晴れの日は気分よく。雨の日は憂鬱だ。

ネタがないこともないけどね。ここはニュースサイトではなく、当方の当方による当方のためのサイトなんだから、何を書くのもその日の気分、ということで。

さて、タイトルは新世紀エヴァンゲリオンTV版第26話「世界の中心でアイを叫んだけもの」より。あれこれ考えているうちにふと思いだした。台詞は、

「と、教えられたら、そう思い込んでしまう」
「雨の日だって、楽しいことはあるのに」
「受け取り方で、別モノになってしまう脆弱なものだ。人の中の真実はね」
「人間の真実なんて、その程度のもんさ。(後略)」

と続く。主人公碇シンジに、各キャラクターがモノローグのみでプレッシャーをかけるという、ちょっと言葉では説明しづらいシーンである。

さて、エヴァの話をしたくて上記の引用をしたのではないのです。ただ単に、物事の捉え方って、気分しだいだな~と、最近実感することが多くなったねぇ~と、自問自答してたらふと思いついただけで。

例えばなんだろう。

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うまい例が思いつかない。うーん、でも、本を読んだり映画を見たりしても、感動するポイントはちょっと違ってきた気がする。守備範囲が広くなったのかな?それとも、感覚がざるになってきたのかな?それはわからない。とりあえず、登場人物が誰かのために己を犠牲にするシーンを、以前ほどばかばかしいと思わなくなったというか、そいつの美しい自己犠牲の精神を、「この人は、どうしてそんなことをするのだろう」冷静に見るようになった。以前なら、「自己犠牲!美しいわ!」で終わってたのに。作品上の、もしくはそれに付随する人間関係に注意を払うようになったのかな?んーなんだかよくわからない。

さて、当方の心情の変化はともかく、視聴している作品や当方の周りの環境はとりあえず大きくは変わってない。ん、もとい、チョットづつは変化はあるけど。それでも、気分によって物事の見方は変わってしまったり、誰かに言ったことが好意的に取られたり否定的に取られたりしてしまう。気分の上下によって、人間関係が壊れたりすることも、世間ではよくあるらしい、よ?でも、気分で人を好きになったり嫌いになったりはしたくないな。仕事はできても家庭内はめちゃくちゃ、そんな人間にはなりたくないな。んじゃどうする?ガマンするのかい?それとも、他にいいアイデアでも?

とある既婚女性が言った。家庭はもちろん、仕事も、生活の一部分。それなりでもいいから、どっちもちゃんとやりたい。と。

他人は自分より優れていると思ってしまう。でもたぶん、多くの人が他人に対してそう思ってる。とかく劣等感の文化です、日本は。劣等感という悪徳を、謙虚という美徳と混同してる文化であります。恥の文化なのです。罰を恐れる文化です。このご時世、長いものに巻かれるのが賢い生き方なのです。時代を先取りする人は、私とは違う人間なのです。犯罪者は、私とは違う人間なのです。親は子に、そう教えるのです。幼少時に虐待を受けた親はわが子に虐待し、自分の親が離婚したことを負い目に持つ子は、そのうち親になり、図らずしてわが子に同じ苦しみを与えてしまう。不幸の連鎖。これも、あなたにとってはテレビの中の世界かもしれない。

それでは、また。

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