◇時間旅行◇Act11


 ありきたりな物なのに違って見えるのは気の持ちようだからだ。事前に先生から知らされていた通り、目に見える違いは自然以外にはそれほど多くはない。ただし、同じ車でもファクターを使って形成したような違和感があったりして充分に異世界を感じる。
「ここからはこれを持っていて下さい」
 手渡されたものはプラスチックカードで出来た顔写真入り証明書だ。統制部はこの世界の行政機関で幾つかある国の統括組織と教わったことを思い出す。渡されたカードはこの世界独自のパスポートだろう。裏に統制部発行の字があり、続けて彼とマスターの名が保証人として印刷されていた。
 外国人が日本に来て嫌な思いをした一つに、拇印を求められた事だと聞いた事がある。犯罪者でもないのに同等の扱いをされた気になるからとインタビューで答えていたのを聞いてそんなものかと思っていたけれど、カードの保証人欄を見て納得した。特別な意味はないとはいえ、不愉快にさせられる。
「まずは慣例通りにご挨拶に行きましょう」
「挨拶? ですか?」
「そうだな。俺も彼女とは暫く会っていないから、丁度良い」
「挨拶? 彼女って・・・?」
 疑問符だらけの私に、マスターが口元を綻ばせて言った。
「旧知の友人が統制部にいるんですよ。貴方のようにあちら側から来た者は普通、統制部に発行されたそのカードを受け取りに行くのですけど、受け取るまでに細かい規定があって時間がかかるんです。それでこちらで手配してしまいましたが、統制部に顔を覚えてもらっていた方が何かと安心ですから」
 分かったような分からない様なマスターの説明に、とりあえず首だけを動かして応じた。マスターもそれ以上を説明しようとはせずに、彼とともに歩き出したので不安を抱えながら、後を付いて行った。


 彼らが向かったのは建物に囲まれた中でぽっかりとある大型駐車場ほどの広場と、その先にある近代ビルでも超高層と言える高さの塔だった。
 見上げる程の建物は塔以外に無い。私がいた街も大きなビルは駅前通り周辺にあるぐらいで、一歩路地を挟むと民家が多かったが、ここはそれ以上に高い建物がなかった。おかげで塔はどこにいても目印になりそうだ。
「こっちだ」
 塔の中には上の階に上るエレベーターや階段が見当たらないと思っていたら、彼が適当に部屋を選んでドアについた覗き穴へ手をかざすと自動的にドアが開いた。私が指紋で判別するシステム技術がこの世界にもあるんだと関心しているとマスターが首を振って言った。
「少し前に持ち込まれた技術です。固体確認は塔に入れた段階で充分ですから、本当はあまり必要ないのですけどね。まあ、念には念を入れてるのでしょう」
 マスターによると、塔自体がセキュリティの役割を担っていて特定出来ない個人は入る事が出来ない、もしくは入ってもすぐに塔から吐き出されるらしい。吐き出されるというのが分からなくて聞いても、そのままだとしか言ってもらえず、それで納得するしかなかった。
「ここに立って」
 三人が円になると、じわりと空気が動くのが分かる。タイル地の床がぐるぐると動き出し、上へと上がっていってぶつかる寸前に天井が開いた。それほどスピードは無いけど心臓に悪いそれを何度か繰り返し、十数回目になろうとした時にぴたりと止まった。
「お帰りなさいませ」
「ああ」
「ただいま。どうだい、こちらは相変わらずかな?」
 出迎えてくれた十代後半ぐらいの女性に彼もマスターも親しげな様子だ。愛嬌のある顔立ちにふわふわとしたフリル多めな服、丸いトゥの靴が小さな足に似合っている。見た目を裏切らない舌っ足らずな喋り方をする子だったが、応答はそこらの学生よりもしっかりとしている。
「はい。変わり無く過ごさせて頂いております。導手様が皆様を御もてなしするよう言付かって参りました。本日は導手様の時間が取れずに申し訳ありません」
 寂しそうに眉を寄せているも、儀礼的な言い方だなと思ってしまった。謝る必要など微塵も感じていない顔に無理やりトッピングしたような表情が不自然に映る。
「その代わりと申しますのも失礼ではございましょうが、鏡の方様がお二方とお会いしたいと仰ってるのです。ご案内してもよろしいでしょうか?」
 立て板に水のごとく喋る間に、ちらっとだけ私を見てすぐに視線を二人に戻された。少女は私を意識しないように無理に二人を見ているからか、目線が安定していなかった。少女の対抗意識がどこから来るものなのか、私には判然とせず、困惑気味に部屋の隅にある置物へと視線をずらす。
 近況を彼女から聞いて満足したマスターが、今度は鏡を待たせるのはまずいと急かしたので珍しい置物を手に取れずに部屋を後にっした。案内しながらも彼に笑いかける少女と無表情のままついていく彼や面白そうに見ているマスターをぼやけた焦点で捉えると、自分だけが遠い場所にいるような気になる。
「今日は本当にタイミングが良いね。特に、鏡には貴女にもぜひ会ってもらいたかったから丁度良かった」
「ええっと、これからお会いする方は鏡さんというのですか?」
 言ってから自然と口元に皺が寄ってしまった。少女がこちらを見て俯いたからで、横顔に微かな優越の笑みが見てとれた。自分がひどく馬鹿な人間に思えて胸の底から羞恥が込み上げてくる。口惜しさを奥歯に挟めて、先生に習っていたかもしれないと記憶を探っても、さっぱり思い出せなかった。
「ええ。正確には『冬の鏡』と言うのだけれどね。それについては本人がいる所でじっくり話そう。さあ、どうぞ」
 ぎいと重い音を立てて扉が開くと、長身のシルエットが出迎えてくれた。逆光になった顔は見えずらく私が目を眇めて手を翳せば、シルエットが数歩体をずらして私に手招きした。
 ゆっくりとその人の前に立つと、私よりも数段高い身長が際立った気がした。見下ろされる感覚が常に同じじゃないのは当たり前だけど。一重で切れ長な目と通った鼻筋、細く尖った顎。冷たい顔立ちなのに、受ける印象は小春日和のように温かだった。
「初めましてだね」
 無駄を省いた口調が静かに室内に響いて、私を取り囲む空気が一変した。私は軽く取られた手を引っ込めてお辞儀をすると、張っていた糸がゆるむように彼とマスターを振り返った。
「久しぶりだな、見通しの」
「そうやって呼ぶのは君ぐらいなものだ。さあ、座ってゆっくりお茶でもしよう。僕は好まないが、お嬢さんには人気の菓子店から取り寄せたスコーンとマフィンもある。君達の口に合うだろう」
 鷹揚に人を呼び、香りの良い紅茶と甘菓子が差し出された。ほんのりとした甘さとソースとして添えられた果実の酸味が合っていて、今までコンビニや喫茶店で食べていたものと比べ物にならないくらいに美味しい。私が『SANKA』で食べていたのは、いつもサンドイッチ等のパンや甘いチョコレート系のケーキばかりでマフィンやスコーンといった素朴なお菓子は口にしていない。
「気に入ってもらえたようで良かった」
「あっ、ありがとうございます。私の為に用意して下さった・・・・・・ですよね?」
 おそるおそる聞くと、鏡は頷いて男性にしては細く長い綺麗な指でスコーンを口に放り込んだ。美味しそうに頬張る姿を見ていると、目の前の全てが私の為に用意したとは言いきれないかもしれない。
「冬の鏡とは言え、こうして時間が取れるとは珍しいものですね」
「ふん。今は落ち着いているからな。こちらのことより、君たちの方が大変なんじゃないのか? 良いのか? ゆっくりとお茶なんかしていて」
「君を紹介しないまま、ここを離れると彼女に恨まれそうだからね」
 さらっとマスターが流すと鏡が顔を顰めた。
「相変わらず世辞が上手いな。そう言って、また何か面倒事に巻き込もうっていうんじゃないだろうね」
「巻き込まれたいのか?」
 彼が薄っすらと笑みを浮かべて聞くと、鏡は目を眇めて皮肉気に言った。
「いつも君が絡むと話がややこしくなるからね」
「まあ良いじゃないか」
 マスターが鏡を紹介すると、鏡は謎解きでもするかのように話し始めた。それは私が想像していたよりも簡単で奇怪に思えるものだった。
「この世界は導主と呼ばれる女と寝床と呼ばれる男を頂点にピラミッド型で形成されてる。僕のような立場は特殊で、他に三人しかいないけどね」
「特殊、ですか?」
「そう。とてもね。さて、僕はトップを二人上げたけど、二人というのは面白いと思わないかい? 君たちの世界では舵取りが二人いては溺れるという言葉があるらしいじゃないか」
 鏡は愉快そうに両眉を引き上げて私の目を覗き込んできた。私にはトップが二人いても、どちらかが補佐役をやっていると考えるのが普通で、何の気にも止めていなかった。鏡がわざわざ聞いてきたのは、どちらがその役目になっているかということなんだろう。
「それは女の人が実質上のトップで、男性は補佐的な・・・その・・・・・・」
 段々と声がかすれていくのは鏡が不愉快そうに顔を顰めたから。目の端でマスターも同様に顔を僅かに歪めている。彼だけが私の視界から外れていた。
「どうして誰も彼もそう思うんだろうね。僕は二人と言ったはずで、どちらかが上だとは言ってない。もっとも君や君の世界にとっては、それが一番良い答えなんだろう」
「統制の取りやすさで言えば、彼女の意見が正しいと思うけどね」
 棘のある言葉に思わず身を引くと、マスターが仕方ないといった顔で言外に鏡を嗜めた。鏡も言い過ぎたのを分かってか、それには触れずにスコーンをまた一つ口に放り込んだ。
「すまなかったね。決して、君を攻撃しているわけじゃないんだ。僕も効率的な方法だとは思うから。僕たちは導手の下で動いているけれど、寝床が導手よりも下という事はない」
「貴方は導手の側近になる・・・?」
 言い切る事が出来ずに、変に語尾を上げさせたせいで声が上ずった。鏡の口元が綻ぶと、彼がおもむろに口を開いて言った。
「鏡、君がここにいるのなら話が早い。扉に隙間の様子を聞きたいんだが、どこにいる?」
「君は相変わらず、忙しい。時間に追われるのは君の悪い癖なんだろうね。まあいい。扉は導手と一緒だ。君達が来ると連絡が入る、ほんの僅かな時間で出て行ったよ」
「行き先は?」
 穏やかな声だった鏡の柳眉がひくりと上がり、視線だけを彼にやると「さあね」と低く呟いた。彼もまた、鏡の様子を眇めるとマスターを一瞥して、その耳に二言三言、言うとそのまま部屋の外へと出て行ってしまった。
「あちらに行くようになってから忙しないな」
「彼ほど多くの事情を抱えているのも珍しいですからね」
 マスターが目を細めると、その視線に耐え難いとでもいうように鏡はわざと私と目を合わせた。
「さっき、僕は特殊だと言ったけど、君もまた変わり種だ。更に言えば、君の周りに集まっている全ての者が、ある種の特別な存在だ」
 鏡の講義がまた始まる。
2009/05/06