旅の空で考えた事

旅かぁ。流れていく景色をただぼ~っと眺めているだけで充分なんだよね。珍しいものがなくったって平気。貧乏だからマイカーもないし、豪華な観光旅行なんてできないけど、そこで何か思うことがあればそれでいい。
7月は仕事の関係で札幌を離れることが多いけど、日々何か感じるものがあれば嬉しいな。

やはり、旅というものは、留まってはいけないものなのだ。


物事に深くのめりこんでしまうってことなのか、事あるごとに起こる様々な人間関係が楽しくもあり、そして非常に苦痛でもある。私自身のために私の周りから去っていく人たちがいて、私は彼らに掛ける言葉を持たない。というか、「俺って何様よ?」脳裏をよぎるその数音節は、急激に増殖しメモリを食いつぶしていくがごとく私の思考回路を切断していく。私に好意を持ってくれる人、敵意の眼差しで私を睨む人、その一人ひとりに深く関わってしまう。悲しんでいる人がいたら、あらゆる手段を講じてでもその人の悲しみを取り除いてあげたくなる。しかしそれができないとき、たった一つの別れが、私の心の中にいつまでも留まり続けている。
おこがましいか? 生意気か? 臆病者と哂うのか?
誰かに心から敬意を示すとき、こう思う。「この人の葬式では、大泣きしそうだな・・・」と。明らかに私より先に逝く人なら尚更だ。酒池肉林の中にいても、ふと立ち止まって振り返る。その人の顔を、老成した笑顔の中に刻み込まれた死の影を見る。この人のために、私ができたことってなんだろう。

心を閉ざす? それもいい。月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。人の流れもまた大河のようだ。誰も彼も、何時かはいなくなる。当たり前のことだ。「どんな人だって、100年後は死んじゃうよ(電気グルーヴ「March」)」。私だって、いついなくなるかわからない。禍根を残していいことなんてあるか。
「どうしてなんでもやってみようと思わないんだ? どうして、チャンスを生かそうとしないんだ?」そう言われた。それで、今、ここにいるのだろう。大人しくしてたって、いいことは何もないよ。ちやほやしてくれた連中は、もういないのだから。

エラソーな肩書きなんていらねぇ。今、やるだけだ。

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