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2025年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
クラウスのお髭に興奮しちゃうマーカス・ロウ警部
もすん。マーカス・ロウ警部はぬいぐるみのような感触に起こされた。
さわさわ。くすぐったい。うちの毛布、こんなに毛は長くない筈だけど。
思いながら手を伸ばす。
ぺたり。人の体。双子の兄は夜中に仕事だと出ていっていた。マーカスはそれを行ってらっしゃいと見送った。ならば、これは。
「くらうふひゃん?」
「起こしてしまいましたか、申し訳ない」
恋人に違いなかった。
夜中である。眠い。目が開かない。
マーカスは頑張って目を開けるふりをしながら、恋人に抱きついた。
まだ二十代の恋人は、ぴちぴちのお肌に鍛え上げられた筋肉が詰まっている。マーカスはその体を撫でながら寝るのが好きだ。
たまに撫ですぎて眠るどころではなくなるが、それでも止められない。
そろそろと背中に腕を回し、肩を撫で、襟足をじょりじょりして、最後に頬を……じょり。
おや?
マーカスは首を傾げた。頬を撫でたつもりだったが、間違えただろうか。
クラウスの可愛い耳朶を優しく撫で、そして頬へと……じょり。
「クラウスさん、どう、し」
ぱちりと目を開けると、そこにはマーカスの可愛い年下の恋人。裸なのはいい。一緒に寝る時はいつもこうだ。家に上がり込んで布団にまで潜り込んでいるのもいい。合鍵は渡している。
しかし、前回愛し合った時は、こんなに長い髭は生えていただろうか。
マーカスは両手でクラウスの頬を包み込んだ。
前回セックスしたのは昨夜。いかな男性ホルモンの強いクラウスでも、一晩でこの長さは伸びない。
何事だ、とマーカスは眉尻を下げた。
「事件は、解決しました。これはただの副作用です。体に影響もありません」
「そう、なの」
なら、いいけど。マーカスは指でクラウスの頬を、正確には髭を弄んだ。心配事がないのなら、この珍しい姿を堪能しなくては。
髪質よりも固めの髭は、しかし長さのせいで柔らかい。
「ふふ、一〇年後……二〇年後かな? こんな姿も見れるのかな」
「今は似合いませんか」
「そんな事はないけど……駄目。格好よすぎるもの」
ちゅ、と音を立てて頬にキスをする。
髭をかき分け、唇にも。反対の頬。鼻の頭。
「んわっ」
さて唇にもう一度と狙いを定めていたら、クラウスに抱き寄せられて、布団を背中に押し倒された。
「くら、っん……」
クラウスから、先程の触れるだけのキスとは違う、深い口付けを求められ、マーカスは素直に受け入れた。角度を数度変えながら、ちゅぱちゅぱと舌を絡め合う。
口付けが深くなるほど、頬を赤毛が擽っていく。
「くすぐったい」
呼吸の合間に笑い声を漏らすと、何故か口付けが激しくなった。それと一緒に、マーカスをまさぐる手も動きを早める。
クラウスは裸だが、マーカスはパジャマを着たままだ。布越しのもどかしい愛撫に、マーカスは腰をくねらせた。
最近暖かくて助かった。でなければ、マーカスはパジャマの下にシャツを着こんでいて、クラウスの熱はもっと遠かった。
「クラウスさん、……胸も、触って?」
ボタンを外すのももどかしい。上着の裾を捲し上げ、マーカスはクラウスにねだった。自分で触ってもいいけれど、クラウスに触ってもらう方がもっと気持ちいい。
乳首は既にピンと上を向いていて、クラウスの指を今か今かと待ちわびている。
「固い」
「んっ」
熱い指が、尖った突起を優しく押し潰す。腕力に自負のあるクラウスだが、それは力の加減に意識を割く必要があるということ。マーカスを傷付けぬよう、殊更丁寧に快感のみを与える。
「あっ、くら、す、さっ……もっと強くっ」
しかしマーカスにとっては焦れったいだけだ。胸をなぞるクラウスの手に自分の手を重ね、指先にぐっと力を入れる。
「マーカス、こんなに乳首を固くしているのに、こんなに力を入れて、痛くないのですか」
「あっあっあっ、ったく、ないっ、からぁっあっ、ひぃん」
マーカスはクラウスの指を自分の意思で胸の突起に押し付け、更に我慢出来ずに股間も太股に擦りつけて振りたくる。
「クラウスさん、クラウスさん、キス、キスしたい」
このまま、クラウスとキスしながら射精したい。とっても気持ちいい筈だ。その後は口でクラウスジュニアを落ち着けて、うがいをしたらもう一度キスして抱き合って眠りに落ちよう。
マーカスは素早く計算した。
クラウスとのセックスは好きだけど、二夜続けては体力が持たない。何せ昨日は散々に貪られて、夜勤をダニエルに代わって貰ったのだ。夜勤の為の睡眠時間が全て体力回復に費やされた。
可愛いクラウスを満足させる為に、マーカスも出来るだけ応えたいとは思うものの、年齢差と、そもそものフィジカルに差がありすぎた。警官として鍛えているとは言っても、肉弾戦を生業としている者にはどうしても敵わない。
年々体力は無くなっていくし。
だからここは日を於いて後日。そう目論んだマーカスは、しっとりとした感触に包まれた胸元に、目論見が失敗したことを悟った。
「あっ、クラウスさんっ、きす、はっ!?」
「ふぁなたのむにぇにひてひる」
「そっ、こで喋らない、でっ」
乳輪ごと熱い粘膜に包まれ、マーカスはクラウスの髪をかき混ぜた。ふわふわと柔らかい髭が、唇に触れていない胸元を愛撫する。
片側の乳首はまだクラウスの指が添えられている。しかし今度は、マーカスの指の上からだ。
クラウスの指の動きに従い、マーカスは自分の指で自分の胸をなぶる。
「んっ、あっ、感じすぎちゃう、からっ」
「感じて下さい。そうしているのだから」
少しだけ顔を上げたクラウスは、再びマーカスの胸をちゅぱちゅぱと舐めしゃぶり、舌先で突起を捏ね回す。牙が胸の膨らみを掠める度、マーカスは股間をクラウスの太股に押し付けた。
駄目だ、このままではセックスしたくなる。マーカスは思った。いや、もう本当はセックスしたい。したいけど明日が辛い。セックスしたい。クラウスとキスしたい。
「クラウスさんとセックスしたい」
思わず声に出ていた。
与えられたのは優しいキス。
顎にさらりと髭が触れて、すぐに離れてしまった。
「あなたは……」
圧し殺した声が降ってくる。ぼさぼさの前髪をかき分けて、マーカスはクラウスの目を覗き込んだ。
ぱた。ぱた。
汗がマーカスの喉に落ちる。
我慢していたのはマーカスだけではないのだと、思い知った。クラウスもマーカスを一度絶頂へ導いて、一人で始末しようとでも考えていたのに。なのにマーカスが誘うような真似をするから。
マーカスの体調を一番よく知っているのは、鋼鉄の自制心を総動員させている、この哀れな獣だ。
マーカスの手が揉み上げをなぞり、顎を伝って、鼻の下を親指で撫ぜた。そして緩く唇を開いて。
「come on」
口付けを熱望した。
***
「んっ、んっんっんっ」
マーカスの喉からこぼれた音が、クラウスと合わさった唇から微かに漏れる。下履きは既に剥かれ、クラウスの太い指が後孔へずっぽりと突き刺さり、厭らしい水音を立てていた。
「んひゅ、ふっ、ふぁっんくぅ」
明確な意思を持って良い所を潰されて、外されて、マーカスのアナルはすっかり蕩けている。
昨夜もたっぷりと愛されていたのだ。一昼空けた所で、クラウスの大きさに馴染んだ愛穴は、主人の帰りを待ち望んでくぱくぱと三本の指を食みしゃぶる。
「んきゅぅっ!?」
ぐり! と前立腺を一際強く潰され、マーカスは悲鳴をクラウスの口内へ放った。ペニスから少量の精液が垂れ落ちた。
クラウスはそれを鈴口に練り込むように、親指で亀頭を撫で続ける。
「んーっ、んっ、ふひゃう、ん!」
いやだ、もうやめて、同時に責めないで。抗議は全てクラウスの喉に吸い込まれる。
一度も唇を離さないまま、寝間着のズボンを剥かれ、下着を剥かれ、ペニスとアナルを責め立てられ、マーカスはクラウスの腕を力なくかりかりと引っ掻いた。
口付けを望んだのは確かに自分だけれど、言いたい事も全て飲み込まれ、ひたすら興奮を高められるのが辛い。
「(助けて、クラウスさん)」
音にも出来ず、くふんと喉を鳴らすと、目尻から涙が溢れた。
「マーカス」
絡めていた舌をちゅるんと離し、ようやっと唇が解放される。唾液でべとついた口元が、薄暗い中でも微かに濡れ光る。
「キスは?」
「いじわる……悪い子」
散々キスで嬲っておいて、もういいのかと問うてくる。
皮膚の薄い鼻の下を敢えて選び、指先で髭を摘まんでちょっと引っ張る。前髪をの隙間から覗く翡翠色が少し歪み、蕩けた。
「あっ、拡げないでっ」
「マーカス、キスは?」
両の人差し指で、孔の縁をかぱりと拡げられる。熱い粘膜に外気が冷たい。
こんな意地悪教えてない、とマーカスは内心悲鳴を上げた。
兄の恋人のように恋愛達者というわけではないが、マーカスとて大人の男としてそれなりの場数は踏んできた。だから真っ更なクラウスをリードしたのもマーカスだ。面白がって吹き込んだ事がないでもない。
でも、こんな。こんな!
後孔は既にクラウスを欲しがって、くぱくぱと開閉している。クラウスも指でそれを感じ取っている筈だ。
なのに、マーカスの言葉を待っている。言わせようとしている。言わないと、くれない。
はく、とマーカスの唇が震えた。
「please……」
クラウスの目がギラギラと輝く。捕食者は、慎重に獲物の言葉を待った。
「ここに」
マーカスが恐る恐るクラウスの指に手を伸ばす。触れた秘部は、想像以上に開かれていて、顔に血が昇った。
「クラウスさんの、おちんちん、ちょうだい」
もう一度、pleaseと呟く。
吐息と悲鳴はクラウスの唇に奪われた。
***
ベッドの軋む音と、激しい水音が鼓膜を犯す。
肉がぶつかり合う音がする度にとんでもない快感を与えられ、マーカスは呻き声を上げる。
しかしそれは全てクラウスの喉に吸い込まれ、外に漏れる事はない。
「んーっ、んーっ、んーっ、んーっ!!」
ずぱん、ずぱん、ずぱん、ずぱん。深く深く杭を打ち込まれ、マーカスの背中がベッドから浮き上がる。
それで快感を逃がせる筈もなく、クラウスの腹にペニスを擦り付け、余計に自らを追い詰めた。ぷしゅぷしゅと先端から透明な液が漏れ出す。
しかも浮いた背中にクラウスの腕が入り込み、ぴたりと胸と胸が密着する。尖りきった乳首がクラウスの胸に擦られ、マーカスは堪らずクラウスの背に回した手で爪を立てた。
同時に両足をクラウスの腰に回し、きゅっと力を込める。
ずちゅずちゅずちゅ。
「んひゅぅ、んっんっんっ!」
マーカスの足で動きを制限されたクラウスは、小刻みに腰を打ち付け出す。
腸のひだを張ったえらでこねくり回されていたのが、腹の奥の奥を犯す動きに変えられ、マーカスは首を振って暴れた。少しずつ、少しずつ入ってくるその先には、結腸がある。
経験はある。あるから、そこを抜かれた時に、自分がどう壊れるかを、マーカスはよく知っていた。
「ひゃっ! ん〝! ん〟ん〝ん〟ん〝ん〟ん"!」
こつん、と。クラウスの切っ先が結腸の口を突いた。ぶしゅ、とペニスが潮を噴く。
こつん、こつん、こつん。
「ん〝! ん〟っ! ぶっ、むっ……ぷぁっ、やっ、やだっ、クラウスさん、だめっ、いれちゃ、だめっ!」
いざ、いざ、入れるぞ、犯すぞ。と。意思を押し付けられ、マーカスは無理やりクラウスを引き剥がして訴えた。
今だって既に腰がびりびりと震えている。ペニスも出しすぎて痛い。
「やだっ、お、ねが……お願い、だから……やだ……こわい……んぷっ」
「ん……昨日も入りました。貴方は悦んでいた。そうでしょう?」
「だ、からだよっ! きもちすぎて、変になるっ」
「変になったマーカスは、とても淫らで、とても可愛らしい。私はもっと見たい」
ぐ、とクラウスが腰に力を入れる。
勢いを殺し、ゆっくり、じわじわと奥まで入り込んでくる切っ先に、マーカスは首を振って泣き叫んだ。
「入れないでっ、止まって、止まってぇ……! いゃぁ……奥……ずんずんしないで……!」
「マーカス」
名を呼ばれる。それだけで分かった。亀頭の半分が、奥にめり込んでいる。
これは許可要請ではなく、宣言だ。
「あ……あ……いや……いやぁっ!」
ぐぽんっ!
「ひっ……あ〝あ〟あ〝あ〟あ〝あ〟あ〝あ〟あ〝あ〟あ〝あ〟あ〝あ〟あ"!」
腰の力だけで結腸を抜き、クラウスの剛直がマーカスの胎を割り開いた。
マーカスの足は指先までぴんと伸び、閉じようとしてクラウスの腰に阻まれるという仕草を繰り返す。
力の入らない腕で、せめて顔だけでも隠そうとするが、クラウスに軽く封じられ、顔から出るおよそ全ての体液を垂れ流した顔を晒された。
「やだぁ……見ないで……変な僕見ないで……」
「マーカス、鼻水が」
はらはらと涙を溢すマーカスの顔を、クラウスは自分の舌で舐めとり、浄める。鼻も、目元も、口元も舐め終えると、くったりとベッドへ身を沈めたマーカスを抱え直した。
くぽんっ、ずろろろろ……。結腸から亀頭を引き抜き、腰を引いて後孔の縁まで戻る。
「あ……あ……あ……」
ずぱんっ!
「んぎぃっ!」
そして一気に結腸の奥まで貫いた。
くぽんっ、ずろろろろろ……。
「あ……ひ……やだ……やっ!」
じゅぱんっ!!
「ぎゃうっ!!」
くぽんっ、ずろ、ろろろろ……。
「あっ、ひっ、ひっ、ひっ、いゃぁ……いや、いやぁ……」
ぐぱんっ!!
「あ"っ……ぎ……ぃ……」
たり……とマーカスの唇の端から涎が溢れ落ちた。
クラウスはそれを舐めとりながら、上目遣いにマーカスを見た。ちろちろと涎を舐め続けると、伸びてきた舌が絡み付いてくる。
クラウスは遠慮せずにその誘いに乗ると、唇を合わせて腰を激しく振りだした。
「ふぁっ、くら、ひゅ、あっ……あっ」
「マ……ーカス」
ぐぽぐぽと剛直を結腸に出し入れしながら、クラウスはマーカスの耳元に唇を寄せる。マーカスは意識を飛ばしながら、「にゃに?」と辛うじて応えた。
「私はまだ、オーガニズムへ達していない」
「はぇ?」
「マーカス、貴方の胎に、出したい。いいだろうか」
「くらぁふしゃ、いってない、にょ?」
「ええ」
「いきたい、ねぇ」
「ええ、とても」
「ぼくの、おなか……いっぱぁい、だして、いいよぉ」
「全部?」
「ぜんぶ」
マーカスはクラウスの手を取り、自らの腹に掌を乗せさせると、へにゃりと笑った。
「いいよ、ここに」
両手を伸ばす。クラウスの頬を、髭を、両手で包むと、死刑宣告をした。
「だして」
自分への。
***
閉じきれない穴から、こぽこぽと白濁が滴る。
少しでも腹に力を入れると塊を産み落としそうで、マーカスは首だけを緩く動かし、隣で汗だくになりながら、マーカスを見つめる年下の恋人と目を合わせた。
運動した故の汗と、冷や汗を同時にかくとは、我が恋人殿も器用なものだ。マーカスはぼんやりと思案する。
確かに。
下半身には殆ど力が入らない。今は快感で麻痺しているが、一眠りした後にはきっと尻穴が痛む。あと腰も。
喉も酷使したから、声が出ないかもしれない。
しかし、これは同意の上であることだし。
そしてふと思い至る。
「やだって言ったのに」
びくりと大きな肩が跳ねた。やはり気にしていたのはそこなのだ。
途中の制止を、我が儘で振り切ったと。
くすりと笑うと、マーカスはケダモノの髭をつんと引っ張った。
「いいんだよ、最初にセックスしたいって言ったのは僕なんだから」
「しかし」
つんつん。引っ張る。
「それより、可愛いお髭の子猫ちゃん、今日はいつもより強引だったね。何で?」
つんつんつん。言うまで離さないからな、とちょっと睨む。もちろん本気ではないのだけど。
「む……ぅ……。その、以前、スティーブンが」
「スターフェイズさん?」
おやまあ。何でここで兄の恋人が出てくるのだろうか。ピロートークで他の男の名前を出すのは礼儀がなっていないのでは? と、思いはしたが、クラウスに悪気がない事は分かりきっている。
マーカスは黙って続きを待った。
「数日、髭を剃る時間も惜しんで、とある愉快犯を追い詰めました。その後、ダニエル・ロウ警部補と過ごしたそうなのですが……」
ここで兄の名前である。可愛い恋人にあのハレンチカップルは何を吹き込んでくれたのか。
マーカスは一言も聞き漏らさぬよう、耳を澄ませた。
「ダニエル・ロウ警部補が、スティーブンの髭を気に入って、いつもより甘やかしてくれたのだ、と。
だから、私も髭が生えて、マーカスに甘やかして欲しくて、髭を剃る前に慌てて訪れたのです」
マーカスは一言も聞き漏らさなかった。
聞き漏らさなかったので、腹に力を込めて叫んだ。
「Jesus!!」
可愛い恋人を甘やかすべく、毛むくじゃらの唇に吸い付いたマーカスのお尻の孔からこぽりと白い塊が溢れてベッドを汚した。
#血界戦線 #クラマカ
さわさわ。くすぐったい。うちの毛布、こんなに毛は長くない筈だけど。
思いながら手を伸ばす。
ぺたり。人の体。双子の兄は夜中に仕事だと出ていっていた。マーカスはそれを行ってらっしゃいと見送った。ならば、これは。
「くらうふひゃん?」
「起こしてしまいましたか、申し訳ない」
恋人に違いなかった。
夜中である。眠い。目が開かない。
マーカスは頑張って目を開けるふりをしながら、恋人に抱きついた。
まだ二十代の恋人は、ぴちぴちのお肌に鍛え上げられた筋肉が詰まっている。マーカスはその体を撫でながら寝るのが好きだ。
たまに撫ですぎて眠るどころではなくなるが、それでも止められない。
そろそろと背中に腕を回し、肩を撫で、襟足をじょりじょりして、最後に頬を……じょり。
おや?
マーカスは首を傾げた。頬を撫でたつもりだったが、間違えただろうか。
クラウスの可愛い耳朶を優しく撫で、そして頬へと……じょり。
「クラウスさん、どう、し」
ぱちりと目を開けると、そこにはマーカスの可愛い年下の恋人。裸なのはいい。一緒に寝る時はいつもこうだ。家に上がり込んで布団にまで潜り込んでいるのもいい。合鍵は渡している。
しかし、前回愛し合った時は、こんなに長い髭は生えていただろうか。
マーカスは両手でクラウスの頬を包み込んだ。
前回セックスしたのは昨夜。いかな男性ホルモンの強いクラウスでも、一晩でこの長さは伸びない。
何事だ、とマーカスは眉尻を下げた。
「事件は、解決しました。これはただの副作用です。体に影響もありません」
「そう、なの」
なら、いいけど。マーカスは指でクラウスの頬を、正確には髭を弄んだ。心配事がないのなら、この珍しい姿を堪能しなくては。
髪質よりも固めの髭は、しかし長さのせいで柔らかい。
「ふふ、一〇年後……二〇年後かな? こんな姿も見れるのかな」
「今は似合いませんか」
「そんな事はないけど……駄目。格好よすぎるもの」
ちゅ、と音を立てて頬にキスをする。
髭をかき分け、唇にも。反対の頬。鼻の頭。
「んわっ」
さて唇にもう一度と狙いを定めていたら、クラウスに抱き寄せられて、布団を背中に押し倒された。
「くら、っん……」
クラウスから、先程の触れるだけのキスとは違う、深い口付けを求められ、マーカスは素直に受け入れた。角度を数度変えながら、ちゅぱちゅぱと舌を絡め合う。
口付けが深くなるほど、頬を赤毛が擽っていく。
「くすぐったい」
呼吸の合間に笑い声を漏らすと、何故か口付けが激しくなった。それと一緒に、マーカスをまさぐる手も動きを早める。
クラウスは裸だが、マーカスはパジャマを着たままだ。布越しのもどかしい愛撫に、マーカスは腰をくねらせた。
最近暖かくて助かった。でなければ、マーカスはパジャマの下にシャツを着こんでいて、クラウスの熱はもっと遠かった。
「クラウスさん、……胸も、触って?」
ボタンを外すのももどかしい。上着の裾を捲し上げ、マーカスはクラウスにねだった。自分で触ってもいいけれど、クラウスに触ってもらう方がもっと気持ちいい。
乳首は既にピンと上を向いていて、クラウスの指を今か今かと待ちわびている。
「固い」
「んっ」
熱い指が、尖った突起を優しく押し潰す。腕力に自負のあるクラウスだが、それは力の加減に意識を割く必要があるということ。マーカスを傷付けぬよう、殊更丁寧に快感のみを与える。
「あっ、くら、す、さっ……もっと強くっ」
しかしマーカスにとっては焦れったいだけだ。胸をなぞるクラウスの手に自分の手を重ね、指先にぐっと力を入れる。
「マーカス、こんなに乳首を固くしているのに、こんなに力を入れて、痛くないのですか」
「あっあっあっ、ったく、ないっ、からぁっあっ、ひぃん」
マーカスはクラウスの指を自分の意思で胸の突起に押し付け、更に我慢出来ずに股間も太股に擦りつけて振りたくる。
「クラウスさん、クラウスさん、キス、キスしたい」
このまま、クラウスとキスしながら射精したい。とっても気持ちいい筈だ。その後は口でクラウスジュニアを落ち着けて、うがいをしたらもう一度キスして抱き合って眠りに落ちよう。
マーカスは素早く計算した。
クラウスとのセックスは好きだけど、二夜続けては体力が持たない。何せ昨日は散々に貪られて、夜勤をダニエルに代わって貰ったのだ。夜勤の為の睡眠時間が全て体力回復に費やされた。
可愛いクラウスを満足させる為に、マーカスも出来るだけ応えたいとは思うものの、年齢差と、そもそものフィジカルに差がありすぎた。警官として鍛えているとは言っても、肉弾戦を生業としている者にはどうしても敵わない。
年々体力は無くなっていくし。
だからここは日を於いて後日。そう目論んだマーカスは、しっとりとした感触に包まれた胸元に、目論見が失敗したことを悟った。
「あっ、クラウスさんっ、きす、はっ!?」
「ふぁなたのむにぇにひてひる」
「そっ、こで喋らない、でっ」
乳輪ごと熱い粘膜に包まれ、マーカスはクラウスの髪をかき混ぜた。ふわふわと柔らかい髭が、唇に触れていない胸元を愛撫する。
片側の乳首はまだクラウスの指が添えられている。しかし今度は、マーカスの指の上からだ。
クラウスの指の動きに従い、マーカスは自分の指で自分の胸をなぶる。
「んっ、あっ、感じすぎちゃう、からっ」
「感じて下さい。そうしているのだから」
少しだけ顔を上げたクラウスは、再びマーカスの胸をちゅぱちゅぱと舐めしゃぶり、舌先で突起を捏ね回す。牙が胸の膨らみを掠める度、マーカスは股間をクラウスの太股に押し付けた。
駄目だ、このままではセックスしたくなる。マーカスは思った。いや、もう本当はセックスしたい。したいけど明日が辛い。セックスしたい。クラウスとキスしたい。
「クラウスさんとセックスしたい」
思わず声に出ていた。
与えられたのは優しいキス。
顎にさらりと髭が触れて、すぐに離れてしまった。
「あなたは……」
圧し殺した声が降ってくる。ぼさぼさの前髪をかき分けて、マーカスはクラウスの目を覗き込んだ。
ぱた。ぱた。
汗がマーカスの喉に落ちる。
我慢していたのはマーカスだけではないのだと、思い知った。クラウスもマーカスを一度絶頂へ導いて、一人で始末しようとでも考えていたのに。なのにマーカスが誘うような真似をするから。
マーカスの体調を一番よく知っているのは、鋼鉄の自制心を総動員させている、この哀れな獣だ。
マーカスの手が揉み上げをなぞり、顎を伝って、鼻の下を親指で撫ぜた。そして緩く唇を開いて。
「come on」
口付けを熱望した。
***
「んっ、んっんっんっ」
マーカスの喉からこぼれた音が、クラウスと合わさった唇から微かに漏れる。下履きは既に剥かれ、クラウスの太い指が後孔へずっぽりと突き刺さり、厭らしい水音を立てていた。
「んひゅ、ふっ、ふぁっんくぅ」
明確な意思を持って良い所を潰されて、外されて、マーカスのアナルはすっかり蕩けている。
昨夜もたっぷりと愛されていたのだ。一昼空けた所で、クラウスの大きさに馴染んだ愛穴は、主人の帰りを待ち望んでくぱくぱと三本の指を食みしゃぶる。
「んきゅぅっ!?」
ぐり! と前立腺を一際強く潰され、マーカスは悲鳴をクラウスの口内へ放った。ペニスから少量の精液が垂れ落ちた。
クラウスはそれを鈴口に練り込むように、親指で亀頭を撫で続ける。
「んーっ、んっ、ふひゃう、ん!」
いやだ、もうやめて、同時に責めないで。抗議は全てクラウスの喉に吸い込まれる。
一度も唇を離さないまま、寝間着のズボンを剥かれ、下着を剥かれ、ペニスとアナルを責め立てられ、マーカスはクラウスの腕を力なくかりかりと引っ掻いた。
口付けを望んだのは確かに自分だけれど、言いたい事も全て飲み込まれ、ひたすら興奮を高められるのが辛い。
「(助けて、クラウスさん)」
音にも出来ず、くふんと喉を鳴らすと、目尻から涙が溢れた。
「マーカス」
絡めていた舌をちゅるんと離し、ようやっと唇が解放される。唾液でべとついた口元が、薄暗い中でも微かに濡れ光る。
「キスは?」
「いじわる……悪い子」
散々キスで嬲っておいて、もういいのかと問うてくる。
皮膚の薄い鼻の下を敢えて選び、指先で髭を摘まんでちょっと引っ張る。前髪をの隙間から覗く翡翠色が少し歪み、蕩けた。
「あっ、拡げないでっ」
「マーカス、キスは?」
両の人差し指で、孔の縁をかぱりと拡げられる。熱い粘膜に外気が冷たい。
こんな意地悪教えてない、とマーカスは内心悲鳴を上げた。
兄の恋人のように恋愛達者というわけではないが、マーカスとて大人の男としてそれなりの場数は踏んできた。だから真っ更なクラウスをリードしたのもマーカスだ。面白がって吹き込んだ事がないでもない。
でも、こんな。こんな!
後孔は既にクラウスを欲しがって、くぱくぱと開閉している。クラウスも指でそれを感じ取っている筈だ。
なのに、マーカスの言葉を待っている。言わせようとしている。言わないと、くれない。
はく、とマーカスの唇が震えた。
「please……」
クラウスの目がギラギラと輝く。捕食者は、慎重に獲物の言葉を待った。
「ここに」
マーカスが恐る恐るクラウスの指に手を伸ばす。触れた秘部は、想像以上に開かれていて、顔に血が昇った。
「クラウスさんの、おちんちん、ちょうだい」
もう一度、pleaseと呟く。
吐息と悲鳴はクラウスの唇に奪われた。
***
ベッドの軋む音と、激しい水音が鼓膜を犯す。
肉がぶつかり合う音がする度にとんでもない快感を与えられ、マーカスは呻き声を上げる。
しかしそれは全てクラウスの喉に吸い込まれ、外に漏れる事はない。
「んーっ、んーっ、んーっ、んーっ!!」
ずぱん、ずぱん、ずぱん、ずぱん。深く深く杭を打ち込まれ、マーカスの背中がベッドから浮き上がる。
それで快感を逃がせる筈もなく、クラウスの腹にペニスを擦り付け、余計に自らを追い詰めた。ぷしゅぷしゅと先端から透明な液が漏れ出す。
しかも浮いた背中にクラウスの腕が入り込み、ぴたりと胸と胸が密着する。尖りきった乳首がクラウスの胸に擦られ、マーカスは堪らずクラウスの背に回した手で爪を立てた。
同時に両足をクラウスの腰に回し、きゅっと力を込める。
ずちゅずちゅずちゅ。
「んひゅぅ、んっんっんっ!」
マーカスの足で動きを制限されたクラウスは、小刻みに腰を打ち付け出す。
腸のひだを張ったえらでこねくり回されていたのが、腹の奥の奥を犯す動きに変えられ、マーカスは首を振って暴れた。少しずつ、少しずつ入ってくるその先には、結腸がある。
経験はある。あるから、そこを抜かれた時に、自分がどう壊れるかを、マーカスはよく知っていた。
「ひゃっ! ん〝! ん〟ん〝ん〟ん〝ん〟ん"!」
こつん、と。クラウスの切っ先が結腸の口を突いた。ぶしゅ、とペニスが潮を噴く。
こつん、こつん、こつん。
「ん〝! ん〟っ! ぶっ、むっ……ぷぁっ、やっ、やだっ、クラウスさん、だめっ、いれちゃ、だめっ!」
いざ、いざ、入れるぞ、犯すぞ。と。意思を押し付けられ、マーカスは無理やりクラウスを引き剥がして訴えた。
今だって既に腰がびりびりと震えている。ペニスも出しすぎて痛い。
「やだっ、お、ねが……お願い、だから……やだ……こわい……んぷっ」
「ん……昨日も入りました。貴方は悦んでいた。そうでしょう?」
「だ、からだよっ! きもちすぎて、変になるっ」
「変になったマーカスは、とても淫らで、とても可愛らしい。私はもっと見たい」
ぐ、とクラウスが腰に力を入れる。
勢いを殺し、ゆっくり、じわじわと奥まで入り込んでくる切っ先に、マーカスは首を振って泣き叫んだ。
「入れないでっ、止まって、止まってぇ……! いゃぁ……奥……ずんずんしないで……!」
「マーカス」
名を呼ばれる。それだけで分かった。亀頭の半分が、奥にめり込んでいる。
これは許可要請ではなく、宣言だ。
「あ……あ……いや……いやぁっ!」
ぐぽんっ!
「ひっ……あ〝あ〟あ〝あ〟あ〝あ〟あ〝あ〟あ〝あ〟あ〝あ〟あ〝あ〟あ"!」
腰の力だけで結腸を抜き、クラウスの剛直がマーカスの胎を割り開いた。
マーカスの足は指先までぴんと伸び、閉じようとしてクラウスの腰に阻まれるという仕草を繰り返す。
力の入らない腕で、せめて顔だけでも隠そうとするが、クラウスに軽く封じられ、顔から出るおよそ全ての体液を垂れ流した顔を晒された。
「やだぁ……見ないで……変な僕見ないで……」
「マーカス、鼻水が」
はらはらと涙を溢すマーカスの顔を、クラウスは自分の舌で舐めとり、浄める。鼻も、目元も、口元も舐め終えると、くったりとベッドへ身を沈めたマーカスを抱え直した。
くぽんっ、ずろろろろ……。結腸から亀頭を引き抜き、腰を引いて後孔の縁まで戻る。
「あ……あ……あ……」
ずぱんっ!
「んぎぃっ!」
そして一気に結腸の奥まで貫いた。
くぽんっ、ずろろろろろ……。
「あ……ひ……やだ……やっ!」
じゅぱんっ!!
「ぎゃうっ!!」
くぽんっ、ずろ、ろろろろ……。
「あっ、ひっ、ひっ、ひっ、いゃぁ……いや、いやぁ……」
ぐぱんっ!!
「あ"っ……ぎ……ぃ……」
たり……とマーカスの唇の端から涎が溢れ落ちた。
クラウスはそれを舐めとりながら、上目遣いにマーカスを見た。ちろちろと涎を舐め続けると、伸びてきた舌が絡み付いてくる。
クラウスは遠慮せずにその誘いに乗ると、唇を合わせて腰を激しく振りだした。
「ふぁっ、くら、ひゅ、あっ……あっ」
「マ……ーカス」
ぐぽぐぽと剛直を結腸に出し入れしながら、クラウスはマーカスの耳元に唇を寄せる。マーカスは意識を飛ばしながら、「にゃに?」と辛うじて応えた。
「私はまだ、オーガニズムへ達していない」
「はぇ?」
「マーカス、貴方の胎に、出したい。いいだろうか」
「くらぁふしゃ、いってない、にょ?」
「ええ」
「いきたい、ねぇ」
「ええ、とても」
「ぼくの、おなか……いっぱぁい、だして、いいよぉ」
「全部?」
「ぜんぶ」
マーカスはクラウスの手を取り、自らの腹に掌を乗せさせると、へにゃりと笑った。
「いいよ、ここに」
両手を伸ばす。クラウスの頬を、髭を、両手で包むと、死刑宣告をした。
「だして」
自分への。
***
閉じきれない穴から、こぽこぽと白濁が滴る。
少しでも腹に力を入れると塊を産み落としそうで、マーカスは首だけを緩く動かし、隣で汗だくになりながら、マーカスを見つめる年下の恋人と目を合わせた。
運動した故の汗と、冷や汗を同時にかくとは、我が恋人殿も器用なものだ。マーカスはぼんやりと思案する。
確かに。
下半身には殆ど力が入らない。今は快感で麻痺しているが、一眠りした後にはきっと尻穴が痛む。あと腰も。
喉も酷使したから、声が出ないかもしれない。
しかし、これは同意の上であることだし。
そしてふと思い至る。
「やだって言ったのに」
びくりと大きな肩が跳ねた。やはり気にしていたのはそこなのだ。
途中の制止を、我が儘で振り切ったと。
くすりと笑うと、マーカスはケダモノの髭をつんと引っ張った。
「いいんだよ、最初にセックスしたいって言ったのは僕なんだから」
「しかし」
つんつん。引っ張る。
「それより、可愛いお髭の子猫ちゃん、今日はいつもより強引だったね。何で?」
つんつんつん。言うまで離さないからな、とちょっと睨む。もちろん本気ではないのだけど。
「む……ぅ……。その、以前、スティーブンが」
「スターフェイズさん?」
おやまあ。何でここで兄の恋人が出てくるのだろうか。ピロートークで他の男の名前を出すのは礼儀がなっていないのでは? と、思いはしたが、クラウスに悪気がない事は分かりきっている。
マーカスは黙って続きを待った。
「数日、髭を剃る時間も惜しんで、とある愉快犯を追い詰めました。その後、ダニエル・ロウ警部補と過ごしたそうなのですが……」
ここで兄の名前である。可愛い恋人にあのハレンチカップルは何を吹き込んでくれたのか。
マーカスは一言も聞き漏らさぬよう、耳を澄ませた。
「ダニエル・ロウ警部補が、スティーブンの髭を気に入って、いつもより甘やかしてくれたのだ、と。
だから、私も髭が生えて、マーカスに甘やかして欲しくて、髭を剃る前に慌てて訪れたのです」
マーカスは一言も聞き漏らさなかった。
聞き漏らさなかったので、腹に力を込めて叫んだ。
「Jesus!!」
可愛い恋人を甘やかすべく、毛むくじゃらの唇に吸い付いたマーカスのお尻の孔からこぽりと白い塊が溢れてベッドを汚した。
#血界戦線 #クラマカ
初めてのキス、最期のキス(永遠の恋人へ十の言葉)
見開いた瞳の奥、空色の青の中に海色の青が見える。
見詰め合って、と言えば聞こえはいいがこれでは自分が隙をついて襲い掛かったみたいだ。色気もへったくれもあったもんじゃない。
もういいかな。そろそろいいかな。タイミングを見計らっていたというのに、これだ。
恐る恐る唇を離すと、ずっと同じ体勢で固まっていた少年はぱちぱちと瞬きをして。
「悟飯さん大好き……っ!」
悟飯の首っ玉に齧りついた。
まさかあれが最後なんて。
悟飯は睫毛に落ちる雨を瞬きで頬へ避けながら思った。思いだした。
走馬灯だろうか。縁起でもないな、と言いたいけれどどうも実際縁起でもない状態らしい。すでに指が動かない。
雨は冷たいはずなのだけど、それすらもう感じない。人造人間たちはもうどこかへ行ってしまった。とどめを刺す程でもないということらしい。
屈辱を感じるよりも、絶望と、これでもう闘わなくていいのだという安堵感。そして置いて逝ってしまう子供への罪悪感。自分が重い重いと感じていたもの。すべて。
手に入れた安堵はぜんぶをあのこにあのやさしいこにおしつけるとしっていてでもどうしようもなくちからがぬけていった。ごめんごめんとくちびるがなんかいもつぶやくかたちをしたけれどそれがつたわることもおとになっていないこともわからないまま。ただくちびるのすきまからはいってくるみずがつめたくて。
だいすきなこいびとがここにいてくれたらいいのにとおもいながら。
冷たい唇は微かに血の味がした。雨は悟飯の中の血までは洗い流せなかった。というのに。
この人の身体にはまだぎっしり赤い命が詰まっていて、暖めればこの雨で凍えた体をもう一度暖めさえすればまた。また。思うのに。
暖かいと思っていた悟飯の体が自分の体温が移っているだけだということなど知っている。理解したくないだけで。理解してしまえばそれは悟飯とのさよならだ。
嫌だ。
トランクスは髪を揺らした。誰がさよならなどするものか。水が跳ねる。強く握り締めたせいで滲んだ手のひらの血は悟飯の胴着に染み込んでいた。さっき触れた拍子に。胸の辺りに滲んだそれがまるで悟飯から溢れ出ているようでトランクスは慌てて上着を脱がそうとした。しかし雨で濡れた服は張り付いて脱がせることができない。
橙が泥で灰色になった頃、漸くトランクスは諦めた。
悟飯を抱えてよろめきながら空を歩く。
重いですよ悟飯さん。太ったんですか。メタボですか。若い身空で。ぶつくさ呟きながら泣いた。雨雲はもうどこかに行ってしまっていた。
二人でよく来た場所に降りると小さな穴を掘った。右手で一発どかんだ。その穴に悟飯のお尻を入れる。足が入らなかったので曲げた。体操座りみたいだ。
窮屈でごめんね。言ってちょっと手で掘り広げた。
ぎゅ。抱き締める。固い。
トランクスはそれが死んだ人間が固まる現象だとは知らなかった。ただその固さと冷たさが無機物めいていて悲しくなった。
ふにっとしていて暖かくてとろんとしちゃうようなキスはもうもらえないということだ。
泣きそうになって、そういえばと思い出した。
人造人間がまだ生きているということに。
悟飯の命を奪っておいて、トランクスから悟飯を奪っておいて、あれらはのうのうと生きているのだ。
許されることじゃない。はずだ。罪は償わなければならない。自らそうしないのならば、トランクスが断罪者となるだけだ。
審判の門で土下座させてやろう。あいつらが悟飯さんと同じ場所になんて行けるはずないから。
だからそれまでちょっとの間、我慢しててくださいね。
トランクスの腰より低い場所にある悟飯の頬。腰を屈めて首を伸ばして。優しく甘く。黄泉がえりさえ起きそうなキスをした。
#DB #飯トラ
見詰め合って、と言えば聞こえはいいがこれでは自分が隙をついて襲い掛かったみたいだ。色気もへったくれもあったもんじゃない。
もういいかな。そろそろいいかな。タイミングを見計らっていたというのに、これだ。
恐る恐る唇を離すと、ずっと同じ体勢で固まっていた少年はぱちぱちと瞬きをして。
「悟飯さん大好き……っ!」
悟飯の首っ玉に齧りついた。
まさかあれが最後なんて。
悟飯は睫毛に落ちる雨を瞬きで頬へ避けながら思った。思いだした。
走馬灯だろうか。縁起でもないな、と言いたいけれどどうも実際縁起でもない状態らしい。すでに指が動かない。
雨は冷たいはずなのだけど、それすらもう感じない。人造人間たちはもうどこかへ行ってしまった。とどめを刺す程でもないということらしい。
屈辱を感じるよりも、絶望と、これでもう闘わなくていいのだという安堵感。そして置いて逝ってしまう子供への罪悪感。自分が重い重いと感じていたもの。すべて。
手に入れた安堵はぜんぶをあのこにあのやさしいこにおしつけるとしっていてでもどうしようもなくちからがぬけていった。ごめんごめんとくちびるがなんかいもつぶやくかたちをしたけれどそれがつたわることもおとになっていないこともわからないまま。ただくちびるのすきまからはいってくるみずがつめたくて。
だいすきなこいびとがここにいてくれたらいいのにとおもいながら。
冷たい唇は微かに血の味がした。雨は悟飯の中の血までは洗い流せなかった。というのに。
この人の身体にはまだぎっしり赤い命が詰まっていて、暖めればこの雨で凍えた体をもう一度暖めさえすればまた。また。思うのに。
暖かいと思っていた悟飯の体が自分の体温が移っているだけだということなど知っている。理解したくないだけで。理解してしまえばそれは悟飯とのさよならだ。
嫌だ。
トランクスは髪を揺らした。誰がさよならなどするものか。水が跳ねる。強く握り締めたせいで滲んだ手のひらの血は悟飯の胴着に染み込んでいた。さっき触れた拍子に。胸の辺りに滲んだそれがまるで悟飯から溢れ出ているようでトランクスは慌てて上着を脱がそうとした。しかし雨で濡れた服は張り付いて脱がせることができない。
橙が泥で灰色になった頃、漸くトランクスは諦めた。
悟飯を抱えてよろめきながら空を歩く。
重いですよ悟飯さん。太ったんですか。メタボですか。若い身空で。ぶつくさ呟きながら泣いた。雨雲はもうどこかに行ってしまっていた。
二人でよく来た場所に降りると小さな穴を掘った。右手で一発どかんだ。その穴に悟飯のお尻を入れる。足が入らなかったので曲げた。体操座りみたいだ。
窮屈でごめんね。言ってちょっと手で掘り広げた。
ぎゅ。抱き締める。固い。
トランクスはそれが死んだ人間が固まる現象だとは知らなかった。ただその固さと冷たさが無機物めいていて悲しくなった。
ふにっとしていて暖かくてとろんとしちゃうようなキスはもうもらえないということだ。
泣きそうになって、そういえばと思い出した。
人造人間がまだ生きているということに。
悟飯の命を奪っておいて、トランクスから悟飯を奪っておいて、あれらはのうのうと生きているのだ。
許されることじゃない。はずだ。罪は償わなければならない。自らそうしないのならば、トランクスが断罪者となるだけだ。
審判の門で土下座させてやろう。あいつらが悟飯さんと同じ場所になんて行けるはずないから。
だからそれまでちょっとの間、我慢しててくださいね。
トランクスの腰より低い場所にある悟飯の頬。腰を屈めて首を伸ばして。優しく甘く。黄泉がえりさえ起きそうなキスをした。
#DB #飯トラ
守りあえる、そんな関係でいたい(永遠の恋人へ十の言葉)
深い深いキスをして、喉から響く声を全部吸い取る。震える体が篭もった熱を全て吐き出したのを見計らって離れていく。
名残惜しいと訴える舌を自分のそれで甘やかしてやりながら、悟飯はトランクスに埋め込んだ自身をゆっくりと引き抜いた。
その感触にも過敏に反応する小さな身体を背中を撫でて宥める。
潤んだ目がもう一度、と強請ってくるが流石にもう限界だった。
ぱふん、と枕に顔を埋めると、脱力した腕の中にトランクスが自分からもぐりこんできた。湿った肌が沈めようとしているはずの熱情を再燃させてしまいそうでちょっと困った。
悟飯は片側だけ顔を持ち上げ、呟いて見せる。
「……甘えんぼ」
「甘えんぼだもん」
トランクスは楽しそうに言い返した。
そんな恋人を見つめる悟飯の目は笑っている。所詮は睦言ということだ。
「悟飯さん、もう一回キスして」
「何だ、甘えんぼ病かい?」
くす、と笑う。
トランクスの唇はずっとかみ締めていた所為で口紅も注さないのに赤くなっている。
林檎よりも赤いかもしれない。
悟飯はそんなことを思いながら可愛い恋人のリクエストに応えてやる。
触れるだけのキスをしてすぐに離れると、不満そうに腕を掴まれた。
拗ねた顔さえ愛しいのは全くどうしてくれたものか。
額に、瞼に、頬に。順に唇を落としていき、閉じたままの瞼にちょっとばかし悪戯心が擽られ、最後に鼻頭をかぷりとやってみた。
「! はにゃ、噛んだっ!」
「油断してるからだよ」
「馬鹿っ、悟飯さんの馬鹿っ」
トランクスは鼻を押さえ、真っ赤な顔で悟飯を罵る。
罵りの言葉が「馬鹿」以外出てこないのは、悟飯の教育の賜物だ。そんな悲しい言葉はあまり覚えて欲しくないから。そんな哀しい言葉はこの優しい少年に相応しくないから。
そして何故「馬鹿」という言葉だけは許容しているのかと言えば、拗ねた顔で呟かれるそれがどうしようもなく可愛いから。とんだマニアック師匠である。
「ほら、消毒」
言って鼻を押さえる手を退かし、ぺろ、と悟飯が鼻先を舐めれば一瞬にして茹蛸と化す。
大人しくなった弟子を抱え込み、悟飯はその柔らかな髪に顔を埋める。汗と、トランクスの匂い、それに混じった自分と同じシャンプーが香って幸せな気持ちになった。
トランクスは少し身じろぎしたが、居心地のいい場所を見つけたのかそのまま悟飯に抱かれたまま。
言葉もなく静かに過ぎる時間が眠気を誘ってきた頃、トランクスがぽつりと呟いた。
「僕、女だったらよかったな」
悟飯はぎくりと身体を振るわせた。
「……なんで?」
掠れた声で、それでも聞かぬわけにもいかない、と理由を促す。
しかし。
「だって、そしたら悟飯さんの子供が産めるでしょ。
それで、サイヤ人がいっぱいで、スーパーサイヤ人もいっぱいで、人造人間も袋の鼠!」
ね? と微笑むトランクスは全くの無邪気。
男同士でこんなことをしている背徳感にでも目覚めてしまったのかと一瞬心臓を振るわせた悟飯は見事なる肩透かしに「それは素敵だね」と激しく投げやりな答えを返した。
未だスーパーサイヤ人になれぬ身での絵空事だろうか。弟子の考えがさっぱり読めずに口を閉ざした。
しかしトランクスはそれを肯定と受け取って、「でしょでしょ」と畳み掛ける。
「人造人間を倒すでしょ、その後は人口がすごく減ってるけど、殺される心配は無いから子供がいっぱい増えるよ」
自分も子供じゃないか、と悟飯は突っ込もうとして、その子供に手を出している自分は何なのか、と落ち込みそうになった。しかしトランクスは悟飯に落ち込む暇も与えずまくし立てる。
「子供が外で遊べるんだよ。
公園とか、ほら、悟飯さん、前連れてってくれた、遊園地もいっぱい、出来るよ。でも遊園地作るのも人が要るから、僕がいっぱい生むよ。サイヤ人がいっぱいいれば力持ちだから公園も遊園地もすぐ建てられるでしょ」
くすくす笑いながら提案をしてくるトランクスに、悟飯はそうだねぇと頷いた。今度はしっかりと心を込めて。
何て幸せな未来なんだろうか。悟飯は思う。
トランクスが女であって欲しかったなどと思ったことはないけれど、その話を聞いているとそれもまたいいな、と思ってしまう。それはとても不思議な気持ちだった。
有り得ないと知っている。現実とは違う。夢物語だ。
タラレバ話など、今の世界では切なくなるだけのはずなのに、トランクスの口から語られたそれは悟飯をたまらなく幸福にさせる。
それこそ、何が何でも己の手で叶えたい、と思うほどに。
「あ、でも悟飯さん子供好きだから、僕のことほったらかして子供ばっかり可愛がりそう」
「そんなことないさ。世界で一番トランクスが好きだよ」
さらりととんでもない告白をして、固まるトランクスに気付かず悟飯はその唇をそっと奪った。ありがとう、の気持ちも込めて。
徐々に上がる自分の体温を自覚して、トランクスは悟飯の逞しい胸に顔を押し付けた。
その様子を悟飯は「また甘えんぼ病?」と微笑ましく誤解するが、今のトランクスには都合が良い。
こんな、情けない顔見せられない。
悟飯の言葉はトランクスにとって予想外だった。
てっきり『トランクス「も」可愛がるよ』、とか。よくて『トランクス「も」好きだよ』とか。そう言われると思った。そしてそれで満足する心の準備は出来ていたのに。
いつも貰ってばっかりだ。トランクスは思う。
悟飯にはいつも幸せな気持ちを沢山貰っている。ちょっとした仕種で、ちょっとした言葉で、少しでもトランクスを気にかけてくれているのだと教えられるだけで幸せになれる。
少しは返せているのだろうか。いつかは返せるのだろうか。思うけれど、悟飯は大人すぎてトランクスには彼の思いの内が分からない。
でも必ず。
そんなことを考えているトランクスは知らない。
「僕も、悟飯さんが一番大好き……です」
伏せた頬を必死で隠して告げた言葉に、悟飯が嬉しさの余り卒倒しそうになったこと。
幸せそのものを体現した表情で微笑んだこと。
#DB #飯トラ
名残惜しいと訴える舌を自分のそれで甘やかしてやりながら、悟飯はトランクスに埋め込んだ自身をゆっくりと引き抜いた。
その感触にも過敏に反応する小さな身体を背中を撫でて宥める。
潤んだ目がもう一度、と強請ってくるが流石にもう限界だった。
ぱふん、と枕に顔を埋めると、脱力した腕の中にトランクスが自分からもぐりこんできた。湿った肌が沈めようとしているはずの熱情を再燃させてしまいそうでちょっと困った。
悟飯は片側だけ顔を持ち上げ、呟いて見せる。
「……甘えんぼ」
「甘えんぼだもん」
トランクスは楽しそうに言い返した。
そんな恋人を見つめる悟飯の目は笑っている。所詮は睦言ということだ。
「悟飯さん、もう一回キスして」
「何だ、甘えんぼ病かい?」
くす、と笑う。
トランクスの唇はずっとかみ締めていた所為で口紅も注さないのに赤くなっている。
林檎よりも赤いかもしれない。
悟飯はそんなことを思いながら可愛い恋人のリクエストに応えてやる。
触れるだけのキスをしてすぐに離れると、不満そうに腕を掴まれた。
拗ねた顔さえ愛しいのは全くどうしてくれたものか。
額に、瞼に、頬に。順に唇を落としていき、閉じたままの瞼にちょっとばかし悪戯心が擽られ、最後に鼻頭をかぷりとやってみた。
「! はにゃ、噛んだっ!」
「油断してるからだよ」
「馬鹿っ、悟飯さんの馬鹿っ」
トランクスは鼻を押さえ、真っ赤な顔で悟飯を罵る。
罵りの言葉が「馬鹿」以外出てこないのは、悟飯の教育の賜物だ。そんな悲しい言葉はあまり覚えて欲しくないから。そんな哀しい言葉はこの優しい少年に相応しくないから。
そして何故「馬鹿」という言葉だけは許容しているのかと言えば、拗ねた顔で呟かれるそれがどうしようもなく可愛いから。とんだマニアック師匠である。
「ほら、消毒」
言って鼻を押さえる手を退かし、ぺろ、と悟飯が鼻先を舐めれば一瞬にして茹蛸と化す。
大人しくなった弟子を抱え込み、悟飯はその柔らかな髪に顔を埋める。汗と、トランクスの匂い、それに混じった自分と同じシャンプーが香って幸せな気持ちになった。
トランクスは少し身じろぎしたが、居心地のいい場所を見つけたのかそのまま悟飯に抱かれたまま。
言葉もなく静かに過ぎる時間が眠気を誘ってきた頃、トランクスがぽつりと呟いた。
「僕、女だったらよかったな」
悟飯はぎくりと身体を振るわせた。
「……なんで?」
掠れた声で、それでも聞かぬわけにもいかない、と理由を促す。
しかし。
「だって、そしたら悟飯さんの子供が産めるでしょ。
それで、サイヤ人がいっぱいで、スーパーサイヤ人もいっぱいで、人造人間も袋の鼠!」
ね? と微笑むトランクスは全くの無邪気。
男同士でこんなことをしている背徳感にでも目覚めてしまったのかと一瞬心臓を振るわせた悟飯は見事なる肩透かしに「それは素敵だね」と激しく投げやりな答えを返した。
未だスーパーサイヤ人になれぬ身での絵空事だろうか。弟子の考えがさっぱり読めずに口を閉ざした。
しかしトランクスはそれを肯定と受け取って、「でしょでしょ」と畳み掛ける。
「人造人間を倒すでしょ、その後は人口がすごく減ってるけど、殺される心配は無いから子供がいっぱい増えるよ」
自分も子供じゃないか、と悟飯は突っ込もうとして、その子供に手を出している自分は何なのか、と落ち込みそうになった。しかしトランクスは悟飯に落ち込む暇も与えずまくし立てる。
「子供が外で遊べるんだよ。
公園とか、ほら、悟飯さん、前連れてってくれた、遊園地もいっぱい、出来るよ。でも遊園地作るのも人が要るから、僕がいっぱい生むよ。サイヤ人がいっぱいいれば力持ちだから公園も遊園地もすぐ建てられるでしょ」
くすくす笑いながら提案をしてくるトランクスに、悟飯はそうだねぇと頷いた。今度はしっかりと心を込めて。
何て幸せな未来なんだろうか。悟飯は思う。
トランクスが女であって欲しかったなどと思ったことはないけれど、その話を聞いているとそれもまたいいな、と思ってしまう。それはとても不思議な気持ちだった。
有り得ないと知っている。現実とは違う。夢物語だ。
タラレバ話など、今の世界では切なくなるだけのはずなのに、トランクスの口から語られたそれは悟飯をたまらなく幸福にさせる。
それこそ、何が何でも己の手で叶えたい、と思うほどに。
「あ、でも悟飯さん子供好きだから、僕のことほったらかして子供ばっかり可愛がりそう」
「そんなことないさ。世界で一番トランクスが好きだよ」
さらりととんでもない告白をして、固まるトランクスに気付かず悟飯はその唇をそっと奪った。ありがとう、の気持ちも込めて。
徐々に上がる自分の体温を自覚して、トランクスは悟飯の逞しい胸に顔を押し付けた。
その様子を悟飯は「また甘えんぼ病?」と微笑ましく誤解するが、今のトランクスには都合が良い。
こんな、情けない顔見せられない。
悟飯の言葉はトランクスにとって予想外だった。
てっきり『トランクス「も」可愛がるよ』、とか。よくて『トランクス「も」好きだよ』とか。そう言われると思った。そしてそれで満足する心の準備は出来ていたのに。
いつも貰ってばっかりだ。トランクスは思う。
悟飯にはいつも幸せな気持ちを沢山貰っている。ちょっとした仕種で、ちょっとした言葉で、少しでもトランクスを気にかけてくれているのだと教えられるだけで幸せになれる。
少しは返せているのだろうか。いつかは返せるのだろうか。思うけれど、悟飯は大人すぎてトランクスには彼の思いの内が分からない。
でも必ず。
そんなことを考えているトランクスは知らない。
「僕も、悟飯さんが一番大好き……です」
伏せた頬を必死で隠して告げた言葉に、悟飯が嬉しさの余り卒倒しそうになったこと。
幸せそのものを体現した表情で微笑んだこと。
#DB #飯トラ
気が付いた時には、もう(永遠の恋人へ十の言葉)
勿論オレは諭した。諭したとも。
悟飯は誰に向けるでもなく言い訳をする。敢えて言うなら自分へだろうか。
でも負けました。
悟飯はがっくりうなだれる。
小さな弟子はそんな師匠をきょとんと見上げている。
嗚呼可愛い。
心臓がどくりと跳ねる。こんなのが続くと高血圧になってしまうんじゃないだろうか、と悟飯はいらん心配をして混乱する思考を鎮めようとした。無駄な足掻きではあったけれど。
「好きだよ、オレも。トランクス」
尊敬が恋情と混同されるのはよくあることだ。だからトランクスが悟飯に「師匠としてではなく好きなのだ」と告げたときも、それが同性であっても起こるのかと思っただけだった。
明日には途絶えるかもしれない命、縋り付く温もりが欲しくてそう言っているのだと。それならそれで構わない、悟飯も自分の半分にも満たない大きさの手でしがみ付かれるのは嫌じゃない、どころかほんのり喜びも感じていた。だから自分の気持ちをちゃんと理解しなければいけないと、大切な言葉なのだから将来の為に取っておきなさいと何度も諌めたけれど。
勘違いではない、好きなのだ、と。全身全霊で告げられ、その水晶よりも透明な瞳に絶望さえ宿して訴えかけられれば。
抱きしめる腕に力を込めるとトランクスが嬉しそうに微笑む。
この年の少年としては末恐ろしいほどに艶やかな笑み。悟飯は焦燥感と己がそうさせているのだという誇らしさと、喜んでしまった事実に胸を痛めた。
同じサイヤンハーフとして、年長者として、見本となるべく生きねばならないはずなのに、自らが原因で進むべき真っ当な道を踏み外させるなんて……。父親に似ず生真面目な質の悟飯はちょっとばかし落ち込むが、腕の中で身じろぎせずに大人しくしている体温に救われる。
トランクスの気持ちを受け入れる、と決めたのは生半可な気持ち故にじゃない。
コーヒーも飲まないのに胃を痛めて(サイヤ人として有り得ないとブルマに大笑いされた)、目の下に真っ黒な隈を作って(そんなんで人造人間と戦えるつもりかとブルマに怒られた)、終いには可愛い可愛い弟子に心配をかけて挙句「我が侭を言ってごめんなさい」とまで言わせてしまった。
己の行動を後悔した目。誇り高きサイヤ人の王子に相応しくない不安げな表情は、最後の審判を待つ囚人よりも痛ましく。
ここでお前の気持ちは誤解なんだよと伝えればそれこそ二度と悟飯のことが好きだなどと言わなくなるだろう。思い、それは嫌だ、と悟飯は痛烈に自覚した。
結局の所悟飯とて好きだと言われて嬉しくない筈もなく、トランクス「と」同じ気持ちだったにも関わらず邪魔していたのは理性と常識。
トランクスを取るか常識を取るか。答えなど自明の理である。
漢・孫悟飯、キめる時はキめるのだ。
怯える身体を引き寄せて、驚愕に染まった表情に申し訳なさを感じて力の限り抱きしめた。震える腕がおずおずと背中に回されるのを感じて湧き上がったのは喜び。自分からトランクスの思いを否定しようとしていたくせに現金なものだと自嘲する。
それでも悟飯に負けじと抱きついてくるトランクスが、愛しくて愛しくて愛しくて。
少し身体を離そうとすると嫌だと首を横に振る。そんな仕種も可愛いのだと、口にするのは照れくさかったし、今はそれよりも伝えなければならないことがある。
だって、目を見て言べきじゃないか。
やっぱりどうにも生真面目な悟飯は少し腰を落として視線を合わせる。揺れる湖面のような目にちょっと見とれたのは内緒だ。
思いを伝える、というのはどれだけ勇気が必要なことなのだろうか。
悟飯はここで漸くトランクスの偉大さを知った。むき出しの真情を、ありのままの自分を、受け入れてもらえる保証も無いのに。それでもありったけの勇気で。
そんなトランクスを無下にしていた自分がとんでもない鬼畜人間に思えてきたが、今は内に篭もって甘えている場合ではない。
何度も酷い事を言った鬼畜人間に何度も優しい言葉をくれた少年に、それこそお詫びとお礼をしなければ。
理性と常識にさようなら。非常識と愛する人よこんにちは。
心の中でそっと呟いて。
何度も告げてもらっていたそれとは比べ物にならないほど臆病で小さな声だったけれど、慣れないアイノコトバってやつをようやっと口にした。
びっくりした顔が次第に綻んでいく過程がもう喜びにしか感じられなくなったのは、天国と地獄の父親には言えない話だ。
#DB #飯トラ
悟飯は誰に向けるでもなく言い訳をする。敢えて言うなら自分へだろうか。
でも負けました。
悟飯はがっくりうなだれる。
小さな弟子はそんな師匠をきょとんと見上げている。
嗚呼可愛い。
心臓がどくりと跳ねる。こんなのが続くと高血圧になってしまうんじゃないだろうか、と悟飯はいらん心配をして混乱する思考を鎮めようとした。無駄な足掻きではあったけれど。
「好きだよ、オレも。トランクス」
尊敬が恋情と混同されるのはよくあることだ。だからトランクスが悟飯に「師匠としてではなく好きなのだ」と告げたときも、それが同性であっても起こるのかと思っただけだった。
明日には途絶えるかもしれない命、縋り付く温もりが欲しくてそう言っているのだと。それならそれで構わない、悟飯も自分の半分にも満たない大きさの手でしがみ付かれるのは嫌じゃない、どころかほんのり喜びも感じていた。だから自分の気持ちをちゃんと理解しなければいけないと、大切な言葉なのだから将来の為に取っておきなさいと何度も諌めたけれど。
勘違いではない、好きなのだ、と。全身全霊で告げられ、その水晶よりも透明な瞳に絶望さえ宿して訴えかけられれば。
抱きしめる腕に力を込めるとトランクスが嬉しそうに微笑む。
この年の少年としては末恐ろしいほどに艶やかな笑み。悟飯は焦燥感と己がそうさせているのだという誇らしさと、喜んでしまった事実に胸を痛めた。
同じサイヤンハーフとして、年長者として、見本となるべく生きねばならないはずなのに、自らが原因で進むべき真っ当な道を踏み外させるなんて……。父親に似ず生真面目な質の悟飯はちょっとばかし落ち込むが、腕の中で身じろぎせずに大人しくしている体温に救われる。
トランクスの気持ちを受け入れる、と決めたのは生半可な気持ち故にじゃない。
コーヒーも飲まないのに胃を痛めて(サイヤ人として有り得ないとブルマに大笑いされた)、目の下に真っ黒な隈を作って(そんなんで人造人間と戦えるつもりかとブルマに怒られた)、終いには可愛い可愛い弟子に心配をかけて挙句「我が侭を言ってごめんなさい」とまで言わせてしまった。
己の行動を後悔した目。誇り高きサイヤ人の王子に相応しくない不安げな表情は、最後の審判を待つ囚人よりも痛ましく。
ここでお前の気持ちは誤解なんだよと伝えればそれこそ二度と悟飯のことが好きだなどと言わなくなるだろう。思い、それは嫌だ、と悟飯は痛烈に自覚した。
結局の所悟飯とて好きだと言われて嬉しくない筈もなく、トランクス「と」同じ気持ちだったにも関わらず邪魔していたのは理性と常識。
トランクスを取るか常識を取るか。答えなど自明の理である。
漢・孫悟飯、キめる時はキめるのだ。
怯える身体を引き寄せて、驚愕に染まった表情に申し訳なさを感じて力の限り抱きしめた。震える腕がおずおずと背中に回されるのを感じて湧き上がったのは喜び。自分からトランクスの思いを否定しようとしていたくせに現金なものだと自嘲する。
それでも悟飯に負けじと抱きついてくるトランクスが、愛しくて愛しくて愛しくて。
少し身体を離そうとすると嫌だと首を横に振る。そんな仕種も可愛いのだと、口にするのは照れくさかったし、今はそれよりも伝えなければならないことがある。
だって、目を見て言べきじゃないか。
やっぱりどうにも生真面目な悟飯は少し腰を落として視線を合わせる。揺れる湖面のような目にちょっと見とれたのは内緒だ。
思いを伝える、というのはどれだけ勇気が必要なことなのだろうか。
悟飯はここで漸くトランクスの偉大さを知った。むき出しの真情を、ありのままの自分を、受け入れてもらえる保証も無いのに。それでもありったけの勇気で。
そんなトランクスを無下にしていた自分がとんでもない鬼畜人間に思えてきたが、今は内に篭もって甘えている場合ではない。
何度も酷い事を言った鬼畜人間に何度も優しい言葉をくれた少年に、それこそお詫びとお礼をしなければ。
理性と常識にさようなら。非常識と愛する人よこんにちは。
心の中でそっと呟いて。
何度も告げてもらっていたそれとは比べ物にならないほど臆病で小さな声だったけれど、慣れないアイノコトバってやつをようやっと口にした。
びっくりした顔が次第に綻んでいく過程がもう喜びにしか感じられなくなったのは、天国と地獄の父親には言えない話だ。
#DB #飯トラ
2024年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
健やかなる時も病める時も(永遠の恋人へ十の言葉 )
頭痛い。
クリリンはちょっと泣きそうになりながら目の前で繰り広げられる光景から目を逸らした。
逸らした先では天津飯が似たような顔で肩を落とし、その手は餃子の両目を覆っている。
いくら童顔とはいえ、彼は立派な成人のはずなのだが。
そんなどうでもいいことを考えて注意を逸らさないとやってられないというものだ。
トランクスがここ界王星にやって来たのがつい先日。
どうしても心配で、界王様に強請ってはたま~に下界を覗き見たりなんかして。
そうして人造人間をトランクスが破壊し、あの世から万歳三唱をして数年後のこと。
あんなに嬉しそうな姿を見せた悟飯は久しぶりだったのに。
少しずつ、豊富とは言えない物資からこつこつと溜めたエネルギーで、お世話になった人たちにお礼を言いに行く、と。楽しそうにしていたトランクス。
油断はしていた。平和な日々で身体がなまっていたのも確か。
だけどあんまりだ、と。復興も進んできて、やっと、幸せ一杯に生きて、生きられると、思っていたのに。
クリリンは忘れない。あの時の悟飯を。
一瞬だったけど、金色の光に身を包んで一言。
『殺してやる……』
憎しみに満ちた目に、正直心臓が凍った。
そんな義理は勿論ないし、悟飯を見るまでは似たような思いを抱いていたというのに、つい緑色の化け物に「ご愁傷様」と呟きそうになってしまった。それほどまでに恐ろしい空気を纏っていた。
悟飯があんな暗い声を出せるなんて知らなかった。知りたくもなかったけれど。
いつだって穏やかで、滅多なことでは怒りを顕わにしない少年。ずっとそう思っていたから。
思いの深さを見せ付けられて、見慣れた年下の青年にどうしようもなく怯えてしまった。
だから、わざわざ悟飯が悟空を引き連れてあの世の入り口までトランクスを迎えに行ったときはハラハラしたものだけれど、悟空の瞬間移動で現れた二人+一人(悟空)の姿には別の意味でどうしようかと思った。
何でお姫様抱っこ……。
きっと、天津飯やヤムチャやピッコロも同じ気持ちだったに違いない。皆であんぐりと顎を落としていたのだから。
満面の笑みでトランクスを抱きかかえる悟飯と、真っ赤になって下ろしてくれろとわめくトランクスの姿がいやに対照的だったとクリリンは記憶する。
その二人は今もやらかしてくれている。
トランクスの首筋に鼻を埋め、悟飯がくすくす笑う。
掛かる息がくすぐったいのか、トランクスは身を捩って逃げようとするが悟飯の腕がそれを許さない。
嫌なら振り払えばいい。純粋に力比べをしたならばトランクスのほうが数段上なのだから、それは可能なのだ。しかしそれをしないところを見ると、つまりはそういうことなのだろう。
それどころか幸せそうに微笑む姿はもうご馳走様、ってなもんだ。
「くすぐったいですよ」
「うーん、もうちょっとだけ」
もうちょっとってお前の定義では何時間だ。
そう言いたい。言いたいけど言えない。言ったら気功弾が飛んでくるから。
ずっとこの調子なのだ。
憚るほどの人目はないとはいえ、実の父親の前でそれはどうよ、などとは無駄な意見である。当の父親が全く気にしていないのだ。それどころか息子を見習おうとさえしているのだから救われない。
クリリンにとってはいい迷惑である。
ここはピッコロのように瞑想でもしているべきか。それともヤムチャのように天国の女の子をナンパしに行くべきか。でもそうすると悟空が拗ねるし。
困ったなぁ、とクリリンは天を仰いだ。
草とゴリラと虫しかいないこの星で、今最も輝いているのは間違いなくあの二人だ。
「何だ、クリリン腹でもいてぇんか?」
「……お前どっから顔出してんだよ」
ひょい、と悟空が顔を出したのはクリリンの腋の間。そのままクリリンを座らせると、ごろーんと転がって太ももに頭を乗せた。
汗臭いのは今までグレゴリーと追いかけっこをしていたらしい。当のグレゴリーは向こうでへばっているというのに、悟空ときたら平然と息も乱していないのだから、グレゴリーが哀れである。
「男に膝枕してもらって嬉しいかぁ?」
「悟飯もトランクスによくしてもらってるぞ」
「いや、あいつらは別だろ……」
師弟愛なんて言葉、とうの昔に飛び越えて、神様の前で神聖なる儀式ってやつをやらかしてもおかしくない。何せここには神様の片割れと神様よりも偉い界王様がいるのだから。
もっとも、してもしなくてもどうでもいいのだろうけれど。
そんなことを悟空にぼやいてみるが、暢気は死んでも直らないらしい。さっくり「いいじゃねぇか」と切り捨ててくれた。
「必死でトランクス慰めてんだろ。そっとしといてやってくれよ」
父親の顔でそう微笑まれ、口達者を自覚するクリリンは珍しく言葉が見つからなかった。近くにいた天津飯にも聞こえたのか、はっと悟空の顔を見つめている。
たまに、こいつは誰よりも賢いんじゃないだろうか、と思うことがある。
そういえばトランクスがここに来て、悟飯が側を離れた姿を見かけたことが無い。何かしら理由を作ってはトランクスにべたべたべたべた引っ付いている。
それは単に今まで側にいられなかった分を取り戻そうとでもしているのかと思っていたけれど。
悔しく、無いはずは無いのだと。
それはクリリンにだって、天津飯にだって覚えのある思い。
もっと強ければ、と。己の無力が悔しくて、残してしまう友人や仲間に申し訳なく。
そうだ、その時は悟空が。
思い出し、クリリンはいつもの笑顔で自分を見つめてくる悟空の額をぺちりと叩いた。
テケトーに生きてるようで、ずばっと物事の本質のみを見抜くことに長けたこの男が、気付いてないわけがないじゃないか。
つまり悟飯は死んだことを後悔させないように、死んだとしても今ここに自分がいるのだから悲嘆に暮れたりしないように、と腐心しているわけだ。数年前の父親のように。
そうして結局は、悟飯がいるならそれでいいか、と。
思わせてしまうのだろう。数年前の父親のように。
そっと視線をずらせばトランクスが笑っている。悟飯のちょっとした仕草で容易く引き出せるその笑顔が、自分たちにはどれだけ敷居の高いものか、見慣れすぎて忘れていた。
自分たちが知っていても、トランクスが過去の自分たちに会ってきたとしても、この場にいる自分たちとトランクスは初対面も同然なのだから。
そんな自分たちがどれだけ言葉を尽くしたとしても、悟飯が小さく呼ぶ「トランクス」というその一言にすら敵わないのだ。
そこまで慮ってやれなかった自分の不明が口惜しくて、八つ当たり気味に。けれどやっぱり悟空はただ笑っているだけで。いちち、と言ってはいるけどそれさえ考えてやってるんじゃないかと思わせる。
そんなわけはないと知っているけれど。
「子供がさ、笑ってるといいよなー」
その『子供』には確実にトランクスも含まれている。そして勿論疾うに成人している自分の一人息子も。……餃子はどうだろうか。もしかしたら入っているかもしれない。何せ悟空のことだから。
しかし反論する人間などここにはいやしない。
クリリンは「そうだな」と呟いて寝転がった。拍子で悟空の頭が脚から転げ落ちてうめき声が聞こえてくるが無視してやる。
天津飯は餃子を連れて天国へ遊びに行くらしい。悟空の『子供』発言に触発されたようだが、本当にいくつだと思っているのやらである。もしかしたら本当に永遠の子供なのかもしれない。
何はともあれ、仲良きことは美しき哉、だ。
「何か、修行時代思い出すな」
「ああ、修行終わった後はいっつもこうして寝転がってたな」
「て言うか、立ってられなかったんだよな。そういやさ……」
記憶を辿れば次から次に話題が溢れる。
優しい時間。そう思えるようになったのは紛れも無くこの男のお陰。
だから。
今はまだ、必死で構い倒している悟飯にぎこちなく返事を返しているトランクスが、いつかは自分から笑って思い出話を出来るようになりますように。
神様じゃなく現実的に、今のところ唯一最年少の美青年を笑わせることに成功している友人の息子へと願った。
そして。
「亀仙人のじっちゃんたちは何年後に来るかなぁ?」
「お前死んでから性質悪くなってないか……」
死を悲劇と捉えないのも考え物だ、とクリリンは悟空のつんつん頭を引っ張った。
#DB #飯トラ
クリリンはちょっと泣きそうになりながら目の前で繰り広げられる光景から目を逸らした。
逸らした先では天津飯が似たような顔で肩を落とし、その手は餃子の両目を覆っている。
いくら童顔とはいえ、彼は立派な成人のはずなのだが。
そんなどうでもいいことを考えて注意を逸らさないとやってられないというものだ。
トランクスがここ界王星にやって来たのがつい先日。
どうしても心配で、界王様に強請ってはたま~に下界を覗き見たりなんかして。
そうして人造人間をトランクスが破壊し、あの世から万歳三唱をして数年後のこと。
あんなに嬉しそうな姿を見せた悟飯は久しぶりだったのに。
少しずつ、豊富とは言えない物資からこつこつと溜めたエネルギーで、お世話になった人たちにお礼を言いに行く、と。楽しそうにしていたトランクス。
油断はしていた。平和な日々で身体がなまっていたのも確か。
だけどあんまりだ、と。復興も進んできて、やっと、幸せ一杯に生きて、生きられると、思っていたのに。
クリリンは忘れない。あの時の悟飯を。
一瞬だったけど、金色の光に身を包んで一言。
『殺してやる……』
憎しみに満ちた目に、正直心臓が凍った。
そんな義理は勿論ないし、悟飯を見るまでは似たような思いを抱いていたというのに、つい緑色の化け物に「ご愁傷様」と呟きそうになってしまった。それほどまでに恐ろしい空気を纏っていた。
悟飯があんな暗い声を出せるなんて知らなかった。知りたくもなかったけれど。
いつだって穏やかで、滅多なことでは怒りを顕わにしない少年。ずっとそう思っていたから。
思いの深さを見せ付けられて、見慣れた年下の青年にどうしようもなく怯えてしまった。
だから、わざわざ悟飯が悟空を引き連れてあの世の入り口までトランクスを迎えに行ったときはハラハラしたものだけれど、悟空の瞬間移動で現れた二人+一人(悟空)の姿には別の意味でどうしようかと思った。
何でお姫様抱っこ……。
きっと、天津飯やヤムチャやピッコロも同じ気持ちだったに違いない。皆であんぐりと顎を落としていたのだから。
満面の笑みでトランクスを抱きかかえる悟飯と、真っ赤になって下ろしてくれろとわめくトランクスの姿がいやに対照的だったとクリリンは記憶する。
その二人は今もやらかしてくれている。
トランクスの首筋に鼻を埋め、悟飯がくすくす笑う。
掛かる息がくすぐったいのか、トランクスは身を捩って逃げようとするが悟飯の腕がそれを許さない。
嫌なら振り払えばいい。純粋に力比べをしたならばトランクスのほうが数段上なのだから、それは可能なのだ。しかしそれをしないところを見ると、つまりはそういうことなのだろう。
それどころか幸せそうに微笑む姿はもうご馳走様、ってなもんだ。
「くすぐったいですよ」
「うーん、もうちょっとだけ」
もうちょっとってお前の定義では何時間だ。
そう言いたい。言いたいけど言えない。言ったら気功弾が飛んでくるから。
ずっとこの調子なのだ。
憚るほどの人目はないとはいえ、実の父親の前でそれはどうよ、などとは無駄な意見である。当の父親が全く気にしていないのだ。それどころか息子を見習おうとさえしているのだから救われない。
クリリンにとってはいい迷惑である。
ここはピッコロのように瞑想でもしているべきか。それともヤムチャのように天国の女の子をナンパしに行くべきか。でもそうすると悟空が拗ねるし。
困ったなぁ、とクリリンは天を仰いだ。
草とゴリラと虫しかいないこの星で、今最も輝いているのは間違いなくあの二人だ。
「何だ、クリリン腹でもいてぇんか?」
「……お前どっから顔出してんだよ」
ひょい、と悟空が顔を出したのはクリリンの腋の間。そのままクリリンを座らせると、ごろーんと転がって太ももに頭を乗せた。
汗臭いのは今までグレゴリーと追いかけっこをしていたらしい。当のグレゴリーは向こうでへばっているというのに、悟空ときたら平然と息も乱していないのだから、グレゴリーが哀れである。
「男に膝枕してもらって嬉しいかぁ?」
「悟飯もトランクスによくしてもらってるぞ」
「いや、あいつらは別だろ……」
師弟愛なんて言葉、とうの昔に飛び越えて、神様の前で神聖なる儀式ってやつをやらかしてもおかしくない。何せここには神様の片割れと神様よりも偉い界王様がいるのだから。
もっとも、してもしなくてもどうでもいいのだろうけれど。
そんなことを悟空にぼやいてみるが、暢気は死んでも直らないらしい。さっくり「いいじゃねぇか」と切り捨ててくれた。
「必死でトランクス慰めてんだろ。そっとしといてやってくれよ」
父親の顔でそう微笑まれ、口達者を自覚するクリリンは珍しく言葉が見つからなかった。近くにいた天津飯にも聞こえたのか、はっと悟空の顔を見つめている。
たまに、こいつは誰よりも賢いんじゃないだろうか、と思うことがある。
そういえばトランクスがここに来て、悟飯が側を離れた姿を見かけたことが無い。何かしら理由を作ってはトランクスにべたべたべたべた引っ付いている。
それは単に今まで側にいられなかった分を取り戻そうとでもしているのかと思っていたけれど。
悔しく、無いはずは無いのだと。
それはクリリンにだって、天津飯にだって覚えのある思い。
もっと強ければ、と。己の無力が悔しくて、残してしまう友人や仲間に申し訳なく。
そうだ、その時は悟空が。
思い出し、クリリンはいつもの笑顔で自分を見つめてくる悟空の額をぺちりと叩いた。
テケトーに生きてるようで、ずばっと物事の本質のみを見抜くことに長けたこの男が、気付いてないわけがないじゃないか。
つまり悟飯は死んだことを後悔させないように、死んだとしても今ここに自分がいるのだから悲嘆に暮れたりしないように、と腐心しているわけだ。数年前の父親のように。
そうして結局は、悟飯がいるならそれでいいか、と。
思わせてしまうのだろう。数年前の父親のように。
そっと視線をずらせばトランクスが笑っている。悟飯のちょっとした仕草で容易く引き出せるその笑顔が、自分たちにはどれだけ敷居の高いものか、見慣れすぎて忘れていた。
自分たちが知っていても、トランクスが過去の自分たちに会ってきたとしても、この場にいる自分たちとトランクスは初対面も同然なのだから。
そんな自分たちがどれだけ言葉を尽くしたとしても、悟飯が小さく呼ぶ「トランクス」というその一言にすら敵わないのだ。
そこまで慮ってやれなかった自分の不明が口惜しくて、八つ当たり気味に。けれどやっぱり悟空はただ笑っているだけで。いちち、と言ってはいるけどそれさえ考えてやってるんじゃないかと思わせる。
そんなわけはないと知っているけれど。
「子供がさ、笑ってるといいよなー」
その『子供』には確実にトランクスも含まれている。そして勿論疾うに成人している自分の一人息子も。……餃子はどうだろうか。もしかしたら入っているかもしれない。何せ悟空のことだから。
しかし反論する人間などここにはいやしない。
クリリンは「そうだな」と呟いて寝転がった。拍子で悟空の頭が脚から転げ落ちてうめき声が聞こえてくるが無視してやる。
天津飯は餃子を連れて天国へ遊びに行くらしい。悟空の『子供』発言に触発されたようだが、本当にいくつだと思っているのやらである。もしかしたら本当に永遠の子供なのかもしれない。
何はともあれ、仲良きことは美しき哉、だ。
「何か、修行時代思い出すな」
「ああ、修行終わった後はいっつもこうして寝転がってたな」
「て言うか、立ってられなかったんだよな。そういやさ……」
記憶を辿れば次から次に話題が溢れる。
優しい時間。そう思えるようになったのは紛れも無くこの男のお陰。
だから。
今はまだ、必死で構い倒している悟飯にぎこちなく返事を返しているトランクスが、いつかは自分から笑って思い出話を出来るようになりますように。
神様じゃなく現実的に、今のところ唯一最年少の美青年を笑わせることに成功している友人の息子へと願った。
そして。
「亀仙人のじっちゃんたちは何年後に来るかなぁ?」
「お前死んでから性質悪くなってないか……」
死を悲劇と捉えないのも考え物だ、とクリリンは悟空のつんつん頭を引っ張った。
#DB #飯トラ
黒田っこは長谷部が好き
博多が長谷部の私室を訪れたのは、夜の九時。子供の体を持つ短刀たちが、彼等の保護者にさあもう寝なさいお化けがくるよ、と言われる刻限だ。
末席といえど神の名を戴く存在に対してお化けもないだろうが、人によく似て作られた彼等はその脅しに恐々とし、素直に布団に入るのだ。だからこんな時間に、厠に用があるわけでもないのに出歩くのは珍しい。
長谷部も既に寝巻に着替えていたが、何事かと室内に迎え入れる。と、
「長谷部ぇ、怖いテレビ見たら眠れんくなった……一緒に寝てぇ」
赤い眼鏡のその向こう、目元もほんのり赤くして、博多は長谷部の胸元に飛び込んだ。
「んなっ……だから見るのは止めておけと言っただろうが」
抱きしめてやりながら咎めれば、胸元から涙混じりにごめんなさいぃと声がする。こんな事なら力ずくでも止めてやればよかったか。長谷部は嘆息する。
本丸の食堂を兼ねる広間には、小さなスクリーンがある。常はくるりと丸められ、天井近くに吊り下げられているそれは、降ろせば作成会議のモニターにもなるし、あるいはテレビ番組を映す画面にもなる。
時間の流れと少し外れた場所にある本丸だが、審神者の生きる時間とリンクしている為、その日その時放送されているテレビ番組を見る事だって出来る。それは彼等刀剣男士……特に短刀達のお気に入りだった。
チャンネル権はその日の内番・本丸運営のお手伝いを頑張った者、誉を取った者が優先される。または多数決。それには短刀以外も含まれるが、短刀達がテレビの前に居座る時間とかちあう事は少ない。
だから、今日は特別だった。加州と大和守が誉を取り、たまたま心霊特集番組が見たいと言い出し、審神者が肝試しの参考になるなと頷いた。
食事の時間は過ぎていたから、見たく無ければ自室に篭っていれば良い。カーチェイスの映画は興味深そうに広間の隅で見ている大倶利伽羅も、ラブロマンスとなれば初めの数秒で出ていく。
しかし本丸に来て日が浅い博多は、怖いもの見たさと男の意地で、最後まで見てしまったらしい。長谷部は厨房で洗い物をしていた為、詳しい事はわからない。が、彼にとっては怯えるに値する映像だったということだ。
「博多、少し離れろ。布団が敷けん」
「……怒っとる?」
博多は兄弟刀である一期一振よりも、同郷の長谷部に親近感を感じている。だが、こうして甘える事をどう思われているのか。
真面目な長谷部に、自己管理が出来ていないと呆れられるのは、怖い。
「こんな事で怒るか」
そこまで狭量じゃないぞ。言い、長谷部は軽く博多の頭を撫でた。金色の頭が福岡銘菓を思い出させる。
「それより、そこの二人の分の布団も出してやるから手伝え」
「二人?」
博多が長谷部の胸から顔を上げて振り返ると、兄弟二人が覗き込んでいた。
「ずるいぞ博多! 俺も長谷部と寝るっ」
「あ、あの、厚兄さんが、僕も長谷部さんと寝ても良いよって」
「何で厚が許可権持っとぉとよ」
「俺だって黒田の馴染みだからな」
えへん。胸を張る。その隣では、五虎退が申し訳なさそうに身を縮めている。が、粟田口の大部屋に戻るつもりはなさそうだ。
「ほら、博多、敷布団だ」
「わぷっ。っとと、二つで足りると?」
博多が受け取り、よろめきながらも床(とこ)を作る。
「お前達なら3人でも入るだろう……寝相が悪くなければな」
全員が厚を見る。なんだよぅ、と唇を尖らせた厚に軽く笑い声を上げ、長谷部は掛け布団を敷いた。
さて、ここで問題が起きた。
「俺が最初に来たっちゃけん、長谷部の隣は俺に決まっとろうもん」
「抜け駆けだろ、俺だって隣がいい」
「あの、あの、ふぇ、喧嘩しないで……」
敷かれた布団は二組。長谷部は当然真ん中側として、どちらが長谷部と同じ布団に入るかで、博多と厚が譲らない。五虎退も、止めろとは言いながらも長谷部の浴衣の袖を握って離さない。どうしたものかと思いつつ、長谷部はさっさと布団に潜り込んだ。
「あっはせ……」
「博多、眼鏡は机に置け」
「あ、うん」
「で、お前はここだ。厚はそっちに、五虎退は厚の向こうだ。虎がいれば冷えんだろう」
「えー、博多ばっかりずるい」
「長谷部さぁん……」
長谷部の鶴の一声で長谷部の隣をゲットした博多はほくほくと布団に潜り込む。一方、納得いかないのが厚と五虎退だ。なんで、なんで、と視線に疑問を乗せる。
「お前達はあの番組、見てなかっただろう。あと、相棒達に構ってやれ」
長谷部の指差す先には、五匹の虎がきゅんと鳴いている。
尤もな答えに厚ははぁいと頷き、それでも出来るだけ布団の端っこ、長谷部の側に潜り込んだ。五虎退もそんな厚の隣に、虎と一緒に潜り込む。
「長谷部、長谷部」
博多が長谷部の肩にふわふわとした金髪を擦り付ける。長谷部は苦笑混じりでその頭を撫でてやる。どうも、この博多商人は甘え上手でいけない。
すると、博多を撫でているのとは逆の腕をくいっと引かれた。
「俺も」
僕も。厚と、その後ろから視線だけで訴えられた。
全く、五虎退はともかく、九州男児が何たる事か。思えども、期待に満ちた目で見つめられればそれを無下にも出来ず。
厚と五虎退を交互に撫でてやると、くふんと満足そうな笑い声が聞こえた。
「長谷部とおったらお化けも怖くないっちゃけ」
不思議なの。ぼんやりとした声で博多が呟く。もうすぐ眠りにおちる声だ。
五虎退からは既に寝息が聞こえている。
もごもごと、厚が口を動かしているが、言葉になる前に音が消えた。そして沈黙。
長谷部は布団を肩までかけ直しながら呟いた。
「俺は子持ちになったつもりはないんだがな」
呟きにいらえはなく。
遠くで梟がほうと鳴いた。
#刀剣乱舞 #黒田刀
末席といえど神の名を戴く存在に対してお化けもないだろうが、人によく似て作られた彼等はその脅しに恐々とし、素直に布団に入るのだ。だからこんな時間に、厠に用があるわけでもないのに出歩くのは珍しい。
長谷部も既に寝巻に着替えていたが、何事かと室内に迎え入れる。と、
「長谷部ぇ、怖いテレビ見たら眠れんくなった……一緒に寝てぇ」
赤い眼鏡のその向こう、目元もほんのり赤くして、博多は長谷部の胸元に飛び込んだ。
「んなっ……だから見るのは止めておけと言っただろうが」
抱きしめてやりながら咎めれば、胸元から涙混じりにごめんなさいぃと声がする。こんな事なら力ずくでも止めてやればよかったか。長谷部は嘆息する。
本丸の食堂を兼ねる広間には、小さなスクリーンがある。常はくるりと丸められ、天井近くに吊り下げられているそれは、降ろせば作成会議のモニターにもなるし、あるいはテレビ番組を映す画面にもなる。
時間の流れと少し外れた場所にある本丸だが、審神者の生きる時間とリンクしている為、その日その時放送されているテレビ番組を見る事だって出来る。それは彼等刀剣男士……特に短刀達のお気に入りだった。
チャンネル権はその日の内番・本丸運営のお手伝いを頑張った者、誉を取った者が優先される。または多数決。それには短刀以外も含まれるが、短刀達がテレビの前に居座る時間とかちあう事は少ない。
だから、今日は特別だった。加州と大和守が誉を取り、たまたま心霊特集番組が見たいと言い出し、審神者が肝試しの参考になるなと頷いた。
食事の時間は過ぎていたから、見たく無ければ自室に篭っていれば良い。カーチェイスの映画は興味深そうに広間の隅で見ている大倶利伽羅も、ラブロマンスとなれば初めの数秒で出ていく。
しかし本丸に来て日が浅い博多は、怖いもの見たさと男の意地で、最後まで見てしまったらしい。長谷部は厨房で洗い物をしていた為、詳しい事はわからない。が、彼にとっては怯えるに値する映像だったということだ。
「博多、少し離れろ。布団が敷けん」
「……怒っとる?」
博多は兄弟刀である一期一振よりも、同郷の長谷部に親近感を感じている。だが、こうして甘える事をどう思われているのか。
真面目な長谷部に、自己管理が出来ていないと呆れられるのは、怖い。
「こんな事で怒るか」
そこまで狭量じゃないぞ。言い、長谷部は軽く博多の頭を撫でた。金色の頭が福岡銘菓を思い出させる。
「それより、そこの二人の分の布団も出してやるから手伝え」
「二人?」
博多が長谷部の胸から顔を上げて振り返ると、兄弟二人が覗き込んでいた。
「ずるいぞ博多! 俺も長谷部と寝るっ」
「あ、あの、厚兄さんが、僕も長谷部さんと寝ても良いよって」
「何で厚が許可権持っとぉとよ」
「俺だって黒田の馴染みだからな」
えへん。胸を張る。その隣では、五虎退が申し訳なさそうに身を縮めている。が、粟田口の大部屋に戻るつもりはなさそうだ。
「ほら、博多、敷布団だ」
「わぷっ。っとと、二つで足りると?」
博多が受け取り、よろめきながらも床(とこ)を作る。
「お前達なら3人でも入るだろう……寝相が悪くなければな」
全員が厚を見る。なんだよぅ、と唇を尖らせた厚に軽く笑い声を上げ、長谷部は掛け布団を敷いた。
さて、ここで問題が起きた。
「俺が最初に来たっちゃけん、長谷部の隣は俺に決まっとろうもん」
「抜け駆けだろ、俺だって隣がいい」
「あの、あの、ふぇ、喧嘩しないで……」
敷かれた布団は二組。長谷部は当然真ん中側として、どちらが長谷部と同じ布団に入るかで、博多と厚が譲らない。五虎退も、止めろとは言いながらも長谷部の浴衣の袖を握って離さない。どうしたものかと思いつつ、長谷部はさっさと布団に潜り込んだ。
「あっはせ……」
「博多、眼鏡は机に置け」
「あ、うん」
「で、お前はここだ。厚はそっちに、五虎退は厚の向こうだ。虎がいれば冷えんだろう」
「えー、博多ばっかりずるい」
「長谷部さぁん……」
長谷部の鶴の一声で長谷部の隣をゲットした博多はほくほくと布団に潜り込む。一方、納得いかないのが厚と五虎退だ。なんで、なんで、と視線に疑問を乗せる。
「お前達はあの番組、見てなかっただろう。あと、相棒達に構ってやれ」
長谷部の指差す先には、五匹の虎がきゅんと鳴いている。
尤もな答えに厚ははぁいと頷き、それでも出来るだけ布団の端っこ、長谷部の側に潜り込んだ。五虎退もそんな厚の隣に、虎と一緒に潜り込む。
「長谷部、長谷部」
博多が長谷部の肩にふわふわとした金髪を擦り付ける。長谷部は苦笑混じりでその頭を撫でてやる。どうも、この博多商人は甘え上手でいけない。
すると、博多を撫でているのとは逆の腕をくいっと引かれた。
「俺も」
僕も。厚と、その後ろから視線だけで訴えられた。
全く、五虎退はともかく、九州男児が何たる事か。思えども、期待に満ちた目で見つめられればそれを無下にも出来ず。
厚と五虎退を交互に撫でてやると、くふんと満足そうな笑い声が聞こえた。
「長谷部とおったらお化けも怖くないっちゃけ」
不思議なの。ぼんやりとした声で博多が呟く。もうすぐ眠りにおちる声だ。
五虎退からは既に寝息が聞こえている。
もごもごと、厚が口を動かしているが、言葉になる前に音が消えた。そして沈黙。
長谷部は布団を肩までかけ直しながら呟いた。
「俺は子持ちになったつもりはないんだがな」
呟きにいらえはなく。
遠くで梟がほうと鳴いた。
#刀剣乱舞 #黒田刀
比翼の鳥は宙に啼く
偶然を奇跡と呼ぶならばこれも奇跡であろうか。
トランクスは優しく微笑む人物が目の前に存在することが信じられず、思わず駆け寄りその胸に手を当てた。
温かい。
とくりと鼓動を打つ心臓は確かに動いていて、それでもどうしても信じられなくて。
嘘だ、と呟く。橙色の胴着をきゅう、と掴む。手に当たる感触は本物。ぺたぺたと無遠慮にその逞しい身体を撫でる。その温かさも、固い筋肉も、
「くすぐったいよ」
響く優しい声も全てがあの日の彼のままで。
「大きくなったね、トランクス」
呼ばれた名前に篭もる愛しさに、トランクスは涙腺の決壊する音を聞いた。
***
「ごはんさん……」
「トランクス……」
「悟飯さん……」
「トランクス……」
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「悟飯さん……♡」「トランクス……♡」「悟飯さん……♡」「トランクス……♡」「悟飯さん……♡」「トランクス……♡」
「うざ――――! バカップルうざぁぁぁあああああああ!!」
そう叫んだのはトランクス。勿論チビっこい方のである。
延々と互いの名を呼び続ける大きい自分と、彼の世界では既に死んでいる筈の親友の兄。そんな二人がキラキラした目で見詰め合って点描飛ばして愛しげに互いの名前しか口にしない光景というのは結構な苦痛があった。別人とはいえ、自分である故に。
だがしかし事の発端はこのチビトランクスなのだ。
壊れた玩具がどうしても直らないから、とドラゴンボールに頼ろうとする世界一のお金持ちもどうかとは思うが、それにほいほいで付き合う幼馴染と、止めるでもなく巻き込まれるたまたま遊びに来ていたトランクスも大概にアレである。日本語とはまことに便利な言語だ。
昔は一つ手に入れるのも苦労したドラゴンボール。今では数時間もあれば全てが揃う。あっという間に七つ集めたちび二人と流されやすい一人は早速神龍を呼び出し、一つ目の願いを叶えてもらった。神龍としてみればそんなことで呼び出さないでもらいたい、といったところであろう。しかしまあ子供本人にとっては重大なことである。
そして余った願い事。
チビトランクスとしては別にもう願い事はない。買えば手に入るものなど、世界一のお金持ちにとって興味の対象になりはしないのだ。悟飯のようなお兄ちゃんが欲しかった時期もあるけれど、たまに大きいトランクスが来てくれるし。ちびっこに対してそいつはお前だよ、なんて言う無粋な奴は彼の周囲には存在しないのだ。
悟天も玩具なら買ってもらったばかりだし、優しいお兄ちゃんもいる。それに今では話でしか聞いたことの無いお父さんまで帰ってきてくれているのだ。
だから、流れというか何と言うか。このまま何も言わないのも勿体無いので、と。トランクスがトランクスに話を振ったのだ。「お兄ちゃんの願い事は言わなくていいの?」と。
びっくりしたのはトランクス。それまで微笑ましく子供たちを見守っていたのに(そんなだから振り回されるのだと突っ込んでくれる心優しい人は重力室に篭もりっぱなしでこの場にはいなかった)、まさか自分に振られるとは思っていなかった。
だからつい、隠すことを忘れた本音が飛び出したのだ。
「悟飯さんに生き返って欲しい」
と。
別次元の存在であるトランクスが生き返ることが出来たのだから、悟飯とて可能性がないわけではなかった。
神龍はいつもの渋い声で「よかろう」と頷き、あっという間に孫悟飯「師匠」を生き返らせてしまった。それもあちらの世界ではなく、トランクスの目の前というオプション付きで。中々憎い演出である。
抱きついて、本当にそこに悟飯が存在することを確認して。
堰を切ったように泣き出すトランクスにちびっこ二人は驚いた。
普段のトランクスは大声で笑うということもあまりないけれど、泣いてる顔なんてもっと見たことなくて。
初めて見る大泣きする大人の姿にぽかん、と呆気にとられていた。そんな二人に気付いた悟飯が優しく微笑んで、その姿に子供たちは彼が『孫悟飯』なのだと納得したのだった。
向けられるとどうしようもなく嬉しくなる、慈しみに満ちた笑み。そんな顔が出来るのはこの世で孫悟飯だけだと彼らは知っている。わけもなく抱きつきたくなって、わけもなく甘えたくなるなんてそんな顔。
悟飯にしがみ付いたまま声を殺して泣くトランクスを宥めるも、戸惑いながらも幸せそうに愛弟子を見つめる悟飯に優しい子供たちは何も言えなくなり、こうしてただ眺めているだけとなってしまったのだが。
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「っだ―――! もういい加減にしてよ! 名前呼び合うばっかりでもう一時間は経ってるよ!」
我慢の限界を迎えたトランクスが大地を叩く。
トランクスが漸く泣き止んだのが約一時間前。少し照れくさそうに悟飯の名を呼んだトランクスは首を傾げて続きを促す悟飯に、小さな声で「久しぶりに名前を呼んで」と呟いた。
こんな可愛いおねだりに、弟子を愛してやまない悟飯がノーと言えるわけもない。ノーと言えない日本人もといノーと言えないバカ師匠である。
かくて只管お互いの名前を呼び合うだけ、といううんざりする光景が生み出されたわけなのだが。
別世界の兄を初めは興味津々で見つめていた悟天は、途中で飽きたのかトランクスの膝枕でくーくー寝ている。さり気にちゃっかりしている小僧だ。
「ねぇ、うちでもパオズ山でもいいから一旦帰ろうよ。悟天も寝ちゃったし、あんまり遅いとママに怒られるんだ」
神龍を呼び出したのはいつものカプセルコーポの敷地ではない。最後の一つを手に入れた、名前も知らない森の中。日も暮れてきたことだし、いるかもしれない狼やなんかは怖くは無いが、怒った母親はとても怖いのだ。
「え、もうそんなに? 駄目だなぁ、トランクスといるといつも時間を忘れちゃう。こればっかりは死んでも治らないみたいだ」
「悟飯さん……そんなのオレもですよ。だからおあいこです」
「そっか」
「はい」
うふふあははえへへ。
薔薇色の点描が飛んできそうな二人に、チビトランクスはあーあとでっかいため息を吐く。
これじゃあ当分帰れそうにないじゃないか。
無理やり引き剥がせばきっと彼らは笑って「ごめんね」と許してくれるだろうけれど、そんなことが出来るほどトランクスは野暮でも無粋でもないのだ。これは勿論母親の教育の賜物(父親ならば放って帰るか、可愛い息子に付いた虫に攻撃を仕掛けるだろう)であり、彼自身の優しさでもあった。
だがそれとこれとは別問題で。
本気で時間を忘れてしまう駄目な大人二人に、絶対ああはならないぞ、と決意して、ちびっこトランクスは苛立ち紛れに悟天のほっぺをつん、とつついた。
この後、近いからという理由でパオズ山へと帰った四人の姿に、チチと少年悟飯がひっくり返ったのは言うまでも無い。
***
何故自分と同じ気があるのか分からなかった、と悟飯は苦笑した。またセルのような敵が現れたのかと思ったとも。
いまだ幼さの残る顔を綻ばせる自分に、悟飯は眉を下げて謝った。
「驚かせてごめんね」
「いいえ。でもじゃあ悟天のこと分からなかったんじゃないですか?」
若い自分の問いかけに、悟飯はいいやと首を振る。
「お父さんにそっくりだから、もしかしたら、って思ってたんだ」
「じゃあオレは?」
小さなトランクスが興味津々で質問する。その姿に昔を思い出したのか、くすりと笑って悟飯は答えた。
「もちろんトランクスだってすぐ分かったよ。何せちっちゃい頃からずっと見てきたんだから」
でもね、と彼は続けた。
「例え百人、千人のトランクスがいたとしてもキミを見つけるよ」
そっとトランクスの手を握る。
「悟飯さん……」
トランクスは頬を染めて、けれどしっかりと悟飯の目を見つめ返した。
また始まったよこの人たち。
ぶっちゃけ勘弁してほしい、とその場にいる全員が思った。
飛んでくる極彩色の何かを叩き落としたい。何、とは言えないが、何か。桃色だったり薔薇色だったりする、何かだ。
それが現れた時、悟飯は大いに慌てた。この世界に存在するはずのない、悟飯と同じ気をもつ何者か。
セルという前例があるのだ。核は破壊したとはいえ、もしかしたらまた復活したのかも、と思っても仕方ない。
だがしかし。
よく知る悟天とトランクス×二の気と何の衝突も起こさず、しかも一緒になってこちらへ向かってくる。とりあえず戦うべき相手ではないだろう、と肩の力を抜いたところへ現れた青年にチチと一緒にずっこけた。半分は片腕の悟飯を見て息を呑んだのを誤魔化すためでもあったけれど。
そこまではいい。
戦いの跡が無いのに妙にぐったりしたちびっこトランクスも、遊びに出かけた後はいつも眠そうにしているはずの悟天が妙にすっきりした顔をしているのも、然程気にはならなかったが。
その疑問が氷解した時、悟飯もがっくり肩を落とした。
「ご、悟飯さんはああならないでね……」
「努力する……」
当事者ではないけれど、何となくいたたまれない。自分じゃないけど自分なのだ、アレは。
これから先相手とどう付き合ってけばいいんだコンチクショー。
トランクスと悟飯は目の前でいちゃつく自分たちというシュールな光景にでっかいでっかいため息を付いた。
と、そこへ。
「あり? 何で悟飯が二人もいんだ?」
「「お父さん!」」
ナイスタイミングで嵐の男、登場である。
瞬間移動で現れた父親に、二人の悟飯は同時に声をあげ、同時に少々頬を赤らめた。
だが未来の彼はちょっと寂しそうに笑って口を閉ざす。
彼のいた世界では既に悟空はいない人。
だから純粋に生きてて良かった、また会えて嬉しい、という喜びと、己の世界ではもう会えぬのだという悲しみが襲う。
生き返って数時間、彼は悟空がセルと戦い一度死んで生き返ったばかりなどということは知らない。
そんな悟飯の気持ちが分かるのはもう一人の悟飯である。イコール自分、考えていることなど丸分かり。
だからこそ余計に申し訳ない。自分の所為で父を死なせ、母を哀しませ弟から父を奪い仲間から孫悟空という人を奪った。そして魔人ブゥという危機も結局は悟空に救ってもらったのだと。そんな情けない自分を、辛い世界で苦労してきた大人に知られるのが怖かった。
それこそが弱さと分かってはいても。
「こんばんは、悟空さん。えーと、この人は……」
「そうか、おめぇの(世界の)悟飯か!」
口を閉ざす悟飯たちの代わりに説明をしようとするトランクス。その言葉を遮って、妙なところで勘の鋭い孫悟空。大事な部分を省略して(しかしある意味正解の)事実を言い当てる。
「はい、そうです」
「ごごごご悟飯さんっ!?」
あんた何ば言うとるの!?
躊躇わずに頷く悟飯。トランクスが激しく慌ててその袖を引く。だが悟飯はそんなトランクスを愛しいものを見る目で見つめ、悟空へと向き直った。
トランクスは口の中で「ずるい」と呟いた。そんな目をされて、そんな笑顔を向けられて、文句を言えるわけがないのに。
そんなトランクスに心の中でゴメン、と謝り、いつもの笑みを浮かべる父と目を合わせる。
「へぇ~、悟飯でっかくなったな」
「あはは、お父さんの身長も追い越しちゃいましたよ。もう二九歳ですから」
「そっか、二九か……もう大人だなぁ」
大人だな、と言いながらも悟空は悟飯の頭を優しく撫でる。
父親が息子にするように。そうするのが当たり前というかのように。
悟飯は嬉しそうに目を細め、「大人ですよ」と笑った。悟空の手は振り払わぬまま。
身体は死んだ二二歳のままだったけれど、そんなことはどうでもいいのだ。どちらにしても老いの遅いサイヤ人である。二二歳だろうが二九歳だろうが関係ない。
「やっぱさっきのはドラゴンボールだったんか」
「近くにいたんですか?」
「いや、ピッコロと修行してたんだけどよ、急に空が暗くなるし悟飯の気が増えるし、おかしいとは思ったんだ。だから手合わせ終わってから来てみたんだ」
おかしいと思っても手合わせはするのか。
相変わらずな悟空に悟飯たちも肩をすくめ微笑みを交わす。
が。
「ほぉぉぉおおおおおおう」
怒りの篭もった声に男どもはビクリと身体を強張らせた。
「三ヶ月ぶりに帰ってきたと思ったら……」
「ち、ち、ちちぃ……っ」
「選りにもよって悟飯ちゃんが関係してるのにすぐに飛んでこねぇっつうのは……」
ああ、この溜めが恐ろしいんだ、と悟飯は肩をすくませた。
「どういうことだ悟空さぁぁああ!!」
「あひゃひゃひゃひゃ、ひっ、ひひぃっ、いふぇいふぇいふぇ!
(訳:あだだだだ、ちっ、チチィっ、いてぇいてぇいてぇ!)」
ぎりぎりと頬をつねられ、悟空は涙目になりながら抗議をする。それでもされるがままなのは、まあそういうことなのであろう。
相も変わらず最強の嫁さんっぷりを発揮するチチに、悟飯たちは顔を見合わせて笑った。
***
で、結局。
悟空は修行を一時中断して暫く家にいると言い、「家が狭くなる」と文句を言いながらも嬉しそうにするチチに満更でもない顔をしてみせた。何処までいってもこの夫婦は変わらないらしい。
賑やかしく食事を終え、そろそろお開きというところで、トランクスたちはカプセルコーポへ帰ると言い、そして悟飯は
「え、オレもいいんですか?」
「いいも何も、ここは悟飯ちゃんの家だべ」
トランクスたちと共に飛び立とうとしていた悟飯を引きとめ、チチは怒ってみせる。ここもお前の家なのだから、そんな悲しいことを言ってくれるな、と。
世界は違えど自分も息子と呼んでくれるチチに、悟飯は心の奥が暖かくなる。
「ごめんなさい」
「分かればいいだ。部屋は悟飯ちゃんの部屋でいいだか?」
「悟飯君がよければ」
「僕は構いませんよ。布団運んでおきますね」
「うん、ありがとう」
家の中へと引っ込む自分に礼を言い、トランクスに歩み寄る。小さなトランクスはお腹が一杯で眠くなってしまったようで、トランクスの腕の中で丸くなって眠っている。
そんな姿が在りし日の目の前の青年と被って、悟飯はついつい目尻が下がる。
「じゃあ、また明日」
「ぇ、ぁ、はい。あの、悟飯さん、未来へは……」
「ん? ああ、そうだ。いつ帰るつもりだったんだい?」
「いえ、まだ決めてないんです。だから……」
悟飯さんの気の済むまで、と言いかけたところで悟飯の手に唇を塞がれる。
「明日、ピッコロさんのところに挨拶に行こう。一緒に」
「……はい」
「そのあとでまた、いつ帰るのか話し合おうな」
「……はい」
素直に頷くトランクスを、先ほど自分が父にされたように撫でる。もう子供じゃないです、とむくれる頬をつつけば口から変な音が漏れる。更にむくれるトランクスに「いつまでたっても可愛いからさ」と笑う。
「気をつけて帰れよ」
「……はい、また、明日」
躊躇いもなく明日の約束が出来るというのは、どれだけ素晴らしいことなのだろうか。
死んだと言っても実は界王星で肉体を持って過ごしていた悟飯。腹は減らなくても(色々と常識はずれの父は別だが)五感はある。まるで死んだという実感がないのだ。
だけど分かることはある。
生きているということ、それだけでもう奇跡なのだと。
死人がいくら手を差し伸べたくとも、生者へとは届かない。届くならば、トランクスに降り注ぐ悲しみ苦しみ全て受け止めていたかったけれど。
悟飯の腕は現(うつつ)へ届かず、トランクスはそれら全てを自分で受け止め乗り越えた。
トランクスの為というのならそうだったのかもしれない、とも思うが、やっぱり悔しいじゃあないか、とも。思うのは親心なのか師匠心なのか。はたまはそれ以外なのか。
ふわりと飛び立とうとするトランクスの腕を引っ張り、最後にも一度抱きしめて。
「また明日」
二度目の「また明日」はたっぷりの幸せを込めて。驚いた顔のトランクスが満面の笑みを浮かべるのを見届けて、名残惜しくも腕を開く。
その後姿が闇に溶けて消えるまで、悟飯はその場を動かず見送り続けた。
***
都合の良い夢を見ていたのかと思った。
寝て、起きれば何事も無かったかのように、『いないことが当たり前』の現実が待っているのだと。
だけど、触れた身体は温かくて。耳に残る声は優しすぎて。
思わず小さな自分に確認すると、
「あんだけ人を疲れさせて、夢オチはないんじゃないの?」
「……ごめん」
ため息混じりに怒られた。
トランクスがカプセルコーポに泊まる時、いつも小さな自分の部屋に引っ張り込まれる。どうやら兄が出来たようで嬉しいらしい。そんな姿が可愛くてついつい頷いてしまうのだ。
だから今朝も、隣で眠る小さな子供におはようを言って、そうして質問してみたのだが。
じっとりとした視線で睨みつけてくるこまっしゃくれた子供に頭を下げる。あまり自覚は無いけれど、どうやら周りから見ると恥ずかしいことをしてしまっていたらしい。……何処が恥ずかしいのか分からないけれど。
「ね、兄ちゃん目ぇ腫れてるよ。そのままで行くつもり?」
「え? ……うわっ!」
ひょい、と鏡を覗いてみると、そこには見事な兎のおめめ。冷やしもせずに放っておいたのがまずかったらしい。
あの後、腕の中で眠る子供が起きないスピードで帰ってきたらそれなりに時間がかかってしまって。夕食は孫家でご馳走になると連絡していたので、リビングにいたのは祖母だけだった。その祖母も無粋なことは言わない人だったので今まで気付かずにいたのだけれど。
「悟飯さんは気にしないだろうけど……ていうか、それ以前にパパが問題だよね」
カプセルコーポの朝ご飯。それは家族みんなが揃って食べることになっている。決まりではないけれど、ご飯は皆で食べたいじゃないか、というブリーフ博士の偉大なるお言葉を誰も否定しなかったのでそういうことになっているのだ。意外ではあるけれど、そこにはちゃんとベジータ含まれていて。
「パパさぁ、兄ちゃんのことめちゃくちゃ可愛がってるから、絶対すげぇ怒るよ」
「むしろオレが怒られると思うけど……どっちにしてもこれはまずいなぁ……」
軟弱者、と叱られるかもしれない。それに、この年にもなって恥ずかしい、というのもある。
今からでも冷やしてみるか。
濡れタオルでそっと目を覆う大きな自分を見つめ、ちびっこトランクスは気付かれないようため息を吐いた。無自覚な大人に。
昨日からため息を吐かされっぱなしだ。この短期間でどれだけの幸せを逃がしているんだろう。
パパのあれは照れ隠しなのに、と思う。
いつも大きなトランクスに見せる不機嫌そうな顔は、会えて嬉しいというのを誤魔化すため。無理やり重力室に引っ張り込むのは、何を話していいか分からないから。姿が見えなかったりすると、たまに「あいつは何処だ」なんて聞いてきたりする。
その度にブルマにからかわれているのだが、どうもあの父親は息子が心配で仕方ないらしい。魔人ブゥとの戦いの後はそれがより顕著だ。
気持ちは分からないでもないけれど、とトランクスは思った。
歯を磨きながら隣で目を冷やしている青年を見上げる。
どっか危なっかしいもんな。
大の大人に言う言葉ではないかもしれないけれど。どうもこの青年は目を離しておけない雰囲気があるらしい。人の話はちゃんと聞くし、しっかりしているとは思うのだけれど。
何となく面倒を見てあげたくなるのだ。
トランクスはうがいをし、大きな自分を屈ませた。タオルを外してその目を見つめ、
「さっきよりはマシなんじゃない?」
大分腫れも引いてきたし、と分析する。
「大丈夫、かなぁ」
「うーん、でもあんまり遅いと逆にパパ不機嫌になっちゃうし」
腹が減ると気が立つのは地球人も同じだが、サイヤ人の場合は特に。それを身をもって知っているトランクス(精神と時の部屋で三度の食事を用意していたのは彼だ)は仕方なく頷いた。
ダイニングでは既に家族全員が揃っている。朝から食べるには多すぎるような量が並ぶ食卓だが、サイヤ人三人となるとこれでもまだ足りないという程度。
遅いわよ、と頬を膨らませるブルマに謝って席に着く。ちらりとベジータの顔を見れば、一心不乱に食事を掻き込んでいてトランクスのほうは見ようともしない。
そのことにちょっと安心して、トランクスは「頂きます」と両手を合わせた。
その様子を横目で盗み見て、ベジータははぁ、と小さくため息をついた。隣では彼の妻が満足そうに笑っている。
気を感じることが出来るベジータ。勿論悟飯の気が増えたのは感じていた。その付近に息子二人とカカロットのまがい物、もとい悟天がいることも。
そこで戦闘でも起きようものならば喜び勇んで出かけて行ったのだが、生憎衝突の気配なし。ならば自分はひたすら修行するのみと重力室に篭もっていたら。
お人よしな息子の気が揺れ動くのを感じた。
本人は断固として否定するであろうが、可愛がっている愛息子のそんな気配に修行に集中も出来ない。可愛がり方は一般のそれとは大きく違うが可愛いものは可愛いのだ。苛々しながらブルマに事態を話せば妻はけろりと言ってのけた。
曰く。
戦っていないのなら敵ではない。ということは現れた気は正真正銘悟飯のものである。
息子の気が揺らいだというのならばそれ即ち彼に関わる者。未来では彼の師匠であった悟飯に違いない。
何故そうまで断言出来るのかと問えば「恋愛マスターを舐めるな」とのお言葉が返ってきて、むっとした旦那は妻の口をそれなりの方法で塞いでやったのだけれどそれはまた別の話。
恋愛マスターが言うには「翌日どんな顔をしていてもそのことには触れるな」らしい。
聞かされた時は何を言っているのやらと思ったものだが、朝食の席に遅れて現れた息子を見て思わず納得した。恋愛マスターの名は伊達じゃないらしい。昨日何があったのかすらお見通しなのかもしれない。我が妻ながら侮れない。
本当ならば今すぐパオズ山に飛んでいって殴り飛ばしてやってもいいのだけれど。
腫れた目元とは裏腹に、小さな自分に話しかけられては幸せそうに笑うから。後でカカロットを殴り飛ばすことで勘弁してやろう、と悟空にとっては大変迷惑な自制をしてやった。
断じて隣で笑う妻が怖いからじゃないぞと自分に言い聞かせながら。
目の前では息子たちが兄弟のように会話している。おっきなのが少し遠い所にあるトーストを取ってやり、バターと蜂蜜を塗ってちっさいのに渡してやる。
ビフォー、アフター。そんなことを考えて王子様の嫁さんはちょっと笑った。
「ねぇ、オレ今日学校なんだけどさ、兄ちゃんはパオズ山行くんだろ?」
「うん。あ、でもちょっと神殿に行ってこようかと思って」
「……あの悟飯さんも『ピッコロさん大好き』なわけ……?」
「え、あ……どうだろ。でもそうだね、大好きだろうね」
「ふぅん……じゃあ学校終わったらオレも神殿行くよ。ちぇー、悟天はいいよなぁ、学校行かなくていいなんて」
「悟天君も同じこと言ってたよ。『トランクス君は学校に行けていいなぁ』って」
その言葉に小さなトランクスは「えー、何でだよ」と唇を尖らせる。彼には学校に行くのは義務であって楽しいことではないのだろう。そういえば体育の時間が一番辛いのだと言っていた。桁外れの運動能力。力をセーブするのにも一苦労なのだと。
そんな姿に苦笑して、トランクスは野菜スティックをぱきりと噛んだ。
***
「トランクスさんと一緒に行くかと思ってました」
あんなに離れ難そうにしてたから。
パオズ山にて。
布団を畳ながら言う少年に、大人は笑った。こちらも布団を片付けつつ。
普段は悟飯と悟天が寝ている部屋。悟天には昨日だけ、悟空とチチの間で寝てもらった。悟空が帰ってきてからは大のお父さんっ子になっていた悟天はむしろ大喜びだったけれど。
「トランクスがね、言ってくれたんだ」
『オレはまた毎日でも会えますから』
だから今日は。今日くらいは。悟空の側にいてくれてもいいのだと。何だったら、未来へと帰る時まで。
最後の台詞には馬鹿だな、お前の側にいるよと返したのだけれど。
悟飯のことを思ってくれるトランクスの優しさが嬉しくて、その言葉に甘えることにしてしまった。毎日会える、という幸せを実感しながら。
「また明日、って、幸せだね」
「……はい」
一度死んで生き返った人。
一度失い甦ってもらえた人。
境遇は違うけれど、それでも命あるものへの愛しさは痛いほど知っている。
「悟飯君は学校だっけ?」
「あ、はい。悟飯さんはどうされます?」
「うん、まずはピッコロさんに会いに行きたいなと思って。きっと心配してるよ」
いきなり同じ気が増えちゃったしねぇ、と笑う。
そんな大人に悟飯は、僕の師匠なのに、とちょっと思った。彼の師匠でもあるのだけれど、やっぱり大好きなピッコロさんの一番弟子は自分でありたいと思う。そんな小さな独占欲。
一瞬後にそんなことを思ってしまった自分を恥じて俯いてしまったけれど。
しかし大人はそんな悟飯の考えも読んでいたようで。
「駄目だよ、浮気しちゃ。可愛い彼女がいるんだろ?」
「ううううう浮気ぃぃぃいいいいっ!?」
「ビーデルさんだっけ。いい子なんだろ? 大丈夫だよオレにはトランクスがいるんだから」
「ななななんなんなんでしししし知って」
「あれ、浮気は否定しないのかい?」
「してませんよ浮気なんて! ていうかピッコロさんは男……あれナメック星人って男女無いんだっけ……? いやそれより何でビーデルさんのこと!!」
「あはは、昨日お父さんに聞いたんだよ。『悟飯とビーデルはいつ結婚するんだろうなぁ~』って。いくらお父さんとお母さんの結婚が早かったからって、まだ悟飯君一七歳だもんねえ」
「おおおおおおお父さん!!」
「うわどうした悟飯朝っぱらからでっけぇ声出して」
「悟飯さんになんてこと言ってるんですか大体僕とビーデルさんはまだお付き合いしてるわけじゃ」
「駄目だぞ悟飯ちゃん、そったらこと言って、女が皆待っててくれるとは限らねぇだ」
「でもチチはオラのこと待ってたろ?」
「おらは純情だったんだ! その乙女心も知らねぇで悟空さは……!」
「悪かったって……でもよ、待っててくれて嬉しいぞ?」
「やんだー悟空さったらそったらこと子供の前で言っちゃ恥ずかしいだよー」
「おかあさーん僕お腹すいたー」
「僕が言ってるのはそういうことじゃありませ――――ーん!!」
「そっか、悟飯おめぇ照れてんのか!」
「こーら、悟空さ、悟飯ちゃんは純情なんだべ。あんましデリカシーのないこと言うもんじゃねぇだ」
「お腹空いたってばー」
「お、でっけぇ悟飯も起きてたんか。オッス」
「お早う御座います。ほら悟飯君、早くご飯食べないと学校に遅れるよ」
お年頃の青少年が開け放して出て行った扉を静かに閉めながら、悟飯は笑って父に挨拶をする。
「って、元はといえば悟飯さんが!」
「あははは、ごめんごめん。あ、お母さん手伝いますよ」
流石にサイヤ人四人分というのは如何なチチとて大変であろう。いきり立つ少年を宥め、悟飯は台所に立つ母の隣に並ぶ。
ぱかぱかぱか、と卵を割って溶いたそれをフライパンに流し込む。具と米を入れればチャーハンの出来上がり。他にも三、四品ほど作り上げる。
手際の良い息子の様子にチチは目を丸くした。
「あれま、悟飯ちゃんいつの間に料理なんて覚えたんだ?」
「うーん、修行してるときは基本的に一人でしたから。簡単なものばっかりですけどね。
それにトランクスも料理上手いんですよ。二人で台所に並んで立つ、っていうの、よくないですか?」
それは新婚さんの光景じゃないだろうか、と少年悟飯は思った。悟空もちょっと思った。何せ実際に自分たちが新婚の時嫁さんから言われたことだ。悟空の場合は破滅的なまでの料理に台所への立ち入り禁止が言い渡されたのだが(何しろトカゲやムカデも焼いてくう男である)。
しかしチチはそんな長男にいたく感動したらしく。
「んだな! やっぱりいまどき男も料理が出来ねばなんねぇだよ!」
目をキラキラと輝かせて大きく頷く。チチに頼りっぱなしの孫家の男たちは肩をすくめて縮こまる。そんな大人たちの様子に気付いていないのは悟天のみ。しかしその脳みそには「男も料理!」としっかり記憶する。これが後々役に立つことになろうとはこの時は思いもよらなかったが。
「トランクスも美味しいって食べてくれるんですよ」
にっこり笑って差し出された料理は確かに美味しく。
サイヤ人二代目王子様の舌に合わせているのだろうその味に痛いほどの愛情がたっぷり込められているのを感じて、孫家の人々はちょっぴり切なくなった。
***
お早うございます、と照れた顔で言う彼が可愛くて、思わずキスしそうになってしまった。
子供がいる手前、必死で自制したけれど。
二人きりだったらきっとそのまま抱きしめていただろうな、と悟飯は思った。
朝一番でパオズ山に飛んできたトランクス。悟空を心臓病から救ってくれたからという以上に、礼儀正しい彼をチチは気に入っているらしい。
遠慮する彼を家に引っ張り込んで早速お茶の時間にしてしまった。まだ九時である。
どうせ神殿に行くのなら瞬間移動で、と悟空も巻き添えにティータイム。
最強の戦士も嫁さんにかかれば便利な乗り物扱いである。それを嫌がっていないところがやっぱり結局この夫婦なのだけれど。
もっとも美味しい食べ物があれば悟空も悟天も構わないのだろうが。
「悟天君、頬っぺたついてる」
「え、こっち?」
「ここ」
頬を触る悟天の手が見当違いなところにあるのを見て、トランクスが腕を伸ばして食べかすをとってやる。その様子に悟空は笑った。
「あははー、お前等そうしてっと親子みたいだなぁ」
「父親がそんなこと言ってどうするんですか……」
「って、悟空さんもついてますよ」
「あり?」
くすくす笑うトランクスの指が悟空の頬からも食べかすを摘み取る。悟空は頭をかいた。どちらが年上なのか分からない。
チチも同じことを思ったらしく、拳で軽くこつんと夫を殴る。取り立てて何も言わないのはそれが当たり前のことで、言っても無駄だと知っているからだ。
そんな夫婦を尻目に、悟飯はトランクスに小声で話しかけた。
「ねぇ、トランクス」
「はい」
「悟天とかトランクス君はいいけど、他の人にあんなことしちゃ駄目だよ」
強い視線にトランクスは少し怯む。悟空さんはあなたの父親でしょう、と思うのだが。ヤキモチを妬いてくれたのかとちょっと嬉しくなる。けれどそんな自分が少しばかり情けないと思ってしまって。
「……悟飯さんにも?」
悔しさ半分でちょこっと意地悪してみたら。
「オレは別」
悟飯の反撃。トランクス一三のダメージ。
にっこり笑顔できっぱりとのたまう師匠に、トランクスは小さくため息をついた。
「トランクスについてたらオレが取ってあげるよ」
「つけません!」
朗らかに言われてついつい大きな声で否定した。その後の本気で残念そうな顔は見ないふり。
そんな二人を悟空とチチは微笑ましく、悟天はきょとんと見つめた。
***
「トランクスさんお久しぶりです!」
「大きくなったねデンデ」
満面の笑顔で迎えてくれるデンデにトランクスも笑顔で返す。悟飯はどこかで聞いた台詞だな、と苦笑した。
どうやらデンデの気を辿って瞬間移動したらしい。悟空曰く「昨日のピッコロは不機嫌だった」らしいのだが、悟飯は自分のことが気になっていたんだろうと思っている。
気にかけてもらっていたという自負はある。だから、急に増えた孫悟飯の気が気がかりで、悟空に対する返事がぞんざいになったのではないかと。
そんなことを考えていたら、デンデの大きな目がじっと自分を見つめているのに気付いた。
「久しぶり、かな」
五つの時に出会って、それからずっとご無沙汰だったから。
そっと笑って見せると、デンデはパァっと顔を輝かせた。
「トランクスさんの(世界の)悟飯さんですね!」
何でこうもここの人たちは。
脱力するトランクスに、デンデは首を傾げる。何故トランクスが肩を落としているのか分からないらしい。
「気にしなくていいよ、照れてるだけだから」
「照れてません……」
「ピッコロさんはどこかな」
悟飯はトランクスの文句を無視し、ピッコロの気がある方へ向かおうとする。しかしすぐそこから近付いてきてくれているらしいことを悟り、しばし待つ。
柱の影から現れた長身ににっこり微笑み。
「トランクスの(世界の)悟飯か」
「はい」
かけられた言葉を笑顔で肯定した。
「ピッコロさんまで……」
後ろの方で呟くトランクスは気にしないふり。さっきの意地悪お返しである。その時点で反撃しておいて、どっちが意地悪なのか分からない。
「お久しぶり、ってのも変ですけど」
「……大きくなったな」
「はい。ピッコロさんは変わらないんですね」
「ナメック星人は長寿だからな」
そういうことじゃないんだけど、と思いながらも悟飯は笑う。
本当に、変わらない。自分の最後に見たピッコロは界王星で悟空と大暴れしている姿。死人なのだから年を取るわけもないのだけれど、そういうことじゃなくて。
『孫悟飯』に甘いその師匠の姿に悟飯は目を細めた。
「ねぇピッコロさん、ちょっと二人でお話ししません?」
「……あぁ。おいデンデ、こいつらを案内してやれ」
「はい。……悟空さん、もう神殿壊さないでくださいね……?」
「あはは~、わりぃわりぃ。ちょっと力入れすぎちまってよ」
「昨日何してたんですか……」
「いやピッコロと修行……」
「あー、ここ壊れてるー」
「悟空さん……」
「いや修行……」
トランクスはちょっと気にしていたようだけど、申し訳ないながら黙殺させてもらった。だって、トランクスに聞かれるとちょっと照れくさい。可愛い弟子の前では、格好いいお師匠様でありたいから。師匠のささやかなるプライドというやつである。
遠ざかる声に小さくため息をついて、悟飯はピッコロに向き直った。
***
神殿の入り口に座り込む。遠くでは悟空と悟天の叫び声が聞こえる。
ここに来るのも久しぶりだ、と悟飯は思った。彼の世界ではミスターポポが一人で暮らしている神殿。仙豆を貰いにいく度に立ち寄っていたけれど、誰もいないことを確認するたびに寂しくなって、彼には申し訳ないながらも少しずつ行かなくなっていた。
空を仰げば太陽が近い。ピッコロは悟飯が口を開くまで黙っているつもりなのだろう。その優しさが好きだった。けれど黙っているつもりは勿論ない。言いたいことは沢山あるから。
あのね、と彼は話し出した。幼い頃の喋り方そのままに。
「恨み言、沢山言おうと思ってたんですよ。
界王星、もしくは天国に行けることになったら。きっとあなたもそこにいるだろうから。何でオレのこと置いてっちゃったんですかー! って。庇ってもらってこの言い草も失礼だとは思いますけど、その時はもう悲しくて悲しくて。
でもね、言えなかった。
結局、オレも同じことしてるわけでしょう? あれですよね、親の心子知らず。師匠の心弟子知らずかな? どっちでもいいですけど。
何があっても生きて欲しかった。あの子に。あの子が最後の希望だから、とかじゃなくて。単純に。
あの子にこそ生きていて欲しい、って。
それでね、その時漸く気付いたんですよ。あなたもそう思ってくれていたんだな、って。忘れてたわけじゃないですよ、ベジータさん達が始めに地球に来た時のこと。でもね、それでも、やっぱり置いてかれた、って気がして。大人は皆いなくなっちゃうし、人造人間はどしようもなく強いし。オレなんかに何が出来るんだろう、って。お父さんもいないし、ずっと庇護される立場だったのが急にする立場に引きずり出された、っていうか。もう、グラグラ不安定もいいとこでしたよ」
思い出す。何をすればいいのか分からず、破壊兵器にずたずたにされていく街を人を瓦礫の影に隠すことしか出来なくて。
自分のあまりの弱さに呆然と立ちすくんだ。
そんな自分を拾い上げてくれたのは、空色の光。
うろたえるだけの悟飯を叱り、励まし、殴り飛ばして。支えられている振りをしながら、悟飯が一人で立てるようになるまで支え続けてくれた。あんなに優しい怒った顔、悟飯は見たことがなかった。
「ブルマさんと、あの子がいてくれて本当に救われました。
それに、あの時分からなかったことを教えてくれた。でなきゃ、大事なお師匠様のガラスの心を傷付けちゃうところでしたから」
でもねぇ、と悲しそうにため息を吐く。
「あの子は責めてくれないんです。よかった、って。生き返ってくれて、また会えて嬉しい、って。それだけ。重荷、全部背負わせちゃった僕に、恨み言の一つもなしで。良い子だと思います。それこそ自慢の弟子です。だけど、」
「お前に似たんだろう」
それまで黙って悟飯の話を聞いていたピッコロが口を開いた。見上げる悟飯にちょっと笑って、くしゃり、と頭を撫でる。
悟飯は「もう子供じゃないんですよ」と呟いた。昨夜の別れ際の弟子のように。
父親に対しては素直に受け入れられたのに。師匠に対しては何と言うか、意地を張りたいわけではなく。認められたいという気持ちはあるけれど、それとも何となく違って。
きっと。
「オレにとっては子供と変わらん」
こう言ってもらいたいがための、小さな甘え。
いつまでもお前はオレの大事な弟子だ、と。当たり前に言ってくれる人に対しての。当たり前に言ってくれることを期待しての。
「で、何でこんなことを言ってるかって言うとですね」
惚気、なんて言ったらこの人は怒るんだろうな。それとも惚気が何なのか分からなかったりするのだろうか。想像して、悟飯はちょっと笑った。
半分は惚気。残りは師匠への孫弟子自慢。ピッコロに憧れてここまできた。強くて優しくて、時には厳しくあれるように。そんな自分のお披露目。
あなたの教えをちゃんと受け継いでいられるといいのだけれど、と思いながら。
まあ、とっくの昔にトランクスを知っていたのだから無意味だったかもしれないけれど。
それと。
彼には彼の世界のピッコロがいる。だから、これはこの世界の自分への贈り物。
「ピッコロさんがいないともっっっのすごく悲しむ子がいるんで、無闇矢鱈と自爆とか庇ったりとかしちゃ駄目ですよ」
「……お前が言うか」
「オレだから言うんです」
変わらないピッコロの姿に喜んだのは本当。だけど、きっと変わってくれなきゃ悲しむ人がいると思ったから。教訓混じりの恨み言。この師匠にはどうしたって甘えてしまう自分を悟飯は自覚していた。
「さて、言いたい事言っちゃってすっきりしました」
よっこらしょ、と立ち上がる。きっとやきもきしているであろう可愛い弟子の元へと行かなければ。
「オレはすっきりしとらんぞ」
「あはは、ごめんなさい。あ、そうだピッコロさん、言い忘れるところでした」
「何だ」
「だいだいだいだいだぁ~い好き、ですよ」
子供の頃のままの顔で告げられた予想外の言葉にピッコロは目を丸くする。
そんな師匠が愛しくて、悟飯は声を上げて笑った。
***
トランクスは軽く眼を見開いた。悟られないよう微かにだったけれど、目の前の人は敏いのか疎いのかよく分からない。
「え、いや、気にしてはいませんけど……」
失礼ながらも彼は鈍い人だと思っていたので、声を掛けられてつい驚いてしまった。
悟飯とピッコロが気になるか?
悟空にそう聞かれ、トランクスは考えつつも首を横に振った。本当は気になって仕方なかったけれど。
トランクスの知っている悟飯は、誰かに甘えるなんてことをしない、しっかりと自分の足で立つ、立派な大人であったから。
最近ようやく自分がそうさせていたのだろうな、と考えられるようにはなったけれど。
やっぱり自分の知らない悟飯の姿を見てしまうと、少し寂しくなってしまう。悟飯のことは自分が一番知っていたいなんて。それがおこがましい考えであると分かっていても、だ。
「そっか?」
「はい……」
嘘だ。
しかし悟空は何も言わない。ただ黙ってトランクスの隣にいる。
少し離れた所ではデンデと悟天がじゃれ合っている。穏やかな光景にふっと微笑んで、トランクスは意を決したように口を開いた。
「あの……」
「ん?」
「悟飯さんは昨日……生き返ったことについて何か言ってませんでしたか……?」
一番聞きたくて、一番聞きたくないこと。でも、聞かずにはいられない。知らないわけにはいかない。知らないふりなんてとんでもない。
一晩寝て気付いた。
悟飯が生き返ったことを喜ぶばかりで、彼の気持ちを考えていなかったことに。
無理やりとも呼べる方法で永久の眠りから強引に目覚めさせてしまった。
悟飯は笑っていてくれたけれど、迷惑だったのではないか、と。考える。
界王星には悟空もピッコロもいたと聞いた。他にも、大事な戦友たちが。
幸せだったのではないだろうかと思うのだ。無理に生き返させられるより、余程。再び生きる苦しみを味わうことになるとは思ってもみなかったに違いない。
生き返って嬉しいというのはトランクスの主観だ。
笑顔でいてくれたのは彼の優しさで、悟飯にとってはいい迷惑だったのではないのかと。
本当は、自分勝手なトランクスに怒っているのではないかと。
考え付いた。
そう言われるのが怖いくせに、聞いてしまうのは心が弱いからだ。
「別に何も言ってなかったぞ」
「……怒ってませんでした?」
「怒る? 何にだ?」
「オレが……勝手に、オレの勝手で悟飯さんを生き返らせたこと……」
悟空はぱちくりと目を瞬いた。トランクスが何を言っているのか分からないというように。
その様子を見て取って、トランクスはゆっくりと思っていたことを話した。
黙って最後まで聞いていた悟空だったが、話し終えて俯くトランクスの顔を覗き込み、その鼻をぴん、とはじいた。
「ごっ、ごきゅうひゃん!?」
「おっめぇ、そんなことで悩んでたのか?」
「そんなことって……大事なことでしょう?」
生き死には、軽いことじゃない。トランクスはそれをよく知っている。会えない辛さも、大事な人から急に引き離される悲しみも。
でなければこんなに胸が苦しくなったりしやしない。
トランクスが悟飯に会えて嬉しかったように、悟飯もピッコロに会えて嬉しかったはずなのだ。まして、「大のお父さんっ子だったよ」と話してもらったことも覚えている、そんな悟空もいたのに。
「生き返らなければよかった、って……思ってるかもしれない……」
口にしたら余計胸が締め付けられた。
そんなこと、思って欲しくはないけれど。
トランクスには悟空やピッコロ以上に「生き返ってよかった」と思わせるほどのものを、悟飯に与えられるとは思えなかった。
自分は悟飯から奪ってばかりいる。
悟空も、ピッコロも、腕も、命さえも。
自分が我が侭を言わなければ。自分がもっと強ければ。あんなことにはならなかったのに、と。
何度後悔してもし足りない。
悔しさの滲む表情で語る姿を見ながら、悟空はぽりり、と鼻の頭を掻いた。
『真面目なのは誰に似たんでしょうねぇ』
昨夜の息子の言葉を思い出す。
「そんなこと、ねぇと思うけどな」
悟空は言った。
顔を上げると、いつもの笑顔を向けている師匠の父に頭を撫でられた。
悟飯によく似た、大きくて温かい節くれだった武道家の手。
撫でてもらえるのが嬉しくて、何とか褒められようと必死で修行したことをトランクスは覚えている。今は照れくさくて素直に撫でて欲しいなんて言えないけれど。
「オラもいっぺん死んじまったろ? だから、全部じゃないけど少しはあいつの気持ちが分かるんだ」
ほんとにちょっとだけな、と言い置いて悟空は考え考え話し出した。
「いっちばん初めに死んだ時はよ、一年したら生き返れるって分かってたし、オラもそのつもりだったから特に考えることはなかったんだ。……チチが怒ってるだろうなーとは思ったけど。
そんで……ほら、セルん時。死んだばっかの時は考えなかったんだけど……たまーにさ、覗いてたんだ。あいつらが危ねぇ目にあってねぇかとか。
でもよ、ほんとに覗くだけなんだよな。何も出来ねぇんだ。話しは界王様に頼めば出来るんだろうけど……川に流されてる時に声掛けたって何の助けにもならねぇもんな……」
そういえば、とトランクスは思い出していた。
悟天が小さい頃、川辺で遊んでいたら足を滑らせて落ちてしまい、そのまま流されてしまったことがあると。悟飯も似たような経験があり、その時は悟空に助けてもらったが、悟天は自分が助けたと少し誇らしげに笑っていた。
悟空はきっとそのことを言っているのだろう。
「あいつらがどんなに辛い目にあってても、死んでたら手助けも出来ねぇんだ。それがいっちばん嫌だったな。オラがいねぇと何も出来ない、ってんなら別だけどよ、もう少し、あとちょっと力を貸してやれれば、って時もただ指くわえて見てるしかないっつーのが一番堪えたな。
それに、あの世にもいい奴はいっぱいいたし、楽しかったけど、そこにはチチも悟飯もいねぇ。あいつらの側にオラがいねぇのと同じで、オラの側にはあいつらはいねぇんだ。気付いた時にはすっげぇ寂しくてよ。
後悔してるわけじゃねぇんだ。あの時はそれが一番いいと思って選んだことだから。
でもよ、今はこうして生き返って、チチも悟飯も悟天もいる。クリリン達にも会いにいける。困ってたら助けてやれる。生き返ることが出来てよかったって思ってる。生き返って後悔なんかしてねぇ」
だからよ、と彼は続けた。
「『生き返らせなきゃよかった』なんて酷ぇこと言わねぇで、優しくやってくれよ」
「………はい……ごめんなさい」
勝手に生き返らせて、勝手に分かったふりをして、勝手なことばかりを言って。
後悔せずに生きること。やれることをやるということ。
それこそが大事なんだよ、と優しい声でに教えてもらったはずなのに、こんなにも簡単に忘れて、彼の父親に泣き言を洩らして、慰められて。
何て至らない弟子なんだろうか。情けなくて、悔しくて。
「そんな顔すんなって」
「でも、オレ……悟飯さんに申し訳なくて……」
ぎゅう、と拳をきつく握り締める。短く切り揃えているはずの爪が手の平に食い込む。
血の匂いに気付いた悟空は、トランクスの背を優しく叩いた。そして握りこぶしを開いてやりながら息子自慢の優しい弟子に笑いかける。
「置いてかれる辛さってのはよ、あいつも知ってんだ。オラの所為で。だから、怒ってるわけねぇと思うぞ。それより、おめぇに怒られねぇかビクビクしてんじゃねぇか?」
「そんな……オレに怒る資格なんてないです」
「シカクとかそういうことじゃねぇと思うけど……あーぁ、トランクスおめぇ強く握りすぎだ」
開かせた手の平を見て悟空は顔を顰めた。この短い爪でよくぞ、と言ってやりたい。褒めてはいないが。
涙の代わりに血を流しているのだろうか。
どうせ流すなら、喜びの涙だけであって欲しいのだけど、と思う。
それは無意識だった。小さな頃からかすり傷なんかはこうやって直してきた。それで充分だったから。
「ごく、ごっ、悟空さんなにしてるんですかっ!?」
「へ? 消毒」
んべ、と舌を見せる。
怪我は舐めときゃ治るからな! と悟空は力強く断言する。確かに唾液には殺菌作用もあるのだが、それ以上に雑菌が含まれているので怪我した場所を舐めるというのは本当は推奨された消毒ではない。
しかし今トランクスはそういう理由で慌てているのではなく。
「結構ですから! そんなそんな舐め舐め舐め……っ!!」
「お、血ぃ止まったぞ」
「……人の話聞いてください……」
がっくりと肩を落とすトランクスに悟空は首をかしげた。何故トランクスが慌てているのか本気で分かっていないらしい。
そういえば彼の長男も似たようなところがあった、とトランクスは師匠を思い出してそっと体温を上げてしまう。
顔を赤らめているトランクスを眺めながら、悟空はふと昨日のことを思い出す。
***
トランクスたちが帰った後、宿題と予習をするからと部屋に引っ込んだ(と言うのは勿論名目である)長男と、昼寝をしたとて育ち盛りのおねむ次男を寝かしつけ、親子三人水入らずで食卓を囲んだ。お茶を飲みつつお菓子をつまみ、これまでのことを語り合った。
別世界の息子の口から出てくるのは殆どがこの愛弟子の名前で、たまにブルマやピッコロ、そして悟空が出てくるくらいだった。
あまりにも自分の名前が出てこないことにチチが拗ねて宥めるのが大変だったのだ。
トランクスのことは勿論一緒に戦った仲間として大事に思っている。姉のような関係であるブルマの息子でもあるし、同時にライバルの息子でもある。それを除いても気持ちのいい青年だ、充分に好意を持てる。
しかし、悟飯の口から語られるトランクスは、悟空の知っているトランクスと同一人物だとはとても思えなかった。
悲しくて泣いて、嬉しくても泣いて、ピーマンが苦手でトマトが好き。カレーの具はじっくり煮込んだ具が溶けかけのものが好き。だけど肉は固めがいい。
怖い話を聞くと夜眠れなくなる。そして悟飯の布団にもぐりこんでくるのが嬉しくて、何度も怖い話をした。そのくせ強がってなんでもないふりをするから、また繰り返し。最後にはブルマに怒られた。
女の子に話しかけられるとすぐに顔が赤くなって、それをからかうとすぐ拗ねる。終いには「師匠が女の子に弱いから受け継いじゃったんです」と減らず口。だからって悟飯が女の子と長話をしているとまた拗ねる。
トランクスが可愛くて仕方ない、というような口ぶりに、初めは拗ねていたチチも最終的には呆れながらも笑っていた。
片腕を失くしたことさえ、大事なものを守って負った名誉の負傷だと告げた誇らしげな顔。
悟空とて、いくら鈍いと言われていても、そこで息子の気持ちが分からないほど鈍くはなかった。
だからチチが風呂に入ると席を外した時、ついつい言ってしまった。
「ごはぁん、おめぇそんなとこまでピッコロに似なくてもいいんだぞ」
「そんなとこって、どんなとこです?」
「いや、だってよぉ、おめぇたちのそれ、トランクスが師匠離れ出来てねぇんじゃなくて……」
「オレが弟子離れ出来てない、でしょ?」
「へ?」
「あはは、ちゃんと分かってますよ。でもねぇ、離れる気も放す気もないんです」
どうしようもないことに、と幸せそうに笑った。
その表情だけでもう、悟飯がどれだけトランクス大事なのか思い知らされるというものだ。
けれど同時に彼の執着をも見せつけられた気がして。
「悟飯が苦労かけると思うけど、よろしくな」
「?」
苦労をかけているのはオレですよ、と不思議そうな顔をするトランクスの頭を撫でて、いつの間にやら柱の影でやきもきしている息子の気配に悟空は笑った。
***
悪化してる。
トランクスはずきずき痛む胃をこする。隣では悟飯もまた同じようなポーズで同じような仕草。
なるべく見ないようにしている場所では別の自分とその師匠がいちゃいちゃしている。見たくないなら目を閉じればいい。けれど耳を塞ぐなんて、あまりにあからさますぎて人のいい少年たちは漏れ聞こえる糖分過多な会話に胃もたれを起こしつつも何も出来ない。
学校が終わってすぐに神殿に来たのだけれど、それは失敗だった。ていうか来なきゃよかった。心底そう思う。
きっと隣でお茶を啜っている振りをしている悟飯も同じだろう。ちっともお茶が減っていないのはご愛嬌。演技が下手な少年なのだ。
「いつからあれ、やってるの……?」
「オレが来たときはもうずっとあれだったよ……」
「トランクス君が来る前からずっと二人でらぶらぶ? してたよー」
「ご、悟天お前らぶらぶとか言うなよ!」
ぴぎゃー! とトランクスは叫ぶが、無邪気に笑う悟天はただ首を傾げるだけ。何故幼馴染が涙目になっているのかなんて分からないのだろう。
悟飯はあーあ、とため息をついた。
ちら、と視線を送り、やっぱり見なきゃよかったと頭を下げて肩を落とす。
居た堪れない。
何でだろう、と悟飯は思う。
トランクスは好きだ。隣で「悟天のバカバカ」と涙声で呟く少年も、視界に入らないところで頬を染めている青年も。前者は弟のような、後者は戦友、または兄のような愛情を持っていると断言できる。
けれどあの、未来では亡くなっていたという彼は。
「あーん」
「あーん」
右手にティーカップを持っている彼はお茶菓子を手に取れない。だからトランクスが代わりに摘んで食べさせている。というのはただの名目。
別にテーブルにティーカップを置けばいいのだ。それで全て解決する。
だが悟飯は置こうとしないしトランクスも何も言わない。そして延々駄目ップルの会話は続く。
「他に食べたいもの、無いですか?」
「んー……じゃあ、トランクスが食べたいな」
「何言ってるんですか、悟飯さん」
「この頬っぺたなんて、齧ったら甘そうだよね」
「そんなわけないでしょう。はい、あーん」
「あーん」
あんたらなんて会話を。
師匠が弟子に対してするようなそれを通り越した会話に、悟飯はちびっこ二人の耳を塞ぎつつ、心の中で絶叫した。天津飯のように腕が四本もあるわけではないので、片方の耳しか塞げなかったけれど。トランクスの右耳と悟天の左耳を手で塞ぎ、残りをお互いの耳で塞いでもらおうとしたらつい力が入ってがつんとやってしまった。
慌てた所為でちょっと力が入ってしまったけれど、その衝撃で駄目な大人二人の会話は耳に入っていないらしい。というかくらくらと頭が揺れている。
悟空はぱちくりと目を瞬かせ、ピッコロは視線を逸らし、デンデは静かに苦笑した。
「昨日はあそこまでじゃなかったでしょう。何があったんです」
じと、と悟飯はピッコロと悟空を睨みつける。ピッコロは目を逸らして悟空を見つめ、悟空はきょとんと首を傾げた。
この時点で元凶が誰だか丸分かりというものである。しかも本人無自覚ということまで。
「……何してました?」
「ああ、トランクスに……」
恐る恐る見上げる悟飯にピッコロが事情を話そうとした時。
「あっ、ちょ、悟飯さん、オレの指は食べ物じゃありませんよ」
「このまま全部食べちゃおうか」
なんちゃってね。
うっとりするほど爽やかな笑みでとんでもないことをのたまう悟飯に、これまた頬を染めたくなるほど可愛らしい表情で俯くトランクスにもう一組の悟飯とトランクスはげっそりする。
なんちゃってが本気に聞こえないこの恐ろしさ。
両腕をこすって暖をとろうとするが、そんなことでこの薄ら寒さは拭えない。
しかもその上とんでも師匠はとんでもないことを言い出した。
「食べちゃう代わりにキスしちゃおうかな」
「は!?」
何を言っているんだ、と真っ赤になるトランクスに更に一言。
「お父さんにキスされたとこも、全部ね」
「……」
「……」
「……」
「悟空……」
「悟空さん……」
「お父さん……」
ピッコロとトランクスと悟飯の冷たい視線を一身に受け、悟空はちょっと後退り。怖いもの知らずの悟空だって、こうも恨みがましい目でみられたらやっぱりびびる。しかもうち二人は精神的ダメージがとんでもなく大きいものだから、視線も尚更厳しくなろうというものだ。
「悟空さんの馬鹿……」
「わ、わりぃ……」
「お父さんのいらんことしい……」
「すまねえってぇ……」
「今晩のデザート抜きですからね」
「いぃっ!?」
そりゃねぇよぅ、と嘆く悟空の声が雲より高い神殿に響き渡る。
しかしそんな中でも未だ見詰め合う師弟はキスするしないやめろやめないでその後二時間いちゃこらし続けたのだった。
***
甘く漂う苺の香り。紅茶に野苺の香りを付けたんですよ、と新米神様が教えてくれた。
こくん、と喉を鳴らして悟飯は「そう言えば」と口を開いた。
「未来へはいつ帰ろうか」
トランクスの指からすり抜けたティーカップとソーサーが触れ合って軽い音を立てる。零れなかったのは運がよかったのだろう。見ていたデンデはほっと胸をなでおろした。
そしてすっかり忘れていたことを師匠に言われて初めて思い出し、トランクスは自分の間抜けさに頭を抱えた。もっとも、原因は悟飯にもあるのだけれど。
「えーと、オレはもともと明後日帰る予定だったんですけど」
「そうか、じゃあ明後日だね」
事も無げに言う悟飯に、トランクスはいいのだろうか? とその顔を見上げる。悟飯が望むのなら、延ばしたっていい予定なのだ。
確かに帰りづらくはなるかもしれないけれど、今のトランクスには悟飯以上に優先されるものなど無いのだから。
しかし悟飯は笑ってトランクスの頭を撫でた。
「問題は、タイムマシンにオレも乗れるか、ってことだよなぁ」
まさか置いてけばりになんかしないよな? と笑われる。
「そ、そうだ……タイムマシンは一人乗り……!」
うっかりな所は母親譲り。
相変わらずな弟子に苦笑して、悟飯は師匠を見上げた。緑色の耳をぴくりと揺らしてピッコロは目を反らす。
無茶を言うな、ってなもんである。
元神様だろうが優秀なナメック人であろうが、あんな複雑な機械をどうこう出来る力はない。悟飯も多大な期待はしていなかったのでそれ以上は何も言わない。
役立たずと言うなかれ。ブルマがとびっきりの天才なだけなのだ。機械に関しては、の但し書きは付くけれど。
だからこういう時は。
「ブルマさんに相談してみようか」
「はい……」
トランクスがしょんぼりしながら頷く。そんな姿も可愛いな、なんて思ってしまうは馬鹿師匠。しょんぼりするだけ無駄なのだ、とトランクスに教えてくれるお人よしはいなかった。
***
孫家の男共に「またね」と手を振って別れ、二人のトランクスと一緒にカプセルコーポレーションへと飛んできた悟飯の姿に、ブルマはひゅう、と口笛を鳴らした。隣で「鳴ってないぞ」と呟く夫の鳩尾にチョップをくれてやると、初めて見る息子の師匠をまじまじと見分する。
「へーえ、あの悟飯君がねぇ。いい男になるもんねぇ」
へーほーふーんと眺められ、悟飯は困ったように笑った。ベジータの足元では小さなトランクスが複雑な顔をしている。
どんなにいい男でもその全ては可愛い弟子の為に、だ。まったく何の意味も無い。
被害を一身に受けることとなった少年は痛くも無い腹を押さえてぶすくれている父親にすがりつくことも出来ずにただ只管これ以上厄介なことが起きませんようにと祈るばかり。
そうね、と少し考え込んだ後、ブルマは思い出したかのように告げた。
「ミクロバンド作ってあげるわ」
「ミクロバンド?」
「要は二人乗れればいいんでしょ? 片方が手のひらサイズになれば十分乗れるわよね」
トランクスは頷いた。悟飯を見上げると、それでいいよ、と目で返事が返ってきた。
設計図は残っているから明後日には出来るはずだ、とブルマ頼もしく請け負う。
「にしても懐かしいわね~。私筋斗雲に乗れなかったから、小さくなって孫君の懐に入れてもらったのよ」
「おい、どういうことだ! 聞いてないぞ!?」
「言ってないもの当然でしょ。だいたい、あんたに会うずっと前のことだもの」
何だかんだで愛妻家の王子様である。しかも話に出てきたのはライバルの名前。
むがががが、と額から蒸気を出すベジータを軽くあしらい、ブルマは早速作業室に入って行く。残されたベジータも悟飯を一瞥しただけで、何も言わずに小さなトランクスを引きずりながら重力室に向かう。
何でオレ、というトランクスの悲痛な叫び声が廊下にこだまし消えていき、途中で「うぐぅ」と鈍い声が聞こえたのはきっと殴られでもしたのだろう。勿論八つ当たりだ。
「……うーん、ベジータさんってあんなだったっけ……?」
長い平和とブルマの功績で丸くなったかつての侵略者。今ではすっかり愉快なパパである。
怖い人、という印象のまま人造人間と戦って命を落としたベジータしか知らない悟飯にとって、たった今目の前で繰り広げられた光景は俄かには信じ難い。
それでも幸せそうだな、とちょっと笑う。
何しろあの悟空でさえたじたじにしてしまうほどのパワフルガールだったのだ、ブルマは。本人が聞けば「今もよ!」と頬を膨らませるであろうけれど。
トランクスも会ったばかりの頃とは大分変わっている父親に、ブルマの偉大さを実感する。そして赤ん坊だったトランクス。あやした記憶さえ新しい子供が。
やっぱり育つ過程を見ていると、父親としての自覚も出てくるものなのだろうか。
ちょっと羨ましいな、とも思うけれど。
「きっとキミに会ったからだろうね」
悟飯がそう言ってくれるから、それもあると嬉しいな、と都合のいい解釈で納得してしまうことにした。
***
「悟飯ちゃんはトランクスちゃんのお隣の部屋でいいかしら~?」
のんびりとしたブリーフ博士の奥方の言葉に、悟飯は「はい」と頷いた。トランクスにも勿論異存は無い。
トランクスの部屋の隣室に案内され、部屋をぐるりと見渡した悟飯は弟子の祖母に頭を下げた。
「お世話になります」
「いいのよ~、何日だっていてくれても。
悟飯ちゃんもこんなに格好よくなるなんて、さすが悟空ちゃんの子供ね~。
明日デートしない?」
「え!?」
「だっ、駄目です!」
驚く悟飯と大慌てで首を振る孫の姿に、けれどブリーフ夫人は「あら残念」と微笑んだだけで退室した。その不思議な笑みにトランクスの頬が染まる。何だか色々と見透かされている気がする。
そんなトランクスには気付かず、悟飯は「あの人は何年経っても変わらないなぁ」と感心していた。
そういえば年を取っていないようにも見える。……まさかサイヤ人じゃないよな、という悟飯の呟きに、二人は顔を見合わせ引き攣った笑顔を見交わした。
「ま、まあ、そういう体質なんだろうね」
「そうですよね、きっと若い時代が長いんですよね」
「それってサイヤ人の特性だよね」
「………」
「ぷっ」
「……面白がってるでしょう」
「よく分かったね」
分かりますよ、と拗ねる弟子に微笑みかけて、悟飯はソファ代わりにベッドへと腰掛ける。睨みつけてくるトランクスにおいでおいでと手招きして、渋々近付いてきたその腕を引っ張った。
「うわ!?」
「あはは、重くなったねぇ」
トランクスの全体重をその身体で受け止めて、悟飯は朗らかに笑ってみせた。
その様子はまるで。
「孫の成長見守るおじいちゃんみたいですよ」
「……おじいちゃんなんて年じゃないよ」
弟子に甘いお師匠様も、さすがにジジイ扱いは嫌だったらしい。
めっ、と怖い顔をしてみせる。勿論怖くなんてないのだけれど。
そのまま何となくお互いに口を噤む。
話す事は沢山ある。話したい事も沢山ある。
だけど触れ合った場所からじんわり広がる体温が温かくて、それだけで全てが通じ合うような気がして。
トランクスはそっと目を閉じた。うつ伏せで悟飯に覆いかぶさっている体勢のお陰で、そんな小さな仕草も悟飯には分かってしまう。
甘える時、甘えたい時、トランクスはいつもきゅう、と目を瞑る。そんな弟子の仕草が嬉しかったものだ、と悟飯も笑って目を閉じた。
そのままどれだけ引っ付いたままでいただろうか。トランクスははたと気付いた。
いつまでもこうしているわけにもいかないことに。
カプセルコーポに着いたのは既に夕方近くになっていた。そろそろ夕食の集合がかかるはずだ。『ご飯は皆で食べたいじゃないかbyブリーフ』である。
このままでは誰か、有力なのは小さなトランクスが、きっと二人を呼びに来るだろう。わざわざ手間をかけさせるわけにもいかない。何せ朝からつっこまれっぱなしだったのだ。
「悟飯さん、そろそろ晩御飯の時間ですよ」
小さな声で呼びかける。しかし返事はない。
「悟飯さん……? 寝ちゃったんですか?」
戻らない返事に少し焦って身体を起こす。しかし悟飯はのんびりと閉じていた目を開けた。
「ん? いや、起きてるよ」
トランクスが起きて出来たスペースに、悟飯も身体を起こす。その時聞こえた「よっこらしょ」という呟きは、礼儀正しい弟子はきちんと聞かなかったことにしてあげた。
「ご飯はみんなで一緒に、だよね?」
「はい。覚えてたんですね」
「ブルマさんに散々言われたからねぇ。まあ、オレの家もそうだったけどね」
行こうか、と手を差し出される。
トランクスは迷わずその手を取り、
「またかよこの駄目師弟」
結局はお手々繋いで食卓へ着いた二人を見たチビトランクスの冷たい視線を浴びることとなったのだった。
***
和気藹々とした夕食。一家の団欒。絵に描いたような温かい家族。
「悟飯さん、これ美味しいですよ」
「そう? オレにも取ってくれるかい」
「じゃあオレが食べさせてあげますよ。
はい、あーん」
「あーん」
絵に描いたようなバカップル。
「……あれは何だ」
ベジータは頭痛を抑え、隣でもぐもぐ口を動かす妻に問いかけた。
「仲良しでいいじゃない」
仲良しなんてもなじゃないだろう。
暢気も大概にせえよ、とは口が裂けても言えない愛妻王子。しかしその間も視界には痛々しい光景が入ってくるわけで。
ブリーフ夫妻は「仲良きことは美しきかな」とか何とか微笑ましく見守っているし、トランクスに至っては自分よりも重症だ。普段はあっという間に平らげる量の食事も、今日に限ってはいまだ手付かずでテーブルに鎮座している。
無理も無い。学校が終わった後からず~~~~~~~っと見せ付けられっぱなしなのだ。やつれているようにさえ見える。
はぁ、とため息をつく。そんな夫にブルマはにんまり笑って手近な料理をフォークに突き刺し。
「ベジータ」
「何だ」
「あーん」
がごん。ずりごきゅ。
トランクスはテーブルに額をぶつけ、ベジータは無様にも椅子から転げ落ちた。リアクション芸人も真っ青だ。
「うふふ、ブルマさんとベジータちゃんも仲良しさんねぇ」
「そうだなぁ」
「じゃあパパにも、あーん」
「あーん」
大物だ。
二人のリアクションにも動じず、にっこり笑いあって自分たちも同じことをし始める妻の両親に、ベジータはいまだかつて無い敗北感を味わった。
この夫婦から生まれたのがブルマだというのなら、自分が連戦連敗であるのも頷けるってなもんだ。……限りなく認めたくない事実だが。
「ほらほら、あーんは? ベジータ、あーん」
「誰がするか!」
「何よぅ、あたしの料理は食べられないっての?」
「酔っ払いか貴様は! というかそもそもお前は作っとらんだろうが!」
いつものメンバーが集まるパーティなどは別だが、普段の食事は料理マシンが作っている。と言ってもそのパーティの料理もサンドイッチやバーベキューなど簡単なものばかりなのだけれど。
断固拒否するベジータに頬を膨らませ、ブルマは夫にえいやっと飛び掛る。妻の急襲に慌ててよけようとするが、今ここで避ければブルマは確実に床と仲良しこよしである。
そう考えが及んだ時点でベジータの負けだった。
「あーん」
「むがっ」
がぽんっ、と喉の奥にまで突っ込まれる。何かの苛めとしか思えない。
しかし目の前で「どうだ嬉しいだろう」と言わんばかりに目を輝かせている妻を見ていると、必死で租借して頷いてやらなければいけない気になるのだからどうにもこうにもこの愛妻家。結局はバカップルの片割れの父親なのである。
ベジータ連敗記録絶賛更新中だ。
そんな父親の様子をトランクスはキラキラした目で見つめた。
「母さんに見せてあげたい……」
「よかったな、トランクス」
「はい!」
両親の仲がいいというのは子供にとっては何よりの幸せだ。しかも隣には大好きな人。
幸せ絶好調のトランクスは満面の笑みで大きく頷いた。そんな可愛い弟子に悟飯の顔も自然と緩む。
にっこり笑って見詰め合う。それだけでお腹一杯だ、と言わんばかりに。実際にはかなりの量を胃袋に収めているが、それはそれ。愛しい人の笑顔は別腹だ。
そうして最終的には三組の「はい、あーんv」を見せ付けられるハメになったちっこいトランクスは。
「大人なんか……」
絶対こうはなるものか、と固く固く、決意を新たにした。
***
本を捲る音がする。
テーブルに分厚い本を置き、悟飯の節くれだった指が器用にページを捲っていく。
真剣な目で活字を追う悟飯の横顔を、トランクスはベッドに寝転んでうっとりと見つめる。
きりりと太い眉、難しい字があったのかたまに細められる目、すぅっと筋の通った鼻、引き締められた唇、何もかもが。
(格好いい……)
恋は盲目。しかも今この場所には突っ込んでくれる人は誰もいない。
どうにも騒がしい夕食を終えた後、家族はそれぞれの部屋に引っ込んだ。トランクスもいつもなら小さなトランクスの部屋で一緒に寝るのだが、今日は悟飯もいることだしと、この部屋に泊まることになっていた。
というか、隣室から物音がするたびにそわそわと落ち着きをなくすトランクスに、限界を迎えたちびっこから「うちのベッドはダブルベッドよりでかいんだからあっちでも寝れるだろ!」と追い出されたというのが正しいのだが。
控えめに叩かれるドアを、来るのが分かっていたとでもいうようにすぐさま開いた悟飯は、珍しく紅潮した顔でトランクスを招き入れてくれた。一歩足を踏み入れたそこは本のジャングル。唯一本の侵蝕を免れていたのはベッドと椅子、そしてドアの周辺のみ。
未来では学校や図書館なども破壊され、本は焼けて中々手に入りにくいということをトランクスから聞いたブルマが『どうせ自分は暗記していて読む必要などないのだから、好きなだけ持っていきなさい!』と豪快に渡してくれたのだ。天才であるにはあるのだ。必ず『機械に関しては』との限定詞がつきはするが。
トランクス曰く、復興が進んでいるとはいえ、学者をやっていくにはあの世界は貧窮しすぎている。破壊するのは容易いが、生み出し守ることは難しい。その見本だ。
けれど勉強してしすぎることはない。都再建の役にも立つだろうし、そもそも何かを知るということが大好きな悟飯なのだ。
悟飯は有り難くその申し出を受け、貰えるだけの書物をカプセルに詰め込むことにした。
今読んでいるのはその一部である。
招き入れた後、お茶でも淹れようか、お菓子でも貰ってこようか、小さなトランクスからゲームでも借りてこようか、とトランクスを構い倒そうとする悟飯をトランクス自身が止めたのだ。
自分も少し読みたい本があるから、と明るいデスクライトを悟飯に譲り、ベッドに腰掛け適当な本を手にとって。けれどそのページは一枚も捲られることは無くいまま。
楽しそうに知識を吸収する悟飯。それをただ見続けることの出来る時間。
この時間がずっと続けばいいのに。
幸せだ、とトランクスは目を細めた。
夜の闇にまぎれて雨の音がするまでは。
***
トランクスの気配を感じて、悟飯は文字から目を離し顔を上げた。
いつの間に近付いたのか、俯いたままの弟子の顔を覗き込み、悟飯は驚いて立ち上がった。
蒼白なその顔色に肝が冷える。
「悟飯さん……」
「どうした?」
声をかけ、トランクスの冷たい指先を握りこむ。
「帰りましょう。すぐ。今から」
掠れた声でトランクスが呟く。
無理だと知って、それでも口にせずにはいられなかった。
こればかりはこの約十年間ずっとどうにもならないまま。ただ布団に丸まって時が過ぎて音が止むのを待つだけだった。そうするしか出来なかった。
悟飯は考える。
さっきまでは笑っていたはずだ。こっそり盗み見た彼は、楽しそうに自分を見ていたから。それがくすぐったくも、ちょっと嬉しかった。
なのに何故。
さっきと違うことは何だろうか。何が彼をこうも怯えさせているのか。
降りた沈黙で、悟飯は漸くその音に気付いた。
そうして思い出す。永遠の別れを経験した時のことを。
「雨は嫌い?」
悟飯が低い声で聞くと包み込んだ指が震える。
「オレの所為かな」
質問ではなく確認。
服をぎゅぅぅうう、と掴まれた。それが返答。
怯える子供のような仕草に、心臓を鷲掴みにされた。責めてくれないのが辛いだなんて、どの口が言ったものか。
怒られるよりも堪えた。
こんな顔をさせるなんて。
生き返った時の涙は、あれは喜んでくれているのだと、迷うことなく言えたから。でもこれは。
「……おいで」
繋いだ手をそのままに、本を掻き分け歩く。
素直について来るトランクスは、離せば消えてしまうのではないか、というほどにしっかりと悟飯の服を握り締めていた。間抜けな格好なのだろうな、とは思うが悟飯には何も言えない。
ぽすん、とベッドに座る。隣に座る弟子の揺れる瞳を感じ、悟飯は安心させるように笑った。
ここにいるよ、と。
引き寄せて、抱きしめる。いくらでも体温を感じればいい。ここに生きて存在しているという証。
それでも足りないのなら、流れる赤い血を見せてもいいとさえ思う。そんなことをすれば余計に不安にさせるだけだから実際にしたりはしないけれど。
腕を失った時も泣かせてしまった。あんな顔、もう見たくない。
後悔と、罪悪感とに塗れたあんな顔。
何度キミの所為じゃないと言っても聞いてもらえず、最終的には力技で納得させた。かなり強引だったかな、とは思うけれど、如何な悟飯とて若気の至りとはあるものなのだ。
どうせ離す気などないのだし、とその時は無理やり自分を納得させた。
まさか死ぬなんて思っていなかったから。
絶望感と無力感に苛まれて薄れ行く意識。襤褸雑巾よりもずたぼろになって、服も髪もしとどに濡らす雨の中、体温を奪われながら心に浮かんだのはただ一人。
自分を師匠と呼び、母親にさえ見せない泣き顔を見せ、無条件に与えられる信頼を、生きる理由をくれた空色の瞳。
また泣かせてしまう、と思った。
しかも今度は取り返しがつかない。既に指を動かすことすら億劫なのだ。
ごめんね、と謝った。
一人にしてしまうこと。人造人間を倒せる唯一の存在にしてしまうかもしれないこと。生きて生きて生きて、絶対に生き延びなければならない存在にしてしまったこと。それを願ってしまったこと。
声になっていたかは分からない。音になっていたとしても、それがトランクスに聞こえるはずもないのに。そんな判断さえも出来なくなっていた。
気付けば目の前には天使の輪っかを浮かべた父親師匠、その他諸々の方々。自分の頭の上にも同じものが浮かんでいると知った時は、茫然自失する以外なかった。
でも今は。
生き返って、最初に目にしたのは紅藤から覗く空色。
真っ直ぐ射抜いてくるそれを再び見ることが叶えばと、幾たび願っただろうか。
けれど見たかったのは、涙に濡れたそれじゃない。
「トランクス」
名を呼ぶ。ぴく、と反応した身体に、声がきちんと届いていることを確認する。
「デンデに立会人になってもらおうかな……。ああ、そういえばピッコロさんも神様と融合したんだっけ。じゃあピッコロさんにも頼もうかな……。まあ今から飛んでいくわけにもいかないし、また明日行けばいいか」
ぶつくさとわけの分からないことを呟く師匠に、トランクスは埋めていた肩口から顔を上げた。
立会人だの神様だの、果てはピッコロだの。意味が分からない。
だが悟飯は弟子の疑問には頓着せず、
「お望みなら何度でも言うけど、出来ればちゃんと聞いてて欲しいなぁ」
と前置きして厳かに言葉を紡いだ。
「孫悟飯は、健やかなる時も、病める時も、死が二人を別つとも、トランクスの側にいることを誓います」
どう? と目で問われ、トランクスは絶句した。
それではまるで結婚式。神への誓いではないか。
「他に、言葉以外にキミにあげられるのなんて、命ぐらいしかオレは持ってないし。でも、受け取り拒否されちゃいそうだったから。
信じてもらえるまで、何度でも言うよ。一度死んじゃったオレが言うのも、信憑性がないだろうからね」
呆気に取られていたトランクスだが、悟飯のその言葉に「そんなことありません」と首を振った。
「びっ、びっくり、した、だけで……」
そりゃびっくりもするわ、という話である。
「あの、それで、神様とかピッコロさんがどうのっていうのは……?」
「うん、結婚式とかだと神父さんがいるだろ? でも折角神様が知り合いなんだから、神様に立会人になってもらった方が、誓いの効力あるかな、って」
質問の意味を万分の一も分かっていない返答に、流石の師匠大好きっ子もなんと言ったものか言葉の選択に困る。しかも本人はトランクスがあえて考えないようにしていたことをしれっと言ってのけている。
しかしその沈黙をなんと誤解したのやら。
「弟子と孫弟子がお願いしたら断らないよ」
ピッコロにとってはいい迷惑だ。
そういうことじゃないのだけれど、と思いつつもトランクスはつい苦笑した。
「ずっと一緒にいてくれますか?」
「もちろん」
「勝手にいなくなったりしないでくださいね」
「『行ってきます』って言うよ。それにちゃんとキミのところに帰って来る。『ただいま』も言う」
約束だよ、と小指を立てる。大真面目である。
相変わらず、すぎる。
常識人のふりをして、実はちっともそんなことない。しっかりしてるようで、実は天然。
そして自分はそんな悟飯が大好きで、悟飯の言葉なら何でも信じられるのだ。何度でも。
敵わないんだ、この人には。
思って、トランクスは自分の小指を絡めて言った。
「死ぬ時はいっせーのせ、で一緒に死にましょうね」
「ああ、それは幸せだね」
無理難題の我が侭にもうっとりと呟く悟飯の姿に、今度こそトランクスは堪えきれずに笑い声を上げた。
「ね、悟飯さん」
「うん?」
「オレ、悟飯さんが、大好きです」
笑い涙を拭いながら告げる。
予想外の嬉しい言葉に、悟飯は鳩が豆鉄砲を食らったような間抜け面を見せてしまった。
その顔を見て再びトランクスが噴出す。
半分は、照れくさいのを誤魔化すためだったけれど、笑っているうちに本当におかしくなってきてしまった。それほど、今までの『お師匠様』が見せたことのないような表情だったから。
「……笑いすぎじゃないか?」
「そ、そんなこと、ぷっ、ありませんよ」
「……そんな子には~……」
「はい?」
「お仕置きだー」
「……ぇ?」
ふんわりと唇に触れたものの正体に、気付くのが数十秒ほど遅れた。
情報が漸く脳にたどり着く頃にはトランクスの顔は真っ赤に染まっていて。
「あはは、真っ赤だよ」
「あた、当たり前ですっ!」
ぽかすか殴られても悟飯はちっとも痛くない。トランクスが力を入れていないということもあるし、その表情は少しも嫌がっているものじゃないのだから。
長かったなぁ、としみじみ思う。
思いを自覚したのは結構早かった。無邪気に笑う少年が欲しくて、でも流石に八つも年下の子供に手を出すなんて真似、親に似ず強固な理性が許してくれなくて。
触れてくる手を抱きこんで掻っ攫ってしまいたいと、何度思ったことか。
明日死ぬかもしれない現実に、その気持ちを必死で押さえ込んできたけれど。
でも今、トランクスは自分からこの腕に飛び込んできてくれた。勝手にそう解釈する。
この可愛い青年は気付いているのだろうか。気付いていなくてもいいけれど。
「ね、トランクス。『ずっと一緒』って、プロポーズだよね」
「ぷっ、ろぽぉずぅ~~~!?」
「大好き、って言ってもらっちゃったし」
口をぱくぱくさせるトランクスに微笑んで、一気に体温の上がったその身体をきつく抱きしめた。
「言質、取ったからね。もう絶対、離れてあげないよ」
耳元で囁かれ、トランクスは恥ずかしさのあまり身体を捻って逃げようとする。しかしその腕に込められた力は思いのほか強く、上手く身動きが取れない。しかもトランクスは無意識に悟飯の右腕に負担をかけぬよう気を使っている。そんな状態で悟飯の腕から抜け出せようはずもない。
それに、動かせる首を捻って、すぐ側にある悟飯の、その幸せそうな顔を見てしまっては、尚更。離れたくないのはトランクスも同じだから。
だから望む答えをくれればもう、これでいいやというような気持ちになってしまった。
「……悟飯さん」
「ん?」
「あのですね、命、ください。受け取り拒否なんかしません。貰います」
「うん、いいよ。あげる。貰ってくれ」
あっさりと。その言葉の重さを分かっているのだろうか、というほどに簡単に頷く。
でも。嘘が苦手な人だと知っている。
トランクスは「だから、」と続けた。
「勝手に……失くしたら怒ります」
「……はい」
神妙に頷く。
一度、嘘をついたから。
連れて行くと言ったくせに、置いて行って、そのままトンズラ。しかも泣かせたままなんて。
名誉挽回汚名返上しなければ男が廃る、ってなもんだ。
望まれる限り、望んでくれる限りは、ずっとこの子の側にいよう。そう、心の奥底にも密やかに誓いを立て。
「そうだ、ずっと側にいる、って言ったけどさ」
「はい?」
「お風呂、一緒に入る?」
「入りませんよ!」
そっか、そうだよね、と残念そうに呟く悟飯にトランクスはあきれ返る。ここで自分が「はい」と言っていたら本気で一緒に入りそうな勢いだ。
一体いくつだと思っているのだろうか。もう子供ではないというのに。
トランクスは気付いていない。
子供じゃないからこそのお誘いだということに。
(まあ、のんびりいこうか)
明日への約束を躊躇う理由も無い。そのうちでいい、そう思える幸福があるから。だけど。
「それじゃあ背中流そうか?」
「同じことじゃないですか」
つつけば返ってくる反応が嬉しくて、抱き合ったまま笑いあう。
こんな時間を夢見た。
「トランクス、好きだよ」
「はい、オレも、好きです」
そうやってじゃれ合っているうちに、雨音が消えたことさえ気付かなかった。
***
一夜で何があった。
トランクスは昨日にも増して、どころじゃないほどにとんでもないことになっている二人の姿を朝一番に見せ付けられて、家事ロボットから受け取った新聞をぱさりと床に落とした。
おはよう、と笑いかけてくる大きな自分に口の中でもごもごと挨拶を返す。ていうか言いたいことは他に沢山あるのに、ありすぎてどうにもこうにもごにょごにょごにょ。
例えば。
何で手が触れ合っただけで頬を染めるのかな、とか。
何で「あ」って言っただけで何を取って欲しいのか分かるのかな、とか。
何で目が合っただけでそんなに幸せそうに微笑みあうのかな、とか。
何で悟飯さんの膝の上に大きな自分が座っているのかな、とか。
色々、そりゃもういろいろいろいろとあるのだけれど。
どれから突っ込めばいいかさっぱり全く分からない。齢九つの少年に対してあまりにもあんまりな仕打ちだ。
バカップルバカップルと言っていても、それは冗談、あくまで比喩、だったのが。
これじゃまるで本当にこいび……。
そこまで考えて思考回路をシャットダウン。そんな恐ろしい単語思い浮かべたくない。
しかも何が一番辛いって、この異常な光景を誰も気にしていないのが辛い。
祖父祖母は勿論、ブルマも、ベジータでさえ。
救いといえばベジータの読んでる新聞が逆さまで、しかも昨日の夕刊ということから一応動揺はしてくれているのだ、ということだ。
どう救いなのかと聞かれても「少なからずマトモな神経を持った人が自分以外にいた」というだけのなんとも切ないものなのだが。
「トランクス、あんたさっさと座りなさい」
「え、あ、うん……」
これの隣にかよ。
思うが、何も言えない。
あまりにも普通にしている家族を見ると、まるで自分の方が異常な気がしてしまうのだ。
勿論正しいのはトランクスの感覚。
だがそれを教えてくれる人はいない。居た堪れない空気の中がこんと音を立てて椅子に座る。
手と手を合わせていただきます。
「おい、ブルマお前何処に座ってる!」
「息子に負けるなんていや~よ。ほらちょっと足組まないでよ座れないでしょ!」
「くっ、き、貴様……っ」
「ベジータ、何が食べたい? 取ってあげるわよ」
「……………………肉」
手のひらの皺と皺を合わせて幸せ……を下さい。
弟か妹が出来るのもそう遠くはないかな……。
トランクスは煤けた背中を丸めて焦げたトーストを齧りながらそう思う。そしてそれは見事ドンピシャ的中するのだった。
***
鳥が飛んだ。犬が走った。猫が欠伸をした。
そんな当たり前のことも、二人でいれば全てが幸せに変わる。
ちょっと視線をずらして隣を見る。気付いた悟飯がにっこり笑う。それだけでもう。
こんなに幸せでいいのだろうか、なんて思ってしまうのだ。
「楽しそうだね」
「はい」
いなくならない。そばにいる。
悟飯は気付いていないかもしれない。あの頃はそんな約束すらくれなかったことを。
無意識にそんな言葉を封じていたのだろうか。そんな悟飯から何とかその言葉を引き出そうとしてみたのだが、終ぞ言ってはくれなかった。
結構強引に聞き出そうとしたこともあったけれど、暖簾に腕押し糠に釘。かわされてお終いだった。
子供ながらに必死だったのは、明日には会えなくなってしまうかもしれないということを実感として知っていたからだ。一掴みの安心感をねだって、また同じことを繰り返すだろうトランクスを悟飯はちゃんと諌めてくれた。
息をすることすら辛い世界で。彼がいなければきっと生きていけなかっただろう、と思う。
諦めるな。絶対に。道はある。ないなら作れ。そうすれば――。
どんなに今が辛くたって、辛いだけの人生などありはしない。生きていればいいことがある。
教えてくれたのは師匠。
本当ですね、と悟飯に微笑みかける。
時にはその教えを忘れたり、自分の実力を買い被り、飛び出してこてんぱんにされて死に掛けたこともあるけれど。それでも生きた。運が良いのは母親譲り。往生際が悪いのは……父親譲りだろうか師匠譲りだろうか。
生きていれば、本当にいいことがあった。
尊敬する師匠をそっと見つめる。これからまたずっと一緒にいられるなら、少しは近づいてみせたい。そう思って。
が。
むしろ段々近付いてくる悟飯の顔に気付いた時、その唇は既にトランクスのそれと優しく重なっていて。
「いきなり何するんですか」
脈絡の無い師匠の行動に目をぱちくりさせる。口付けられたことは別にいいらしい。また一つちびっこの心労の種が増えている。
「トランクスがキスして欲しそうな顔して見てるからだよ」
「してません」
「あははは、でもびっくりしただろ?」
「……今度はオレがびっくりさせてみせますからね」
「うん、楽しみにしてるよ」
「……………………………絶対びっくりさせてやる」
トランクスは本気で楽しみにしている悟飯に、いつか絶対必ず! とリベンジを誓う。何なら今からでも。
どうやって驚かせてやろうか、と企むトランクスの姿に悟飯はどうしようもなく笑顔がこみ上げる。
今日いまこの時、奇跡そのものの命に感謝を。
幸せだと勝手に笑ってしまうもの。
ぽかぽかの陽だまりの中、飽きもせず仲良く並んでいちゃつき続ける二人の姿。辺りには甘い空気とピンクのハートがふわふわ浮かぶ。
それは学校へ行ったトランクスが帰ってきても尚、カプセルコーポの中庭で飛び続けていたとかなんとか。
「それじゃあ、お世話になりました」
「また遊びに来るのよ二人とも!」
「はい、母さんもお元気で。父さんも、トランクス君も、お祖父さんとお祖母さんも」
一夜明けてカプセルコーポの外庭。
トランクスと天才ブルマの作り上げたミクロバンドを装着した悟飯はタイムマシンの前で別れの挨拶。見送りには孫家の面々もやって来ている。
「また来いよ悟飯」
「はい、お父さん」
「悟飯ちゃん、トランクスさにあんまし無体なことするでねぇだぞ」
「……はい」
この人はどこまで分かって言っているのだろうか。何せ宇宙最強の嫁さんだ。
無体って何だ? と質問する悟空をあしらう背中を見て、悟飯は乾いた笑みを洩らした。
深く考えると恐ろしいのでさっさとミクロバンドのスイッチを入れる。段々と大きくなる周囲の景色に不思議な気持ちになる。実際には悟飯が小さくなっているのだが。
「へぇ、本当にちっちゃくなっちゃいましたね。とりあえず、オレのポケットにでも」
「うん。あはは、トランクスに身長抜かれちゃった」
いや身長どころか。
この時点で小さなトランクスは漸く気付いた。
この人たち、どっちもボケだ。
ツッコミがいない。ツッコミがいないということは暴走すればしっぱなし。
つまりどこまでもボケ倒して突き進むだけである。
気付くのが遅いと言うなかれ。物腰の柔らかさと落ち着いた物言いとに誤魔化されていた。しかも悟飯の方は何だか確信犯的にボケている。
次にこちらへ訪れる時にはどうなっていることか。確実に今よりとんでもないことになっているのは間違いない。
想像しようとして、やめた。蕁麻疹が出そうだ。
トランクスがげっそりしている間に二人はタイムマシンに乗り込み、空の上から手を振っている。悟飯は小さすぎて見えないがきっと振っているのだろう。
その姿が宙に消え、余韻を残して去っていった後。
ブルマがぽつりと呟いた。
「次に来る時は三人かもね」
もう勘弁してくれ。
トランクス、悟飯、ベジータが心の中でそう呟く。声に出さないのは彼らの優しさ……ではなく、喉を振るわせることすら億劫だから。
ありえないからそれ、と突っ込むことも忘れ、考えることを放棄して。
とりあえず、幸せそうで何より。だけど出来れば巻き込まないで。
そんな願いを胸に抱き、残像すら見えぬ虚空を見上げた。
人の夢、と書いて儚いと読む。
そのことを後々も実感させられることとなるとも知らずに。
比翼の鳥……雌雄が目と翼を一つずつもち、常に二羽一体で飛ぶ鳥。
要するに……バカップル。
#DB #飯トラ
トランクスは優しく微笑む人物が目の前に存在することが信じられず、思わず駆け寄りその胸に手を当てた。
温かい。
とくりと鼓動を打つ心臓は確かに動いていて、それでもどうしても信じられなくて。
嘘だ、と呟く。橙色の胴着をきゅう、と掴む。手に当たる感触は本物。ぺたぺたと無遠慮にその逞しい身体を撫でる。その温かさも、固い筋肉も、
「くすぐったいよ」
響く優しい声も全てがあの日の彼のままで。
「大きくなったね、トランクス」
呼ばれた名前に篭もる愛しさに、トランクスは涙腺の決壊する音を聞いた。
***
「ごはんさん……」
「トランクス……」
「悟飯さん……」
「トランクス……」
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「悟飯さん……♡」「トランクス……♡」「悟飯さん……♡」「トランクス……♡」「悟飯さん……♡」「トランクス……♡」
「うざ――――! バカップルうざぁぁぁあああああああ!!」
そう叫んだのはトランクス。勿論チビっこい方のである。
延々と互いの名を呼び続ける大きい自分と、彼の世界では既に死んでいる筈の親友の兄。そんな二人がキラキラした目で見詰め合って点描飛ばして愛しげに互いの名前しか口にしない光景というのは結構な苦痛があった。別人とはいえ、自分である故に。
だがしかし事の発端はこのチビトランクスなのだ。
壊れた玩具がどうしても直らないから、とドラゴンボールに頼ろうとする世界一のお金持ちもどうかとは思うが、それにほいほいで付き合う幼馴染と、止めるでもなく巻き込まれるたまたま遊びに来ていたトランクスも大概にアレである。日本語とはまことに便利な言語だ。
昔は一つ手に入れるのも苦労したドラゴンボール。今では数時間もあれば全てが揃う。あっという間に七つ集めたちび二人と流されやすい一人は早速神龍を呼び出し、一つ目の願いを叶えてもらった。神龍としてみればそんなことで呼び出さないでもらいたい、といったところであろう。しかしまあ子供本人にとっては重大なことである。
そして余った願い事。
チビトランクスとしては別にもう願い事はない。買えば手に入るものなど、世界一のお金持ちにとって興味の対象になりはしないのだ。悟飯のようなお兄ちゃんが欲しかった時期もあるけれど、たまに大きいトランクスが来てくれるし。ちびっこに対してそいつはお前だよ、なんて言う無粋な奴は彼の周囲には存在しないのだ。
悟天も玩具なら買ってもらったばかりだし、優しいお兄ちゃんもいる。それに今では話でしか聞いたことの無いお父さんまで帰ってきてくれているのだ。
だから、流れというか何と言うか。このまま何も言わないのも勿体無いので、と。トランクスがトランクスに話を振ったのだ。「お兄ちゃんの願い事は言わなくていいの?」と。
びっくりしたのはトランクス。それまで微笑ましく子供たちを見守っていたのに(そんなだから振り回されるのだと突っ込んでくれる心優しい人は重力室に篭もりっぱなしでこの場にはいなかった)、まさか自分に振られるとは思っていなかった。
だからつい、隠すことを忘れた本音が飛び出したのだ。
「悟飯さんに生き返って欲しい」
と。
別次元の存在であるトランクスが生き返ることが出来たのだから、悟飯とて可能性がないわけではなかった。
神龍はいつもの渋い声で「よかろう」と頷き、あっという間に孫悟飯「師匠」を生き返らせてしまった。それもあちらの世界ではなく、トランクスの目の前というオプション付きで。中々憎い演出である。
抱きついて、本当にそこに悟飯が存在することを確認して。
堰を切ったように泣き出すトランクスにちびっこ二人は驚いた。
普段のトランクスは大声で笑うということもあまりないけれど、泣いてる顔なんてもっと見たことなくて。
初めて見る大泣きする大人の姿にぽかん、と呆気にとられていた。そんな二人に気付いた悟飯が優しく微笑んで、その姿に子供たちは彼が『孫悟飯』なのだと納得したのだった。
向けられるとどうしようもなく嬉しくなる、慈しみに満ちた笑み。そんな顔が出来るのはこの世で孫悟飯だけだと彼らは知っている。わけもなく抱きつきたくなって、わけもなく甘えたくなるなんてそんな顔。
悟飯にしがみ付いたまま声を殺して泣くトランクスを宥めるも、戸惑いながらも幸せそうに愛弟子を見つめる悟飯に優しい子供たちは何も言えなくなり、こうしてただ眺めているだけとなってしまったのだが。
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「っだ―――! もういい加減にしてよ! 名前呼び合うばっかりでもう一時間は経ってるよ!」
我慢の限界を迎えたトランクスが大地を叩く。
トランクスが漸く泣き止んだのが約一時間前。少し照れくさそうに悟飯の名を呼んだトランクスは首を傾げて続きを促す悟飯に、小さな声で「久しぶりに名前を呼んで」と呟いた。
こんな可愛いおねだりに、弟子を愛してやまない悟飯がノーと言えるわけもない。ノーと言えない日本人もといノーと言えないバカ師匠である。
かくて只管お互いの名前を呼び合うだけ、といううんざりする光景が生み出されたわけなのだが。
別世界の兄を初めは興味津々で見つめていた悟天は、途中で飽きたのかトランクスの膝枕でくーくー寝ている。さり気にちゃっかりしている小僧だ。
「ねぇ、うちでもパオズ山でもいいから一旦帰ろうよ。悟天も寝ちゃったし、あんまり遅いとママに怒られるんだ」
神龍を呼び出したのはいつものカプセルコーポの敷地ではない。最後の一つを手に入れた、名前も知らない森の中。日も暮れてきたことだし、いるかもしれない狼やなんかは怖くは無いが、怒った母親はとても怖いのだ。
「え、もうそんなに? 駄目だなぁ、トランクスといるといつも時間を忘れちゃう。こればっかりは死んでも治らないみたいだ」
「悟飯さん……そんなのオレもですよ。だからおあいこです」
「そっか」
「はい」
うふふあははえへへ。
薔薇色の点描が飛んできそうな二人に、チビトランクスはあーあとでっかいため息を吐く。
これじゃあ当分帰れそうにないじゃないか。
無理やり引き剥がせばきっと彼らは笑って「ごめんね」と許してくれるだろうけれど、そんなことが出来るほどトランクスは野暮でも無粋でもないのだ。これは勿論母親の教育の賜物(父親ならば放って帰るか、可愛い息子に付いた虫に攻撃を仕掛けるだろう)であり、彼自身の優しさでもあった。
だがそれとこれとは別問題で。
本気で時間を忘れてしまう駄目な大人二人に、絶対ああはならないぞ、と決意して、ちびっこトランクスは苛立ち紛れに悟天のほっぺをつん、とつついた。
この後、近いからという理由でパオズ山へと帰った四人の姿に、チチと少年悟飯がひっくり返ったのは言うまでも無い。
***
何故自分と同じ気があるのか分からなかった、と悟飯は苦笑した。またセルのような敵が現れたのかと思ったとも。
いまだ幼さの残る顔を綻ばせる自分に、悟飯は眉を下げて謝った。
「驚かせてごめんね」
「いいえ。でもじゃあ悟天のこと分からなかったんじゃないですか?」
若い自分の問いかけに、悟飯はいいやと首を振る。
「お父さんにそっくりだから、もしかしたら、って思ってたんだ」
「じゃあオレは?」
小さなトランクスが興味津々で質問する。その姿に昔を思い出したのか、くすりと笑って悟飯は答えた。
「もちろんトランクスだってすぐ分かったよ。何せちっちゃい頃からずっと見てきたんだから」
でもね、と彼は続けた。
「例え百人、千人のトランクスがいたとしてもキミを見つけるよ」
そっとトランクスの手を握る。
「悟飯さん……」
トランクスは頬を染めて、けれどしっかりと悟飯の目を見つめ返した。
また始まったよこの人たち。
ぶっちゃけ勘弁してほしい、とその場にいる全員が思った。
飛んでくる極彩色の何かを叩き落としたい。何、とは言えないが、何か。桃色だったり薔薇色だったりする、何かだ。
それが現れた時、悟飯は大いに慌てた。この世界に存在するはずのない、悟飯と同じ気をもつ何者か。
セルという前例があるのだ。核は破壊したとはいえ、もしかしたらまた復活したのかも、と思っても仕方ない。
だがしかし。
よく知る悟天とトランクス×二の気と何の衝突も起こさず、しかも一緒になってこちらへ向かってくる。とりあえず戦うべき相手ではないだろう、と肩の力を抜いたところへ現れた青年にチチと一緒にずっこけた。半分は片腕の悟飯を見て息を呑んだのを誤魔化すためでもあったけれど。
そこまではいい。
戦いの跡が無いのに妙にぐったりしたちびっこトランクスも、遊びに出かけた後はいつも眠そうにしているはずの悟天が妙にすっきりした顔をしているのも、然程気にはならなかったが。
その疑問が氷解した時、悟飯もがっくり肩を落とした。
「ご、悟飯さんはああならないでね……」
「努力する……」
当事者ではないけれど、何となくいたたまれない。自分じゃないけど自分なのだ、アレは。
これから先相手とどう付き合ってけばいいんだコンチクショー。
トランクスと悟飯は目の前でいちゃつく自分たちというシュールな光景にでっかいでっかいため息を付いた。
と、そこへ。
「あり? 何で悟飯が二人もいんだ?」
「「お父さん!」」
ナイスタイミングで嵐の男、登場である。
瞬間移動で現れた父親に、二人の悟飯は同時に声をあげ、同時に少々頬を赤らめた。
だが未来の彼はちょっと寂しそうに笑って口を閉ざす。
彼のいた世界では既に悟空はいない人。
だから純粋に生きてて良かった、また会えて嬉しい、という喜びと、己の世界ではもう会えぬのだという悲しみが襲う。
生き返って数時間、彼は悟空がセルと戦い一度死んで生き返ったばかりなどということは知らない。
そんな悟飯の気持ちが分かるのはもう一人の悟飯である。イコール自分、考えていることなど丸分かり。
だからこそ余計に申し訳ない。自分の所為で父を死なせ、母を哀しませ弟から父を奪い仲間から孫悟空という人を奪った。そして魔人ブゥという危機も結局は悟空に救ってもらったのだと。そんな情けない自分を、辛い世界で苦労してきた大人に知られるのが怖かった。
それこそが弱さと分かってはいても。
「こんばんは、悟空さん。えーと、この人は……」
「そうか、おめぇの(世界の)悟飯か!」
口を閉ざす悟飯たちの代わりに説明をしようとするトランクス。その言葉を遮って、妙なところで勘の鋭い孫悟空。大事な部分を省略して(しかしある意味正解の)事実を言い当てる。
「はい、そうです」
「ごごごご悟飯さんっ!?」
あんた何ば言うとるの!?
躊躇わずに頷く悟飯。トランクスが激しく慌ててその袖を引く。だが悟飯はそんなトランクスを愛しいものを見る目で見つめ、悟空へと向き直った。
トランクスは口の中で「ずるい」と呟いた。そんな目をされて、そんな笑顔を向けられて、文句を言えるわけがないのに。
そんなトランクスに心の中でゴメン、と謝り、いつもの笑みを浮かべる父と目を合わせる。
「へぇ~、悟飯でっかくなったな」
「あはは、お父さんの身長も追い越しちゃいましたよ。もう二九歳ですから」
「そっか、二九か……もう大人だなぁ」
大人だな、と言いながらも悟空は悟飯の頭を優しく撫でる。
父親が息子にするように。そうするのが当たり前というかのように。
悟飯は嬉しそうに目を細め、「大人ですよ」と笑った。悟空の手は振り払わぬまま。
身体は死んだ二二歳のままだったけれど、そんなことはどうでもいいのだ。どちらにしても老いの遅いサイヤ人である。二二歳だろうが二九歳だろうが関係ない。
「やっぱさっきのはドラゴンボールだったんか」
「近くにいたんですか?」
「いや、ピッコロと修行してたんだけどよ、急に空が暗くなるし悟飯の気が増えるし、おかしいとは思ったんだ。だから手合わせ終わってから来てみたんだ」
おかしいと思っても手合わせはするのか。
相変わらずな悟空に悟飯たちも肩をすくめ微笑みを交わす。
が。
「ほぉぉぉおおおおおおう」
怒りの篭もった声に男どもはビクリと身体を強張らせた。
「三ヶ月ぶりに帰ってきたと思ったら……」
「ち、ち、ちちぃ……っ」
「選りにもよって悟飯ちゃんが関係してるのにすぐに飛んでこねぇっつうのは……」
ああ、この溜めが恐ろしいんだ、と悟飯は肩をすくませた。
「どういうことだ悟空さぁぁああ!!」
「あひゃひゃひゃひゃ、ひっ、ひひぃっ、いふぇいふぇいふぇ!
(訳:あだだだだ、ちっ、チチィっ、いてぇいてぇいてぇ!)」
ぎりぎりと頬をつねられ、悟空は涙目になりながら抗議をする。それでもされるがままなのは、まあそういうことなのであろう。
相も変わらず最強の嫁さんっぷりを発揮するチチに、悟飯たちは顔を見合わせて笑った。
***
で、結局。
悟空は修行を一時中断して暫く家にいると言い、「家が狭くなる」と文句を言いながらも嬉しそうにするチチに満更でもない顔をしてみせた。何処までいってもこの夫婦は変わらないらしい。
賑やかしく食事を終え、そろそろお開きというところで、トランクスたちはカプセルコーポへ帰ると言い、そして悟飯は
「え、オレもいいんですか?」
「いいも何も、ここは悟飯ちゃんの家だべ」
トランクスたちと共に飛び立とうとしていた悟飯を引きとめ、チチは怒ってみせる。ここもお前の家なのだから、そんな悲しいことを言ってくれるな、と。
世界は違えど自分も息子と呼んでくれるチチに、悟飯は心の奥が暖かくなる。
「ごめんなさい」
「分かればいいだ。部屋は悟飯ちゃんの部屋でいいだか?」
「悟飯君がよければ」
「僕は構いませんよ。布団運んでおきますね」
「うん、ありがとう」
家の中へと引っ込む自分に礼を言い、トランクスに歩み寄る。小さなトランクスはお腹が一杯で眠くなってしまったようで、トランクスの腕の中で丸くなって眠っている。
そんな姿が在りし日の目の前の青年と被って、悟飯はついつい目尻が下がる。
「じゃあ、また明日」
「ぇ、ぁ、はい。あの、悟飯さん、未来へは……」
「ん? ああ、そうだ。いつ帰るつもりだったんだい?」
「いえ、まだ決めてないんです。だから……」
悟飯さんの気の済むまで、と言いかけたところで悟飯の手に唇を塞がれる。
「明日、ピッコロさんのところに挨拶に行こう。一緒に」
「……はい」
「そのあとでまた、いつ帰るのか話し合おうな」
「……はい」
素直に頷くトランクスを、先ほど自分が父にされたように撫でる。もう子供じゃないです、とむくれる頬をつつけば口から変な音が漏れる。更にむくれるトランクスに「いつまでたっても可愛いからさ」と笑う。
「気をつけて帰れよ」
「……はい、また、明日」
躊躇いもなく明日の約束が出来るというのは、どれだけ素晴らしいことなのだろうか。
死んだと言っても実は界王星で肉体を持って過ごしていた悟飯。腹は減らなくても(色々と常識はずれの父は別だが)五感はある。まるで死んだという実感がないのだ。
だけど分かることはある。
生きているということ、それだけでもう奇跡なのだと。
死人がいくら手を差し伸べたくとも、生者へとは届かない。届くならば、トランクスに降り注ぐ悲しみ苦しみ全て受け止めていたかったけれど。
悟飯の腕は現(うつつ)へ届かず、トランクスはそれら全てを自分で受け止め乗り越えた。
トランクスの為というのならそうだったのかもしれない、とも思うが、やっぱり悔しいじゃあないか、とも。思うのは親心なのか師匠心なのか。はたまはそれ以外なのか。
ふわりと飛び立とうとするトランクスの腕を引っ張り、最後にも一度抱きしめて。
「また明日」
二度目の「また明日」はたっぷりの幸せを込めて。驚いた顔のトランクスが満面の笑みを浮かべるのを見届けて、名残惜しくも腕を開く。
その後姿が闇に溶けて消えるまで、悟飯はその場を動かず見送り続けた。
***
都合の良い夢を見ていたのかと思った。
寝て、起きれば何事も無かったかのように、『いないことが当たり前』の現実が待っているのだと。
だけど、触れた身体は温かくて。耳に残る声は優しすぎて。
思わず小さな自分に確認すると、
「あんだけ人を疲れさせて、夢オチはないんじゃないの?」
「……ごめん」
ため息混じりに怒られた。
トランクスがカプセルコーポに泊まる時、いつも小さな自分の部屋に引っ張り込まれる。どうやら兄が出来たようで嬉しいらしい。そんな姿が可愛くてついつい頷いてしまうのだ。
だから今朝も、隣で眠る小さな子供におはようを言って、そうして質問してみたのだが。
じっとりとした視線で睨みつけてくるこまっしゃくれた子供に頭を下げる。あまり自覚は無いけれど、どうやら周りから見ると恥ずかしいことをしてしまっていたらしい。……何処が恥ずかしいのか分からないけれど。
「ね、兄ちゃん目ぇ腫れてるよ。そのままで行くつもり?」
「え? ……うわっ!」
ひょい、と鏡を覗いてみると、そこには見事な兎のおめめ。冷やしもせずに放っておいたのがまずかったらしい。
あの後、腕の中で眠る子供が起きないスピードで帰ってきたらそれなりに時間がかかってしまって。夕食は孫家でご馳走になると連絡していたので、リビングにいたのは祖母だけだった。その祖母も無粋なことは言わない人だったので今まで気付かずにいたのだけれど。
「悟飯さんは気にしないだろうけど……ていうか、それ以前にパパが問題だよね」
カプセルコーポの朝ご飯。それは家族みんなが揃って食べることになっている。決まりではないけれど、ご飯は皆で食べたいじゃないか、というブリーフ博士の偉大なるお言葉を誰も否定しなかったのでそういうことになっているのだ。意外ではあるけれど、そこにはちゃんとベジータ含まれていて。
「パパさぁ、兄ちゃんのことめちゃくちゃ可愛がってるから、絶対すげぇ怒るよ」
「むしろオレが怒られると思うけど……どっちにしてもこれはまずいなぁ……」
軟弱者、と叱られるかもしれない。それに、この年にもなって恥ずかしい、というのもある。
今からでも冷やしてみるか。
濡れタオルでそっと目を覆う大きな自分を見つめ、ちびっこトランクスは気付かれないようため息を吐いた。無自覚な大人に。
昨日からため息を吐かされっぱなしだ。この短期間でどれだけの幸せを逃がしているんだろう。
パパのあれは照れ隠しなのに、と思う。
いつも大きなトランクスに見せる不機嫌そうな顔は、会えて嬉しいというのを誤魔化すため。無理やり重力室に引っ張り込むのは、何を話していいか分からないから。姿が見えなかったりすると、たまに「あいつは何処だ」なんて聞いてきたりする。
その度にブルマにからかわれているのだが、どうもあの父親は息子が心配で仕方ないらしい。魔人ブゥとの戦いの後はそれがより顕著だ。
気持ちは分からないでもないけれど、とトランクスは思った。
歯を磨きながら隣で目を冷やしている青年を見上げる。
どっか危なっかしいもんな。
大の大人に言う言葉ではないかもしれないけれど。どうもこの青年は目を離しておけない雰囲気があるらしい。人の話はちゃんと聞くし、しっかりしているとは思うのだけれど。
何となく面倒を見てあげたくなるのだ。
トランクスはうがいをし、大きな自分を屈ませた。タオルを外してその目を見つめ、
「さっきよりはマシなんじゃない?」
大分腫れも引いてきたし、と分析する。
「大丈夫、かなぁ」
「うーん、でもあんまり遅いと逆にパパ不機嫌になっちゃうし」
腹が減ると気が立つのは地球人も同じだが、サイヤ人の場合は特に。それを身をもって知っているトランクス(精神と時の部屋で三度の食事を用意していたのは彼だ)は仕方なく頷いた。
ダイニングでは既に家族全員が揃っている。朝から食べるには多すぎるような量が並ぶ食卓だが、サイヤ人三人となるとこれでもまだ足りないという程度。
遅いわよ、と頬を膨らませるブルマに謝って席に着く。ちらりとベジータの顔を見れば、一心不乱に食事を掻き込んでいてトランクスのほうは見ようともしない。
そのことにちょっと安心して、トランクスは「頂きます」と両手を合わせた。
その様子を横目で盗み見て、ベジータははぁ、と小さくため息をついた。隣では彼の妻が満足そうに笑っている。
気を感じることが出来るベジータ。勿論悟飯の気が増えたのは感じていた。その付近に息子二人とカカロットのまがい物、もとい悟天がいることも。
そこで戦闘でも起きようものならば喜び勇んで出かけて行ったのだが、生憎衝突の気配なし。ならば自分はひたすら修行するのみと重力室に篭もっていたら。
お人よしな息子の気が揺れ動くのを感じた。
本人は断固として否定するであろうが、可愛がっている愛息子のそんな気配に修行に集中も出来ない。可愛がり方は一般のそれとは大きく違うが可愛いものは可愛いのだ。苛々しながらブルマに事態を話せば妻はけろりと言ってのけた。
曰く。
戦っていないのなら敵ではない。ということは現れた気は正真正銘悟飯のものである。
息子の気が揺らいだというのならばそれ即ち彼に関わる者。未来では彼の師匠であった悟飯に違いない。
何故そうまで断言出来るのかと問えば「恋愛マスターを舐めるな」とのお言葉が返ってきて、むっとした旦那は妻の口をそれなりの方法で塞いでやったのだけれどそれはまた別の話。
恋愛マスターが言うには「翌日どんな顔をしていてもそのことには触れるな」らしい。
聞かされた時は何を言っているのやらと思ったものだが、朝食の席に遅れて現れた息子を見て思わず納得した。恋愛マスターの名は伊達じゃないらしい。昨日何があったのかすらお見通しなのかもしれない。我が妻ながら侮れない。
本当ならば今すぐパオズ山に飛んでいって殴り飛ばしてやってもいいのだけれど。
腫れた目元とは裏腹に、小さな自分に話しかけられては幸せそうに笑うから。後でカカロットを殴り飛ばすことで勘弁してやろう、と悟空にとっては大変迷惑な自制をしてやった。
断じて隣で笑う妻が怖いからじゃないぞと自分に言い聞かせながら。
目の前では息子たちが兄弟のように会話している。おっきなのが少し遠い所にあるトーストを取ってやり、バターと蜂蜜を塗ってちっさいのに渡してやる。
ビフォー、アフター。そんなことを考えて王子様の嫁さんはちょっと笑った。
「ねぇ、オレ今日学校なんだけどさ、兄ちゃんはパオズ山行くんだろ?」
「うん。あ、でもちょっと神殿に行ってこようかと思って」
「……あの悟飯さんも『ピッコロさん大好き』なわけ……?」
「え、あ……どうだろ。でもそうだね、大好きだろうね」
「ふぅん……じゃあ学校終わったらオレも神殿行くよ。ちぇー、悟天はいいよなぁ、学校行かなくていいなんて」
「悟天君も同じこと言ってたよ。『トランクス君は学校に行けていいなぁ』って」
その言葉に小さなトランクスは「えー、何でだよ」と唇を尖らせる。彼には学校に行くのは義務であって楽しいことではないのだろう。そういえば体育の時間が一番辛いのだと言っていた。桁外れの運動能力。力をセーブするのにも一苦労なのだと。
そんな姿に苦笑して、トランクスは野菜スティックをぱきりと噛んだ。
***
「トランクスさんと一緒に行くかと思ってました」
あんなに離れ難そうにしてたから。
パオズ山にて。
布団を畳ながら言う少年に、大人は笑った。こちらも布団を片付けつつ。
普段は悟飯と悟天が寝ている部屋。悟天には昨日だけ、悟空とチチの間で寝てもらった。悟空が帰ってきてからは大のお父さんっ子になっていた悟天はむしろ大喜びだったけれど。
「トランクスがね、言ってくれたんだ」
『オレはまた毎日でも会えますから』
だから今日は。今日くらいは。悟空の側にいてくれてもいいのだと。何だったら、未来へと帰る時まで。
最後の台詞には馬鹿だな、お前の側にいるよと返したのだけれど。
悟飯のことを思ってくれるトランクスの優しさが嬉しくて、その言葉に甘えることにしてしまった。毎日会える、という幸せを実感しながら。
「また明日、って、幸せだね」
「……はい」
一度死んで生き返った人。
一度失い甦ってもらえた人。
境遇は違うけれど、それでも命あるものへの愛しさは痛いほど知っている。
「悟飯君は学校だっけ?」
「あ、はい。悟飯さんはどうされます?」
「うん、まずはピッコロさんに会いに行きたいなと思って。きっと心配してるよ」
いきなり同じ気が増えちゃったしねぇ、と笑う。
そんな大人に悟飯は、僕の師匠なのに、とちょっと思った。彼の師匠でもあるのだけれど、やっぱり大好きなピッコロさんの一番弟子は自分でありたいと思う。そんな小さな独占欲。
一瞬後にそんなことを思ってしまった自分を恥じて俯いてしまったけれど。
しかし大人はそんな悟飯の考えも読んでいたようで。
「駄目だよ、浮気しちゃ。可愛い彼女がいるんだろ?」
「ううううう浮気ぃぃぃいいいいっ!?」
「ビーデルさんだっけ。いい子なんだろ? 大丈夫だよオレにはトランクスがいるんだから」
「ななななんなんなんでしししし知って」
「あれ、浮気は否定しないのかい?」
「してませんよ浮気なんて! ていうかピッコロさんは男……あれナメック星人って男女無いんだっけ……? いやそれより何でビーデルさんのこと!!」
「あはは、昨日お父さんに聞いたんだよ。『悟飯とビーデルはいつ結婚するんだろうなぁ~』って。いくらお父さんとお母さんの結婚が早かったからって、まだ悟飯君一七歳だもんねえ」
「おおおおおおお父さん!!」
「うわどうした悟飯朝っぱらからでっけぇ声出して」
「悟飯さんになんてこと言ってるんですか大体僕とビーデルさんはまだお付き合いしてるわけじゃ」
「駄目だぞ悟飯ちゃん、そったらこと言って、女が皆待っててくれるとは限らねぇだ」
「でもチチはオラのこと待ってたろ?」
「おらは純情だったんだ! その乙女心も知らねぇで悟空さは……!」
「悪かったって……でもよ、待っててくれて嬉しいぞ?」
「やんだー悟空さったらそったらこと子供の前で言っちゃ恥ずかしいだよー」
「おかあさーん僕お腹すいたー」
「僕が言ってるのはそういうことじゃありませ――――ーん!!」
「そっか、悟飯おめぇ照れてんのか!」
「こーら、悟空さ、悟飯ちゃんは純情なんだべ。あんましデリカシーのないこと言うもんじゃねぇだ」
「お腹空いたってばー」
「お、でっけぇ悟飯も起きてたんか。オッス」
「お早う御座います。ほら悟飯君、早くご飯食べないと学校に遅れるよ」
お年頃の青少年が開け放して出て行った扉を静かに閉めながら、悟飯は笑って父に挨拶をする。
「って、元はといえば悟飯さんが!」
「あははは、ごめんごめん。あ、お母さん手伝いますよ」
流石にサイヤ人四人分というのは如何なチチとて大変であろう。いきり立つ少年を宥め、悟飯は台所に立つ母の隣に並ぶ。
ぱかぱかぱか、と卵を割って溶いたそれをフライパンに流し込む。具と米を入れればチャーハンの出来上がり。他にも三、四品ほど作り上げる。
手際の良い息子の様子にチチは目を丸くした。
「あれま、悟飯ちゃんいつの間に料理なんて覚えたんだ?」
「うーん、修行してるときは基本的に一人でしたから。簡単なものばっかりですけどね。
それにトランクスも料理上手いんですよ。二人で台所に並んで立つ、っていうの、よくないですか?」
それは新婚さんの光景じゃないだろうか、と少年悟飯は思った。悟空もちょっと思った。何せ実際に自分たちが新婚の時嫁さんから言われたことだ。悟空の場合は破滅的なまでの料理に台所への立ち入り禁止が言い渡されたのだが(何しろトカゲやムカデも焼いてくう男である)。
しかしチチはそんな長男にいたく感動したらしく。
「んだな! やっぱりいまどき男も料理が出来ねばなんねぇだよ!」
目をキラキラと輝かせて大きく頷く。チチに頼りっぱなしの孫家の男たちは肩をすくめて縮こまる。そんな大人たちの様子に気付いていないのは悟天のみ。しかしその脳みそには「男も料理!」としっかり記憶する。これが後々役に立つことになろうとはこの時は思いもよらなかったが。
「トランクスも美味しいって食べてくれるんですよ」
にっこり笑って差し出された料理は確かに美味しく。
サイヤ人二代目王子様の舌に合わせているのだろうその味に痛いほどの愛情がたっぷり込められているのを感じて、孫家の人々はちょっぴり切なくなった。
***
お早うございます、と照れた顔で言う彼が可愛くて、思わずキスしそうになってしまった。
子供がいる手前、必死で自制したけれど。
二人きりだったらきっとそのまま抱きしめていただろうな、と悟飯は思った。
朝一番でパオズ山に飛んできたトランクス。悟空を心臓病から救ってくれたからという以上に、礼儀正しい彼をチチは気に入っているらしい。
遠慮する彼を家に引っ張り込んで早速お茶の時間にしてしまった。まだ九時である。
どうせ神殿に行くのなら瞬間移動で、と悟空も巻き添えにティータイム。
最強の戦士も嫁さんにかかれば便利な乗り物扱いである。それを嫌がっていないところがやっぱり結局この夫婦なのだけれど。
もっとも美味しい食べ物があれば悟空も悟天も構わないのだろうが。
「悟天君、頬っぺたついてる」
「え、こっち?」
「ここ」
頬を触る悟天の手が見当違いなところにあるのを見て、トランクスが腕を伸ばして食べかすをとってやる。その様子に悟空は笑った。
「あははー、お前等そうしてっと親子みたいだなぁ」
「父親がそんなこと言ってどうするんですか……」
「って、悟空さんもついてますよ」
「あり?」
くすくす笑うトランクスの指が悟空の頬からも食べかすを摘み取る。悟空は頭をかいた。どちらが年上なのか分からない。
チチも同じことを思ったらしく、拳で軽くこつんと夫を殴る。取り立てて何も言わないのはそれが当たり前のことで、言っても無駄だと知っているからだ。
そんな夫婦を尻目に、悟飯はトランクスに小声で話しかけた。
「ねぇ、トランクス」
「はい」
「悟天とかトランクス君はいいけど、他の人にあんなことしちゃ駄目だよ」
強い視線にトランクスは少し怯む。悟空さんはあなたの父親でしょう、と思うのだが。ヤキモチを妬いてくれたのかとちょっと嬉しくなる。けれどそんな自分が少しばかり情けないと思ってしまって。
「……悟飯さんにも?」
悔しさ半分でちょこっと意地悪してみたら。
「オレは別」
悟飯の反撃。トランクス一三のダメージ。
にっこり笑顔できっぱりとのたまう師匠に、トランクスは小さくため息をついた。
「トランクスについてたらオレが取ってあげるよ」
「つけません!」
朗らかに言われてついつい大きな声で否定した。その後の本気で残念そうな顔は見ないふり。
そんな二人を悟空とチチは微笑ましく、悟天はきょとんと見つめた。
***
「トランクスさんお久しぶりです!」
「大きくなったねデンデ」
満面の笑顔で迎えてくれるデンデにトランクスも笑顔で返す。悟飯はどこかで聞いた台詞だな、と苦笑した。
どうやらデンデの気を辿って瞬間移動したらしい。悟空曰く「昨日のピッコロは不機嫌だった」らしいのだが、悟飯は自分のことが気になっていたんだろうと思っている。
気にかけてもらっていたという自負はある。だから、急に増えた孫悟飯の気が気がかりで、悟空に対する返事がぞんざいになったのではないかと。
そんなことを考えていたら、デンデの大きな目がじっと自分を見つめているのに気付いた。
「久しぶり、かな」
五つの時に出会って、それからずっとご無沙汰だったから。
そっと笑って見せると、デンデはパァっと顔を輝かせた。
「トランクスさんの(世界の)悟飯さんですね!」
何でこうもここの人たちは。
脱力するトランクスに、デンデは首を傾げる。何故トランクスが肩を落としているのか分からないらしい。
「気にしなくていいよ、照れてるだけだから」
「照れてません……」
「ピッコロさんはどこかな」
悟飯はトランクスの文句を無視し、ピッコロの気がある方へ向かおうとする。しかしすぐそこから近付いてきてくれているらしいことを悟り、しばし待つ。
柱の影から現れた長身ににっこり微笑み。
「トランクスの(世界の)悟飯か」
「はい」
かけられた言葉を笑顔で肯定した。
「ピッコロさんまで……」
後ろの方で呟くトランクスは気にしないふり。さっきの意地悪お返しである。その時点で反撃しておいて、どっちが意地悪なのか分からない。
「お久しぶり、ってのも変ですけど」
「……大きくなったな」
「はい。ピッコロさんは変わらないんですね」
「ナメック星人は長寿だからな」
そういうことじゃないんだけど、と思いながらも悟飯は笑う。
本当に、変わらない。自分の最後に見たピッコロは界王星で悟空と大暴れしている姿。死人なのだから年を取るわけもないのだけれど、そういうことじゃなくて。
『孫悟飯』に甘いその師匠の姿に悟飯は目を細めた。
「ねぇピッコロさん、ちょっと二人でお話ししません?」
「……あぁ。おいデンデ、こいつらを案内してやれ」
「はい。……悟空さん、もう神殿壊さないでくださいね……?」
「あはは~、わりぃわりぃ。ちょっと力入れすぎちまってよ」
「昨日何してたんですか……」
「いやピッコロと修行……」
「あー、ここ壊れてるー」
「悟空さん……」
「いや修行……」
トランクスはちょっと気にしていたようだけど、申し訳ないながら黙殺させてもらった。だって、トランクスに聞かれるとちょっと照れくさい。可愛い弟子の前では、格好いいお師匠様でありたいから。師匠のささやかなるプライドというやつである。
遠ざかる声に小さくため息をついて、悟飯はピッコロに向き直った。
***
神殿の入り口に座り込む。遠くでは悟空と悟天の叫び声が聞こえる。
ここに来るのも久しぶりだ、と悟飯は思った。彼の世界ではミスターポポが一人で暮らしている神殿。仙豆を貰いにいく度に立ち寄っていたけれど、誰もいないことを確認するたびに寂しくなって、彼には申し訳ないながらも少しずつ行かなくなっていた。
空を仰げば太陽が近い。ピッコロは悟飯が口を開くまで黙っているつもりなのだろう。その優しさが好きだった。けれど黙っているつもりは勿論ない。言いたいことは沢山あるから。
あのね、と彼は話し出した。幼い頃の喋り方そのままに。
「恨み言、沢山言おうと思ってたんですよ。
界王星、もしくは天国に行けることになったら。きっとあなたもそこにいるだろうから。何でオレのこと置いてっちゃったんですかー! って。庇ってもらってこの言い草も失礼だとは思いますけど、その時はもう悲しくて悲しくて。
でもね、言えなかった。
結局、オレも同じことしてるわけでしょう? あれですよね、親の心子知らず。師匠の心弟子知らずかな? どっちでもいいですけど。
何があっても生きて欲しかった。あの子に。あの子が最後の希望だから、とかじゃなくて。単純に。
あの子にこそ生きていて欲しい、って。
それでね、その時漸く気付いたんですよ。あなたもそう思ってくれていたんだな、って。忘れてたわけじゃないですよ、ベジータさん達が始めに地球に来た時のこと。でもね、それでも、やっぱり置いてかれた、って気がして。大人は皆いなくなっちゃうし、人造人間はどしようもなく強いし。オレなんかに何が出来るんだろう、って。お父さんもいないし、ずっと庇護される立場だったのが急にする立場に引きずり出された、っていうか。もう、グラグラ不安定もいいとこでしたよ」
思い出す。何をすればいいのか分からず、破壊兵器にずたずたにされていく街を人を瓦礫の影に隠すことしか出来なくて。
自分のあまりの弱さに呆然と立ちすくんだ。
そんな自分を拾い上げてくれたのは、空色の光。
うろたえるだけの悟飯を叱り、励まし、殴り飛ばして。支えられている振りをしながら、悟飯が一人で立てるようになるまで支え続けてくれた。あんなに優しい怒った顔、悟飯は見たことがなかった。
「ブルマさんと、あの子がいてくれて本当に救われました。
それに、あの時分からなかったことを教えてくれた。でなきゃ、大事なお師匠様のガラスの心を傷付けちゃうところでしたから」
でもねぇ、と悲しそうにため息を吐く。
「あの子は責めてくれないんです。よかった、って。生き返ってくれて、また会えて嬉しい、って。それだけ。重荷、全部背負わせちゃった僕に、恨み言の一つもなしで。良い子だと思います。それこそ自慢の弟子です。だけど、」
「お前に似たんだろう」
それまで黙って悟飯の話を聞いていたピッコロが口を開いた。見上げる悟飯にちょっと笑って、くしゃり、と頭を撫でる。
悟飯は「もう子供じゃないんですよ」と呟いた。昨夜の別れ際の弟子のように。
父親に対しては素直に受け入れられたのに。師匠に対しては何と言うか、意地を張りたいわけではなく。認められたいという気持ちはあるけれど、それとも何となく違って。
きっと。
「オレにとっては子供と変わらん」
こう言ってもらいたいがための、小さな甘え。
いつまでもお前はオレの大事な弟子だ、と。当たり前に言ってくれる人に対しての。当たり前に言ってくれることを期待しての。
「で、何でこんなことを言ってるかって言うとですね」
惚気、なんて言ったらこの人は怒るんだろうな。それとも惚気が何なのか分からなかったりするのだろうか。想像して、悟飯はちょっと笑った。
半分は惚気。残りは師匠への孫弟子自慢。ピッコロに憧れてここまできた。強くて優しくて、時には厳しくあれるように。そんな自分のお披露目。
あなたの教えをちゃんと受け継いでいられるといいのだけれど、と思いながら。
まあ、とっくの昔にトランクスを知っていたのだから無意味だったかもしれないけれど。
それと。
彼には彼の世界のピッコロがいる。だから、これはこの世界の自分への贈り物。
「ピッコロさんがいないともっっっのすごく悲しむ子がいるんで、無闇矢鱈と自爆とか庇ったりとかしちゃ駄目ですよ」
「……お前が言うか」
「オレだから言うんです」
変わらないピッコロの姿に喜んだのは本当。だけど、きっと変わってくれなきゃ悲しむ人がいると思ったから。教訓混じりの恨み言。この師匠にはどうしたって甘えてしまう自分を悟飯は自覚していた。
「さて、言いたい事言っちゃってすっきりしました」
よっこらしょ、と立ち上がる。きっとやきもきしているであろう可愛い弟子の元へと行かなければ。
「オレはすっきりしとらんぞ」
「あはは、ごめんなさい。あ、そうだピッコロさん、言い忘れるところでした」
「何だ」
「だいだいだいだいだぁ~い好き、ですよ」
子供の頃のままの顔で告げられた予想外の言葉にピッコロは目を丸くする。
そんな師匠が愛しくて、悟飯は声を上げて笑った。
***
トランクスは軽く眼を見開いた。悟られないよう微かにだったけれど、目の前の人は敏いのか疎いのかよく分からない。
「え、いや、気にしてはいませんけど……」
失礼ながらも彼は鈍い人だと思っていたので、声を掛けられてつい驚いてしまった。
悟飯とピッコロが気になるか?
悟空にそう聞かれ、トランクスは考えつつも首を横に振った。本当は気になって仕方なかったけれど。
トランクスの知っている悟飯は、誰かに甘えるなんてことをしない、しっかりと自分の足で立つ、立派な大人であったから。
最近ようやく自分がそうさせていたのだろうな、と考えられるようにはなったけれど。
やっぱり自分の知らない悟飯の姿を見てしまうと、少し寂しくなってしまう。悟飯のことは自分が一番知っていたいなんて。それがおこがましい考えであると分かっていても、だ。
「そっか?」
「はい……」
嘘だ。
しかし悟空は何も言わない。ただ黙ってトランクスの隣にいる。
少し離れた所ではデンデと悟天がじゃれ合っている。穏やかな光景にふっと微笑んで、トランクスは意を決したように口を開いた。
「あの……」
「ん?」
「悟飯さんは昨日……生き返ったことについて何か言ってませんでしたか……?」
一番聞きたくて、一番聞きたくないこと。でも、聞かずにはいられない。知らないわけにはいかない。知らないふりなんてとんでもない。
一晩寝て気付いた。
悟飯が生き返ったことを喜ぶばかりで、彼の気持ちを考えていなかったことに。
無理やりとも呼べる方法で永久の眠りから強引に目覚めさせてしまった。
悟飯は笑っていてくれたけれど、迷惑だったのではないか、と。考える。
界王星には悟空もピッコロもいたと聞いた。他にも、大事な戦友たちが。
幸せだったのではないだろうかと思うのだ。無理に生き返させられるより、余程。再び生きる苦しみを味わうことになるとは思ってもみなかったに違いない。
生き返って嬉しいというのはトランクスの主観だ。
笑顔でいてくれたのは彼の優しさで、悟飯にとってはいい迷惑だったのではないのかと。
本当は、自分勝手なトランクスに怒っているのではないかと。
考え付いた。
そう言われるのが怖いくせに、聞いてしまうのは心が弱いからだ。
「別に何も言ってなかったぞ」
「……怒ってませんでした?」
「怒る? 何にだ?」
「オレが……勝手に、オレの勝手で悟飯さんを生き返らせたこと……」
悟空はぱちくりと目を瞬いた。トランクスが何を言っているのか分からないというように。
その様子を見て取って、トランクスはゆっくりと思っていたことを話した。
黙って最後まで聞いていた悟空だったが、話し終えて俯くトランクスの顔を覗き込み、その鼻をぴん、とはじいた。
「ごっ、ごきゅうひゃん!?」
「おっめぇ、そんなことで悩んでたのか?」
「そんなことって……大事なことでしょう?」
生き死には、軽いことじゃない。トランクスはそれをよく知っている。会えない辛さも、大事な人から急に引き離される悲しみも。
でなければこんなに胸が苦しくなったりしやしない。
トランクスが悟飯に会えて嬉しかったように、悟飯もピッコロに会えて嬉しかったはずなのだ。まして、「大のお父さんっ子だったよ」と話してもらったことも覚えている、そんな悟空もいたのに。
「生き返らなければよかった、って……思ってるかもしれない……」
口にしたら余計胸が締め付けられた。
そんなこと、思って欲しくはないけれど。
トランクスには悟空やピッコロ以上に「生き返ってよかった」と思わせるほどのものを、悟飯に与えられるとは思えなかった。
自分は悟飯から奪ってばかりいる。
悟空も、ピッコロも、腕も、命さえも。
自分が我が侭を言わなければ。自分がもっと強ければ。あんなことにはならなかったのに、と。
何度後悔してもし足りない。
悔しさの滲む表情で語る姿を見ながら、悟空はぽりり、と鼻の頭を掻いた。
『真面目なのは誰に似たんでしょうねぇ』
昨夜の息子の言葉を思い出す。
「そんなこと、ねぇと思うけどな」
悟空は言った。
顔を上げると、いつもの笑顔を向けている師匠の父に頭を撫でられた。
悟飯によく似た、大きくて温かい節くれだった武道家の手。
撫でてもらえるのが嬉しくて、何とか褒められようと必死で修行したことをトランクスは覚えている。今は照れくさくて素直に撫でて欲しいなんて言えないけれど。
「オラもいっぺん死んじまったろ? だから、全部じゃないけど少しはあいつの気持ちが分かるんだ」
ほんとにちょっとだけな、と言い置いて悟空は考え考え話し出した。
「いっちばん初めに死んだ時はよ、一年したら生き返れるって分かってたし、オラもそのつもりだったから特に考えることはなかったんだ。……チチが怒ってるだろうなーとは思ったけど。
そんで……ほら、セルん時。死んだばっかの時は考えなかったんだけど……たまーにさ、覗いてたんだ。あいつらが危ねぇ目にあってねぇかとか。
でもよ、ほんとに覗くだけなんだよな。何も出来ねぇんだ。話しは界王様に頼めば出来るんだろうけど……川に流されてる時に声掛けたって何の助けにもならねぇもんな……」
そういえば、とトランクスは思い出していた。
悟天が小さい頃、川辺で遊んでいたら足を滑らせて落ちてしまい、そのまま流されてしまったことがあると。悟飯も似たような経験があり、その時は悟空に助けてもらったが、悟天は自分が助けたと少し誇らしげに笑っていた。
悟空はきっとそのことを言っているのだろう。
「あいつらがどんなに辛い目にあってても、死んでたら手助けも出来ねぇんだ。それがいっちばん嫌だったな。オラがいねぇと何も出来ない、ってんなら別だけどよ、もう少し、あとちょっと力を貸してやれれば、って時もただ指くわえて見てるしかないっつーのが一番堪えたな。
それに、あの世にもいい奴はいっぱいいたし、楽しかったけど、そこにはチチも悟飯もいねぇ。あいつらの側にオラがいねぇのと同じで、オラの側にはあいつらはいねぇんだ。気付いた時にはすっげぇ寂しくてよ。
後悔してるわけじゃねぇんだ。あの時はそれが一番いいと思って選んだことだから。
でもよ、今はこうして生き返って、チチも悟飯も悟天もいる。クリリン達にも会いにいける。困ってたら助けてやれる。生き返ることが出来てよかったって思ってる。生き返って後悔なんかしてねぇ」
だからよ、と彼は続けた。
「『生き返らせなきゃよかった』なんて酷ぇこと言わねぇで、優しくやってくれよ」
「………はい……ごめんなさい」
勝手に生き返らせて、勝手に分かったふりをして、勝手なことばかりを言って。
後悔せずに生きること。やれることをやるということ。
それこそが大事なんだよ、と優しい声でに教えてもらったはずなのに、こんなにも簡単に忘れて、彼の父親に泣き言を洩らして、慰められて。
何て至らない弟子なんだろうか。情けなくて、悔しくて。
「そんな顔すんなって」
「でも、オレ……悟飯さんに申し訳なくて……」
ぎゅう、と拳をきつく握り締める。短く切り揃えているはずの爪が手の平に食い込む。
血の匂いに気付いた悟空は、トランクスの背を優しく叩いた。そして握りこぶしを開いてやりながら息子自慢の優しい弟子に笑いかける。
「置いてかれる辛さってのはよ、あいつも知ってんだ。オラの所為で。だから、怒ってるわけねぇと思うぞ。それより、おめぇに怒られねぇかビクビクしてんじゃねぇか?」
「そんな……オレに怒る資格なんてないです」
「シカクとかそういうことじゃねぇと思うけど……あーぁ、トランクスおめぇ強く握りすぎだ」
開かせた手の平を見て悟空は顔を顰めた。この短い爪でよくぞ、と言ってやりたい。褒めてはいないが。
涙の代わりに血を流しているのだろうか。
どうせ流すなら、喜びの涙だけであって欲しいのだけど、と思う。
それは無意識だった。小さな頃からかすり傷なんかはこうやって直してきた。それで充分だったから。
「ごく、ごっ、悟空さんなにしてるんですかっ!?」
「へ? 消毒」
んべ、と舌を見せる。
怪我は舐めときゃ治るからな! と悟空は力強く断言する。確かに唾液には殺菌作用もあるのだが、それ以上に雑菌が含まれているので怪我した場所を舐めるというのは本当は推奨された消毒ではない。
しかし今トランクスはそういう理由で慌てているのではなく。
「結構ですから! そんなそんな舐め舐め舐め……っ!!」
「お、血ぃ止まったぞ」
「……人の話聞いてください……」
がっくりと肩を落とすトランクスに悟空は首をかしげた。何故トランクスが慌てているのか本気で分かっていないらしい。
そういえば彼の長男も似たようなところがあった、とトランクスは師匠を思い出してそっと体温を上げてしまう。
顔を赤らめているトランクスを眺めながら、悟空はふと昨日のことを思い出す。
***
トランクスたちが帰った後、宿題と予習をするからと部屋に引っ込んだ(と言うのは勿論名目である)長男と、昼寝をしたとて育ち盛りのおねむ次男を寝かしつけ、親子三人水入らずで食卓を囲んだ。お茶を飲みつつお菓子をつまみ、これまでのことを語り合った。
別世界の息子の口から出てくるのは殆どがこの愛弟子の名前で、たまにブルマやピッコロ、そして悟空が出てくるくらいだった。
あまりにも自分の名前が出てこないことにチチが拗ねて宥めるのが大変だったのだ。
トランクスのことは勿論一緒に戦った仲間として大事に思っている。姉のような関係であるブルマの息子でもあるし、同時にライバルの息子でもある。それを除いても気持ちのいい青年だ、充分に好意を持てる。
しかし、悟飯の口から語られるトランクスは、悟空の知っているトランクスと同一人物だとはとても思えなかった。
悲しくて泣いて、嬉しくても泣いて、ピーマンが苦手でトマトが好き。カレーの具はじっくり煮込んだ具が溶けかけのものが好き。だけど肉は固めがいい。
怖い話を聞くと夜眠れなくなる。そして悟飯の布団にもぐりこんでくるのが嬉しくて、何度も怖い話をした。そのくせ強がってなんでもないふりをするから、また繰り返し。最後にはブルマに怒られた。
女の子に話しかけられるとすぐに顔が赤くなって、それをからかうとすぐ拗ねる。終いには「師匠が女の子に弱いから受け継いじゃったんです」と減らず口。だからって悟飯が女の子と長話をしているとまた拗ねる。
トランクスが可愛くて仕方ない、というような口ぶりに、初めは拗ねていたチチも最終的には呆れながらも笑っていた。
片腕を失くしたことさえ、大事なものを守って負った名誉の負傷だと告げた誇らしげな顔。
悟空とて、いくら鈍いと言われていても、そこで息子の気持ちが分からないほど鈍くはなかった。
だからチチが風呂に入ると席を外した時、ついつい言ってしまった。
「ごはぁん、おめぇそんなとこまでピッコロに似なくてもいいんだぞ」
「そんなとこって、どんなとこです?」
「いや、だってよぉ、おめぇたちのそれ、トランクスが師匠離れ出来てねぇんじゃなくて……」
「オレが弟子離れ出来てない、でしょ?」
「へ?」
「あはは、ちゃんと分かってますよ。でもねぇ、離れる気も放す気もないんです」
どうしようもないことに、と幸せそうに笑った。
その表情だけでもう、悟飯がどれだけトランクス大事なのか思い知らされるというものだ。
けれど同時に彼の執着をも見せつけられた気がして。
「悟飯が苦労かけると思うけど、よろしくな」
「?」
苦労をかけているのはオレですよ、と不思議そうな顔をするトランクスの頭を撫でて、いつの間にやら柱の影でやきもきしている息子の気配に悟空は笑った。
***
悪化してる。
トランクスはずきずき痛む胃をこする。隣では悟飯もまた同じようなポーズで同じような仕草。
なるべく見ないようにしている場所では別の自分とその師匠がいちゃいちゃしている。見たくないなら目を閉じればいい。けれど耳を塞ぐなんて、あまりにあからさますぎて人のいい少年たちは漏れ聞こえる糖分過多な会話に胃もたれを起こしつつも何も出来ない。
学校が終わってすぐに神殿に来たのだけれど、それは失敗だった。ていうか来なきゃよかった。心底そう思う。
きっと隣でお茶を啜っている振りをしている悟飯も同じだろう。ちっともお茶が減っていないのはご愛嬌。演技が下手な少年なのだ。
「いつからあれ、やってるの……?」
「オレが来たときはもうずっとあれだったよ……」
「トランクス君が来る前からずっと二人でらぶらぶ? してたよー」
「ご、悟天お前らぶらぶとか言うなよ!」
ぴぎゃー! とトランクスは叫ぶが、無邪気に笑う悟天はただ首を傾げるだけ。何故幼馴染が涙目になっているのかなんて分からないのだろう。
悟飯はあーあ、とため息をついた。
ちら、と視線を送り、やっぱり見なきゃよかったと頭を下げて肩を落とす。
居た堪れない。
何でだろう、と悟飯は思う。
トランクスは好きだ。隣で「悟天のバカバカ」と涙声で呟く少年も、視界に入らないところで頬を染めている青年も。前者は弟のような、後者は戦友、または兄のような愛情を持っていると断言できる。
けれどあの、未来では亡くなっていたという彼は。
「あーん」
「あーん」
右手にティーカップを持っている彼はお茶菓子を手に取れない。だからトランクスが代わりに摘んで食べさせている。というのはただの名目。
別にテーブルにティーカップを置けばいいのだ。それで全て解決する。
だが悟飯は置こうとしないしトランクスも何も言わない。そして延々駄目ップルの会話は続く。
「他に食べたいもの、無いですか?」
「んー……じゃあ、トランクスが食べたいな」
「何言ってるんですか、悟飯さん」
「この頬っぺたなんて、齧ったら甘そうだよね」
「そんなわけないでしょう。はい、あーん」
「あーん」
あんたらなんて会話を。
師匠が弟子に対してするようなそれを通り越した会話に、悟飯はちびっこ二人の耳を塞ぎつつ、心の中で絶叫した。天津飯のように腕が四本もあるわけではないので、片方の耳しか塞げなかったけれど。トランクスの右耳と悟天の左耳を手で塞ぎ、残りをお互いの耳で塞いでもらおうとしたらつい力が入ってがつんとやってしまった。
慌てた所為でちょっと力が入ってしまったけれど、その衝撃で駄目な大人二人の会話は耳に入っていないらしい。というかくらくらと頭が揺れている。
悟空はぱちくりと目を瞬かせ、ピッコロは視線を逸らし、デンデは静かに苦笑した。
「昨日はあそこまでじゃなかったでしょう。何があったんです」
じと、と悟飯はピッコロと悟空を睨みつける。ピッコロは目を逸らして悟空を見つめ、悟空はきょとんと首を傾げた。
この時点で元凶が誰だか丸分かりというものである。しかも本人無自覚ということまで。
「……何してました?」
「ああ、トランクスに……」
恐る恐る見上げる悟飯にピッコロが事情を話そうとした時。
「あっ、ちょ、悟飯さん、オレの指は食べ物じゃありませんよ」
「このまま全部食べちゃおうか」
なんちゃってね。
うっとりするほど爽やかな笑みでとんでもないことをのたまう悟飯に、これまた頬を染めたくなるほど可愛らしい表情で俯くトランクスにもう一組の悟飯とトランクスはげっそりする。
なんちゃってが本気に聞こえないこの恐ろしさ。
両腕をこすって暖をとろうとするが、そんなことでこの薄ら寒さは拭えない。
しかもその上とんでも師匠はとんでもないことを言い出した。
「食べちゃう代わりにキスしちゃおうかな」
「は!?」
何を言っているんだ、と真っ赤になるトランクスに更に一言。
「お父さんにキスされたとこも、全部ね」
「……」
「……」
「……」
「悟空……」
「悟空さん……」
「お父さん……」
ピッコロとトランクスと悟飯の冷たい視線を一身に受け、悟空はちょっと後退り。怖いもの知らずの悟空だって、こうも恨みがましい目でみられたらやっぱりびびる。しかもうち二人は精神的ダメージがとんでもなく大きいものだから、視線も尚更厳しくなろうというものだ。
「悟空さんの馬鹿……」
「わ、わりぃ……」
「お父さんのいらんことしい……」
「すまねえってぇ……」
「今晩のデザート抜きですからね」
「いぃっ!?」
そりゃねぇよぅ、と嘆く悟空の声が雲より高い神殿に響き渡る。
しかしそんな中でも未だ見詰め合う師弟はキスするしないやめろやめないでその後二時間いちゃこらし続けたのだった。
***
甘く漂う苺の香り。紅茶に野苺の香りを付けたんですよ、と新米神様が教えてくれた。
こくん、と喉を鳴らして悟飯は「そう言えば」と口を開いた。
「未来へはいつ帰ろうか」
トランクスの指からすり抜けたティーカップとソーサーが触れ合って軽い音を立てる。零れなかったのは運がよかったのだろう。見ていたデンデはほっと胸をなでおろした。
そしてすっかり忘れていたことを師匠に言われて初めて思い出し、トランクスは自分の間抜けさに頭を抱えた。もっとも、原因は悟飯にもあるのだけれど。
「えーと、オレはもともと明後日帰る予定だったんですけど」
「そうか、じゃあ明後日だね」
事も無げに言う悟飯に、トランクスはいいのだろうか? とその顔を見上げる。悟飯が望むのなら、延ばしたっていい予定なのだ。
確かに帰りづらくはなるかもしれないけれど、今のトランクスには悟飯以上に優先されるものなど無いのだから。
しかし悟飯は笑ってトランクスの頭を撫でた。
「問題は、タイムマシンにオレも乗れるか、ってことだよなぁ」
まさか置いてけばりになんかしないよな? と笑われる。
「そ、そうだ……タイムマシンは一人乗り……!」
うっかりな所は母親譲り。
相変わらずな弟子に苦笑して、悟飯は師匠を見上げた。緑色の耳をぴくりと揺らしてピッコロは目を反らす。
無茶を言うな、ってなもんである。
元神様だろうが優秀なナメック人であろうが、あんな複雑な機械をどうこう出来る力はない。悟飯も多大な期待はしていなかったのでそれ以上は何も言わない。
役立たずと言うなかれ。ブルマがとびっきりの天才なだけなのだ。機械に関しては、の但し書きは付くけれど。
だからこういう時は。
「ブルマさんに相談してみようか」
「はい……」
トランクスがしょんぼりしながら頷く。そんな姿も可愛いな、なんて思ってしまうは馬鹿師匠。しょんぼりするだけ無駄なのだ、とトランクスに教えてくれるお人よしはいなかった。
***
孫家の男共に「またね」と手を振って別れ、二人のトランクスと一緒にカプセルコーポレーションへと飛んできた悟飯の姿に、ブルマはひゅう、と口笛を鳴らした。隣で「鳴ってないぞ」と呟く夫の鳩尾にチョップをくれてやると、初めて見る息子の師匠をまじまじと見分する。
「へーえ、あの悟飯君がねぇ。いい男になるもんねぇ」
へーほーふーんと眺められ、悟飯は困ったように笑った。ベジータの足元では小さなトランクスが複雑な顔をしている。
どんなにいい男でもその全ては可愛い弟子の為に、だ。まったく何の意味も無い。
被害を一身に受けることとなった少年は痛くも無い腹を押さえてぶすくれている父親にすがりつくことも出来ずにただ只管これ以上厄介なことが起きませんようにと祈るばかり。
そうね、と少し考え込んだ後、ブルマは思い出したかのように告げた。
「ミクロバンド作ってあげるわ」
「ミクロバンド?」
「要は二人乗れればいいんでしょ? 片方が手のひらサイズになれば十分乗れるわよね」
トランクスは頷いた。悟飯を見上げると、それでいいよ、と目で返事が返ってきた。
設計図は残っているから明後日には出来るはずだ、とブルマ頼もしく請け負う。
「にしても懐かしいわね~。私筋斗雲に乗れなかったから、小さくなって孫君の懐に入れてもらったのよ」
「おい、どういうことだ! 聞いてないぞ!?」
「言ってないもの当然でしょ。だいたい、あんたに会うずっと前のことだもの」
何だかんだで愛妻家の王子様である。しかも話に出てきたのはライバルの名前。
むがががが、と額から蒸気を出すベジータを軽くあしらい、ブルマは早速作業室に入って行く。残されたベジータも悟飯を一瞥しただけで、何も言わずに小さなトランクスを引きずりながら重力室に向かう。
何でオレ、というトランクスの悲痛な叫び声が廊下にこだまし消えていき、途中で「うぐぅ」と鈍い声が聞こえたのはきっと殴られでもしたのだろう。勿論八つ当たりだ。
「……うーん、ベジータさんってあんなだったっけ……?」
長い平和とブルマの功績で丸くなったかつての侵略者。今ではすっかり愉快なパパである。
怖い人、という印象のまま人造人間と戦って命を落としたベジータしか知らない悟飯にとって、たった今目の前で繰り広げられた光景は俄かには信じ難い。
それでも幸せそうだな、とちょっと笑う。
何しろあの悟空でさえたじたじにしてしまうほどのパワフルガールだったのだ、ブルマは。本人が聞けば「今もよ!」と頬を膨らませるであろうけれど。
トランクスも会ったばかりの頃とは大分変わっている父親に、ブルマの偉大さを実感する。そして赤ん坊だったトランクス。あやした記憶さえ新しい子供が。
やっぱり育つ過程を見ていると、父親としての自覚も出てくるものなのだろうか。
ちょっと羨ましいな、とも思うけれど。
「きっとキミに会ったからだろうね」
悟飯がそう言ってくれるから、それもあると嬉しいな、と都合のいい解釈で納得してしまうことにした。
***
「悟飯ちゃんはトランクスちゃんのお隣の部屋でいいかしら~?」
のんびりとしたブリーフ博士の奥方の言葉に、悟飯は「はい」と頷いた。トランクスにも勿論異存は無い。
トランクスの部屋の隣室に案内され、部屋をぐるりと見渡した悟飯は弟子の祖母に頭を下げた。
「お世話になります」
「いいのよ~、何日だっていてくれても。
悟飯ちゃんもこんなに格好よくなるなんて、さすが悟空ちゃんの子供ね~。
明日デートしない?」
「え!?」
「だっ、駄目です!」
驚く悟飯と大慌てで首を振る孫の姿に、けれどブリーフ夫人は「あら残念」と微笑んだだけで退室した。その不思議な笑みにトランクスの頬が染まる。何だか色々と見透かされている気がする。
そんなトランクスには気付かず、悟飯は「あの人は何年経っても変わらないなぁ」と感心していた。
そういえば年を取っていないようにも見える。……まさかサイヤ人じゃないよな、という悟飯の呟きに、二人は顔を見合わせ引き攣った笑顔を見交わした。
「ま、まあ、そういう体質なんだろうね」
「そうですよね、きっと若い時代が長いんですよね」
「それってサイヤ人の特性だよね」
「………」
「ぷっ」
「……面白がってるでしょう」
「よく分かったね」
分かりますよ、と拗ねる弟子に微笑みかけて、悟飯はソファ代わりにベッドへと腰掛ける。睨みつけてくるトランクスにおいでおいでと手招きして、渋々近付いてきたその腕を引っ張った。
「うわ!?」
「あはは、重くなったねぇ」
トランクスの全体重をその身体で受け止めて、悟飯は朗らかに笑ってみせた。
その様子はまるで。
「孫の成長見守るおじいちゃんみたいですよ」
「……おじいちゃんなんて年じゃないよ」
弟子に甘いお師匠様も、さすがにジジイ扱いは嫌だったらしい。
めっ、と怖い顔をしてみせる。勿論怖くなんてないのだけれど。
そのまま何となくお互いに口を噤む。
話す事は沢山ある。話したい事も沢山ある。
だけど触れ合った場所からじんわり広がる体温が温かくて、それだけで全てが通じ合うような気がして。
トランクスはそっと目を閉じた。うつ伏せで悟飯に覆いかぶさっている体勢のお陰で、そんな小さな仕草も悟飯には分かってしまう。
甘える時、甘えたい時、トランクスはいつもきゅう、と目を瞑る。そんな弟子の仕草が嬉しかったものだ、と悟飯も笑って目を閉じた。
そのままどれだけ引っ付いたままでいただろうか。トランクスははたと気付いた。
いつまでもこうしているわけにもいかないことに。
カプセルコーポに着いたのは既に夕方近くになっていた。そろそろ夕食の集合がかかるはずだ。『ご飯は皆で食べたいじゃないかbyブリーフ』である。
このままでは誰か、有力なのは小さなトランクスが、きっと二人を呼びに来るだろう。わざわざ手間をかけさせるわけにもいかない。何せ朝からつっこまれっぱなしだったのだ。
「悟飯さん、そろそろ晩御飯の時間ですよ」
小さな声で呼びかける。しかし返事はない。
「悟飯さん……? 寝ちゃったんですか?」
戻らない返事に少し焦って身体を起こす。しかし悟飯はのんびりと閉じていた目を開けた。
「ん? いや、起きてるよ」
トランクスが起きて出来たスペースに、悟飯も身体を起こす。その時聞こえた「よっこらしょ」という呟きは、礼儀正しい弟子はきちんと聞かなかったことにしてあげた。
「ご飯はみんなで一緒に、だよね?」
「はい。覚えてたんですね」
「ブルマさんに散々言われたからねぇ。まあ、オレの家もそうだったけどね」
行こうか、と手を差し出される。
トランクスは迷わずその手を取り、
「またかよこの駄目師弟」
結局はお手々繋いで食卓へ着いた二人を見たチビトランクスの冷たい視線を浴びることとなったのだった。
***
和気藹々とした夕食。一家の団欒。絵に描いたような温かい家族。
「悟飯さん、これ美味しいですよ」
「そう? オレにも取ってくれるかい」
「じゃあオレが食べさせてあげますよ。
はい、あーん」
「あーん」
絵に描いたようなバカップル。
「……あれは何だ」
ベジータは頭痛を抑え、隣でもぐもぐ口を動かす妻に問いかけた。
「仲良しでいいじゃない」
仲良しなんてもなじゃないだろう。
暢気も大概にせえよ、とは口が裂けても言えない愛妻王子。しかしその間も視界には痛々しい光景が入ってくるわけで。
ブリーフ夫妻は「仲良きことは美しきかな」とか何とか微笑ましく見守っているし、トランクスに至っては自分よりも重症だ。普段はあっという間に平らげる量の食事も、今日に限ってはいまだ手付かずでテーブルに鎮座している。
無理も無い。学校が終わった後からず~~~~~~~っと見せ付けられっぱなしなのだ。やつれているようにさえ見える。
はぁ、とため息をつく。そんな夫にブルマはにんまり笑って手近な料理をフォークに突き刺し。
「ベジータ」
「何だ」
「あーん」
がごん。ずりごきゅ。
トランクスはテーブルに額をぶつけ、ベジータは無様にも椅子から転げ落ちた。リアクション芸人も真っ青だ。
「うふふ、ブルマさんとベジータちゃんも仲良しさんねぇ」
「そうだなぁ」
「じゃあパパにも、あーん」
「あーん」
大物だ。
二人のリアクションにも動じず、にっこり笑いあって自分たちも同じことをし始める妻の両親に、ベジータはいまだかつて無い敗北感を味わった。
この夫婦から生まれたのがブルマだというのなら、自分が連戦連敗であるのも頷けるってなもんだ。……限りなく認めたくない事実だが。
「ほらほら、あーんは? ベジータ、あーん」
「誰がするか!」
「何よぅ、あたしの料理は食べられないっての?」
「酔っ払いか貴様は! というかそもそもお前は作っとらんだろうが!」
いつものメンバーが集まるパーティなどは別だが、普段の食事は料理マシンが作っている。と言ってもそのパーティの料理もサンドイッチやバーベキューなど簡単なものばかりなのだけれど。
断固拒否するベジータに頬を膨らませ、ブルマは夫にえいやっと飛び掛る。妻の急襲に慌ててよけようとするが、今ここで避ければブルマは確実に床と仲良しこよしである。
そう考えが及んだ時点でベジータの負けだった。
「あーん」
「むがっ」
がぽんっ、と喉の奥にまで突っ込まれる。何かの苛めとしか思えない。
しかし目の前で「どうだ嬉しいだろう」と言わんばかりに目を輝かせている妻を見ていると、必死で租借して頷いてやらなければいけない気になるのだからどうにもこうにもこの愛妻家。結局はバカップルの片割れの父親なのである。
ベジータ連敗記録絶賛更新中だ。
そんな父親の様子をトランクスはキラキラした目で見つめた。
「母さんに見せてあげたい……」
「よかったな、トランクス」
「はい!」
両親の仲がいいというのは子供にとっては何よりの幸せだ。しかも隣には大好きな人。
幸せ絶好調のトランクスは満面の笑みで大きく頷いた。そんな可愛い弟子に悟飯の顔も自然と緩む。
にっこり笑って見詰め合う。それだけでお腹一杯だ、と言わんばかりに。実際にはかなりの量を胃袋に収めているが、それはそれ。愛しい人の笑顔は別腹だ。
そうして最終的には三組の「はい、あーんv」を見せ付けられるハメになったちっこいトランクスは。
「大人なんか……」
絶対こうはなるものか、と固く固く、決意を新たにした。
***
本を捲る音がする。
テーブルに分厚い本を置き、悟飯の節くれだった指が器用にページを捲っていく。
真剣な目で活字を追う悟飯の横顔を、トランクスはベッドに寝転んでうっとりと見つめる。
きりりと太い眉、難しい字があったのかたまに細められる目、すぅっと筋の通った鼻、引き締められた唇、何もかもが。
(格好いい……)
恋は盲目。しかも今この場所には突っ込んでくれる人は誰もいない。
どうにも騒がしい夕食を終えた後、家族はそれぞれの部屋に引っ込んだ。トランクスもいつもなら小さなトランクスの部屋で一緒に寝るのだが、今日は悟飯もいることだしと、この部屋に泊まることになっていた。
というか、隣室から物音がするたびにそわそわと落ち着きをなくすトランクスに、限界を迎えたちびっこから「うちのベッドはダブルベッドよりでかいんだからあっちでも寝れるだろ!」と追い出されたというのが正しいのだが。
控えめに叩かれるドアを、来るのが分かっていたとでもいうようにすぐさま開いた悟飯は、珍しく紅潮した顔でトランクスを招き入れてくれた。一歩足を踏み入れたそこは本のジャングル。唯一本の侵蝕を免れていたのはベッドと椅子、そしてドアの周辺のみ。
未来では学校や図書館なども破壊され、本は焼けて中々手に入りにくいということをトランクスから聞いたブルマが『どうせ自分は暗記していて読む必要などないのだから、好きなだけ持っていきなさい!』と豪快に渡してくれたのだ。天才であるにはあるのだ。必ず『機械に関しては』との限定詞がつきはするが。
トランクス曰く、復興が進んでいるとはいえ、学者をやっていくにはあの世界は貧窮しすぎている。破壊するのは容易いが、生み出し守ることは難しい。その見本だ。
けれど勉強してしすぎることはない。都再建の役にも立つだろうし、そもそも何かを知るということが大好きな悟飯なのだ。
悟飯は有り難くその申し出を受け、貰えるだけの書物をカプセルに詰め込むことにした。
今読んでいるのはその一部である。
招き入れた後、お茶でも淹れようか、お菓子でも貰ってこようか、小さなトランクスからゲームでも借りてこようか、とトランクスを構い倒そうとする悟飯をトランクス自身が止めたのだ。
自分も少し読みたい本があるから、と明るいデスクライトを悟飯に譲り、ベッドに腰掛け適当な本を手にとって。けれどそのページは一枚も捲られることは無くいまま。
楽しそうに知識を吸収する悟飯。それをただ見続けることの出来る時間。
この時間がずっと続けばいいのに。
幸せだ、とトランクスは目を細めた。
夜の闇にまぎれて雨の音がするまでは。
***
トランクスの気配を感じて、悟飯は文字から目を離し顔を上げた。
いつの間に近付いたのか、俯いたままの弟子の顔を覗き込み、悟飯は驚いて立ち上がった。
蒼白なその顔色に肝が冷える。
「悟飯さん……」
「どうした?」
声をかけ、トランクスの冷たい指先を握りこむ。
「帰りましょう。すぐ。今から」
掠れた声でトランクスが呟く。
無理だと知って、それでも口にせずにはいられなかった。
こればかりはこの約十年間ずっとどうにもならないまま。ただ布団に丸まって時が過ぎて音が止むのを待つだけだった。そうするしか出来なかった。
悟飯は考える。
さっきまでは笑っていたはずだ。こっそり盗み見た彼は、楽しそうに自分を見ていたから。それがくすぐったくも、ちょっと嬉しかった。
なのに何故。
さっきと違うことは何だろうか。何が彼をこうも怯えさせているのか。
降りた沈黙で、悟飯は漸くその音に気付いた。
そうして思い出す。永遠の別れを経験した時のことを。
「雨は嫌い?」
悟飯が低い声で聞くと包み込んだ指が震える。
「オレの所為かな」
質問ではなく確認。
服をぎゅぅぅうう、と掴まれた。それが返答。
怯える子供のような仕草に、心臓を鷲掴みにされた。責めてくれないのが辛いだなんて、どの口が言ったものか。
怒られるよりも堪えた。
こんな顔をさせるなんて。
生き返った時の涙は、あれは喜んでくれているのだと、迷うことなく言えたから。でもこれは。
「……おいで」
繋いだ手をそのままに、本を掻き分け歩く。
素直について来るトランクスは、離せば消えてしまうのではないか、というほどにしっかりと悟飯の服を握り締めていた。間抜けな格好なのだろうな、とは思うが悟飯には何も言えない。
ぽすん、とベッドに座る。隣に座る弟子の揺れる瞳を感じ、悟飯は安心させるように笑った。
ここにいるよ、と。
引き寄せて、抱きしめる。いくらでも体温を感じればいい。ここに生きて存在しているという証。
それでも足りないのなら、流れる赤い血を見せてもいいとさえ思う。そんなことをすれば余計に不安にさせるだけだから実際にしたりはしないけれど。
腕を失った時も泣かせてしまった。あんな顔、もう見たくない。
後悔と、罪悪感とに塗れたあんな顔。
何度キミの所為じゃないと言っても聞いてもらえず、最終的には力技で納得させた。かなり強引だったかな、とは思うけれど、如何な悟飯とて若気の至りとはあるものなのだ。
どうせ離す気などないのだし、とその時は無理やり自分を納得させた。
まさか死ぬなんて思っていなかったから。
絶望感と無力感に苛まれて薄れ行く意識。襤褸雑巾よりもずたぼろになって、服も髪もしとどに濡らす雨の中、体温を奪われながら心に浮かんだのはただ一人。
自分を師匠と呼び、母親にさえ見せない泣き顔を見せ、無条件に与えられる信頼を、生きる理由をくれた空色の瞳。
また泣かせてしまう、と思った。
しかも今度は取り返しがつかない。既に指を動かすことすら億劫なのだ。
ごめんね、と謝った。
一人にしてしまうこと。人造人間を倒せる唯一の存在にしてしまうかもしれないこと。生きて生きて生きて、絶対に生き延びなければならない存在にしてしまったこと。それを願ってしまったこと。
声になっていたかは分からない。音になっていたとしても、それがトランクスに聞こえるはずもないのに。そんな判断さえも出来なくなっていた。
気付けば目の前には天使の輪っかを浮かべた父親師匠、その他諸々の方々。自分の頭の上にも同じものが浮かんでいると知った時は、茫然自失する以外なかった。
でも今は。
生き返って、最初に目にしたのは紅藤から覗く空色。
真っ直ぐ射抜いてくるそれを再び見ることが叶えばと、幾たび願っただろうか。
けれど見たかったのは、涙に濡れたそれじゃない。
「トランクス」
名を呼ぶ。ぴく、と反応した身体に、声がきちんと届いていることを確認する。
「デンデに立会人になってもらおうかな……。ああ、そういえばピッコロさんも神様と融合したんだっけ。じゃあピッコロさんにも頼もうかな……。まあ今から飛んでいくわけにもいかないし、また明日行けばいいか」
ぶつくさとわけの分からないことを呟く師匠に、トランクスは埋めていた肩口から顔を上げた。
立会人だの神様だの、果てはピッコロだの。意味が分からない。
だが悟飯は弟子の疑問には頓着せず、
「お望みなら何度でも言うけど、出来ればちゃんと聞いてて欲しいなぁ」
と前置きして厳かに言葉を紡いだ。
「孫悟飯は、健やかなる時も、病める時も、死が二人を別つとも、トランクスの側にいることを誓います」
どう? と目で問われ、トランクスは絶句した。
それではまるで結婚式。神への誓いではないか。
「他に、言葉以外にキミにあげられるのなんて、命ぐらいしかオレは持ってないし。でも、受け取り拒否されちゃいそうだったから。
信じてもらえるまで、何度でも言うよ。一度死んじゃったオレが言うのも、信憑性がないだろうからね」
呆気に取られていたトランクスだが、悟飯のその言葉に「そんなことありません」と首を振った。
「びっ、びっくり、した、だけで……」
そりゃびっくりもするわ、という話である。
「あの、それで、神様とかピッコロさんがどうのっていうのは……?」
「うん、結婚式とかだと神父さんがいるだろ? でも折角神様が知り合いなんだから、神様に立会人になってもらった方が、誓いの効力あるかな、って」
質問の意味を万分の一も分かっていない返答に、流石の師匠大好きっ子もなんと言ったものか言葉の選択に困る。しかも本人はトランクスがあえて考えないようにしていたことをしれっと言ってのけている。
しかしその沈黙をなんと誤解したのやら。
「弟子と孫弟子がお願いしたら断らないよ」
ピッコロにとってはいい迷惑だ。
そういうことじゃないのだけれど、と思いつつもトランクスはつい苦笑した。
「ずっと一緒にいてくれますか?」
「もちろん」
「勝手にいなくなったりしないでくださいね」
「『行ってきます』って言うよ。それにちゃんとキミのところに帰って来る。『ただいま』も言う」
約束だよ、と小指を立てる。大真面目である。
相変わらず、すぎる。
常識人のふりをして、実はちっともそんなことない。しっかりしてるようで、実は天然。
そして自分はそんな悟飯が大好きで、悟飯の言葉なら何でも信じられるのだ。何度でも。
敵わないんだ、この人には。
思って、トランクスは自分の小指を絡めて言った。
「死ぬ時はいっせーのせ、で一緒に死にましょうね」
「ああ、それは幸せだね」
無理難題の我が侭にもうっとりと呟く悟飯の姿に、今度こそトランクスは堪えきれずに笑い声を上げた。
「ね、悟飯さん」
「うん?」
「オレ、悟飯さんが、大好きです」
笑い涙を拭いながら告げる。
予想外の嬉しい言葉に、悟飯は鳩が豆鉄砲を食らったような間抜け面を見せてしまった。
その顔を見て再びトランクスが噴出す。
半分は、照れくさいのを誤魔化すためだったけれど、笑っているうちに本当におかしくなってきてしまった。それほど、今までの『お師匠様』が見せたことのないような表情だったから。
「……笑いすぎじゃないか?」
「そ、そんなこと、ぷっ、ありませんよ」
「……そんな子には~……」
「はい?」
「お仕置きだー」
「……ぇ?」
ふんわりと唇に触れたものの正体に、気付くのが数十秒ほど遅れた。
情報が漸く脳にたどり着く頃にはトランクスの顔は真っ赤に染まっていて。
「あはは、真っ赤だよ」
「あた、当たり前ですっ!」
ぽかすか殴られても悟飯はちっとも痛くない。トランクスが力を入れていないということもあるし、その表情は少しも嫌がっているものじゃないのだから。
長かったなぁ、としみじみ思う。
思いを自覚したのは結構早かった。無邪気に笑う少年が欲しくて、でも流石に八つも年下の子供に手を出すなんて真似、親に似ず強固な理性が許してくれなくて。
触れてくる手を抱きこんで掻っ攫ってしまいたいと、何度思ったことか。
明日死ぬかもしれない現実に、その気持ちを必死で押さえ込んできたけれど。
でも今、トランクスは自分からこの腕に飛び込んできてくれた。勝手にそう解釈する。
この可愛い青年は気付いているのだろうか。気付いていなくてもいいけれど。
「ね、トランクス。『ずっと一緒』って、プロポーズだよね」
「ぷっ、ろぽぉずぅ~~~!?」
「大好き、って言ってもらっちゃったし」
口をぱくぱくさせるトランクスに微笑んで、一気に体温の上がったその身体をきつく抱きしめた。
「言質、取ったからね。もう絶対、離れてあげないよ」
耳元で囁かれ、トランクスは恥ずかしさのあまり身体を捻って逃げようとする。しかしその腕に込められた力は思いのほか強く、上手く身動きが取れない。しかもトランクスは無意識に悟飯の右腕に負担をかけぬよう気を使っている。そんな状態で悟飯の腕から抜け出せようはずもない。
それに、動かせる首を捻って、すぐ側にある悟飯の、その幸せそうな顔を見てしまっては、尚更。離れたくないのはトランクスも同じだから。
だから望む答えをくれればもう、これでいいやというような気持ちになってしまった。
「……悟飯さん」
「ん?」
「あのですね、命、ください。受け取り拒否なんかしません。貰います」
「うん、いいよ。あげる。貰ってくれ」
あっさりと。その言葉の重さを分かっているのだろうか、というほどに簡単に頷く。
でも。嘘が苦手な人だと知っている。
トランクスは「だから、」と続けた。
「勝手に……失くしたら怒ります」
「……はい」
神妙に頷く。
一度、嘘をついたから。
連れて行くと言ったくせに、置いて行って、そのままトンズラ。しかも泣かせたままなんて。
名誉挽回汚名返上しなければ男が廃る、ってなもんだ。
望まれる限り、望んでくれる限りは、ずっとこの子の側にいよう。そう、心の奥底にも密やかに誓いを立て。
「そうだ、ずっと側にいる、って言ったけどさ」
「はい?」
「お風呂、一緒に入る?」
「入りませんよ!」
そっか、そうだよね、と残念そうに呟く悟飯にトランクスはあきれ返る。ここで自分が「はい」と言っていたら本気で一緒に入りそうな勢いだ。
一体いくつだと思っているのだろうか。もう子供ではないというのに。
トランクスは気付いていない。
子供じゃないからこそのお誘いだということに。
(まあ、のんびりいこうか)
明日への約束を躊躇う理由も無い。そのうちでいい、そう思える幸福があるから。だけど。
「それじゃあ背中流そうか?」
「同じことじゃないですか」
つつけば返ってくる反応が嬉しくて、抱き合ったまま笑いあう。
こんな時間を夢見た。
「トランクス、好きだよ」
「はい、オレも、好きです」
そうやってじゃれ合っているうちに、雨音が消えたことさえ気付かなかった。
***
一夜で何があった。
トランクスは昨日にも増して、どころじゃないほどにとんでもないことになっている二人の姿を朝一番に見せ付けられて、家事ロボットから受け取った新聞をぱさりと床に落とした。
おはよう、と笑いかけてくる大きな自分に口の中でもごもごと挨拶を返す。ていうか言いたいことは他に沢山あるのに、ありすぎてどうにもこうにもごにょごにょごにょ。
例えば。
何で手が触れ合っただけで頬を染めるのかな、とか。
何で「あ」って言っただけで何を取って欲しいのか分かるのかな、とか。
何で目が合っただけでそんなに幸せそうに微笑みあうのかな、とか。
何で悟飯さんの膝の上に大きな自分が座っているのかな、とか。
色々、そりゃもういろいろいろいろとあるのだけれど。
どれから突っ込めばいいかさっぱり全く分からない。齢九つの少年に対してあまりにもあんまりな仕打ちだ。
バカップルバカップルと言っていても、それは冗談、あくまで比喩、だったのが。
これじゃまるで本当にこいび……。
そこまで考えて思考回路をシャットダウン。そんな恐ろしい単語思い浮かべたくない。
しかも何が一番辛いって、この異常な光景を誰も気にしていないのが辛い。
祖父祖母は勿論、ブルマも、ベジータでさえ。
救いといえばベジータの読んでる新聞が逆さまで、しかも昨日の夕刊ということから一応動揺はしてくれているのだ、ということだ。
どう救いなのかと聞かれても「少なからずマトモな神経を持った人が自分以外にいた」というだけのなんとも切ないものなのだが。
「トランクス、あんたさっさと座りなさい」
「え、あ、うん……」
これの隣にかよ。
思うが、何も言えない。
あまりにも普通にしている家族を見ると、まるで自分の方が異常な気がしてしまうのだ。
勿論正しいのはトランクスの感覚。
だがそれを教えてくれる人はいない。居た堪れない空気の中がこんと音を立てて椅子に座る。
手と手を合わせていただきます。
「おい、ブルマお前何処に座ってる!」
「息子に負けるなんていや~よ。ほらちょっと足組まないでよ座れないでしょ!」
「くっ、き、貴様……っ」
「ベジータ、何が食べたい? 取ってあげるわよ」
「……………………肉」
手のひらの皺と皺を合わせて幸せ……を下さい。
弟か妹が出来るのもそう遠くはないかな……。
トランクスは煤けた背中を丸めて焦げたトーストを齧りながらそう思う。そしてそれは見事ドンピシャ的中するのだった。
***
鳥が飛んだ。犬が走った。猫が欠伸をした。
そんな当たり前のことも、二人でいれば全てが幸せに変わる。
ちょっと視線をずらして隣を見る。気付いた悟飯がにっこり笑う。それだけでもう。
こんなに幸せでいいのだろうか、なんて思ってしまうのだ。
「楽しそうだね」
「はい」
いなくならない。そばにいる。
悟飯は気付いていないかもしれない。あの頃はそんな約束すらくれなかったことを。
無意識にそんな言葉を封じていたのだろうか。そんな悟飯から何とかその言葉を引き出そうとしてみたのだが、終ぞ言ってはくれなかった。
結構強引に聞き出そうとしたこともあったけれど、暖簾に腕押し糠に釘。かわされてお終いだった。
子供ながらに必死だったのは、明日には会えなくなってしまうかもしれないということを実感として知っていたからだ。一掴みの安心感をねだって、また同じことを繰り返すだろうトランクスを悟飯はちゃんと諌めてくれた。
息をすることすら辛い世界で。彼がいなければきっと生きていけなかっただろう、と思う。
諦めるな。絶対に。道はある。ないなら作れ。そうすれば――。
どんなに今が辛くたって、辛いだけの人生などありはしない。生きていればいいことがある。
教えてくれたのは師匠。
本当ですね、と悟飯に微笑みかける。
時にはその教えを忘れたり、自分の実力を買い被り、飛び出してこてんぱんにされて死に掛けたこともあるけれど。それでも生きた。運が良いのは母親譲り。往生際が悪いのは……父親譲りだろうか師匠譲りだろうか。
生きていれば、本当にいいことがあった。
尊敬する師匠をそっと見つめる。これからまたずっと一緒にいられるなら、少しは近づいてみせたい。そう思って。
が。
むしろ段々近付いてくる悟飯の顔に気付いた時、その唇は既にトランクスのそれと優しく重なっていて。
「いきなり何するんですか」
脈絡の無い師匠の行動に目をぱちくりさせる。口付けられたことは別にいいらしい。また一つちびっこの心労の種が増えている。
「トランクスがキスして欲しそうな顔して見てるからだよ」
「してません」
「あははは、でもびっくりしただろ?」
「……今度はオレがびっくりさせてみせますからね」
「うん、楽しみにしてるよ」
「……………………………絶対びっくりさせてやる」
トランクスは本気で楽しみにしている悟飯に、いつか絶対必ず! とリベンジを誓う。何なら今からでも。
どうやって驚かせてやろうか、と企むトランクスの姿に悟飯はどうしようもなく笑顔がこみ上げる。
今日いまこの時、奇跡そのものの命に感謝を。
幸せだと勝手に笑ってしまうもの。
ぽかぽかの陽だまりの中、飽きもせず仲良く並んでいちゃつき続ける二人の姿。辺りには甘い空気とピンクのハートがふわふわ浮かぶ。
それは学校へ行ったトランクスが帰ってきても尚、カプセルコーポの中庭で飛び続けていたとかなんとか。
「それじゃあ、お世話になりました」
「また遊びに来るのよ二人とも!」
「はい、母さんもお元気で。父さんも、トランクス君も、お祖父さんとお祖母さんも」
一夜明けてカプセルコーポの外庭。
トランクスと天才ブルマの作り上げたミクロバンドを装着した悟飯はタイムマシンの前で別れの挨拶。見送りには孫家の面々もやって来ている。
「また来いよ悟飯」
「はい、お父さん」
「悟飯ちゃん、トランクスさにあんまし無体なことするでねぇだぞ」
「……はい」
この人はどこまで分かって言っているのだろうか。何せ宇宙最強の嫁さんだ。
無体って何だ? と質問する悟空をあしらう背中を見て、悟飯は乾いた笑みを洩らした。
深く考えると恐ろしいのでさっさとミクロバンドのスイッチを入れる。段々と大きくなる周囲の景色に不思議な気持ちになる。実際には悟飯が小さくなっているのだが。
「へぇ、本当にちっちゃくなっちゃいましたね。とりあえず、オレのポケットにでも」
「うん。あはは、トランクスに身長抜かれちゃった」
いや身長どころか。
この時点で小さなトランクスは漸く気付いた。
この人たち、どっちもボケだ。
ツッコミがいない。ツッコミがいないということは暴走すればしっぱなし。
つまりどこまでもボケ倒して突き進むだけである。
気付くのが遅いと言うなかれ。物腰の柔らかさと落ち着いた物言いとに誤魔化されていた。しかも悟飯の方は何だか確信犯的にボケている。
次にこちらへ訪れる時にはどうなっていることか。確実に今よりとんでもないことになっているのは間違いない。
想像しようとして、やめた。蕁麻疹が出そうだ。
トランクスがげっそりしている間に二人はタイムマシンに乗り込み、空の上から手を振っている。悟飯は小さすぎて見えないがきっと振っているのだろう。
その姿が宙に消え、余韻を残して去っていった後。
ブルマがぽつりと呟いた。
「次に来る時は三人かもね」
もう勘弁してくれ。
トランクス、悟飯、ベジータが心の中でそう呟く。声に出さないのは彼らの優しさ……ではなく、喉を振るわせることすら億劫だから。
ありえないからそれ、と突っ込むことも忘れ、考えることを放棄して。
とりあえず、幸せそうで何より。だけど出来れば巻き込まないで。
そんな願いを胸に抱き、残像すら見えぬ虚空を見上げた。
人の夢、と書いて儚いと読む。
そのことを後々も実感させられることとなるとも知らずに。
比翼の鳥……雌雄が目と翼を一つずつもち、常に二羽一体で飛ぶ鳥。
要するに……バカップル。
#DB #飯トラ
毎晩のように兄に種付けされる弟の日常
HLPDには双子の警官がいる。
兄をダニエル・ロウといい、弟をマーカス・ロウといった。二人は三十代前半で警部補の役職に就いていたが、浮いた話もなく、夜は飲み歩くこともせずに揃って兄弟でシェアしてるアパートへ帰って行く。
二人を憎からず思っている者もいたが、誘いをかける隙もなく、仲のいいワーカホリック兄弟と思われていた。
それは一部真実だ。
「ただいま我が家、ただいま兄さん!」
「お帰りマーカス」
共に玄関をくぐった双子は、ドアの鍵をかけるや否や、深く唇を合わせた。
すぐに離れたその口付けは、けれど親子兄弟がするものではない。
恋人、または夫婦がするそれは、双子にとっては至極当たり前の挨拶だった。
「昨日の食べかけピザ暖める? ポテト揚げる? スープは?」
「ピザは食う。ポテトは要らねぇ、スープは飲む」
ばさばさとコートとジャケットをソファに脱ぎ捨て、二人でキッチンに立つ。マーカスはレンジ回りをうろちょろし、ダニエルはコンロでスープを暖める。
男二人の食卓だ。手早く夜を越す為の腹を満たすと、後は食洗機によろしくどうぞ。
「ポテト食えば良かった」
「今から揚げるのめんどい」
「知ってる」
ダニエルが少し足りない腹具合を訴えると、マーカスは唇を尖らせた。それを可愛いと思いながら、弟のシャツのボタンを外す。
「マーク、太ったか?」
「何だよ急に失礼だな」
こちらもダニエルのボタンを外しながら、マーカスが眉根を寄せる。確かに代謝が落ちるお年頃だが、トレーニングは定期的に行っている。
しかしダニエルは難しい顔でおもむろにマーカスの胸を下着の上から擦った。
「んゃっ……なに?」
「やっぱり太ったな」
くりっ、くりっ、くりっ、くりっ。
「んっ……んっ、んっ……」
胸を擦られるついでに先端もつねられ、マーカスは甘い声をあげる。
「一年前よりおっぱいが膨らんでるぞ」
「やぁっ、おっ、おっぱいとか言うなっ!」
精悍な兄の顔に似合わない卑猥な言葉に、マーカスは文句をつける。しかし兄の手を止めようとはせず、敏感な先端をこね回す指にされるがままだ。
「筋肉が衰えてきたせいか」
「え、やだ。僕頑張って鍛えてるのに」
胸を兄の手に任せ、腹を擦るマーカスは知らない。
兄の雌として仕込まれた体が、膨らみを帯び、男を誘う姿に変化していることを。ダニエルも気付かない。弟を我が物にして幾年、毎日見慣れた目には、兄弟としての軽微な差としか映らない。
些か筋肉の付きにくい弟を気の毒に思いながら、ダニエルは自分よりほんの少し柔らかい体を抱き締めた。
「いいじゃねぇか、抱き心地がよくて。俺は好きだぜ」
「うー……、兄さんが好きなら……あんまりよくないけど、いい」
兄の腕に身を任せ、マーカスはその肩口に頭を擦り付けた。
憧れのアメコミヒーローには近付けないけど、愛する人の好みには近いから。
残念そうな、嬉しそうな声を出す弟を、ダニエルは愛しげに見つめる。
「マーク、シャワー浴びるか?」
「ん……」
「メイクラブ、するか?」
「……ん」
目眩がしそうな艶を含ませた声を耳に注がれ、一瞬で目を潤ませたマーカスは、小さく、けれどしっかりと頷いた。
***
「この後、二名はバスルームで一回、リビングのソファで一回、ベッドで三回セックスしています。映像もありますが、ご覧になりますか?」
「ご覧になりません」
スティーブンは官能小説のようなゲイセックスを真顔で語りだしそうな部下を止めた。
厄介な切れ者刑事の弱味でも握れないかと私設部隊を動かしたら、特大の弱味を掴んできた。しかしそれは諸刃の刃。
情報をちらつかせでもしたら、きっと双子の兄に殺される。またはいいとこ逮捕だろう。
「さすがに寝室はトラップ等が厳しくて撮影出来なかったのですが、かろうじて録音は出来ましたので、聞かれますか」
「聞かれません」
「一番盛り上がったのはマーカス・ロウ警部補が『お兄ちゃんの手がえっち』と言った時です」
「ダニエル・ロウ警部補の性癖情報は要らないです」
スティーブンは淡々と報告する部下に頭を抱えた。
要らん。その情報は要らん。
スティーブンが欲しかったのは、情報屋との繋がりとか、ちょっとした不正、ずるっこや、懐柔の切欠だ。
こんな触れればスティーブンまで塵芥にするような爆発物じゃない。
しかし一生懸命調べてくれた部下をないがしろにするわけにもいかず、スティーブンは「次は本人より、周囲の噂とか情報を探ってくれ」とだけ指示をした。
#血界戦線 #ダニマカ
兄をダニエル・ロウといい、弟をマーカス・ロウといった。二人は三十代前半で警部補の役職に就いていたが、浮いた話もなく、夜は飲み歩くこともせずに揃って兄弟でシェアしてるアパートへ帰って行く。
二人を憎からず思っている者もいたが、誘いをかける隙もなく、仲のいいワーカホリック兄弟と思われていた。
それは一部真実だ。
「ただいま我が家、ただいま兄さん!」
「お帰りマーカス」
共に玄関をくぐった双子は、ドアの鍵をかけるや否や、深く唇を合わせた。
すぐに離れたその口付けは、けれど親子兄弟がするものではない。
恋人、または夫婦がするそれは、双子にとっては至極当たり前の挨拶だった。
「昨日の食べかけピザ暖める? ポテト揚げる? スープは?」
「ピザは食う。ポテトは要らねぇ、スープは飲む」
ばさばさとコートとジャケットをソファに脱ぎ捨て、二人でキッチンに立つ。マーカスはレンジ回りをうろちょろし、ダニエルはコンロでスープを暖める。
男二人の食卓だ。手早く夜を越す為の腹を満たすと、後は食洗機によろしくどうぞ。
「ポテト食えば良かった」
「今から揚げるのめんどい」
「知ってる」
ダニエルが少し足りない腹具合を訴えると、マーカスは唇を尖らせた。それを可愛いと思いながら、弟のシャツのボタンを外す。
「マーク、太ったか?」
「何だよ急に失礼だな」
こちらもダニエルのボタンを外しながら、マーカスが眉根を寄せる。確かに代謝が落ちるお年頃だが、トレーニングは定期的に行っている。
しかしダニエルは難しい顔でおもむろにマーカスの胸を下着の上から擦った。
「んゃっ……なに?」
「やっぱり太ったな」
くりっ、くりっ、くりっ、くりっ。
「んっ……んっ、んっ……」
胸を擦られるついでに先端もつねられ、マーカスは甘い声をあげる。
「一年前よりおっぱいが膨らんでるぞ」
「やぁっ、おっ、おっぱいとか言うなっ!」
精悍な兄の顔に似合わない卑猥な言葉に、マーカスは文句をつける。しかし兄の手を止めようとはせず、敏感な先端をこね回す指にされるがままだ。
「筋肉が衰えてきたせいか」
「え、やだ。僕頑張って鍛えてるのに」
胸を兄の手に任せ、腹を擦るマーカスは知らない。
兄の雌として仕込まれた体が、膨らみを帯び、男を誘う姿に変化していることを。ダニエルも気付かない。弟を我が物にして幾年、毎日見慣れた目には、兄弟としての軽微な差としか映らない。
些か筋肉の付きにくい弟を気の毒に思いながら、ダニエルは自分よりほんの少し柔らかい体を抱き締めた。
「いいじゃねぇか、抱き心地がよくて。俺は好きだぜ」
「うー……、兄さんが好きなら……あんまりよくないけど、いい」
兄の腕に身を任せ、マーカスはその肩口に頭を擦り付けた。
憧れのアメコミヒーローには近付けないけど、愛する人の好みには近いから。
残念そうな、嬉しそうな声を出す弟を、ダニエルは愛しげに見つめる。
「マーク、シャワー浴びるか?」
「ん……」
「メイクラブ、するか?」
「……ん」
目眩がしそうな艶を含ませた声を耳に注がれ、一瞬で目を潤ませたマーカスは、小さく、けれどしっかりと頷いた。
***
「この後、二名はバスルームで一回、リビングのソファで一回、ベッドで三回セックスしています。映像もありますが、ご覧になりますか?」
「ご覧になりません」
スティーブンは官能小説のようなゲイセックスを真顔で語りだしそうな部下を止めた。
厄介な切れ者刑事の弱味でも握れないかと私設部隊を動かしたら、特大の弱味を掴んできた。しかしそれは諸刃の刃。
情報をちらつかせでもしたら、きっと双子の兄に殺される。またはいいとこ逮捕だろう。
「さすがに寝室はトラップ等が厳しくて撮影出来なかったのですが、かろうじて録音は出来ましたので、聞かれますか」
「聞かれません」
「一番盛り上がったのはマーカス・ロウ警部補が『お兄ちゃんの手がえっち』と言った時です」
「ダニエル・ロウ警部補の性癖情報は要らないです」
スティーブンは淡々と報告する部下に頭を抱えた。
要らん。その情報は要らん。
スティーブンが欲しかったのは、情報屋との繋がりとか、ちょっとした不正、ずるっこや、懐柔の切欠だ。
こんな触れればスティーブンまで塵芥にするような爆発物じゃない。
しかし一生懸命調べてくれた部下をないがしろにするわけにもいかず、スティーブンは「次は本人より、周囲の噂とか情報を探ってくれ」とだけ指示をした。
#血界戦線 #ダニマカ
安「やましい気持ちがなければどれだけくっついても平気だよ?」
流川は人に見られる事に慣れている。生まれた時は家族に見守られ、物心付いて小学校に通う頃には複数の女子、たまに男子からの視線を浴びてきた。浴びすぎてそれが当たり前だったものだから、見詰められる事に対する気まずさなど感じた事も無かった。
今までは。
部活終わりの片付け中。ボールを磨く手は止めず、二年の安田がじっと流川を見詰めている。これで手が止まっていれば赤木の拳骨が落とされるだろうが、流石に一年続けた作業は手元を見ずとも器用に動く。丁寧に拭き取り綺麗になったとひと撫でし、籠に入れる。その繰り返しだ、羨ましい。
流川はオレも撫でて欲しいと言うのを我慢してボール磨きを続ける。新しいボールを選びながら安田を見ると、ぱちりと目が合う。嬉しい。
しかし目が合うと安田はにこりと笑って手元のボールに視線を移す。流川が笑顔に見惚れている間の早業だ。
流川に何か言いたい事があるのだろうけれど、安田からは気まずさも機嫌の悪さも感じない。だからいつものように流川が人目を憚らず抱き締めたからとか、耳の後ろの匂いを嗅いだからとか、宮城に彼氏マウントを取ったからではないようだ。
誰にどれだけ見られようと気にしない流川だが、恋心を捧げた相手からは別だ。視線の理由も機嫌の良し悪しも気になる。
聞きたいとは思うものの、対角線に座る三井が今は止めとけと合図を送ってくる。隣で舌打ちしそうな顔をしている宮城が飛び出しそうだからかもしれない。
そうこうしているうちに最後の一個を石井が磨き終えた。沢山あるボールも、全員でやれば早く終わる。部員数が少ない湘北バスケ部は誰かに任せる事が出来ない分、何でも早めに取り掛かって早めに終わらせる癖が付いている。桜木はたまにぶつくさ文句を言っているが、それでも部活をサボタージュする事はない。赤木と木暮の教育と飴と鞭の賜物だ。
体温で温くなった体育館の床から別れ、さて着替えて帰ろうかと部員達が手洗い場に向かう。ワックスでベタベタな手は気持ち悪い。
流川も安田も並んで歩く。安田はまたじっと流川を見ている。
「何すか」
とうとうたまらず流川が声をかけた。前を歩く桑田の方がぴくりと震えた。潮崎の歩みが若干早くなる。
「大した事じゃないんだけど」
手洗い場は体育館の出入口すぐ側だ。安田は手早く石鹸で手を洗うと、Tシャツの裾で水を拭った。ハンカチは制服に入れっぱなしだ。
安田は手を洗う間も忠犬の如く話の続きを待つ流川の頬に手を伸ばすと、精一杯背伸びをした。夏が近付くにつれ、夕方でも陽が高い。二〇cm以上の身長差があっても、流川の睫毛が頬に影を落とすのがよく見える。
「流川の睫毛、何cmかなってずっと見てた」
ゴホン。角田が咳き込んだ。
「部活終わりから、ずっと?」
「ふふ、本当に長い」
すり。すりすり。頬骨の辺りを親指で撫でながら笑う。
欲しい答えが貰えずに、流川はぷいと上を向いた。へっくしょいチクショウと佐々岡のくしゃみが聞こえる。
「もう見せてくれないの?」
寂しそうに聞かれれば、流川は弱い。実際はそう聞こえるだけなのだが、恋は人も耳も馬鹿にする。それはスーパールーキーも例外ではなかった。
首も膝も曲げて安田の顔を覗き込む。
可愛い後輩の頬を再び掌で包んだ安田は落とすように息を吐いた。遠くで宮城と三井と桜木の叫び声が聞こえる。
「朝練の時から見るの我慢してたんだよ」
親友の心配も部活仲間の配慮も知らぬまま、安田は一日中ずっと流川の事を考えていたとさらりと白状した。
***
これが毎日だよやってられっか。(バスケ部独り身一同)
#SD #流ヤス
今までは。
部活終わりの片付け中。ボールを磨く手は止めず、二年の安田がじっと流川を見詰めている。これで手が止まっていれば赤木の拳骨が落とされるだろうが、流石に一年続けた作業は手元を見ずとも器用に動く。丁寧に拭き取り綺麗になったとひと撫でし、籠に入れる。その繰り返しだ、羨ましい。
流川はオレも撫でて欲しいと言うのを我慢してボール磨きを続ける。新しいボールを選びながら安田を見ると、ぱちりと目が合う。嬉しい。
しかし目が合うと安田はにこりと笑って手元のボールに視線を移す。流川が笑顔に見惚れている間の早業だ。
流川に何か言いたい事があるのだろうけれど、安田からは気まずさも機嫌の悪さも感じない。だからいつものように流川が人目を憚らず抱き締めたからとか、耳の後ろの匂いを嗅いだからとか、宮城に彼氏マウントを取ったからではないようだ。
誰にどれだけ見られようと気にしない流川だが、恋心を捧げた相手からは別だ。視線の理由も機嫌の良し悪しも気になる。
聞きたいとは思うものの、対角線に座る三井が今は止めとけと合図を送ってくる。隣で舌打ちしそうな顔をしている宮城が飛び出しそうだからかもしれない。
そうこうしているうちに最後の一個を石井が磨き終えた。沢山あるボールも、全員でやれば早く終わる。部員数が少ない湘北バスケ部は誰かに任せる事が出来ない分、何でも早めに取り掛かって早めに終わらせる癖が付いている。桜木はたまにぶつくさ文句を言っているが、それでも部活をサボタージュする事はない。赤木と木暮の教育と飴と鞭の賜物だ。
体温で温くなった体育館の床から別れ、さて着替えて帰ろうかと部員達が手洗い場に向かう。ワックスでベタベタな手は気持ち悪い。
流川も安田も並んで歩く。安田はまたじっと流川を見ている。
「何すか」
とうとうたまらず流川が声をかけた。前を歩く桑田の方がぴくりと震えた。潮崎の歩みが若干早くなる。
「大した事じゃないんだけど」
手洗い場は体育館の出入口すぐ側だ。安田は手早く石鹸で手を洗うと、Tシャツの裾で水を拭った。ハンカチは制服に入れっぱなしだ。
安田は手を洗う間も忠犬の如く話の続きを待つ流川の頬に手を伸ばすと、精一杯背伸びをした。夏が近付くにつれ、夕方でも陽が高い。二〇cm以上の身長差があっても、流川の睫毛が頬に影を落とすのがよく見える。
「流川の睫毛、何cmかなってずっと見てた」
ゴホン。角田が咳き込んだ。
「部活終わりから、ずっと?」
「ふふ、本当に長い」
すり。すりすり。頬骨の辺りを親指で撫でながら笑う。
欲しい答えが貰えずに、流川はぷいと上を向いた。へっくしょいチクショウと佐々岡のくしゃみが聞こえる。
「もう見せてくれないの?」
寂しそうに聞かれれば、流川は弱い。実際はそう聞こえるだけなのだが、恋は人も耳も馬鹿にする。それはスーパールーキーも例外ではなかった。
首も膝も曲げて安田の顔を覗き込む。
可愛い後輩の頬を再び掌で包んだ安田は落とすように息を吐いた。遠くで宮城と三井と桜木の叫び声が聞こえる。
「朝練の時から見るの我慢してたんだよ」
親友の心配も部活仲間の配慮も知らぬまま、安田は一日中ずっと流川の事を考えていたとさらりと白状した。
***
これが毎日だよやってられっか。(バスケ部独り身一同)
#SD #流ヤス
髭の話
ドキッ! 夜中の大運動会を二人きりで開催した後、抱き合って眠るのがローは好きだ。
可愛い年下の恋人は優秀なコックさんでもあるので、夜更かしは見張り当番でもなければしない。大食いの船長を始め、愛しのレディとその他の為に朝もはよから美味しい朝食を作る為だ。
だから島に停泊して、宿の朝食を摂る、その前夜はたっぷりと夜更かしを出来るチャンスだ。
汗だくの肌を寄せあって、蹴飛ばした布団を手繰り寄せる。窓ももう開けておく。何せ夏島だ。
腹は出して寝るなとペンギンに口を酸っぱくして言われているので、どんなに暑くても布団はかける。船長なのに。年上の部下を思いながら、ローはサンジの頬を撫でた。
じょり。じょりじょり。
朝にはツルツルだった頬だが、月が元気に輝く時間ともなれば指の腹ではっきりわかる程髭が伸びている。
「何だ?」
「髭が伸びてる」
「伸びるだろ、そりゃ」
もう日付は変わっている。どこぞのカマ女王に弄られていなければ、人並みの男性ホルモン量だ。夕方にはちらほら長い髭が飛び出してくる。
それはローも同じで、口付けの度にサンジの頬を苛めていた。
「お前は……伸ばしても似合いそうだ」
すりすりと恋人の口元を指の背で撫ぜ、ローが言う。
センゴクのように唇の上に蓄えても良いだろうし、冥王のように顎髭を伸ばしても似合いそうだ。
自覚無くジジコンの気があるローは、初老の恋人を夢想してくふんと笑う。その頃には自分も初老であるとは思い至らない。
「ん~……まあ、年取ったらそうしても良いな」
一方のサンジも育ての親を思い浮かべ、毎日ローに三つ編みしてもらうのも悪くないと夢想する。刀を握る太い指が、メスを操る器用な指が、きっとレディの髪など結ったことの無い不器用な指が、サンジの頬をくすぐる優しい指が。毎朝悪戦苦闘するのをにやにや笑って耐えるのだ。
「伸ばせよ。似合う」
当たり前のように恋人の先々の人生に組み込まれているとは知らず、ローはまだ黒々とした髭に唇を寄せる。
サンジはそっちじゃないと唇を尖らせて、黒髪に指を差し込みぐいと力を込めた。
妹の髪を整えてやっていた経験を持つローが美しい三つ編みをこしらえて、痴話喧嘩をする数十年前の話である。
#OP #サンロ
可愛い年下の恋人は優秀なコックさんでもあるので、夜更かしは見張り当番でもなければしない。大食いの船長を始め、愛しのレディとその他の為に朝もはよから美味しい朝食を作る為だ。
だから島に停泊して、宿の朝食を摂る、その前夜はたっぷりと夜更かしを出来るチャンスだ。
汗だくの肌を寄せあって、蹴飛ばした布団を手繰り寄せる。窓ももう開けておく。何せ夏島だ。
腹は出して寝るなとペンギンに口を酸っぱくして言われているので、どんなに暑くても布団はかける。船長なのに。年上の部下を思いながら、ローはサンジの頬を撫でた。
じょり。じょりじょり。
朝にはツルツルだった頬だが、月が元気に輝く時間ともなれば指の腹ではっきりわかる程髭が伸びている。
「何だ?」
「髭が伸びてる」
「伸びるだろ、そりゃ」
もう日付は変わっている。どこぞのカマ女王に弄られていなければ、人並みの男性ホルモン量だ。夕方にはちらほら長い髭が飛び出してくる。
それはローも同じで、口付けの度にサンジの頬を苛めていた。
「お前は……伸ばしても似合いそうだ」
すりすりと恋人の口元を指の背で撫ぜ、ローが言う。
センゴクのように唇の上に蓄えても良いだろうし、冥王のように顎髭を伸ばしても似合いそうだ。
自覚無くジジコンの気があるローは、初老の恋人を夢想してくふんと笑う。その頃には自分も初老であるとは思い至らない。
「ん~……まあ、年取ったらそうしても良いな」
一方のサンジも育ての親を思い浮かべ、毎日ローに三つ編みしてもらうのも悪くないと夢想する。刀を握る太い指が、メスを操る器用な指が、きっとレディの髪など結ったことの無い不器用な指が、サンジの頬をくすぐる優しい指が。毎朝悪戦苦闘するのをにやにや笑って耐えるのだ。
「伸ばせよ。似合う」
当たり前のように恋人の先々の人生に組み込まれているとは知らず、ローはまだ黒々とした髭に唇を寄せる。
サンジはそっちじゃないと唇を尖らせて、黒髪に指を差し込みぐいと力を込めた。
妹の髪を整えてやっていた経験を持つローが美しい三つ編みをこしらえて、痴話喧嘩をする数十年前の話である。
#OP #サンロ
180cm台×160cm台
水戸に話があると声をかけられて、安田は驚いた。
移動教室の途中、何故か二年の教室近くに水戸がいた。
水戸の友達である桜木とは部活の付き合いがあるが、水戸とは直接話したことは殆どない。試合の応援に来てくれるのは嬉しいが、冷やかし半分、桜木への煽り半分のそれには肝を冷やされた事もある。
それでもあわや部活停止の危機を救ってくれた恩人でもあるし、不良とはいえ闊達な水戸を嫌いではなかった。
しかし疑問はある。
「オレ? リョータじゃなくて?」
「あー……ミッチーも同じ位か? でもリョーちんはまだなような……」
一人でぶつぶつ言い始めた水戸に首を傾げると、安田の腰にぐいと絡んだ腕に引き寄せられた。
「おい水戸、ヤス怖がらせんな」
「あ、リョータ」
耳元で聞こえるのは、耳馴染んだ親友の声。安田が振り返る前に、水戸があわてて手を振った。
「違う違う、絡んでるとかじゃねーよ」
「オレに相談があるんだって。でも、水戸の方が人生経験豊富な気がするよ?」
「あー……安田さんほどは無いかな」
「成る程」
頭をかきながら気まずそうな水戸の言葉に、宮城は何故か納得したらしい。安田を放ったらかしにして、宮城と水戸で話が進む。
「ここで話す事じゃねーだろ。部室開けてやるよ」
「おお、マジかリョーちん、話が分かる!」
「昼休み、飯食ってからな。あそこは飯食えるような場所じゃねぇ」
「臭そうだもんな」
「うっせ。男所帯なんてあんなもんだろ」
「え、なに。昼ご飯食べたら部室に行けば良いの? リョータも一緒?」
「おー、一緒一緒。安心しろ、フリョーから守ってやんよ」
「人聞き悪いな、こんな可愛い安田さんにヒデー事しねーって」
水戸と宮城はヒッヒッヒ、と魔女のような笑い方をする。安田は眉を下げると、二人を置いて移動教室へ向かった。
***
夏の部室は暑い。私立ならいざ知らず、県立高校の弱小部にエアコンなどある筈もなく、三人は大慌てで窓を全開にした。
「で、オレとリョータに相談って?」
座っているだけで汗が顎を伝う。
なるべく長居はしたくない。安田はズバリと切り出した。
「あー……ごほん。ん。安田さん、流川と付き合ってるだろ」
「うん。あ、喧嘩しないよう桜木から遠ざけろって事?」
それは難しいな。安田は思った。
流川に噛みついているのは桜木だ。何が原因かは知らないが、入部当初から桜木は流川に敵がい心を露にしていた。
とてつもない運動能力を持つ二人が協力すればどれほどバスケ部が躍進するか分からない。しかし現実は喧嘩ばかりの二人である。
友達としてそんな桜木を心配しているのかと思ったが、水戸は首を横に振った。
「流川をどうこうして欲しいとかじゃなくて。その、安田さん、流川とどんなセックスしてる?」
「ほぁ?」
質問の意味が分からずに、安田はポカンと口を開けた。宮城を見る。頷かれた。水戸を見る。頷かれた。宮城を見る。
「流川のちんこ、全部入る?」
「ほぁ?」
ちんこってなに。
るかわのちんこってなに?
るかわのちんこってなんだっけ?
「るかわのちんこってなに?」
「うわやべ、こんなヤス流川に見せらんねぇ。おっぱじめそう」
「ちんこ……」
「あちゃー、直球すぎたかな」
「おーい、ヤスー、靖春、戻ってこーい」
ひらひら。安田の眼前で宮城の掌が舞う。
「ちん………………っ! っ! っ!」
ガタッ
質問を安田の脳が飲み込んだ瞬間、立ち上がる。顔に集まった熱を冷ますべく、出口へとダッシュ。
「水戸確保」
「おう。ごめんね安田さん」
しようとして、水戸に軽く抱えられ、ソファーへと逆戻りした。
「んぎゃっ! な、なんっ、なっ、ちんっ、ちんっ、ちんっ!」
水戸の腕の中、ジタバタと暴れてみるが、見た目ほそっこい腕はびくともしない。人間を抑え込む術をよく知っている。
「ごめんって、落ち着いて、からかってるとかじゃないから。あのさ、オレ花道とお、…………オーツキアイ、してんの」
「お前も照れんなよ。よーへー君は愛しの花道君とセックスしてーから、セックスの先輩ヤス君にアドバイスが欲しいんだと」
暑さ以外の理由でほんのり赤くなった水戸の言葉を宮城が引き継ぐ。
「ほへっ、はにゃみち、じゃない、えっ、桜木と? 水戸? セックス、するの?」
「そう、してーの。けど、あいつ流川と同じくらいでけーから、オレとしちゃ不安でね」
「な、なんで、オレ、してるって、流川と、痕付けないでって、いつも」
流川との交際は特に隠してはいないが、一線を超えて百線までいっていることは宮城にも言っていない。言うような事ではないから、流川にも周囲に知られないようにしてくれと頼んでいるのに。
「いや分かるよ」
「いや分かるわ」
しかし水戸と宮城は同時に呆れた声で言う。分かるよ。
「痕がどうのとかじゃなくて、フェロモン? 出てんの。たまに花道が流川に突っかからない日あるだろ。あれ流川がヤス抱いた日って見当付くぜ。花道は分かってねぇけど、本能で感じ取ってんじゃねぇ?」
「あいつ純情なとこあるから、そういう性の気配苦手なの。ま、その童貞貰っちまうけどな」
「で、体格差的に似てるヤスと流川のアレコレが知りたいと」
「そう。血には慣れてるけど、流石に尻から出血したことないからなぁ」
はぁ、とため息。水戸は心底弱ったと眉を下げた。
安田は困った姿の水戸が気の毒になってきた。
セックスの話なんて大っぴらにするものではないが、後輩の恋人が困っている。しかも男同士という似た境遇、似た体格の者同士。それに水戸には恩がある。安田も流川も宮城もバスケ部が活動停止にならずに済んだのは水戸達のお陰だと思っていたし、停学、退学を免れた主犯の三井は安田の友達の恋人でもある。
そんなバスケ部からの感謝をダチの為だと笑って済ませた男ぶりに応えたい気持ちが湧いてくる。
大層恥ずかしくはあるが、ここは一つ先輩が力になってやらねばと安田は決意した。
「は、入るけど……多分、全部入った事はない。お腹の奥の方まで入ると痛いし、る、流川大きいから」
「だよな。無理に全部入れなくていいんじゃねーの? 流川イッてる?」
「多分……何回かコンドーム変えてるから、射精してる筈」
「……何回もしてんだ……」
「すげ……」
あの男、賢者タイムはないんだろうか。宮城は男として感心してしまう。
「何回してるかとかはあんまり覚えてないよ……気が付いたら終わってるし」
「抱き潰されてる……」
「流川殺すわ……」
「だ、だ、だめ!」
「愛されてんな流川。あ、じゃあどんな体位が楽だった?」
「楽? うーん、後ろからするのが入れやすそうだったけど……でも、ずっと同じ体勢だとオレの足の方が持たなくて、そのまま俯せになっちゃったかな。流川は足腰強いからそのまま何回かしてたけど、オレは体力が持たなくてギブアップしたよ」
「後背位からの寝バックだ……」
「流川殺すわ……」
「ダメだってば」
「安田さんから誘った事ってあんの?」
「そりゃ、うん。あるよ」
「流川殺すわ」
「さっきからリョーちん寝取られ旦那みたいなこと言ってるけど、あんたの彼氏はミッチーだろ」
「それはそれ、これはこれ、ヤスはオレの」
「親友な。まあ、参考になったよ。有難う。成功したら報告するよ」
いや、しなくて良い。
肩で風を切り颯爽と部室棟を後にする水戸の男前な背中に、安田は本音を飲み込んだ。
「本当に参考になったと思う?」
隣で唇を尖らせている宮城に尋ねる。このまま1年の教室に飛び込んで行きそうなので、その手をぎゅっと握りしめた。
「あいつがいいって言ってんだから目途が付いたんだろ。それより靖春君、これじゃ流川殴りに行けねーんだけど」
「ダメだってば。今日はリョータはずっとオレの近くにいて」
「……はい」
恋人を親友の拳から守るべくした発言は、結局部活中にやたらと安田にくっつく宮城に嫉妬した流川の神経を逆撫でし、その週の休み、安田はベッドの上で過ごす羽目になった。
そして当の水戸から成功の報告を聞いたのは、安田が相談を受けたことすら忘れた頃だった。
#SD #流ヤス
移動教室の途中、何故か二年の教室近くに水戸がいた。
水戸の友達である桜木とは部活の付き合いがあるが、水戸とは直接話したことは殆どない。試合の応援に来てくれるのは嬉しいが、冷やかし半分、桜木への煽り半分のそれには肝を冷やされた事もある。
それでもあわや部活停止の危機を救ってくれた恩人でもあるし、不良とはいえ闊達な水戸を嫌いではなかった。
しかし疑問はある。
「オレ? リョータじゃなくて?」
「あー……ミッチーも同じ位か? でもリョーちんはまだなような……」
一人でぶつぶつ言い始めた水戸に首を傾げると、安田の腰にぐいと絡んだ腕に引き寄せられた。
「おい水戸、ヤス怖がらせんな」
「あ、リョータ」
耳元で聞こえるのは、耳馴染んだ親友の声。安田が振り返る前に、水戸があわてて手を振った。
「違う違う、絡んでるとかじゃねーよ」
「オレに相談があるんだって。でも、水戸の方が人生経験豊富な気がするよ?」
「あー……安田さんほどは無いかな」
「成る程」
頭をかきながら気まずそうな水戸の言葉に、宮城は何故か納得したらしい。安田を放ったらかしにして、宮城と水戸で話が進む。
「ここで話す事じゃねーだろ。部室開けてやるよ」
「おお、マジかリョーちん、話が分かる!」
「昼休み、飯食ってからな。あそこは飯食えるような場所じゃねぇ」
「臭そうだもんな」
「うっせ。男所帯なんてあんなもんだろ」
「え、なに。昼ご飯食べたら部室に行けば良いの? リョータも一緒?」
「おー、一緒一緒。安心しろ、フリョーから守ってやんよ」
「人聞き悪いな、こんな可愛い安田さんにヒデー事しねーって」
水戸と宮城はヒッヒッヒ、と魔女のような笑い方をする。安田は眉を下げると、二人を置いて移動教室へ向かった。
***
夏の部室は暑い。私立ならいざ知らず、県立高校の弱小部にエアコンなどある筈もなく、三人は大慌てで窓を全開にした。
「で、オレとリョータに相談って?」
座っているだけで汗が顎を伝う。
なるべく長居はしたくない。安田はズバリと切り出した。
「あー……ごほん。ん。安田さん、流川と付き合ってるだろ」
「うん。あ、喧嘩しないよう桜木から遠ざけろって事?」
それは難しいな。安田は思った。
流川に噛みついているのは桜木だ。何が原因かは知らないが、入部当初から桜木は流川に敵がい心を露にしていた。
とてつもない運動能力を持つ二人が協力すればどれほどバスケ部が躍進するか分からない。しかし現実は喧嘩ばかりの二人である。
友達としてそんな桜木を心配しているのかと思ったが、水戸は首を横に振った。
「流川をどうこうして欲しいとかじゃなくて。その、安田さん、流川とどんなセックスしてる?」
「ほぁ?」
質問の意味が分からずに、安田はポカンと口を開けた。宮城を見る。頷かれた。水戸を見る。頷かれた。宮城を見る。
「流川のちんこ、全部入る?」
「ほぁ?」
ちんこってなに。
るかわのちんこってなに?
るかわのちんこってなんだっけ?
「るかわのちんこってなに?」
「うわやべ、こんなヤス流川に見せらんねぇ。おっぱじめそう」
「ちんこ……」
「あちゃー、直球すぎたかな」
「おーい、ヤスー、靖春、戻ってこーい」
ひらひら。安田の眼前で宮城の掌が舞う。
「ちん………………っ! っ! っ!」
ガタッ
質問を安田の脳が飲み込んだ瞬間、立ち上がる。顔に集まった熱を冷ますべく、出口へとダッシュ。
「水戸確保」
「おう。ごめんね安田さん」
しようとして、水戸に軽く抱えられ、ソファーへと逆戻りした。
「んぎゃっ! な、なんっ、なっ、ちんっ、ちんっ、ちんっ!」
水戸の腕の中、ジタバタと暴れてみるが、見た目ほそっこい腕はびくともしない。人間を抑え込む術をよく知っている。
「ごめんって、落ち着いて、からかってるとかじゃないから。あのさ、オレ花道とお、…………オーツキアイ、してんの」
「お前も照れんなよ。よーへー君は愛しの花道君とセックスしてーから、セックスの先輩ヤス君にアドバイスが欲しいんだと」
暑さ以外の理由でほんのり赤くなった水戸の言葉を宮城が引き継ぐ。
「ほへっ、はにゃみち、じゃない、えっ、桜木と? 水戸? セックス、するの?」
「そう、してーの。けど、あいつ流川と同じくらいでけーから、オレとしちゃ不安でね」
「な、なんで、オレ、してるって、流川と、痕付けないでって、いつも」
流川との交際は特に隠してはいないが、一線を超えて百線までいっていることは宮城にも言っていない。言うような事ではないから、流川にも周囲に知られないようにしてくれと頼んでいるのに。
「いや分かるよ」
「いや分かるわ」
しかし水戸と宮城は同時に呆れた声で言う。分かるよ。
「痕がどうのとかじゃなくて、フェロモン? 出てんの。たまに花道が流川に突っかからない日あるだろ。あれ流川がヤス抱いた日って見当付くぜ。花道は分かってねぇけど、本能で感じ取ってんじゃねぇ?」
「あいつ純情なとこあるから、そういう性の気配苦手なの。ま、その童貞貰っちまうけどな」
「で、体格差的に似てるヤスと流川のアレコレが知りたいと」
「そう。血には慣れてるけど、流石に尻から出血したことないからなぁ」
はぁ、とため息。水戸は心底弱ったと眉を下げた。
安田は困った姿の水戸が気の毒になってきた。
セックスの話なんて大っぴらにするものではないが、後輩の恋人が困っている。しかも男同士という似た境遇、似た体格の者同士。それに水戸には恩がある。安田も流川も宮城もバスケ部が活動停止にならずに済んだのは水戸達のお陰だと思っていたし、停学、退学を免れた主犯の三井は安田の友達の恋人でもある。
そんなバスケ部からの感謝をダチの為だと笑って済ませた男ぶりに応えたい気持ちが湧いてくる。
大層恥ずかしくはあるが、ここは一つ先輩が力になってやらねばと安田は決意した。
「は、入るけど……多分、全部入った事はない。お腹の奥の方まで入ると痛いし、る、流川大きいから」
「だよな。無理に全部入れなくていいんじゃねーの? 流川イッてる?」
「多分……何回かコンドーム変えてるから、射精してる筈」
「……何回もしてんだ……」
「すげ……」
あの男、賢者タイムはないんだろうか。宮城は男として感心してしまう。
「何回してるかとかはあんまり覚えてないよ……気が付いたら終わってるし」
「抱き潰されてる……」
「流川殺すわ……」
「だ、だ、だめ!」
「愛されてんな流川。あ、じゃあどんな体位が楽だった?」
「楽? うーん、後ろからするのが入れやすそうだったけど……でも、ずっと同じ体勢だとオレの足の方が持たなくて、そのまま俯せになっちゃったかな。流川は足腰強いからそのまま何回かしてたけど、オレは体力が持たなくてギブアップしたよ」
「後背位からの寝バックだ……」
「流川殺すわ……」
「ダメだってば」
「安田さんから誘った事ってあんの?」
「そりゃ、うん。あるよ」
「流川殺すわ」
「さっきからリョーちん寝取られ旦那みたいなこと言ってるけど、あんたの彼氏はミッチーだろ」
「それはそれ、これはこれ、ヤスはオレの」
「親友な。まあ、参考になったよ。有難う。成功したら報告するよ」
いや、しなくて良い。
肩で風を切り颯爽と部室棟を後にする水戸の男前な背中に、安田は本音を飲み込んだ。
「本当に参考になったと思う?」
隣で唇を尖らせている宮城に尋ねる。このまま1年の教室に飛び込んで行きそうなので、その手をぎゅっと握りしめた。
「あいつがいいって言ってんだから目途が付いたんだろ。それより靖春君、これじゃ流川殴りに行けねーんだけど」
「ダメだってば。今日はリョータはずっとオレの近くにいて」
「……はい」
恋人を親友の拳から守るべくした発言は、結局部活中にやたらと安田にくっつく宮城に嫉妬した流川の神経を逆撫でし、その週の休み、安田はベッドの上で過ごす羽目になった。
そして当の水戸から成功の報告を聞いたのは、安田が相談を受けたことすら忘れた頃だった。
#SD #流ヤス
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