いを贈ろう

恋に堕ちるなんて一瞬。一目ぼればっかりの恋愛は、いつも良い結果にはならなくて、いつも私からバイバイしてる。
 だから今度こそ慎重にしてたのに、ちょっとした好奇心が身を滅ぼすと思っても見なかった。なんて、言い訳にもなんない。本当は分かってた。この恋が叶うわけないのも、視線の先に私がいないのも。でも、簡単に『はいそうですか』って諦められるほど潔くはないから。
「信じらんない信じらんない」
 友達を集めて散々愚痴った挙句、目の前にあるグラスをじっと睨みつける。私の隣に彼はいない。私の前に奴がいる。おしゃべりでうるさくて気の利かない、八方美人な男。
「お待たせ。パウンドケーキの新作があったから一緒に買ってきたんだ、食べてよ」
「ありがとう」
 口先だけの礼に嬉しそう。犬みたいに尻尾を振ってる姿なんて私は好きじゃない。大体、ダイエットしたいって言ったのに。いくら新作だからって、こういう店のパウンドケーキが美味しいわけないじゃない。
「本当ごめんね、昨日は。迷惑だったでしょ?」
「全然。むしろ家まで送れて役得。それに・・・」
 ああ、最悪。壱だったならまだしも、香坂だなんて! 悪い奴じゃないけど、好みのタイプとは真逆もいいとこ。壱みたいに大人ぽくてクールなタイプか、和君みたいなタイプだったらまだ許せたのに!
「あのさ」
「なに?」
 顔を赤らめながら言いよどんでいる香坂に悪い気はしない。しないけど、次の言葉に二つ返事は出来ないと思ってた。
「ほんと、愛ちゃんが好きだから」
「うん」
 昨日から繰り返される言葉に何度も頷いてる。
「信じられない」
「俺も・・・」
 うっとりしたように言う香坂と嘆息しつつ足元のパンプスを見てる私とでは全然別の意味で言ってるはず。昨日まで壱が誰を見てるかを気にしていたのに、今は目の前の香坂いっぱいになってる。こんなに移り気じゃなかったはずなのに。よりによって香坂だなんて。
「あっ、やべ。俺、次の時限も授業あるんだった。愛ちゃんは?」
「えっ。無いけど」
「マジで? じゃあ、どうすっかな・・・待っていて欲しいけど、退屈だろ? そうだ! 下の喫茶室だったら漫画もあるし、時間潰すのに丁度良いから、そこでお茶してて。俺、戻ってきたら愛ちゃんの分も出すから好きなの頼んでよ」
「えっ、そんな悪い」
「じゃあ、後でな」
 勝手に決めて、さっさと行ってしまった香坂の背に溜め息が零れる。勢いで付き合ってしまって続くとは思えない。香坂のマイペースに私が我慢できるはずがないんだもの。
 香坂の言うとおり、喫茶室には誰が持ち込んだのか分からない漫画がいっぱいあった。いつもならカフェオレを頼むけど、ゆっくりしなきゃいけないから紅茶を頼む。
「ダージリン」
「かしこまりました」
 店員さんは、この大学に通ってる子だろう。カウンターの中にいるのは、ここの責任者なのかもしれない。私の学部とは別の教授と話し込んでいる。面識が無くとも教授と同じ所でお茶をするのは気が進まない。
 いつの間にか気晴らしに読んでいた漫画に熱中していて、隣の席に由隆と江坂君が来ていたのに気がつかなかった。
「珍しいね、愛ちゃんがココにいるなんて」
 江坂君が人の良さそうな顔で声をかけてきた。私が壱にぴったり張り付いていた時は困ったような笑顔だったのに、今日は晴れ晴れとした顔をしてる。既に私と香坂が付き合い始めたのを、江坂君も知ってるみたいだった。でも、わざと口にする人じゃない。そういう所も含めて江坂君は信用出来る。
 ちらりと横を見ると不自然に目を逸らされた。由隆の固く結ばれた口元に気分が萎んでいく。ついこの間まで仲の良い友達と思っていたのが今では近くて遠い。
「香坂は? 一緒じゃねえの?」
 不自然に息を吸いそうになった。いきなりな話題に江坂君もびっくりしたようだったけど、あの香坂が私と一緒にいない方がおかしいと思ったみたい。
「香坂君、授業があるから」
「ふーん」
 聞いておいて何なの! 由隆が白けた返事をしたせいで、江坂君が気にしだした。壱を追いかけていた私を由隆が良く思っていなかったのを江坂君は知ってる。でも、由隆が私と付き合っていたのは知らない。
「ごめんな、愛ちゃん。こいつ美恵と和が上手くいったのが気に入らなくて機嫌が悪いんだよ」
 江坂君が取り成すように言ってくれたけど、由隆の不機嫌がそんな理由なわけがなかった。自惚れているわけじゃなくて、私に彼氏が出来たせい。
「もういいだろ、えっちゃん。じゃあ」
「おい! 悪い、またな」
 慌しく由隆を追いかけていった江坂君をぼんやり見ながら、由隆と別れた時を思い出す。私から一方的に切り出した別れに納得できず、何度も何度も由隆は理由を聞いてきた。
 本当ははっきりした理由なんて無かった。漠然と付き合っていただけだったから、由隆の気持ちに私が耐え切れなくなったのが原因。それを由隆に言えなかったから黙ったまま、いつの間にか友達という距離に落ち着いた。
「愛ちゃん! あっ、紅茶頼んだんだ? じゃあ、俺も」
 戻ってきた香坂を見て、泣きたい気分になる。歪んだ視界が元に戻るまで香坂は何も言わずに待っていてくれる。
「ごめんね」
「大丈夫?」
「うん。平気」
 いつもは何でどうしてと聞いてくるのに、こういう時に限って心配げに見てるだけ。人一倍、気を使う性格なのは会った時から分かってた。お喋りなのは気を張ってるから。私も同じだから良く分かる。
「場所、変えようか。俺、実家だけど部屋に来ない? この時間なら誰もいないから気にしなくて良いよ。あっ、絶対、変な事しないって誓うから。ミロのヴィーナスに」
 真面目な顔して言う冗談は緊張している証拠。
「ヴィーナスじゃ、嫌がられるんじゃない? 一応は愛の女神様だよ?」
 涙目でちょっと笑って言うと、慌てて繕うのも。
「えっ、じゃあ、何? どういうこと? 俺、いけいけ?」
 香坂で良かった。
 って、不覚にも思っちゃったから。言い訳しても、好みじゃないとか言っても、ちゃんと好き・・・なんだ。
「コウの部屋、見てみたい」
 昨日までとは違う呼び方に驚いて目を丸くしてる。でも、ほら。すぐに嬉しそうに目を細めて笑ってくれる。
「っよし! じゃあ行くか!」
 張り切ってお会計を忘れて、他の人なら格好悪いと思うのに香坂だったら笑って許せてしまう。
 こんなに好きだ。自覚すると恐ろしいくらいに香坂に惹かれた。おかしいのは昨日の告白された時よりも、今の方がドキドキしてること。香坂に手を取られながら歩くのが恥ずかしい。
「あのさ。部屋、散らかってるんだけど・・・勘弁な?」
 香坂が綺麗好きだとは思えなかったから覚悟して笑って頷いたけど、部屋に入って散乱してるのにびっくりした。埃は見当たらないから、単に片付け下手なだけなのは分かるけど、どうして着ていないだろう服が落ちてるのか悩む。
「うっ・・・ごめん」
 ベッド周りだけでも綺麗にしようと片付けの手伝う。物が多いわけじゃないから、きちんとあるべき場所に戻せばすっきりとした部屋。男の子の部屋にしてはカラフルで赤やオレンジの小物が点在してる。ソファや机は白だけど、椅子やサイドテーブル、壁紙なんかで上手く部屋の雰囲気を出していた。
「凝ってるね。インテリア、好きなの?」
「そこそこ。一時期、部屋の模様替えにはまってたから一ヵ月ごとに変えてたけど、今は時間も無いしそこまでじゃないよ」
 気分転換をするには良いけど、時間がもったいない気がして辞めてしまったみたい。このレイアウトにする前は一面真っ青で眠れなかったらしい。
 他愛ない会話もぎこちなくなってきた頃、香坂が言葉を選ぶように聞いてきた。突然に泣き出したのをひどく心配してる。
「大したことじゃないの。ちょっと自己嫌悪して、気がついたら泣いちゃって。でももう大丈夫だから」
 傷つけるのにも上手い下手があるんだと思う。私は由隆を傷つけて傷が塞がらないうちに、また傷つけていた。人を傷つけるのが上手いけど、今回は無意識でやってしまったのだから下手なのかもしれない。
「俺にも言えないこと? それとも、俺だから言えない?」
 答えられない質問に喉が鳴る。香坂を信用していても、由隆の名誉を守る為に・・・ううん、私は自分が可愛いから言えない。
「本当、ちょっと目が痛くなっただけだから」
 下手な言い訳にあえて騙されて。そんな気持ちが通じたのか、香坂はちょっとだけ黙ってから正座しなおした。
「つけ込んだから言うのはもっと後にしようかと思ってたけど。愛ちゃんと由隆のこと、知ってるから」
 何を言われたのか分からない。なんて。今、何を。香坂らしくないきつい視線に渇いていたはずの目がまた潤んできた。
「知ってるけど、そういうのも含めて愛ちゃんが好きだから」
「・・・・・・なんで」
「んー、たまたま?」
 そんなわけない。由隆も私も付き合っているのを隠した事は無いけれど、知っていたのはごく一部の限られた友達だけ。私が由隆の友達に会ったり、自分の友達に紹介したりするのに乗り気じゃなかったせいで、当時から今も仲良くしてる子達でも知らない子の方が多い。
「いつ知ったの?」
 自分でもきついと思う声が出てた。香坂の困惑顔なんて見たいわけじゃないのに、問い詰めるのを止められない。
「愛ちゃんを紹介されて暫く経ってからかな。一緒にいた友達の一人が俺と由隆が仲良いの知ってて言われた」
「そう・・・」
 ほの暗い気持ちになって俯く。別れ方がひどいと責められもしたから、きっと面白半分で言われたのは間違いない。
「本当にたまたまだよ。俺は知っていても知らなくても愛ちゃんを好きになってるから問題なし」
「どういうこと?」
「愛ちゃんを好きになったのは由隆と付き合ってたのを知る前で、知った後も好きなままってこと。この感じだとずっと好きなままだな」
 宣誓しようと言われたって信じきれない。香坂じゃなくて私が。香坂を好きだけど、いきなり気持ちがなくなる可能性だってある。由隆を好きだと誤解していたみたいに、香坂への好きもその程度かもしれない。
「今すぐじゃなくて良いから。信じられるようになるまで待つし、余裕で待てると思うし、待つよ」
 何を待つかなんて私には分からない。香坂がノリで言いつつも緊張しているのと私の涙腺が正常じゃないのは分かる。
「すっごい待たせるかもよ?」
「うっ・・・命が尽きる前にお願いします」
 こういう時なのに冗談を言えるのが香坂らしい。不得意ながら小さな声で本音を告げると、心底、安心した顔で笑った。
 香坂と付き合うようになって、今までの自分がいかに高望みで背伸びして無理をしていたのが分かる。壱が私を好きにならなかったのも、きっと私が壱を本当に好きになれなかったのも。
 自然体がこんなにおかしくて楽しいと気付いていたら、由隆とも違う恋が出来たのかもしれない。ううん。やっぱり無理だったろう。由隆は香坂とは違うもの。
「ところで、さっきのもう一回お願い」
「さっきのって?」
「ほら、喫茶室での・・・もう一回呼んでくれないかなー」
 まだまだ信用するには遠いけど、お喋りで裏表なさそうで心配性で子供っぽい奴と並んで歩くのも悪くない。だってほら。
「目つぶってても良いから」
 こんなに一生懸命に好きだと言ってくれるんだもの。ちょっとぐらい甘くなっても良いでしょ。
「一回で良いの?」
「いや、何度でも。いくらでも。好きなだけ」
 おあずけも長くは持たなくて笑いながら好きなだけ言う。過去の罪悪感が少しだけ払拭できた。完全に笑い話になるのはもっと先でも、今はここまでで良い。
 満足気にしている香坂を見ながら私もちょっとだけ気が晴れて、他のことを頭から追いやってしまっていたから知らなかったの。でもそれは私だけじゃないんだもの良いでしょ、ね。


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