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DRAGON BALL
golf-ball-fill1818孫悟飯
■ガラスの靴を割って進め【変な人達と知り合いになりました篇】
高校生悟飯と恋する同級生。
  1. 出会いは静かに待っている 06/08/31 はじめましても言えないままに。
  2. 落下注意報 06/09/01 落ちたのは恋でなく。アグネ○プリンじゃありません。
  3. ブラックホール 06/09/03 彼らのストマック。
  4. お友達からはじめましょう 06/10/16 悟飯ちゃんのヒロイン?評。
  5. 孫悟飯餌付け計画序の巻 06/10/25 ちょっとずつ仲良しに。
  6. 孫悟飯餌付け計画進行中 06/10/29 気付かないうち落ちていく。気付かないから落ちていく。
  7. 指きりすることでもないけれど 06/11/05 デートの約束と自覚までもうちょっと。
  8. か細き身体と震える肩と支える腕と 06/11/08 悪はぜったい許さない!正義の味方登場。
  9. 跳ねる鼓動 06/11/11 心配させてごめんなさい。
  10. 3つの名前を持つ男 06/11/16 うっかり男、正体バレるの巻。
  11. 上手な秘密の隠させ方 06/11/19 嘘が下手な男と友達付き合いするのも気苦労がある。
  12. 恋をしちゃいました 06/12/07 悟飯漸く気付く。
  13. 会いたいと思った時に君はそこにいない 07/01/16 武道会開催一ヶ月前。
  14. 寂しんぼ甘えんぼ 07/02/24 悟飯出ません。友人Aと過去話。
  15. ノンストップ純愛 07/02/28 ほのぼの…かも。我慢の限界悟飯ちゃん。
  16. 触れた指先あなたの笑顔 07/03/04 乙女系男子高校生孫悟飯いっきまーす。
  17. あまりにも当たり前 07/03/25 普段通りが一番です。
  18. 結婚は一生の問題なので慎重に考えましょう 07/03/30 お義父様、お義母様なんて呼ぶ筈もなく。
  19. 謎のヒーローなんかじゃなくて 07/04/02 知ってもらいたいことがあったのです。
  20. 僕のことだけ見ていて欲しい 07/04/04 色々と進展しました。そしてついに20話突破…すいません。
  21. 滑って転んで気付く前に落ちている 07/04/10 あくまでも悟飯夢だと主張します。
  22. 手元にチャンネルがあったなら 07/04/11 衝撃映像とか嫌いな性質です。
  23. 持つ者、持たざる者 07/04/16 だから羨ましいと思うわけで。
  24. 心臓が凍る前に 07/04/17 あんまり心配かけるもんじゃありません。
  25. 信じる言葉の優先順位 07/04/24 神殿に到着。悟飯ちゃんは界王神界へ。
  26. 役立たずの戦い 07/04/28 そう思ってるのは本人だけ。
  27. 不完全燃焼キャットファイト 07/05/07 ビーデルさんと一緒。
  28. ロマンティックなどそう簡単に転がってない 07/05/12 例えば誰かと誰かの再会みたいに。
  29. 愛情一本貴女の抱擁 07/05/20 チオ○タ要らずの栄養補給。
  30. 救いの言葉 07/05/22 ブゥ篇一気に元気玉まで。まだ届けないI love you。
  31. 大団円のその前に 07/05/28 腹ごしらえは必要です。
  32. くるっと回ってまた始まる 07/06/03 何の感慨も無くハイスクール前篇完(笑)。


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くるっと回ってまた始まる
 むやみやたらと食事を摂らせようとするビーデルと悟飯を蹴散らして、名前は漸く人心地ついていた。
 ビーデルは父親となにやら話し込んでいるし、悟飯も緑色の師匠と談笑中。名前の隣ではデンデが美味しい山麓の水を飲んでいる。デンデ曰くピッコロがわざわざ雪解け水を汲んできてくれたらしい。子煩悩な父親並である。
「あの、名前さんは悟飯さんの『恋人』さんなんですか?」
 ぶぴゅ。
 唐突に問われた事柄に、名前は湯飲みに口付けた姿勢のまま豪快にほうじ茶を噴出した。
 さっと視線を走らせる。ピッコロと話しこんでいるらしい悟飯はこちらに気付いた様子はない。
 ポケットからハンカチを取り出し、零したほうじ茶をふき取って、じぃっと自分を見つめるデンデへと向き直った。
「……いきなり何事?」
 前置き無しに飛び出した爆弾発言に名前はこくんと首をかしげた。
「え、と、あの、僕とピッコロさんはナメック星人です」
 うん。名前は頷いた。地球外生命体が目の前に存在するという事実には驚いたものの、宇宙は地球人だけのものじゃない。地球以外に生命体がいたって不思議ではないさ、と常から考えていた名前としては、こんな人種(?)もいるのだろうと納得していた。
「僕たちは雌雄同体、って言うんでしょうか。子供が増える時は、最長老様が卵を産むんです」
「それで、何でいきなり『恋人』?」
 名前はちょっと声を落として聞いてみた。いや、何となく。悟飯に聞かれると気まずい気がして。
 デンデはちょっと恥ずかしそうに視線を下げて、実は、と話し出した。
「『恋』っていうのは、男の人と女の人がするものだって聞いたんです。えーと、たまに男の人と男の人だったり、女の人と女の人っていうのも。でも、僕たちはそういうのがなくて、だから『恋』ってよく分からないんです」
 地球の神様としてそれはまずい、と思ったという。
 しかし神殿にいるのはピッコロとミスターポポ。ピッコロは同族だし、ミスターポポはよく分からない。
 かといって悟飯に聞こうにも『えー僕もよくわかんないよ、ごめんね』と返される始末。今はどうか分からないが。
 悟飯以外で仲良しさん、といえばクリリンだが、たまに一八号との間を相談に来たりはしていたのだが、それでも曖昧抽象的な発現ばかりで気付けば結婚していたり。クリリンとしてはちゃんと手順を踏んだんだ、と言いたいところだろうが、デンデにとっては男女のことは摩訶不思議アドベンチャー。分からないことだらけなのだ。
「なるほど。残念だけど、私は孫の恋人じゃないな。………友人だ」
 ぽつりと付け足した最後の言葉に、デンデは成長するにつれてピッコロそっくりになっていった目をぱちくりさせた。
「悟飯さんは名前さんのことが好きなように見えますけど……」
「うん、まあ。でも、『僕のこと好きですか?』って聞いてみな。『好きだよ』って答えるから」
 すぐさま切り返されて、デンデはうむむ、と唸った。確かにそうだ。
「地球の人はいっぱい『好き』を持ってらっしゃるんですね」
「それだけ分かりゃ充分だろ」
 名前は「この話はお仕舞い」と手を振った。
 デンデは納得いったわけではないけれど、触れて欲しくなさそうな話題を無理やり続けるような性格には生まれついていない。一度名前の顔を見つめ、そうですねと頷いた。それで本当にお仕舞いである。
「つーか、そろそろ帰らないとな」
「え、名前さんもう帰っちゃうんですか?」
 椅子の背もたれに身体を預けながら名前が呟く。それを耳ざとく捉えた悟飯が光の速さで聞き返した。師匠譲りの地獄耳である。
「親も心配してるかもだしな」
「……そっか……そうですよね」
 親のことを言われると悟飯は弱い。悟飯の声に反応して視線を向けていたビーデルもちらりと隣のアフロヘッドを見、肩をすくめた。
 この場で未成年者ながら保護者がいないのは名前のみだ。トランクスも、悟天も、悟飯も、ビーデルも、両親が揃っている。マーロンは言わずもがな、だ。
「あ、じゃあ僕が送って行きますよ。前にも一回行ったことありますから」
「二回な」
 グレートサイヤマンが一回。孫悟飯が一回。名前の家の前に立った。
 地味に訂正する名前に悟飯は頭をかいてあは、と笑う。これから何回行けるのかな、と思いつつ。
「荷物は……特にないですよね」
「あぁ、武道会場にも大したもん持ってってなかったし」
 ポケットに財布とチケットを突っ込んで、殆ど手ぶらで行ったようなものだ。ハンカチとティッシュはいつも着ているジャケットに常に突っ込んで出かけている。
「じゃあ行きましょうか」
 言って、悟飯が腕を広げる。
 
 名前はそっと笑って右手を握り締めた。
 
 
 
 
 いやもうほんとごめんなさい。
 平謝りする悟飯の姿に古馴染み達は「ああ、親子だなぁ」とちょっぴり遠い目をした。当の親父はけたけた笑って「いいパンチだったなぁ」とか何とか嫁さんと頷き合っているが。
「鋼の腹筋……」
 真っ赤になった右手を擦りながら名前が呟く。照れ隠しには大きすぎる代償だと思うのだが、今更言っても仕方ない。
 ちょっとばかし涙目になった彼女を悟飯は痛ましそうに見つめた。
 油断した。完全に。相手が名前だということは分かっていたのだから、力を抜いているべきだったのだ。なのに、癖で反射的に腹筋に力を入れてしまった。
 結果、見事に鳩尾を捕らえた名前の右手は鋼鉄の筋肉に弾かれ、ばきょん、という軽快な音を立てた。
 そういえば昔、スーパーサイヤ人になったばかりのお父さんもお母さんに似たようなことをしてたなぁ、と古馴染み達と同じ事をぼんやり考える。強くなりすぎた力の加減が分からず、チチの背中を軽く叩いたつもりが家の壁を突き抜けたのも今ではいい思い出……なのかもしれない。
 しかしおかしい、とも思う。
 悟飯は長年チチという一般人(と書いて地球人と読む)と暮らしている。色々と非常識な父親よりは加減の仕方も知っていると自負していた。それは潜在能力を引き出した後でも、だ。
 要するに。
 気付いた事実に悟飯は一瞬にして身体を強張らせた。
 そして未だ痛がる名前を抱え上げ、「それじゃ出発!」と悟飯の勢いに唖然とする面々を無視して神殿から飛び立った。
 残された方々は何事か、と悟飯の背を見つめるが、一瞬にして空の彼方。サタンシティへと消えている。
 そういや帰る方向同じじゃないか、とビーデルが気付いたのと、そういやさよならも言えなかったじゃないか、とトランクスが気付いたのは同時。
 きっと悟飯は暫く帰ってこないんだろうなぁ、と予想というより確定事項としてその場の全員が捉えたのも同時だった。
 
 
 
 
 
 平謝りセカンドステージ。
 何となく頭に浮かんだその単語を悟飯は慌てて振り払った。
 先ほどの右手は名前の自業自得という部分もあったので名前も取り立てて何か言うこともなかったのだが。
 現在名前がげほぐほ咽ているのは確実に悟飯の所為だった。
 空気熱、とか。血中酸素、とか。そういった諸々を無視した異常人の繰り出すスピードに、名前のような一般人がついていけるはずもなく。
 目を回しながら呼吸困難に陥った名前の背中を必死で撫ぜ、悟飯は何度も「ごめんなさい」を繰り返した。
 気付いたのが早かったのは不幸中の幸いだ。
 もがいていたはずの名前の腕がぐったりしたところで悟飯は慌てて地面に降りた。意識までは失っていなかったから、パオズ山育ちの野生の勘で見つけた小川の側に、名前の身体を横たえた。
 そして一気に酸素を吸い込もうとした名前が咳き込み、平謝りがスタートしたのだった。
「ぅげふ……っあー、生きてる」
 咳きと一緒に飛んだ涎を手の甲で拭いながら、漸く名前が人間の言葉を話した。それまではずっと咳きとうめき声のみだったのだ。
「お前なぁ、……いやいい、なんでもない」
 さすがに不満を洩らそうとした名前だが、悟飯の顔を見て言葉を封じ込めた。責められることを覚悟していた悟飯は少し首を傾げる。しかし名前は何も言わず、小川で顔を洗ってハンカチで拭き出した。
 何せあまりにも悲壮感漂うその表情は、少しでも責めたら途端に泣き出してしまいそうだったので。
 泣き虫悟飯ちゃん、健在。
 悟飯は名前に気を使わせてしまい、がっくりと項垂れた。視線の先では名前が髪についた水滴をぷるぷる首を振って飛ばしている。
 その姿を可愛いな、と見つめつつ、どうも名前の前では気が緩んでしまうらしい自分を悟飯は自覚した。いや、していた。
 普段は丁寧に、神経質なまでに他人との距離、力加減を測っている。そして名前に対してはそれに輪をかけている。つもりだったのだけれど。 名前の側だと気を張っているつもりが、いつの間にか緩んでいる。常温で溶けるチョコレートみたいに。
 甘やかされてる。
 悟飯は背を向けたままの名前に膝立ちで近付いた。名前が振り向く。ぺしん、と額をはたかれた。
 ほら。
 苦笑する名前を見ながら悟飯は眉を下げる。今もまた。
 言われて当然の文句すら封じ込めさせて、逆に心配までさせている。
「ごめんなさい」
 それしか言えない自分が悔しい。本当はもっと言うべきことがある筈なのに。編入試験満点の経験も今この場で何の役にも立たない。
「もういいって。ほらあれだ、力加減とか、難しいんだろ」
 ぺしぺし額を叩かれる。違う、本当は出来ている。ただ、貴方と居る時だけ上手くいかないんだと。言いたいけれど、喉が詰まって上手く言葉が出てこない。
 緩やかに首を振る。名前がため息をついたのが聞こえた。
 しかし罵声も怒声も聞こえてこず。ただ、悟飯のこめかみに優しい感触だけが。
「次から気をつけてくれればいいだろ」
 次があるかは分からないけれど。言う名前に悟飯は勢いよく詰め寄った。
「……っはい! 今度名前さんを運ぶ時は絶対もっとずっと丁寧に動きます!」
「いや、別に運んでもらうような事態は起きない方がいいんだがな」
 また魔人ブゥみたいなのが出てこられても困る。とても困る。ものすごく困る。
 しかし悟飯は名前の発言を都合よく解釈し、次こそは! と無駄に妄想逞しく決意する。
 次はないほうがいいと言っている当人の意思もお構い無し。名前はあまりにもパッショナブルな悟飯の姿に途中でどうでもよくなったのかため息一つで諦めた。
 
 
 
 
 
「じゃ、また学校で」
「はい。……学校で」
 名前の家の前。
 今度こそ低速飛行で安全にサタンシティまで名前を送り届け、悟飯は名残惜しそうに手を振り返す。
 また学校で毎日会えると思えば嬉しいのだが、とんでもない事件が漸く一段落した途端に日常に返るのも中々難しい。例えるならば体育祭の準備で大忙しだったのに、終わった途端に遣り遂げた感と脱力感に苛まれるあの感覚だ。現実は体育祭のように平和なものではないけれど。
「あ、そうだ」
「はい?」
「好きな果物、持って来いよ」
「果物……?」
 悟飯は首を傾げた。果物がどうしたのだろうか。
「お前が言ったんだろ、パオズ山の」
 微かに眉を上げた名前がぶっきらぼうに言う。パオズ山、で思い出した。というか、名前が覚えていてくれたことに感動した。
「はい! フルーツケーキ、ですよね。でもいいんですか?」
「何が」
「優勝、って条件でしょう」
 優勝したら、パオズ山の果物を使ったフルーツケーキを、名前が、悟飯に。そういう約束だった。
 しかし名前は声に出さずに笑って見せた。あれだけボロボロになった武道会で優勝も何もあったもんじゃないだろうに。
 クソ真面目なところは嫌いじゃないけれど。名前は思った。
「一等賞だよ、お前」
 私の中で。とは言わずに。
 あまりにも自然に現れた名前の笑顔に悟飯は呆けた。誰が見てもそうと分かる名前の笑顔は真実貴重だから。
 しかし悟飯の沈黙を誤解したのか、名前はすぐにその笑みを消す。
「頑張ったで賞がよかったならそっちにするけど」
「いえ! 一等賞で! 名前さんの一等賞がいいです!」
 慌てて名前に縋る悟飯の姿は到底魔人ブゥを一時とはいえ甚振っていた人間とは思えない。しかし名前にはこちらの姿の方が馴染み深い。それに気合を入れなければ見ることが出来ないあんな姿より、余程自然体だと思っている。
「あんま殻とか皮が剥きにくいのは持ってくんなよ」
「はいっ」
 元気よく頷く。
 貰えないと思っていた、約束自体忘れかけていたご褒美に悟飯は心臓が騒ぎ出すのを感じた。
 名前といれば何度でも同じ感覚が味わえるんじゃないだろうか。そんなことを考える。
名前さん、楽しみにしてますね!」
「いやあんまり期待されても困るけど……ま、学校でな」
「はい、学校で!」
 先ほどと同じ会話なのに、今は楽しくて仕方ない。玄関の扉をくぐる名前の背を見つめ、明日が楽しみだと、もう一度思った。
 そういえば編入日も似たような気持ちだったかもしれない。今の方がもっとずっと楽しみの度合いは大きいのは確実だけれど。
 早く明日にならないかな。
 世の学生さんの敵のような台詞を呟いて、悟飯は一目散にパオズ山へと飛び立った。
 
 
 神殿に両親と弟を置いてきたことに気付くのは、未だ熟してもいない果実の目星をつけていた悟飯の目の前に当の家族が現れてからだった。

#DB #孫悟飯

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大団円のその前に
 冬の朝は寒すぎて嫌いだ。夏の朝は寝汗で気持ち悪い。春は何時までだって眠くてしゃっきりしない。
 だから名前は秋が一番好きだった。
 少し肌寒くても毛布に包まっていれば充分温かい。寝ている間に自分の体温が移った抱き枕を両腕でぎゅっと抱きしめると、「苦しいですよ」と悟飯の声がする。
 
 
 わけない。
 
「あ、起きました?」
 瞬き。悟飯の顔。自分の身体。順次視線を移す。
 名前が抱き枕だと思っていたものは悟飯だった。自分の腕が絡みついた悟飯の首筋を眺めながら思う。
「どーりで……」
「はい?」
「いや」
 固いと思った。とは言わないでおく。
 ビーズの詰まった枕と引き締まった筋肉。違って当然だ。
 悟飯の首に絡み付いていた腕を解き、名前は立ち上がろうとする。が。
「あ゛?」
 微かに浮いた腰は再びぺたりと悟飯の足の間に納まってしまう。
「移動したいなら僕が連れて行きますよ」
「いや、自分で」
「歩けるわけないでしょう。
 あんなに元気わけまくって、お父さんも心配してましたよ」
「元気……」
「覚えてます? 元気玉」
 覚えている。名前は頷いた。
 つまり、元気玉の完成を見届けて意識を失ったらしい。悟空は全力疾走した後くらいの疲れが残る、とか何とか言っていたけれど、それはある程度疲れたら手を下ろした人間は、ということだ。限界まで力を分け与えたのは名前ぐらいだと言う。
「で、ブゥは」
「倒しました。お父さんと、ベジータさんが」
「そうか」
 そりゃよかった。名前は立ち上がるのを止めて悟飯にもたれかかった。
 実は先ほどからちょっとずつ足に力が入るようになってきた。が、立ち上がろうとするとその度に悟飯から阻止されていた。地味に攻防していたのだが、名前が根負けした。
 一番知りたいことは悟飯の口から聞かされた。ならばもういい。
「そういや、ここ神殿だろ」
 真っ黒な部屋。闇色のランプ。しかし薄ぼんやりと見える柱はここ二日で見慣れた装飾。
「はい、そうですよ」
「こんな部屋あったか?」
 くるりと見渡す。暇つぶしにいくつか覗いた部屋は大体どれも似たような部屋ばかり。こんな雰囲気の部屋は見たことがない。
「ピッコロさんの部屋ですよ」
「いや何で。他にも使ってない部屋あるだろ」
「ありますけど、ここが一番夜に近いんで」
 ゆっくり眠れたでしょう。
 にこやかに言う。
 どんな顔でピッコロがこの部屋を提供してくれたのかを想像し、名前は胸を痛めた。弟子に甘いにも程がある。
「……今何時」
「あ、そんなに時間は経ってませんよ。あれから三、四時間ってところです」
 つまり、元気玉が完成し、悟空がブゥを倒してから三、四時間ということだ。何時からこうしていたのかは知らないが、悟飯には申し訳ないことをした。
 そんなことを考える名前は知らない。
 神殿に着いてから、というよりも、名前が意識を失ってから一度も。悟飯がその身体を誰かに預けるということをせず、片時も離さなかったことを。
 名前を抱いて現れた悟飯の姿にチチは引っくり返り、ビーデルはこめかみを引き攣らせ、他の仲間たちは乾いた笑いを洩らした。
 そして一斉に悟飯の気持ちを思い知る破目になったのだ。
「他の人たちはもう帰ったのか?」
「あ、いえ、まだいますよ。というかご飯食べてます」
 七年ぶりに帰ってきた夫、しかも生身の腹空かしの為にチチが豪快に腕を振るったのだと言う。
 絢爛豪華なその食事はそれこそサイヤ人二人とハーフ三人が総力を上げて胃袋に収めなければ片付かないような量らしい。
「そりゃ、さぞ豪勢だろうよ」
 ふ、と笑う。と。
 くぎゅるぉごっ。
「……」
「……」
「あの……」
「……はらへった」
 名前は腹を擦った。そう言えば暫くまともな食事をしていなかった気がする。
 ぷすぷす息を洩らしながら悟飯が名前を抱えなおし、立ち上がる。その震える頬を名前はちょっとばかし睨みつけた。
「笑いを堪えるならもっと上手くやれ」
「すいま、せ、いや、だって、か……」
「ろくすっぽメシ食ってなかったんだよ」
 わいい。
 言おうとしたが、それより先に名前の言い訳に塞がれる。
 残念なようでもあり、迂闊なことを言わずにすんでよかったようでもあり。
 何となく複雑な気持ちを抱えたまま、悟飯は短い廊下を小またに歩いていった。
 
 
 
 
 悟飯に抱えられたまま食堂(として使っているらしい部屋)へ入ると一気に視線が集中した。中央には主役のサイヤン二人がテーブルに就いてチチ作らしい料理をがっついている。周りではクリリン達が会話をしつつ料理をつまみ、その隣では食べ終えたらしい子供たちがトランプに興じていた。
 真っ先に気付いたのは勿論子供たち。
 手にしたトランプをほっぽり出して名前の元へと駆け寄った。
「姉ちゃんやっと起きたのかよ!」
「遅いよー、ご飯もうお父さんたちが殆ど食べちゃったよ」
 心配していたのだ、これでも。
 だが名前へと伸ばした手は寸前で石像のように固まった。
 固められたとも言えるかもしれない。
 微笑。ただそれだけで恐怖を振り撒くことの出来る人間などこの場には一人しかいない。
 何を言ったわけでもない。ただ、名前に触れようとした手にそっと微笑みかけただけ。それだけで、怖いもの知らずの無敵チルドレンの動きを止めてしまった。
 その場にいるほぼ全員が、悟飯の恐ろしさを思い知った瞬間でもある。が。それともう一つ。悟飯の思いの在り処。
 名前を見つめる目。細心の注意で以って抱えなおす腕。悟飯の全ての動きが名前の為だった。
 そんなものを見せ付けられて、悟らずにいられるほど鈍ちん揃いでもないのだ。
 しかし空気を読めない、もとい空気を読むことを知らない男もいる。
 皆のヒーロー、地球最強の蟹頭、こと孫悟空だ。
「おーい、ここに座れよ」
 悟飯の斜め後ろに立っていたトランクスはその額にぷっくりと浮き出した血管が動くのが見えた。が、表情に出さないのが孫悟飯という男である。
 名前の顔を見て、頷いたのを確認すると悟空の隣に位置する椅子に丁寧に座らせる。自分は勿論その逆隣の席に陣取った。
「もう大丈夫なのか?」
「はい、ゆっくり休みましたから」
 笑って見せると悟空はちょっと考えるような素振りを見せ、「そうか」とだけ言った。
「ほれ食え、チチの飯はうめぇぞ~」
「はぁ、頂きます」
 もともとそのつもりだったのだ。悟空に勧められるまま、名前は両手を合わせ、箸を取った。
 そして一口。
「美味しい」
「だろぉ~」
 呟いた名前に悟空はにこにこ笑う。大好きな嫁さんの料理を誉められたのが嬉しいらしい。
 ちなみにこの場合の「大好き」は嫁さんにも料理にもかかる。閑話休題。
「ほれ、これも食え。あとそっちのも、あれも上手ぇからな」
「いや、そんなに沢山は……」
 あれもこれもそれもどれも。自慢の愛妻料理を勧めてもらえるのはありがたいが、名前の胃袋は平均的地球人女性のそれか、多少小さいくらいなのだ。
「そう言えば名前さんもあんまり食べませんよね。ダイエット中ですか?」
「自分の胃袋が異常だっつことにまず気付けや」
名前さんが小食なんですよ。僕デンデに聞いたんですからね」
 鋭く突っ込む名前に悟飯がじわりと切り返す。何となくじっとりと睨み付けられる。名前はちょっと怯んだ。
「なにをだ」
「……ウェハース三枚」
「あぁ、そのことか」
「そのことかじゃないでしょう、ご飯食べないなんて、大変なことなんですよ。
 ご飯食べないと元気出ないんですからね」
 ぷりぷり怒る。名前のことを心配して言ってくれているのはわかるしありがたいとも思うのだが。
 お前が心配でろくすっぽ食えなかったんだよ。
 とは口が裂けても言えないのが名前だ。
「だから今食ってんだろ」
「そう言えばそうですね」
 頷く悟飯を呆れた目で見ながら名前はシメジのベーコン巻を頬張った。自分で言ったこととはいえあっさり納得しすぎだろう。
 悟飯も頷いた後で何か違うことに気付き、あれ? と首を傾げる。が、先手必勝と言う言葉は武道家の為だけに存在するわけではないのだ。
「お前食ったのか?」
「え、そうですね、さっきちょっと」
 名前の側から動かない悟飯の為にビーデルが皿を運んでくれたのだ。しかしここでビーデルの熱視線に気付かないのが悟飯クオリティ。哀れなものである。
「そうか。ならまだ入るだろう。ほら」
 名前が手に持ったフォークでレバーを突き刺し悟飯の口元に運ぶ。
 それを見た悟空はちらりと自分の嫁さんを盗み見て綺麗に無視され、ベジータは丁度口に入れていた箸を奥歯で噛み砕き、気を利かせたデンデから新しい箸を受け取った。クリリンは一八号の視線に照れ笑い。どうやら自分たちも家では同じ事をしているらしい。
 実際は名前がレバーが苦手なだけという色気も何もあったものじゃないのだが。しかしそんなことを知っている人間などこの場には悟飯しかいない。
 そしてその悟飯は。
「はい、頂きます」
 とてもいい笑顔で口を開けて大きなレバーを一口で頬張った。
 大好きな母の料理。大好きな名前の手ずから。
 ここで断っては男が廃る。などということは全くないのだが、悟飯の頭には断るなどという選択肢はそもそも存在していない。
 もきゅもきゅごくん。美味しい料理を噛み締め嚥下する。
「次はどれだ」
「えーと、あのから揚げ」
「ほら」
「はい」
 まるで母鳥から餌を与えられる雛のように。悟飯は名前の手から与えられる料理を幸せ一杯の顔で頬張る。
 いやお前目の前に箸もフォークもナイフもあるだろう。という良識的な意見も「次は何を食べたい」と聞く名前自身によって封じられる。
 ヤムチャはわしゃわしゃ髪をかき混ぜた。
 恋愛経験豊富だろうと、恋する乙女の考えが読めることはないらしい。
 まったくのポーカーフェイスにどんだけ意地っ張りだよ、と苦笑する。武道会で倒れた悟飯に制止を振り切り駆け寄ったのと同一とは思えない。
 スポポビッチ程度で顔色を変えていた名前が、魔人ブゥと相対してその後でこうまでも自然体でいられるというのが既にヤムチャの予想外だ。例えふとっちょブゥに今は危険がないといっても、だ。
 でも気付く。一瞬。ふとした拍子に、名前の目が悟飯を捉えて微笑む一瞬があること。
 納得した。嫌っちゅーほど納得した。
 そう言えば魔人ブゥと対面した時の名前の側には悟飯がいたのだとデンデに聞いた気がする。
「なぁクリリン」
「はい?」
「悟飯もやるなぁ」
 ヤムチャは思わずそう呟いた。クリリンは少し驚いた顔をして頷いた。彼女いない歴約三〇年の経験から『一六歳で彼女持ちなんて』という頷きだったのだが、ヤムチャの考えていたこととはちょっと違う。
 絶大なる安心感。
 それはヤムチャや仲間たちが悟空から常に与えられているものだ。勿論悟飯もだろう。しかも本人は意識せずに。
 どれだけの偉業なのだろう、とヤムチャなどは思うことがある。凡人の不安を些末事と笑い飛ばし、他人の勝手な期待にもびくともしない。
 それでも名前は悟空よりも悟飯を選んだのだ。選んだと言う表現も可笑しな話だが。優先順位の最上位に悟飯がいるのは間違いない。
 悟空ですら拭えなかった恐怖を悟飯は存在のみで打ち払い、どころか。
「そういやさ、あれって魔人ブゥじゃねーの?」
「はい、サタンさんの家族になるそうです」
 言葉自体は間違いではないのだが、あまり楽しい想像には至らない言い方だ。それは兎も角。
「ふーん」
 それはよかった、とでも言うように。あれだけ暴力に怯えていた少女が、その元凶の半身と同じ場所にいるというのにどうでもよさそうな顔で気のない返事をする。
 もういいのだと。お前が無事ならそれでよかったのだと言葉にはせず盛大に宣言されているようで、ヤムチャは自分のことでもないのに照れ笑いがしたくなった。
 そんな感傷を吹き飛ばすのも名前なのだが。
「よかったビーデル、豊満なお母さんが出来て」
 それまで遠くで複雑な顔をしていたビーデルに真顔で話しかける。冗談なのか心底思っているのかが分からないところが恐ろしい。実際冗談なのだが。
「嬉しくないわよ! ていうかお母さんってなに!!」
 椅子を鳴らして立ち上がり、ビーデルが慌てて声を荒げる。
「家族になるんだろ」
「間違っちゃいないけど違うわよ! 悟飯くん!!」
「え、でも他にどう言えば……」
「一緒に暮らすとか、うちで引き取るとかそういうのでいいの! 何よ家族って! あんなお母さんいらないわよ!」
 ダンダンダン! と地団太を踏む。まるでヒステリーだ。
「あんま暴れると疲れるだろ」
「あんたの所為でしょ! それよりもっと食べなさいよさっきから悟飯君に食べさせてばっかで自分じゃ食べてないじゃない」
「あ! そうですよ名前さん、僕ばっかり食べてちゃ駄目なんですよ! 名前さんが食べないと」
 名前が上手く逸らした話をビーデルが蒸し返す。
「イエワタシモウオナカイッパイデスカラー」
「いーから食べるの! 悟飯君今のうちよ!」
「はいビーデルさん!」
「離せビーデル! ピーマンはやめろピーマンは!!」
 高校生三人が料理を片手に暴れる姿は行儀がいいとは言えない。が。
「あいつ元気になってよかったな」
「んだ」
 のん気な夫婦は喚く名前と笑う悟飯たちの姿にのんびり頷きあった。
 眠り続ける名前と、その側を離れない悟飯。そしてそんな二人を暗い目で眺めるビーデル。悟空とて心配はしていたのだ。大人として。
 だから今のこの騒ぎは悟空にしてみれば「元気で大変よろしい」ということになるわけだ。
 チチも夫のそんな思いに同意する。子供は元気が一番なのだ。それでお勉強が出来ればもっといいけれど、悟飯にはもうそんな心配はいらないし。
「にがっ!」
「じゃあ次は蜂蜜トーストで」
「食い合わせ最悪!」
 次から次へと口に料理を突っ込まれる名前に同情しつつ、じっとみつめてくる旦那の口に玉子焼きを一つ放り込んでやった。

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救いの言葉
「大の男がベソ泣きしてんなよ」
「だって、だって、うぅぅぇぇぇぇぇええ」
 名前はため息を吐いた。
 自分の胸に縋って泣くつんつん頭を優しく撫でてやる。余計に泣き声が高くなった。仕方ないので手を下ろす。今度は声こそ出さないものの、こちらまでつられて泣きそうになるような目で見つめてくる。
 どないせーっちゅうねん。
 思わず愚痴も零れようというもの。
 憐憫の眼差しを寄越すくらいなら助けて欲しいものだ。名前は少し遠巻きに避難しているトランクスを睨みつけた。
 
 
 死んだ。
 
 
 見事なまでに死んだ。死んだことにすら気付かないうちに。悟飯達がブゥに吸収された。悟空とベジータが合体したのも見届けた。その合体お父さんたちが優勢だったのは確かだったのだが、気付けばブゥがやたらと縮み、気付けばあの世の入り口に立っていた。
「僕、まもっ、……~~~~~~~っ!」
 ごめんなさい。ごめんなさい。死なせてしまって。死んでしまって。
 何度も謝られた。
 ぶっちゃけ名前には死んだ実感がない。それは向こうでちょっとしょんぼりしているトランクスたちもだろう。ピッコロだけは何を考えているのか分からない表情で黙り込んでいるが。
「つか、マジで死んでんだ」
 こんなに暖かいのに。名前は悟飯を抱きしめたままの両手を見つめた。天に向かって立っている黒髪がちょっと邪魔だったが。
 いい所まではいったのだ。後もう少し、あと一息で魔人ブゥを倒せるというところまで。
 どっこい逆転一発どんでん返し。悟飯に敵わないと悟ったブゥはわざとトランクス達をフュージョンさせ、ピッコロとまとめて吸収した。お陰でブゥの能力はうなぎ登り、デンデに助けられながらもブゥを倒すことも出来ずにただ嬲られるだけ。
 悟飯はぐすん、と鼻を啜った。
 魔人ブゥに蹴り飛ばされた。その拍子に視界に入った名前の顔。蒼白とも呼べる白い肌の中で、唇の赤が妙に印象的だった。
 だから死んだんだ。
 がくりと身体から力が抜ける。名前が慌てて支えてくれるが、それすらも悟飯を救ってくれはしない。
 戦ってる最中に、油断じゃないけど、気を逸らして。お陰で死亡フラグ乱立で最悪のシナリオへと一直線。ブゥのピンクの肉片らしきものに囲まれた時、悟飯の頭を占めたのは名前の安否。と、名前が死んだらまた会える、だなんて。
「僕、最悪です……」
 願わなければいけなかったのは名前の無事。悟空の勝利。なのに、悟飯があの世の入り口で呆然としたのと時を置かずに名前の姿が現れて感じたのは喜び。
 また名前の側にいられる、と。それだけを思った。そんな資格などありはしないのに。
 ここがあの世なのだとピッコロに聞かされても名前の表情は変わらなかった。きっと実感が湧かないんだろう。悟飯もそうだった。
「んで、これからどうすりゃいいんだ?」
「そうだな……とりあえず閻魔の所にでも行くか」
 名前の質問にピッコロが答える。どうやら泣いてばかりの悟飯は無視することに決めたらしい。
「マジで存在するんですね、閻魔大王」
「昨日今日は大忙しだろう」
「魔人ブゥ?」
「ああ」
 あれだけ死人が大量生産されればさぞかし閻魔大王も大童だろう。これから行けば分かることだが。
「地球どうなっちゃったんだろ……」
 トランクスが呟く。名前は不安げな顔で見つめてくる子供を見返した。隣では悟天も似たような顔をしている。
 八歳と七歳だ。両親は死んで、必死で強くなったと思ったらその敵はもっと強くて、それでも皆の頼みの綱は自分たち。それでやっと頼りになる兄貴分が来てくれたと思ったらみんなまとめて死んでしまって。
 子供は苦手なのだけれど。名前は頭の片隅でそんなことを考えながら、すい、と右手を伸ばしてトランクスの頭を撫でた。見た目どおりサラサラの髪が名前の指に絡みつく。これは母親譲りだろう。ブルマの艶やかな髪を思い出す。朝のブローが大嫌いな名前としてはちょっと羨ましいなと思ったりもしたのだ。
 優しく撫でられ、トランクスはぽろりと涙を零した。今まで我慢していたのだ。精神と時の部屋でも泣きべそをかく悟天を宥めすかしてブゥを倒す為の特訓をして。年上だから。しっかりしないと。そう思って。ずっと我慢した。のに。
 名前の手が簡単にトランクスの涙腺をぶち壊す。
「あ、う、うぅ、ぇ、名前姉ちゃぁぁぁああああん!!」
「ぅおおおい涙は兎も角涎と鼻水は付けんなぁぁぁあああ!!」
「ああ! トランクスこら名前さんは僕の」
「お前の何だってんだつーか泣いてたんじゃねーのかテメぇ!」
「泣いてたけどだってトランクスが僕名前さん独り占めしてたのに!!」
 ガキが二人。名前は頭痛のする頭を抱えた。死人でも頭痛がするらしい。
 名前の胸に飛び込んできたトランクスは見事に悟飯を押しのけて、その目から溢れる涙を名前の服に押し付ける。そんなトランクスを慌てて悟飯が引き剥がそうとするが、名前にぴったり引っ付いたトランクスを引っ張れば名前もまた痛がるので声を荒げるだけ。
 大人気ない。史上最強に大人気ない。
 呆れる名前に終いには悟天まで飛びついてきてその場は大混乱。止める気無しのピッコロは遠い目で閻魔宮を眺めている。
 結局名前は涙と涎と鼻水まみれになった。
 そして。
「……この状況はどう判断すればいいんだ?」
「ドラゴンボールだろう」
 気付けば元の荒野に放り出されていた。右腕にはトランクス、左腕には悟天、背中には悟飯がへばりついている。名前の質問に答えてくれたのはピッコロだ。
「い、きかえ、った?」
「らしいな。……しかしブゥの気は消えとらんぞ」
 ピッコロがいぶかしげに呟く。
 名前は気など感じられないが、ピッコロが言うならそうなのだろう。気付けば今まで泣いていた三人も戦士の顔になっている。名前に引っ付いたままだが。
 ドラゴンボールは後数ヶ月先にならないと使えないんじゃないか。そう思いながらも悟飯に抱き込まれるまま息を詰めるしかない。 何しろブゥは生きているのだ。何時また殺されるか分からない。
 しかしすぐに聞こえた声で疑問は解ける。
 脳裏に響くベジータの声に戸惑いながら、続いて聞こえた悟空の声に悟飯たちが手を頭上に上げた。
 名前も続けて手を上げるが、一瞬にしてその場に崩れ落ちる。
名前さん!?」
「いや、ほら、あれだ、……体力ねーよ悪かったな」
 一気に元気を吸い取られていた。
「あれか、元気玉っつーのはみんなの元気を吸い取って作る極悪玉か」
「え、いやその表現はどうかと思いますけど……本来の元気玉は少しずつ気を分けてもらうだけでも充分なんです。
 だから、今回はここまでしないと勝てない強敵……ってこと、です」
 言う悟飯は未だ手を掲げたままだ。
 名前は悟飯を見上げ、勢いを付けて立ち上がる。ついでに悟飯に抱きついた。
「へぁっ!? 名前さん、なに、」
「支えてろ」
 告げて、もう一度片手を掲げる。悟飯は慌てて名前の身体を右手で支えた。左手は空に向けたまま。
 ぐんぐん力を吸い取られるのが分かる。少しずつ息も荒くなってきた。脂汗もじんわり噴出している。それでも名前は手を下ろさない。
 出来ることがあるならやってやる。
 名前はぎり、と歯を食いしばった。悟飯の心配そうな視線を感じるが、敢えて無視してやる。というか構っている余裕がない。
 先ほどベジータは地球の人間全員に語りかけていた。つまり、全員分のフルパワーがなければブゥを倒すことが出来ないということだ。
 化け物だ。とんでもない化け物なのだ、ブゥという魔人は。
 そして悟飯はそんな化け物相手にタイマンを張っていた。その間名前は何も出来ずに見ているだけ。それすら敵わず最後には殺されてしまったりもした。
 もし今名前が全ての力を悟空の言う元気玉に注ぐことで、悟飯の負担が少しでも減るなら。安いもんだ。そう思った。支えさせている現実は兎も角、だ。そんなのブゥが消えた後でお菓子でも作ってやればフィフティフィフティ、帳消しだろう。
名前さん」
「おい、見ろ」
 悟飯が名前に手を下ろさせようと声を掛ける。が、その前にピッコロが空を示した。
「なに……?」
「元気玉だ。完成したな」
 光の球が空へと飛んで行くのが見えた。名前はよろけながら手を下ろす。次々に大きな光が空に現れ、宇宙へと消えていく。今から悟空の元へ向かうのだろう。
「真昼の流れ星みてー」
 荒い息の中、名前がぼんやりと感想を声にする。悟飯は両手を使って名前を支えながら「そうですね」と笑った。
 後は、悟空に任せるだけだ。
 結局最後まで悟空に頼ってしまった。これでは悟空がいなければ何も出来ないと言われても仕方ないかもしれない。
「おい、なにしょぼくれてんだ」
 名前が二割増で鋭くなった目付きで悟飯を小突く。実際は瞼を開けているのも厳しいだけだが。
「え、あー、いえ。また、お父さんに任せちゃったなぁと」
「あ? いいじゃねーか。親には甘えてやれよ」
 そっちのが喜ぶだろう。言って、名前は目を閉じた。
「私はお前に助けられたよ」
 今も。さっきも。銀行でも。物理的にも精神的にも。悟飯がいてくれることでどれだけ楽になったか知れない。それこそ悟空の存在以上に。
 回らぬ舌でそう告げる。悟飯の息を呑む声が聞こえたが、名前の耳は捉え切れなかった。ただ、悟飯に抱きしめられたことだけは感じ取れた。
 引き潮のように意識が薄れていく。目を閉じたら眠くなった。結構体力の限界だったらしい。
 じわじわと侵蝕され、そして意識が闇に沈んだ頃。
「僕、名前さんが好きです」
 名前の寝息を確認し、悟飯の低い声が風に消えた。

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愛情一本貴女の抱擁
 セクハラだ。トランクスは呟いた。悟天は首を傾げる。何のことか全く分かっていない。つまり血筋ということなのだろう。
 地面に尻を下ろしたままの名前。真新しい胴着の膝に土をつけ、一回り小さな身体を背中から抱きしめる。そのまま猫のような仕草で悟飯は目の前の首筋に頬を擦り付けた。
 これがセクハラでなければ何なんだろうか。スキンシップにしては激しすぎる。と思うのは自分が子供だからだろうか、とトランクスはちょっと悩んだ。
 しかしそんな子供の葛藤には気付かずに、悟飯は名前の体温を堪能する。
 冷凍解凍だ。凍りかけた心臓の。悟飯はそう主張する。
 皆、デンデも、魔人ブゥに殺されてしまったと聞いたときはブゥを生かさず殺さずじっくり苦しめてやろうかと思ったのだけれど。デンデの気を感じることが出来て少し落ち着いた。
 デンデさえ生きていてくれたら、母も、仲間も、名前も。生き返らせることが出来るから。
 それでも老界王神への呪いの言葉を吐き捨てながら、ようやく視界の隅っこで小さな神様の姿を見つけた時。
 その、隣に寄り添う見慣れた後ろ姿が。
 神に感謝するとはこのことか。ピッコロやデンデのことではなく。無論勿体つけて一歩間違えれば手遅れという事態を引き起こしかけた紫色のジジイのことでもなく。
 後から悟飯がピッコロに聞いた事実として、この時の悟飯の移動スピードは瞬間移動でも習得したかのようだったそうな。
名前さん」
 悟飯が名前の名を呼ぶ。耳から入ってきた音が全身をじんわり暖める。それが嬉しくて、名前は無意識に笑った。
 トランクスは数度目を瞬かせた。ピッコロはぴくりと瞼の筋肉を動かしかけた。悟飯は嬉しそうに笑う。
「目付き変わった……か?」
 名前は悟飯を見てぽつりと言った。何か違う。顔つきも、雰囲気も。
 何かロマンティックな台詞を期待していた悟飯はガクリと肩を落とした。察したトランクスが丁寧に気付かなかった振りをしてやる。ここで敢えて慰められると逆に辛いのだ。
「自分ではよく分からないんですけどね……」
 一気に雰囲気がいつもの悟飯に戻る。ピッコロは名前の顔を見た。なかなか出来る。この状況でそれがいいことかどうかは別にして。
 先ほどの悟飯を見ていない所為かもしれないが、こうまでも雰囲気の変わった悟飯に何の躊躇いもなく全く同じ態度で接することが出来るとは。しかも言及するのが目付きだけ。
 他にも色々と突っ込みたい部分もあるだろうに、敢えてそこにだけ触れたのは面倒を嫌ってかそれとも他はどうでもよかったのか。悟飯自体がどうでもいいのか。ピッコロには分からなかった。
「あの……ところでどうなってるのか説明してもらえませんかね……?」
 恐る恐る。声を掛けてきたのは存在自体を忘れ去られていたミスターサタンだった。
「あ、そういえばサタンさんもいました」
「忘れてたのかお前」
「だってサタンさん運んだのトランクスですから」
 忘れて当然、という悟飯に名前は頬を引き攣らせた。仮にも世界を救った救世主(今は色々と事実を知っているが)に対してかなり酷い扱いじゃないだろうか。サタンもここまで軽い扱いを受けたのは久方ぶりだろう。
「一応年長者だ。あと一ミクロンでいいから丁寧に扱ってやれ」
「一応とかミクロン単位とか名前さんも結構酷いこと言ってると思うんですけど」
「男が細かいこと言ってんじゃねーよ。それより二日の遅刻の説明をしろ」
 あ、怒ってたんだ。
 トランクスは納得した。よく見れば名前の利き手が渾身の力で悟飯の左手の中指を引き剥がそうとしている。あれは痛い。これが手首だったり腕ごとだったりしたら悟飯もびくともしないだろうが、指一本に全ての力を込められれば。
「いた、いたた、あの、名前さん、ちょっと痛い」
「さっさと離れろ」
 淡々とした声と共に見事な裏拳が悟飯の眉間にめり込む。
 名前は微かに眉を顰める。ちょっと痛かった。
 眉を八の字にして拳がめり込んだ部分を撫でる悟飯の腕からすり抜け、トランクスと悟天の間に座りなおす。そこが安全地帯と直感したらしい。
 ピッコロの隣は弟子に甘い師匠のこと、役に立たないと推測する。
 そんな名前に頬を膨らませるが、文句も言えずに悟飯も座りなおし、これまでの経緯を語り始める。
 ブゥを倒したわけではないと知った時、名前の身体が一瞬跳ねたが誰も敢えて言及しなかった。
 そのふてぶてしさに誤魔化されて忘れそうになるが、名前は何の力も無くうっかり流されてこんな場所に連れてこられてしまった一般人なのだ。
 本人にそんなことを言えば『自分で来たんじゃボケー』とお怒りを頂くので言わないだけで。素直に『流されました』というのはちょっぴり癪に障るお年頃なのだ。
 ビーデルが生き返ることが出来ると聞いて安堵の涙を零す英雄を眺めつつ、名前は肩に置かれた手をチョップで撃退した。
 先ほどから果敢に触れてこようとする悟飯を他の人間は生温く見つめる。サタンなどは「絶対こんなヤツにビーデルはやらん!」と鼻息を荒くしている。
 悟飯は叩かれた手を一瞬だけ寂しそうに見つめたが、すぐに気を取り直して名前の身体を抱きこんだ。
「ぅおぉぉおい!?」
「ブゥが来るまで、もうちょっと、このままで」
 素っ頓狂な叫びを上げる名前の耳に、小声で必死に囁きかける。トランクスが悟天を引っ張って近くの岩場の影に向かう。デンデもそれに倣ってあんぐり口を開ける大人二人を連れて行く。犬はキャン、と一つ鳴いてその後に続いた。
 名前はそそくさ逃げ出した五人と一匹が消えた方向を睨みつける。首も碌に動かせないので視線だけでだが。
「お前な、羞恥心とか、節操とかいうもんはないのか」
 ぴっとりくっつけられた熱い身体。一応年頃の娘なんだが、という突っ込みは敢えてしない。説得力が無いのは名前が一番分かっている。それよりも問題は。
 妙に、早い、自分の鼓動。とか、だ。
 先ほどは。生きてて良かったとか、生きてた癖に来るのおせーよとか、安堵と文句と状況を知りたいという思い出さくっとスルーしていたが、もう一度同じ状況になってみたら、だ。
 なんとも破廉恥ふしだらな。
 健全なる学生生活を送る義務のある高校生が何たることか。
 なんてことを考えたわけではないが。嘘だ。実はちょこっと考えた。それはともかく。
 悟飯の妙に熱い体温とか。首筋を微かに擽るその呼吸とか。名前の腰を抱きしめる筋肉質な腕だとか。
 ちょっとマズいな、と思うわけだ。名前とて。
 何せ自分の体温もじわじわと上がってきているのを感じるわけで。元々体温の低い性質だ。名前よりも随分と基礎体温の高い悟飯ならば気付かないかもしれないが、もし気付かれた場合にはこの体勢はなんとも居た堪れない。
 やばいまずいこらアカン。
 もぞり。ぐい。
 焦って逃げ出そうとしたら、逆に強い力で引っ張られて余計密着してしまった。
「節操ならあります。名前さんにしかこんなことしたいなんて思わない。栄養補給です。だから羞恥なんて感じません。
 皆、一緒に、無事に帰るんです。死んだ皆も生き返らせなきゃいけないし」
 だからこれは必要なことなんです。きっぱり言い切る。
 その姿にある種の清々しさを感じつつ、しかしここでスルーするわけにもいかない。分かりやすく言えば照れ隠しなのだが。
「栄養って何だオイコラ」
名前さん分が不足中です。名前さん分が足りないと僕力が出なくなるんです」
 名前さん分って何だゴルァ。そう言ってやりたかったが、あまりにも呆れたのと、恥ずかしかったのと、ほんのちょこっと嬉しかったのとで何も言えなくなってしまった。
 二日の間に随分と甘えん坊になったもんだ。名前は小さくため息をつく。ピッコロと真逆のことを考えているなんて本人達は互いに全く気付かない。
 確かに甘えは無くなったのだろう。が、それは敵に対してであるのと同時に、自分に対してもだ。
 状況に甘えず己の手で。時間に甘えずすぐに。欲しいものを欲しいと。
 しかしそれこそが甘えだと感じるのは、つまりそういうことだ。敢えて言葉にすれば野暮だと罵られるような。
 名前の抵抗が弱くなったのをこれ幸いと悟飯は腕の力をちょっとだけ強くする。名前が壊れない程度に。が、すぐに耳を引っ張られて失敗した。
 ちょっと残念だけれど、振り払われないのならいいか。そう結論付けて、悟飯はその温かい首筋に鼻を埋めた。
 
 
 
 
 
 まるで恋人同士だ。
 こっそりデバガメをしていたトランクスはそんな感想を抱く。
 例えば自分がカーペットに腰を下ろしてTVを見ているとき。その後ろで、ソファに座ってなにやらちまちました攻防を繰り広げている両親を見たことがある。まるでそんな雰囲気。
 この非常事態に何やってんだ、と思わないでもないけれど、非常事態だからこそなのかもしれないとも思う。
 先ほどの悟飯の強さはブゥを圧倒していた。ブゥを地獄に送って天国から皆を呼び戻す。シナリオは確定しているのに何を不安に思うことがあるのだろうか。
 今の悟飯は幼稚園に預けられるのを嫌がってむずがる子供に見える。勿論それはトランクスの感想であって、実際は違うのだろう。と八歳児は願う。
「くっ、アイツめ……ビーデルと二股をかけるとは……!」
「いやあれどう見ても名前姉ちゃん一筋だろ」
 隣で地味に歯軋りをする世界チャンピオンに突っ込んでやる。トランクスは心優しい少年なのだ。大好きなお兄さんが誤解されかけているのに放って置けない。
「じゃあ名前お姉ちゃんがお姉ちゃんになるの?」
「んー、悟飯さんと名前姉ちゃんが結婚したらな」
「そしたら名前お姉ちゃんのお菓子、毎日食べれるよね。兄ちゃん、名前お姉ちゃんと結婚しないかな」
「それは悟飯さん……っていうか名前姉ちゃん次第だからなー。女の気持ちは飽きるほど変わるって祖父ちゃんが言ってたし」
 それを言うなら「女心と秋の空」なのだが、ブリーフ博士に適当なことを吹き込まれたトランクスは疑わない。それにあながち間違いでもない。悟天は「トランクスくんって物知りだね!」と感心している。
 恋愛感情というものが分からない単体生殖の方々は黙って聞いている。デンデは地球人のことを理解しようと熱心に。ピッコロはどうでもいいと言う態度だが、事悟飯に関わるとなればこっそり耳を澄まして。
「悟飯さんが名前姉ちゃんを好きなのはモロバレだろー? でも名前姉ちゃんがよくわかんねぇんだよな」
「あれの気持ちが分かるやつなどいるのか」
 ボソリとピッコロが呟く。悪人の気持ちは良く分かる。善人の気持ちは最近ちょっと分かるようになってきた。名前は善人ではないが悪人でもない。だがその心は朧月のようで存在は主張するもののはっきりとは見えない。
 悟空もまた考えが容易に読めない類だが、見えたときにははっきりと自己主張する。周囲に存在するのがそんな分かりやすい連中ばかりなので、余計に名前の思考が分からなくなる。
「ピッコロさんでも分からないんだー」
 悟天が感心した声を上げる。どうやら悟飯からの刷り込みでピッコロは「何でもわかって何でも出来るスゴイ人」と思いこんでいるらしい。
「ばっかだなぁ、ナメック星人は男も女も無いんだから、女の気持ちが分からないのもしょうがないだろ」
「それもそっか」
 呆れたように言うトランクスに悟天が頷く。
 ピッコロは文句を言いたかったが、実際にトランクスが言っていたことは全く以って正解だったため何も言えずに口ごもる。悪意がないのが逆に腹立たしい。
 未だに何故クリリンと一八号が結婚したのかが分かっていないのだ。ブルマに言わせれば「それが女心ってやつよ」らしい。さっぱり分からないままだが。
 ぶすくれて口を閉ざした年かさの同胞に、デンデはにっこり微笑んで見せた。
 いつも頼りになる年かさの同胞が、こんな時だけは自分と一緒で分からないことに対して悩んでいる。それがちょっと嬉しいだなんて思っていることがバレたら怒られるだろうか。
「何を笑ってる」
「ふふ、いえ、悟飯さん、楽しそうですね」
 爽やかに誤魔化す。嘘ではないのでちらりと悟飯を見た後、もう一度笑って見せた。
名前さんも、やっと悟飯さんに会えて嬉しそうです」
 間。
 ピッコロは名前を見た。トランクスも名前を見た。つられて悟天も見る。サタンは犬と寂しく会話している。
「「……嬉しそう?」」
 同じ言葉を呟いて、トランクスとピッコロは顔を見合わせた。
 嬉しそう。誰が。名前が? 何処が。顔? いや分からない。雰囲気? もっと分からない。
 首を傾げる二人にデンデはにこにこ笑うだけ。教えてくれないのかよチクショー、なんて雰囲気で見つめてくるけれど、教えられたからって分かるものでなし。実際名前と話せばすぐ分かる。彼女の意地に誤魔化されなければ、だけど。
 側にいすぎると分からない。遠すぎても分からない。ちょっと離れると分かりやすい。でもすぐ近付きたくなるから結局は分からないことが増えていく。そんな人だから。
「後で聞いてみたらいいですよ。きっと『嬉しくないこともない』って言いますから」
 予想可能。確実に。曖昧な言葉の奥に込められたほんとの気持ち。誇張表現も素直な表現も苦手な彼女はそんな言葉ばかりを使う。
 ベクトルこそ違えど真っ直ぐスパッと竹を割ったような性格の方々ばかりが集まるこの集団。さぞかし彼女は分かり辛かろう。新米神様はそう察知し、だからこそ彼女との対話を望む。
 だからピッコロもトランクスももっと知ってくれればいい。勉強になる、とかじゃなくて。きっと楽しいと思うから。楽しいことは親しい皆で分け合いたい、とデンデは思う。
 だがしかし。
 今は邪魔しちゃ駄目ですよ。
 早速仲睦まじい男女に幼い質問をしに行きたそうな二人へそう神様命令を下した。

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 ロマンティックなどそう簡単に転がってない
「ほれ、あのおめぇのかの……」
「それが名前さんのことを言ってるなら、界王神界吹き飛ばしますよ」
 笑顔で切り捨てられる。袈裟切りにざっくりと。
 悟空はさすがチチの息子なだけあると冷や汗を流した。こんなとこは嫁さんそっくりだ。
 亀仙人そっくりのじいちゃん、もといゼットソードに封じられていたという一五代前の界王神。彼のなにやら凄い能力というものを見せてもらう代わりの条件として、ピチピチギャルの乳を触らせてやるという約束をしたのだが。
 微笑みを形作る表情の奥。しかしその実は笑顔にはミクロの単位にも届かない。
 殺気の籠った視線に、悟空は諸手を上げて降参する。
 悟飯もそんな年頃か、とちょっと感慨深く思う。
 悟空に若い女の子の知り合いなどいるはずもない。そもそも七年も死にっぱなしだったのだから。
 ならば悟飯の知り合いを、と思ったのだが、返答は魔貫光殺法だった。お前いつの間に習得したんだよ、と聞きたい。
 ブルマなどには鈍い鈍いと詰られる悟空だが、これでも一応人の親。ある程度の常識はチチに仕込まれているのだ。
 自分にはあまり縁のない感情を悟飯が燃やしているということも何となく解るようになった。
「じゃあ、ブルマに頼んどいてくれよ」
「僕がブルマさんに殺されますよ」
 言葉とは裏腹に、その表情からは険が取れている。この豹変を見られればそれこそブルマに殺されそうだ。
名前さんだけは、駄目ですからね」
 先程の勢いをかき消して言う。
 本当は、だ。悟飯にそんな権利はないのだ。自分で分かっている。
 悟飯がいくら名前を他の男に触らせたくないと思っても、恋人でもない彼の拒否など意味が無い。何にしたって名前の可否の言葉一つなのだ。
 名前が「世界のためならば」と喜んで自分の胸を差し出すとは思わないが、名前の行動は未だに読めない。もしかしたら別に胸ぐらい、などと思っているかもしれない。
 女の子の気持ちは分からないが、名前の気持ちはもっと分からない。
 知りたい、理解したいと思っているのに、一つのことを知れば次の瞬間十の疑問が生まれる。知りたい気持ちばかりがどんどん大きく育っていくから、何一つ名前の本当を知っている気になれない。
 頭を抱えて座り込む息子に悟空は首を傾げてみせた。
 威勢良く殺気を振り撒いていた長男がいきなり元気をなくして落ち込んでいるのだ。しかも泣きそうな顔で。
 何だかよく分からないけれど、子供が悲しい思いをしているのなら、親のすることはたった一つだ。
「よーじいちゃん、オッケーだぞ」
「きまった!!」
 ブルマの乳を犠牲に嫌な契約を結ぶ。ちょっと離れた所で当代界王神が物言いたげな視線を送ってくるが、世界の平和と息子の心の平穏の為に無視させてもらう。
 ゴホンと一つ咳払いして自分の「おそろしい能力」を披露する老界王神に、いつの間にやら悟飯も興味を示している。
 難しい年頃だなぁ。悟空は自分の十六歳の頃を思い出し、役に立たないその記憶に小さく唸り声を上げたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 いっそ天晴れ。ヤムチャは真っ赤な顔をするビーデルと、未だ爆睡中の名前に苦笑した。他の大人たちも似たような表情をしている。
 漸くフュージョンを試すというから名前とビーデルを呼びに行って見れば、そこには一つの毛布を足にだけかけて冷たい床で眠りこけている二人の少女。
 少し揺するとビーデルはすぐに起きたが名前は何度起こしても起きず、終いには脳天チョップを頂いてしまった。勿論ヤムチャがそれで痛がるということはないが、何となく精神的にダメージを受けてしまった。
 名前は別段フュージョンに興味を示していたわけではないから、このまま寝かせておいた方がいいだろう、という結論を出してビーデルだけを連れて神殿の外へと向かった。
 名前の姿が無いことに首を捻るブルマたちに事情を説明すれば苦笑いが広がった。
「えぇー、姉ちゃんいないのかよぉ」
「いいじゃない、完成してから見せてあげなさいよ。きっと驚くわよ」
 名前を気に入ったらしい息子をブルマが笑って諌める。料理を食べさせてくれる相手に懐くのはサイヤ人共通らしい。
 これは本気でトランクスの嫁とりを狙えるかもしれない。そんな野望を胸に秘め、息子たちが横に並ぶのをブルマは見守った。
 何度目かの失敗の後、現れたゴテンクスの姿にクリリン、ヤムチャ、ビーデルなど一端の武道家達は知らず感歎の声を洩らす。しかしブルマはそれよりも気がかりな点があった。
 自分の息子+友人の子供。ということは半分は悟空とチチの遺伝子が入っているのであろうが、そのどちらもこの場合当てはまらない。つまりその原因は自分……ではなくあの父親の所為、としか思えない。現実問題としてそうなのだ。
 こんなトコ似なくてもいいのに。
 ブルマはゴテンクスの額を眺め、小さくため息を吐いた。完全なるM字型だ。
 タカビーな性格もきっと父親譲りだろう。それはブルマにとってどうでもいいことだったが、M字型の額は予想外だった。何せトランクス自身はそんなことはなかったので。
 もしかしてフュージョンの所為でブルマの遺伝子が弱まったということだろうか。戦闘向けの肉体になるために、地球人であるブルマの遺伝子よりもベジータの遺伝子が強く出た、とか。
 グルグルと考え込む。ブルマはどうせすぐに全て解決するどうでもいいことできっかり三〇分間悩み続けたのだった。
 そして三〇分後。
「ブルマさんって天才馬鹿○ンですよね」
「誰が馬鹿よ」
「いえ天才だとは思ってますよ。
 あ、そうか。天才ってどっか千切れてるって言いますもんね」
「千切れてるって何。褒められてるのか貶されてるのか分からないんだけど」
「褒めても貶してもいません。感じたことを感じたままに言っただけで」
 爆睡していた名前を叩き起こし、悩み事を打ち明けた次の瞬間一気に下がった室温に震えながらブルマは唇を尖らせた。部屋の隅っこではデンデが顔色を悪くして(元々緑色なので分かり辛いが)女二人を見守っている。
 名前の機嫌は悪い。ものすごく悪い。
 気持ちよく寝ていた所を叩き起こされ、慌てて飛び起きたらば目の前には眉間に皺を寄せたブルマがいて。もしや何かあったのでは、と神妙な顔をすればその真っ赤な唇から出てきたのは「息子がM字ハゲになるかもしれない」という名前にとって至極どうでもいいような相談とも呼べない愚痴。
 そんなどうでもいい相談同じ母親同士でしてくれ、と思いチチの名を出せば「笑わないで聞いてくれそうだったの名前ちゃんだけだもの」ときたもんだ。
 確かに名前は笑ってはいない。が、呆れてはいる。
 名前がブルマに聞こえないような音で舌打ちしたのを、デンデの高性能なでっかい耳はばっちり捉えていた。別に名前の舌打ちを聞くために大きいわけではないのだが。
「ね、ね、どうすればいいと思う?」
「別にトランクス君自身はM字ハゲじゃないんでしょう」
「ゴテンクスだってまだハゲじゃないわよ!」
「いやそれはこの際どうでもいいですから。
 当人がM字ハゲじゃないならこの後もならないかもしれないでしょう」
「なるかもしれないじゃない。あのベジータが父親なのよ!」
 あんた自分の旦那を一体何だと。
 名前はあの世でしとしと涙を零すベジータを思い浮かべた。デンデもちょっと同じ光景を想像した。普段のベジータを知っている分名前よりは比較的早く立ち直ったけれど。
「なら自分で育毛剤なりなんなり作ればいいでしょう、ブルマさん科学者なんだから」
「あたし器械には強くても生物には弱いのよ」
「何でそんな自信満々に言い切るんですか。もうどうでもいいじゃないですか将来ハゲようが毛だらけになろうがそんなのトランクス君の自由でしょう自由ってのは自分で掴み取るもんですよフリーダムあーカップ麺食いてーなだからそんときゃそん時で本人に作らせればいいじゃないですか曲がりなりにも爺さん母ちゃん天才なんだから血筋的にも悪かないですよ大丈夫あの子ならやれます初めて見たときから只者じゃない目付きしてると思ったんですよというわけなんでおやすみなさい」
 一息。そして続くのは寝息。
 デンデは目を丸くした。いつも淡々と話す声しか聞いたことの無いデンデとしては、名前がこんなに一気に捲くし立てる姿など想像できなかった。
 つまり、だ。
「ブルマさん、あの、名前さんすごく眠いみたいなんで……」
「そ、そうみたいねぇ」
 一瞬にして安らかなる眠りについた名前を再び叩き起こせるほどブルマの神経は悟空並みではない。その眉間にはくっきりと夫並の皺が寄っている。
「そーっと出ましょ、そーっと」
「えぇ、それがいいと思います」
 頷きあい、デンデとブルマがそーっと部屋を出て行く。
 残されたのは名前と本とソファと毛布。そして結局起きてこなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 そもそも神殿は地面にくっついているわけではないので地震など起きない。
 そのことに気付くのに名前はたっぷり二三秒かかった。
「あ?」
 気付いた時には何故か落下中。周囲では瓦礫も一緒に落下中。
 すぐ目の前を眩しい光が横切り、空気の流れに沿って靡く名前の髪を焼いた。
 焦げ臭い。ということは、これは現実である。
 そう認識し、一瞬で名前の胆が冷えた。
 が。
「よかった、名前さん!」
「……デン、デンデっ?」
 緑色の小さな身体が名前を抱きとめ、高速で飛び立つ。
 悟空や悟飯たちのようなスピードは出ないものの、瓦礫を上手く避けて一気に加速する。名前が後ろを振り返るとピンクの物体が金色の光とぶつかり合っているのが見えた。
 が、すぐに見えなくなる。漸くデンデが地上に立った時、彼の息は散々に乱れていた。
「デンデ、何があった。あれは、魔人ブゥ……か? それと、あの金色の。他の人たちは」
 名前は矢継ぎ早に質問を繰り出す。普段ならば多少デンデの息が整ってから質問するという程度の理性は見せるのだが、今はあまりにも尋常ではない事態に不安が勝った。
 あまりよろしくない予感が心臓を締め付けるが、今はそれよりも事態を知る必要があった。
「はい、えー、今のは、魔人ブゥです。色々あって、あんな姿になってしまいました。力も、前よりもっと強くなってます。あの金色の光は、ゴテンクス……悟天さんとトランクスさんがフュージョンした姿です」
 すーはー大きく息を吸い、デンデは名前の質問に一つずつ答える。
「他の人たちは、」
「ドラゴンボールがあれば生き返らせることが出来るな?」
 全てまで言わせず、名前はデンデの言葉を遮った。
「はい」
「よかった、デンデが生きてて」
 掛け値なしに。デンデが死ねばドラゴンボールが使えない、とか。それもあるけど。でも、やっぱり、一人あの場にいたとしても地面と熱烈な抱擁の挙句五体バラバラの肉片が出来ていただけであろうから。
「ポポさんが僕は絶対死んじゃいけない、って逃がしてくれたんです」
「そうか」
 名前の手がデンデの頭を撫でる。こめかみに安堵したような名前のため息がかかった。
「なら、後はゴテンクスくん……たち? に任せるしか出来ないってことか」
 岩肌がむき出しになった大地。名前は服が汚れるのも気にせず直接地面に座った。流石に寝起きに宙ぶらりんのまま高速移動というのは結構辛かったのだ。
 デンデもその隣に座る。今は本当に出来ることが少ない。
「ゴテンクスさんは一人ですけど……」
「でも中身は二人だし……」
 ぽつぽつとどうでもいいことを話し続ける。暇であると言えばそうなのかもしれないけれど、何も出来ないのだからこうやってボーっとしているのだ。出来ることがあるならばとっくに行動に移している。
 お互いの気持ちが痛いほど分かる。故に敢えてお互いにどうでもいい話を続ける。それがちょっと悔しいだなんて、思っていても口には出さない。それが最低限の礼儀だ。
「あ、ねえ、名前さん、見てください! 悟飯さんですよ、ピッコロさんもいる!」
 近付いてくる気の集団を感知したデンデが明るい声を上げる。
 名前は目だけを動かしてデンデの向いている方を見る。そしてすぐに逸らした。
名前さん? ……あの、嬉しく、ないんです、か?」
 恐る恐る。望まぬ返事が返って来ることに怯えながらも大事な友人の為、今のうちに聞いておく。もうすぐこの場に降り立つであろう彼に聞かせるわけにはいかない。かもしれない。
「いや、そういうわけじゃなくて……悪いかも、とか?」
「悪い?」
「……私だけで」
 母親も、古馴染みの仲間も。全てが魔人ブゥの腹の中。ピッコロもいるのなら、悟飯もそのことを知っているだろう。そんな中で、自分だけが生き残ってしまった。それが申し訳ないな、と思う。足手まといが増えた。
名前さんっ」
 名前は怖い顔をするデンデにちょっと笑ってみせた。今のは悟飯を侮りすぎたかもしれない。
「孫は、喜んでくれるんだろうけど」
 友情に厚い男だから。名前が無事だった、そのこと自体を喜んでくれるだろう。
 だからこそ余計に友人の手助けさえ出来ない自分が情けなくもあるけれど。
「勿論です。悟飯さんはそういう人です。だから、そんな悲しいこと言わないで下さい」
 必死で諭してくれる年下の神様が可愛くて、名前はその小さな身体をひょいと抱き上げ膝に乗せた。
 ついでにちょっと大きめなぬいぐるみにするように、軽く力を入れて抱きしめる。「あひゃぁ」という声が聞こえたが名前は無視した。
「サンキュ」
 小声で礼を言う。デンデの耳なら捉えられる音だ。
 同時に側に誰かが降りてきたのが分かった。デンデを抱きしめる名前の手より一回り大きなそれがそっと重ねられる。
 ふわりと鼻腔を擽るのは汗と埃と男の匂い。それと、よく知ってる、
「ちょっと、遅くなっちゃいましたね」
「二日の遅刻だすっとことんま」
 振り向きながら。頭上右斜め八三度で微笑む悟飯を睨みつけた。
#DB #孫悟飯

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不完全燃焼キャットファイト
「うちのトランクスなんてどうよ」
「いやどうよっつわれても」
 名前は微かに困った顔をした。
 チビたちの分を作り終えた後、大人たちの分も、といって名前の作った料理を舌鼓を打ちながら全員で食べている最中。
 口にスプーンをくわえたままブルマが提案らしきものをした。
「うちの子はあたし譲りで顔もいいし頭もいいし父親譲りでプライド高いけどまだ許容範囲だろうし、うちにお嫁さんに来ればお金持ちだから働かずに済むわよ」
「そりゃ魅力的な提案ですけどね」
 働かずに済む、の所で多少は反応を見せた名前だが、それでも首を斜めにした。ブルマの話が見えない。
 慣れっこらしいヤムチャは黙々と口を動かしている。彼女が突拍子も無いことを言い出すのはいつものことらしい。
「そしたら私に毎日料理作ってね」
「ブルマさんの為にですか」
「そうよ。あ、別にあいつ等にはいいわよ。どうせ味より量なんだから」
 トランクスが聞けば「パパと一緒にしないでくれ」と言うだろう。ベジータが聞けば「お前の料理に慣れていればどんなメシでも美味く感じる」くらいは言うかもしれない。
 どちらにしても今この場に二人はいないのだから文句を言う人間もいなかったが。
「残念ながら犯罪者になるつもりはありませんから」
「えー、名前ちゃん今十六でしょう。トランクスは八つだから……ちょうど八歳違うのか。いいじゃない、愛に年の差なんて」
「それは愛があること前提じゃないですか」
「……トランクスのこと愛してない?」
「愛してません」
 きっぱりと告げる。
 えー、と不満そうな声を上げるブルマの横で、チチがほっと胸を撫で下ろした。
 そんなこと有り得ないとは思っているが、万に一つでもここで名前に頷かれたならば息子が哀れでたまらない。たとえそれが冗談だったとしても、だ。
「じゃあ私洗い物してくるんで」
 未だぶつくさ言っているブルマを受け流し、名前はそそくさと逃げ出す。こういった話は苦手なのだ。
 軽く受け流せたならいいのだが、聞かなかったことにするくらいしか出来ない。誰にだって得手不得手はある。
 ひょい、とちびっこ二人の様子を覗けば丁度最後の一口を咀嚼しているところだった。名前に気付いたトランクスがあぐあぐと必死で噛み締め、飲み込んでから手を振った。一応お坊ちゃま、テーブルマナーは通り一遍仕込まれているらしい。
名前姉ちゃーん。ごちそうさま」
「あいよ。腹は膨れたか?」
「うん、美味しかったよ」
 悟天も口を空っぽにしてにっこり笑う。
 やっぱ兄弟だ。
 名前はこの場にいないすっとこどっこいの童顔男を思い浮かべた。ごちそうさま、の後に必ず見せる笑顔。兄弟と言うのはここまで似るのか。
 悟天を見ていると、悟飯に会いたくなるから困るのだ。
 そして会いたいと思ってもすぐに会える状況でないのが一番困るのだが。
 思いを振り払うように腕を伸ばし、空になった皿を重ねていく。トランクスが名前に倣って皿を重ねだし、それを真似して悟天も続く。
 ずっとトランクスたちの側にいたデンデはクスクス笑った。
 鴨の親子を見ているようだ。親子なんて年の差はないけれど。
 さっさと修行だ、なんて言うかと思ったピッコロは三人の姿を見ているだけ。もしかしたら癒されているのかもしれない、とデンデは思った。自分と同じように。
 それとも、過去を思い出しているのだろうか。
 同じ服が欲しい、とねだった弟子に、未だかつて見せたことの無い笑顔でそっくりな服を与えた同胞をデンデはよく覚えている。
 表情は違うけれど、纏う雰囲気は微妙に同じ。
 皿を一度カートに乗せて、乗らなかった分をトランクスと悟天が半分こにして持つ。名前がカートを押してその後にちびっ子が続く姿は鴨の親子そのまま。
 三人の姿が見えなくなってから、デンデはピッコロに微笑みかけた。
「可愛かったですね」
「……どこがだ」
名前さんと、トランクスさんと悟天さんですよ」
 見透かしたデンデの言葉にピッコロはフンと鼻を鳴らした。否定はない。
 ピッコロはどうもこの年下の同胞に弱いのだ。自分の中のネイルがそうさせているのかもしれないが、ピッコロ自身もまたデンデを愛しいと思う。思うが故に結局ため息一つでその可愛らしい声を肯定してしまうのだ。
 しかし元神の威厳を守るためにもここで情けないところを見せている場合ではない。
「おいガキども! 戻ったらすぐに修行だ!」
 はーい、とユニゾンで返って来る素直な返事に、デンデがもう一度朗らかに笑った。
 
 
 
 
 食器の擦れる音がする。人によってはこの音が嫌いだったり苦手だったりするらしいが、名前にとっては別段どうということもなく。
 洗っては水に浸け、洗っては水に浸け。その繰り返し。
 ミスターポポは自分がやると言っていたけれど、それを断ったのは名前だ。
 動いていたかった。家では面倒がって親にまかせっきりな洗い物も、気を晴らすには丁度いい。特にこういった単調作業は。
 暫く何も考えずに手を動かしていたら、後ろの方で扉の開く音が聞こえた。食器と水の音しかしないこの部屋では小さな音も結構響く。
「私も手伝うわ」
 名前が振り向くと、ビーデルが腕捲りをしながら歩いてきた。
 名前は無言で半歩横にずれてスペースを空ける。そこに滑り込んでビーデルもスポンジ片手に皿洗いを始めた。
 二人になっても部屋に響く音は変わらない。水と、陶器の触れ合う音だけ。
「……」
「……」
 気まずい。
 ビーデルは冷や汗を流した。
 名前と話したことはあまりない。今日もこんなことがなければ一日一緒にいるなんてことはなかっただろう。
 悟飯が、名前を好きなんだろうなー、とは思う。あれだけ態度に出していて気付かない方が可笑しい。それはビーデルにとってかなり悔しかったり悲しかったりする現実だ。
 しかし名前が悟飯を好きかというと、どうも分かり辛い。
 好意を持っているのだろう、とは分かる。だがそれがどういった類のものなのかが分からない。
 だからこそビーデルも戸惑っているのだ。
 竹を手刀で半分に割ったような性格のビーデルとしては手も足も出ず非常にもどかしい。
 名前とビーデル共通の話題といったら悟飯くらいしかないのだが、この状況では悟飯の名前も出しにくい。
 どうしたものかと躊躇していると、名前がぽつりと呟いた。
「メシ、食ったのか」
「え、えぇ、美味しかったわよ。ねぇ、いつも作ってるの?」
「親と交代で。作りたがるのは親父だけど」
「悟飯君がいつも食べてるお菓子も?」
 何の気なしに出た言葉に名前の手が一瞬止まった。気がした。
 ビーデルは慌てて口を塞ごうとするが、流石に泡まみれの手でそんなことは出来ない。
「そうだ」
 最後の一枚を洗いながら名前が肯定した。別段気にしている様子も無い。
 泡を流して手を洗い、スポンジの代わりに布巾を持つ。濡れた皿の水をふき取りながら重ねていく。
「お前も食うか?
 今は材料が無いから無理だけど」
 材料が無いだなんて嘘だ。ポポに頼めば出してくれる。
「そうね……家に帰ったら。お願いするわ」
 魔人ブゥに破壊されてばかりの地球だけれど、数ヵ月後には元に戻ると信じている。ビーデルも、名前も。
 だから、数日後に果される約束で充分なのだ。その頃には名前は自宅で有り余る薄力粉と砂糖を減らし、ビーデルは学校で美味しいお菓子にありつく。
 お互いに、そうであればいいと思っている。
「甘いもん平気だよな」
「甘いものが嫌いな女の子が何処にいるのよ」
「いるかもしれんだろ」
「少なくともあんたの目の前にはいないわよ」
 成る程そりゃそうだ。名前は頷いた。
「甘いものが苦手だったら辛いお菓子でも作ろうかと思ったんだが」
「辛いお菓子って?」
「ポテチとか」
 お菓子だろう?
 お菓子だわね。
 二人見つめあい、数拍後同時にくすりと噴出した。
「辛いお菓子も好きよ、わたし」
「お前は食いしん坊万歳か」
「パイナップルなんて好きかしら」
「それはリクエストか? 暗にリクエストしてんのかコノヤロー」
 じっとりと見つめる名前にビーデルは明るく笑った。
 何だ話せるじゃないか。
 ここで漸く名前は誰に対してもこんな態度なのだとビーデルも理解した。
 それならそれで構わない。これだけ広い世界ならばどんな人間がいても狭いことはないから。
 そう言えば、とビーデルは名前を見る。こんな機会そうは無いのだから、今のうちに聞きたいことは聞いておくに限る。
「初めて会った時……私がミスターサタンの娘だって知ってた?」
 ずっと、聞いてみたかったことがある。
「知ってたよ」
「じゃあなんで?」
 いつも始めましての後にはミスターサタンの娘さんですよね、と続いてきた。いっそその記録を取ってやろうかと思っていた矢先。
『名前は?』
 事も無げに聞いてきた人間がいた。
 鋭い目付き。無愛想な態度。
 名前を聞かれる前に自身から名乗られていなければ、きっと喧嘩を売られているのだと勘違いしただろう。
 けれど。
「礼儀だろ」
 初めて会った奴に名前聞くのは。
 あっさり告げる名前は真実そう思っているようだった。
 ビーデルの目からボロボロと鱗が零れ落ちる。それほどビーデルにとっては自分の名前を聞かれないことが当たり前だったのだ。
 長年の……と言っても数ヶ月だが……疑問が晴れ、肩が下がる。何となく脱力してしまった。
 もっと深い理由だとか、ビーデルに対するもにょもにょした感情とか。そんなのがあるのかと思ったことさえあったのに。
「おい?」
「なんかあんたと話すと力抜けるわ」
「それは初めて言われたな」
 心なしか楽しそうに名前が皿を重ねていく。ポポに重ねておくだけでいいと言われていた。
 最後の一枚を天辺に乗せると、名前は肩をごきっと鳴らし歩き出した。ビーデルもその背中を追う。着いて来るなとは言われなかった。
 名前が立ち止まり、扉を開けるとソファと本棚のみの空間が広がる。
「何、ここ……」
「本に囲まれて無いと落ち着かないっつったらデンデが貸してくれた」
 とんだ活字中毒患者だ。ビーデルは呆れる。自分だったらこんな墨と紙と埃の匂いの充満する部屋には長居したくない。
「読める本なんて無いけどなー」
 名前が音を立ててソファに身を沈める。その側に数冊の本が置いてあった。が、読まれた様子は無い。
 ビーデルは一冊を手に取りページを捲る。そして閉じた。
 眩暈がするかと思った。
 開いた途端に視覚に直接流れ込んでくるような墨の羅列。規則性があるのか無いのかも分からないそれは、デンデ曰くどこぞの星の文字なのだと言う。
「一ページで諦めた」
 名前は言った。ビーデルは一ページどころか一秒で諦めた。
「目、痛くなっちゃうわよ」
「もうなってる」
 どういった力によってかは知らないが、神殿の内部は何処にいても目に丁度いい量の光で満ちている。読書をしたい時にはランプもあると言っていた。
 しかしそれでも今の本はあんまりだった。
「他にも何冊か持ってきてみたんだがな、結局分からなかった」
 見るか? と問われ、ビーデルは必死で首を横に振る。二度味わいたい経験ではない。
 名前は気にするでもなく手にした本をソファの側に重ねなおす。
 そのまま名前は口を閉じ、ソファの背もたれに首を預けた。沈黙。ビーデルは名前の横に腰を下ろした。反応も無い。ただ、嫌がられてはいないようだった。
 名前の顔を見ると目が閉じられている。いつもの鋭い視線が隠れているだけで少しばかり幼く見えるが、眉間に皺が寄っているので色々と台無しだ。
「ちょっと、寝るならちゃんとベッドに行きなさいよ」
「ここで寝るー」
「あんた小学生!?」
「いやマジで」
 名前は自分の尻に敷いていた毛布を引き出した。デンデが貸してくれたものだ。
 何故神殿にそんなものがあるんだとかそういったことは聞いてはいけない。神様にも色々あるのだ。
 それが昔……というかつい最近もだが、悟飯が使っていた毛布だということはデンデとミスターポポしか知らない。悪気も恣意も無くなのだから名前は単純に喜んで借りるだけだった。
「……今昼なんだけど」
「あー……何も出来ることねぇなぁ」
 ぼそりと呟かれたのは軽い口調の果てなく重い事実だった。
 わざわざ言われなくともビーデルとて分かっている。それでも言わずにいられなかったのは。
 不安なのだろうか。ビーデルは名前の服を引っ張った。目は開かない。代わりに身体ごと背を向かれた。
「ちょっと」
「逃げたくても逃げる場所も無い。ここが一番安全だ。でも下に比べてってだけで、確実じゃない」
 つらつらと名前が並べ立てる現実はデンデの愚痴。名前にはそんなことないよ、とも言ってやれなかった。それが慰めだと分からないほどデンデは馬鹿じゃないから。
 なら、年長者として、自分よりも余程誰かを守る力がある神様にしてやれることなど一つだ。
「どこでも危険が変わらないなら、どこでも同じようにふてぶてしくしといた方が得だ」
 これで少しでも小さな神様の気持ちが楽になるのなら。なんて殊勝な心がけからじゃない。ただの年上の意地だ。
「あんた、大雑把って言われない?」
 この分じゃ仮に地上にいたとしても同じ事をしているだろう。ビーデルは何となく名前の行動が読めてしまった。嬉しくもなんともないが。
「よく言われる」
 首だけで振り向き、にやりと笑う。
 虚勢に見えないでもないが、ビーデルには判断がつかない。大女優を目の前にするとこんな気持ちになるのだろうか。そんなことも考える。
「で、お前はどうする」
 名前が半眼で聞く。どうやら本気で寝るつもりらしい。
 そのあまりにもふてぶてしい態度に、ビーデルはがし、と名前の毛布を掴み取った。
「……寝るに決まってるでしょ!」
「おいそれ私の毛布っ!」
「おやすみ!」
「聞けよこの女!」
 名前が力いっぱい引っ張れど、勿論ビーデルに力比べで勝てるわけもなく。
 後にデンデがこっそり様子を覗きに来た時には二人そろってソファからずり落ちながら眠っていたとか。

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役立たずの戦い
 いやほんと、何となくなんですけどね。
 名前は悟飯そっくりな目で見つめてくる悟空にそう笑った。
 それはないと思うぜ。呟くクリリンを制し、悟空は名前から視線を外さぬまま問うた。
「何で、そう思うんだ……?」
 金色になるのは相当疲れるらしい。名前は当然ながら気合いで髪が金色になったり空を飛べたり出来るわけではないので、それが当人の体にどんな影響をもたらすかなんて分からない。
 だが、急激なパワーアップが身体に負担をかけることは分かった。目の前で悟空が実践してくれたのだ。
 お陰で悟飯が帰ってくる前に天国へと戻らなければなくなったらしい。どうやら現世に存在するのも力が要るようだ。
 名前の言葉を待っている今でさえ滝のような汗を流している。
「約束、したんで。生きて帰ってくんじゃないですか?」
「……そっか、そうだな」
 細められた目の奥。楽しそうな色がちらりと見えた。
 もしかして、自分の気持ちを知られているんじゃないだろうか。そんなことを考える名前は知らない。己の悟飯に対するほんのりあったかピンク色の思いが結構な勢いでだだ漏れていることに。そしてそれをこの場にいる鋭い方々に気取られていることを。
 知らぬが仏というやつだ。もし名前がブルマやヤムチャの脳内を覗けたなら、無表情に神殿から青空へダイブしていただろう。
 人の考えを完全に知ることが出来ない、というのは素晴らしいことだ。
 時間だ、と占いおばばに言われ、悟空が明るく片手を挙げる。いや待てお前それが死人のテンションか。思うが名前とて一応TPOは弁えている。父親との別れを寂しがる少年の前でそんなことを言うほど非道ではない。
 悟飯ももう一度会いたかったんじゃないだろうか。名前はこの場にいない同級生のことを考えた。
 死んだ父親の話は、実は悟飯との会話でよく出てきた。聞くと見るとでは大違いだったが。
 曰く。
 明るく豪快で優しい人。
 まあ間違いではない。
 どころが大正解ではあるが、色々と省略しすぎて逆に分かり辛い。当人を見れば「嗚呼成る程ね」と納得できるのだが。
 悟飯と名前の悟空に対する印象の違いはさておき。
 その悟空の事を話すときの悟飯は何をしている時よりも楽しそうだった。
 僕のお父さんはね。
 こんな事を言ってた。こんな事を教えてくれた。こんな事をした。こんな事でお母さんに怒られてた。
 一言一言に愛情を込めて。語られた言葉を覚えている。
 本当は、もっと違った再会にしたかったんだろう。簡単に想像がつく。なのに、今悟飯はおらず、悟空は帰ろうとしている。
 悟飯が悲しむ。
 それは名前を苛つかせるに足る充分な理由だった。
 例えばここで。悟空を殴りつけてその身体を縄で縛って神殿の柱にでも括りつければ彼が帰らずにいるというのなら、名前はきっとそうしただろう。
 自己満足と分かっていても、この別れ方はあんまりだと思ったのだ。
 お父さんっ子だったんですよ、と笑う顔を思い出す。二割増で幼くなる童顔が微笑ましかった。
 オカルトの本でも探せば甦りの方法くらい載っているかもしれない。有効かは別にして。何でもありのこの世界だ。本気で試せば何とかもしれない。が。
 件のドラゴンボールでどうにかならないのだろうか、とも思う。しかし可能だったなら彼らがそうしないはずもないだろう。
 実際には悟空が生き返ることを拒否したのだが、名前がそれを知って悟空と一悶着起こすのはまた別の話だ。
 空へと飛び立ちながら縁起でもないことをのたまう蟹頭に呆れた視線を送る。突っ込まなかったのは涙を浮かべている彼らへ対する名前の思いやりだ。
 悟飯とはまだ再会して欲しくない。早速フュージョンの修行を続けるちびっこ共に背を向けながら願う。それはつまり、悟飯もあの世にいるということだから。
 それはない、と思っている。願望かもしれないけれど、実感が湧かないのだから仕方ない。
 悟飯よりも先に名前と悟空が再会してしまう事態も避けたい。待っていると告げたのだから、待たなければならないのだ。名前は。
 あの世で悟飯と会ったって、それは再会なんてもんじゃなく。
 死んだ後で「やーまた会ったね」なんて言うのは数十年後でいい。まだまだ先の長いティーンズなのだ。
 そこまで考えて、数十年先まで悟飯と長々付き合っていくつもりなのか、と自分に突っ込みを入れて、名前はうがぁと頭を抱えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 感動だ。それ以外にこの思いを表す言葉があるだろうか。いやない。
 悟飯は胸に手を当て、悟空から聞かされた言葉を大事に大事に胸の奥へと仕舞い込んだ。
 帰ると悟飯が言った。名前が信じた。それだけだ。
 それだけが、酷く嬉しい。
「嬉しそうだなー」
「嬉しいですよ」
 嬉しいに決まってる。名前は既に気のことを知っている。悟空やクリリンたちが気で相手の存在を知ることが出来るということも。悟空は悟飯の気が全く感じられなくなったということも説明したという。
 だのに。
 悟飯が、帰ると。
 早く名前に会いたい。強く思った。
 今帰ったとして、名前ならば「無事か」の一言で終わらせるだろう。そこに問題はない。
 だが、地球的には大問題だ。
 大してパワーアップなどしていないことはよく分かる。このままじゃブゥに勝てるわけも無い。わざわざ殺されに戻るようなものだ。
 つまり本末転倒。意味が無い。
「お父さん、ご飯食べたら付き合ってもらえますか?」
 さっさと。とっとと。ブゥに勝てるだけの力をつけて、戻らなければ。
「おう、いいぞ。早くアイツに会いたいんだろ」
 デリカシーなどという単語は悟空の辞書には無い。
 悟飯が敢えて言わなかった事を明るく暴露する。悪気がなければいいというものでもない。
「何言ってるんですか!」
「うわ刺さる刺さる!」
 悟飯は真っ赤になってゼットソードを悟空に投げつけた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「飯だ」
「っわぁい!」
 喜びすぎだろう。名前はお玉で肩を叩きながら思った。
「さっさと食え! 食ったらすぐにフュージョンの特訓だ!」
「急ぎつつよく噛んで食え」
「……名前、それ、難しい」
「顎の筋肉をフルに使え」
名前さんてば……」
 我鳴るピッコロ、子供たちを案じているのか急かしているのか分からない名前、突っ込むミスターポポ。
 よく分からない組み合わせだな。デンデは思った。
 デンデの前のテーブルには所狭しと料理が並べられている。それらは全て名前が作ったものだ。
 わざわざ名前が作らずとも、ポポが用意してくれるのだけれど。ブルマ曰く「手を動かしていたいのよ」らしい。
 自分ではどうにもならない状況。少しでも手助けをすることで、この場にいてもいいのだと思いたいのだろう。
 いてもいいのに。いてくれて嬉しいのに。
 名前がこの状況に後ろめたさを感じていることは、神としてというよりも、デンデ自身の感覚で何となく分かる。それは人の気持ちに敏感なデンデ自身の資質だ。だからこそ神に向いているのだと、元神であるピッコロなどは常々思っている。言わない辺りが元大魔王様だが。
 確かにこの場にいるのはビーデルを除けば古馴染みの仲間ばかりだ。名前は悟飯とビーデル以外とは今日会ったばかりだという。チチとは電話で話したことがあるらしいが、それでも会ったことは無い。
 しかも名前と彼らの接点である悟飯はいない。
 名前にとっては居心地の悪い空間なのかもしれない。
 デンデはちょっと悲しくなった。
 名前のことが好きだと思う。悟飯の友達ということらしいが、それだけじゃなくて。デンデが、名前を。
 神様業だって辛いことはある。けれど皆強い人たちだから、デンデは弱音を吐けなかった。それが嫌だなんてことは勿論ないけれど、名前は零した弱音を静かに聴いてくれた。それがとても嬉しかったのだ。
 神様なんだから、と叱られてもおかしくはなかったのに。甘やかしてるわけでもなくて、神も愚痴るのかと納得しただけ。
「デンデも食うか?」
 あの後も色々話した。悟飯の話になると何故かそわそわしだしたりしたけど。気付けばお互いに敬語なんて殆ど使わなくなっていた。
「いえ、僕たちナメック星人はお水だけで充分なんです」
「ってことはピッコロさんもか」
 目の前の料理を名前の言うとおり急ぎつつ良く噛んで食べる子供たち。を、イライラした顔で見つめるピッコロ。
 にこやかなピッコロを見たことが無い名前としては何処がどう違うのかは分からない。だがこの状況でのんびりしていられるのは余程の大物か大馬鹿のどちらかだろう。
「それより名前さんは食べないんですか?」
 昨日の夜から殆ど食べていない。流石にちびっ子たちと比べることは出来ないが、デンデと話しながら食べたウェハース数枚というのはいくらなんでも少なすぎだ。
「いや、私はそんなに腹減ってないし。あの食いっぷり見てると逆に腹いっぱい? みたいな」
「……お腹空いたらちゃんと食べてくださいね?」
 本当は空いてなくても食べて欲しいけれど、地球人の食生活についてあまり詳しくないデンデとしてはそう言うしかない。サンプルが極端に少ないのだ。
 デンデの知っている地球人の女性といえばブルマ、チチ、一八号だが、一八号は食べなくとも生きては生けるらしく参考にはならない。かといってブルマもチチもそういつも会っているわけではない。要するにどれくらいの食事量なのか分からない。
「そりゃ空いたら食うなぁ」
 だから心配するなと後頭部を撫でられた。
 デンデは小さく肩の力を抜く。名前を安心させる為に。デンデが安心したと思って。
 悟飯さん、早く戻ってきてください。
 名前が悟飯は生きているというのならそうなのだろう。気は感じられないけれど、悟飯が約束を破る人ではないと知っている。
 七年前、絶対遊びに来てねとねだった自分との約束どおりいつも遊びにきてくれた。今と状況は全く違うけれど、悟飯の人柄は昔から全く変わっていないのだ。今回だって約束は守るに決まってる。
 だから。
 僕には荷が重いです。
 ちびっ子たち以外への食事を作るべく再びキッチンに戻る名前を見送りつつ、何処にいるのか分からない悟飯に向けて泣き言を洩らした。

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信じる言葉の優先順位
「なら、私は一旦家に帰ります」
「帰るって……でも、何処にいても危険かもしれないのよ」
「それなら家にいても同じだと思うんですが……」
 悟飯たちが飛び立った数十分後。
 最終的にはミスターサタンの勝利で終わった天下一武道会だが、サタンが勝利の雄叫びを上げている最中に悟空達が会場へと現れ消えた。
 突然放たれたベジータの気孔波で会場は半壊。数万単位で集まっていた観客は死傷者多数。
 何か危険が起こっている、ということは分かっていたが、具体的な事は何一つ分からない故に取りあえず気をつける、という曖昧な行動しか出来なかった。それはブルマやチチたちも、伝えた名前自身も。
 だからそのまま会場に残り、悲惨な状況を目の当たりにしてやっと飛行船に乗り込み島を離れるという行動が出来たのだ。
 島へやって来たのと同じ飛行船に乗り込もうと走り出す名前を抱え上げ、カプセルコーポの最高級マシンに駆け込んだのはビーデルだ。
 何故、と問えば火事場の枕代わりだ、と答えた。分かるような分からないような、である。
「一先ず、ここからサタンシティまで行くのは時間が掛かるから、西の都に行ってもいいかしら?」
「あ、はい。それは勿論」
 名前が頷く。
 望んで乗ったわけではないとはいえ、世界でもトップクラスの速さを誇る飛行機に乗っているのだ。否のあろう筈も無い。
「兎に角まずはベジータが……殺した人たちを生き返らせましょ」
 ブルマが当たり前のように言った言葉に、名前とビーデルは顔を見合わせた。
 代表して名前が質問をぶつける。
「あの生き返らせるって……」
「あ、そうか、二人は知らないのか」
「何て言えばいいのかな……この世には七つ集めると願いを叶えてくれる球があってさ……」
 ブルマの言葉をヤムチャが引き継ぐ。この辺りは元恋人なだけある。
 その説明に名前は数度頷いて、つまり、と言った。
「今からその七つの球を集めて、願い事で『今日死んだ人たちを生き返らせてくれ』と頼む、と」
「そゆこと」
「信じられない……」
 ビーデルが呆然と呟く。が。
「……なんでアンタそんなに平然としてんのよ」
「あのなぁ、お前が空飛ぶ事だって普通は信じられんことだろう」
 ビーデルはあっさり納得してみせる名前に頬を膨らませるが、逆にそう切り返され、確かにそうかも、と思いなおす。何しろ自分とて金色の戦士だのグレートサイヤマンが空を飛ぶことが信じられなかったのだから。
 そんな自分も今や立派に非常識の仲間入りである。喜ぶべきか悲しむべきかちょっと迷うところだ。
「そのドラゴンボールって何処にあるんですか?」
「うちに七つとも保管してあるわ。前にあったでしょ、セルゲーム。ビーデルちゃんは置いといて、名前ちゃんは覚えてるかしら?」
 名前はビーデルを見ながら頷く。ただし、と前置きをして。
「おぼろげには。緑色のゴ……虫みたいな怪物が地球を滅ぼすとか言ってたやつですよね」
 今『ゴ』って言った。
 その場の全員が思ったが、敢えて聞き返すことはしなかった。自分たちもちょっとそうかな~なんて思っていたからだ。それに望んで聞きたい名前でもない。
「で、そのセルゲームみたいなことがまた起こるかも……ってことで、ね。後、変な奴に悪用されないように」
 セルゲームみたいなことが今までに何度もあったのか。
 名前は思った。が、口に出すことはしなかった。それは今聞くべきことではない気がした。
 その時は危機を乗り越えてきたのだろう。セルゲームのように。だから、名前も今ここで生きている。
 しかし未来は分からない。
 今起きているのはもしかしたら、セル以上に恐ろしくて厄介な『危険』なのかもしれない。そしてそれを退けられるという保障は誰も持っていないのだ。
 セルゲームの時も同じ気持だったのだろうか。名前は飛行船に乗り込んでいる人々を眺めた。
 ビーデルとマーロン以外が皆名前よりも年上だと聞いた。……ウーロンとプーアルは本気で年齢が分からないが。
 その度に今の名前と同じ不安を抱いたのかもしれない。それとも絶対に大丈夫という確信を持っていたのかもしれない。それは名前には知りようのないことだ。
 けれど今の名前が欲しいのはそういうことではなくて。
 絶対的な安心感。
 ただそれだけだ。ならば、何も聞かない方がいい。
 聞いて不安が取り除かれればいいが、この場にいる人間全員が情報を持っていない。誰もがビーデル以上の情報を得ることが叶わない状況なのだ。そのビーデルも、今現在起こっている詳しい事など知りようが無い。
 気休めの「大丈夫、なんとかなる」なんて言葉、余計に不安になるだけだ。そして口を開けば名前自身がその言葉を言ってしまいそうだった。
 だから、西の都に着くまでの時間、静かに目を閉じて寝ている振りをすることにした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 感想としては、でかい。まずそれだろう。
 名前は目の前に広がる神龍の巨大な姿に目を見開いた。
 でかすぎる。というか、こんなのが空に浮いて、近隣の皆様方はなんと思っているのか。
 願い事を言うブルマたちに気を払う前に、神龍のあまりの大きさに見とれ、名前は口を大きく開いた阿呆面のままただ眺めていた。
 と。
「しっ……しまったぁ!! まにあわなかった~~~!!」
「……っどぁ!」
「悟空!!」
「孫君!」
 急に目の前に現れた悟空に名前は引っくり返り、他の連中がその名を呼ぶ。
「な、な、なに!?」
 非常識に慣れた、と言うよりも慣らされた名前とはいえ、その場にいなかった人物が急に目の前に現れれば驚きもする。
 何事が起きたのだと慌てる名前だが、悟空は焦った様子で神龍を帰し、状況を問うヤムチャを一度制し、まずは移動だと全員を集めた。
「ちょ、悟空さん!」
 私は帰る。そう言う前に。
「んじゃ行くぞー」
 悟空が宣言した途端にカプセルコーポの庭から人の気配が消え、名前にこの世の不思議を教えた。
 一瞬にして景色が変わる非常識に、彼女は呆然と呟いた。
「いや。あの。別に、ね。いいんですけど。
 何事?」
 すぐ側でその声を聞いた悟空が名前を見つめ、ああそう言えばと手を打った。
「お、悟飯の彼女だろ、オメェ」
「違います」
 きっぱりと。
 悟飯が聞けば落ち込んだまま地球の真ん中、マントルまでめり込んでしまいそうな程潔く言い切る。悟飯ならばマントルでも生きているかもしれないが。
「おい、悟空。それより説明してくれ」
「ん? あぁ」
 気の利くクリリンにより、悟飯が落ち込みそうな話題を脇に逸らす。また実際に必要な情報なのだ。
 今、何がどうなっているのか。知らないわけにはいかない。これからのことを決めるためにも。
 全員の意識が集まったのを感じたところで悟空は話し始めた。
「あぁ……よく聞いてくれ」
 
 
 
 
 今日はエイプリルフールだったろうか。
 名前は倒れ込むチチを支えながら首を傾げた。
 ずしん、と腕にかかる重さによろけると、後ろから牛魔王が支えてくれた。
 その時、脳裏に響く声があった。言われるがままに目を閉じ、そしてそのことを後悔した。
 悟空の言った状況よりも悪化しているらしい。
 バビディの耳障りな声に名前は顔を顰めた。先ほどの大会受付の男の姿が目に焼きついたまま離れない。
 早く帰って来い。思った。あんな姿になる前に。
 悟空は悟飯が死んだと言ったけれど、どうも悟飯が生きている気がしてならないのだ。
 何となくだけど。まだ実感が沸かないだけなのかもしれないけど。
 悟飯がもういない、なんて。そんなはずはないという気がしている。
 神龍を見た後だから、というのもあるだろう。四ヶ月後にはまたあの龍に会えると言っていた。だから悟飯はその時にまた。そういうことなのかもしれない。
 けれども、だ。
 帰ってくると言った。ならば、自分は悟飯の言葉を信じるだけなのだ。
 信じて待つしか出来ないのなら、そうするだけだ。
 漸く起きて来た子供たちに、また語りかける声に耳を塞いだ。全く意味は無かったけれど。
 誰だって自分の命は惜しいのだ。次に、親しい人の命。
 だから、トランクスの名と西の都のことを教えた人間に憤るのも可笑しい気がする。
 自分もまた同類なのだろうと名前は思う。もし立場が違っていたら、名前もまたバビディへと告げ口をしていたかもしれない。
 しないのは、彼らが悟飯の友人知人だからだ。
 神殿の中では悟空やトランクス、悟天がフュージョンの練習をしている。二人の人間が一人になるなど有り得ない、と言いたかったが、彼らは何でもありなのだと納得している。
 こん、と踵を鳴らす。
 このだだっ広い神殿ではそんな小さな音は誰にも届かない。
 両親はどうしただろうか。
 名前はぼんやり考える。悟空の勢いに押されてこんなところまで着いてきてしまったが、今もバなんとかと魔人ブゥが暴れまわっているのだろう。
 側の柱に頬をくっ付けてみる。
「冷たくないですか?」
 後ろから優しい声が聞こえた。
「え、あー……神様」
 地球の神のデンデです。
 そう自己紹介された時は流石に驚いた。まさか神様なんて存在があるなんて思っていなかったから。
 しかも、神様の上に界王、さらに上に大界王、そのまた上に界王神がいるというのだから。
 その界王神様とやらは武道会でマジュニア……ピッコロと当たった少年だという。
 この分では大界王神なんてのもいるかもしれない。
「いや、ちょっと、どうなってるのかと。両親が家に……いや会社かな? ブゥの腹かもしれないけど」
「……あの、もし、家に帰りたい、って思ってらっしゃるなら、僕がお送りしますよ?
 その、神殿が絶対安全とは断言出来ませんけど、下界よりは安全だと思うんです。だから、名前さんがよろしければ、ご両親も一緒にここへ……」
「いえ、私は……成り行きでここにいるだけなんで」
 確かに名前は悟飯の友人だと自負しているけれど。それならば人当たりの良い悟飯は他にも友人がいたわけで。
 何も名前だけがここでのうのうと拾った幸運を享受している理由は無いのだ。
「本当は……地球の皆さん、ここに来ていただけたらいいんですけど……」
「無理、ですよね」
「はい」
 キャパシティの問題もあるだろう。だが、それ以前に。
 ここは神殿なのだ、と。そう説明された。神の住む、神聖な場所なのだ。
 本来ならば名前とて足を踏み入れられる場所じゃない。
 ただ悟飯の友人で、たまたまその家族と一緒に行動していたから、この場にいるというだけの。
名前さん、僕は、神です。全然、勉強することの方が多い、新米の神ですけど。でも、僕は地球の神です。だから、地球の皆さんのことを一番に考えるのが当然なんです……今はまだ、出来ることも少ないですけど。
 だから、名前さんがここにいてくれるのが嬉しいんです。神殿を……作ったのは僕じゃないけど、少しは、お役に立ててるのかな、って思えるから」
「……ありがとうございます」
「言ったでしょう、当然だ、って」
 デンデが笑うと牙が見える。けれどピッコロと違ってとても幼く見え、そこが可愛い、なんて言うのは神様に失礼だろうか。
「僕、も。待つしか出来ないんです。神様なのに」
 ぽつん、とデンデが呟いた。
 その声に滲んだ感情は、名前も身近に感じたことがある。しかも今日。
「……帰ってこいやー、思いますよね」
「思います。出来れば早目に。
 僕が出来ること、本当にちょっとしかないんです」
「でも、あの……ドラゴンボール? は神様がいないと使えないんでしょう。それって、凄いことですよ」
「僕が作ったわけではないんですけど……でも、僕がいることで何かお役に立つなら、嬉しいと思います」
 ほっこりした顔で笑う。やっぱり可愛い。
 名前は何となく腕を伸ばし、そのツルツル頭を優しく撫でた。
 デンデは驚いたように目を丸くしたが、すぐに照れた顔でえへへと笑う。嫌がっている様子は全く無い。
「悟飯さん、早く帰ってくるといいですね。名前さんのところに」
「うん」
 ぽそりと当然如く告げられたデンデの台詞。名前はナチュラルに頷いて。
「いや、皆のとこにな!?」
 敬語も忘れて真っ赤な顔で付け加えた。

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心臓が凍る前に
 嘘だ。
 名前は目を見開いた。
 武舞台の上では悟飯が二人ががりで取り押さえられ、ナイフだか注射だか分からないが、巨大な錐のような物に突き刺されている。
「まだ、試合中だ」
 立ち上がっていたらしい。ヤムチャに腕を掴まれ、再び座らされる。
 じろ、と睨みつける。この手を離してくれたなら、今すぐにでも駆け出すのに。
 だからこそヤムチャが視線の鋭さに腰を引きつつも名前を留めているのだと気付かない。気付く余裕も無い。
「あいつ等はヤバい」
「なら、尚更、孫が」
名前ちゃんが行っても何にもならない。本当にヤバいなら悟空がどうにかする。君が行っても怪我するだけだ」
 ぴしゃりと言われる。
 分かっている。つい先ほどそれが悔しいと、もどかしいと思い知らされたばかりだ。
 ヤムチャの言うとおりだと心では思っている。何もしないことが自分に出来る唯一のことなのだと。名前が向かって行ったとしても、悟飯を押さえつけられるような連中が相手では腕の一振りで弾き飛ばされるのは目に見えている。
 もがく。腕はピクリとも動かない。悔しさの余り眩暈がした。
 何も出来ないのではない。してはいけないのだ。
 けれど、目の前で。悟飯が。
 一瞬、力を抜く。体の緊張を抜いて、座りなおす。
 そして。
 
 
 
「あっ、名前ちゃん!!」
 ヤムチャの手が離れた瞬間に駆け出した。
 視線の先には悟飯。階段から滑り落ちそうになっても走りながら体勢を持ち直す。
 武舞台と客席を隔てる柵を乗り越えたのと悟飯が倒れこむのとが同時だった。
「っ、孫!!」
「……名前さん……?」
 武舞台に飛び乗り、悟飯に駆け寄る。隣に誰か座り込むが、確認する余裕などない。
 庇うように悟飯に被されば、静かに肩を叩かれた。
「治療するだけだ」
 声の方を見れば、悟飯の対戦相手。
 担架を運んできた救助員を制し、悟飯の背に手を置く。そして数秒。
「ふぅ、もういいぞ孫悟飯」
 疲れた様子で身を起こす。同時に悟飯もまた身体を起こした。
「あ……」
「孫」
 何事も無かったかのような動きに名前は息を零した。安堵。漸く動悸がしだした。
 足に力は入らない。だからしゃがみこんだまま。
 悟飯は膝を突いた状態で名前を見た。そして。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
名前さん、女神様みたいです」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ぽつりと呟く。
 名前は数瞬、目を驚きの形に見開いて。
「孫……」
 華やかに。
 鮮やかに。
 女神の名に恥じぬ笑みを浮かべ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「てめぇ人が心配してりゃ能天気に馬鹿なことほざきやがって……!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ぎゃっ、いた、いた、痛い痛いいたたたた痛いいた、痛いです名前さんっ!
 後頭部、後頭部がゴリって、ごりっていったいっ、たたたたたすごい頭、ごつって、ごりごりいってる、名前さん、名前さん、ねぇ、痛いです」
 スパーン、と気持のいい音を立てて悟飯の顔面を張り飛ばし、そのまま引っくり返った悟飯の後頭部を武舞台にこすり付ける。
 悟飯の足がじたばたもがいて武舞台に叩きつけられるが、勿論助けられる人間などいるはずもなく。というかその場の全員が二人のやり取りをぽかんと見守っている。
 ビーデルだけはきょとんとした後、ちょっと泣きそうな顔をした。
 そんな周囲の動揺には気付かず、名前は悟飯の頭をぐりぐりと押さえつける。
「いたっ、いたたたたいっ、何で、何を、何が、怒ってるんですかぁぁあああ!?」
「黙れ」
 息が止まるかと思ったのに。泣くのが嫌いな自分が危うく泣いてしまうかと思ったのに。心臓を握りつぶされるかと思ったのに。
 脳みそに春が来たのか、と。問いただしたい。小一時間程問いただしたい。
 ちょっと視線をずらして悟飯の胸を見る。
 そこには血は流れていないまでも、服には無残な穴が開いていた。
 悟飯の頭を押さえつけていた手をはずし、そっとその部分に触れてみる。温かい。むしろ血の気の引いた名前の手よりも少し熱いくらいで、その体温にほっとした。
 落ち着かないのは悟飯である。
 何だか分からないけれど体が動かなくなって、何だか分からないものに刺されて、何だか分からないうちに力が抜けて、何だか分からないけど名前に抱きしめられて、何だか分からないけど怒らせて、今はその手が悟飯の身体を柔らかく撫でている。しかも滅多に見ることの出来ない種類の微笑で。
 嬉しいけれど、居心地が悪い。このまま抱きしめたいけれど、理性がそんなことをすれば嫌われると訴える。
 二律背反。
 金縛りとはこういうことか。浮いた手を何処に置けばいいのか分からず固まったまま。
 ここで何故怒られたのか分からないからこそ怒られるのだが、そうアドバイスをしてくれるかもしれない男は現在観客席。
「動ける、か?」
「あ、はい」
 問われ、立ち上がりながら頷く。そこで漸く自分を見つめる目に気付いた。
 一人はキビト、もう一人はいつの間に来ていたのかビーデルだ。
「どういうことですか……?」
「いっしょに来い。何もかも話してやろう」
 言って、飛び立つ。悟飯はその姿を見送ったが、考えるまでもなく追おうとし、くるりと名前に向き直った。
「僕、ちょっと行ってきます。名前さんは……ブルマさんたちと一緒にいるか、家に帰った方が安全かもしれません」
「……分かった。取りあえず、ブルマさんたちにも伝えとく……けどまだ何が起こってるか分からないんだろ?」
「はい、きっと父さんたちを追いかけながら話してくれるつもりだと思います」
 分かっているのは悟飯が向かうだろう先に危険があるということだけだ。
 引き止めたい。名前は思った。
 しかし悟飯はもうキビトを追うと決めている。名前がどうこう言っても覆しはしないだろう。
 ならば仕方ない。名前が頷きかけた時。
「私も一緒に行っていい?」
 ビーデルが歩み寄りながら口を開いた。
「いっぱい知りたいことがあるの。お願い」
 その目は断られようが何が何でも着いていく、と告げている。
 悟飯の止めた方がいい、という言葉にも頷かず、危なくなれば必ず逃げるという約束で同行を了承された。
 羨ましいな。名前は正直に思った。
 キビトは飛んでいった。悟飯も飛べる。ビーデルは先ほどの試合で飛んで見せた。
 名前は飛べない。
 飛べたとしても自分の身も守ることが出来ない。傷つくのも怖い。
 そこがビーデルとは決定的に違うのだ。
 ビーデルならば。
 先ほどあれだけ痛めつけられたにも関わらず、知ることを、危険と係わることを恐れないビーデルならば。
 きっとずっと悟飯の側にいられるのだろう。そう考えると指先が冷たくなってくる。
 名前に出来るのは待つことだ。それしかない。だから。
「あんまり、怪我するなよ」
 大会の前に軽く告げたのと同じ言葉を、今度は切実に。
「お前も」
「分かってるわよ」
 ビーデルに向き直る。これもまた本心。同級生の訃報など誰が聞きたいと思うものか。
 名前の気持を感じ取ったのか、ビーデルもしっかりと頷いた。
「じゃあ、行ってきます」
「ん……早目に帰って来い」
「はい」
 悟飯が微笑みながら頷き、そして飛び立つ。
 並んで空へと消えていった二人を見送ると、今の話を伝えるべく名前もまた駆け出した。

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持つ者、持たざる者
「ビーデルさん! 棄権するんだ!!」
 悟飯の叫び声が聞こえる。
 してたまるか。
 ビーデルは折れた歯を吐き出しながら思った。
 まだ初戦なのだ。この後、三回も試合がある。こんなところでもたついていられない。
 これしかないのだ。
 悟飯の気持が名前に傾いているのは知っている。見れば分かる。分かるが、だからそこではいじゃあね、なんてあっさり気持ちの切り替えなど出来るわけがない。そんなに簡単な気持ちじゃなかった。と、今思い知っている。
「ビーデルさん!」
 名前を呼ばれるのが嬉しい。こんな時にナンだけど。
 例えば悟飯が嬉しそうに図書室に行くとき。ビーデルは彼を止めることも出来なければ共に歩くことも出来ない。
 人に気を使わせるのが嫌いな性質なのだ。ビーデルが付いて行けば彼らは決して嫌な顔はしないだろうけど、決してビーデルに分からない話題も出さないだろう。
 名前の知られていない作家や評価の高まりつつある学者、とある分野でよく使われる言い回しや分かり辛い表現に対する文句。そんなのも全部封じ込めて、ビーデルのレベルに合わせて話してくれる。
 それがたまらなく嫌だった。
 ビーデルにだってプライドはある。ミスターサタンの娘としてじゃなくてビーデルとしてのプライドだ。
 誰もが当たり前のようにミスターサタンの影を見る中で、悟飯はミスターサタンの影どころかビーデル自身さえも見ていなかった。人は悔しさをバネに強くなるとはよく言ったものだ。お陰で悟飯のことが気になりだしたのだから。
 しかしビーデルは出遅れ、望んだ場所にはビーデル以外の少女が無愛想に立っていた。
 だから、これしかない。
 この試合さえ勝てば、次は悟飯との試合なのだ。
 左肩から先の感覚はもう全く無いけれど、せめてこの相手に勝てば、悟飯と試合が出来る。
 名前は本が好きで、武道が苦手。ビーデルは読書は好きではないけれど、武道が得意。
 自分に出来ることで勝負しないでどうやって勝てるというのか。単純な勝ち負けで判断出来ることじゃなくても、少しでも自分の良い所を知ってもらいたいというのは恋する乙女の自然な感情じゃないだろういか。そのアピール方法が些か荒っぽいのは承知の上、だってこれしかないのだから。
 だから、
「邪魔、しないでよ……っ」
 もたつきながらも何とか立ち上がる。が、鳩尾に一発くらってまたダウン。喉の奥から熱い塊がこみ上げた。
 まずい、と思ってもだからどうこう出来るというわけでもない。再び立ち上がろうとするがその背を大きな足で踏みつけられてリングに貼り付けられてしまった。
 悔しい。折角いいところを見せようと思っても、逆にボロボロにされて。いいところどころかみっともない所を見せている。
 せめて健闘出来ていたなら。そんな弱気な考えが脳裏を過ぎった時。
「死ぬ気かテメェ!!」
 驚いた。心底驚いた。驚きのあまりスポポビッチを跳ね除けて、その頭に踵落としを食らわせてしまった程度には驚いた。その後すぐに振り投げられてしまったけれど。
 ビーデルの鼓膜が確かなら、今の声は。
 スポポビッチに意識を向けたまま、聞こえた声の持ち主を探そうとする。が、出来なかった。
 がつん、と頭に衝撃が走った。頭が痛い。このまま割れてしまうんじゃないだろうか。そう思った。
 殆ど意識を失いかけていた時、急に体が浮いて柔らかいものの上に寝かされた。
 そこで漸く自分は負けたのだと知る。
 運んでくれたのが悟飯ということは何となく分かった。
 良かった、嫌われていない。ビーデルは悟飯に食べさせてもらった仙豆を咀嚼しながら思った。
 あれだけみっともない姿を見せたのだから、情けない奴と思われたかもしれない、と悲しかったのだ。
「な、治ってるー!!」
 ベッドの上に立ち上がる。驚く看護士と父親の顔もはっきり見える。
「って、こうしちゃいられない!」
 悟飯の応援に行かなければ。慌てて靴を履く。
「お、おいビーデル、あんな奴パパは許さんぞ!?」
「じゃ、行ってきます」
 喚く父親を無視して医務室を出る。子煩悩な父には悪いが、娘にも引けない時というものがあるのだ。
 ビーデルの鼓膜が確かなら、あの時の声は。
 名前だ。
 確信する。なんだ、と思った。結局悟飯が心配なんじゃないか。
 そうと分かればこんなところで油を売っているわけにはいかない。失地回復しなければならないのだから。
 何となく、笑みが零れてきた。
 相手になどされていないのかと思っていた。ビーデルがどんなに焦っても歯牙にもかけられていないのだと思っていた。けれど違うのだと。名前も同じように不安も苛立ちも抱えていたのだと。
 やっと分かった。
 でなければ、こんな所までくる筈がない。
 イレーザたちの誘いは断ったと聞いた。なのにいる。
 どれだけ負けず嫌いなのだろうか。そう思うと更に愉快だった。
 武舞台へ続く廊下をかける。もう少し。悟飯は次の相手に勝って、あいつをやっつけると言ってくれた。ビーデルにはそれを見届ける義務があるのだ。
 早く。もつれる足ももどかしく、悲鳴にも似た足音を立てて廊下を一気に駆け抜けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 周囲のきょとん、とした顔に名前は我に返った。
 ヤムチャの大きな手に目隠しされて。中々外されぬ手に苛ついた。
 ヤムチャに対してではなく、ビーデルに。
 ビーデルに勝ち目など無いということは素人でも分かる。素人以前の名前でも。
 あれだけの悲鳴を上げて、肩を潰されて、それでも「降参」の一言を言わない。
 意地っ張りなのか、プライドが高いのか。負けず嫌いということはよく分かる。けれど相手にもよるだろう。
 これが悟飯とだったなら。やっぱりこうなるまで降参しないのだろうか。いや、悟飯ならビーデル、というか女相手にここまで痛めつけることなどしないだろうが。
 そう考えるとちょっと苛っとした。
 悟飯ならば、手加減をせず、それでも自分との力の差を見せ付けるのだろう。気を使って、なるべくビーデルが傷つかないように。
 また更に苛っとする。
 自分はあの場所に並んで立つことは出来ないと知っているから。
 これは名前のエゴだ。ビーデルが自分の意思で戦いを続けて、悟飯がそれを見届ける。そこに名前は関係ない。
 名前は武道なぞ興味が無い。殴るのも殴られるのも嫌いだ。ツッコミは兎も角。
 だから、殴られても笑って「強いな」「お前こそ」なんて言う連中は嫌いだったし、自分の欲望の為に暴力を振るう奴なんて言語道断だと思っている。勿論今でも。
 しかし、だ。
 ふるわれる暴力に対抗するには、同じかそれ以上の力を持っていなければ止めることも出来ないのだ、と。思い知った。思い知らされた。
 震えるだけの名前を救ったのは、あの衝立の向こうで多分きっとハラハラしてるかイライラしてる、サングラスの似合わない男。
 そいつの動揺は全てビーデルの為。それだけのものを向けられいているのに。
 こんな相手に殺されるなんて許さない。
 思った瞬間に叫んでいた。
 ゆっくりと光が目に入ってくる。それと同時に試合終了のアナウンスが流れた。結果は勿論ビーデルの負けだ。
 観衆の安堵が広がる。ビーデルが負けたことよりも、殺されずに済んだ無事を喜ぶ。それだけ彼女が愛されているということだ。
 控え室への通路から悟飯が飛び出し、ビーデルを抱えて医務室へと運んでいく。
 名前はホッとしたような、心臓が締め付けられるような、二つの感触が嫌で、離れていくヤムチャの手を目で追う。すると楽しそうに笑う顔とぶつかった。
「今の、見えた?」
 今の、と言われても分からない。名前の視界が開けたのはたった今だ。
 首を横に振るとヤムチャはくつくつ笑った後で教えてくれた。
「すごい、踵落とし」
 ビーデルが、だろう。でなければこんなに楽しそうにしているはずがない。
名前ちゃんのさ、大声にびっくりして踵落とし」
「何ですか、それ」
 びっくりして踵落とし。ぶっちゃけ有り得ない。
「彼女は大丈夫だよ。多分、悟空が仙豆持ってきてくれるだろうから」
「仙豆……?」
「ま、万能薬みたいなもん。すぐ良くなるさ」
「はぁ……」
 万能薬と言われても、名前にはピンと来ない。一先ず、修羅場が終わったことにただ安堵した。
 小さくため息を吐いたところで、そう言えばマーロンの目を塞いだままだったことに気付いた。慌てて手をずらせば、案の定少し拗ねたような顔。
「……ごめん」
「………あのお姉ちゃん、大丈夫?」
 やはり武道家の娘らしい。ビーデルの受けたダメージが並々ならぬものと理解している。
 拗ねた口調ながらも気遣いを見せるマーロンに、名前はぎこちなく笑みを作って「大丈夫だよ」とヤムチャと同じ言葉を囁いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 アノ馬鹿ガー。
 名前はボソリと呟いた。
 言ったはずだ。自分は確かに言った記憶がある。そしてそれは伝わったはずだ。が。
「頑張れよごはーん!」
 シャプナーが大声で叫ぶ。声量の割りに気が入っていないのは、ここで悟飯が負けると思い込んでいるからだろう。
 確かにアレが勝つとは思わんわな。
 名前は唇の端を引き攣らせながら悟飯を見る。既に武舞台の上にはバンダナとサングラスをつけたグレートサイヤマンの姿は無い。妙ちきりんな格好をした高校生の姿があるだけだ。
 対戦相手は顔色の悪いおっさんその二だ。余裕の表情で悟飯を見つめている。
 試合開始の合図と共に悟飯が構える。が、相手は構えるどころか何か話しかけている。
 名前は首をかしげた。他の観客も何だ何だと身を乗り出す。その距離では乗り出しても二人の会話が聞こえるということもないのだが。それが人の習性というものだ。
 中々試合が始まらないもどかしさに野次を飛ばす観客にチチが怒鳴り返したりしているうちに話もまとまったらしい。しばし躊躇を見せた悟飯だが、意を決したように気合を入れだした。
 じわじわと空気が変わる。
 何か異変が起こっているということを感じ、名前は眉を顰めた。ゆっくりと押し寄せてくる圧迫感。周囲の観客も同じように感じているらしい。
 次の瞬間、悟飯の髪が金色に染まった。
 観衆が一斉に息を呑む。
 その中で名前は小さくため息を吐いた。あーあ、というやつだ。
 子供の部で既にトランクス、悟天が髪を逆立て金色に染めている。その時点で何となく、とは思っていたのだ。
 名前とてサタンシティに現れた謎の正義の味方の噂を聞かないほど人付き合いが悪いわけではない。そして目の前で見せ付けられた非常識な力、変化する髪の色。
 読書で鍛えた想像力は微妙な形で正解を生んだ。
 しかし、だ。悟飯は目立つのは好きじゃないはずだ。それにこうして正体を明かして、騒がれないでいると思うほど鈍くも無い。
 ということは、正体が知れるリスクを犯してでも「金色の戦士」になる必要があったということだ。
 それだけ強い、ということだろうか。あの顔色の悪いおっさんが。
 名前が首を傾げた時、武舞台の端から飛び出す影があった。

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手元にチャンネルがあったなら
「あー、遅くなりまして……」
名前ちゃんお帰りなさー……どうしたのその頭!?」
 一応トイレに行くという名目で出てきたのに、かなりの時間を食ってしまいあまつさえ迎えまで寄越させてしまった。
 元の席へ戻り、真っ先にそのことを名前が謝ろうとしたのを遮ってブルマが驚愕の声を上げた。
「頭?」
「頭、って言うか髪。ぐしゃぐしゃじゃない」
 ぐしゃぐしゃな髪。で、思い当たることと言えば今の名前には一つしかない。
 しれっと後ろの席に座ろうとしているヤムチャを睨むと、てへvといった顔で笑われた。それで誤魔化しているつもりらしい。
 名前の視線でブルマたちも気付いたらしく、呆れた顔でヤムチャを見つめる。その視線に長身を縮こまらせるヤムチャの姿はどうにも憎めない。
「いいですよ、櫛ありますから」
 ため息混じりに言うとパァ、と表情を明らめた。これで悟飯の父親よりも年上だと言うのだから間違っている。というか、悟飯の知人は年齢不詳な人間が多い気がする。
「ゲンキンな奴ねぇ」
 呟くブルマもその隣で苦笑している悟飯の母・チチもだ。プーアルやウーロンは猫(?)と豚なので兎も角、亀仙人など最近は年を数えるのも面倒で覚えていないらしい。どっちにしてもスケベじじいには変わりないもの、というのはブルマの言だ。
 最も年相応なのは牛魔王とこの場にいない悟飯、悟天、トランクスくらいだ。彼らの父親は年齢不詳筆頭なので却下である。
「今頃くじ引きしてんのかしら」
「一回戦で悟空と悟飯が当たったりな」
「それだとクリリンが大喜びじゃろうの」
「セコっ」
 賑やかしく対戦表の予想をする彼らを眺めながら名前はバッグから取り出した櫛で髪を梳く。
 そう長い髪でもないので数度梳かせばすんなり元に戻る。
 その間も物問いたげなブルマの視線は丁重に無視して差し上げた。今はまだブルマの相手を出来るほど気力も体力も回復していない。
「お、対戦表出来たらしいぞ」
 ウーロンの声で掲示された対戦表に視線が集まる。
「いきなり悟空とベジータかよ」
 荒れそうだぞこりゃ。呟くヤムチャはしかしどこか楽しそうだった。
 やっぱ出たかったんじゃないだろうか。
 名前が見上げると、ヤムチャはちょっと笑って名前の頭を掴んで武舞台へと向ける。内緒、ということらしい。口止め料の代わりか、頭上からカップジュースが降りてくる。その後ストローも降りてきたので名前は素直に受け取った。人には言いたくないことも多々あるのだ。
 ジュースをズズー、と啜りながら父親の対戦相手を見て不安がるマーロンを宥め、早速始まった試合へと意識を集中させた。
 が、すぐにそんな必要も無かったと思い知る。
 こんなにあっさり終わっていいのだろうか。
 はしゃいで見上げてくるマーロンに微笑み返しながら名前は感歎の息を洩らした。
 いや驚いた。
 たった今行なわれた第一試合はクリリンの圧勝で終わった。
 言っては悪いがあまり大きくないクリリンが、あれだけの体格差があったにも関わらず、相手に手出しもさせず勝利するとは思っていなかった。
「パパすごかったねぇ」
「ああ。
 ……孫の仲間ってあんなんばっかですか?」
 無邪気に笑うマーロンに笑い返しておいて、隣に座ったブルマにこっそり質問する。
 名前の質問に、ブルマは人の悪い笑みで返答した。
 つまり、悟飯が五人いると思えばいいのだろう。ぶっちゃけ他の連中が彼らの相手になるとは思えない。先ほどだって試合にすらなっていなかったのだ。
 これでは他の試合も似たような結果だろう。
 名前は他の対戦相手へと哀れみの視線を送った。のだけれど。
「試合放棄?」
 マジュニア対シンの試合はマジュニアもといピッコロの試合放棄で幕を閉じた。
 観客だけでなく、武舞台の向こう、控え室との間に置かれた衝立の陰で悟飯たちも意外そうな顔をしているのがちらりと見えた。彼らにとってもピッコロの不戦敗は驚くべきことらしい。
「どういうことでしょう?」
「あのシンって選手がすごく強そう……には見えなかったけど」
「そもそも、そんなことで棄権するような性格じゃないじゃろ、あやつは」
 言う亀仙人に皆が頷く。名前はピッコロがどういった人物かは知らないのでそうなのかと思うしかない。
 しかしそれだと尚更今の試合結果が納得いかなかった。それは周りの人間にとっても同じことらしいが。
「何か……別の意味で荒れそうね……」
 眉を顰めて呟いたブルマの声がやけに耳に残った。
 
 
 
 
 
 
 
 咄嗟に出たとはいえ、結構いい動きをしていたと思う。
 名前は武舞台で行なわれている試合に胃をもたれさせた。その膝の上ではマーロンが少し苦しそうに動いている。しかし名前はその手をどかすことはなかったし、それを誰も咎めなかった。
 第三試合。
 ビーデルとスポなんたらという選手の試合は、始めこそビーデル有利に思われていたのだが、今は全くその逆だった。完全にビーデルが押されている。
 武舞台からは遠い所為か歓声に消されて音は聞こえないが、名前の目にはビーデルが血に塗れていく様が見えていた。
 マーロンの目はスポなんとかの首が一回転した瞬間に塞いだ。その時は手加減無しのビーデルに血の気が引いたのだが、今はそれどころじゃなかった。
 首を一回転させられて生きている人間などいない。いないのが普通だったのだが、スポなんとかはビーデルの攻撃を受け、首の骨が折れたはずで、しかし現実に生きている。そして更に今度はビーデルを甚振っている。
 これが武道会なのだろうか。人殺しなどもっての外ではないのだろうか。その為の『相手を殺してしまったら失格』という大会規定ではなかったのか。
 一際どよめきが大きくなり、ビーデルが武舞台に倒れこむ。詳しくは見えないが、その左肩が妙に下がり、腕がぶらぶらと揺れているのが分かった。
 名前は座ったまま後退りした。その背にすぐ近いところにあったヤムチャの脚が当たって後退りしていたことに気付いた。
 見ていなくてはいけないのだろうか。武道会の観戦に来たのだからこのくらいは当たり前なのだろうか。周囲がこんなに叫んでいるのも相手がビーデルだからで、これが他の選手だったら名前のように硬直なんてせずに落ち着いて観戦しているのだろうか。
 嫌だな。思った。これ以上同級生が傷つくのを見たくない。
 またビーデルが倒れこんだ。今度はここまでビーデルの叫び声が聞こえてくる。
 本当に殺されるんじゃないだろうか。そんな声……悲鳴だった。こんな悲鳴を名前は聞いたことがあった。
 
 助 け て 。
 
 助けを呼ぼうにもここにヒーローはいない。ヒーローは衝立の向こう側だ。声は届かない。
 まただ。名前は絶望する。また、自分はこうして怯えて震えているだけだ。
 しかも、今度は自分が殺されるわけでもないのに。傷ついているのは自分ではないのに。
 身動きどころか息すらも出来ないでいる。
 あれだけ五月蝿かった周囲の声すらも聞こえない。助けて欲しいと心底思った。
 この際悟飯にだなんて贅沢は言わないから、どうかここから逃がしてくれる人なら誰でもいい。身体を動けるようにしてくれるだけでいい。
 縛られているわけではない。動くなと命令されているわけではない。
 まして銃を突きつけられたわけでもないのに少しも動こうとしてくれない身体に嫌気がさし始めた時、すっと視界が暗くなった。
「あんなの武道の試合じゃないよ。あれは暴力だ」
 ゆっくりと、一つ一つの言葉を大事に話しかけてくる。
 目の周りがじんわり温かい。それでやっと視界を遮っているのが誰かの手だと気付いた。
「悪ガキが固い棒きれかなんか見つけて振り回してるようなもんだ。手に入れた力にはしゃいでるんだよ」
「……やむちゃさん……?」
「うん」
 少し固い手が熱い。
「今だけ代わり」
 誰の、なんて。ブルマもチチも試合に気を取られているが、それでもわざわざ口に出さないセンスは悪くない。
「何なら胸も貸すけど」
「そっちは結構です」
 ヤムチャの軽口を丁寧に拒否する。声が出るようになっている。
 宿り木みたいな人だ。名前は思った。
 その身を誰かに差し出すわけでなく、勝手に伸びた枝の下に名前がいただけ。通り雨が止めば好きに出て行けばいい。だから何も気にすることは無い。
 通り雨を防ぐための傘を持っていないのだから適当な所で雨宿りしても誰も咎めない。今傘を持っている人も、持っていない時にはどこかで雨宿りするのだから。
「大丈夫、死なない。悟飯が死なさない」
 知ってる。悟飯ならきっとビーデルを助ける。名前を助けたように。
 流石に恋敵といえど、その死を願うほど名前は落ちぶれていない。そもそも死に掛けている人間を助けない悟飯だったら惚れてもいない。
 だけど、はっきりと言葉にしてくれるのが嬉しくて、名前は小さく頷くだけに留めた。
 何となく、ヤムチャさんが結婚出来ない理由、分かったかもしれない。
 失礼だがしかし名前はぼんやり想像する。
 雨が上がれば宿り木は去られる。つまりそういうことだ。そこで引き止めれば今ヤムチャの隣には女の人が座っているのかもしれないが、いないのだから引き止めないのだろう。
 それでも今の自分にそれは関係ない。
 温かい手に頭を撫でられながら、名前はゆっくり深呼吸した。

#DB #孫悟飯

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滑って転んで気付く前に落ちている
 天にも昇る気持とはこのことだろうか。
 悟飯は緩む頬を押さえきれず、コツコツとテーブルを人差し指で叩いてリズムをとる。が、その指先が先ほどからテーブルを突き抜けて木の屑を撒き散らしていることに気付いていない。
 ビーデルと合流し先に会場へと向かった悟空たちの後を追い食堂に入り腹ごしらえ。何故か食事をしないビーデルに首を傾げつつお腹一杯になれば思い出すのは名前のこと。
 学校ではいつも食事の後に名前のデザートが差し出され、それを二人で食べるのが習慣だった。
 喧嘩も殺し合いも大嫌いだけど、純粋に強くなるのは好きだった。だからこの大会も強制参加とはいえ、そう嫌なものではなかった。
 けれど、毎日当たり前に存在していたものが急に消えるというのはこんなに寂しいものだったのかとこの一ヶ月で痛感したのも確か。
 だけど優勝したら。
 悟空もベジータも参加する大会で、確かに難しいとは思うけれど、困難が多い冒険ほど宝物を手にした時の喜びは大きいであろうし。その宝物が宇宙一の宝と知っているのだから、現在の悟飯は鼻先に人参をぶら下げられた馬のようなものだ。
「悟飯落ち着け」
「はい、落ち着きます!」
 ピッコロの完全に引いたような視線にもにっこりにこにこ笑い返す。
「悟飯、メシもういいのか?」
「はい、充分食べました!」
 未だ頬袋を作りながらの悟空の質問にもにっこりにこにこ笑い返す。
 おかしい。悟飯がおかしい。
 その場にいる悟空以外の人間は悟飯の様子がおかしいことに気付いていた。いたがしかし。
「悟飯君、浮かれすぎよ。もうすぐ試合だって分かってるの?」
「そうですね、最初は誰と当たるんだろう」
「そんなのくじ引きしてみないと分からないわよ」
 ビーデルの不機嫌な様子で大体の察しはつくというもの。
 そも、悟飯をここまで浮かれさせることが出来る人物など限られている。そのうちの一人がここで疑問符を撒き散らしているのだから、となれば……と想像力で充分にフォロー可能だ。
 詳しいことを聞いてみたいが、ビーデルに話しかけるとあまりにも恐ろしい形相で睨まれるので誰も何も聞くことは出来ない。
 クリリンの物問いたげな視線を気力で無視し、ビーデルはぎりりと奥歯をかみ締めた。
 ビーデルとしても言い分はある。
 トイレに行ったにしては妙に遅い悟飯にやきもきしていた所、頭に花を咲かせた悟飯がスキップでやって来たのだからそりゃあもう。その場で怒鳴りつけなかっただけマシな筈だ。
 もしかしたら、と思うこともある。
 ビーデルとて今日イレーザたちが自分の応援に来ていることは知っている。何せ大々的に学校で応援団の参加者を募っていたのだから。そしてその中に名前はいなかった。つまり。
 ビーデルの自称鋭い推測では、悟飯はトイレに行ったふりをして、名前に電話でもかけていたに違いない。
 実際は電話どころか本人に会っていたのだが、神ならぬ身であるビーデルにそんなことが分かるはずもない。どちらにしても名前が原因だろうということはこれまでの悟飯の行動を見ていて分からないわけがないのだ。
 どうせ大会でいいところまでいったらお腹一杯ご飯を奢ってもらうとか、そんな約束でもしたのだろう。こんな時女の勘は妙に鋭くなるのだ。
 料理なら自分にだって出来るのに。
 ビーデルは手袋に覆われた手を見つめた。
 確かに幼い頃から武道を嗜んでいる所為で同世代の女子高生よりは無骨な手かもしれない。家で働いてくれているコックたちに比べたら劣るかもしれない。
 けれど悟飯が望んでくれるなら、そのお腹が一杯になるまでだって作り続けるのに。どうしても、何があっても真っ先に名前を望む悟飯が寂しく、そして悔しい。
 こんなことならばもっと本を読んでおくべきだったのだろうか。そうすれば、悟飯と名前の話にも入れたり、悟飯に頼られたりしたのかもしれない。
 だがもうビーデルの知らぬうちに勝負は始まっており、ビーデルはリング際に追い詰められている。ならば自分にやれること、相手に出来ない技で勝負をかけるしかないではないか。
 そして名前になくビーデルにあるものといえばこれしか思い浮かばなかった。
 地球を救った男の娘として、一人の男に恋する乙女として、何が何でも優勝してみせる。やけに武闘派な考え方ではあるが、それでも彼女は本気だった。幼い頃から染み付いた習慣とはそう簡単に変えられないものである。
 はしゃいだ様子で顔色が悪く背の高い男に話しかける悟飯を睨みつけ、ビーデルはぐぐぐっと力強く拳を握った。
 もう少し目付きが悪ければ悟飯の好みだったのに、と思いながら。
 
 
 
 
 
 
 悟飯が地球上の誰よりもはしゃぎまくり、ビーデルが地球上の誰よりも力強く握りこぶしを作っている頃、名前が何をしていたかというと。
 
「 死 ぬ 」
 
 会場の壁に張り付いて物騒な台詞を吐いていた。
 
 心配そうに声を掛けてくれる心優しい人や巡回の警備員に何でもないと首を振り、それでも日陰になって冷えた壁にその白い頬を引っ付けていた。
 それじゃあここで。
 あの後、選手控え室と観客席へと分かれる道で軽く手を上げる悟飯に頷いて、名前も来た道を逆戻った。ぽてぽて歩く名前の足元に、真昼の太陽が濃い影を作る。
 あの場所から会場の入り口まで、会話らしい会話が出来なかった。
 何だか悟飯がしきりに話しかけていたようだったけれど、何と言うか、心臓の音に気を取られすぎてそれどころじゃないというか。
 一年分の拍動を一日で使い切るんじゃないだろうか。そんな風に思えるほど、名前にとって今の心臓は異常だった。
 こんなに激しい動悸など、年に一度のマラソン大会か運動会の強制五〇Mリレーの時ぐらいだ。
 このまま席に戻ってもブルマ達に面白がられるのは目に見えている。名前は自分から猛獣の巣に入り込む程馬鹿でもクソ度胸の持ち主でもなかった。
 楽しみにしています。そう言われた。
 何度も聞いた言葉だった。その度に嬉しいと思った。だけど、今日は何か違った。
「やっべぇ……」
 掠れた声で呟く。体中が熱を持ち、うっかりすると意味もなく叫び出しそうになる。
 浮かれている。そう自覚していても、だからどうすればいいなどという答えを名前は持っていなかった。故にただ一人こうして壁と仲良くなっている。わけなのだが。
「あ、いましたよヤムチャ様。名前さんです」
「おーい、名前ちゃん、そろそろ戻らないと試合始まっちゃうぜ」
 間が悪いというか。お人よしではあるのだろうと思う。思うがしかし。
「うん? 何だー、オレが格好よくて見惚れちゃった?」
「いえ違います」
 ビシ、とポーズを取ってみせるヤムチャの言葉を軽く否定する。トイレにしては遅い名前を迎えに来てくれたらしい。
 名前の返答に苦笑しつつくしゃくしゃと頭を撫でる様子は完全に子ども扱いである。流石にマーロンとまではいかないだろうが、ヤムチャにとっては同じようなものなのだろう。
 何せ悟飯は生まれた時からの付き合いと言うし、ブルマに至っては悟飯と名前が生まれる前から付き合っていたらしい。それだけ長く付き合っていて何故別れたのかなど詮索はしないが、ヤムチャの様子を見ていれば大体理由は分かる。
 今も名前の頭を撫でながらその視線はミニスカートのお姉さんの脚に釘付けだ。心なしかプーアルの視線も呆れ気味な気がする。
「ヤムチャ様、名前さんも見つけたんですからそろそろ戻りましょう」
「え? あ、あぁ、そうだな。名前ちゃん立てるかい?」
「はぁ。……別に倒れこんでたわけじゃありませんが」
「そう? まあいいや、行こうか」
 笑って手を差し出してくれる姿はまるっきりの好青年。名前はその手を取りながら、何でこんないい人が結婚出来ないとぼやくのだろうとちょっと首を傾げてみた。
 世の中には「いい人」で終わる人間もいるということを、恋愛経験値の低い名前は知る由も無かったが。
 よっこらしょ、と立ち上がれば丁度ヤムチャの手が視界の正面に入る。悟飯の手と違うけれど似ているそれに、名前は先ほどのっことを思い出して危うく倒れこみそうになった。
 気力で大地を踏みしめたのは、どうしたと聞かれても答えるには恥ずかしすぎるからに他ならない。
「ヤムチャさんも武道されてたんですか?」
 赤くなった頬に気付かれる前にと話を逸らす。が、初対面の相手との話題がそうあるわけでもない。となれば共通の知人の顔が浮かぶのは道理というもの。
 仕方無しに目に付いたものの感想を言えば、ヤムチャは素直に頷いた。
「うん。悟飯に聞いたのか?」
「いえ、孫の手と似てたんで」
「ふーん……」
 逸らしたつもりが三六〇度回転して戻ってきたらしく。
 これってもしかして自爆スイッチ? なんて。
 楽しそうな笑みを見せるヤムチャに名前の頬が一瞬引き攣った。
「いや、指、節っぽいし、筋肉ついてるし、大きいし、結構傷あるから」
「へぇ~、詳しいねぇ~」
 自爆スイッチ、誘爆。
 墓穴を掘ったことに気付き、名前はこの世の終わりを迎えたような表情になる。この場にクラスメイトや名前を知っている人間がいたら腰を抜かして空から槍が降ってこないか疑うであろう。
 だがヤムチャは今日初めて名前に会ったわけで、その希少価値には微塵も気付いていない。
 それよりも一瞬で顔色を変えた名前があまりにも真っ青で逆に心配になる。やはり「いい人」ではあるのだ。
「誰にも言わないよ。こういうのは……まぁ、他人が口挟むことでもないし」
「……そう、して、いただけると……」
 有り難いです。
 今にも消えそうな声で謝意を述べる。その様子にヤムチャとプーアルは顔を見合わせた。
 何故こんなにも色を失くすのかが分からない。
 名前と悟飯が一緒にいたのは少しの時間だったけれど、その間だけでも悟飯が名前に好意を持っていると察するには充分だったのだ。と言うよりも、あれが痴話喧嘩以外の何かに見える人間がいたとしたら、是非どういった感想を抱くのかを聞いてみたいほどだ。
 岡目八目ということだろうか。ヤムチャは首を傾げる。
 確かに物事には当事者よりも一歩引いた方がどういう状況なのかは見える場合がある。しかも恋愛事ときたら、自分の気持にも戸惑っているのだろう。
 自称恋愛の達人はそう結論付け、自分の隣をよろよろ歩く少女を見た。そして思う。
 サイヤ人ってのはこういうのに弱いんだろうか……?
 友人と元恋敵の顔を思い浮かべる。どちらの嫁さんも毛色は違うがサイヤ人相手に怖気もつかずむしろ叱り飛ばしている。特に孫家の嫁さんはそれが日常茶飯事だった。
 この子もそうなるんだろうか。そんな未来にちょっと恐ろしくなったが、同時に結構幸せそうな両家庭の姿も思い出す。
 また仲間内での既婚者といえばクリリンだが、あそこの嫁さんもキツいながらにかなり幸せそうだった。というかクリリン自身の口から「オレ今幸せ」という言葉飛び出している。
 そこまで考えて、さて自分はどうだろうかとヤムチャは空を見上げた。
 まだやんちゃ坊主だった頃、結婚に憧れを抱いていた。けれど女の子を見るとどうも緊張してしまい、我ながら凛々しい顔をしていたと思うのだが恋愛とは少し遠い生活だった。……あんな荒野を通る女の子なんて滅多にいなかったし。
 そして今、ブルマと付き合って別れて、女の子の扱いにも慣れて結構な数の恋愛をしてきた。結婚には憧れつつも、ぶっちゃけ今の暮らしも悪くないかな、なんて思っている。
 だけどたまに、たま~に、だけど。
 ちら、ともう一度名前を見る。悟飯と同い年だから、現在一六、七歳。ブルマや悟空と出会って、そのはちゃめちゃな冒険に巻き込まれて、あの狭い荒野から抜け出したのと同じ頃だ。羨ましい。その若さが。
 もう一度やり直してみたいと思うこともある。
 リセットボタンを押して、一六の頃に戻って、今後悔していることを。
 でも例えもう一度やり直したとしても、同じことで後悔するんだろうなとも思う。
 結局人は自分の望んだ人生しか送れないのだ。そう定められている。
 それがいい事か悪いことかは分からないが、ヤムチャにとってはそれで満足なのだからいいことなのだろう。今の人生だって割かし悪くない。
名前ちゃんはさ、悟飯のどこがよかったわけ?」
「は!?」
 いきなり何だ、という顔で見つめられる。名前とヤムチャではヤムチャの方が背が高い。自然名前が見上げる形になり、ヤムチャからは太陽の加減もあってその目の色がよく分かった。
 上質な漆を水晶に溶かし込めばこんな色が出るのかもしれない。
「いやさ、悟飯はもう親子みたいなもんだし……好奇心、って言ったら悪いのかも知んないけど、何でアイツを好きになってくれたのかなって」
「……孫の良い所ならヤムチャさんの方が知ってるんじゃないですか?」
「知ってるけど、オレ悟飯に惚れてないし」
 そりゃそうだ。名前は頷いた。惚れられても困る。名前とて恋敵が増えて喜ぶほどお人よしではない。
「すっとこどっこいなとこですよ」
 半分誤魔化し、半分本気。
 突っ込まれるかな、と思ったけれどヤムチャは「なるほど」と微笑んで何も言わなかった。代わりに名前の頭に再び手を置いてくしゃくしゃ髪を荒らす。
「いいなぁ、恋。してーなぁ」
「すりゃいいでしょう」
 羨ましいと思うのは、最近恋をしていないからだ。
 昔は。そうブルマと出会って都へと移り住んだ頃はそんな気持ちでいたのだろうけれど。最近は恋ではなく恋に似たゲームばかりをして、それはそれで楽しいのだけれど、例えば好きな相手のことを知人に指摘されて度を失ったり、嫌われまいかと焦ってみたり、そんな楽しみを忘れていたような気がする。
「そうなんだけどね、中々」
 しようと思って出来るもんじゃない。ということを久しぶりに思い出した。
「ヤムチャさんなら掴み取り出来るんじゃないですか」
「それ恋じゃないだろ」
「……そういやそうですね」
 頷く。
 恋はするものではなく落ちるもの、と言ったのは誰だったか。名前もよくは覚えていない。
「上手く隠された落とし穴みたいなもんですよね」
「お、上手いこと言うねぇ」
「受け売りですけど。でも、だとしたらヤムチャさん気をつけた方がいいですよ」
「足元に?」
「はぁ。予想出来ませんから」
「出来たら楽しくないしね」
「楽しいだけじゃありませんけど」
 ぶすくれて呟く姿は立派な恋する乙女だ。それが嬉しくて、ヤムチャは未だ手を乗せたままの名前の頭を更にかき混ぜた。
 プーアルが「失礼ですよ!」と困った声を出す。名前は何も言わない。ヤムチャはまだ撫でている。
「無いかなぁ、落とし穴」
「予想できる所にはないでしょうよ」
 現在進行形で恋をしている人間に言われると実感が篭もっている。
 そうだよなぁ。ヤムチャは頷いて、そっちの方が楽しいよな、と笑った。

#DB #孫悟飯

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僕のことだけ見ていて欲しい
 酷いや名前さん……。
 悟飯はその大きな図体を縮こまらせて、建物の影で静かにしくしく泣いていた。
 その場に名前はいない。
 ざく、と草を踏む音がして、悟飯の頭が力いっぱい殴られた。勿論悟飯は痛くなどないが。
 腫れた目で見上げると、ばつの悪そうな顔がそこにあった。
 
 
 
 ふわりと風に靡く白いバンダナ。
 その下から見慣れた髪型が見えた時、名前は硬直して動けなかった。
 しかしその手がサングラスにもかけられていると気付いた時。
 右手が勝手に動いていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「この馬鹿たれぇえええええ!!」
「ぶぎゃっ!!」
 
 
 素早く伸びた名前の手が、今まさに外されようとする悟飯のサングラスを思いっきり押さえつけた。
 悟飯を襲ったのは、眼鏡をかけている人間には良く分かる痛みである。鼻に接するパッドの部分が両目の鼻により近い部分を圧迫し、しかも掌を広げて押し付けてくれたものだからフレームが眼球の周りを直撃である。
 痛みには慣れている悟飯であるが、流石に目やその周辺部、神経の通っている部分はそう鍛えられるものではない。
 地に倒れ附し、痙攣を繰り返す悟飯に名前は焦った。
 何処に人目があるのか分からない場所で秘密を暴露しようとする阿呆も阿呆だが、これはちょっとやりすぎたかもしれない。いやしかし正体がバレるよりはマシかとも思うわけで。
 とりあえず今はサングラスの奥で白目をむいているであろう悟飯を何とかすることだ。
「そこにいろよ!」とだけ捨て置いて、そのままどこぞへ駆け出して。
「もっと影行け」
 こん、と悟飯の背中を膝で蹴る。
 悟飯が微かに腰を浮かせ、名前へと向き直ってその背を壁に預けたのを見届けて、名前も悟飯の前へしゃがみこんだ。
「ハンカチ濡らしてきたから当ててろ」
 差し出されたのは何度か見たことのあるハンカチ。しっとり濡れているのは、名前の言葉通りだ。
 名前の指がサングラスのフレームを掴み、悟飯の瞳が露わになる。それに驚いた様子も無く目を閉じさせると、その瞼にそっとハンカチを当てた。
 ひんやりと冷たいハンカチが、目の周りの熱を奪っていく。それが気持いい。
 ふわ、と髪に何か触れた気がするが、目を瞑っている悟飯は見えない。だからそれが。
「悪かったな」
 名前の手だと気付くのに数秒かかった。
 一気に頬が赤くなる。名前に変に思われないだろうか、と顔を俯かせるが、「ハンカチが落ちる」と頭を優しくはたかれてしまった。
「あの……もう、知ってますよね……?」
 悟飯は手にしたバンダナを握り締めながら確認する。この状態で、何も聞かないということはつまりそうなのだろう。
 現実を目の前にしてまで疑ってかかるほど、悟飯は鈍くも無い。
 苦笑する気配を感じ、名前の「うん」という声が聞こえた。
 その返事にがくりと肩を落としてため息を吐く。そんなあっさり。
「えーと、参考までに。何時から?」
「あの銀行強盗の事件の次の日」
「早っ!」
 驚いて身を起こした拍子にハンカチが落ちる。が、それどころじゃない。
「……そんなに、あの……」
「いやまあ、誰もお前に演技力求めてないから」
 どっかの誰かと同じこと言われた。しかも同じ日に。
 実際は悟飯の変身シーンを見てしまったからなのだが、がくりと首を下げて落ち込む悟飯の姿が面白いので言わないでやる。
「うー……でも、ありがとうございます」
 言わないでくれて。いつもと同じ接し方をしてくれて。
 二つの思いを込めて礼を言う。
 名前は少しの間首を傾げていたが、いつもの通り「まあいいか」で済ませた。それが少し寂しいと思うのは悟飯の我が侭だ。
 嫌われたいわけでも怒られたいわけでもないけれど。名前にとってもっと重い存在であったなら、また違った反応が返って来るのだろうか、とちょっと思った。
「それで、あの、もしかして僕の応援に来てくれたんですか?」
「あぁ、まあ、一応。あとビーデルも」
 嘘だ。本当は、悟飯がビーデルと一緒に大会に参加するのが嫌で、せめてからかってやれと思ってだ。
 しかしそんなことをわざわざ言う必要も無い。そんな部分、悟飯には見せたくないのだ。
「まあ、知り合いも増えたしお前の親父さんと……クリリンさん? あと知り合い連中も応援するさ。
 さっきは悟天君とブルマさんの息子さんも応援してたし」
 名前としては完全なる好意だ。悟飯の知り合いでもなければ応援どころか試合も見なかったであろう。
 けれど悟飯にとってはあまり嬉しくなかった。そんなことを言っては罰が当たるのかもしれないが、素直に有難う御座いますと言うには何となく癪だった。
「僕とお父さんが当たったらどっち応援してくれます?」
「そりゃお前だろ」
 余り褒められたものではない感情から出た言葉だ。それでも聞きたいと思ってしまった。
 しかし名前は聞かなくても分かることを何故わざわざ聞くのかと首を傾げた。
「お前の応援に来たっつったろ」
 ずびし、と軽くチョップをかます。
 痛くも無いそれがとても嬉しくて、悟飯はついつい眉を下げて頬を緩めた。その言葉だけで大会に参加してよかったと思う。どんな応援を貰うよりも嬉しいと思ってしまう。
「で、いつものヘルメットどうした」
「大会規定で、著しく防御を上げる装備の着用は認められてないんですよ」
「だから、バンダナとグラサン」
「はい。格好いいでしょ」
 ンなわけあるかい。
 思うが、あのヘルメットよりはマシかもしれないと考え直す。当社比で、という前提はあるが。
 しかしだな。名前は手の中のサングラスを弄ぶ。
「お前グラサン似合わないのな」
 くすりと笑ってそれを自分の耳にかける。一瞬で視界が薄暗くなるそれは、戦うには不利だろうに。しかも眼鏡なのだから戦っている最中に外れないとも限らない。
 誰が考えたのか知らないが、間抜けなことだ。
 ブルマの提案とは知らぬ名前は頭の中で間抜けな誰かを想像して苦笑する。知らぬが仏とはこのことだ。
「目はもう大丈夫か?」
「はい、あ、これ、ありがとうございました」
 言ってハンカチを差し出す。
 胸に落ちた所為でその部分が湿っていたが、この陽気ならばすぐに乾くだろう。
 名前がハンカチを受け取り、そのまま何となく会話が途切れる。
 これが学校で、昼休みだったりしたら屋上で昼寝でもするのだけれど。生憎ここは学校でもなければ昼休みでもない。後二〇分もすれば試合が始まる。
 悟飯もそう思ったのだろう。
「ビーデルさんが待ってますから」
 微笑んで、立ち上がろうとする。
 トイレに行くといって来たのだからそろそろ戻らなければ怪しまれると思ってだろう。そんなことくらい、名前にも分かっている。いるがしかし、理性と感情はまた違うものなわけで。
 悟飯がどこかに行くのが嫌で、もう少しここにいて欲しくて、ビーデルよりも自分を選んで欲しくて。
 
 
 
 行くなと言う代わりに腕が伸びた。
 
 
 
 名前の手が悟飯のマントをしっかと掴み、その勢いで悟飯は浮かしかけた尻を再び地面につけた。
名前さん……?」
 不思議そうに名を呼ばれ、名前はひぎゃぁ、と心の中で悲鳴をあげた。顔には全くといっていいほど出ていないが。
 勝手に出たのだ。この右手が。そんで掴んだ。
「グラサン忘れてるぞ」
 何とか言い訳を見つけたはいいが、右手は離れてくれやしない。
 悟飯に変に思われる前に離すべきだと分かっているのに、離せばここからいなくなってしまうと思えばどうにもこうにも。
 まさかこんなに制御の利かない感情が自分にあるとは思わなかった。いや、こうなるかもしれないから必死で避けようと気付かないままでいようとしていたのに。
 気付いてしまった。いやまさか、などと言えない程に確実な答えに。
「あっ、そうですね。……バンダナも忘れてました」
 えへへ、と笑う姿。
 溢れ出る愛しさが怒涛の勢いで心臓に雪崩れ込む。お陰で一気に血が回って血管が破裂しそうだ。
「お前こそ若年性痴呆だろ」
「違いますよ。多分」
「多分って何だ」
 軽口の応酬に乾いた笑いを洩らす。さっきまでどうやって笑っていたのか一瞬で忘れてしまった。
 その間も悟飯はバンダナを何とか後ろ手で結ぼうと四苦八苦している。自分で結べないらしい。
 縋るような目を向けられ、名前は深くため息を吐いた。
 この男は人の気も知らんと。
「後ろ向け」
「ありがとうございます」
 照れ笑いを浮かべながら名前に背を向ける。悟飯からバンダナを受け取ると、額にそっと布を当て、ゆっくりと髪を覆っていった。
 耳に指が当たってくすぐったいのか、こめかみの辺りを布が滑ると肩をすくめた。
 最後にきゅっと結んで一丁上がりである。
「あとサングラス……」
「はい、失礼します」
 何。
 先ほどから自分の耳にかけっぱなしのサングラスを渡そうとしたら、それより先に悟飯の腕が伸びてきた。
 何事だと身構えるより速く手袋に覆われた指が名前の両耳に触れ、静かにサングラスを抜き取っていく。
 名前の髪を数本絡め取りながら離れていくサングラスを見つめていたら、気付いた悟飯がピタリとその動きを止めた。
「あっ、もしかして髪の毛引っ張っちゃいました!?」
「いや、大丈夫」
 見当はずれなことで焦る悟飯に否定の言葉を告げる。それに安心したのか悟飯はそのままサングラスをかけて再びグレートサイヤマンになる。
「あ、そうだ、名前さん」
「あん?」
「フルーツケーキって、どんな果物でも入れていいんですか?」
「どんなっつーか……まあ相性はあるだろうけど、ベリーとかなら大体ぶち込んでもいいんじゃないか」
 何でいきなりこんな話題だよ。首を傾げつつ、律儀に悟飯の質問に答える。
 悟飯は悟飯でなるほどそうかと一人で頷いている。
「あのですね、僕パオズ山に住んでるんですよ」
「知ってる」
「もう少ししたら、パオズ山って果物が一杯取れるんですよ」
 だからですね。
「僕が優勝したら、その果物でフルーツケーキ作ってくれませんか?」
 キラキラと輝く瞳。断られるかもしれないということよりも、望む先の腹の虫に勝てないといった風情だ。
 そして名前もその『おねだり』を断る理由などポケットの中にさえ無く。
「好きなだけ」
 サイヤ人の胃袋の真の恐ろしさを未だ完全には理解せぬままに史上最悪の約定を結んだ。
 
 
 けれど例え知っていたとしても頷いてしまっただろう、と名前は後に述懐する。

#DB #孫悟飯

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謎のヒーローなんかじゃなくて
 もしかしてだな。
 同級生に聞こえないよう囁くクリリンに、悟飯は嘘ォ! と目を丸くした。
 名前の危惧していた通り。悟飯やその父、弟は兎も角。その仲間たちまでが宇宙規模の鈍感共かというとそんなはずは勿論なく。
 何となくだけどな、とクリリンは前置きして言った。
「お前は痴話喧嘩に夢中で気付いてなかったみたいだけど、」
「痴話って!」
「いいから最後まで聞け。お前があの子の作った料理食べたくないみたいだから文句つけるなんてとんでもない! みたいなこと言っただろ?」
「はい。名前さんの料理本当に美味しくて。こないだはおにぎりで僕の顔作ってくれたんですよ」
「うん、惚気はいいから。
 それでだな、そん時あの子、『孫が食いたいならいつでも作る』みたいなこと言ってたんだよ」
「はい。それって僕のこと嫌いなんてこと有り得ないってことですよね」
「ああ有り得ないな惚気はいいから。
「お前が」あの子の料理食いたいっつったんだぞ。なのにあの子は「悟飯が」食いたいならいつでも作るって言ったんだ」
 この意味分かるよな。
 視線で問う。それに悟飯は一瞬呆け、そして力強く頷いた。
 
 
 
 
 
 
名前さんは僕のこと、ちょっとは好きでいてくれるってことですよね」
 
 
 
 
 違わないけど違うよ悟飯。
 
 ここがから○りTVだったらナイスボケをやりたいところだ。
 残念ながらクリリンは司会者でも出っ歯でもなかったが。
「じゃなくて、グレートサイヤマンがお前だって気付いてるかも、ってことだ」
 悟飯に輪をかけてナイスボケ親父の親友は伊達じゃない。こんなボケではめげないのだ。
 重大事項をさっくり告げて、大声を上げようとする悟飯の口を小さく逞しい手で瞬時に覆う。
 クリリンが蓋をしてくれたお陰でぷすぷすと息は漏れたが声が漏れることはなく。悟飯は視線で謝意を告げるとその手を外してもらった。
「……でも、今まで一度も……」
 そんなことを言われたことはなかった。
 言いかけて、はっとする。
 名前は「そういう人」ではなかっただろうか。
 言いたくないならそれでいい。秘密があるのは人として当たり前。
 そして例え何かに気付いても、それが知られたくないであろうことならば。言いたくなった時にでも言え、と。言いたくないのなら一生言わずとも口外せぬ、と。
 そういう人であると悟飯は知っていたはずだった。
 そしてそこが有り難い、と。思ったことを覚えている。
 甘えていたのだろうか。悟飯は思った。名前の気遣いに。
「おいおい、そこまで落ち込むなって。別に誰もお前に演技力なんて求めちゃいないんだからさ」
 しれっと酷いことを言ってくる古馴染みの言葉も右から左へ通り抜ける。
「本人に聞いてみればいいじゃないか。もし仮に気付いてなかったとしても、そういうの言いふらす子じゃないんだろ?」
 だからなのだ、と。言うことも出来ず、悟飯は口をぱくぱくと鯉のように開閉させる。
「まぁ、お前は若いからまだ結婚とかして一生あの子と付き合うってわけじゃないだろうし。隠し通せるんならそれでもいいのかもしんないけどな」
 あまりにもショックを受けている悟飯の姿に何とかフォローをしてやろうと思っての発言なのだが、それが尚更彼を追い詰める。
 そんなつもりで名前が好きだ、と。思っているわけではないのだ。
 人生経験ではクリリンに及ばないかもしれないが、それでもこの気持は本物なのに。けれど心のどこかで。
 焦るクリリンの姿を横目に捉え、悟飯はふぅ、と小さくため息を吐いた。
 
 
 
 
 
「あの二人強いんですねぇ」
 天下一武道会少年の部決勝。
 その真っ最中に名前はそう呟いた。隣で聞いたブルマが飲んでいたジュースを噴出しかける。美人科学者の名に賭けて阻止したが。
 目の前で繰り広げられるのは非常識な戦い。気孔波を撃ち空を飛び髪を金に目を緑に染める。会場の観客はあんぐりと口を広げて少年たちの戦いを固唾を呑んで見守っているというのに。
 名前のこの台詞は肝が据わっているというべきか。
 言葉を捜してブルマが迷っていると、名前はそれを見て取り「充分驚いてますよ」と唇の端を持ち上げた。
 笑うと幼い顔つきになる人間は多数知っているけれど、普通に笑って悪人面になる人間も珍しい。ブルマは自分の夫を思い出してちょっと笑った。
「昔は少年の部なんて無かったのにね」
「そうなんですか? つか、前に見たことあるんですね」
「まーね、孫君……悟天君のお父さんが武道家でね。何回か」
「ふーん」
 それであんなに強いのか。
 名前は斜め後ろから感じる悟飯の視線を気にしつつ、目に見えない速さで戦い続けるちびっ子達の戦いを見守った。
 トランクスたちの戦いが始まる少し前、後頭部に突き刺さる視線を感じて振り向けば、そこには素敵なお召し物を身に纏った同級生。と、そのクラスメイト。
 やっぱり一緒にいるのか、と思う反面、何となく面白くない。
 ビーデルのことを苦手に思っていたんじゃないのか、と自分には係わりの無いはずのことで文句を言いそうになる。泥で出来た料理を食べるとこんな気持になるのかもしれない。食べたことはないが。
 自分も武道をしていれば、あの隣に並んでいられたのだろうか。
 思うが、それは有り得ないと自分で打ち消す。読書に使う時間を武道に回そうとも思わなければ、今の生き方を後悔するほど名前は年をとってもいなかった。
 だからこれはただのやっかみだ。気に入りの友人が、自分以外の人間と楽しそうにしているものだから、つい。
 ここ数年感じたことのない感情に舌打ちをしかけ、膝に座る少女の存在を思い出して寸でのところで我に返った。流石に教育に悪い。
 その後、試合はトランクスの勝利に終わり、ミスターサタンが壁まで殴り飛ばされて試合は終わった。 周囲の人間はわざとサタンが負けてやったと思っているようだが、名前は確実に本気でぶっ飛ばされたのだろうとサタンに哀れみの視線を送る。あの規格外のパワーをまともに食らったのだ。
 それでも厭くまで「ちびっ子の為に負けてやったヒーロー」を演じる根性は見上げたものだと思うが。
 大人の部開始までの休憩時間を告げるアナウンスを聞き流し、名前は抱えていたマーロンを後ろに座るヤムチャへと預けた。
「あれ? 名前ちゃんどこに行くんだ?」
「お花を摘みに行ってきます」
 言い切り、鞄を片手に立ち上がる。
 その言葉にヤムチャは「ごめんごめん」と謝った。
 階段を上り一番近いトイレへと向かう。あまりの人の多さに少々苛ついたが、流石にその辺の事は考えて設計されているらしい。然程待たずに用を足すことが出来た。
 洗った手を拭きながら席に戻ろうとしたら、ふっと頭上に影が落ちる。
 見上げれば、そこにいたのは先ほどビーデルと並んで観戦していたはずの悟飯。しかし辺りにビーデルの姿は見えない。
「どうした、ビーデルは?」
「えーと、トイレに行くって言ってきました」
 流石にほのかに思いを寄せる男と連れションには行きたくないらしい。ビーデルの乙女心に苦笑して、名前はそうかと頷いた。
「あの、名前さん」
「ん?」
 微かに顔を上に傾け悟飯の言葉を待つ。この微妙な差がムカつくんだよ、と思いつつ。
「ちょと、人が少ないとこに、来てもらえませんか……?」
「いいよ」
 なにやら思いつめた声から面倒そうな話だと予想をつけつつ、人気の無い所をざっと探す。丁度会場の入り口をすぐ出た所に人通りも無く死角になっている場所を見つけた。
 一方悟飯はあっさりと頷いてくれた名前に拍子抜けしつつ、これからのことを考えた。
 クリリンに言われるまで、もしかして、とさえ思わなかったのは紛うことなき悟飯の落ち度だ。そんなわけないと思い込んでいた。
 だからといってこの後ろめたさが消えるわけではないけれど。名前の後ろを着いて行きながら肩を落とす。
 正体を言わなかったのは、名前を信用していなかったということだ。言いふらすような人じゃないと思っていた。けれど、どこかでもしかしてという気持が無かったとは言えない。
 好きだの何だの言っておいて、結局はそういうことじゃないか。
 建物の影に着いても尚口を閉ざしたままの悟飯に名前は首を傾げた。これは余程話し辛いことらしい。
 そんなに話し難いのなら、後日に回せないのだろうかと思う。何せこれから試合なのだ。優勝すればかなりの額が賞金としてもらえる。半分はビーデルに脅されたのだろうとしても(彼女は強い人間と戦うのが大好きな人種だ)、残り半分はその為に出場したのではないだろうか。
 このままでは不戦敗になりかねない。
 急かした方がいいだろうか、と名前が悩み始めた時。
名前さんに、聞いてもらいたいことがあるんです」
 悟飯がやっと覚悟を決めた。
 嘘つき呼ばわりされても信用されていなかったのかと怒られても、ずっと隠し続けているよりはマシだと思った。一生……続くかどうかなんて知らないけれど。
 今自分が好きだと思っているのだからそれが事実だ。
 それに確率は少ないだろうが名前が気付いてなかったとしたら。このまま言わなかったとして、他の誰かの口から自分の正体について聞かされる姿など想像もしたくないから。
 やっとそこまで思い至ったのだ。ならば行動に移すべきなのだ、と悟飯は思う。この先まで名前のことが好きだと言いたいのなら。思い続けたいのなら。
 右手を頭の後ろに回す。左手は耳の横。
 
 
 
 
 白い布がふわりと空に靡いた時、名前の目がゆっくりと開かれていくのを、悟飯はスローモーションよりも遅く感じた。

#DB #孫悟飯

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結婚は一生の問題なので慎重に考えましょう
 我に返った時には既に遅く。
 後悔先に立たずというのはこういうことを言うのだろう、と名前は遠い目をしてみた。その頬が赤く染まっているのはご愛嬌。
 これで悟飯の家族仲間から自分に対する印象は確実に『変な人』だ。
 どうでもいい人間だったらそう思われようが次の日には存在自体忘れてしまうのだが、悟飯の関係者となると話は別だ。何で? と問われれば友人だからと答えるであろうが、それでも一応進歩はしている。
 だからここで気になるのは悟飯の母や父の反応だ。いつの間にか名前の手を再び握り締めている悟天はつまり嫌われてはいないということだろう。
 それにだけはちょっと安心して、恐る恐る悟飯の顔を見る。
 しかしそこにあったのはサングラスで目が見えないとはいえ、確実に照れ笑いをしているだろうヌケサク面。
 一気に脱力した。悩むだけ阿呆くさい。
 そもそも悟飯と友人だからと言ってその両親と友人付き合いするわけでない。気負った自分が馬鹿らしく、赤みの引いた頬を苦笑の形に彩る。
 そんな姿を見て悟飯は内心『名前さん可愛いです!』と握りこぶしを作った。口にすれば自分が殴られるので言えないが。自分が痛いからというわけでなく(悟飯に身体的ダメージを与えられる地球人など限られている)、殴った名前が確実に手を傷めるので。
 名前の指の感触を思い出すたび、筋肉に覆われた巨乳をきゅんきゅん揺らす悟飯としてはそんなことは堪えられない。
「おいご、グレートサイヤマン、そろそろ会場行くか」
 少々トリップ気味の悟飯にクリリンが声を掛ける。ここで悟空にでも呼びかけさせれば確実に悟飯の名を呼び、面倒なことをしそうだ。
 それを察した気遣いの人に感謝しつつ悟飯は頷いた。
「あ、そうですね。じゃあ、名前さん……行ってきます」
 さり気に名前と手を繋いだままの悟天を引き剥がしつつ言う。その姿にブルマがぷすぅ、と笑い混じりの息を洩らした。
「あー……、行ってらっしゃい。怪我あんまりしないように」
「はいっ」
 行ってらっしゃい、行ってきます。
 まるで新婚さんだ。
 えへへ、と笑った悟飯は紅潮する頬を止められぬまま。呆れた視線を送るベジータもさっぱり分からん、といった表情をするピッコロにも気付かず、スキップ交じりに予選会場へと向かう。
 その背を見送り、名前はさて自分も観客席へ、ときびすを返し。
 複数の三日月型の目にぶちあたることとなった。
 
 
 
 未だ笑い止まぬブルマを背後に従えて、名前は赤く染まった頬を隠すように早足で歩く。しかしその後ろにはブルマを初めとするチチ、牛魔王、ヤムチャなどの大会に出場しない面子が付いて来る。
 何でやねん。
 歩む足を速めながら名前は思った。名前が足を速めれば後ろの連中も同じ速さで付いて来る。
 どうやら名前と一緒に観戦するつもりらしい。
 しかし後ろの彼女たちは指定席を手に入れているようなのだ。名前は立ち見。どう考えても途中で別れるべきなのだが。
「何で付いて来るんです」
「いいじゃない、一緒に見ましょうよ。悟飯君の彼女、興味あるし」
「彼女じゃありません。あと私の席こっちなんで」
「立ち見でしょ?」
 ぴろ、とブルマがその細い指に挟んでいるのは名前のチケット。ただし入場券。
 武道会を座って見るにはこれにもう一枚、観客席のチケットが必要だ。しかし名前の小遣いは殆ど本に使ってしまっていて、席代がなかったのだ。
 親にも言っていないので代金を借りるわけにもいかず、結局立ち見で妥協した。だから勿論ブルマたちにも言っているわけもなく。
 女の勘と言うやつだろうか。百戦錬磨を漂わせるブルマにそれを嗅ぎ取られたのだろうと推測する。
 にゃろう、と名前は心の中で呟いて、ブルマの指からチケットを奪い返す。あっさり戻ってきたチケットをポケットにねじ込んで、名前は興味津々に見つめてくる連中を見つめ返した。
「皆さんは観客席で見られるようなので、私はここで失礼します」
「だから私たちと一緒に見れば座れるでしょ。結構かかるわよ、決勝まで。それに私たちと一緒のほうが向こうからも見つけやすいでしょうし」
「席ありませんから」
「それならマーロンちゃん抱えててちょうだい。お母さんも出場するから名前ちゃんが見てくれてた方が助かるわ」
 ね、そうしなさい。
 悟空に負けず劣らず強引な美人科学者は、名前の腕を引っつかむと機嫌よく自分たちの席を探し始める。
 こうなったらブルマを止められる人間はいない。
 チチは笑って名前の背中をぐいぐい押す。ようやくまとまったらしい話し合いに他の仲間も一安心。話し合いと言うか一方的な提案のような気がしなくもないが。
 背中を押す力の強さに名前は漸く諦めて、後で絶対グレサイぼこる、と心に固く決意した。
 
 
 
 名前が肝っ玉母さん二人に絡まれている頃。
「そうかぁ、悟飯もいよいよ彼女持ちか。くそー、お前等親子はよぉ……」
名前さんは僕のか、か、か、彼女じゃないですよぅ」
 恋人いない歴約三〇年のクリリンに絡まれていた。
 もっとも今は美人のかみさんと可愛い娘に恵まれているわけなのだが。
 つんつくつん、と肘でつつかれ、困った顔で首を振る。もしそうだったならいいのだけれど、と思いつつ。
「……友達です」
 今の所。
 尻すぼみな声に人の心の機微に敏いクリリンは目尻を和ませる。なんて微笑ましい。
 自分が悟飯と同じ年のころはどうだったけ? と思いつつ、そういや戦いと修行に明け暮れて、しかも悟空に先越されたんだった……とちょっと凹む。凹むがしかし、親友の息子、そして長いこと共に戦った仲間として悟飯のことは大切に思っている。
 だから出来ればあのちょっと目付きの悪い少女に、悟飯を好きになってもらえればいいと願う。余計なお世話かもしれないが。
「ボクちょっと友だちさがしてきます」
 言って駆け出す悟飯を見送り、後ろを歩く悟空の腕をちょいちょいつつく。
「どうだよ親父として。ちょっときつそうな感じだけど可愛い子だったじゃないか」
「? 何がだ?」
「何がって……息子の彼女くらいちゃんとチェックしとけよ」
 質問の意図すら分かっていないだろう親友の姿にクリリンはため息を吐いた。流石にもう男女の区別はつくだろうが、ここまで色事に全く興味が向かないというのも多少問題があるように感じる。
「彼女……じゃあ悟飯さっきのやつとケッコンすんのか?」
「お前どーしてそう一足飛びなわけ?」
 お知り合いから結婚までの過程をまるっと全てすっ飛ばした発言にクリリンがずっこける。間抜けな会話が勝手に耳に入ってきたベジータもこけかけた。一八号は聞いていないふりでその秀麗な顔を微かに引き攣らせ、無反応なのはピッコロのみ。
「けどよ、悟飯はさっきのオンナノコが好きなんだろ?」
「……お前それ悟飯には言ってやるなよ」
「何でだ?」
「デリカシーってやつの問題だ」
「オラ難しいことよく分かんねぇぞ」
 ええいこの駄目親父め。
 今や一児の父となったクリリンは親友をじっとり睨みつける。オレはこんな父親にならないぞ、と決意して。
 息子のみを持つ父親と娘のみを持つ父親じゃ結構違ったりするものだが、新米パパとしてはそんなことは分からない。もっとも相手が悟空では息子も娘も関係なかったりするのだろうが。
「けどあいつが悟飯の嫁ならオラも嬉しいぞ」
「へ!?」
 息子の嫁、という似合わない単語を衒いもなく告げて悟空は笑う。お陰でクリリンは変な声を出してしまった。
「さっきぶつかった時、すげぇいい匂いがしたんだ」
 お前それ絶対悟飯に言うなよ。
 
 クリリンは全身の力が抜けていくのを感じた。この男、とんでもない。
 他意はないのだろう。それは分かる。
 それがどんな匂いだったのかをクリリンは知らない。知ろうとも思わない。ただ純粋に、いい香りがした、と。悟空のことだからどうせ『美味そうな飯の匂い』とかそんなことだろう。
 だが。
 常識的な感覚を持つ人間がどう思うか。 悟飯としても悟空がそういう人間だということはよくよく知っているだろう。何せ父親だ。この感覚と生まれた時から付き合っている。
 しかし、だ。
 悟飯は現在恋をしているのだ。しかも桃色片想い。甘酸っぱい青春の日々。
 あー羨ましい、などとクリリンが思うことはないが、恋は盲目という単語があることも知っている。
 親子同士での殺し合いが珍しくはないサイヤ人であっても、親友がそんなとんでもない事態に陥るのは心優しきクリリンとしてはご免だ。しかもそれが父親の間抜けな発言によるものだなんて。
「お、もうすぐ予選始まるみてーだぞ」
「……そうだな」
 気楽に話しかける悟空は自分がどんな発言をしたのかも気付いていない。
 深く考えていたらこの男の友人なんぞやっていられないのだ。
 そうこうしているうちにパンチマシーンがベジータによって壊されて、本選が始まるまでトランクスと悟天の活躍でも見物してやろうと歩き出す。
 未だ長蛇の列が続く中、悟空たちは先ほど友人を探しに行った悟飯を見つけた。その後ろに並んでいるのは勿論ビーデル。
 片手を挙げると気付いた悟飯が笑いかけてきた。
 軽く挨拶を交わし、クリリンがちょっと肩を落として呟く。
「どーして悟空も悟飯も何もしてねーのに可愛い子が寄ってくんのかなぁ」
「可愛いって、チチか?」
「いや、チチさんもだけど、ブルマさんも初めて会った時は美人と思ったぜ」
 今はどっちかっつーと怖いけど。
 声には出さずに呟く。壁に耳あり障子に目あり。どころかこれだけ人目があるのだ、迂闊なことを言ってブルマに抓りあげられたくはない。
 さらに言えば、悟空の兄はともかく父の側にも美人がいたことを幸いにもクリリンは知らない。
「じゃ、俺たち先にトランクス達の試合見てくるから」
「はい。
 ……まだかな、予選再開」
 悟空たちを見送って、悟飯は未だ準備に時間のかかりそうな予選を慮る。
 ベジータがやらかしたなら仕方ないか、と彼の気性を思い出しつつ、彼らは何者だと詰め寄るビーデルに苦笑した。
 本当はちょっと残念に思ったのは内緒だ。
 自分の実力なら父たちと同じく軽く予選通過するのは分かっている。だから、空いた時間で少しでも長く名前と一緒にいたかったのだけれど、この調子では悟天とトランクスの戦いに間に合うかどうかさえも。
「悟天君たちの試合に間に合うといいわね」
「え、あ、あぁ、そうですね」
 考えていたことを半ばまで当てられて、悟飯は慌てて頷いた。どうも自分の周囲の女の子は敏くて困る。
 ビーデルは名前が来ていることを知らないらしい。映画なども一人で見に行くと言っていた彼女だから、聞かれなければ今日何処へ行くだなんて言わないであろうし。
 聞かれなければ、どころか聞かれても誤魔化して本当のことを親にさえ言っていないとは悟飯も知らない。
 遠くで少年の部開催のアナウンスが流れるのを聞きながら、きっと今頃ブルマに絡まれているであろう名前を思った。
 ブルマの好きなタイプといえば美形と、もう一つ。
 つつくと面白そうな人物だ。
 名前が素直に突付かれる性格でないのは知っているが、だからこそ余計にブルマに面白がられるのだろうとも予想がつく。
 実際それは正解で、今現在も膝の上にクリリンと一八号の愛娘を乗せて最強母ちゃんズに左右から絡まれているのだがそこまで悟飯が推察出来るはずもなく。
 すぐそこ同じ空の下、名前が拳を握り締めていることなど想像もつかなかったりなんたり。
 
 乙女たちと乙女系男子高生、それとちょびっと宇宙規模の密やかなる悪事の種も巻き込み。
 天下一武道会、地味に開催。

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あまりにも当たり前
 晴れ渡る空。子供のはしゃぐ声。たしなめる親。ぬいぐるみがあちこちで風船を配っている。
 天下一武道会。
 数年ぶりに復活したこの大会、世界を救った英雄が参加するということで小さな島に未だかつて無いほどの人々が大挙して押し寄せている。
 観客席は殆どが指定席、しかもすでに満員御礼。大盛況だ。
 自信満々な顔で参加受付をする者、出場する前から怯えている者、むやみやたらと威嚇して回っている者。
 そんな中、一際異彩を放っている人間がいた。
「人ごみうぜぇ……」
 名前である。
 ぼそりと呟かれたその台詞に、周囲二メートル以内には誰もいなくなる。自分もその人ごみの一人ではあるのだが、そんなことはどうでもいい。今はひたすら人の波が鬱陶しい。
 名前は自分が怯えた目で見られていることにも気付かず、歩きやすくなったと少し機嫌を直して大またに歩みを速める。
 自家用ジェットフライヤーなど持っていない名前はツアーに混じってやって来たのだ。
 面倒なことが大嫌いな名前としては本来こんなイベントにわざわざ足を運ぶなど有り得ないことなのだけれど。
「こうなったらあの馬鹿からかい倒してやる」
 グレートサイヤマン、もとい悟飯をからかう。その為だけになけなしの小遣いをはたいてツアーにまで紛れ込んで興味の無い武道会を観戦に来る。
 明らかに悟飯に対して、とある種類の執着心を持っていると知れるのだけれど本人はまったく気付いていない。というか厭くまでも友情なのだと思い込もうとしている。
 その頑固な姿勢はいっそ天晴れともいえる。
 ミスターサタンが登場したとかで騒ぎ出す群集を掻き分け、さっさとスタジアムへ入ろうと足を速める。と。
「う゛」
「ん?」
 名前が一歩足を踏み出した途端、何か固いものに弾かれた。
 ぶつかる、と床と仲良くなる覚悟を決めた瞬間、ぐらりとよろける身体を何かが支える。
 デジャ・ヴュ。
 何となく。数ヶ月前。似たような。
「大丈夫か?」
「はぁ、すいません」
 声をかけられ、ぶつかったのは人だったのかとようやく認識した。それほどに相手は微動だにしなかったのだ。
 しかし目の前に人がいるのに気付かなかったのは名前の手落ちだ。
 謝ると、相手は「気にするな」と笑ってみせた。
 もしかして大会の出場者だろうか、と名前は自分を支えてくれた相手を見上げる。武道のことなどさっぱり分からないが、人一人ぶつかってよろけもしないというのは結構すごいことなんじゃないだろうか。むしろ名前を弾き飛ばした感もある。
 よく見ればなかなか逞しい身体をしている。
 大丈夫かグレートサイヤマン。
 何となく強敵のような気がして、無意識下で心配する。
「おとうさぁーん、早く受付しないと出れなくなっちゃうよぉー!」
「おー! 今行くー!」
 子持ちかこの人。この顔で。
 名前は目を剥いた。
 どう見ても二〇代半ばの青年に見えるのに、遠くから叫んでいる少年は少なく見積もって六、七歳だ。髪型までそっくりなのは家系だろうか。一目で血縁と分かって便利かもしれないが。
 童顔なのか若作りなのか。それともやんちゃボーズだったのか。
 人は見かけによらんからなぁ、と受付に向かうヤンパパを見送っていると、その先に見慣れたシルエットを見つけた。
 一度見たら忘れるはずもないダサい、もとい素敵センスなお召し物。赤いマントが太陽を反射して目に痛い、野菜の国の正義の味方。今日はいつものヘルメットじゃなく何故か白いバンダナとでっかいグラサンをかけている。
 言わずもがなのグレートサイヤマンだ。
 そして気付いた。
 今ぶつかった相手も、彼を呼んだ子供も。
 よくよく思い出せば声がそっくりだった。
「……親戚?」
 それにしては似すぎている。もしかして悟飯の兄か何かだろうか。ということは悟飯は叔父か。
 あの顔で叔父さんかよ。
 いつも情けない顔をしている童顔を思い出す。悟飯が先ほどの少年に「悟飯叔父さん」と呼ばれている姿を思い浮かべ、名前はちょっと噴出した。
 先ほどの青年はちゃんと受付出来たらしく、仲間らしい人たちと談笑している。
 その姿を横目で眺めて名前が観客席へ行こうとしていると。
「ねぇ、お姉ちゃん、名前お姉ちゃんでしょ」
 くい、と服の裾を引っ張られた。振り向けば、先ほどの少年。
「そう、だけど。何で名前……」
「お兄ちゃんが毎日言ってるから。お菓子、くれるのお姉ちゃんでしょ?」
「……」
 何を言うとるんじゃ、とは言えなかった。
 名前がお菓子を作って渡している相手など一人しか居ない。
 視界の隅でふわりと揺らめく赤いマント。そしてこの少年の声を聞いた時、誰にそっくりだと思ったのか。
 これだけ条件が揃っていて先の展開が読めないほど、名前は鈍くなかった。
 待て。
 待て待て待て。
 あれがこの少年の兄だとして、その兄は年齢を鯖読んでいなければ名前と同い年のはずで、この少年の父親が先ほどの青年(?)だとしたならば、勿論その兄も青年の息子なのだ。
 まさか。いやでも、まさか。
 ひくん、と頬が引き攣る。
 まさかとは思う。思うがしかし、何故かあの同級生に関しては何でもありなんじゃないだろうか、とうい考えが働くのも現実で。
 名前は恐る恐る目の前の少年に質問してみることにした。
「……お兄さんの名前は、もしかして」
「悟飯兄ちゃんだよ! 僕は悟天。孫悟天!」
「……そぉ、悟天君……」
 元気よく答える悟天少年に力なく愛想笑いをしてみせる。
 あーやっぱり。何となく、そうなんじゃないかなーと。
 思ってはいても聞くと見るとじゃ大違い。
 名前は一つ現実というものを学んだ。
 
 
 
 
 何で名前さんがいるんですかぁ……?
 悟飯は弟と仲良く手を繋いでこちらへ歩いてくる少女に泣きそうになった。
 正確には半ば無理やり悟天に手を引っ張られているだけなのだが、恋する青少年の目は曇り硝子よりも曇っているのだ。
 しかし近付いてくる名前の姿にはたと我に帰り、慌ててピッコロの背中に身を隠す。
 とっくに見つかっているのだから今更隠れても、という話ではあるのだがそこはそれ。
 悟飯のその態度で他の仲間たちも何となく名前の素性を知る。空気の読めない悟空、悟天、そもそも興味の無いベジータは兎も角として。
「悟天、誰だよその人」
「えーとね、名前お姉ちゃん!」
「いや、名前じゃなくて」
 大人たちが声を掛ける前に、遠慮という単語など知らないトランクスが真っ先に話しかける。
 しかし返ってきたのは後からでも手に入る情報。幼馴染のとぼけた発言にズビシと裏拳で突っ込み、本人に聞いた方が早いと名前に向き直る。
 父親譲りの鋭い視線で誰何すると、悟天の手を漸く引き剥がした名前が気付いて淡々と見つめ返した。
 ちらりと横目で見ていたベジータがいい度胸だと鼻を鳴らす。気付いたのはその奥方のみだったが。
「孫、ゴハンクンの同級生の……」
名前さかぁ!!」
 突如割って入った叫び声に名前とトランクスは同時に振り向く。ピッコロの後ろで悟飯がびくりと震えた。
 名前はその声に聞き覚えがあった。トランクスは聞き覚えどころじゃなく知っていた。
 アイヤー! とでも叫び出しそうな表情で嬉しそうにしているのは言わずと知れた悟飯の母。宇宙一の肝ッ玉母さんことチチだ。
「え、チチさん知ってんの?」
「悟飯ちゃんにいつもお菓子くれたりお弁当くれたりする子だ。
 こないだは勉強まで見てもらってすまねぇだな。
 こんなに可愛い子だとは思わねかったぞ~」
 明るく笑いながら旦那そっくりの仕種で名前の背中を遠慮なく叩くその姿に、名前を除くその場の全員が夫婦のつながりを感じたとかなんとか。
 それはともかく。
 こほん、と一つ咳払いをし、話を先に進めようとブルマが舵を取る。
「つまり、悟飯君の同級生」
「はぁ、まぁ、そうです」
 名前は頷いた。
 白いマントの後ろから赤いマントがピロピロ動いているのが見えるが、それは丁寧に見えない振りをしてやった。というか気付かれていないと思えるその神経がすごい。
「ミスターサタンの娘さんも同級生なんですけど、この大会に出るって言うから応援に。皆で」
 シャプナーもイレーザもいるからな。気ィつけろよこの天然ボケ男。
 少しばかり声を張り、顔色の悪い人の後ろで聞いているだろう悟飯に告げる。これで気付かれなければちょっと哀しい。
「へぇ~。じゃあ、他の子たちはもう席に?」
「ビーデルの激励に行ってるんじゃないでしょうか。私もそろそろ行こうかとは思いますけど。
 そちらの方々は参加されるんですよね? 頑張ってください」
 嘘は言っていない。本当のことをすべて話していないだけで。
 名前はシャプナーたちと一緒に観戦はしないし、この言い方だと「ビーデルの激励に」行くのだと思うだろう。実際には観客席(しかも立ち見)に行くだけだ。
 しかし素直な方々はそれじゃあまた会場で、と軽く挨拶を交わす。
 悟飯だけが何となく感づいてピッコロのマントの影からこっそり顔を覗かせた。恐る恐る、といった感の様子に名前はちょっと笑った。
「ビーデル、グレートサイヤマンと戦えるの楽しみにしてましたから」
 意地悪く笑ってみせるとその広い肩がびくりと跳ねた。ちゃんと自分に言われていると認識したようだ。
「お久しぶりです、グレートサイヤマン」
「あ、はは。どうも。お久しぶり、です」
 名前を出してやれば観念したようにピッコロの背中から現れる。バレはしないかと怯えているのだろう。声が震えている。
 名前はその様子に満足した。そもそも今日の目的は悟飯をからかうことなのだ。
 しかし、こうも悟飯の知り合い(だろうと思う)が集まっていたら、迂闊なことを言ってはグレートサイヤマンの正体を知っていることを気付かれてしまうかもしれない。悟飯は兎も角、これだけの人数だ。全員が全員悟飯と同じ程度のすっとこどっこいというわけではないだろう。多分。
 それは色々と都合が悪い気がする。
 別に名前が正体を知っているからといって悟飯にとってはどうということもないかもしれない。だからこそ知らないふりを続けているのだが。
「えーと、ふ、フルーツケーキ、ありがとうございました。美味しかったです」
 何故うちの長男は自分のトラウマを自分で抉るようなことをするんだろうか。しかもわざわざ一月も前の事を。
 チチは間抜けな息子の様子に呆れたようにため息を吐いた。
 自分が食べたかったものを「グレートサイヤマンに」渡されたと凹んでいたというのに。
 有り難いと思ったらちゃんとお礼を言う礼儀正しい子に育ってくれたはいいが、この間抜けっぷりは誰に似たものか。父親か。父親だろう。そうに違いない。
 そう自分の中で結論付け、チチは息子の恋模様を面白半分心配半分に見守ることにした。
 しかし。
「え、カップケーキ渡しませんでした?」
 名前は何を言うとるんじゃボケー、とばかりに首を傾げる。
 彼女は気付いていない。自分が包装を間違えていたことに。
 故に、自分が悟飯に渡した筈のものを何故グレートサイヤマンが持っとるんだ、と。お前そんなんで秘密のヒーローでいるつもりか、と。心の底から自分の間違いを棚に上げたツッコミをする。勿論声には出さないで。
 だが悟飯にしてみれば「孫悟飯」が貰ったのはカップケーキ。「グレートサイヤマン」が貰ったのがフルーツケーキなのだ。
 その事実を渡した本人にひっくり返されて、サングラスの影で大きな目を数度瞬かせた。
「僕、名前さんに、カップ……じゃなくて、フルーツケーキ貰ったんですけど……青いランチボックスに入ったやつ、ですよね」
 口調が孫悟飯に戻っていることにも気付かない。一人称も「私」じゃなくなっている。
 だが名前もグレートサイヤマンもとい悟飯の発言に驚いてそんなどうでもいい間違いを拾っている場合じゃない。
「いや、孫にフルーツケーキ渡した筈なんだけど……だっておま、いや、孫が食べたがって、……あれ?」
「違いますよぅ、僕に、って渡してくれた方にフルーツケーキが入ってましたもん」
「何ぃ!? もしかして間違えたか……?」
「じゃあ、じゃあ、名前さん、ぼ、いえ悟飯君にフルーツケーキ渡そうと思ってくれてたんですか?」
「当たり前だろ。食いたいっつったのお前……じゃなくて孫ですからな!」
 ひゅるりらりん。
 名前が言い切ると、その場にどことなく生温い風が吹いた。本日晴天風はなし。けれど体感温度というものもあるわけで。
 ブルマは口元を押さえてぶるぶる震え、トランクスとベジータはそっくりな仕種で小さくため息をつき、クリリンと一八号は顔を見合わせちょっと笑う。ヤムチャは羨ましそうに二人を見つめ、プーアルがその肩で何とか慰めようと言葉を捜す。
 チチは二人の勘違いに口元を引き攣らせつつも安堵して、牛魔王は困った顔でちょっと笑った。恋愛音痴を自覚するピッコロは弟子の嬉しそうな顔を見て、ならば特に問題なしと判断する。
 悟空と悟天はそれぞれの反応をする仲間たちをきょとんと見つめた。
 しかし当の二人は既に周囲に気を配ることなど忘れている。
「言えよさっさと!」
「言えませんよ! 名前さんが折角作ってくれたのに、カップケーキ食べたくないみたいじゃないですか!」
「思うかボケぇ!! 孫が食いたいっつーならいくらでも作るっつーの!!」
 ぎゃんぎゃん吼え合う二人は既に普段の姿に戻っているのだが、それが自然すぎてそんなことにも気付かない。
名前さんが間違うから僕すごく心配したんですからね!」
「若年性痴呆ってかぁ!?」
「そうじゃなくて!
 僕のことどうでもいいのかと思ったじゃないですか! 僕だってフルーツケーキ楽しみにしてたのに!!」
「だから何度でも作ってやるっつってんだろーが!!」
 ますますエスカレートしていく痴話喧嘩のような惚気に、終いにはブルマを初めとする女性陣が爆笑してしまい、漸く気付いた悟飯と名前は声も出せずに顔を赤くして固まってしまうのだった。

#DB #孫悟飯

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触れた指先あなたの笑顔
「すいません、晩御飯までご馳走になっちゃって」
「どうせ夜中まで一人だし」
 かちゃかちゃ食器を洗いながら名前が言う。この家には食器洗浄器などないから手洗いだ。最近の家には建てた時から備え付けられているらしい。
 悟飯が名前の家へと訪れて数時間。ぐるぐると盛大に響いた不気味な音に名前が首を傾げれば、悟飯がその頬を真っ赤に染める。そこで漸く悟飯の腹の虫が鳴いているのだと気付いた。それほどまでに大きな音だったのだ。
 そういえば、と時計を見ればなるほど夕食を食べていてもおかしくない時間。
 買ってきた惣菜は一人分。ならばいっそ冷蔵庫の中にある賞味期限目前の食材を消費してもらおうかと情けない顔で「帰る」と訴える悟飯を引き止めた。
 あの事件以降冷蔵庫の中には常に大量の食材が詰め込まれている。愛故に、ではあるのだろうが同時に中庸という単語も学んで欲しいものだと思ってしまう。
 母親が待っているからと断られるかと思ったが、返ってきたのは満面の笑み。
 取り合えずおにぎりで間を持たせ、超特急で準備に取り掛かった。
 名前は嫌いだけれど父親が大好きなので大量に買い過ぎたニラは蟹と一緒に卵で閉じた。豚肉は茹でて油を抜いてレタスの上に乗せて冷しゃぶごっこ。タレは胡麻ダレしかなかったけれど悟飯は嬉しそうにしていた。
 買ってきた惣菜も適当に温めて、汁物は味噌汁でファイナルアンサー。
 美味しい美味しいと言いながら食べる悟飯は、母親もそりゃ料理のし甲斐があるだろう、と顔も知らぬ孫家の大黒柱を思った。
 そして楽しい食事の時間が終われば面倒な片付けタイムである。
 名前が寄越す洗った食器を拭きながら悟飯はそっと隣を見た。
 悟飯よりも少し背の低い名前は隣に立つと旋毛が見える。そこから更に視線を落とすと細い首筋に行き当たる。
 少し力を入れれば簡単に折れてしまうだろう。普段は日に当たらないのだろうそれが、今は下を向いている所為で悟飯の目に顕わになる。
 触れたら壊れてしまうだろうか。どれだけ力を抜けば触ることが出来るだろうか。
 セクハラだなどという感覚は悟飯にはない。こんな所は父親似である。
 そんな邪なことを考えていたものだから、名前から手渡される皿との目測を誤り、盛大な音を立てて皿を割ってしまった。
「わ、わ、わ、ごめんなさい! すぐに片付けますから!!」
「馬鹿手ぇつくな!」
「え、……いたっ」
「お約束なことすんなボケ! 手ぇ出せ血ぃ流せ! 消毒持ってくるまで動くなよ!」
 ずびし、と指差し言うだけ言って名前は駆け出す。
 パタパタとスリッパの音が遠ざかっていくのを聞いて悟飯は小さくため息を吐いた。
 名前が怒鳴るのを初めて聞いた。
 普段は呆れたようなため息や切れ味鋭いツッコミを聞きなれている身ではあるけれど、怒鳴られたことは一度もなかった。それなのに、先ほどの名前は眦を吊り上げ悟飯に一言も発言する機会を与えず走り去った。
 その背中しか見えない姿に同じ家の中にいるというのに何故か置いていかれた気がした。
 食器を割ったのは悟飯だし、当然申し訳ないと思っている。けれど一顧だにされないというのはこれほど寂しい気持ちにされるのかと項垂れる。
「……名前さぁん……」
 一人にしないで下さいよぅ。中指を蛇口から流れ出す水で洗いながら恋しい少女の名を呼ぶ。
 と。
「何泣きそうな顔してんだ」
 がつん、と後頭部を固いもので殴られた。
名前さん!」
「お前な、その程度の傷でンな情けない顔してどうすんだ」
 武道会大丈夫かこいつ。とは言えない。
 名前は悟飯を殴った固いもの ― 箒 ― を近くに立てかけ、水を止めて悟飯の腕を引っ張る。
 箒とちりとりを持っていたのと反対の腕に抱えた救急箱をテーブルに置いた。そして悟飯を椅子に座らせ、自分もその隣に座る。
「あの、名前さん、ごめんなさい、お皿……割っちゃって」
「あ? 別に皿くらいいいっつーの。落とせばそりゃ割れるわ。それより指出せ。中指だけ?」
「は、はい」
 言われるがままに悟飯が指を差し出す。名前はその手を掴むと救急箱から消毒液を取り出して傷口に数滴垂らした。
「これなら絆創膏でいいかな……」
 色々詰まった救急箱をがこがこ言わせながら片手で漁る。絆創膏の箱が見つからないのかその眉根には皺が寄りだした。そんな名前を悟飯は幸せな気持ちで眺める。先ほどとは正反対だ。
 自分の無骨な手が、名前の柔らかな手に包まれている。名前は「脂肪たっぷりの癖に節くれだっている」とぼやいていたが、悟飯にとっては握れば潰してしまうんじゃないかと思うほどに華奢である。
 短く切り揃えられた爪がたまに皮膚を引っ掻いて、くすぐったいついでに何だか心臓まで擽られている気もする。
 食器を洗っていた所為で冷たい手が徐々に上がっていく体温に気持ちいい。ただ、体温上昇しすぎて名前に気付かれないかだけが心配だ。
「お、あった」
 漸く絆創膏を見つけたらしい。名前の手が離れたのは残念だが、ここで駄々をこねるわけにもいかない。悟飯は大人しく中指以外の指を握り締めた。米国人にしてはいけない仕種だ。勿論名前は気にしないが。
 包装を剥がしてガーゼを傷に当て、くるんと指に巻きつけて一応治療完了である。
「割れた皿には触ってないな?」
「はい、あの、僕も手伝い……」
「ヤメトケ。いらん傷が増えるぞ」
 ビシリと言われて悟飯は小さく「はい」と頷いた。名前の言ってることはもっともだ。
 生まれてこの方家事などしたことのない悟飯が無闇に手を出しても仕事を増やすだけだろう。たった今のように。
 暗い目をする悟飯に鼻を鳴らすと名前は鞄から数冊のノートを取り出し、ばさばさと積み上げた。
「ノート?」
「数学、国語、生物、化学。お前地理だろ。私は現社だから外しとく。取り合えず適当に見てたらどうよ。数学と化学は後で教師に聞いたほうがいいと思うけど」
 片付けている間、それで暇を潰していろ。
 暗にそう言われて悟飯は頬を染めて何度も頷く。
「ありがとうございますっ」
 弾む声で礼を言い、早速国語のノートを捲る。名前の少し右上がりの字が綴られたノートは、いっそコピーして取っておきたいくらいだ。
 夢中でノートにかじりつく悟飯を見やり、名前はやれやれと片づけを再開した。
 
 
 
 ふと顔を上げた瞬間。正面には時計。その短い針が左側、ほぼ水平を指しているのに気付き、悟飯は「ひぇ」と情けない声を上げた。
 窓の外を見れば空は真っ黒。星も眠そうに瞬いている。
 名前も悟飯の声で顔を上げ、その視線をたどって「うわぁ」と洩らし、心配そうな視線を悟飯に向けた。
 チチが悟飯を溺愛しているだろうことは会ったことはなくとも悟飯との会話だけでそうと知れる。
 こんな時間まで帰らず、連絡もせず、どれだけ心配していることだろうか。ばら撒いたノートをかき集め、名前は適当な袋に詰めて悟飯に渡した。
「とりあえずこれ持って帰れ。
 んで、半月分の授業ざっと習ってたつって、何とか誤魔化せ。一応嘘じゃないし」
「でも、名前さん、ノート使うでしょう?」
「ルーズリーフだからいい。分からんとこはダチに聞く」
 ほら急げ、とぐいぐい背中を押され、悟飯は「でも」と言う暇もなく玄関に追い込まれる。
 仕方なく靴を履いて、ほぼ同じ高さになった名前の目を見つめた。早く帰れと言わんばかりの仁王立ちは雄々しく勇ましいが、今の悟飯にとってこれほど寂しいこともない。
 あと半月も会えないというのに、こんな浪漫の欠片もない、慌しい別れ方しか出来ないなんて。とほほのほ、というやつだ。
 繊細な男心故に涙がちょちょ切れそうになるが、名前の前でこれ以上情けない真似をして溜まるものかと何とか堪える。
「気をつけて帰れよ」
「はい。あの、また、来てもいいですか?」
 問う。
 嫌われているはずないと思いつつも、どうしても聞いてしまいたくなる。女々しいと言われても仕方ないけれど、純情なるオトコゴコロってやつは不安定なのだ。
 だがしかし。
「たりまえだ。いつでも来い」
 破顔一笑。
 馬鹿なこと聞いているんじゃない。悟飯の不安などくだらない、と弾き飛ばすような。
 この笑顔だけであと半月頑張れる。……かもしれない。悟飯は思った。
 むしろ名前欠乏症になりそうな気もしたが、この笑顔を見れたという事実だけで幸せだ。
 大事な記憶を仕舞っておく心の部屋にそっとコピー&ペースト保存して、悟飯は「ありがとうございます」と微笑んだ。
「それじゃ、お邪魔しました」
「ああ」
 ばいばい、と家の中から名前が手を振る。外まで見送りに行かないのは、悟飯が出来るだけ早く飛び立てるように。
 この辺は林が少なくもないから、こっそり変身して飛び立つのも苦労はしないはずである。
 玄関先の明かりが悟飯の影を映さなくなってから、名前は手帳を取り出した。次いで電話の受話器を取り、几帳面な字で書かれた番号をプッシュすると、数コールで年かさの女性の声。
『はい、孫です』
 ここで違う名前が出てきても困るよなぁ、と思いつつ、名前はまず挨拶をする。
「夜分に失礼いたします。オレンジスターハイスクールに通う名前と申します」
『! 名前さ!? あぁ、あぁ、いっつもお菓子くれる子だべ? いやぁ、悟飯ちゃんから話は聞いてるだよぉ。最近の悟飯ちゃんは口を開けば名前さん名前さん、って』
「は、はぁ……」
 お前家では悟飯「ちゃん」扱いかよ。て言うか母親に何言うとるんだコンニャロー。
 名前は突っ込みたかったが、電話の向こうではチチのはしゃいだ声が聞こえているためコメントは差し控えた。それに今は世間話をするために電話したのではない。
 名前が孫家に電話した理由。そんなの一つだ。
「あのですね、今日、孫……えーと、ごは、ん、君が、うちに来まして」
 何でアイツの家は苗字があるんだ。
 何で孫の名前を呼ぶだけでこんなにむず痒くなるんだ。
 名前は心の中でぶつくさ文句を言いながら、突っかかりながら悟飯の名を告げる。本人は気付いていないが、孫家に苗字がなければ悟飯の呼び名が最初から「悟飯君」に変わるだけの話だ。
 本人はまったく気付く余裕がないが。
「休学してた分の復習……えーと、とにかく勉強というか、してまして。それでこんな時間になっちゃったんですよ。今気付いて、慌てて帰ってったんですけど……」
『悟飯ちゃんの勉強見てくれただか? そうかぁ、ありがてぇなぁ。後で取り戻せばいいっちゅうても一ヶ月は長いべ? いやぁ、名前さ、有難うなぁ』
 チチは何度も有り難い、と繰り返す。
 これは悟飯の言っていた教育ママっぷりも本当なのだろう、と名前は電話越しに苦笑した。
「いえ、友人ですから」
 当然のことをしたまでです。
 言い切ると、それまで明るい声を出していたチチがふっと黙り込んだ。名前は見えないと理解しつつ、首をかしげた。何か気に触ることでも言っただろうか。
『あーその、名前さ。名前さは……』
「はい?」
 何だろう。何を言われるのだろう。
 この年にもなると、同級生の親と話す機会など殆どない。ごくりと生唾飲み込んで、チチの次の言葉を待ち……。
 
 
『グレートサイヤマンについてどう思うだ?』
 
 
 斜め上三四度を突かれた。
 
 
 
 
 いや、どうって言われても。
 がつん、と壁にぶつけた頭がちょっと痛い。
 左手でぶつけた部分をさすりながら、名前はとりあえず友人の母の不可思議な質問に答える。
「は、はぁ……グレートサイヤマンですか……。
 一度助けてもらったんですけど、いい人、ではないかと。そうじゃなきゃ正義の味方なんてやってないでしょうし……」
 ここで名前ははっとした。
 チチは、息子がグレートサイヤマンということを知っているのだろうか。もしかしたら知らないかもしれない。
 悟飯が正義の味方をやっているのは父親の跡を継いで、とか。そしてそれは一子相伝、父から息子へと受け継がれていくものなのかも。
 それとも悟飯は何かそういった組織に所属していて、その組織の存在は母親にさえ告げていないのかもしれない。何せ正義の味方は秘密の組織に属しているというのがセオリーであるし。
 明らかにその発想は基本五人のカラフルな連中やバイクに乗ったり飛んだりキックしたりする改造人間の番組を見すぎなのだが、そんな妄想はチチには聞こえない。名前もあくまでもしもの話だと自覚しているので敢えて質問はしない。仮に本当だとしたら悟飯に申し訳ないことでもあるし。
『それじゃぁ、グレートサイヤマンに憧れるとか、好きとか、そういうのは無いだか?』
「いや、嫌いではないですけど、一回しか会ったことない人に好きって、……それはないですね」
 チチの突拍子も無い質問に頬の肉を引き攣らせつつ、それでも名前は律儀に答える。
 その答えに安心したように、チチは電話口から離れた場所でそっとため息を吐いた。
 これでも息子の恋路を心配していたのだ。
 自分に似て(と彼女は信じる)奥手な息子が、誰よりも嬉しそうに名を呼ぶ少女。母親として可愛い息子を取られるようでちょっとばかし癪は癪なのだけれど。
名前さんが好きなんです」と告げられたわけでなくとも事在るごとに表現されればあーもうはいはい分かったよ、という気分にさせられる。恋する人間は乙女も男も関係無しに無敵なのだ。
『そうかぁ、それはよかっただ』
 いやだから何が。
 突っ込みたいけれど突っ込めないこのフラストレーション。何に対してかは分からないが、何だか安心しているのでまあいいかと気にしないことにする。スルーしたとも言う。
「あの、そろそろ失礼しますね」
 あまり長く話していると無駄にボロが出てきそうだ。
 さくっと宣言すると、チチも『んだな』と頷いたようだった。
 受話器を置くと肩に乗った荷物も一緒に下ろしたように心が軽くなる。
「これでよし」
 あの様子では帰宅した悟飯が喧しく言われることもないだろう。名前は数分の会話だったにもかかわらず妙に凝った肩をごきごき言わせながら、風呂に入って寝る支度を始めた。
 
 
 
 一方帰路途中の悟飯。
「また行ってもいいって、また行ってもいいって、また行ってもいいって……!!」
 にやけた顔で同じ事を呟きつつ未だかつて無い高速で飛ぶ悟飯はそれはそれは不気味だったという。

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ノンストップ純愛
 だって我慢出来なかった。
 悟飯はだらりと流れる汗を拭いもせず、呼び鈴を鳴らすかどうか迷っていた。
 傍から見れば不審人物かもしれないが、そんなことを気にしていられる余裕は悟飯にはなかった。
 一ヶ月は長すぎる。
 ビーデルの来訪が途切れて数日、漸く修行に専念出来ると安心したのも一瞬。むしろビーデルに振り回されることである意味では気が紛れていたのかもしれない。
 騒がしい日々が落ち着いた途端、心に浮かぶのはただ一人のこと。
 真剣に活字を追う目が悟飯の気配に気付き、ふっと顔を上げてその目が微かに柔らかくなる瞬間。
 ぼそぼそ喋ってる風なのに、決して聞き取りにくいということはなく。むしろ自分よりも低いかもしれないその声を聞くのが悟飯は好きだった。
 もっと沢山喋ってくれないかな、と思うのだけれど、じっと見ていると「何だ?」と話すのを止めてしまう。
 それがちょっと残念で、でも自分の話を聞いてくれようとするその思いが嬉しかった。
 そんなのの繰り返しで、気付けばこんなにどうしようもない程に。
 だからあと約二週間という時間すら我慢出来ず。居ても立ってもいられなくて。呆れる母の視線を背中に家を飛び出して。
 自分たちの食事が家計を圧迫しているのを知っている。
 だから、というわけでもないけれど、参加するのならば勿論武道会で優勝したかった。そう思っているのなら一日でも無駄には出来ないはずなのだけれども。
 どちらにしろこのままじゃ修行に集中なんて出来やしない。悟飯はそう見切りをつけ、全速力で空を駆けた。
 家を探すのは簡単だった。以前に一度来たことがあるのだから。
 空を高速でかっ飛ばしてたまに平和に飛んでいた鳥を風圧で揺るがせ慌てさせつつサタンシティ、というか名前の家へとたどり着き。
 さてどうしようか、と悟飯は玄関先で我に帰った。
 学校は終わっている時間である。学校との距離を考えれば名前は充分に帰宅しているであろう。
 あとはこの指が呼び鈴を押すだけで二週間ぶりに名前と再会出来るわけだ。
 が。
 若さと情熱と勢いだけでここまで来たはいいが、この後の事を考えていなかった。
 もし。もしも。
 何の用だ、とか。何で来たんだ、とか。言われたりしたら……。
 武道会に出る前にノックアウトされてしまうかもしれない。精神的に。
 そんなことを呼び鈴を押す寸前で考えてしまったものだから、こうして微妙な姿で固まるハメになってしまったのである。
 これもまた一つの青春のカタチともいえなくもないのかもしれないが、あまりにも微妙だ。
 それでも当の本人は心底真剣なもので。
「さ、最初はやっぱり『オヒサシブリデスネ』かな……」
 微妙すぎるシミュレーションをしていた。
 高校男子が他所の玄関口でぶつぶつと呟いている状況と言うのはどうにもこうにも怪しい。一人くらい通報してくれるご近所さんがいてくれてもいいぐらいだが、どうにも暢気なのか関わりたくないのか。それとも悟飯を哀れんでいるのやら。
 兎に角おまわりさんを呼ぼうとする人は存在せず、よって悟飯も一人悶々と思う存分悩めるわけだが。勿論そうやっていつまでも悩んでいられるはずもなく、悟飯自身が動けぬ以上は外的要因によって動かされるのは必然。というわけで。
「何やってんだ孫」
 背後から聞こえてきたのはそれこそ毎日聞きたいと願い続けた。けれど今聞くにはあまりにも予想外に過ぎる。
「え、あ、名前、さん……?」
「あぁ」
 振り向くことはせず、怯えたように肩をすくませる悟飯を不思議そうに見やりながら名前は手に持った鍵をちゃりん、と鳴らした。
 
 
 
 予想外だ。
 名前は思った。
 まさか、悟飯がいるなんて。しかも自分の家の前。
 その体勢は多分呼び鈴を押そうとしているんだろうな~、とは思うが、生憎今日は名前宅には名前以外の人間はいなかった。父親は出張だし、母親は一〇時以降にならなければ帰ってこない。しかも名前は本日委員会。夕食もどうせ一人だと適当に惣菜を買って帰れば見慣れた後姿。
 いつから居たのかは知らないが、何度か呼び鈴を押したのだろう。もっと早く帰ってくればよかった。というか、悟飯が帰る前でよかった。
 そんなことを考える名前は知らない。その悟飯が実は一時間ほど前には自分の玄関の前に立っていて、しかも呼び鈴を押すか押すまいかで悩んでいたということを。
 それにしても何をしに来たのだろうか。まさか自分に会いに来たというわけでもあるまい。
 名前は悟飯の思いを己の中であっさりと却下し、未だ背を向けたままの悟飯を押しのけ鍵を開ける。
 たった半月でもじんわりこみ上げてくる懐かしさに名前は困った顔をした。これはまずい。あと半月もあるというのに。今気を緩めていたら、残りの二週間はどうすりゃいいのか。
 そう思い、敢えて何でもない振りで悟飯に接する。そうしないと何かが崩れてしまいそうな気がしたから。
「あの、名前さん……」
「茶ぐらい出すけど。入ったらどーよ」
 がちゃ、と玄関の扉を開けながら告げる。悟飯はうえ、だのへあ、だのとわけの分からない声を出し、それでも「お邪魔します」と小さく呟いた。
 
 
 勿論会話なんて出来るはずもないのだが。
 名前は急須を持った手元に手中しているため。悟飯は初めて入る名前の家に緊張しているため。
 どちらも全く口を開かぬまま、ただ名前がお茶の用意をする音のみが響く。
 茶葉を急須に入れてポットが勝手に沸かして保温していたお湯を注ぐ。芳ばしい香りに一人満足してちらりとポットを見れば中のお湯が残り少ない。
 味出しする間に補充してしまおう。かちりとコンセントを外して流しへドン。充分溜まったらまたもとの場所へ戻す。そしてコンセントを嵌めればまた勝手にお湯を沸かしてくれる。便利なものだ。
 急須を手に取り一番出しを客用の湯飲みに注ぐ。この時の音が好きだな、と名前は思った。お茶を湯飲みに注ぐ音。少し熱いお湯をゆっくりと飲む瞬間。
 そんなのが好きだなんて言えば、大抵年寄りくさいなんて言われてしまうのだけれど。
「ほら」
「ありがとうございます」
 今日はやたらめったら静かな悟飯に湯飲みを渡す。礼儀正しい悟飯らしくちゃんと礼は言うけれど、それでもどこかぎこちない。
 どころか目も合わせない。珍しいというよりも初めてだ。悟飯はいつも人の目を見て話をする。
 何かあったのだろうか。もしかして、武道会への調整が上手くいっていないのかもしれない。
 名前は湯飲みで暖めている悟飯の両手を見た。
 節くれだった長い指がまるで宝物でも抱えているかのように湯飲みを包み込んでいる。意外と大きな手だということは悟飯の幼い顔つきの所為で気付きにくい。
 指から腕、腕から首、そして顔へと視線を上げていくと、悟飯の唇が動くのが見えた。
「えぇと、急に、お邪魔してすいません」
「いいよ、別に。どうせ今日は親帰ってくるの遅いし。
 それより孫、いつからいたよ。待ったろ?」
「いえ、丁度呼び鈴を押そうかと思ってたとこで……あの、帰り、遅くないですか? 学校帰りですよね」
「あぁ、委員会の時間が変更になったんだ。一日増えた」
「へぇー……僕も早く学校に行きたいなぁ……。あ、本、増えました?」
「今んとこ数冊。お前が言ってたのも一冊入った」
 入ったというか、名前が入れたのだが。リストに本の題名を記入した時の司書の物言いたげな視線が忘れられない。
 しかし悟飯はそんなこと知らない。無邪気にえへへと笑ってみせる。
「楽しみです、すごく」
 そんなに嬉しそうに笑ってくれるな。名前は思う。
 多分、悟飯のこの表情を見るためなら、司書のどんな生温い視線もどうでもよくなるんだろう。そしてこの表情を半月も見られなかったこと、あと半月見られないことに名前は胃に石を抱え込んだような気分になった。だから。
「孫、早く学校、来い」
 ぽつりと零れたのは本音。
 それでようやくこの半月悟飯に会えなくて寂しかったのだと、すとんと胸に落ちてきた。
 口に出すようなことはしなかったけれど。
 軽口に聞こえていたらいいのだけれど、と思いつつ名前は悟飯を見る。その視線を受けて悟飯は嬉しさ全開の笑顔で応えた。
「はい。僕も、ずっと名前さんに会いたくて……ちょっと、我慢出来なくて、来ちゃいました。
 勉強とか、きっと遅れてるんで、復学したら名前さん、教えてくれませんか?」
「……教えられるもんなんかないかもしれねーけどな」
 何せ編入試験満点の男だ。けれど名前はそんなことより、あまりにも素直にぶつけられた悟飯の気持ちに少しばかり眉根を寄せた。
 不機嫌にも見えるその表情は、そうでもしていなければ全身の血液が逆流して頭に集まってしまいそうだから。この年で脳卒中は御免だ。
 深い意味はないのだ、友人に会いたいと思うのは自然なことだ、自分だってそうではないか。名前は己にそう言い聞かせてようやく早鐘を打つ鼓動を宥めた。
「お前ならあっさり追いつくよ。編入試験満点男」
 軽口を叩いて泳ぐ視線を固定する。声が震えていないか心配する名前とは裏腹に、当の悟飯はにっこりと微笑んだ。
 早く学校に来いと言ってくれた。それはつまり名前も会いたいと思ってくれていたのだ、と悟飯は解釈する。そしてそれは現実に大正解の花丸だ。
 それに、教えられるものなどないと言いつつ断らない。そんな名前が自分は。
 好きなのだ、と。
 改めて悟飯は自覚する。
 だからやっぱり側にいたい。今すぐは無理でも、明日も無理でも、半月後には。武道会が終わったら。すぐにでも。
「お願いしますね、名前先生」
 嬉しさで弾んだ声を出す悟飯に、名前は「先生言うな」と呟いて微かに苦笑した。

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寂しんぼ甘えんぼ
 一ヶ月長ェんだよくそったれ。
 
 名前は友人Aが怯えた表情で見つめてくるのも気にとめず、がっつんがっつん派手な音を立てて包丁をまな板に叩きつける。刻んでいるのは人参。別に南瓜のように力を込めなければ切れない食材ではない。
 要するに八つ当たりである。
 悟飯が休学して二週間。やっと半月だ。天下一武道会まではあと二週間。
 この二週間がどんなに長かったことか。名前は思う。
 朝、委員会の為に早めに登校して図書室を開けても「おはようございます、今日も早いですね」と笑う顔が無い。一人寂しくカウンターに座っていても朝っぱらから本を借りたり返しに来たりする奴なんて悟飯以外には滅多にいない。
 昼、食堂で昼食を取っていても渡す差し入れのないランチボックスは不安定に軽いし、そう食べる方ではない名前は昼食を片付けた後の時間を持て余す。お菓子を作ったとしても司書か友人Aの腹に入るだけだと思えば気も乗らない。元々が面倒くさがりな性質なのだ。
 放課後、帰りに本屋に寄ろうと思っても目に留まるのは料理の本ばかり。けれど食べさせる相手がいないのだから結局素通り。晩御飯だって美味しくない。おかんには悪いと思っているが。
 委員会でも気付けば悟飯が読んでみたいと言っていた本ばかりを入荷しようとして司書に止められるというこの屈辱。
 やってられっかコンチクショー。
 がこん、と一際派手な音がする。見れば包丁が半ばまな板に埋まっていた。
「今日の晩御飯はまな板のタルタルソーズがけヨ~」
 名前はやけっぱちに呟いた。ソファの上で友人Aがずっこける。
 食いたかないわそんなもん。
 ピクピク震える足がそう伝える。これぞ小学校からの同級生同士のなせる技。そんな以心伝心である。いらん技能かもしれないが。
 何にしても友人Aに選択権は無い。名前の家に今日は両親が遅い帰宅だから晩飯食わせろと押しかけて来たのは彼女の方なのだ。流石にまな板のフルコースは出ないにしても。
名前さん不機嫌ですねー」
「黙れ」
 悟飯の口調を真似してみればギラリと切れ味抜群の包丁を向けられる。怖い。
 だがここで怯んでいては一〇年近くも名前の友人はやっていられない。大体、不機嫌の理由に気付いていない名前がお馬鹿なのだ。
 悟飯に会えなくて寂しい、と。
 ただそれだけのことなのに。意固地なまでに認めたがらないのは、やはり過去の出来事が尾を引いている所為なのだろう。
 名前が極端に恋愛話を面倒がるようになったのはあのことがあってからだ。
 友人Aは最早野菜を料理しているのかまな板を料理しているのか曖昧になってきている名前から目を逸らし、ぼんやりと思い出を探った。
 
 
 
 同じクラスのB君が好きかもしれない、と名前に相談されたのは中学二年の頃だ。
 一年の時は小学校とはがらりと変わった環境に慣れるのに手一杯で。だけれど二年ともなればそろそろ遊びに勉強に余裕が出てくるものだ。そして恋もしたりする。それもまたスクールライフの醍醐味。
 だから彼女は単純に名前の恋を応援した。ぼんやりとした目で、しかし困ったような表情を作りつつもどこか嬉しそうな名前が素直に可愛いと思えたから。
 だけど。
 名前がB君を好きなように、B君にも好きな人がいた。仮にCさんとしよう。そしてそのCさんにも。
 こう言えばアラヤダ三角関係かしら、となるのだが。
 確かに三角関係だ。それも見事な正三角形を描く。
 罰ゲーム、だったろうと思う。男子が四、五人も集まればそういった話題になることも少なくない。負けた奴が好きな人に公開告白、というそれにB君は見事なまでの勝負弱さを発揮してみせた。照れながら名前ではなくCさんのもとへ向かうB君を、名前はポーカーフェイスの裏で悲しそうな顔をしていたが。
 
「わたし、名前ちゃんが好きなの」
 
 そう言って名前の好きだったB君をズバリとフったCさんは綺麗に笑ってみせた。
 当時のことを友人Aはよく覚えている。
 滂沱の涙を流すB君と、その様を呆然と見つめる名前、そして名前に向かって百合だの薔薇だの華麗な花を背負って微笑みかける美少女Cさん。
 爆笑の渦に包まれる教室で、笑えなかったのは名前とB君、そして友人Aだけだった。
 それからは針のむしろである。
 名前のあだ名は「女殺し」になるしCさんは事あるごとに名前に引っ付いてくるし。
 けれど一番堪えたのは。
「勝負だ!」
 Cさんが名前にくっついてくる度に、嫉妬心むき出しで絡んでくるB君のことだったろう。
 一々名前に張り合って、しかもそのたびにCさんの「名前ちゃん素敵v」の台詞で締めくくられるものだから更に対抗心を募らせて。
 その頃Cさんはご近所でも評判の美少女で、結構色んな方々に好意を持たれていた。中には荒っぽいのもいないでもなかったのだが、そんな連中がげへげへげへ、と徒党を組んで迫ってきた。
 勿論Cさんは嫌がって、終いには名前に助けを求めてきた。が、名前も一応は普通の無力なオンナノコである。
 しかしここで見捨てるのも寝覚めが悪い。恋のライバルではあるのだけれど、その思いの方向はまったくちぐはぐ掛け違っているのだ。嫌おうとしても無理な問題。向けられる笑顔に応えてやれぬ、それが申し訳ないと思うこともなきにしもあらず。
 仕方が無いのでスタンガン(勿論護身用)と鉄パイプ(何故か転がっていた)で応戦したら、最終的には相手をボコボコにしてしまった。徒党と言ってもほんの二、三人のこと、それも素手だったからこそであるが。
 丸腰相手にフェアではない、などと叫ぶ愚か者どもに一喝した名前の姿を友人Aは鮮明に思い出せる。
 曰く。
 どの口がフェアでなないなどとほざけたものか。女一人に男が数人徒党を組むとは何事か。本気で好かれたいと思うのならば無駄な暴力を振るうよりは男を磨く努力でもせよ。
 曰く。
 貴様等の顔二度と忘れはせぬ。その腐った性根叩きなおすまではCの側によること叶わぬと思え。そのような根腐った心構えでは女一人も護れはせぬ。そんな輩どもにCはやれぬ。
 滔々と流れるように紡がれる言葉は頼もしく、また誇らしく。そして照れくさく。
 いくら恋敵未満とは言えども、結局寄せられた好意は無下に出来ないのが名前という人物だ。側で聞いていただけの友人Aにとってすらそれは頬を染めるに値するもの。なればこそ、その思いを向けられたCさんの反応は想像に難くない。
 夢見る乙女の瞳そのままに己を庇う背を見つめ、響く声音を聞き漏らすまいと耳を澄ます。
「肌身離さず持ってろ。失くすなよ」
 そう言って名前がCさんに手渡したのはスタンガン。名前の父親が娘の護身用に、と「いる」「いらん」の押し問答をしつつも半ば無理やり持たせたものだ。こんな所で活躍するとは名前自身も思っていなかったが。
「私よりお前に必要だろ」
 苦笑しながらCさんの乱れた髪を撫でる。
 友人Aは嫌な予感がした。これは、自分でも惚れる。やばいぜ名前。思うが、男相手に立ち回って息が乱れていた。名前も似たり寄ったりの体力しか持っていないはずだが、意地っ張りの友人がこの場面でぜーはー言えるはずもないことを知っていた。
 だからここで友人Aに出来たのは、名前とCさんを急き立ててその場を後にすることだけ。後日それを後悔する破目になるのだが。
 
 
 翌日にはその話は全校生徒と言ってもいい人数が知っていた。
 お陰で学校からはCさんの口ぞえでお叱りこそ頂かなかったものの、B君は頼られたのが自分じゃないことに落ち込むし、下級生からの憧れの視線は痛いし、クラスメイトからはヒかれるし。
 Cさんのアタックはグレードアップするし。
 しかもそのうちボコった連中が名前の舎弟にしてくれだの言い出してきた。
 名前の返事は勿論Noである。基本的に面倒ごとは嫌いなのだ。しかしどうしても引き下がらぬ舎弟希望に「己の磨く部分さえ分からぬような輩に惚れる女が何処にいる」と適当なことを言って目から鱗を零しまくりの連中をどうにか追い払えば今度はそれをB君に見られるし。
 終いには惚れた男からの「兄貴」呼ばわりである。
 これには流石に名前も落ち込んだ。何処にフラストレーションを持っていけばいいのやら分からない。
 普通なら恋敵に、となるのかもしれないが、その恋敵にオープンに必殺好き好き光線を送られれば……もごもごもご、だ。
「仕方ねーし」
 そう笑う名前が実は寂しそうな目をしていたのに気付けぬようでは、こんな厄介な女の友人は名乗れない。
 恋には向いて無い性格らしい。
 消化不良の初恋未満を抱えたまま、名前は結局B君とは悪友のポジションに納まっていった。
 それからだ。名前が誰かを好きだとさえ言わなくなったのは。
 高校を電車通学しないと通えないオレンジスターハイスクールにしたのはそれもあってなのだろうか。
 友人Aは進路希望書に書かれた文字を見たとき盛大に驚いたものだった。友人AもB君もCさんも、第一希望は歩いて、もしくは自転車で通える距離の高校だったから。ちなみに三人とも同じ学校である。
 だから名前も当然のようにそこに行くと思っていた。
 何だかんだでつるむことの多くなっていった四人はたまに大騒ぎしつつも楽しんでいたと感じていたのだけれど。
 友人Aがそう告げると名前は「別に違うし」と呟いた。
「楽しくない、ってことじゃねーからな。あいつらのことも関係ない」
「んじゃ何でよ」
 不満だ。何故教えてくれない。義務じゃないけれど、友人のことくらい知っていたい。
 そう思い、問うてみれば名前はあっさり言ってのけた。
「ここ、図書室広くて綺麗」
「……」
「しかも半地下」
 こないだ見学してきたんだ。
 うっとりと呟く。名前のこんな表情は珍しい。だから、きっと本音なのだろう。
 友人Aは一気に力が抜けるのを感じた。いらん気を回して悩んだ自分の立場は何処へ。
 がっくりと机に突っ伏す友人Aを不思議そうに見ていたが、ふと友人Aの鞄を漁りだす。見られて困るものは入っていない。財布を取ったり手帳の中身を見るような奴でもないことを知っているから、名前の不可思議な行動にも口を出さない。
 ややあって名前が友人Aの鞄から取り出したのは進路希望調査書。
 その一番上に書かれた文字を消し、名前はそこに全く別の文字を書き出した。
「ちょ、ちょ、ちょ、名前!? あんたなんばしょっとね!?」
「第一希望、オレンジスターハイスクール。よし出来た」
「出来たってあんたそれボールペンだし!」
 シャーペンで書いてあったそれを消し、名前がボールペンで書き直したのは己の第一希望と同じそれ。
 満足そうに頷く名前に友人Aは絶叫する。
「お前いねーと寂しいじゃん」
 さらりと。
 何を告げてくれているのだろうか、この女。
 友人Aはそれが当然とばかりに口にした名前を見つめ、少し皺の寄った調査書を取り戻した。
「消せねーなぁ、これ」
 仕方ねぇ。笑う。
「おもろい本仕入れろよ」
「入れるから読めよ?」
 友人Aはあんまり読書家ではない。
 けれど今はそんなことはどうでもよかった。読むに決まってるだろ、と頷く。
 後日そのことでB君Cさんと揉めたりするが、それも卒業までには円満解決。それぞれ自分たちの通いたい学校に合格した。
 
 
 あれから約一年ちょいだ。
名前ー」
「あぁ?」
 まな板は未だに細切れにされかけている。本気で木の欠片が入ってそうだ。
 ばい菌は包丁の跡に入り込むのだから、その辺で止めておいてほしいものだと思う。
「あのさ、寂しい?」
「は?」
「私がいるのに」
 悟飯に会えなくても、今は自分がいるのに。確かに好きな人、惚れた男ではないし、役不足かもしれないけれど。それだとあまりにも寂しいじゃないか、自分が。
 最初に寂しい、っつったのは名前なのに。
「……が、」
「うん?」
 名前がぼそりと呟く。聞き返す友人Aに名前は少し声を張った。
「冷蔵庫に、ほうれん草が入ってる。あと棚に醤油と胡麻」
 ほうれん草のおひたしは友人Aの好物である。ついでに今日は焼きうどんだ、と告げる。
「はいはい、お手伝いイタシマス名前様」
「……手ぇ切るなよ」
 もう一つまな板を出して洗ったほうれん草を乗せる。それを心配そうに見やる名前に「まかせなさい!」と請け負って、すとととと、と軽快な音を立てる名前のまな板とは正反対の音を台所に響かせた。
 ちなみに名前の使っていたまな板は帰宅した母親に買い替えを言い渡された。
 
 
 
 
 
 
 
「先生、その調査書、シュレッダーかけるくらいなら貰えませんか?」
「あ? いや、ま、受験済んだら確かに用なしだけど……どうすんだこんなの」
「記念に取っときます」
「変な奴だな。まあいいか、青春の思い出だな」
「そっすね」
 黒々と書かれた第一希望。
 その紙は未だ友人Aの机の下から二番目の引き出しに大事に仕舞われている。

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会いたいと思った時に君はそこにいない
 それを聞いたとき、名前はああやっぱり、と頭を抱えた。
「だから名前も来なさいよ」
 ね、と笑うのはイレーザ。隣にはシャプナー。ビーデルの姿は無い。
 天下一武道会。
 数年前までは三年毎に行われていたが、いつしか取りやめられたその大会が久しぶりに復活するらしい。というのはシャプナーが偉そうに語ってくれた。
 その大会にビーデルが参加するということで、応援に行かないかと名前にもお誘いが来たのだ。
 はっきり言って格闘技など全く興味が無い名前としては断る気満々だったのだが。
「ビーデルVSグレートサイヤマンが見れるかもしれないぜ」
 アホかあの男は。
 ビーデルに聞いたんだ、と嬉しそうに握りこぶしを振り上げるシャプナーに思わず裏拳を繰り出しそうになった。別にシャプナーは何一つ悪くないのだが。
 自分から正体がバレるようなことをしてどうするのだ。
 でっかいため息をつきかけ、いやしかしと思いなおす。
 あの悟飯である。迂闊が服を着てドジが靴を履いているようなあの孫悟飯なのである。
 もしかしたらビーデルにバレたのかもしれない。
 お人よしの田舎者の顔を思い浮かべ、ありうる……と遠い目をしてみた。
 成績はいいくせにどこかヌけている男だから、どうでもいいところでボロを出して感づかれたのだろう、と。
 名前はかなりの自信を持ってそう推測した。しかもビンゴ。
「で、どうする?」
 名前の表情に気付かず聞いてくるイレーザに、しかし彼女は首を横に振った。
「私は遠慮しとく」
「えー、そ~お?」
 残念そうにするイレーザには悪いが、大人数で行動するのは苦手なのだ。協調性が無いとも言うが。
 困った顔で笑いながらばいばいと手を振れば、しぶしぶながらも引き下がる。他にも誘うつもりなのだろう、小走りでかけていくイレーザ達を見送り、さてどうしたものかと考え込んだ。
 実は昨日悟飯から電話があったのだ。
 同じ年頃の男の子からの電話ということで、取り次いだ母親の目が三日月の形をしていたり父親が出がらしのお茶を何度も飲んだりとちょっとばかし鬱陶しかったが、電話の内容はなんてことは無い。
『明日から一ヶ月くらい休学しますから』
 心配しないでくれ、と。それだけ。
 何があったのか聞こうとしたのだが、弟らしき子供の騒ぎ声と家具のあげる悲惨な金切り声、そして母親らしき人の悲鳴が聞こえた為、名前から「また一ヵ月後に」とさっさと切ってしまったのだ。
 だから心配はしていな……くとも苛々していたのだけれど。
 理由を知って更にイラっときたのはビーデルがグレートサイヤマンの正体を知ったかも、なんてことが理由じゃなくて、悟飯のトロくささにだ。多分。きっと。絶対。
 武道会まであと一ヶ月程度。修行だか調整だかを行うのだろう。格闘技には興味がないが、スポーツマンがそういうものをするということくらい名前だって知っている。
 つまり、その間は悟飯に会えないということだ。
 いや、寂しくねーし。
 名前は下を向きそうになる頭を無理やり上に持ち上げた。
 どうせなら試合でグレートサイヤマンとビーデルが当たった処を見てやつが慌てている姿を笑ってやろうじゃないか。
 チケットどうやって取るんだっけ……?
 別にグレートサイヤマンが心配だからとか悟飯とビーデルが気になってるからじゃないからな、と無意味に自分に言い聞かせ、名前はイベント情報誌を買うべく本屋へと向かった。
 
 
 
 
 
 
 一方悟飯はというと。
「一ヶ月も会えない……」
 見事なまでに落ち込んでいた。
 本当なら昨日。
 名前に委員の役目が回ってくるローテーションなど既に記憶している悟飯としては、授業が終わった後にいつものように図書室に行こうと思っていたのに。
 見事にばれた。ビーデルに、正体が。
 元々怪しまれていたところだから仕方ないといえばそうなのだけれど、それにしても迂闊だった。まさか声と話し方で気付かれるなんて。
 しかも。
 武道会に出場しないと皆に正体をバラす、だなんて。
 いくら張り合いのある相手がいないと言ったって、酷いやビーデルさん、ってなもんだ。
 名前が好きだ、と。自覚したってだからどうすればいいのかなんて、悟飯は知らなかった。周囲の大人はアテになりはしないし(最もアテにならないのは天国の父親である)、同世代の友人筆頭が当の名前なものだからどうすればいいのかなんて考えたって答えは出なかったのだ。
 だから。
 少しでも一緒にいれば、名前が自分を好きになってくれるんじゃないか。と。
 建設的な行動を自分自身に提案して、さて実行に移そうか、と思った矢先にこれである。
 酷いやビーデルさん、ってなもんだ。
 だからチチに「いつもお菓子をくれる子に知らせないと大変だ」と電話をかける口実を貰った時はルンルンでダイアルを押したというのに。
 タイミングよく(悪く?)悟天がテーブルをひっくり返してくれたりするものだから。
 いらんこと気の利く名前は自分から電話を切ってしまうし、用件と言う名の建前は最初に告げてしまっている。掛け直してまだ何かあるのか、と問われればきっと凹んでしまうのが分かっていた。
 チキンハート。
 小心者をこう言うんだぜ、と名前に教えてもらった単語を自分にぶつけて更に落ち込むなんて器用なこともやってみたり。
「今日もあのお姉ちゃん来るの?」
「うーん、自由に飛べるようになるまで、って言ってたからなぁ……」
 来るんだろうな……、と唸る悟飯を悟天は不思議に思った。
 初めはいつもお菓子をくれる人がビーデルなのかと思ったけれど、犬より優れた嗅覚を持つ田舎育ちは悟飯と悟飯の持って帰るお菓子から香る匂いとビーデルのそれは違う、と初対面ではっきり分かった。
 何で連れてこないんだろう、と悟天は思う。 チチは誰かに物を貰ったらお礼を言いなさいと躾けているし(知らない人に着いていくなとは言わない。連れて行った人間の方が酷い目に合うのが分かりきっているので)、悟天だってどんな人が作っているのか見てみたい。もしかしたら悟飯に、ではなく悟天に作ってくれるかもしれないし。
 飛んでくれば兄の通う学校がある街からだってすぐなのだ。
 だから抱えて飛んでくればいいのに、とは子供の、そして桁外れな身体能力を持つ者の発想。
 自分の正体をばらしたくない悟飯としてはまずそんなことは出来ない。実際はばれているのだが、名前の演技と悟飯の鈍さでセーフである。
 しかし悟飯の中では名前の前で飛ぶ→正体がばれる→孫、お前嘘つきだったのか→嫌われる、という図式が何故か出来上がっている。
 更に、サタンシティまで約二〇分というのは悟飯が猛スピードでかっ飛んで二〇分なのだ。
 名前、というか一般人がそんなスピードで運ばれれば確実に三半規管がやられる。いっそ気絶した方が楽だろう。
 という諸々の要因で悟天の考えはことごとく却下である。
「あ、ビーデルの姉ちゃんだ」
 ふと雲を切り裂いてやってくるフライヤーが見えた。指差せば悟飯もそちらに目を向け頭を抱える。
「うぅ……修行出来ない……」
 嫌なら追い返せばいいのに、そういうものでもないらしい。
 大人ってフクザツだな、と悟天は空に浮かぶ雲を見上げた。
 悟天は好きなものは好きと言う。嫌いなものは嫌いという。苦手ならば苦手と言う。そもそも顔に出るからすぐに知られているだけなのだけれど。
 大人ではないからこそ複雑なのだとは、このときには気付かぬまま、今日もまたビーデルの怒声を浴びる兄の姿を悟天は不思議そうに見つめていた。

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恋をしちゃいました
 美味しいのだけど。美味しいはずなのだけど。
 味がしないのはなんでだろう?
 
 
「悟飯ちゃん、お行儀が悪いだよ」
 母に言われ、悟飯は漸く自分がフォークを銜えたままぼーっとしていたことに気付いた。
 あはは、と愛想笑いで誤魔化して、目の前のケーキにフォークを一刺し。そしてぱくり。けれどやっぱり。
「やっぱり名前さのお菓子は美味しいだな~」
 チチの声に思考が中断させられる。
「お兄ちゃん、食べないなら僕にちょうだ~い」
「え、あ、駄目! 食べる食べる」
 釈然としないものを抱えていても、やっぱり名前のお菓子を取られるのも嫌だった。サイヤ人特有の食い意地とは別に、だ。
 しかし。
「悟飯ちゃん、名前さと何かあっただか?」
「え!?」
「いつもは美味しい美味しいって食べるのに、今日に限って黙々と食べてるし、ちっとも美味しそうじゃねぇだ」
 それは名前にもお菓子にも失礼だ、とチチは眦を吊り上げる。
 悟飯はフォークを置いて口を噤む。そんな息子をチチは心配そうに見た。
 その間に悟飯のケーキに手を伸ばそうとする悟天をぴしゃりと叩く。行儀が悪い。
 いてて、と手を振る悟天を見てちょっと笑うと、悟飯は少しずつ口を開いた。
「これ、片方は僕が貰ったんですけど、僕のために作ってくれたんじゃないんです」
 チチははっと息を呑んだ。まさか。
「他の男子にあげるつもりが、もしかして名前さフられちまっただか!?」
「……なんでそうなるんです……」
「こないだブルマさに貸してもらった少女漫画に書いてあっただ」
 何だそりゃ。
 悟飯はがくりと肩を落とした。
 都会に毒されるなと言っておきながらチチの方が毒されている気がするのは何故だろうか。
 それはともかく。
「違います。そういうことじゃありません」
 でっかいため息をついて悟飯は今日の出来事を語りだした。
 
 学生の日常は変わらない。
 朝起きて、学校に行って、勉強して、部活して、遊んで、帰って、飯食って、寝て。そんなのの繰り返しだ。
 とある正義の味方はその間に「人助け」が入るのだろうけれど。
「これ、前言ってたやつ」
 名前はほれ、と大き目のランチボックスを悟飯に渡す。
 悟飯は首をかしげて受け取ったランチボックスを掲げた。
「前……?」
「グレートサイヤマンへのお礼」
「ああ!」
「と、……ケーキ」
 おまけのように告げる。
 悟飯ご所望のフルーツケーキ。
 とんでもない出来事の所為で予定は狂ってしまったけれど、何とか作り上げることが出来た。
 結局ぶっつけ本番一発勝負になってしまったが、そこそこいい仕上がりだと思う。……人間が食べれる程度には。
「……あ、ありがとうございます。覚えててくれたんですね」
「いや、まあ……うん。じゃあ、それ頼んだ」
「あ、はい。確かに渡しておきますね」
「ああ。じゃあまたな」
「えっ、もう行っちゃうんですか?」
 悟飯は残念そうに名前を見る。しかし名前は既に小走りで教室へ戻るところだった。
「この後移動教室なんだ」
 悪い、と言いながら教室に駆け込み、すぐに教科書を持って出てくる。
 悟飯にまたなと手を挙げてそのまま走り去っていった。廊下は走るな、とも言えない勢いである。
 悟飯は両手に抱えた自分と、もう一人の自分宛ての贈り物が急に重く感じた。
 嬉しいのに。嬉しくない。
 名前の作る菓子は美味しい。店で買おうなんて思わないくらいに。名前は本気に取ってくれないけれど、本当なのだ。
 だけど。
 片方は自分の。もう片方も自分の。でも、名前が渡したのは自分じゃない誰かへ。
 そんなもやもやしたものを抱えて家に帰って開けてみれば。
 いつもの差入れ→カップケーキ。
 グレートサイヤマンへのお礼→フルーツケーキ。
 え、前言ってたやつってグレートサイヤマンへのお礼? みたいな。それも、面倒くさそうだからと自分にも作ってくれなかったもの。
 名前は入れ物を間違えていた。
 同時に作っていたのでこんがらがってしまったのだ。
 しかしそんなこと悟飯は分からない。
 故に、
「も、も、も、もしかして名前さんはグレートサイヤマンがすすす好きなのかも、って!!」
 なんて勘違いを起こしてしまっていた。
 そんなの嫌だ! と情けない表情を見せる息子にチチは困った顔をした。
「でも、グレートサイヤマンも悟飯ちゃんだべ?」
名前さんは僕がグレートサイヤマンだってこと知らないんです!」
 実際は知っているが。
 悟飯は名前が知っていることを知らないのだ。それが余計に悟飯を追い詰める。
 しかも何故追い詰められているのか分かっていないのが厄介だ、とチチは思った。
 岡目八目とはよく言ったもの。悟飯の気持ちなんて一歩引いたところから見ればすぐに分かるというのに。
 自分で気付くのを待っていたら孫の顔も見れなくなってしまうかもしれない。なんて、恐ろしい考えまで浮かんでくる。
「悟飯ちゃんは、何で名前さがグレートサイヤマンを好きだと嫌なんだべ?」
「へ……?」
 それまで身悶えていた悟飯の動きがぴたりと止まる。
 考えてもみなかった、という表情にチチは頭を抱えた。何もこんなところまで父親に似なくてもいいのだ。いや悩むだけマシなのかもしれないけれど。
「何で……?」
「よ――――っく考えてみることだべ。ケーキは部屋に持ってくといいだ」
 いつもなら勉強をしている時以外はリビングで、と言うチチの言葉に、悟飯は首を傾げつつも頷いた。
 その頭の中は『何で?』で埋まっている。
 よろよろと自室の扉をくぐり後ろ手で閉める。その煤けた背中にチチは小さなため息を一つ。これで気付かなければ父親以下だ。
 ケーキのお代わりをせがむ次男の皿に自分の分を乗せてやり、残りは長男の為に取っておいてやることにした。
 きっと独り占めしたがるようになるだろうから。……気付けば、の話だけれど。
 お母さんはお見通しなのだ。
 
 そして数十分後。
 
 悟飯の部屋からキャーだかギャーだか、とにかくとんでもなく甲高い声が聞こえ、母親はやれやれと微笑んだ。

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上手な秘密の隠させ方
 駅までは単調な道である。そもそも名前は電車通学なわけで、だからこそ件の本屋を見つけることが出来たのであるが。
「電車って僕、初めて見ました」
「……それはまた……いいもん見た……な?」
 目を輝かせて見るものでもないと思うのだが。
 悟飯の住むパオズ山付近には鉄道も通っていなければ、駅と言う存在すらも伝え聞くだけらしい。
 しかし、鉄道オタクというわけでもないのにここまで輝く瞳で駅及び電車を見つめる人間もまた珍しい。好奇心は向学心の元と呼べるかもしれない、と名前は好意的に解釈し、けれどこのまま眺め続けられても本屋にはたどり着かないからと悟飯を促す。
 悟飯も頷き、最後に少し駅を振り返った。そこまで珍しいか、と名前は苦笑した。
 その時である。
 
 ギュルルルル!!
 
 かなりの近距離で車のスチール音が響いた。
「暴走車か?」
 首だけで振り向き、道路を見やる。角の向こうの通りを一台の車とパトカーが恐ろしいスピードで走って行った。
 風圧で店のウインドウがビリビリと震えている。巻き上がった埃で子供が咳き込んでいるのが見えた。
 この町ではそう珍しい光景でもない。
 大きな町なのだ。色んな人間が集まる。善人も、悪人も。
 そう、自分を納得させた。でなければ外など歩けない。
 しかしそれらを見送る名前とは正反対に、悟飯はそわそわと落ち着きを無くしている。
 暴走車が消えた通りを心配と憤りがないまぜになった表情で眺めるのだ。
 よくもまあ、と思う。きっと今すぐ飛び出して行きたいのだろう。よくぞ好き好んで危険の中に身を置こうなどと思えるものだ。
 けれど、悟飯らしいな、とも。思ってしまう。
 曲がったことが嫌い。正直な人が正直に生きていられる世界が好き。自分を曲げずに生きていたい。
 そんな奴だと分かるほどには彼のことを知っているはずだ。名前の自惚れでなければ。
 甘っちょろい、奇麗事だと名前は思う。思うが、決して嫌いではない。そんな悟飯がいいな、と思っているのは事実だから。そしてそんな彼に助けられた今となっては、尚更。
 名前は堪えきれなくなって小さくふきだした。幸い悟飯には気付かれなかったけれど。
「孫、待っててやるから行ってこい」
「なっ!? ……んのことですか?」
 グレートサイヤマンのお仕事だよ、と名前は言おうとして、止めた。本人が隠したがっているだろうことを、わざわざ言及する必要もない。
「トイレだよ。さっきからもじもじしすぎだ」
 そう言えば悟飯はあからさまに安心した表情を見せる。何とも隠し事に向いていない男だ。
「あはは、そうなんです。さっきからちょっと行きたいかなぁ~、って!
 すぐに帰って来ますね!」
「慌てなくていいぞ」
 怪我しないようにな。
 言外に告げて手を振る。
 常識ならば、ここは止めておくべきなのかもしれないけれど。
 グレートサイヤマンの怪力を目の当たりにし、規格外の活躍を耳にしている身としては心配するだけ無駄のような気がしてならないのだ。そしてそれは多分に正しい。
 名前はふと考えた。
 もしかして、そういう家系なのだろうか。それで友達を作る暇もなくなってしまったんじゃ……。もしかしてあの変な服の所為かもしれない。
 妄想とは歯止めをかける人間がいなければ何処までも突っ走るものらしい。
 しかもある意味で正解である。服に関してはむしろ悟飯は喜んで着ているのだが。
 そんなことを考えながら待つこと数分、お湯を入れたカップラーメンが伸びるだろうな~という頃に、漸く悟飯が帰ってきた。
 怪我どころか服に汚れも見当たらない。
「よし、行くか」
「はい」
 少し遠いところで煙が上がっている。悟飯が敢えてそちらを向こうとしないところを見ると、そこが現場だったのだろう。
 正義の味方ってやつは大変だなぁ。
 名前はぼんやり思う。隣で物珍しげに繁華街を歩く人物がそうだとはとても思えないが。
 手助け、しようとは思わない。そもそも出来ると思っていないし。自分が正義の味方向きとは思えないのだ。どちらかと言えばそれはビーデルの方が向いているだろう。悪事を見逃せないと明言し実行している彼女だから。
 自分にはその周辺で「アレは何だ!? 鳥だ! 飛行機だ! いや人間だ!」と言っている役回りが似合う。むしろ一度くらいは言ってみたいものだ。
 そこでふと思い出した。丁度グレートサイヤマン出動後なわけだし、この際言っておこう。
「そう言えば孫」
「はい?」
「昨日、噂のグレートサイヤマンに助けて貰ったってのは知ってるよな」
「え、えぇ、まあ」
「そんでなぁ、死ぬ寸前だったわけだ」
「へ、へぇ……」
 ぎくりと悟飯の顔が強張った。そんなに分かりやすい反応で、よく今までバレなかったものだ。
 しかし名前がしたいのはグレートサイヤマンの正体を暴くことではなく。
「……お礼、したいっつったら迷惑だと思うか?」
「へ?」
「正体不明のヒーローだから、つけまとったら迷惑かと思うんだけど……お礼はしたいし、困ってんだ」
「あ、あぁ! そうだったんですか! いやぁ、そんな迷惑だなんてことないですよ! グレートサイヤマンは正義の味方ですから! きっと喜んで受け取ってくれますよ!」
 あはは、と乾いた声で笑う。その中に含まれる安堵を、名前は礼儀正しく気付かないふりをした。
「だといいな。……まあ、また会えるかは分からないんだけど……」
「だ、だったら」
 もごもごと口ごもり、悟飯は意を決したように顔を上げ。
 
 僕が渡しておきます!
 
 力強く拳を振り上げられ、名前はちょっとびびった。
 何もそんなに力まんでも……、と。
「伝手あるのか?」
 我ながらちょっとわざとらしい、とは思いつつ名前は確認の為に聞いてみる。
「え、あ、は、あの、ぼ、僕の親戚の、えーと、知人が、その、お知り合いらしくて!」
 苦しいぞ、と悟飯は思った。名前も思った。
 どっちにしろ悟飯の腹に入るのだから名前としては知人の従兄弟でも兄弟でも隣人でも何でもかまわないといえば構わない。のだけれど。
 もう少しマシな言い訳をしてもらわないと、騙された振りをする名前自身が阿呆に見られそうでちょっと嫌だった。こうなったらこれで納得するしかないけれど。
 何となく、こいつはフォローしてやらないとどっかでボロを出すかもしれない、と名前は思った。その予感は後にドンピシャで命中するのだが、この時はまだそんなことを知る由もなく。
「じゃあ頼んでいいか?」
「はいっ!」
 首を傾げる名前に大きく頷く。悟飯はその時少し感じた胸のもやもやは無視した。そのまま真っ直ぐ歩こうとした手を名前に「こっちだ」と握られてすぐに吹き飛んだのもあるし、聞かれても説明出来ないような気がしたので。

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三つの名前を持つ男
 普段無愛想にしといて良かった。
 名前は今日ほどそう思ったことはない。
 昨日のことはクラスメイトの殆どが知っているようだった。四方八方から投げかけられる視線がそれを物語っている。
 けれど名前に話しかけようとする強者は存在しない。
 ただ一人を除いて。
「怪我がないならいいけどさ」
「ぴんぴんしてる」
 お馴染み友人Aである。登校して真っ先に話しかけてきた。それをきっかけに名前の周りに人が集まるかというとそんなことはなく。
「目付きの悪さに磨きがかかってるわよ」
「ほっとけ」
 誰も話しかけられない理由はこれ。
 ただでさえ不機嫌に見られるというのに、それが仏頂面で口を噤んでいたらあまりの迫力に教師だって怯えるというもの。
「休んでもよかったのに」
「連絡すんのもめんどかったんだよ」
「……見られるのは?」
「うざいけど、黙ってれば誰も何も言わん」
「まあ、確かに……」
 今の名前に話しかける度胸を持つ人間などいるはずもなかった。
「今日は甘い匂いしないのね」
「あー……まあ」
 あんなごたごたの後でお菓子作りが出来るほど、名前は菓子作りに傾倒しているわけじゃなかった。そもそも小麦粉のストックが底をついていたりするわけで。昨日買おうと思っていたのだが、それどころではなかったし。
 母親の買ってきた弁当を食べた後、風呂に入ってすぐ寝てしまった。
「悟飯君もがっかりしてるんじゃない。
 ま、理由知ったら『しょうがないですよ、名前さんに怪我がないのが一番です』とかって言ってくれるかもだけど」
「がっかり……」
「うん」
 名前はぽつりと呟いた。まるで叶わない思いを抱く少女のように。
「……してくれるかな……?」
「………」
 お母さんお赤飯炊いたげてー。
 
 友はついそんなことを考えてしまった。
 悟飯君、快挙。心の中で、人の良さそうな少年に賞賛を浴びせる。
 どんなに自分があーだこーだ恋愛話に持っていってものらりくらりとかわされ続けてきたというのに。
 まさか名前のこんな顔が見れるとは思ってもいなかった。
 そりゃあ、確かに悟飯と名前がくっついたら面白いかな~、とは思っていたけれど。だからって本当にそうなるかもなんて、想像外だ。
 名前は小さくため息をついた。
 まるっきり恋する乙女である。
 ……周囲からしてみれば向けられる視線を鬱陶しがっているように見えるのだけれど。
「つーかまじウゼぇな」
 鬱陶しがってもいたらしい。
 先ほどまでのアンニュイな雰囲気は何処へやら。一瞬にしてどこぞの組の幹部である。懐からチャカを取り出しても不思議は無い。
 名前にロマンティックを期待するだけ無駄なのかもしれない。
「まーまー、人の噂も七十五日、って言うし」
「七十五日間もかよ」
「いやまぁ……確かに二ヶ月以上だわ」
 うげぇ、と顔を顰める名前はやっぱりラブロマンスには向いていないようだった。
 
 
 午後の授業とは眠いものである。
 くあ、と欠伸を一つ。午前中までは我慢していた名前だが、結局視線に耐えられなくなって午後を屋上で過ごすことに決めた。それに人が大勢いるところは、やっぱりちょっと不気味だった。
 幸い今日はピーカン晴れ。日陰で目を瞑ればさぞ気持ち良かろう。中庭でも良かったのだが、そこには生憎と先客がいたもので。
「めがろぽりすわにほんばれ……」
 あまりに気持ちのいい天気に脳みそが思考を拒否している。某赤いデカの口癖を起きているのか怪しい呂律で呟き、太陽の恵みに感謝しつつ目を閉じていると。
 バタン!
 という大きな音がして屋上の扉が開き、その五月蝿さにちょこっと目を開ける。そして。
「……そん?」
 扉から飛び出して来たのはいまや見慣れたハニーフェイス。だが次の瞬間。
「……ぐれぇとさいやまん……」
 一瞬にしてその姿を変えた悟飯、もといグレートサイヤマンが屋上から飛び立っていった。
 夢だったのだろうか、と名前はぼんやり思った。いやしかし。
 昨日のことを思い出す。
 自分はグレートサイヤマンを誰と似ていると思ったのだったっけ。
 今日は悟飯とはまだ会っていない。どうせ放課後に会うのだから。昨日何があろうとも約束は約束である。だから本屋には案内するつもりだった。
 もう一度。
 まだ午後の授業は残っている。もしグレートサイヤマン=悟飯の図式が真実だったとするならば、真面目な彼のことだ。必ず帰ってくるだろう。もう一度それを見たら。
 ……どうしようか。
 名前は首を捻った。悟飯がグレートサイヤマンだからといって別にそれを吹聴したいわけではない。面倒だし。
 まあ、助けてもらった礼をしたいとは思っていたから、ならば悟飯がグレートサイヤマンというのは好都合かもしれない。
 そもそもが謎の正義の使者グレートサイヤマンの正体など、名前は別段知りたいと思っていたわけではなかったし。
 ビーデルは何だか躍起になって正体を探ろうとしているようだけれど。
 教えてやってもいいのだが、何となく、嫌かも、とか。思ってしまった。
 この秘密を、自分だけのものにしておきたい、なんて。
 胸の辺りがむず痒い。だけど掻いてもそれはなくなってくれなくて。首を捻りながら考え込んでみるが三秒で放棄した。
 考え事をするにはこの陽気は気持ちよすぎる。
 名前は再びごろりと寝転んだ。そっと目を閉じた数分後。
「あぁ~、六時間目終わっちゃうよぅ……」
 なんとも聞きなれた情けない声が聞こえてきた。確定。名前の見守る中一瞬にして、妙ちきりんなコスチュームから普段の地味な学生へと姿を変える。
 名前は影から顔を覗かせた。見つかっても構わなかったのだが、悟飯は気付かず校舎の扉を開けて駆け込んで行った。
「あ、チャイム」
 結局彼は六限目は少ししか受けられなかったわけだ。
 今頃落ち込んでいるであろう同級生の困った顔を思い浮かべ、名前はくすりと笑みを零した。
 
 
 待ち合わせ一〇分前なんだがな。
 名前は目の前に立つ律儀な少年に苦笑してみせた。
「早いな」
「あ、こんにちは」
「悪かったな待たせて。うちの担任HRが長いんだ」
「いいえ、そんなに待ってませんから」
 悟飯は人のいい笑みを浮かべて手を振った。そして名前はその影に隠れるような場所に立つ少女を見つけてちょっと片方の眉を上げた。
「ビーデルも行くのか?」
 そこにいたのはお下げが可愛い英雄の娘。
「え、いえ、ビーデルさんは、ちょっと話してただけで……」
「何よ、私がいちゃマズイことでもあるの?」
 不機嫌を顕わにした声で首を横に振った悟飯をつつく。いや、だの、その、だのと哀れなほどに狼狽する悟飯に名前は肩をすくめた。
 まったく鈍い男である。
 自分を棚上げにして思う。ビーデルのそれが好意かどうかはともかく(名前は六割好意であると思っている)、自分に寄せられる興味に無頓着なのだ。その視線が奇異でない限りは。
「悪いことはないけどな。本屋に案内するだけだ。行くか?」
「……遠慮しとくわ」
 尋ねた名前にビーデルは小さくため息を吐いた。
 普段ならそそくさと帰宅する悟飯が校門前で誰かを待っている風だったのが気になった。そこで声を掛けたはいいが、誰ぞとの待ち合わせだという。それで少しムッとしたのもある。ビーデルやイレーザが遊びに誘っても乗ってくることなどないのだから。
 それにまだ悟飯とグレートサイヤマンとの関係を探るということを諦めていなかった。
 だからこうして悟飯に話しかけていたところでの名前の登場。不機嫌にもなるというものだ。
 イレーザ越しではあるけれど、ビーデルは名前を知っていた。悟飯と最近親しくしている女生徒ということは別にして、である。
 英雄の娘として有名人であるところのビーデルには知り合いが多い。それに誰にでも臆することなく話しかけることの出来るイレーザならばともかく、ビーデルはクラスの違う名前とはあまり話したことが無かった。
 しかし初めて会った時のことを覚えている。
 イレーザに同じ委員会だと紹介されて、自分から名乗った後に名前は聞いた。
『名前は?』
 何となしに言われた言葉。
 名前を聞かれたことなんて、七年前からは殆どなかった。名乗る前に知られていたから。
 当たり前のように問われたことが逆に新鮮で、未だに覚えている。
 変な人。妙な感性を持ってる人。そんな印象だった。
 だから、名前が一緒ならば悟飯の正体も苦も無く暴けるのかもしれないと思った。
 しかし、ビーデルは自分で確かめたかった。もしも悟飯がグレートサイヤマンだったとして、何故かそれを名前に知られるのは嫌だと思ったのだ。
 それがどういった感情に因るものかはまだ分からなかったけれど。そして同じ感情を名前が持っているということも。
 残念ながら名前は既にグレートサイヤマンと悟飯の相互関係を知っていたりするのだが。
 しかし土俵にすら上がっていない二人には些細な違いすらもない。
「そうか。じゃあまたな」
「また来週」
「さよなら」
 それぞれ手を振り校門をくぐる。ビーデルの家と駅は反対方向なのだ。
 少し安心したようにため息を吐く悟飯を横目で見て取り、名前は少し小突いてみせた。少しばかり肩を落とし気味だったビーデルのために。
 そしてそれを見て安心してしまった自分を誤魔化すために。
「でもよかったんですか?」
 悟飯が首を傾げる。
「何が」
「昨日大変だったんでしょう? お休みでもよかったのに……」
 意地になってました、とは言えない。なんか格好悪い気がしたので。
「あー、学生の本分は勉強だしな」
 午後の授業をサボっていた人間が言うことではない。
 しかし悟飯はそれを真に受けて「名前さん偉いんですね!」と目を輝かせている。純粋な視線が痛い。
「だけど今日は差し入れなしなんだ……悪いな」
「しょうがないですよ、名前さんに怪我がないのが一番です」
 どっかで聞いたような台詞である。誰が言ったのか覚えていないけれど。
 それよりも、もう少し残念がってくれてもいいのに、と思った。心配してもらっておいて何だけれど。
 しかしその複雑な乙女心を悟飯と名前が理解する日は少し遠いようだった。

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跳ねる鼓動
 悟飯が自分と名前の違いに驚いている時、一方で名前も驚いていた。
 むしろ悟飯よりも心拍数は上がっている。何しろ今二人がいるのは空の上なのだ。
 グレートサイヤマンは空を飛ぶとは聞いていたが、実際に目の当たりにするとなると別である。
 人は飛べない。これは名前が一六年間生きてきて培った常識である。
「とっとっとっととんとんととと飛んでるぞ!?」
 足元は出来る限り見ない。目の前に見えるマンションの階数は五階。落ちれば確実に即死の高度である。しかし一歩進めば本当に死んでいたかもしれない先ほどまでと違って多少の余裕はある。
 グレートサイヤマンと言えば正義の味方。人を傷付けるようなことはしないだろう。名前を支える腕は離すまいとしっかり固定されているし、名前もがっしりしがみ付いている。
 ……はしたないだろうか、とちょっと思った。グレートサイヤマンと名乗っているからには男であろうし、名前は一応女である。これでもし女だったら土下座でもするのだが、どう見ても女には見えない。
「大丈夫ですよ、ちゃんと支えてますから」
 笑い混じりの声が聞こえる。名前はその声にはて、と首を傾げた。さっきから思っていたのだが、どうにも聞き覚えがある。というか、悟飯にそっくりである。
 実際はそっくりどころか本人なのであるが、そんなこと名前は知らない。
「あの」
「は、はい」
 静かに呼ばれ、名前は固い声で返事をした。やっぱり空の上はちょっと怖い。
「怪我は……本当に、怪我はありませんか?」
「怪我……は、無いです。する前に助けてもらっ……あぁ!!」
「えぇ!? やっぱりどこか」
「ありがとうございます」
「怪我を……はい?」
 急に大きな声を出した名前にもしやと慌てるが、次に言われた言葉に悟飯は目を丸くした。
「助けて頂いて、ありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げる。抱きかかえられたままなので幾分不自然なお辞儀だったけれど。
 どんな状況でもお礼は忘れないらしい。肝が据わっているのか何なのか。
 新たな一面を見た気がして、悟飯はくすりと笑った。泣き顔を見てしまった時にはどうしようかと思ったが、無事で何よりである。
 この場合で救われたのは名前ではなく銀行強盗であった。これでもし名前に怪我でもさせていたのなら、命の保障は警察に縋り付きでもしなければ無かっただろう。正義の味方も所詮一六歳の少年なのだ。
「そんな、僕は当然のことをしただけで……名前さんが無事で本当によかったです」
「……?」
 名前は首をかしげた。
 グレートサイヤマンは当たり前のように名前の名前を口にしたが、名乗ってなどいないはずだ。断言できる。情けないながらも、名乗る余裕などなかったのだから。
 なら何故。
「……そん……?」
 ここで知り合いと繋げないのは余程鈍い人間であろう。
 ぽつりと零れた名前に、グレートサイヤマンの身体がびくりと跳ねる。……怪しいことこの上ない。
「……孫悟飯……」
 びくびくっ。更に跳ねる。
「……の親戚かなんかですか」
 ほ――――――――っ、と。一気に脱力したのを感じた。
 だから怪しいというに。名前は思うが、口には出さない。命の恩人であることだし。
「えぇまあ、そんなもんです」
「……まあ……正義の味方は正体不明ってのがセオリーですしね」
 怪しいけど、とは言わないでおく。すると正体不明の正義の味方は心底安心したように笑ってみせた。口元しか見えないけれど。
 しかしこの正直な反応。やっぱり悟飯に似ている。
 そういうことが分かる程には、悟飯のことを理解出来ていると自負していた。それだけ普段からかっているとも言えるのだが。主にからかっているのは勿論司書ではあるけれど。
 目の前のどこかとぼけた正義の味方のお陰で、次の瞬間死ぬかもしれないという恐怖に受けたショックも少しだけ和らいだ。緊張を解いて支えてくれている腕に身体を預ける。
 その様子を見て取り、悟飯は頬をほんのり赤らめた。名前からは見えないけれど。
 人が集まってきたので慌てて飛び出したが、そういえばこれはお姫様抱っことかいうやつではないだろうか。しかも名前を攫って逃げたような格好である。明日の新聞がちょっと怖い。
 しかし名前は気付いていないようで、いつしか浮遊感を楽しんでいるように見える。こういう時は女性の方が逞しいのかもしれない、と悟飯は思った。
 もうすぐ日が落ちる。かなり近い位置にある名前の顔を夕日が赤く染め上げる。黒い目が緋色に揺らめいて悟飯を映す。映った顔の上半分はヘルメットに覆われているけれど。
 吸い込まれるかもしれない。
 そんなことを考える。有り得ないことだと理解はしているけれど。名前の目を見ていると何となくそう感じた。
 静かに見つめられて、悟飯は居心地が悪くなった。
 何だか落ち着かない。背筋がむずむずして、大声で叫んで走り回りたいような気持ちになる。
「あの、宜しければ家まで送って行きますよ」
 このままではいられない、と悟飯は名前に提案する。一刻も早く名前と離れなければ自分がおかしくなるような気がした。
「いいんですか?」
 悟飯の考えなど知らない名前は単純に有り難いことだと目を輝かせる。
「はい。また危険なことが無いとも限りませんから」
「……怖いこと言わないでもらえます……」
「へあっ、ご、ごめんなさい!」
 結構無神経な台詞に名前はじっとりとグレートサイヤマンを見つめる。しかし慌てて一生懸命謝る姿につい「まあいいか」と笑ってしまった。
 至近距離でのその笑顔に、悟飯は心臓が跳ね上がるのを感じた。
 無闇矢鱈と早鐘を打つ心臓を宥めようにも、一旦意識してしまった以上はどうしようもない。手袋越しに触れる名前の身体の柔らかさを改めて感じてしまい、一瞬にして正義の味方の蒸し焼き完成である。
 今が夕方で良かった、と悟飯は心から思った。
 そのお陰で赤くなった頬を誤魔化す手間が省けた。
「家……家、何処ですか? 空からだとすぐですよ」
「えーと……あのビルの向こうの、青い屋根の家の向かいです」
 悟飯は頷いて、名前の指差す方へとゆっくり向かう。身体を揺らして名前を怖がらせないように。少しだけこうしていられる時間が長引くように。
 勝手なものだ、と思った。さっきは早く離れなければと思っていたのに、今は別れてしまうのが勿体無い。
 甘い香りが鼻をくすぐる。少しシナモンの混じったそれは、今日のパウンドケーキと同じ匂い。それだけのことなのに、絶叫してしまいたいような気持ちになる。
「あ、あの家です」
 名前がそう言ってくれなかったら、本当に叫びだしていたかもしれない。名前の示した家にゆっくりと降り立った。
 電気は点いていない。まだ両親は帰っていないようだ。
 グレートサイヤマンに降ろしてもらい、名前はもう一度改めて頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
「いえ、僕は……」
「こういうとき、正義の味方は『どういたしまして』って言えばいいんですよ」
「ええと……じゃあ、どういたしまして」
 律儀に名前の言ったことに従う。素直すぎるだろう、と名前は思ったが、この微笑ましさはやっぱり身近で感じたことがあった。
 今度確かめてみよう。そう決意する。まさか当人ではないだろうが、関わりがあることは間違いないだろうと目星をつける。
 そのまさかなのだとは、この時点では気付かない。
 当然である。
 某極東の島国に比べたら宜しいとは言えないまでも悪いと言うほどのものでもないこの町の治安。毎日毎日どこかで起こる事件にも慣れていたそんな中、まさか自分が巻き込まれるハメになるなんて予想すらしなかったというのに。
 増してやその中心に知り合いが関わってこようなどとミトコンドリアの爪の先ほども思わない。ミトコンドリアに爪があるのかという話はさておき。
「それじゃあ僕はこれで失礼します」
「はい、気をつけて。飛行機なんかにぶつからないように」
 グレートサイヤマンは頷いて、片手を挙げてすい、と飛び去っていった。
 その後姿を見送り、名前は鍵を開けて家に入る。
 そこで漸く気付いた。
「……めし……」
 何のために自分は外に出て行ったのか。
 しかし今から出かけるだけの気力も体力もない。それに、人のいる場所に行くのは少し怖い。もしまた凶暴な考えを持った人間がいたら、と思う。自分は何も出来ないということを思い知ったばかりなのに。
「あー……情けねー……」
 がっくりと項垂れる。誰もいない家で、グレートサイヤマンの前で被っていた強がりの仮面を脱ぎ捨てた途端に襲う脱力感。居間までとぼとぼと歩いてソファに身体を投げ出す。もう動きたくない。
 普通の反応だったと我ながら思う。力に怯えて、何も出来ず、震えるだけ。
 あの状況で銃も恐れず立ち向かえるのなんて同じ高校生ではビーデルくらいだろう。
 だけど。
 公衆の面前に泣き顔まで晒して、穴があったら入りたいとはこのことだ。
 学校に行きたくない、と思った。きっと明日には話は広まっている。さっさと空へ飛び出したから、カメラには映っていないはず。だけどTVに映らなくたって、人の口に戸は立てられないのだから、あそこにいた野次馬から伝わるはずだ。何せ野次馬の中に近所の知った顔がちらほら見えたのだから。
 良いところだけを見せたい相手というのは誰にだっているものだ。
 名前の場合、それは悟飯だった。いつの間にか、そうなっていた。弱い部分なんて知られたくない。見目の良い部分だけ見て欲しい。駄目な奴だなんて思って欲しくない。
 だというのに。
 何たる失態。
 名前は目を閉じる。涙の所為で目が痛い。このまま眠って、目が覚めたらいっそ全て夢だったなら嬉しいのだけれど。
 時計がポーンと大きく鳴る。
 その聞きなれた音にすら怯える心臓なんてえぐり出してしまいたい。こんな弱っちい自分、どこかに捨ててこれたなら――。
 
 分かっている。そんなこと不可能だ。
 明日はまた朝起きてご飯を食べて学校に行って勉強する。そんな当たり前の生活にもぐりこまなければならない。生きている以上は何かに属していないと不安なのだ。
 でも。
「やっぱ学校行きたくねぇよ……」
「じゃあ明日休む?」
 独り言に返事があると言うのは心臓に悪い。名前はたった今思い知った。
「ただいまー」
「……お帰りなさいおかあさま……」
 何か普通に挨拶をする母親に、名前もつられて挨拶を。スーツ姿の母親は帰ってきたばかりなのだろう。その手にはビニール袋が握られている。
「ぽっかぽか弁当買ってきたわよー。料理どころじゃないでしょ」
 知っているらしい。その気持ちは嬉しいが、名前は小さく首を振った。
「料理どころじゃないって言うか……飯あんま食いたくないっていうか」
「食べるの」
「はい……」
 どえりゃー迫力だがや。
 名前は真顔で詰め寄る母親に神妙な顔で頷いた。
 普段目付きが悪いだの黙っていると怖いだの言われる名前であるが、母親ほどではないだろう、と思う。父親は何がよくてこの母と結婚したのか(恋愛結婚だと聞いている)。人間顔じゃないと言われても、この母親を見ていると父親を脅しでもしたのではないかと疑ってしまう。
「腹が減ってると碌な考え浮かんでこないのよ。名前、ヒーター着けなさい寒いでしょ」
「へーい」
「お父さんもすぐ帰ってくるって」
「へーい」
「あんた自分が格好悪いって思ってるでしょ」
「……へーい」
 痛いトコをつく、と適当に返事をする。
 しかし母親はさっさと着替えると名前の首根っこを摘まみ上げ、しっかりとその目を見据えた。
「お母さんに似て見栄っ張りだからね」
 よく分かってるじゃないか、と思った。出来る限り物事をそつなくこなしたいのは母親譲りだ。
 でもね、と続ける。
「死んでたかもしれないとこ、生きてるのよあんた」
 それって、と母は言った。
「最高に格好良いのよ」
 抱きしめられて、目の端からほんのちょこっとだけ涙が出た。すぐに母の服に滲みこんだけれど。
 生きててよかった、ときつくきつく抱きしめられる。その腕が震えているのに気付いた。
 母も怖かったのかもしれない、と名前は漸く思い至った。会社でニュースを見て、慌てて帰ってきたのかもしれない。そういえば母の努める会社から家までは車で三〇分かかるはずだ。遅れると告げられた時間よりも今は一時間早い。どれだけ車を飛ばしてきたのだろうか。
 なるほど見栄っ張りだ。名前とそっくりで。
 怖かったのにそんな素振り見せないで。何でもお見通しというような振りをして、その実焦ってセーターの前後を間違えてる。
 流石は私の母親だ、と名前は思った。その時。
 がしゃん。ごん。どたどた。ぽきっ。ごいん。がこん。
名前名前名前名前!!」
「……おかえり」
 嫌な感じの音をさせて、父親が居間に飛び込んでくる。結構いいシーンだったと思うのだが、何だか色々と台無しだ。
「怪我は!? グレートサイヤマンは!? あああぁぁあああ腕が赤くなってる!!」
「五月蝿い耳元で叫ぶな! 何でグレートサイヤマンが出てくるんだ!!」
「だ、だって、グレートサイヤマンに助けてもらったんだろ? テレビに出てた」
「は!? 映った!?」
「え、いや、名前が行った時間に銀行が襲われたって聞いてびっくりしてたら、グレートサイヤマンが助けてくれた……ってもしかして人質って名前だったのか!?」
 何てこったい! とムンクが見たら慌てて描き直しをするかもしれない父の叫びっぷりに、名前は意識が遠くなりかけた。無駄に声がでかい。
「少し黙りなさい。晩御飯食べるわよ」
「はい」
 やっぱりこの夫婦、何で結婚したのか分からない、と名前は思った。従順にも程があるだろう。
「でもその前に」
 父親は母親ごと名前を抱きしめた。生きていることを確かめるように。その体温を感じて安心するために。
 が。
「うわおっさんくさ」
 年頃の娘なんてこんなもんだ。
 照れ隠しではなしに呟かれ、父はがっくり項垂れる。
名前~~~~」
「あーもううざい。名前はいいから離しなさい」
「え、私もやだ」
「……酷い……」
 父と夫に対してはクールになるらしい母娘に、あううと男泣き。そんな父親は無視して名前は食卓に座った。
 いつも通り情けない父親を見ていると食欲が湧いてきた。
 そんな娘に母は隠れて笑う。過去のラブロマンスを思い出す。母にだって麗しき恋物語の一つや二つ、六つや七つどーんとある。その最後を彩ってくれたのは目の前でしょんぼりしている冴えないおじさんだけれども、そんな彼に幾度も支えられてきた。
 今だって冴えないおじさんのお陰で名前がいつもの調子を取り戻した。
 流石は私の旦那様、というやつである。
「お吸い物くらいは作れるから、あなたもさっさと座りなさい。ていうか早く着替えろ」
「はいぃぃ~」
 情けない声を出す旦那を尻目に一人さっさと弁当の蓋を開けて箸をつける愛娘にお茶を出してやる。
 明日はきっと学校に行くのだろう。クールぶりたがるくせに負けず嫌いなんて難儀な娘の性格はよく知っている。強がって何でもないふりで登校するに決まってる。
名前
「んー?」
「休みたくなったら言うのよ」
「へーい」
 その返事には気負いがなく。自分は抱きしめるしか出来なかったのに、と偉大な旦那を少し敬い。
 こんな時は母親と謂えども無力なものなのか、と八つ当たり気味に夫の湯飲みにうんと熱いお茶を注いでやった。

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か細き身体と震える肩と支える腕と
 今日は厄日だったのだろうか。
 
 運勢良し、だなんて大嘘つきめあのクソキャスター。
 名前回らぬ頭でそう毒づいた。朝の占いでは名前の星座は上から二番目だった。それが何の役に立つというのか。
 別にキャスターが占っているわけでも名前が占いを信じているわけでもないのだが、所謂現実逃避というやつである。
「さっさと金を詰め込め!」
 ブラウン管の向こう側だけに存在すると思っていた。なのに何故自分は今、
「逃げようなんて考えんじゃねぇぞ」
 ダサい覆面男に銃を突きつけられているのだろうか。
 
 
 
 ひくりと喉が鳴る。
 捻りあげられた腕が痛い。が、そんなことを言えるような雰囲気でなし、動けばこめかみの経口からズドンと一発お見舞いされるのだろう。
 足に力なんて入らない。辛うじて恐怖と根性で立っているようなもの。いっそ気絶でも出来たらよかったのだろうか。息をするのも苦しい状況。心臓発作でも起こってくれればこの場から逃れられるのかもしれない。もしもの話であるけれど。
 あんまりそんな顔で見ないでくれ、と思う。人質にされているのは名前を筆頭に銀行員と、数名の客。
 哀れみと怯えの込められた顔で見つめられていると、まるで自分が死ぬのが確定されているような気になってしまう。
 早鐘を打つ心臓がまだ生きていることを教えてくれて、それだけが救いなのかもしれない。
 死ぬのは嫌だ。勿論嫌だ。
 まだ一六年しか生きてない。読みたい本がいっぱいあって、見たい映画も借りたCDも欲しいものも沢山ある。
 何で、と泣きそうになった。
 何で私が。と。
 緊張しすぎて涙腺すらも固まっているけれど。
 一分が一時間にも数時間にも感じられるというのはこのことだろう。本を読んでいたら一時間なんてあっという間なのに。わざわざ恐怖の時間を長引かせてくれなくてもいいのに。無駄なところで高性能な脳みそが今は憎い。
 たまたまだ。たまたま冷蔵庫が空っぽで、たまたまこの銀行に来て、たまたまこの時間に強盗が現れた。
 
 もし、名前が歩いて来ていたら。他の誰かが人質になっていただろうか。
 もし、名前がやっぱり店屋物でいいと家から出なかったら。
 
 
 
 他の誰かに銃が突きつけられていただろうか。
 
 
 
 その誰かが人質じゃなくて良かった、などと言えるほど、名前は人間が出来ていなかった。むしろ今まさに代わって欲しいとすら願っている。
 TVのニュースで流れる不幸に興味も持たず、「あーまたか」で済ませてきた報いなのだろうか。だとしてもこんな酷いしっぺ返ししなくたっていいじゃないか。
 前途有望な学生がこんな目にあうなんて。それとも自分が世界に必要とされていないということだろうか。思って、名前は悲しくなった。
 でも、と思った。
 これが悟飯だったら。あのボケっとしてのほほんとしたお人よしで誰かに騙されても「騙されちゃいました」なんて笑って許してしまいそうな少年だったら。
 何で急にこんなことを考えたのか名前には分からない。でも、一つだけ。思った。
 孫じゃなくてマシだったかもしれない。
 と。
 何だかあいつはトロくさそうだから、と名前は思う。何か変なことしでかして、うっかり引き金を引かれてしまうかもしれない。そうなったらいつも話に出てくるお母さんも弟もこの世の終わりとばかりに悲しむだろう。どれだけ愛されて育ってきたかなんて、悟飯を見ていればすぐ分かる。
 色んな大人から可愛がられて愛されて、それをまた惜しみなく誰かに分け与えるような奴だ。
 だから。
 この場にいるのが悟飯じゃなくてよかった、と。名前は心底思った。
 彼がいなくなれば、悲しいから。
 そう思えば、次の瞬間死んでいるかもしれないという状況も少しだけ我慢出来た。本当は今すぐにでも泣き叫びたい気分なのだけれど。それはこの銃の持ち主がさせてくれなさそうだし。
 ぱんぱんに膨らんだ鞄には札束が。外では警官が拡声器で交渉中。
 離せと言われて人質を解放していたのでは刑事ドラマは成り立たない。この後逃走用の車で連れられて、もしかしたら海洋生物の餌になるのかもしれない。いやでも顔は見ていないのだから、解放されるという希望も持っていいのだろうか。
 こめかみから後頭部に銃が移動した。脈が速くなる。動けば引き金が引かれるかもしれない。そうすれば、名前を待っているのは死だろう。
 
 死にたくないと思った。
 
 死にたくない。
 誰か。
 警察。 誰でもいい。
 神様がいるなら神様に祈る。
 だから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 助けて。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「待て!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 頭上から聞こえてきた声に、名前は知らず閉じていた眼を開いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ぐ、グレートサイヤマン!!」
 焦った声で覆面強盗が叫ぶ。
 その名前は聞いたことがあった。突如としてサタンシティに現れた正義の味方。妙なヘルメットと頓珍漢な衣装、そして赤いマントがトレードマーク。
「その人を離せ!!」
「誰が……!」
 覆面男が拒絶の言葉を吐こうとした瞬間。
「……あ?」
 名前の視界は赤く染まり、遥か後方でぐぇ、とかぶべら、とかいううめき声が聞こえた。
 そして消えた硬質なあの感触。それでもまだ動けない。
「怪我、ありませんか?」
 問われ、ようやく赤いものの正体が彼のマントだと気付いた。頭二つほど高い所にあるヘルメットから、どこかで聞いたことのあるような声が聞こえる。
 青年は気遣わしげに名前の肩を優しく叩き、そうして吹き飛んだ男の方を向いた。
 名前もつられて恐る恐るそちらを向けば、覆面の口元に空いた穴から白いものが溢れてきている。それが泡だと気付くのにもまた数秒かかってしまった。
「しまった、手加減忘れた」
 何だか物騒な呟きが聞こえた気がする。
 だが名前には聞き返すだけの精神的余裕はなかった。
「もう大丈夫ですよ」
 優しく声をかけられて、もう危険は無いのだと悟り、名前はその緑色の服にしがみついた。後頭部を圧迫する金属の感触も、もう感じない。
 緊張しているということは、集中しているということでもあるのかもしれない。
 あの、硬い金属のことを考えずにすむようになった途端、恐怖も根性もどこかへ跳んでゆき、支えを失った体がその場に崩れ落ちた。
「ど、どうしました!? 何処か怪我でも!?」
 慌ててしゃがみこむ青年に、名前は弱々しく首を振った。
 怪我は無い。怪我は無いが。
 聞き覚えのあるような声に安心したのだろうか。
 全身の力が抜けた時に、涙腺まで弛んだのかもしれない。
「……~~~~っ!」
 声も出せずにボロボロと涙がこぼれ落ちる。人前でみっともない、と思うだけの余裕も無い。
 手近な布を引っつかんで顔を隠し、とめどなく溢れてくる涙を必死で止めようとする。
 止まるわけなんてなかったけれど。
 死を意識したのなんて初めてだった。
 死なんて遠いところにあるものだと思っていた。次の瞬間死んでいるかもしれないなんて思ったこと一度も無い。
 生き物は死ぬ、と分かっていても。分かっていると言っていても。
 自分がそうなったとき、死にたくないと思うだけで震えるしかなかったという現実に打ちのめされる。
 普段どんなに偉そうな態度でいたって、死ぬ間際はあんなもんじゃないか。
 情けないにも程がある。そんな思いがどうしようもなく涙をあふれさせる。
 
 
 驚いたのはグレートサイヤマン、もとい悟飯である。
 いつもの如く「悪い奴等」を懲らしめていたら、別の場所へと大急ぎで向かうパトカーの一団を見つけた。また事件か、と後を追ってみれば銀行強盗。
 やれやれとばかりに様子を覗けば、その中心にいる人物を見た瞬間に理性が飛んだ。
 地球人とサイヤ人の力の差はここ数週間で理解出来ていたと思っていたのだが、そんなこと考えもしなかった。気付いた時には飛び出して力任せに腕を振り上げていた。
 それはいい。いいわけあるか、と誰に突っ込まれても悟飯は「当然のことをしたまでだ」と答える。それだけのことをやらかしたのだ。
 犯人は災難だったが、もともとは銀行強盗などするから悪いのだ。しかも、選りにも選って名前を人質にするなど、言語道断というやつである。
 しかも、泣かせるなんて――。
 何せ今まで彼は名前の泣くところなんか見たことがなかった。笑った顔も、仲良くなるまでは見たことがなかったけれど、同い年にしては落ち着いているように見える(だけで実はめんどくさがりなだけだが)名前の泣く姿を目撃してしまうとは。
 名前が泣くのは嫌だった。
 母が泣くのも、弟が泣くのも嫌だけれど。でも、それとは何か違っている。どこがどう違うのかなんて聞かれても、今は上手く答えられないけれども。
 もやもやと、わけの分からない苛立ちに、あと数発殴っておけばよかっただろうかなんて、危険な考えすら浮かんでしまう。
 これが弟だったなら。泣き止ませる方法も、笑わせる方法も知っているというのに。
 同じ年頃の女の子という存在に、悟飯はどうも弱かった。
 しかも生きるか死ぬか、という状況に何度も晒され続けてきた悟飯にとって、初めて死を意識した瞬間というのは遠い過去の出来事である。ここ数年は平和そのものであるし、忘れかけている。それにそんな状況を味あわせてくれた人は今は大好きな師匠。経験が全く役に立たない。
 悟飯はどうすれば名前が泣き止むのか分からなかった。
 ああでもない、こうでもない、もしもっと泣かせてしまったら、と考えているうちにざわめきが大きくなった。
 事態が収束したのを感じとった警官が入ってこようとしているらしい。しかも野次馬も増えてきた。このままでは非常にまずい。
「あ、あの、え~と……失礼します!」
 悟飯はええいままよ! と名前の体を抱き上げた。
 そしてそのまま、ふわりと空へ舞い上がる。
 名前は慌てて目の前の正義の味方にしがみついた。彼女は飛べない。
 悟飯とてそれは分かっているのでしっかりと落ちないように身体を支える。
 その時触れた名前の肩に、悟飯は力いっぱい驚いた。そりゃもう天変地異の前触れか、ってなもんである。
 細い。
 兎に角細い。そして柔らかい。
 父や師匠と比べるのが非常識だという程度の認識は持っている悟飯だが、母と比べてもまだ幾分差があるだろうその体に、自分との差異をようやっと理解する。
 地球人とサイヤ人、ということではなくて――女と男という性の違いを。
 名前は女だったとようやく芯から理解した。それも、強く逞しい己の母ではなく、未だ未成熟の少女。
 力では勿論悟飯に敵うわけもないのだけれど、それでも何処からその強さが湧いてくるのだろうというような頼りがいのある母とは全く違う。
 悟飯が少し力を込めれば、こんなに小さい身体、ばらばらに砕けてしまうんじゃないかというほどに。こんなに頼りなくて危うい存在だとは思わなかった。
 そんな少女を泣かせたのかと思うと、再び強盗への怒りがふつふつと湧いてくる。
 悪いことをする奴は許せないと思うけれど、それ以上に。
 名前を泣かせたことに一番腹が立った。
 やっぱりあと数発殴っておくべきだった。けれどそれは悟飯の怒りであって、名前の思いではない。
 当の名前は浮かぶ己と近い位置にある空とに涙も忘れて赤く腫れた目を見開いている。
 漸く止まった涙に安心して、悟飯は声を出さずに笑った。
 胸の中で震える名前に少しドキドキしたけれど、やっぱり泣かないでいて欲しいから。
 しがみ付く名前の体温に、支える腕にほんのちょこっと力を込めた。

#DB #孫悟飯

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指きりすることでもないけれど
「この本、お願いします」
「はいよ。あと、これ新刊。おっさんに取られる前にキープしといたから」
 ほらよ、と分厚い本二冊を手渡し、苦笑しながら差し出された学生証を受け取る。
 今日も今日とて悟飯は図書室にやってくる。弁当箱を持った名前と連れ立って。本を借りて、その後司書室でランチタイム。このところそれが習慣のようになっていた。
「そういえば名前さんはいつも何処で本を買ってるんですか?」
 いつものように大量の食料を胃袋にかき込みながら、ふと思いついたように悟飯が尋ねる。
「はん? 本屋だけど」
「いえ、そうじゃなくて……」
 怪訝そうな顔をしてミニハンバーグを租借する名前に悟飯はぽりり、と頬をかいた。
「専門書とかはそういう本屋さんで手に入りますけど、一般の本屋さんじゃ置いてない本とかも名前さんは持ってるでしょう? 絶版になったのとか、新刊で。だから何処で買ってるんだろうと思って」
「ああ、成る程。なら地図書いてやろうか?」
 ぺりりとメモ帳を破り、そこに大体の住所と学校からの行き方を書く。多少入り組んでいるけれど、そう難しい場所でもない。
 ちょっと変わり者の店主が営む個人経営のその本屋は、中学の時に見つけてからよく利用している。
 渡された地図を見て、悟飯はちょっと首をかしげた。
「駅の近くですか?」
「目印があんまないから分かり辛いかもしれないけど、近くに駅があるから迷わない……とは思う。多分」
名前ちゃん一緒に行ってあげればー? 今日も行くんでしょ?」
「今日は晩飯当番だから直帰。明日は行くつもりだけど。どうする? 明日案内するか?」
「あ、そうですね。今日欲しい本があるわけじゃないので、明日。お願いします」
「分かった」
「いいねぇ、青春だねぇ」
「何がです」
「え、デートの約束でしょ? それ」
「あんたの脳みそ春色か?」
 頬を真っ赤に染めて黙りこくった悟飯の代わりに名前が半眼で司書を睨みつける。
 鼻にも引っ掛けていないというようなその態度に、悟飯の胸が何故だかちくりと痛んだ。
「あんまし孫困らせないでくださいよ」
名前ちゃんは悟飯君と女の子には甘いよね……」
 司書がしくしくと泣きまねをする。
 その途端胸の痛みもすっと消えてなくなる。何かの病気だろうか。
 悟飯は首を捻るが、それで何が解決するでもなく。名前の取り出した「本日のおやつ」に気を取られ、何かに首を捻っていたことすらすぐに忘れた。
「今日はパウンドケーキですか」
「まあ、練習がてら」
 何の、とは言わない。
 今日作ってきたのはプレーンのパウンドケーキ。
 これが成功していれば、そろそろ悟飯の食べたがっていたフルーツケーキに手を出してもいい頃だろうか。そんなことを思いながら作ったケーキ。味見はしたけど、やっぱり気になるのは人の反応。
「いただきます」
「おあがんなさい」
 いつものやり取り。しかしケーキを頬張る悟飯を見つめる名前の顔は真剣で。
 司書はその姿にこっそり笑った。なんて微笑ましい。
「美味しいです」
「……本当か?」
 いつになく不安そうな名前に悟飯は大きく頷いて見せた。
「本当ですよ。いつも思うんですけど、名前さんすごいですよね。色んなお菓子作れて。しかも全部美味しいなんて」
「そう、か?」
「はい。名前さんのお菓子食べたらお店の食べたいって思わなくなっちゃいます」
「それは言いすぎだ。けど、まぁ……サンキュ」
 本当なのに、と膨れる悟飯をはいはいと上機嫌であしらう名前は、しかし内心ほっとため息を吐いた。
 明後日は休み。明日は別のお菓子を作って、明後日試しに一度作って、明々後日には悟飯ご所望のフルーツケーキを作れるかもしれない。
 だって、初めてのリクエストだったのだ。
 普段は名前の差し出したものを文句一つ言わず食べてくれる悟飯が、初めて自分で食べたいと言ってくれたお菓子。それが嬉しくて。
 とびっきり美味しいものを食べて欲しいじゃないか、と名前は思う。
「ほんとに美味しそうだね」
「あ、司書さんもお一つどうですか?」
「……いや、僕そこまで野暮でも無粋でもないから」
「え?」
「何言ってんですかあんた」
「んー……悟飯君」
「はい?」
「いいの?」
「え?」
 ずい。
「いいの?」
「な、何がですか」
 ずいずい。
「本当に食べていいの?」
「い、いいいいいいいいですよ、何でそんな、」
 ずいずいずい。
「ほんっとうに、いいんだね?」
「おいおい、あんたら顔近いぞ」
 いいの? と聞くたびにじりじりと近付いてくる司書に悟飯は逃げ腰になる。真剣な顔が妙に怖い。そんな悟飯に名前が横から助け舟を出すが、司書はじ――――――ーっと悟飯を見つめる。
「悟飯君以外が名前ちゃんのお菓子食べて、いいの?」
「え、えぇぇええぇぇ?」
 司書の迫力にのまれ悟飯は頭を抱えた。そしてよくよく考える。
 いつも名前がお菓子を作ってきてくれるのは悟飯の為だけで、毎回何を作ってくれるのかわくわくしている。でもお菓子だけじゃなくて、食べている間、楽しそうに自分の顔を見ていたり、「美味しい」と言ったときに見せる笑顔が一番楽しみで。実はお菓子そのものよりも、そちらのほうを楽しみにしている自分を悟飯は自覚していた。
 では、もし本当に司書がそのお菓子を食べたとしたら……?
 
 嫌かもしれない、と思った。それもものすごく。
 
 悟飯の顔色が変わったのを見て取って、司書は呆れと安堵の混じったため息を吐いた。鈍いにも程がある。
 悟飯と名前がお互いに好意を持っていることなど、殆ど毎日見せ付けられている彼にしてみれば分からない方がどうかしている。知らぬは本人ばかりなり。
「まあ、僕今ダイエット中だから遠慮しとくけど」
「出前ラーメン二人前食っといて……?」
「ラーメンは別腹!」
 人が折角恋のキューピッドしてやろうとしてんのに、と思いつつ、冷静に突っ込む名前に反論する。本人に知れれば「頼んでねぇ」と言われると分かっているけれど。
 どうにももどかしいこの二人。どうにも構いたくなるのは仕方ない。
「ダイエット中なら仕方ないですよ。僕が全部食べてもいいですか?」
「そりゃ、勿論」
「うんうん、僕に遠慮せず食べちゃって」
 ホ、と安心したように目の前のケーキを指差す悟飯に、名前と司書は揃って頷いた。
 これで多分、悟飯が他の人間に「名前のお菓子」を譲るようなことはなくなるだろう。そうすれば、名前のあんな顔を見なくても済むのだ。
 悟飯は気付いていなかったけれど、司書にケーキをすすめた時の名前の顔。泣く寸前のようなそれは、一瞬で強がりに変わったけれど。正面に座っていた司書はばっちり見てしまった。
「悟飯君、惚れた女の子は泣かせちゃ駄目だよ」
「むぐっ、……げほ。は、はぁ」
 悟飯は一瞬詰まり、困ったように頷く。急に何を言われているのやらさっぱり分からない。
 その姿に司書はちょっと笑った。鈍さが罪にならないうちに気付いて欲しいものだと思いながら。
 
 
 そして楽しいおやつの後は眠い眠い午後の授業が始まる。
「じゃあ、また明日」
「はい。また明日」
 名前と悟飯は教室の前で手を振って別れる。
 名前は教室へと入り、自分の席に着……こうとした。
「見たわよ見たわよ~、なーに、悟飯くんと随分仲良くなったんじゃな~い?」
 出た。名前は小さくため息を吐いた。
「何よ、顔見るなりため息吐かないでよ。
 で、で? どうなの? 進展は?」
「あるかンなもん。つーか何でそっちにばっか繋げるか」
「女子高生の楽しみなんてこれぐらいしかないでしょ!」
「楽しみを多々持ってらっしゃる全国の女子高生の方々に謝れ」
 ぱこん、と丸めたノートで頭を叩くと友人はえへへと笑った。明らかに誤魔化す為のものだけれど、名前はため息一つで誤魔化されてやることにした。そもそもが長引かせたい話題でなし。もうそろそろ教師もやってくる。
「また後でね」
「お断りだ」
 ウインクに素っ気無く返す。それでも友人は笑って手を振った。名前がこういう人間だと既に知っているのだ。悪気があるわけでも嫌悪感を抱かれているわけでもない。ただそれが当たり前なだけ。
 分からないでいるうちは随分と当り散らしたものだ、と授業開始数分で船を漕ぎ出した名前の後頭部を見つめ、心優しき友人その一は苦笑した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そりゃあまあ、養ってもらっている身の上だし。自分としてもさもしい食卓が好ましいわけではない。
 どんなに外に出るのがめんどくせぇな、と思っていても、誰だって食卓に乗る夕食が茶碗一杯の米とたくあんだけ、というのは倹約生活でもしていない限りはお断りしたい状況だろう。東地区の某大食らい×二がいる家庭でなくてもご免被ると断言するはずだ。
 名前は排水溝の蓋を踵でがこんと蹴飛ばして、大きな音にびっくりする通行中の皆様方も気にせず駆け続けた。
 事の発端といえば、家に帰って夕飯の支度の時間までのんびり本でも読もうとくつろいでいたはいいのだが、静寂を四方六方に切り裂く電話。何だ何だと受話器を取れば、慌てたおかんの「食材買っといて!」のヘルプコール。
 言われて覗けば冷蔵庫は空っぽ。
 早目に帰れるから一緒に晩御飯を作ろう、と言ったのは当の母親。しかし予想外のアクシデントで帰りが一、二時間遅れるらしい。それから作り始めたのでは夕食の時間には到底間に合わない。
 有り合わせで良いよ、と言おうにも、その有り合わせ自体が無かったりで。
 見事に冷蔵庫の壁が見渡せるこの隙間。冷気も隅々まで行き渡っている。冷やすものが無いので意味は無いが。
 ならばいっそ出来合いのものでも、と名前は思うのだが、母親の「家にいる時まで店屋物なんて食ってられるか」という大層男前な台詞で一刀両断されるのが常。その後ろで父親は拍手をしながら頷くのみ。こんな両親から育つべくして育ったのが名前という話である。
 はぁ、とため息で承諾して財布を引っつかんで出かけようとしたところで気付いた。
 学校帰りに寄った本屋。ずっと集めていたシリーズの最新刊が発行されていて財布の中身が寂しくなるのも覚悟の上で買ってしまったのだった。あとついでに、ちょっとした料理の本、なんかも。あくまでついでと名前は言い張るつもりであるが。
 別に悟飯が食べたがっていたケーキが詳しく載っていたから、とかじゃなくて。たまたま載っていたのだと。
 人はそれを無駄な足掻きと言い習わす。
 それはともかく。
 オウシット。というやつである。
 しかも親は金を降ろし忘れたときたもんだ。家の非常用財布はすっからかん。ちらりと時計を見ればまだ銀行はギリギリ開いている。手前の金をおろすのに手数料を取られるのも馬鹿らしい。
 即断即決で名前はつっかけ履いて駆け出した。
 この町の人間なら誰でも知っている大きな銀行。名前の家も例に漏れず金を預けていた。
 ぜぇぜぇはぁはぁ息を荒げ、それでも漸くたどり着く。まだ時間内。
 自動ドアの音を背にカウンターに向かう。
 家とは少し距離があるのでここまでずっと全力疾走だった。お陰で背中に汗で張り付いた服が気持ち悪い。さっさと金を引き出してスーパーに向かうべし。
 晩飯の材料と、ついでに最近消費の激しい小麦粉も買って帰るか。
 そんなことを考えつつ、引き出した金を仕舞いながらきびすをかえす。と、すぐ後ろに立っていた男に肩がぶつかり、頭をちょっと下げて「すいません」と謝る。そのまま出口に向かおうとすれば、驚くほど強い力で腕を引かれた。
 ぶつかった事には謝った。なのにこんな態度を取られれば、温厚な相手でもムカッとくるんじゃなかろうか。
 抗議とまではいかないにしても、睨みつけてやろうと振り返る。名前は自分が気の短い方だと自覚していた。
 だけど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「動くなよ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 こめかみに当たる冷たく硬い感触と、銀行員の強張った顔に、名前は血の気が引く音を聞いた。

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孫悟飯餌付け計画進行中
 ばこん、とハードカバーが良い音を立てる。次いで小さなうめき声。幸い悟飯の耳には届かなかったようだ。楽しそうに本を選んでいる。
「酷いよぅ、ちょっとからかっただけなのに」
 半べそかきながら司書が名前に抗議する。その手には二〇〇ページはあろうかという分厚い本。
「殴るぞ」
「殴ってから言わないで」
 僕の脳細胞のためにも。
 司書の呟きは綺麗に無視。ならば最初から言うな、という話である。
 名前と悟飯。二人揃って図書室へと足を運んで。早速、とばかりに本を選ぶ悟飯の背を見つめる名前に司書が一言。
『ちゅーまでいった?』
 考えるより先に手が出たのは久しぶりだ、と名前は思った。角を使わなかっただけ有り難いと思って欲しいものだ。
名前ちゃんはさ、レンアイって苦手だよね」
「苦手じゃないですよ。しないだけで」
 一言で切り捨てる。
 そうだろうか、と司書は首をかしげた。
 オレンジスターハイスクールはもちろん女子高ではないし、そこそこ格好良い男の子が揃っている都会の学校だ。名前の好みが何処にあるかはともかく。
 イレーザや友人Aなどは誰が格好良いそれが可愛いと盛り上がっていたりするのだが、名前はその話に乗ることは無く、普段は結構付き合っている雑談もそういった話題になると口数が少なくなる。
 苦手なのは恋愛じゃなくて突発的事項なんだろうな、と彼は思った。そしてその突発的事項の塊である恋愛もイコールで繋がる。
 伊達に年はくっていない。年の功でそう考察する。
 臆病などとは思わない。誰だって『未知』というのは恐ろしいものだ。
 だから初恋ってやつぁ実らないって言われるのさ。ちょっぴり甘酸っぱい青春時代を思い出し、三十路男は遠い目で天井を見上げてみた。見えるのは美しき思ひ出ではなく舞い散る埃ばかりだったけれど。
名前さん、これ読んだことありますか?」
 少し声を大きくして悟飯が問いかける。名前は急に黙りこくった司書を胡乱な目で眺めていたが、えっちらおっちら悟飯の隣に並び立ち、差し出された表紙を覗いて首を振る。
「いや、ない」
「じゃあ面白かったら教えますね」
「ああ、頼んだ」
 ふふ、と二人で笑いあう。
 こんなに自然にこんな笑顔を引き出していることにお互い気付かないなんて。勿体無いことをするものだ、と腐っても大人である彼は思った。
 そんな大人には気付かずに、名前と悟飯はあの本は回りくどい、この本は意外性がある、なんてことを話し合っている。
「孫お前、なんか食いたいものあるか?」
 お料理ブックを開きつつ、名前が尋ねる。今まで作ってきたお菓子は大体この本か、家で埃を被っていたものからだ。
「え、うーん、名前さんの作ってくれるものなら何でも嬉しいんですけど……あ、これ美味しそうですね」
 さり気ない告白に、言った本人も言われた名前も気付かない。司書はあーあと天を仰いだ。
 悟飯が指差したのはフルーツケーキ。色とりどりの果物に囲まれたそれは確かに美味しそうなのだけれど。
「……めんどくさそうだな」
 作り方をちょっと見て呟いた名前に、悟飯の肩がしょんぼり下がる。もし未だ尻尾が残っていたら、それもだらんと垂れ下がっていたかもしれない。
 名前はそんな悟飯の様子にしょうがないな、と晴れやかに笑った。そんなに楽しみにされてるんじゃあ、喜ばせたくなるじゃないか。
「気が向いたら作ってやるよ」
「は、はい!」
 確かに勿体無いことをしている、とは思うのだけれど。
 嬉しそうに笑う悟飯を眺めながら司書は考える。
 でも。
 しばらくは無自覚の恋を楽しむのもいいんじゃないかな。
 見ててちょっと照れくさくなるような、そんな可愛い恋未満。それもあり。司書は幼子たちに気付かれぬように微笑んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ちく、と視線を感じる。ちくりちくり。
 鬱陶しい、って言ってしまってもいいものだろうか。
 心優しき真面目少年孫悟飯は、右から左から事あるごとに突き刺さる視線に辟易していた。
 右を向けば眦を吊り上げたビーデルに睨みつけられ、左を向けばイレーザのじっとりとした目に遭遇、前を向こうとすればシャプナーに小さく小さく小突かれる。
 僕が何をしたって言うんですかぁ~……。
 名前が聞けば「情けない声出してんなよ」と笑われるかもしれない。それでちょっと小突かれたりなんかして。そしたら嬉しいかも、なんてことを考えて、悟飯ははた、と我に帰った。
 今は授業中なのである。それも午後一、最も眠くなる時間の。だから教師も居眠りをしている生徒がいないかとその目を光らせ、聞いていないようであればすぐさまチョークを投げる準備をしているのだ。中には稀に投げられたチョークを跳ね返す強者もいたりするけれど。
 ある日隣の教室から歓声が聞こえてきた時には、生徒も教師も皆揃って目を丸くしたものだ。思い出し、悟飯は教科書で顔を隠してこっそり笑った。
 何事だ、と気もそぞろになるのを抑え、授業終了後覗いてみた隣のクラス。名前に事情を聞こうと思っていたら、なんと囲まれているのはその名前本人である。笑いながら賞賛の声を浴びせるクラスメイトを不機嫌そうにあしらっていた。驚いて突っ立っていると、気付いた名前に腕を引っ張られ屋上に続く階段まで連れ出されてしまった。
 わけが分からずおろおろしている悟飯に、逃げ出す口実だ、と笑った名前から事情を聞けば、居眠りしていたら教師にチョークを投げられた。ので。下敷きで力いっぱい打ち返したら運悪くその教師の額にヒットしてしまったのだとか。
 決まり悪くそっぽを向く名前に、その時の悟飯は乾いた笑いを洩らすしか出来なかったのだけれど。
 多分、予想外だったんだろうな、と思う。まさか跳ね返したチョークが教師に当たるなんて思っていなくて。気まずくて、恥ずかしくて、困っていたのだろう。不機嫌はそれを隠すための仮面。
 今の悟飯は何となく分かるようになっていた。
 伊達に幼少時から色々と個性的過ぎるほどに個性的な大人たちに囲まれて育ってきたわけではない。人を見る目は養われているのだ。
 だから名前の不器用が、不器用に示される親愛が、嬉しくなる。
 気が向いたらな、と笑う姿を思い出して、ついつい口元が緩む。楽しみだ。
 悟飯はまだ気付いていない。
 いつの間にか思考が名前へとたどり着いてしまうことに。
 悟飯は全く気付いていない。
 眦を吊り上げたビーデルが睨みつけていることも、それを見てシャプナーがハラハラ冷や汗を垂らしていることも、そんな二人と一人にイレーザが頭を抱えていることも。向けられる視線が気にならなくなっていることも。
 気付いた時にはもう遅い。
 自分がそんな思いを抱えていることも知らぬ間に。チョーク返しなんかして教師を傷付けない為に、悟飯は真面目に授業を受けだした。
 
 
 
 
 
 
 
「で、どうなの?」
「主語と目的語を言え」
 待ち伏せしていたらしいイレーザに教室を出るなり問われ、名前はとりあえず突っ込んだ。
 放課後である。この後の予定は特にはないが、帰ってゆっくりしようと思っていたところをいきなり邪魔されたのだ。名前の眉にちょっとばかり皺が寄るのも仕方ない。
 だがイレーザもそんなことは気にしない。今はそれよりも大事なことがあるのだ。
「悟飯君のことよ」
「孫がどうした」
 無自覚かこの女。とイレーザは思った。
 この時点で昼のアレが何の意味も持たず見たとおりのものだったのだと理解できる。
 ほ、と一安心である。
 何せあの後荒れるビーデルを宥めるのに一苦労だったのだ。
 だれかれ構わず当り散らすことはないけれど、始終ピリピリした空気を撒き散らされるのは心臓に悪い。シャプナーなど怯えながらもその隣の席をキープしているのだから、ある意味尊敬に値する。
「じゃあ、別に悟飯君と付き合ってるとかそういうことはないの?」
「どっからそんな話が出てんだ?」
 怪訝そうに質問を質問で返されて、イレーザはちょっと言葉に詰まった。どっからも何も。
「だって、いつも二人でいるし、今日なんて悟飯君にお菓子あげてたじゃない」
「本の趣味が合うからな。大体いつもはお前等といるだろ。それに、菓子なら今日だけじゃなくてちょっと前からやってる」
 つらつらつら、と述べ立てる。
「それだけ聞きにきたのか?」
「え、あ、うん。まあ」
「……ご苦労だな。もう帰っていいんか?」
「う、うん。えーと、じゃあまた明日」
「ああ、また明日」
 なんとも言えない顔をするイレーザにひらりん、と手を振って昇降口に向かう。
 背中に微妙な視線を感じて名前はちょっとため息を吐いた。
 どいつもこいつも。
 何でもないのに。
 思って、ちょっと眉間に皺が寄る。なんでもないのだ、本当に。誰に言い訳をするでなく。
 悟飯のことが嫌いなわけじゃない。そもそも名前は嫌いな相手にわざわざ労力を割くほどお人よしでも器用でもない。しかも慣れないお菓子作り、なんて。
 じゃあ何で世話を焼くのかと聞かれたら、悟飯が苦労人だから、と答えるけれど。間違ってもイレーザの言うような理由からじゃない。
 そりゃあ、結構気に入ってはいる。笑うと左頬に小さく笑窪が出来たり、美味しそうに名前の作ったお菓子を食べてくれるところとか。穏やかな中に覗かせるちょっとドジな一面なんかが。嫌いじゃない、と思うのだ。
 それを恋と呼ばずしてなんと呼ぶ、と言ってくれる人はいない。名前の脳みそでも覗けない限りは。
 故にその答えが勘違いから生まれていることも、密やかに降り積もる想いも、今はまだ気付かぬまま。
 名前は小さく欠伸をした。

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孫悟飯餌付け計画序の巻
 香水というものは本人が気付かないうちにその人に染みこんでいく。それが当たり前となっていけば本人はどれだけ強い匂いでも気付かない。だから電車など人が多く集まる場所でのそれは公害とも呼ぶべき被害をもたらす。
 それはともかく。
 匂い、という共通点でもって挙げるならば
「これが最近甘い匂いさせてる原因か」
 これもそうなのだろうか、と名前は首をかしげた。
「してるか?」
「ぷんぷん。あんた舐めたいぐらい」
「止めてくれ」
 言葉の中に微量の本気を感じ取り、名前は即行で拒否をする。
 ぱし、と音を立ててぽてちを齧るは友人A。名前に本を借りるついでに家にお邪魔したら、本を渡すなり台所に篭もられた。何をするのかと思えばお菓子作りである。
 まあ今更遠慮をするような間柄でもないのだけれど。
 かしゅかしゅと泡だて器が小気味のいい音を立てる。何だか楽しそうな横顔に、友人もとい悪友Aの悪戯心が疼きだす。
「それ、誰にあげるの?」
「孫」
 事も無げに言われた名前にちょっとびっくり。
「いつの間に」
「あいつも大変なやつなんだ」
 誤解続行中。
 うんうんとしたり顔で頷く。
「ちょっと甘いもの与えるくらい、あいつの人生の足しになるならいいさ」
 盛大なる誤解続行中。
 どうも名前の脳内では悟飯は滅多に甘いものを食べられない苦学生という設定になっているらしい。
 確かに大黒柱たるべき人物が天国で暢気に遊んでいて役に立たない家庭ではあるが、シケモクを集めて煙草を作り直したり、造花をせっせと作らなければいけないわけではない。勿論ない。特別裕福とまではいかないにしても、祖父である牛魔王はしこたま財宝を溜め込んでいたし、悟飯も悟天も贅沢をしたがる性質でもない。食事の量はともかく。
 だが思い込みと言うのは恐ろしいもの。
 それに自分の作ったものをいちいち嬉しそうに、美味しそうに食べてくれる悟飯の姿に、ならば次はもっと美味しいものを、と思うのは至極当然の流れで。
 絆されたとも言うが。
 ちなみにその四分の一は彼の母親の腹に納まっていて、自分の知らないところで着実に気に入られているというのは名前の知らない話である(残り四分の一が悟天の取り分、悟飯は二分の一)。
 やたらとエンゲル係数の高い家庭。少しでもそれを減らしてくれる名前はある意味救世主扱いだった。勿論これも名前の知らぬところ。
「よく分からないけど……随分仲良くなったのね」
「仲良しか?」
「いや仲良しでしょ」
 一緒に昼食を食べたり、差し入れしたり。これのどこが仲良しじゃない、とでも言うつもりか。
 名前はそうだろうか、と首を傾げる。無意識とはまこと恐ろしい。
 殆ど初めて作るお菓子、というか料理。最初は母親に手伝ってもらいながら、本と睨めっこをしながら作っていたのだが、ここ最近では一人で作れるようにもなっていた。少しずつ複雑なお菓子にも挑戦してみたり。柄でもないな、とは思うけれど。
 一口食べた後の悟飯の笑顔が嬉しい、だなんて。ちょっと照れくさいことを考えたり。
 どの口が仲良しを否定したものか。
 どこまでも無自覚な名前に友人Aはどでかいため息を投下した。
「私へのお裾分けはないの?」
「食いたかったのか?」
 なら作るぞ、と名前
 そういうことちゃいますねん、と友人A。
「何でいきなり私すっとばして悟飯君なのよ」
「なんだ、ヤキモチか」
 にやりと笑う名前にうぅ、と詰まる。そういう部分が無いわけでもなかったので。
「なら今度からはお前にも作ってやるよ」
 言って、今しがた焼きあがったばかりのスコーンを友人Aの口に放り込む。かぼちゃを練りこんだそれは熱々で、さり気に差し出されたジャムを付けると堪らない。
 こんなものを毎日食いやがって、とちょっと悟飯が羨ましくなる。
 ちらりと名前を見れば一つ摘んでうん美味しい、と機嫌よさ気にラッピング。それが上手く出来た喜びからなのか、悟飯の顔を思い浮かべているからなのかは分からない。
「……そろそろ帰るワ」
 何だか無自覚に惚気られたような気がして、よっこらせと立ち上がる。
「ああ、じゃあまた明日な」
 お土産にと持たされたスコーンは手の中でほかほかいい香り。玄関で手を振る名前の無自覚っぷりに、一波乱起きなければいいけれど、と友人Aは曇り空を仰いだ。
 
 
 
 
 
 
 あが、と一口。へにゃり。もきゅもきゅごくん。
「美味しいです」
「そうか」
 互いににっこり笑いあう。周囲に座っていた同級生がぎょっとしたような顔をするが、二人は気付かずスコーンを食む。
 珍妙な光景だ、とイレーザは思った。からかいに行きたそうにしているシャプナーの耳を引っつかみ、不機嫌そうなビーデルを宥め透かしてちょっと離れた席に座る。昼の食堂は戦場なのだ。早目に座らなければ席が無くなる。財布だけを持ってそれぞれ昼食を選んで席に戻る。
「なによ、悟飯君。鼻の下伸ばして」
「つーか、名前って笑うんだな」
「あぁっ、顔近い!」
「こんなとこで大胆だな」
 悟飯と名前の一挙一動にいちいちと声を上げる友人二人を横目で眺めつつ、イレーザはサイコロステーキをぱくりと口に放りこんだ。
 面白い。
 ビーデルが何となく悟飯に好意を持っているのは傍目にも分かった。だからこそシャプナーも悟飯に突っかかっていたのだが。
 伏兵登場だわ。
 イレーザは口の中でいひ、と笑った。
 乙女というのは恋の鞘当が大好きなのだ。ビーデルには悪いけれど。
 まだ名前とビーデルがそういったライバルだと決まったわけでもないのに決め付けるのはイレーザの癖である。妄想もまた乙女の特権だ。
 それにしても、と思う。その伏兵が名前というのには驚いた。しかもあんな笑い方をするなんて。
 嬉しそうな、楽しそうな、無邪気な笑顔。
 入学して数ヶ月。確かにそんなに深い付き合いというのはしたことがないけれど、名前のあんな顔を見るのは初めてに思う。普段は呆れたような笑みや片頬だけを吊り上げるような笑い方しかみたことがない。半分はデートに行くからと委員を押し付けたりするイレーザの普段の行いの所為でもあるのだが。
 名前のクラスメイトも驚いていたくらいだ。滅多に見ることは出来ないのかもしれない。
 そして悟飯も。
 編入して数週間。女の子と二人でいるところなんて、こちらははっきり初めてだと言える。
 その初めてのお相手が名前である。
 社交性があるとは言い難いが誰に対しても態度を変えない名前と、人当たりはいいがどこか謎を匂わせる悟飯。アンバランスのような、そうでないような。
 まさかこんなに仲良くなっているなんて露ほど思わず、イレーザはどういった経緯でこうなったのかしらと首を捻った。
 
 一方、首を傾げるイレーザとその他二人には気付かず、名前と悟飯は最後のスコーンを仲良く半分こしていた。
 最初、カップケーキを作ってきた名前は最後の一つを悟飯に譲ろうとしたのだが、悟飯はそれに頑として頷かなかったのだ。
 悟飯にしてみれば作ってくれた名前に譲るのが礼儀だと言い、名前はお前に食べさせるために作ってきたのだと反論する。そんな押し問答の結果、最後の一つは二人で食べよう、という事で決着が付いた。
 二人で分け合っていると、何だかもっと仲良くなれたみたいで嬉しいじゃないか、という悟飯の言葉に照れつつも、含みのない素直な言葉に名前も折れた。今じゃ名前も結構気に入っていたりする。
 量としてはもちろん悟飯の方が沢山食べているのだが、そんなことはどうでもいいのだ。
「孫、付いてる」
「へ? どこです?」
 名前はここだ、と言う代わりに悟飯の口元から食べくずを摘み取り。
「ありがとうございます」
「お気に召したようでなにより」
 何事もなかったかのように笑いあい、広げた包みを片付けて食堂を出る。この後図書室に寄って教室に帰るのだ。
 平静でないのはビーデルイレーザシャプナーの三人である。
「……今の……」
「……見た……」
「……素、だったわよね……」
 目が点になるとはこのことだろうか。
 三人は悟飯と名前が出て行った食堂の扉を見つめ、口元を引きつらせた。
 今見た光景が信じられず、ぱしぱしと瞬きを繰り返す。しかし少しだけ視線を走らせれば同じような表情が二つ。それが現実を知らしめる。
 ファミレスなんかで見かけることもある。喫茶店に入った時もたまに見る。
 口元に付いた食べくず摘んでそのままひょいぱく、なんて。
 親子、もしくは……
「カップルでも滅多にしねぇよな……」
 シャプナーの呟きに、女二人はこっくり頷く。ビーデルの顔なんて見れたものじゃない。ショックで蒼白になっている。
 無理もない。憎からず思っていた同級生が、他の異性に、目の前で、そうされるのが当たり前のように、恋人であるかのような態度を見せたのだ。今なら金槌で頭を殴られたって「それ衝撃ですか?」と言えるかもしれない。
「あ、あの二人ってそういう関係……?」
 この数日、悟飯の口からそんなことが洩らされた記憶はない。黙っていたのか、何でもないのか、言い忘れていたのか。それは誰にも分からない。
 悟飯は正直者ではあったけれど、秘密の多い少年でもあったのだ。
 イレーザとシャプナーは顔を見合わせ、同時にさぁ、と首を傾げる。
 呆然自失のままのビーデルの呟きに答えられる人間はこの場にいなかった。

#DB #孫悟飯

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お友達からはじめましょう

「最近悟飯ちゃんはその『名前さん』のことばっかりだなー」
「へ!?」
 食後の孫家。食事の後はすぐにそれぞれの部屋に篭もって一人で過ごす、なんて寂しいこと、孫家ではしないのだ。悟天を膝に乗せてテレビを見ていた悟飯は、チチの言葉に素っ頓狂な声をあげ、洗い物をしている母を振り返った。
 ブラックホール並みの胃袋を持つサイヤンハーフ×二人である。食器の量も半端ない。その半端ない洗い物を手馴れた仕草で片付け、丁度最後の一枚を拭きながら悟飯を見た。何だかその目が怖いと思うのは悟飯の気のせいではないようだ。もしかして、と恐る恐る口を開く。
「お母さん、誤解してません……?」
「誤解って、何のことだー? 別にオラは帰ってくるなり『今日は名前さんが~』なんて聞かされるの、どうとも思ってねえだぞー」
 あれから。悟飯は図書室に顔を出すたびに何となく名前の姿を探すようになり、昼食も司書室だったり、食堂で食べる時も何となく名前といるようになっていた。
「……ものすごく気にしてるじゃないですか……。
 違いますよ、名前さんは、言ったでしょう、図書委員で本が好きで、いつも面白い本を教えてくれるんですよ」
「そんなこと言って、都会の娘っこにたぶらかされてるんでねぇか?」
 名前はさすがに地元民らしく、サタンシティの本屋について詳しかった。悟飯が欲しいと言った本を、図書室から本屋から、探してすぐに見つけ出してくれる。
 何が絶版になっていて、復刻版が出ているのか、なんて。ぶっちゃけ悟飯は絶版なんて言葉も知らなかったくらいだ。
 本人は図書委員だからだ、なんて言っているけれど、余程本が好きじゃないとそこまでは出来ないはずだ。
 それに、とも思う。
 彼女は自分を呼ぶときに「悟飯」じゃなくて「孫」と、苗字を呼ぶ。それが師匠が父を呼ぶ時のものと同じで、何だかくすぐったくなるのだ。
 ファザコンの弟子馬鹿と呼ぶなかれ。父に憧れ師匠を尊敬する純粋な男心というやつなのである。多分。
 だから、
名前さんはそんな人じゃありませんよ。そりゃちょっと口が悪いとこもありますけど、根っこはいい人なんです」
「ほぉ~、なら今度連れてきてみるだ。オラがその名前さを見定めてやるべ」
「いいですよ、連れて……なに? え? お母さん?」
 ふふん、と笑う母にしてやられたことを悟る。
 別にチチとて本気で悟飯が『名前さん』に誑かされているなんて思っているわけではない。授業中に居眠りをして教師にチョークを投げられチョーク返しをしたとか、どうしても焼きそばパンが食べたくなってでも学食は売り切れだったから近所のスーパー巡りをして午後の授業に遅刻しそうになったとか、そんな武勇伝を毎日聞かされているのだ。
 ある意味では安全牌であるし、それに周囲のとんでもない人々ばかりを見て育ってきた悟飯の人物眼を疑ってもいなかった。
 だから単なる母心、ちょっとした好奇心なのである。
「悟飯ちゃんがなかなか紹介しようとしねえからだぞ。悟天ちゃんも兄ちゃんの友達見てみてぇよな」
「兄ちゃんの友達? ピッコロさんは友達じゃないの?」
「ピッコロさは悟空さの友達だ。悟飯ちゃんの友達っちゅーたら、ドラゴンだの何だの、動物ばっかりで心配してたんだ」
 ピッコロが聞けば照れのあまり魔貫光殺法でも繰り出してきそうなことをこの宇宙最強の嫁さんは事も無げに口に出す。違うだろ、とも言い難いのがなんとも微笑ましい。
「心配って……あ、でも名前さんは普通の人なんで、」
「わーかってるだ。悟天ちゃん、名前さが遊びに来ても変なこと言っちゃ駄目だぞ」
「うん!」
 どうやら名前が孫家に遊びに来る、ということは決定済みらしい。さすが押しの一手で悟空の嫁に納まっただけはある。その強引さは未だ健在ではある。が。
「そういうことじゃなくて……」
 名前がここまで来れるのか、ということなのだけれども。イレーザもびっくりするほどの距離である。悟飯達が空を飛べば二〇分で辿りつける距離とはいえ、そんな姿を見せるわけにもいかない。
 ううむ、と唸りつつも「明日誘ってくるんだぞ!」との母の言葉に頷いた翌日。
 
 
 
 
 
「すまん、無理」
 
 
 
 案の定。あっさり告げられた言葉に、悟飯は安堵しつつちょっと残念な気持ちになった。何故だかは分からないけど。
「えーと、とりあえず、お母さんへの言い訳貰えると僕が怒られずに済むんですけど……」
「……お前ちょっと怯えすぎだろどんなお袋さん……いやいい言うな。言わなくていい。
 まあ、時間と距離だな。ジェットフライヤーで五時間ってどんな距離だおい。つーかお前ホントどうやって毎日通学してんだ?」
 飛んできてます。
 なんて言えるわけがない。
「いやー、あー、知り合いの科学者さんが新しいエンジン作ったから、って、その試運転も兼ねて今までよりスピードの出せるクルマ使ってるんですよ」
 嘘八百であったが、知り合いに科学者(それもとびっきりの)がいるのは本当だし、サタンシティとの距離を考えたらそういう質問が来るのはこれまでの経験から予測済みだったので用意していた答えを口にする。
 名前は特に疑う様子もなく「そうか」と頷いた。
 ここが名前のいいところだな、と悟飯は思う。
 何か隠したがっている人には深く突っ込まない。隠したがっていることを気付いていると悟られないようにする。人によっては薄情と捉えるそれも、実際隠し事のある悟飯としては有り難かった。と言っても、名前のそんな態度を悟飯自身が気付いたわけではなく、名前の友人に教えられて初めて気付いたので偉そうなことは言えないのだが。
「お袋さんには申し訳ない、っつっといてもらえるか。流石に片道五時間の距離を日帰りで行ったり来たりは出来ねーし」
「いえ、こちらこそすいません。ほぼ初めての人間の友達ってことでお母さんはしゃいじゃって……」
「…………………」
 ふと目頭が熱くなるのを名前は横を向くことで誤魔化した。
 齢一六にして初☆人間のお友達、だなんて。田舎に住んでるからというしたってあんまりじゃあないか。
 別に悟飯が不幸な生い立ちであるというわけではないけれど(多分に波乱万丈ではあるが)、彼と彼の父親にまつわるエトセトラを知らない名前は盛大なる誤解をする。
「何かあったら言え。出来ることならするから」
「え? あ、はい。ありがとうございます」
 がっしりと肩に手を置き、真剣な瞳で語りかける名前に悟飯は素直に頷いた。勿論名前のしている誤解などには気付かずに。能天気にも「名前さんはいい人だなぁ」なんぞと喜んでいる。
「よし、苦労人のお前には特別にこれをやろう」
 名前の中で孫悟飯=何か知んないけど不幸な過去を背負った人という図式は決定事項らしい。ごそごそと鞄を漁って可愛らしくラッピングされた包みを渡す。
 悟飯の大きな手の平に置かれた包みからは甘い香りが漂っている。心なしかちょっと温かい。
「何ですこれ?」
「さっき作ったクッキーだ。今日の家庭科クッキー作りだったんだよ」
「わぁ、いいんですか? ありがとうございます」
「どういたしまして。班全員で作ったから不味くはないと思うぞ」
 無邪気に喜ぶ悟飯の姿に名前は苦笑した。クッキーでここまで喜ばれるとは思ってもみなかった。
 そんなにお菓子に飢えていたのだろうか、と誤解にますます拍車がかかっていく。実際は食べ物を貰えばなんであろうと素直に喜ぶサイヤ人なだけなのであるが。
「孫」
「はい?」
「頑張れよ」
「? はい」
 何をだろうか、と思っても何となく素直に頷いてしまう純心馬鹿ここにあり。
 名前はそれに一人満足そうに頷くと、明日は何をくれてやろうかと思案開始。
 孫悟飯餌付け計画(実行者、被行者共に無自覚)がここに始まる。

#DB #孫悟飯

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ブラックホール
「新刊そっちの棚だから」
「はい」
 また後で、と別れて名前は司書室に入る。そこでは司書がカップを片手に本を読んでいた。
「またですか」
 声をかければすぐに名前に気付いて破顔する。笑うと幼く見えるこの司書は、確か今年で三〇のはずだ。
 自分の童顔を気にしているのか、髭など生やしているが実はちっとも似合っていない。
「いらっしゃーい。だって、新刊入ったんだもーん」
「もーん、じゃないっすよ。あんた、司書が真っ先に読みふけってどうすんです。借りたい奴が借りれないでしょうが。あと本に熱中してる時は飲まない! それで何回溢したよ!」
 一気にまくしたてると司書は眉を下げて情けない顔をしてみせた。だって、と唇を尖らせるが名前はさらに口を開く。可愛くないおっさんがやったってその仕草は何の効果も発揮しないのだ。
「こないだの本の修繕も原因の三分の一はあんただっつーの! いらん手間ばっかかけさせやがって、ちったぁ反省せんか!」
「ごめんなさい……」
 今までの鬱憤を晴らすかのような言葉に、司書は目を白黒させる。その後ろからクスクス笑う声が聞こえ、覗きこんでみるともう一人の本日の昼番、イレーザが立っていた。
「相変わらずね、名前
「イレーザ、久しぶり」
 オレンジスターハイスクールはこの国でも有数のマンモス校である。何しろ世界を救った英雄の住む街であるから、人口も半端ない。
 故に生徒数も多いので、同じ委員と言っても図書委員などは委員会のある日以外は同じ人間と当番になることなど滅多にない。同じ委員で友人同士がつるんでいるというなら話は別だが。
 イレーザはその明るい性格で友人知人が多い。名前も同じ委員になる前から知っていた。
 入学式で少し迷った時に(何しろこの学校は広いのだ!)連れ合いになった中である。あまり思い出したいことでもないが。
「先生も反省はしてるみたいだから、許してあげたら?」
「反省だけな」
 反省はしても行動が伴わない。
 言外に告げる名前に、司書はしょんぼり肩を落とす。その姿が結構可愛いとイレーザの密かなお気に入りなのだが、さすがに可哀想かとフォローの言葉を探す。
 そこへ、
「すいません」
 天の助けとばかりにカウンターの向こうからお声がかかる。
「ほら、お客さんよ」
 そう言えば、名前は結局腰をあげる。関係ない人間に無下に八つ当たりはしたくないと思っている。しないと言い切れないのが高校生ではあるのだが。
 短い付き合いでもそのくらい理解できる程度には、分かりやすいのだ、彼女は。口の悪さに誤魔化されることも多々あるが。
「あの、新刊案内のこの本ってもう貸出中ですか?」
 デジャ・ヴュ。カウンターの向こうにいたのはまたも悟飯。
 そして示された本のタイトル。
 どっかの馬鹿がコーヒー片手に読んでいた、あの本。
「おいこらオッサン」
「あーれ? 悟飯くんじゃない!」
 振り向き、司書への文句を言おうとしたその瞬間。イレーザの驚きの声が静かな図書室に響いた。
 悟飯もぱちりと目を見開く。
「イレーザさんも図書委員なんですか?」
「そうよ。って、私もって?」
「あ、さっきここに来る時に知り合ったんです」
 そう言って、悟飯が名前を見る。
 司書へと文句を言おうとしていた名前は気勢をそがれ、大きな目を更に見開くイレーザへ頷いてみせた。名前は悟飯のことは前から知っていたのだけれど。
 知り合ったのは確かに先ほどなので、特に否定はしないでおく。
「へぇ、意外な繋がりね。
 あ、でも悟飯くん、本が好きなら名前と仲良くなってて損はないわよ。この図書室仕切ってんの、司書さんじゃなくてこの名前って言われてるぐらいなんだから」
 ばしーんと名前の背中を叩き、イレーザは笑いながら言う。この細い腕からどうやってこんな力を出したのか、つんのめって咳き込む名前には分からない。
 悟飯は涙目になる名前を気の毒そうに見ながら、二人の後ろからのっそり現れた人物にちょっと頭を下げた。勿論司書である。
「ごめんごめん、僕が読んでた。
 これ、名前ちゃんが選んだだけあって楽しいよ」
 しれっとおべっかも忘れない。これがこの司書が愛される理由だろうか。
 名前はため息をつき、横目でこちらを伺ってくる司書を表情には出さずに許すことにした。
「じゃあ貸出するんで学生証……」
「はい」
 名前はてきぱきとパソコンを起動させ、貸出システムを呼び出す。バーコードを読み取り、返却期限をスタンプして本に挟んだ。
「あれ? 図書新聞は?」
 見ていたイレーザが首を傾げる。悟飯に本を手渡しながら名前は言った。
「発行月一でしょ。孫君今月何回も来てる」
 パソコンの画面には貸出履歴。利用率の悪い図書室、何度も借りている人間は名前が並んで表示されたりする。切ないことに。
 ちなみにここ最近の貸出履歴は悟飯、悟飯、名前、悟飯、名前
「それじゃあ、僕はこれで」
 貸出手続きを終え、教室に戻ろうとする悟飯をイレーザが呼び止めた。
「あ、待って、悟飯くん。よかったらお昼一緒に食べない? 私たちこれからなのよ。悟飯くんもでしょ?」
「え、い、いやでも」
「どうせカプセル持ってるんでしょ」
「? カプセルって、弁当にカプセル?」
 ブリーフ博士の大発明、カプセルはそれこそ大容量の物の持ち運びには便利だが、はて、弁当にまで利用するようなものだったろうか。空のカプセルと言えどもタダではない。
 不思議そうな顔をする名前と司書を満足そうにみやり、イレーザは悟飯の返事も聞かずに司書室へと招き入れた。名前も司書も特に異存はない。
 しがない司書室、見られて困るものなどないのだ。
「このテーブルでいいかしら」
 イレーザが指したのは何とか本の侵略を免れている大きなテーブル。名前も昼休みの当番の時はそのはしっこで食べているのだが……。
 諦めたのか、イレーザには敵わないのか。多分後者だろうと名前は見た。何故なら自分もだから。どうもこの騒がしい少女は強引で、しかもそれに何となく逆らえないような空気を醸しているのだからやり辛い。
 大人しく引っ張られて来た悟飯は少し考えて、カプセルのスイッチを押した。
 
 
 
 
 
 
「……まじ?」
 名前は目の前で食後のお茶を美味しそうにすする少年を見つめた。
 先程繰り広げられた恐ろしい光景が網膜から離れない。
 広いテーブルが埋まるほどの料理を次から次へと胃という名のブラックホールへ流し込んでいく物静かな少年。
 あんたフードファイターとしてやっていけるよ。
 とは、あまりの勢いに気押されて言えなかった。
「腹、大丈夫か?」
 恐る恐る問う名前に、悟飯はきょとんとした顔で全てを物語ってみせた。
「いやー、いい食べっぷりだねぇ!」
 カラカラ笑う司書は、呆気にとられていたのは初めこそ。すぐに感嘆のうめきを洩らし始めた。
 曰く、美味そうに飯を食う奴に悪人はいない! らしい。ならば餓死寸前の脱獄囚に食事を与えてみたらどうなのか。
 そんな意地悪な考えが頭をよぎったが、口に出すほど名前は空気が読めない人間ではなかった。
「あんまりたくさん食べると午後の授業、眠くなっちゃうんで」
「これで八分目!?」
 確かにその腹ははち切れるどころか八分目、程度。
 頬を引き攣らせた名前を、イレーザが面白そうに眺める。彼女も同じ表情をしたことがあるのだ。
 その気持ちはよく分かる。
 なんせ、量が半端じゃない。
「そ、そんなに多いですかね……」
「いや、まあ、体調が悪くないならそれでいいんだけど」
 かすれた声を出す名前に、何故か司書が大きく頷く。
「いっぱい食べていっぱい遊ぶといいよ」
 近所のお爺さんのような台詞を吐く司書に、名前はちらりと冷たい視線を寄越す。
 それでこんな大人になっていたのでは処置なしである。
「もうすぐ昼休みも終わるわね。じゃあ戻りましょ」
「ああ」
「はい」
「またね~」
 イレーザに促され、図書室を後にする。えっちらおっちら階段を上りながら、名前は教室に入るまで悟飯の腹を見つめていた。

#DB #孫悟飯

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落下注意報
 オレンジスターハイスクールの図書室は半地下にある。なるべく直射日光に本を当てないように、との配慮かららしい。
 名前としては湿っぽい匂いも個人的には嫌いではないのだが、他人はそうは思わないようで。お陰で図書室の利用者が少ないと言われているらしい。
 しかし、本を読みたいやつだけが利用すればいい、と名前は思っている。それにテスト前はどうせ大盛況なのだ。図書室で昼寝、なんて連中も少ないというなら、素晴らしいと思う。
 名前は別に図書室で寝ている連中がいようとも構わない人間だ。どうせ席なら利用者に反比例してごっそり空いているし、例え自分の座る隣で寝られようが気にも留めない。
 ただし、鼾さえなければの話だが。
 図書室で寝るやつは何故か鼾をかくやつが多い。他の学校や図書館は知らないが、少なくともオレンジスターハイスクールでは。
 奥まった席で盛大な鼾をかきながら安眠していた男子学生を、百科事典で殴り飛ばしたのは記憶に新しい。勿論角は使っていない。念のため。
 寝るなら静かに寝ろ、とは、家で父親の鼾に悩まされている友人の言だ。
 ……無呼吸症候群が心配である。
 それはともかく。
 その日、昼の当番だった名前は弁当片手に図書室へと向かった。教室や学食で食べた後に行っていたのでは、名前が図書室に行く前に借りに来たりする人がいるのだ。勿論、滅多には無いのだけれど。
 早食いに自信のあるヤツはそれでもいいが、生憎名前はよく噛んで食べる性質だった。
 それに司書室には給湯器があるので、自分で好みのお茶を煎れられる。委員たちがそれぞれコーヒーやら茶葉やらを持ち寄って出来た棚まである。だから、司書室での昼食は結構好きなのだ。
 教室のある三階から降りようと階段へ一歩踏み出した時。
「おい急げ! オレンジプリンなくなっちまう!」
「何で俺らのクラス三階なんだよ!」
 そんな声が聞こえたと同時に。
 
 
『うわ!?』
 
 
 肩に何か触れたと思ったら重いものにのしかかられた。その次の瞬間には足元に階段の感触は無く。
 何が起きたのか理解する間もなく心臓が跳ねた。
 
 
 
 
 
「大丈夫ですか?」
 くるはずの衝撃は無く、頭上から聞こえてきたのは優しい声。背中に当たる温かさに首を捻れば、声で何となく予想していた通りの顔がそこにある。
 数日前、一度しか聞いたことはないけれど、何となく忘れ難いような、孫悟飯、の声。そして顔。
 しかし心配そうに名前を見つめていたその目がふいに厳しいものに変わる。
「危ないじゃないですか。廊下は走っちゃ駄目でしょう。
 こんなに人がいる所で、しかも階段なんて、大怪我してたかもしれませんよ!」
「わ、わりィ……」
 名前にぶつかってきた男子は肩を落とし、素直に謝る。自分もまさかこんなことになるとは思っていなかったのだろう。思っていたなら最初から走りはしないだろうが。
 その姿に満足したのか悟飯は視線を和らげた。
「ケガ、しないようにしてくださいね」
 少年たちは名前に「ごめんな」と謝り、名前が頷いたのを見て今度はゆっくりと歩いていった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 ゆっくり離れる悟飯の腕に、意外と逞しかったのか、と名前は思う。そしてふと、両手が軽いことに気付いた。
「あ、弁当」
「落ちそうだったんでキャッチしましたよ」
 はい、と差し出されたのは確かに名前の弁当箱。
 やっぱり運動神経いいんじゃないか、と思いつつ、恩人にそんなことを言うのもナンだし、
「重ね重ね、ありがとうございます」
 ぺこりと大人しく頭を下げる。
「午後から体育なのにお腹空かせて出るとこだった」
「あはは、そりゃ災難だ。うん、無事で良かった、キミも、弁当も」
「そういや学食? プリン狙いなら早く行かないと」
 オレンジスターハイスクールには名物と呼べるものがある。それは、某世界を救った英雄の娘だったり、一日二〇個限定のプリンだったりする。
 限定品というだけあって、手間も暇もかけたそのプリンは毎日昼休みになると争奪戦が起きる程。名前も多少気にはなっていたが、そこまでして食べたいと言うほどプリン好きでもないし、そもそも名前達一年生は最上階に教室があるのだ。
 学食は一階。学年が上がる毎に階が下がるこのクラス分け、当然三年生が有利になる。
 これがもし逆だったのなら、上級生と下級生で抗争が起こるやも、なんていう想像が出来てしまうほど、その争奪戦は鬱陶しい、もとい、激しいものなのだ。たまにクラスメイトが勝利の雄叫びを上げて歓声に包まれているのも、他人事ならば微笑ましいものではあるが。
 しかし悟飯は首を横に振った。
 まあ、今から行っても売り切れは確実なのだが。
「いえ、図書室に新刊が入ったそうなんで、借りようかと思って」
「あぁ、昨日買ってきたんだ」
「あれ、図書委員さんだったんですか?」
 ああ、忘れてる。やっぱり、というのと残念、というのと半々だ。何となく。
 別に友人が言っていたような感情は無い。全く。
 名前は頷き、歩き出した。
「目的地同じなら、一緒行こうか」
「はい」
 悟飯も並んで歩き出す。頭二つ分高いところにある頭に、見上げるのも大変だ。
「そういえば、オレンジプリンって何です? オレンジが入ってるんですか?」
「別にオレンジが入ってるわけじゃ……無いと思うけど。私も食べたことはないから味は知らないけど。この学校の名物プリン。さっきの男子もそれ狙って学食に走ってたんだけど、すごい美味いらしい。食べたやつに聞いてもまったりとかコクがとか蕩けるとかそんなコメントしか言わねーし」
「へぇ~、食べてみたいですね」
「三年になったら少しは有利だろうけど。一年は三階だから、学食に行ってる間に売り切れが殆どだろうな」
 それでも一縷の望みをかけて猛ダッシュするヤツもいる。はた迷惑ではあるが、その情熱には敬服する。
「空でも飛べるんなら窓から出て一階行けばすぐ食堂だけど」
 普通に無理だけど。
 肩をすくめてみせる。前を向いていた名前は気付かなかった。その時悟飯が引きつった笑みを浮かべていたことを。

#DB #孫悟飯

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出会いは静かに待っている
 彼は異質だった。何処がどう、というか。その言動の端々が。
 だって、転入試験満点の、自称運動神経からっきし。のくせに、何mもジャンプして顔面デッドボールくらって、ケロっとしてる田舎者!
 クラスは違ったけど、変なヤツの噂はすぐ広まる。その辺り、どんなに人の集まる大きな学校と言えど他と同じだ。
 故に勿論、名前の耳にも入っていた。
「変でしょ」
 名前は本にテープを貼りながら言った。
 オレンジスターハイスクールの図書室。図書委員である名前とその友人は、二人して教師に古い本の修繕を頼まれてしまった。
 迂闊に「今日も暇だー」「帰って何するー?」なんて口走らない方が身のためだ、という見本である。
 背表紙が割れてしまっているもの、ページが外れそうになっているもの。そういったものを選別し、粘着性の強いテープで補正する。壊滅的なものは表にチェックし、違った籠に入れて買いなおすのだ。面倒この上ない。
 もっと丁寧に扱え、と思うのだが、中には本当に古くなりすぎただけのものもあったりする。
 諦め半分というやつだ。口を動かしながらも手は止まらない。何もここで女の底力というやつを発揮しなくても、なんてことを言う命知らずはこの場にはいない。
「でも可愛い顔してるじゃない。結構背も高いし」
「うんそうね。私が言いたいのはそういう事じゃないけどね」
 にっこりと笑顔を張り付かせて言えば、友人はちょっと肩をすくめてみせた。
「いいじゃない。悪い子じゃなさそうだし。
 そんなに気になるの?」
「気になるっつーか……妙っつーか……違和感あるっつーか……とにかく変」
「変という字は恋に似てる」
「あ?」
 手を止め、睨みつけると友人は唇の端を吊り上げて笑っていた。この友人はすぐにこうやってコイバナに繋げるのだ。
 迷惑なことに。
「あんたが男の子気にするなんて珍しいじゃない」
「別に孫君が女でも気にしてたっつーの」
「でも現実に彼は男の子でしょ。きっかけなんてそんなもんじゃない」
「何のだ!」
「恋の」
 さくっと返され、名前はガクリと肩を落とした。
「アホか」
 何でそうなる。頭をかきながらため息を落とす。そもそも、こちらは知っていても、向こうはこっちの顔も知らないだろう。今も、多分これから先卒業するまで。隣のクラスと言えど、こうやって噂が流れてでも来なければ同じクラスの人間を覚えるだけでも精一杯なのだ。この学校には、それだけの人数がいる。
 しかしその姿にも友人はめげることなく笑いかける。
「何で~? 私たち年頃の女の子だもの。そんな話題があっても楽しいじゃな~い?」
 にひひひひ、と笑う姿は到底年頃の女の子ではないのだが(ちなみにここでおっさん臭いなどと言うと殴られる)。
 女の子はロマンスを求めるのよ。
 ちょっとばかし夢見る瞳の奥には、悪戯直前の悪ガキの輝き。
 駄目だ、からかいモードに入っている。
 こんな時の友人に口で勝つのは至難の技だということを身に染みて知っている名前は、悪友をもう一度じろりと睨み、積まれた本に手を伸ばす。あと二〇冊程度。
 放課後にこんなこと延々やっていられない。誤魔化し半分に黙々と手を動かす。
 友人もそれは同じ気持ちらしく、名前が完全に自分を意識の外に追い出したのを知ると、からかうのを止めて手元に集中しだした。その時。
「あのぅ、すいませ~ん」
 受付カウンターから控えめな声が聞こえてきた。
 名前達は修繕要員として連れてこられたのであって、受付カウンターには当番の図書委員がいるはずである。
 二人は手を止め、顔を見合わせた。
「今日の当番誰ヨ」
「サリーとチェザーレ」
 良く言えば要領のいい、悪く言えば、サボり癖のある二人である。名前たちがいると知って逃げたものと思われる。
「サボりやがったなクソが」
 口汚く罵り、ご丁寧に舌打ちまでして名前がカウンターへと向かう。友人はその背中に小さくため息をついた。
 この口の悪さと行動の荒さが無ければ、素材は結構いいセン行くのに。言えばまた睨まれるから言わないけれど。
 現に今も、何だかんだ文句を言いつつも真っ先に立ち上がったのは彼女だ。
「はい」
「あの、メルカの『動物行動学概論』はありますか? 所定の本棚にないみたいで……」
 受付窓口から顔を出し、名前は一瞬固まった。
 目の前で眉を八の字にしているのは、たった今話題に上っていた孫悟飯なのだ。
 しかし彼はそんな名前の様子には気付かず、本の蔵書Noとその位置をプリントアウトした紙を差し出した。
 そして、名前も腐っても図書委員、仕事はする。逃げた二人の分まで、というのが腹が立つのだが。
 どれどれ、と覗き込んでみれば、あまり貸出しも無く、移動の少ない棚の番号に、はて、と首を傾げた。そしてふと思いつく。
「少し待っててください」
 大また気味に今まで作業をしていた部屋に舞い戻る。友人の三日月形の目は無視し(やっぱり見てたし聞こえてた)、積み重なった本から青い背表紙を引っ張り出す。
 分厚いそれは箔押しで『動物行動学概論』。著者は勿論メルカの名。
「お待たせしました。すいません、古書の修繕中でこっちに持って来てたもんで」
「そうだったんですか。いえ、あって良かったです。
 あの、もう借りられるんですか?」
「これはもう終わってますから。
 学生証、いいですか?」
 差し出された悟飯の学生証と本のバーコードを読み取る。返却日時を紙にスタンプし、図書新聞と一緒に挟み込んで差し出す。
「返却日は一週間後です」
「ありがとうございます」
 本を鞄に押し込む悟飯を見やり、名前はくるりときびすを返して奥へと戻る。
 そして待ち構えていた三日月二つ。
 吊り上った唇が妙に不気味だ。
「貸出ししただけだっつの」
「はいはい」
 先制攻撃もさらりと流された。子供をあやすような言い方が癪に障って、荒い音を立てて椅子に座る。
「図書館ではお静かに」
「ならお前が黙ってろ」
 憮然と本を手に取り作業再開。
 友人は肩をすくめてちょっと笑った。本当に口が悪い。
 そんな彼女が嫌いじゃない自分の趣味を、脳みその隅っこでちょっと疑ってみる。
 別に自分だって、孫悟飯が名前の運命の人、だなんて思っているわけではない。もしもの話だ。 だけどでも。
 ロマンスを求めるのが女の子、ってやつなわけで。
 大切な友人の、ちょっとした側面を見てみたいという、そしてついでに、ロマンスなんか見れたら、っていう。ただの希望である。ちょこっと欲望交じりの。
 だから。もし、名前を少しでも変化させる存在が、現れるのなら。
「悟飯君が理想的なんだけどな」
「あん?」
 ぽつりと呟き、怪訝な顔をする男勝りな友達に笑って誤魔化すことにした。

#DB #孫悟飯

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