堕ち

あいつがまさか本気になるなんてな。面倒臭いのが大嫌いな奴なのに、一番面倒そうな子を選ぶんだから面白い。
 いつもはここでおもしろおかしく笑いのタネにしてやるんだが、横で暗い顔と猫背でいつもの面影が全く無い幼馴染を見ているとそんな気分にもなれない。いつまでも一緒にいられると思っていた子が、横からかっさわれたんだから仕方ないか。
「そう暗くなるなって。まだ付き合うとは決まったわけじゃねえんだし」
 晃佑が下手な慰めを言ってどつかれた。壱も手加減無しだな。愛ちゃんが起きていれば、またちょっとは違ったのかもしれないけど、香坂と一緒になって眠ってる。彼女は苦手な笑顔よりも寝顔の方がよっぽど可愛い。
「あいつは男らしいけど、意外と男慣れしてないんだ。それで和の相手なんか務まるわけないだろ」
 いやはや美恵に対する過保護っぷりは俺以上だよな。ブツブツと温くなったビールを飲み干しながら言う姿は、ただのシスコンそのものだ。美恵と俺と壱は血こそ繋がってないものの、兄妹同然に育ってきたから壱の気持ちは分からないでもない。
「美恵が彼氏出来るたびにこうなんのか?」
 横で大人しく相槌を打っていた晃佑も、延々と続く壱のグチに眉を下げている。ごくごく小さな声で俺に確認を取るが、そんな事は無い。決まった相手と長続きしないのを壱が急かし、俺が止めるってのが今までだった。
「じゃあ、何で和弘相手だとああなるわけ?」
 それは壱が和弘を認めてるからだ。自分と同等か、それ以上と思っている奴に妹を預けるとなると気分が全然違う。確実に美恵が和弘とつきあっていくのが見えたんだろう。俺もだけど。
 あの二人は結構、いいとこまでいくんじゃないかと思うんだ。美恵も和弘もお互いのパーツに合っているのは、俺でもはっきり見て取れるくらいだ。俺らの年でその先まで見るのは難しいから断言しないけど、壱は美恵のドレス姿まで想像しているはずだ。
「今までと違って、簡単に別れなさそうだからだろ」
「それなら普通、喜ぶだろ?」
 今まで彼氏がいようが関係なく遊んでたのが、それとなくつきあいが悪くなっていくかもしれないと思ったら面白いとは言いきれないんだよ。しかも、美恵みたいに何でも話せる異性ってのはいるようでいない。友達面して話していても、だ。そこらへん、俺よりも壱の方が切実だろう。
「いろいろあんだよ。それより、由隆と愛ちゃんを起こさないとな。女の子を野郎ばっかで泊めるわけにもいかないだろうから」
「げぇ・・・起こすのかあ」
 嫌そうな顔をする晃佑をせっついて由隆と愛ちゃんが雑魚寝してる部屋へ追い出した。壱を見るとつまんなそうな面でいやがる。全く、どうしてどいつもこいつも手がかかるんだかな。
「おら、もっと飲めよ」
 酒瓶を傾けると、壱はようやっと戻ってきて口を真一文字に引き結んだ。しかつめらしい顔って言うのか、こいつには似合わない顔だった。
「なあ、あいつらさ・・・・・・」
「つきあうだろうな、たぶん」
 ぐっと飲み干してちらっと見る。表情がある顔じゃないから他の奴らが見たら何とも思わないだろう。けど、付き合いが長いだけに壱の考えてることが手に取るように分かる。
「駄目になったとしても、変わらねえだろ」
「ああ」
 口の端を持ち上げて無理に笑ってるのがみえみえだったけど、それでも少しは浮上したな。
「あいつが変わったら世も末だしな。そういや、由隆達は寝てんのか?」
「そう。さっき晃佑に起こしにいかせたとこだよ。さすがに愛ちゃんを置いておくのはマズイだろうから。なんだか妙な飲みになっちまったな」
「香坂は起こさないのか?」
 それはそれでうるさそうだな。けど、どうせ同じ部屋で寝てんだから、愛ちゃんたちを起こす時に嫌でも起きるだろ。・・・・・・香坂なら寝てそうだな。仕方ねえなあ、ったくよ。
「ちょっくら晃佑たちを見てくる。起こしにいった割に、あいつら遅えし」
 よっこらせと爺くせえ台詞を吐きながら、廊下を隔てた隣の部屋に顔を出した。どっから酒を持っていったんだか、寝ていたはずの愛ちゃんと香坂が二人してくだを巻いて晃佑に絡んでる横で、由隆が携帯でゴソゴソとメールを打ってる。待っていたほうとしては、無性に腹が立って由隆の背中を蹴っ飛ばすと、今気が付いたとでもいうように頭をバリバリ掻いた。
「二人とも家に着いたってさ」
 お前なあ、愛ちゃんがいる前で・・・言いかけた言葉を飲み込んで由隆を睨みつけると、晃佑の頭をはたいた。愛ちゃんと香坂の勢いに既に魂までもっていかれかけてたらしく、軽い一発で晃佑の体がぐらついた。
「お前ら、起きてるなら支度しろよ」
「は? 何で・・・って、そっか。愛ちゃん、愛ちゃん」
「なによぉ〜」
 せっかく可愛く装っていても、ここまで飲むと計算なんてすっとんじまうんだろうな。俺はこっちの方が好感もてるが、香坂はドン引きだろう。そう思って香坂を見ると、全然、酔いが覚めてないようだった。や、酒にも酔ってるだろうけど、こいつの女の好みが良く分からない。
「そろそろ帰らないとまずいんじゃない? 愛ちゃん家っておばさんがうるさいって言ってただろ? 連絡を入れてるにしても、もう野郎ばっかだし今日は帰った方がいい」
 由隆が酔っ払った愛ちゃんを説得する。酔っ払いにしては意外と素直に頷いたかと思ったのに、今度は香坂がグチグチと言いだした。こいつの酔っ払い姿は可愛くない上にしつこい。俺が辟易していると晃佑が香坂をひっぺがしてくれる。俺の代わりに人身御供になってくれそうだ。
 二人を放っておいて、愛ちゃんを由隆と二人がかりで支えると、玄関に壱がいつの間にか車を回していた。
「悪い」
「別に」
 短いやりとりで済むのがガキのつきあいが続いてる証拠なんだろうな。愛ちゃんを家まで届けると、やっぱり起きてまっていたおばさんが慌てて駆け寄ってきた。遅くなっても一人娘をきちんと送り届けたことで、俺らの好感度も多少は上がったみたいだ。由隆なんてモロ気にいられたな、絶対。
 半分寝てしまってる愛ちゃんには悪いが、酔っ払いが騒ぎ立てないで家まで送れたのは奇跡だな。香坂はいつの間にかおばさんとお茶してるから残していく事にした。送った後のむさくるしい車内で壱が滅多にかけないラジオを小さく流している事に気が付いた。あまりに小さい音だから、他の音にかき消されてるだろうと思っていたが、壱を見るとちゃんと聞いてるみたいだ。
 後ろで寝こけてた由隆を起こし、壱を見送るとぽつりぽつりと雨が降り出してきた。寒い寒いと思っていたら、一気に零度近くまで気温が下がっていたらしい。
「何やってんだよ、えっちゃん。早く入れって」
「分かってるよ」
 寒い外から帰ってくると、暖房を切っていた部屋でも暖かく感じるもんだな。それともさっきまで点けてたから、暖かくなきゃ駄目か。俺と由隆だけになった部屋はさっきまでの騒ぎが嘘のように静まり返っていて不気味だ。
「あのまんま二人とも付き合うんだろうなあ」
「なんだよ、いきなり」
 第一、あの二人がどの二人なのか分からない。壱と愛ちゃんか、愛ちゃんと香坂なのか、それとも・・・・・・
「決まってるだろ? 美恵と和に。お前、俺と気が合うかもとか言っておきながら、和を薦めるとはどういうことだー?」
 まだ酒が抜けてないのか? こいつは、と思って見やったら、苦虫を噛み潰したような笑みにぶち当たった。晃佑は壱と仲が良く見えるから、それなりに周りも親友扱いをしているけど、実は由隆の方が付き合いは濃い。俺と比べたら負けるが、由隆も壱の事を心配してるんだろう。
「心配ないって。壱も兄気取りが長くなりすぎただけだ」
「壱の事じゃねえよ。お前はどうなんだよ?」
「あ? 俺が何で気にする必要が・・・そりゃ、まあ壱と比べたら和じゃあ不安もあるけどよ。けど、彼女がいるのにフラフラするような奴じゃねえし、金遣いが荒いとかもねえし、大丈夫だろ」
 女関係は綺麗だから、一応。ストイックってわけでもないけど、浮気する奴じゃない。慣れてない女をからかって遊ぶような奴でもない。貧乏じゃないけど金銭感覚もしっかりしてる。
 そこまで考えて由隆を見ると、やっぱりといった顔で顔を歪めた。
「お前が一番分かってねえよな」
 俺が首を振って応えると、由隆は盛大に溜息をつきながら言った。
「お前だって美恵と付き合いが長いんだろ? そりゃ、恋愛感情があったなんて思っちゃいないけどさ。それでも付き合いが長い分、関係が変わっていくんだからよ」
「・・・お前は鋭いのか鈍いのか、わからねえな」
「今日が初対面でも、美恵の性格はなんとなく分かったからな。和は俺が保証しても良いぐらいのめり込むと思う。壱は今はへこんでもダメージは低い。真にへこむのはお前だな」
「それ、どこから持ってきた根拠だよ」
「俺流」
 軽口を叩きあってるのに、思ったよりも由隆の指摘が的確すぎて今からへこんできた。美恵と壱と俺とで良いバランスできた関係が、初めて崩れてくのを目の当たりにしたんだもんな。それでも、ここは美恵の為にも壱の為にも、俺自身の為にもふんばりどこな気がするんだよ。
「美恵に和ってのが予想外だっただけで、今までだってそれなりに彼氏がいたし、これからだってそうそう変わらねえよ」
「・・・そっか。それもそうだな」
 ぽつっと呟く由隆の顔が少しだけ晴れた。逆に俺がテンション低くなったけど、これも今日だけだろう。明日には忘れてるはずだ。いい具合に酔っ払いだからな。
 由隆と二人、残った酒を空けるためにぽつぽつと会話を繋ぎ、ぼーっとしていたら玄関のチャイムが鳴った。カーテンの隙間から見える外は、明け始めたばかりの空でまだ暗く、出るのさえ億劫な気分にさせてくれる。眠さも相まってダラダラと玄関に向うと、何故か晃佑が立っていた。
「悪い、中に入れて」
「いいけど・・・どうしたんだよ?」
「中でゆっくり話すよ」
 訳が分からないまま、さっさと晃佑は中に入っていき話し始めた。こいつにしたらよっぽどなのかもしれないが、話の内容はどうしようもない。
「お前な・・・」
「いや、だってよ」
「ありえねえ」
 三者三様に溜息が出たけど、晃佑は溜息をつく資格はないな。
「まさか俺だって、一日で・・・」
 晃佑の話だと、ついさっき香坂から電話があって愛ちゃんとつきあうことになったというものだった。俺はそれほど嫌ってないが、心の底から敬遠したいタイプの女子なんだそうだ。
「マジ、ヤベエ」
「つか、香坂って女の趣味悪ぃ」
 口々に勝手な事を言って、そのまま眠りこけた。全く、俺は一睡もしてねえってのに、暢気といや暢気だ。けど、あれほど壱に張り付いていた愛ちゃんが、なんでまた香坂なのか。香坂に今度会ったらそこらへんもとっちめねえとだな。
 愛ちゃんと香坂の美女と野獣コンビに気をとられていたせいか、眠気のせいかは分からないけど、この時の俺は壱以上にダメージを受けてる奴がいるのを見過ごしてしまった。気楽な奴だからすぐに立ち直ったけど、俺としては失態だったと思うんだ。


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