前後の経緯に沿って、簡単にですがいつか書く予定ですので、あれこれ想像してもらえると面白いかもしれません。ちゃんとウィリアムの話にもつなげるつもりですし。
更に余談。 「緑翅の筆」はイリメモ内に自然に置かれています。 あくまでゲフ兄の脳内イメージなので、想像もできないかもしれませんが…… 一応アレ「筆」のつもりなんです……(汗) いわゆるアレ↓  ……魚じゃないやい!
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