僕はがんばってる!がんばってるんだ!!

小さな頃からスポーツ好きで、苦しくてもがんばる、精一杯がんばる、努力するということにある種の美徳の存在を感じていた。自分の甘えと戦い、苦しさに耐え、ひたむきにゴールを目指す長距離走もやっていた。「がんばる」ということは、ただただ美しい、そう思いながら過ごしていた時代だった。

何時からだったろう。「がんばる」という言葉を使うことに抵抗を覚えるようになった。もしかしたら、なんらかの時代背景もあったのかもしれない。どっかで「がんばってる人に、がんばれ、なんて言えない」という科白を目にしたような気もする。碇シンジは、タイトルの科白を絶叫した。がんばって、という言葉が相手にプレッシャーを与えているかもしれない、と思い始めたとき、それを口にすることができなくなった。

「がんばる」とはどういう意味だろう。一般的には、困難に耐えて努力するというような意味だろう。ただ、奥ゆかしい雅な日本語の例にもれず、「がんばる」という単語にもさまざまなニュアンスがある。時と場合によって、相手に伝わる真意も変わってくる。

「がんばる」ことには終わりがないんだな。ここまでやれば「がんばっている」という状態になる、というボーダーラインみたいなものがないんだ。だから、時にはその言葉が誰かの心を歪めてしまうこともある。

でも、言葉ってのは難しいな。「努力しろ」とか「精一杯やれ」とかいう言葉も、結局は本人次第なんだ。どこまで努力すればそれでよしとするかは千差万別だろうし、そもそも、努力もまた上限がない。暫定的な上限、それはすなわち「妥協」だ。妥協も悪くない。だって、努力すれば実を結ぶ、なんて保証はどこにもないのだから。つまり、打ち続ければ当たる可能性は大きくなるが、10万円つぎ込んでも当たる保証はどこにもない。500円投入して、たった1回転目で大当たりする、お座り一発、略してオスイチをゲットすることもある。そういうことだ。

がんばることが馬鹿らしく思えることはあるよね、まじめな話。ただね、好きでなんかをやり続ける事ほど、力強いものはないな。

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