の奥で待っています

貞潔であること。それは父よりも母にとって重要なこと。
 私が男と話をするときつい眼差しで見ていたじゃない。今にも、口を開き糾弾しそうになるのをこらえる。手元にある袱紗をそっと袖に戻して。
 私以外には和やかな空気。私だけが浮いていた。見合いの当人だというのに。趣味も学歴も釣書にあるのだから、早く二人にしてくれないかしら。精一杯の愛想笑いも、いい加減綻びてきてる。
 ああ、良く分からないけれど、お庭に出るのね。憂鬱だわ。もう秋だし、寒いのは嫌いなのに。
「美佐さん? 緊張されてますか?」
 寒いのよ、気づきなさいよ。どこぞのご子息様にしては迂闊だわ。でも、勘違いされていた方が良いのかも。何たって破談にしなきゃいけないのよ。
「もしかして、寒いんですか? すみません、気がつかなくて」
 ええ、全くね。でも、いいわ。気が着いたんなら中に入りましょう。園芸趣味を持つにはまだ早いのよ。
 うっかり気が抜けていたのは私も一緒ね。思いっきり肩にかけられそうになったジャケットを払ってしまった。普段なら、気にしやしないわ。でも、さすがにお見合い相手にしたら角が立つわよ。参ったわね。
「・・・せめてお見合いが終わるまでは友好的でいて欲しかったのですが」
「何言ってるのよ、あんただって見合いなんてする気なんかなかったくせに」
「そうやって膨れっ面になったって俺には効きませんよ、主任」
「お見合いの席なんだから『主任』はやめなさいよ。母が聞いたら卒倒するわよ。あの人、未だに私が受付やってると思ってるんだから」
「二十代ならともかく、三十過ぎて受付はキツイですよ」
「口に気を付けなさいな、若造。敵にまわして良いのは営業課長と部長だけよ」
「その二人なら既に懐柔済みだから大丈夫です」
 こそこそとしていたら、時間が経ったみたいね。そろそろ引き上げないとまずいわ。ひとまず問題なくお開きにして、後で丁重にお断りすれば良いのよ。来週末にはプレゼンがあるから、今日はその資料整備をしておきたかったのに。相手が自分の部下だなんて出来すぎね。
「来週のプレゼンまで時間がないから、切り上げるわよ。お断りはこっちからするから、あんたも口裏合わせなさいよ」
「嫌だって言ったら?」
 ま、馬鹿じゃないの。
「今日の見合い相手をあなたは知らなかったようだけど、俺は事前に知ってたんですよ。どういう意味か分かるでしょう?」
 分かるわけないでしょう。来週のことで頭がいっぱいなの。あんたの都合なんてどうでもいいのよ。それより早く中に入りたいわ。寒くてやりきれないじゃない。
「美佐子さんが相手だから、わざわざ茶番にも出てきたんです。この話は進めさせて頂きますから、口裏合わせてください」
「進めるって・・・あんた、結婚するの!?」
 ちょっと待ってよ。将来を約束されたエースよ、エース。一夜でも良いからおつきあいしたいって子もいるのよ。一夜で良いなんて絶対思ってない子もいるけど。
「やだな、他人事みたいに。相手はあなたなんですよ、美・佐・子さん」
 嫌よ、お断りよ。仕事に生きるの。生きがいなの。
「でも、いつかは結婚したいと思ってるんでしょう? ここらで手を打ちませんか」
「同じ会社の人間と見合い結婚なんて聞いた事ないわよ。どうせするなら、別会社の人とするわ」
「じゃあ、俺が別会社の人間なら構わないんですね?」
「そうね。別会社ならね。全然、構わないわよ」
 辞める気なのかしら。出来っこないわ。だってエースだもの。慰留されるに決まってるし、原因が私だと分かったら私が・・・まずいものね。だから、出来ないのよ。いえ自分の仕事に自信はあるけれど、不条理なのも会社なのよ。
「それじゃあ、中に入ってちょっと待っていてもらえますか。時間は取らせませんから。別会社の人間になって、再度、結婚を前提の交際を申し込ませてもらいますよ」
 何ソレ。出来るわけないじゃない。何その笑顔は。嫌な感じね、上司をからかうのもほどほどにしないと明後日には泣きを見るわよ。
「どうぞ。じゃあ、待っていてくださいね。すぐに戻ってきますから」
 仕方がないわ。すぐに諦めるだろうから、そしたら適当にごまかして帰ってしまえば良いわよね。会社ではそんなそぶりすら無かったんだから、きっと今日の雰囲気に当てられたに違いないわね。全く。のりが良すぎるから、後で痛い目に合うのに学習能力ないのかしら。
 あっ、意外と早い戻りね。やっぱりダメだったんじゃない。当たり前よね。昨日の今日で辞めます、良いですよなんて会社はないもの。
 ・・・やけに笑顔ね。
「お待たせしました。今月末で退職して良いらしいので、来月には“別会社”の彼氏が出来ますよ」
「ああ、やっぱ・・・ええっ!!?」
 な、何やったのよ。っていうか、誰がOK出したのよ。私は退職受理するなんて言ってないわよ。
「馬鹿じゃないの。出来るわけないでしょっ! 第一、上司は私なのよ。私が受理し無い限り退職出来ないじゃないの」
 滅多に着ないものを着るもんじゃないわね。何だか苦しい上にクラクラするわよ。目の前に阿保面さらしてるこいつをどうしたもんかしら。嫌だわ、せっかくの休日だってのに。私の周りにいる中では、比較的まともな部類だと思ってたのに。
「でも、あなたより上の人が良いって言ってるんですから、良いじゃないですか。あっ、それともやっぱり一緒にいたかったですか?」
 それなら先に言って下さいよ、なんて馬鹿じゃないの。アホじゃないの。職場恋愛に向かないから、この年になってココに来るはめになってるのよ。
「上って誰? それに自主退職なら退職金が出るまでどうするつもりよ。次の仕事だって決まってないじゃない」
 私より上って事は課長か部長じゃないの。あの部長がすんなり良いって言うわけないけど、万が一、良いって言ったって私がダメ出ししてやるわよ。これ以上、仕事が増えたらみんな共倒れになるんだから。
「社長です。後、無職にはなりませんから安心して下さいね。前から親父に戻ってこいって言われてたから問題ないですよ」
「しゃちょう・・・あんたん家って何やってるの? どっかのご子息様ってどこのよ」
 良く見るとそれなりに良い服着てるのよね、こいつ。この年になってオプションに釣られても良い事ないのよ。そんな呆れた顔したって、知らないんだから仕方がないじゃない。
「やっぱり。みんな知ってるのに・・・まあ、美佐子さんなら仕方ないか」
「その言い方じゃ私が悪いみたいじゃない。どうせみんなって言っても二人三人の話でしょ」
「違いますよ。はぁ・・・じゃあ、うちの会社に親会社の社長子息がいるって話は?」
「知ってるわよ。どこにいるんだか知らないけど、優秀なイケメンだって話は聞いた事があるから。でも興味ないわ。顔も金も付加価値にしかならないもの」
「親会社の社長って財閥一家なんですけど、興味ないんですか? それこそ、今日みたいな相手には打ってつけじゃないですか」
「馬鹿ね。金があれば良いってもんじゃないわよ。もちろん、地位だの権力もよ。欲しかったら自分で取りにいくわよ」
 当然じゃない。いつまでも王子様を待ってるわけないじゃないの。それに、そんな受身の女なわけないじゃない。
「美佐子さんらしいですね。望め、勝ち取れ、君臨しろ・・・ですか?」
「そうよ」
「うーん。本当、一般的な女性からえらいかけ離れてますよね。普通だったら、寝て待っていたら将来有望な男性に見初められたっていうのが女性の願望だと思うんですけど」
「眠り姫だって途中で起きだしてたわよ。そうじゃなきゃ、あんなあっさり起きるわけないじゃない。窓から来る人を見て選んだに決まってるわよ」
 そのための荊だったのよ、きっと。逃げる時間を作るには有効な手ですものね。あの魔女だって意地悪すぎたなんて事はないわよ。口実作りに手を貸したに決まってるじゃない。女の味方は女なのよ。敵にもなるけど敵も味方になるのが女なのよ。
「あははっ! やっぱり美佐子さんって素敵だ。じゃあ、俺を選んで下さい、荊姫。とげに包まれたあなたを満足させられるのは俺だけですよ」
「あんたが王子様だっていうの? 見た目に騙される若さはないのよ。それに王子様より王様の方が好みだわ」
 余裕が大事なの。実際に無くても構わないわ。はったり出来るのが大人ってもんよ。プライドよりも見得と矜持があればつきあってやるわ。
「ああ。でもすぐに王様になりますよ。次の社長候補ですから」
「・・・つまり、あんたが出向中の社長子息さま?」
「そうです。社内でも有名ですよ。美佐子さんは全く興味ないようですが」
「興味ないわよ。ついでに巻き込まないでよ。堅苦しい世界とは無縁で生きたいんだから」
 社長婦人、財閥夫人なんてなりたくないわ。きっと悪意たっぷりの噂話に囲まれてるんだから。たまに仕事でつきあう会合ですらうんざりするっていうのに、そんなのが頻繁にあるんだったらお断りよ。
「けど、これから出世するんだったら、堅苦しい世界とも付きあっていかなきゃいけないじゃないですか」
「出世したいわけじゃないわよ。ある程度の地位が欲しいのは、今の仕事をやりやすくするためだし、それ以上は望まないもの。面倒なのはもっと上に行く人達に任せるわ。私のやりたい事がやりたいようにたまに出来れば良いのよ」
「君臨しろとまで言うわりには無欲ですね」
「そんな事ないわよ。強欲だからやりたい事が山ほどあるの。やりたい事なんてやろうと思わなかったら一生出来ないもんよ。だからやれるような環境と周りの協力を望むし、手に入れようとするし、手に入れたら手元から抜け落ちないようにすんのよ。その間に湧き出てくる雑菌の処理をしないといけないから、必然的にたまにになるじゃない」
「はあ・・・雑菌ですか」
「そうよ。好きな事に好きな人と好きなだけ時間を使うためにやってんのよ」
 それが例え仕事だっていっても、同じよ。頭が悪くたって気にかけてる部下と、容赦なくたって気に入ってる上司と好きな仕事がしたいから、他の猥雑で面倒な事に耐えてるに決まってるじゃないの。
「なるほど。それで俺はその中に入るんですか?」
「ん? 何が?」
「俺といる事は、好きな事を好きなだけ好きな人と時間を使ってるうちに入ります?」
「入るわよ?」
 引っかかる言い方されたけど、一緒に仕事をするのは楽しいし、他部署への異動の話があったのを止めたのは部長や課長達だけじゃなくて私もだもの。見た目が王子様よりだけど、仕事は出来るのよ。出来る奴と一緒に働くのは悪くないわ。
「じゃあ、問題ないですね。もし、結婚してあなたが面倒に感じる事があるなら、全て俺が何とかします」
「ちょっと!!」
「あなたがどれだけ荊の奥にいようと、俺が見つけ出します。例え俺を見て逃げても捕まえて見せますから」
「捕まえられるならね」
 めいっぱい逃げるに決まってるじゃない。まだ結婚なんて考えてないわよ。お見合いしといてなんだけど。
「捕まえますよ。荊姫の棘を癒せるのは俺だけですから」
 ま、小憎らしい。でも、そうね。久しぶりに楽しんでも良いじゃないの。だって、棘ばかりの森を抜けてもあるのはお城じゃなくて、民家だってのに来ようっていうんだから。
「捕まえるなら早くしなさいよ。すぐにヨボヨボになるのよ」
 にやりと笑って言ってやった。一日千秋なのよ、人生は。追いかけっこをするなら、どっちも真剣にならないと結末は出ないんだから。お話の最後は確実に幸せになんなかったらいけないのよ。何たって、眠り姫は世界に名だたる名作なんですもの。


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