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8畳のリビングルームに置かれた大きめのソファ。それに腰掛けた龍麻の膝の上に、
小蒔の身体がちょこんと乗せられている。

「小蒔、いーにおい」
「んぅ……ちょっとひーちゃん、くすぐったいってば」
龍麻の両腕は苦笑しながら身を捩る小蒔を逃がさないよう、巻きつくように小蒔の
お腹に回されている……どう見ても甘やかな雰囲気の恋人同士であり、事実その通り
だった。
「だーめ、逃がさない。……小蒔の匂い、大好きだよー」
ボクってそんなに匂うかな、ちゃんとおフロ入ったよね……と内心少し焦りつつ、自分
の首筋や肩、時々耳のあたりで「ふんふん」と鼻を鳴らす龍麻の、その美貌に似合わない
仕草にクスクス笑いが漏れる。
今の状態では見えないが、きっと嬉しそうな顔をしているんだろう。
そんな彼女の笑いが伝わったのか、不思議そうに顔を上げた。
「どしたー?」
「うぅん、何でもないよ……ちょっと、葵に悪いような気がして」
「そーいやお前らって、俺が転校してきた時から葵とくっつけようとしてたよな……
 人の気も知らないで、さ」
一転、ふてくされたような声音と共に首筋に吸いつかれて、思わず甘い声が漏れる。
それに気を良くしたのか、ちゅうっと音を立ててきつく吸う龍麻に、抗議の声を上げる。
「やぁっ……ん……跡、ついちゃうよォ」
……が、甘く融けた声では逆効果というものだ。面白がってしばらく吸い続けた。
柔らかい唇と熱い息の感触に背筋をゾクゾクさせながら、(昔はもっと冷たくてヤな奴
だと思ってたんだけどなァ……)と、龍麻が転校してきた日の事に思いを馳せた。

妖艶な美貌の女教師マリアに連れられて教室に入ってきた彼は、極端に平坦な態度
だった。
「学園の聖女」とまで呼ばれる親友の葵に優しくされても浮かべる表情は多くなく、
ことさら明るくおどけて声をかけた自分や京一、アン子、挙句にミサに至るまでが
声をかけても……当時不良のリーダー格だった佐久間に睨まれてさえ、彼の平坦な
態度は変わらなかった。

ハッキリ言ってキライなタイプだ、と早々に興味を無くしていた放課後、何気なく
廊下から視線を落とした先……体育館の裏で佐久間のグループに囲まれている龍麻
の姿を見た。
さすがにまずいと思ったものの、すぐに近くの木の上でそれを眺めている京一と、
物陰から様子を見ている醍醐と葵に気づいた。
性格に少々問題があるとはいえ、木刀バカと言われる程度にはケンカ慣れしている
京一や、佐久間も頭の上がらない醍醐がいれば、ちょっと殴られて痛い目を見る
くらいで済むだろう……普段の自分ならその場に飛び込んででも止めるだろう状況
でそんな事を思ったのは、やはり龍麻への不快感があったためだろう。
……だからこそ、京一の手助けをほとんど必要とせずに佐久間と取り巻き数人を
倒した彼には驚かされた。
殴り合いをする時でさえ顔色を変えない事に対して更に苛立ちは募ったが、龍麻
の流麗な体捌きはそれを超える衝撃を小蒔にもたらした。

人間を相手にする訳ではないとはいえ、彼女も武道に身を置く者。あんな動きを
するのが自分と同じ人間だとは思えない……と感動に近い感情すら覚え、さらに
次の日、醍醐すら彼に負けたらしいとアン子から聞かされた時には、「どうして
ボクも呼んでくれなかったのさ!」と京一に噛み付くところだった。
断じて醍醐が負ける所が見たかったのではなく、あの……「戦う」と言うには
あまりにも美しすぎる龍麻の姿を、もっと間近で見たいと思ったのだ。

……まぁその願いは思わぬところで叶ってしまい、以来いろいろととんでもない事件
に関わる事になったのだが、その過程で緋勇龍麻という人間が最初の印象とはまるっ
きり違うのだと思い知らされる事になった。
自分と同じ塩ラーメンを美味しそうにすすったり、骨董屋で物珍しげにキョロキョロ
したり、身勝手な発言をする者に眦を釣り上げて激怒したり、自分をかばった人の死
に涙を零したり、自分たちの水着姿に真っ赤になったり、ちょっとした買い物にも
楽しそうに付き合ってくれたり、幼い少女の境遇に哀しみながらも微笑みかけたり、
修学旅行を全力で満喫したり、夜祭のヒーローショーに夢中で見入っていたり、国民
的アイドルを平気でラーメン屋に連れて行ったり……。
想いを募らせる親友には悪いと思いながらも、本当の彼を知るたび好きになっていく
のを止められなかった。

だからこそ、あの日……目の前で凶刃に貫かれ倒れ伏す姿には気が狂うかと思った。
ベッドの中で目を覚まさない龍麻を見つめながら、生まれて初めて人を……柳生を
殺してやりたいと漲る陰の気に身を浸していた。
人を怨み、世を憎み、全てに狂った挙句鬼に堕ちる者…鬼道衆の気持ちを理解しそう
になった時、龍麻が目を覚まして自分を呼んでくれた。
病み上がりだろうに「心配かけてごめんな?」と抱き締めてくれた瞬間、変生の寸前
まで膨れ上がっていた陰気は何処かに消え去って、喜びだけが自分を満たした。

この人と一緒なら、何があっても何をしても後悔しない……凶津に誘拐された時も、
佐久間に殴る蹴るされた時も、必死で守り続けた純潔を捧げながら、生まれて初めて
「女で良かった」という想いに涙を流したもので……

「こぉら。なにボーっとしてんの?」
自分の膝の上で遠い目をしていた恋人に痺れを切らした龍麻が「あむっ」と首筋に
噛みついた。
「ちょっ、ひーちゃ、痛いいたいイタイってば!噛むの反則!ロープロープ!」
「う〜!ほまひはおえをむひふるはらは!(小蒔が俺を無視するからだ!)」
「してないしてない!無視してないって!ひーちゃん大好き!愛してる!アイシテル
 から許して!ギブアップするからお願い!クセになっちゃったらボク困るぅ!」
痛いのが気持ち良くなりそうになってきた頃、ようやく噛むのを止めてくれた。
「……ったく!人が必死に慣れない事言ってんのに全然聞いてないなんてありえない
 ってぇの!」
(痛いのもちょっとイイかも……)と荒い息をつく小蒔をヨソに、龍麻はブツブツと
文句を言っている。仕方なく苦笑しながらご機嫌を伺ってみる。
「ごめんひーちゃん、ちょっと考え事しちゃっててサ。……で、何だったの?」
「……なんでもない」
「ちょっと、『なんでもない』であんなキツく噛まれたボクの立場って一体ナニ!?」
「フン、いまさらキスマークのひとつやふたつ」
「これキスマーク!?どー見たって歯型だろッ!?」
「むー……分かったよ」
拗ねたように言うが早いか再び小蒔の首筋に顔を埋め、自分がつけた歯型を今度は
ぺろぺろと優しく舐め始めた。

「……だからさ」
新手の愛撫に蕩けそうになっている所に龍麻の小声が耳に届いて、意識をハッキリ
させた。ここでまた聞き逃したらヒドい目に合いそうだ。
「……なぁに、ひーちゃん」
「えっと……そろそろいいんじゃないかな、って」
「あ……もうベッド行く?」
「じゃなくて!いちいち混ぜっ返すなよ」
小蒔に全然そんなつもりはないのだが、からかわれたと感じるらしい。
優しく笑ってから、そっと手を握ってやる。
安心したように呼吸を整えた龍麻が、今日何度目かにぎゅうっ、と小蒔をきつく抱き
締めて、少しだけ上ずった声で呟く。

「そろそろ、俺たちも……結婚……したいなぁ、とか……思ったことない?」

……つくづく人間っていうのは長く付き合ってみないと分からないなァ……
そんな事を想いながら、溢れた涙に女の喜びを噛み締める小蒔であった。

                                    ☆Fin★