飛びつ勇気をおしえて

いつの間にか臆病になってる。気付かないでいられたらそれなりに幸せだったのかもしれない。でも、それは彼とは会わなかったからだと思うから、やっぱり不幸なのかも。
 目の前にいる人を客観的に見てかっこいいとか、クールとか、言うんだろうと思う。そんなに身長は高くないけれど、整った和風の、古臭い表現で言えばしょうゆ顔。
 学校でそこそこの人気で、サークルでも女子が集まって囲ってる。彼女の私が近づける雰囲気じゃなくて、遠目にしてると彼から寄ってきて帰ろうと言ってくれる。そういうときはすごく困ってしまう。
 嫉妬や羨望のまなざしが気持ち良いって人は、自信がある人なんだと思う。だって私はすごく辛い。彼の横にいる自分が不恰好だから。
 地味に地味にと選んで着ている服だけど、本当はみんながしている様な格好がしたい。でも、それだと彼の横にいるだけでみんなが笑っているような気がする。『なに頑張ってるの』『似合わないのに』、そんな声が聞こえてきそうで。
「香奈らしいっちゃらしいけど。エツや優子みたいに、もうちょっと他人とは切り離して自分を見た方がいいんじゃない? 彼が香奈を好きになったんだから、そんな風に思ってたら彼が可哀相」
 麻子さんは大人っぽくタバコを吸いながら言うけれど、私はそんな風には思えない。麻子さんとは中学から一緒だったけど、別々の大学に進んでたまにお茶をするだけの付き合いになってしまってる。
 麻子さんは大学へ行ってからすごく変わって。大人っぽくなった。綺麗になって、私と友達でいるのが不思議なぐらいに男の人にもてるようになった。本人は社交辞令でしょって素っ気無いけれど、日々綺麗になっていく麻子さんに私は焦ってしまう。
 私は全く変わらないのに、麻子さんだけ綺麗になっていく。
「香奈、今日どうする? 俺は午後から授業だけど、香奈は午前中にも講義あるんだろ?」
「あっ、うん」
「だったら、帰るか?」
 うんと頷いて、悲しくなった。まだ彼の家に泊まった事がないから。ううん、泊まらないようにしてるから。一度、彼に泊まっていきたいようなことを言ったら遠まわしに断られたのを未だに引きずってる。
「ん? どうした? なあ、言ってくれないと分からないっていつも言ってるだろ」
 ぶんぶんと首を振って、何も無いよと言う私の言葉を信じてくれない。彼の信用を得るにはどうすれば良いんだろう。
「夕飯、うちで食べてけ。疲れてるんだろ?」
「でも…」
「食材があまりそうなんだよ。一人作るのも二人作るのも一緒だから。それに香奈をこのまま帰すと何も食べなさそうだしな」
 彼はそう言ってぐしゃぐしゃと頭を撫でてキッチンに向かっていった。疲れているのは彼も一緒なのに、私は気を使わせるだけで何も出来ない。料理も何も。
 料理上手な美佐ちゃんとは違う。それとなく気遣いが出来る優子さんとも違う。笑顔を見るだけで嬉しくなるようなエッちゃんとも違うし、何より綺麗で頭が良くていつも凛としている麻子さんと…違う。
 中学の時に、私の方から始めて声をかけた友達だった。仲良くなれそうで、私と同じ。引っ込み思案で人付き合いが下手なところが似てると思った。美佐ちゃん達とは高校からだけど、いっつも言ってた。『美佐ちゃんとは違うよね。私達って』って。
 でも、それは間違いだったって気付いたのは大学入ってから。どんどん麻子さんは綺麗になっていった。ううん。本当は元から綺麗な子だったのを私が無理やり一緒にいただけ。
「香奈。かーなっ、香奈!」
 びくっとなった私の頭をポンポンとたたいて一緒に食べようって言ってくれる。彼が私を見るたびにちょっと嬉しそうになるのが嬉しかったのは最初だけ。まだ好きでいてくれるっていう安心感の後に、いつ無くなるのっていう不安。
「香奈、こっちも食べて。この間、イタリアンの店でバイトしてる奴から教えてもらったレシピをアレンジしてみたんだ」
「うん。…あっ、おいしい」
「マジ? 良かった〜。やっぱ初は緊張するな。香奈に食べさせるってなったら倍に」
「えっ、いっつもすごくおいしいのに」
「そりゃ、香奈に食べさせるために努力してますから」
 艶のある声で言われてどきりとする。こういうのに慣れていないから目が泳いでしまう。麻子さんだったら素直に嬉しいって言うのかな。
「いつもごめんね。作ってもらってばかりで・・・」
「良いって。俺が好きでやってることなんだから。それより香奈、今日なんだか疲れてない? バイト、忙しいのか?」
 心配そうに見てくる彼にブンブンと首を振る。忙しいのは彼の方で、私は要領が悪いだけ。いっぺんに色んな事が考えられないから。
「疲れてないなら良いけど・・・香奈は頑張りすぎだよ。ちょっと気を抜くぐらいで良いんだからな?」
 優しい彼に申し訳なくてこくんと頷いた。優しくしてもらっても、素直にありがとうって言えない。こんな時、前だったら優子さんやエッちゃんと比べて麻子さんに同意を求めてた。でも、今はそれも出来ない。
「後は俺がやっておくから、座ってテレビでも見てな」
 はっとなると、彼がテーブルの上を片付け始めていた。また私は失敗した。自己嫌悪に気持ちが沈むけど、すぐに彼の後を追ってキッチンに行く。何も出来ないと思われたくなくて、せめて片付けぐらいは手伝いたかった。
「何? 良いよ。座ってゆっくりしてな」
「でも・・・」
「良いから。あっ、そしたら紅茶持っていって?」
「あっ・・・うん」
 肩を落としてリビングに戻ると、テレビを点けた。バラエティーばかりかと思っていたのに、ドラマがやっていて気持ちをごまかすように見入ってしまう。
 それは、最近になって始まったばかりで年齢差のある恋人同士が主役みたい。主役と仲の良い友人役が今売れてる芸人だったから、軽いノリだと思っていたのに、シリアスな展開で惹き付けられていく。
 彼と付き合い始めの頃に感じた年齢差。肉体的な年齢差は二つだけで差と言えるだけの年数じゃない。でも、精神的な年齢差は十歳ぐらいはあると思えてしまう。彼は大人で私は子供っぽい。
 ドラマの二人がとても近いように感じて、余計私自身の幼稚な部分が喚きだす。『もっともっと』と言う“彼女”に限界を感じる“彼”の姿が、まるで私と彼を暗に指差されているような、そんな感じ。
 良くないと分かっていながらも、彼に求めすぎてるような気がして遠慮するのだけど、それすらも不満になっていく私。体がわずかに沈み、隣を見ると彼も真剣になってドラマを見てる。ちらっと見た横顔に落ち込んで俯いた。彼も同じ事を考えていたらどうしよう。
 ドラマの二人はそれでも困難を乗り越えようと努力しているけれど、私だったら諦めてしまいそう。彼の隣にいるのは、ドラマのような“可愛い彼女”じゃなくて私だから。これが美佐ちゃんだったら、こんなこと想像しない。エッちゃんだったら、きっと比べても彼女も自分も対等だろうし、優子さんだったら苦笑いして終わらせて、きっとすぐに気持ちを切り替えることが出来るんだろうね。
 麻子さんだったら…麻子さんだったら、そうなるように努力する。うん、絶対。
 大学に行って変わった麻子さんがすごく努力しているのを私はなんとなく気が付いてた。でも、それを認めてしまうと私自身が何もしていない駄目な子だって事が分かって嫌だっただけ。本当はそうやって頑張れる彼女がすごく羨ましかった。…羨ましいんだ、私。
「香奈、ドラマ見てる? って、何で泣いてるんだよ?」
 あっと思ったときには遅くて、ぼろぼろと涙が零れていく。彼といる時はなるべく明るくしていようと思ったのに。
「ドラマ…じゃないよな。泣けるようなシーンなんて無かったよね…それなら、なんで泣いてるの?」
 静かに問われても、首を振ることでしか答えられない。まさかこんな事、彼には言えない。
「なあ…泣いてたら分からない。教えて、何が香奈を悲しませてる? 俺には言えない? そんなに頼りにならない?」
「ち、違うの。そうじゃなくて…そんなんじゃなくて」
 勘違いしている彼に上手い言い訳も思いつかなくて、みっともなく言い募る。ふうっと深い溜息に体がびくっと反応した。
「香奈。香奈は俺といると疲れる? 俺が側にいるだけで緊張する? 俺は香奈と一緒にいるとすごく安心できるけど、香奈にとっては疲れるだけでリラックス出来ない?」
 矢継ぎ早に聞かれて呆然とする。驚きすぎて言葉が出なかった。彼がいるだけで、それだけで私は良いのに。
「最近」
「えっ?」
「最近、そうやって考え込んで、俺が側にいても話しかけても気付かないことが多いよな。不満があるなら言って。我慢したりしないで、遠慮しないで。お願いだから」
 どうして寂しそうなの。そう言いかけて喉を詰まらせた。自分のことばかりで彼をないがしろにして。また、私失敗したんだ。悲しくなって涙が更に溢れそうになる。決壊した涙腺は止まることを知らないみたい。
 目の前が真っ白になってぼんやりとしか彼が見えなくなった時、彼の手がそっと私の頬を撫でた。
「あっ…のね…このまっ…っえ、あさ、こさんに会って」
 喉が絞まって上手く声が出てこない。ちゃんと喋りたいのに、ちゃんと言わないといけないのに。それでも彼は辛抱強く、私の言葉が最後まで語るのを待っていてくれた。
「香奈は、その麻子って子が好きなんだな」
 顔をあげると思いのほか優しく微笑んでいる彼がいてびくりとなる。麻子さんの事を好きか嫌いで言ったら好きだけど、それは自分の位置にいてくれると条件付だからかもしれないから。その証拠に彼女が変わっていくのを私は受け止めきれてないのだもの。
「香奈、香奈。分かった。もういいよ」
 一瞬、愛想を付かされたのだと思った私の目から雫が倍になって零れ落ちた。けれど、彼が苦笑いしながらもそっと私を抱きしめてくれる。
「香奈がコンプレックスを感じる必要なんか、全然全くこれっぽっちもあるとは思わないけど。この世で一番、可愛いのは香奈だけど」
 そういってそっと私の顔を覗き込む。苦笑しながらもしっかりと目を合わせようとするから逸らせなかった。すごく恥ずかしいのに。
「香奈はすごく可愛いし、誰がどう見ても可愛いから。でも、コンプレックスって一回や二回言われたぐらいじゃ、そう思えないもんだもんな」
 そう言って一度話した体を、またぎゅっと抱きこまれる。あやすように背を撫でてくれる手に子供のように泣きじゃくって。そうして私が落ち着きを取り戻すと彼の綺麗な手が私の頬を撫でた。
「友達と、誰かと比べるのが全部悪いわけじゃないけど。全部が比べられるわけじゃないだろ。香奈が比べてるのは、リングとネックレスを比べるようなもんだよ。どちらも同じだけ価値があるけど、形が違う。それだけのこと。俺は何も香奈が努力してないなんて思ってないよ」
 おでこをこつんとくっつけて言われて。初めて比べていた自分が恥かしくなる。
「だって」
「香奈が大学のサークルに入るのにすごく勇気を出したのを知ってる。俺と付き合うようになっていつも可愛い格好してくれてるのも、周りから嫌なこと言われても我慢してくれてるのも、笑ってくれるのも。それから、恥かしいのを我慢して手を繋いでくれるし、ここに来ると緊張するのに断らないで一緒にご飯も食べてくれて、次の日にどんなに早い講義があってもぎりぎりまで側にいてくれて」
「ぁ…もうっ…もういいから」
 止めないとどんどん喋る彼にびっくりして涙どころじゃなくなってる。こんなに恥かしい思いをするのは初めてかも。
「分かった? 香奈は充分、頑張ってるんだ」
 こくこくと頷いた。頷いておかないとまだ言いそうで。だけど、私とは対照的に彼は落ち着いていて、まだ言い足りないなんて言ってる。
「香奈の努力が足りないなんて無い。結果なんて人によって形が変わるんだから比べる必要なんてない。だから」
 だから、もっと我が侭になればいい…
 彼がどんどん私を甘やかしていくから。いつも何か足らないような気がして。
 不安で不安で、いつも彼に見合うようにならなきゃって思っていた。変われた彼女が羨ましかったから。私は元から自由だったのに。
 あっさり見破って私の手を取った彼が目を細めて笑ってくれている。ああ、それだけでなんて幸せ。


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