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きっかけは些細なこと。聞いてみればそんなことが原因? 日常の一コマ程度のこと。目の前に迫った顔が苦しそうで、そして直ぐにキスをされて、私は反論できなくなった。 「……っ! 悟浄っ、んん……、やめ、て」 短く何度もされる口付けは、だんだんと深くなっていく。両手を力強く握られて、足もその体に抑えられて動かせない。私が悟浄を愛してないなんてことは、欠片もない。愛情がなくて嫌がってるわけじゃない。 キスをされながら、左胸に手が添えられたことに気づいた。室内用の薄い生地。親指が押してくる感覚も、小指を添えられた感覚もはっきりわかって、じわじわと気持ちが盛り上がってしまう自分もいる。 唇が離れた一瞬に名前を呼ばれて、お酒の匂いが鼻についた。たしかに求めてくれるのは悟浄だけど、でも酔って正気じゃないんだ。このまま行為を進めても、きっと明日には彼は覚えていない。そんなのはいや。いくら平常では踏み出してくれない境界でも、朝には無かったことと同じになる。私だけが覚えている。 悟浄だってそんなのは絶対受け入れたくないに違いない。 近くの棚を手探りになにかを探す。手に触れたのは多分玄奘に借りた本。お釈迦様の過去の物語だ。こんな……大切なもの、気が引ける。それでも今一度助けてください! 思いを込めて死角から降り下ろす。ガツっと音が立つ。 痛みに体が縮こまる悟浄を寝台の脇に転がして、急いで水を取りに走って、寝室へ戻ると悟浄はまだ寝台におり、悶絶している。実際はそんなことを振り替える余裕もなく、今日一番の大慌てで悟浄に声をかけた。 「悟浄、大丈夫?!」 あの本がどれほどの破壊力を持っているのか。 頭を押さえてる手を退けて擦ると、小さくこぶが出ていたものの血は出ていないようで、ほっと胸を撫で下ろす。これ以上こぶが大きくならないといい。罪悪感からそう願って手拭を濡らして、患部にあてる。唸り声がきこえるものの、起き上がる様子はない悟浄。膝に彼の頭を載せて、手拭を抑えていると、低い声がなくなり繰り返される呼吸音。眠ったのか。顔を覗き込むと、眉が寄っているけれど、眠りに入ったようだ。空いている手で、その眉間や、額や、髪を撫ぜる。こうして穏やかに悟浄に触れられているのが、心地よく、一息ついていると疲れがやってきて眠気がやってきた。 「、……! 起きてくれっ」 悟浄の声が近い。太陽も瞼を突き抜けてまぶしい。 フッと一瞬で目を開けると、悟浄の顔。彼も光を受けて眩く、綺麗だった。 「おはよう、悟浄」 「おはよう。……じゃ、なくてだな。どうして……がここにいるんだ? いつの間に来たのか」 「えっ」 ああそうだ。悟浄は覚えていない。それならそのままでもいいと思っていたけれど、寝起きで抜けていて反応したのが悪かったのか。 「夕べなにかあったか? そういえば、寝た記憶がない。同僚と夕飯を食ってて……それで……」 「いや待って。なんにもなかったから。昨日はお酒飲んで寝ちゃった悟浄を、送り届けてくれたの。そうでしょ?」 「ああ……そう、かもしれん。飲んだか飲んでないかくらいまでしか記憶がないんだが、誰かなにか言っていたか?」 「あ、あー飲んだらすぐ寝ちゃったんだって。ね?」 「そうか」 悟浄は息を吐きながら言った。「誰かに迷惑かけていないといいんだが……。は付き添ってくれたんだな、ありがとう」 「うん」 よかれと何もなかったふりをしてそう話したけれど、嘘をついている事実に残る気まずさ。だからといって真実を話す選択はない。私は私と悟浄のやり方で、もどかしくても少しづつ距離を縮めていきたいから。綺麗にほほ笑む悟浄に愛されたいから。 花瓶から棚に倒れている影は、その等身大。遅い朝になってしまったよう。彼が非番でよかったと胸をなでおろす。髪を梳かす指に、顔を上げると、悟浄にも寝癖がついている。これはあとで梳かしてあげよう。ゆったり始まる一日に、私は悟浄にもっともっと尽くそうと意気込んだ。 |