意を決して割ったビーカーのことを謝ると、アンナ先輩は私の臆する怒り顔をちょっとも見せなかった。寧ろ苦笑を浮かべて、言った。
「失敗を悔いて反省しているのに、どうして怒ると思うんです? 手を滑らせるなんて私もします。危険な物質は入っていなかったんですよね? 黙って千年樹に行って怪我を負うのと同じように、一人で危険な調合をするようなことはしないで下さい。貴女に辛く接する人なんていないんですから、気を軽くして一言、告げるだけでいいんです」
 なにを考えていたんだろう。私は、私のことしか頭になかった。先輩は私がどんな人間か理解してくれているのに、自分のことばかりで優しさを向けられていることに気付いていなかった。前から自覚していたつもりだったけど、とんだ思い違いだ。馬鹿ということにも気付いてない馬鹿だった。こんなのが一人で物事をこなせるわけがないのだから、これからはちゃんと頼らせて、もらおう。





 完治よ、とメルヒス先生から復帰の許可が出たのは怪我をしてから二日後。登録はしていないので講義はないけれど、補修を受けることになっている。病み上がりということで採取は無しに、用意された材料でのグリーンスープの調合と、千年樹に生息するモンスターについてのレポート提出が課されている。
「丁寧な治療、ありがとうございました」
「いいのよ。あの子たちにあんまり心配させちゃ駄目よ」
「は、はい。先生、調合はここでやるんですよね?」
「ええ。早速やりましょうか」
 調合というより料理のメニューといったアイテムなのでさほど大変な作業ではない。パッパと材料を加えて、時折先生により美味しくなる分量や隠し味に良いものを教えてもらっているとお昼も近くなり、先生の提案で完成したスープを昼食に保健室でとることにした。


 改めて挨拶を済ませ、タッパーにつめたスープをゼップル先生に提出しに行った。
「いやー、とても美味しいよ! こんなに出来がいいのは今回初めてだよ」
 メルヒス先生が教えてくださったからだけど。「ありがとうございます」と、ズルをした後ろめたさを感じつつも、生徒手帳に押された“優”の判子に頬が緩む。私は嫌な人間だ。



っ、もう動いていいの?」
「・・・あ、ニケ先輩。はい、もういいみたいです」
 図書館で資料を集めて机に向かっていると、突然大きな声で話しかけられる。駄目だ、会いたくないのに。
、レポート?」
「え、ええ。そうです。先輩方は?」
 これを聞けば、暗い思考を巡らせるんだろうとわかっていながら、あえて尋ねる。フィロ先輩、ニケ先輩、ヴェイン先輩、パメラ先輩。こんな集団で図書館へ本を読みになんて来ないだろうし、私を訪ねてくるわけがない。・・・ううん、ううん! もしかしたら、同学年なんだから同じレポートをやりに来たかもしれない。
「資料室に、用事があるんだ」
「奥の方に凶悪なモンスターが出るって聞いてねー」
「そうなのよ〜。他のモンスターさんたちが怖がっちゃって可哀想で〜」
「そうですか。じゃあ、お気をつけてくださいね」
「うん。ちゃんも頑張ってね!」
 返事して手を振り見送る私の心の中は黒かった。あの用事が資料室ではなく、せめて図書館内であれば少しは救われていたかもしれない。結局私を理解してくれる人なんていないし、私自身それを期待するのは図々しい。理想とする関係は、頼り頼られ支えあい気持ちを分かち合う仲だけれど、そんなものがあるのは子供が読むような物語ばかりだ。私が先輩を頼っても、先輩が私を頼ることはない。求めることは許されたけれど、求められることはない。
 四人が保健室に居ると聞いたのは、暗澹と書き終えたレポートを提出しに行った先のロル先生からだ。



 のろのろと足を進める。目的地を前にすると、声が聞こえてくる。引き返したい気持ちを抑えて扉を開け、定位置の椅子に座るメルヒス先生に会釈する。
「あー、っ、来てくれたの!」
「はい、大丈夫ですか・・・?」
「とちっちゃってさー。でも大丈夫!」
「よかった・・・」
 思っていた人たちは居なかった。直ぐに帰るのは印象が悪いと思い、先生の机に向かうように設けられたソファに腰を降ろした。ソファは二つあったが、片方は女子二人で埋まっているので、バランスをとるように一人で座るヴェイン先輩の隣だ。
「レポートは終わった?」
「ええ、はい。三人は怪我ありませんでしたか?」
「うん、僕らは大したことはないよ。ニケの方が重いんだけど、」
「メルヒス先生は手当て上手いからすぐ治るよっ」
「そうですね」
 心地が悪くなるのはすぐだ。ムーペくんが来て、一人二人三人と続いてアトリエの皆さんが揃う。うん、やっぱり。私どうしてこのアトリエに居るんだろう。私に特別気を遣ってくれたわけじゃない。誰も私を見ない。本当はクラスメイトやちょっと見知った人間と同じ位置にいる。ニケ先輩の、あんな軽そうな傷でだってみんなやってくる。同じアトリエ。でも、同じ輪に加わってはいない。私は独りだ。