仁義の墓場

 1975年公開作品。原作:藤田五郎。監督:深作欣二。脚本:鴨居達比古・神波史男・松田寛夫。

 無軌道に暴走し、仁義に背いて親分や兄貴分をも襲撃する狂犬やくざ・石川力夫を、藤田五郎の『仁義の墓場』『関東やくざ者』を下敷きにして深作欣二監督と病み上がりの渡哲也が生み出した暴力映画。

 深作欣二監督は同郷(水戸)ということもあって以前から石川に関心があり、『人斬り与太 狂犬三兄弟』で菅原文太が演じた狂犬やくざ・権藤勝男も石川力夫をモデルにしている。

 石川力夫が日記帳に書き残した辞世、

大笑い、三十年のバカ騒ぎ

が有名だが、その前段に当たる

(前略)まるで風船のような人生をオレは送ってきた。風船はたえず空に向かって飛びたとうとしている。飛び立てばやがて破れるのもしらないで。オレもそうだった。

がその後の深作監督作品に多大な影響を与えたことでも知られており、この作品では落ち延びた大阪で石川がペエ(ヘロイン)を覚える衝撃的なシーンで象徴的に風船が登場する。この作品以後深作監督作品には印象的な場面で風船が登場するようになった。

仁義の墓場裏話

 デビュー作『聖獣学園』ではヌードを披露した多岐川裕美だが、シナリオ上濡れ場が存在するにも関わらずこの作品では脱ぐことを断固として拒否した。脱がせ屋として知られる深作欣二の説得にも応じなかったため、結局露出は下着留まりで強姦シーンでも脱がずに撮影することになってしまった。深作は『復活の日』で再度多岐川を脱がそうとするがとうとう果たせず仕舞い。

石川力夫

 やくざの掟“仁義”に背いて破滅した伝説的やくざ。彼をモデルにした映画は『仁義の墓場』のほかに『午前零時の出獄(1950年・大映)』『午前零時の出獄(1963年・日活)』『新・仁義の墓場』がある。

 大正十五年(1926)、水戸に生まれる。継母とそりが合わず十五歳で家出。上京した後、十六歳の時にテキヤ新宿和田組・和田薫組長の若衆となる。

 昭和十八年(1943)、和田親分の悪口を言ったヤクザ者を襲撃し、函館少年刑務所に服役。翌年八月に出所した後は親分の名誉を守ったという功績と、その暴力性により和田組内の地位を確立し、マーケットや舎弟を持つ一端の顔役となる。

 昭和二十一年(1946)、「親分が面倒を見てくれない」という理由で和田組事務所へ暴れこむ。その後他の組員が自分を追っていることを知り、和田組長の差し金を思い込み、舎弟と二人で組長宅へと殴り込みドスで重傷を負わせる。妻・地恵子に助けられ逃亡を続けるが最終的には自首している。和田組長はこの時の傷から終生足が不自由だったという。

 昭和二十二年(1947)、府中刑務所へと送られる。翌年、出所。やくざ社会の規律である“仁義”に背いたことから刑務所内でも命を狙われる石川に同情した警察・刑務所関係者が関東やくざの長老とかけあい、石川を助命する代わりに関東所払い十年にするという温情的処分が下された。

 昭和二十三年(1948)、石川は所払いから一年二ヶ月しか経過していないにも関わらず、兄弟分・今井幸三郎を頼り関東へと舞い戻る。このころには石川はすでに麻薬中毒となっていた。

 昭和二十四年(1949)、今井に賭場での態度を注意されたことから口論となり、ドスで今井に軽傷を負わせる。今井は報復などは考えていなかったが、石川は今井が復讐するものと思い込み、先手を打って今井宅へ乱入して拳銃を発射し今井を殺害した。その際に今井を庇った内妻・照子にも重傷を負わせる。隠れ家に立てこもるが警察と今井配下のやくざの連合軍に包囲され、投石により逃亡を阻止されてしまい、その場で割腹自殺を図るも死にきれず。

 昭和二十六年(1951)一月二十四日、妻・地恵子がガス管を開けた上で手首を切り自殺を遂げる(この時代は石炭ガスを用いていたため一酸化炭素を大量に含んでおり、今日の七輪自殺のように一酸化炭素中毒による自殺手段として用いられた。現在では一酸化酸素を含まない天然ガスに切り替えられているため、ガスによる一酸化炭素中毒自殺は不可能)。

 悲報を聞いた石川はショックから衰弱し肺結核を病み、服役に耐えられないとして仮釈放される。出所後の石川は麻薬密売人を脅迫してペエをせびる暮らしを続けていたが、たまりかねた密売人が和田組へ通報し、和田組長の実弟らに斬られ重傷を負う。その後は府中刑務所へ収監される。

 昭和三十一年(1956)一月二十四日、布団を干すことを口実に刑務所の屋上に上がり、布団で顔を覆ったまま投身自殺を遂げる。石川は出所後に和田組へ闘争を挑むことを考えていたが両肺を病み肉体が衰えたことから前途に絶望し、地恵子の命日を期して自殺したとの説が有力である。

 石川が生前に用意していた墓石には「仁義 石川力夫 今井幸三郎」と墓碑銘が刻まれ、命日は今井が死亡した日となっていたという。石川が殊更に「仁義」を刻ませた意味は論者によって意見が分かれており、その真意は謎のままとなっている。

仁義の墓場 登場人物モデル一覧

 主人公の石川力夫、その兄貴分・今井幸三郎、華僑の首領・徐辰、多岐川裕美が演じた石川地恵子、池玲子が演じた今井照子は実名。

 ハナ肇が演じた河田修造のモデルは和田組組長・和田薫。新宿駅東口の闇市・和田マーケットを支配していた。和田マーケットは現在の新宿ゴールデン街。ハナ肇は最初からびっこの演技をしているが、実際の和田組長が足が不自由になったのは石川に襲撃された後遺症である。

 安藤昇が演じた野津竜之助は関東尾津組組長・尾津喜之助をモデルにしている。尾津は新宿駅前の大闇市・尾津組マーケット(新宿マーケット・竜宮マーケット)に君臨し、闇市の価格上昇を抑制し適正価格を設けるなどの努力により新宿復興に尽力した大親分。「光は新宿より」をスローガンに掲げ衆議院選挙に立候補したことは史実だが、新宿と池袋の大抗争というエピソード自体は架空のものである。

 田中邦衛演じる小崎勝次のモデルは、深作欣二が資料から見つけ出した、石川力夫と行動をともにしていたペエ中。石川が暴れまわっていた時には帯同していたものの逮捕される際にはすでに逃亡しており、その経歴などは明らかではない。

【役名】 【役者】 【モデル名】
石川力夫 渡哲也 石川力夫
河田修造 ハナ肇 和田薫
今井幸三郎 小崎勝次 今井幸三郎
野津竜之助 安藤昇 尾津喜之助
小崎勝次 田中邦衛
徐辰 汐路章 徐辰

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