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夏コミ終了。
あらゐよしひこ氏(東山神兵)の新刊の感想を述べとこう。 『そして誰も食べなくなった』は、旅客機墜落後生き残った乗客のサバイバル、という状況設定だが、極限状況に於ける二択という話ではなく、単に食人の話である。 死亡後だけでなく明らかな殺人もしちゃってるとなると、もはや問題提起ですらナシ。感想を述べると言ったけど、言う事は特に無いな(笑)。 注に面白い話を見付けた。パプア・ニューギニアの食人では、同族食いによるプリオン摂取の為次々にヤコブ病が発症したとある。 ほほう。非文明化社会とか昔の人の生活とか(両者は同義でない。例えば部族社会は都市文明に至る途中の発展段階ではなくそれで完結している)の方が自然で理に適っていた、とかいう幻想があるけど、カクジツにウソだな(言うまでも無いか。じゃなきゃ「迷信」なんて言葉生まれないもんな)。 因みに、僕の手許にたまたまあるベルイマン『私の父は食人種』(文芸春秋社,1959)のコピーに食人についてのインタビューが載っているが、豚肉と人肉どちらが美味いかの質問に、原住民は「人間のほうがブタ肉より水気があってずっと柔かい。ブタ肉のほうがカスカスしている」と答えている。どうも人間の方が美味いと言ってる様に思える。しかし、食人が禁止される前の方が良かったか?の質問には、「いや今の方がいい。夜も静かに寝られるから」と。 いつ食われるか、オチオチ寝てらんないより、やっぱり食人なんか無い方がいいってさ。 久々にスペース・シャワーのサイト(http://www.spaceshowertv.com/DAX/live.html)を見てみたら、フリッパーズ特集だって。
このサイトならもっと他に観るべきビデオ・クリップやライブの映像があるんじゃないかとも思うが、話のタネに「さようならパステルズ・バッヂ」「恋とマシンガン」「SLIDE」「GROOVE TUBE」「奈落のクイズマスター」辺りを観ておいてもいいかもね。 僕? 僕はこれ等の収録されたD.V.D.持ってるし、その昔M.T.V.ジャパンでさんざん観たからイイよ。 前に、「アイシールド21」について見るべきものは無い位の事を言ったけど、今は毎週楽しみに読んでマス(苦笑)。
何か、(この漫画に於ける)アメフトってものが解ってきた(笑)。 あらゐよしひこ氏の経歴について僕は知らない(無論ネットでは簡単に調べがつく)。
『ドルフィン』誌の同人誌紹介コーナー(沖由佳雄「同人誌データバンク」(『ドルフィン』'04.7.))で、エロでもないのに取り上げられた『SURVIVAL DEAD』('04.5)が僕が最初に触れた氏の作品であり、“ゾンビのサバイバル”というアンビバレントなテーマをきっちりモノにしているというだけでも評価されるべき傑作だ。 『使い魔エンブリヨ』1,2(各掲載話の初出しか記載無し。'00~'02位)は人間の少年/少女と人外の相棒といういわゆるドラえもん形式をとりながら、その実「魔太郎がくる!!」に他ならない。いじめっ子側も一顧だにしないが、いじめられっ子である主人公の少女も、根性の良くない人物として一貫して描く。「子供がいじめられてんのに見てみぬフリ? そーゆーのだってイジメに加担してるんだよ」(本編より)などという無責任な物言いとは違って、(恐らく)いじめられっ子の立場もよく知った上でのいじめられっ子批判ともなっている。 「Dr.パッチワーク」シリーズの『罪とか、罰とか。』('05.8)と『家族の問題。』('05.11)の2冊を僕は持っている。主人公の医師は正義漢などではない上に好奇心という事に関して全く下世話な人物である。事件の真相を推理し恐らくはそれが正解なのだが、だからといって何にもならない。何も救わない。そういう作品だ。「あとがきで薄ら寒ささらに倍増」(樹庵氏(『ティアズマガジン』vol75,'06))という感想があった。全くその通り。 『吸血鬼の憂鬱 食屍鬼の逡巡』('06.2)の、吸血鬼とグールの違いに意味は無い。両者は同じくモンスターであり、その上での両者の立ち位置の違いがテーマとなっている。即ち、生粋の魔物と人間でなくなった者。ネタバレに注意しながら語るなら、片方の立場での一人称に終始している点に賛否が分かれるかも知れない。併せて藤原薫『おまえが世界をこわしたいなら』(上・下)を読むとバランスが取れる、かも。 あらゐ氏のサークル東山神兵の名を今夏のコミケのカタログに見付けた。3日目(8/13(日))東ヤ-01a。 行ってみろ、という話である。故に、氏のホームページのU.R.L.すらここには記載しない。 (って急過ぎるよ! …スマヌ) マイクロフォン・ペイジャーのその名も「MICROPHONE PAGER」(「MICROPHONE PAGER」収録)を聴くと、'93年当時にこのレベルの曲が在った事に驚く。
それよりも前、最初の1人いとうせいこう氏は、「噂だけの世紀末」(「MESS/AGE」収録)で、自身の小説『ノーライフキング』で書いた通りの時代の空気を切り取ってみせた。ならば、これはヒップホップだ。 このアートフォームへの疑念は、サムライトループス「ドライブ・マイ・ライフ」(「パレット」収録)で完全に消し飛ぶのではないか。この完璧なポップスを聴いて尚、ラップ・ミュージック/ヒップホップを否定する論拠を持ち得る者が居ようとも思えない。 多人数でのマイク・リレーはそれだけで醍醐味のあるものだが、それを考え得る限りの工夫を凝らし非の打ち所の無いポップ・ソングへと昇華したこの曲とはまた違って、極めてシンプルだが美しいスモール・サークル・オブ・フレンズ「Boy's Wonder」(「CIRCLE」収録)は、多くの歌謡曲の無駄な音数が如何に野暮かを気付かせるだろう。 ソロM.C.の魅力ならシュレン・ザ・ファイア「111 Helicopter」(「My Words Laugh Behind The Mask」収録)やザ・ブルーハーブ「続・腐食」(「STILLING,STILL DREAMING」収録)でも味わえる。前者の、悲愴を極めたジャズ・ピアノのループ上ふと聞こえる「1945年の東京」というフレーズにハッとするがいい。後者なら「平成10から昭和19へのループ」。 ソロM.C.と言えば何よりも東京No.1ソウルセット! 「否応なしに」(「Jr.」収録)を聴いて、M.C.のビッケがレゲエ・ボーカルから出発したと信じられる者が居るだろうか。全く新しい表現というのは必然性から生まれるからこそ価値がある。さもなくば、それは奇を衒っただけの悪ふざけだ。 スチャダラパーは何故凄いのか? 「MR.オータム」(「偶然のアルバム」収録)は、クレバーさだけで情感すら表現出来る事を見せ付ける(何よりもフック! “秋”をテーマに詩を書きなさいと言われてこれが出てくるか? 「例年のごとく街を疾走 気温は下がる傾向 感じる事は増える一方」)。 ループするトラック上に2M.C.、そのスタイルなら、ソウル・スクリーム「TOu-KYOu」(「TOu-KYOu」収録)が基本にして一つの究極だろう。ベーシックなヒップホップを日本語で聴きたいならまずこれを聴くべきだ。 マイク・リレーものの紹介に戻ろう。(元)ブッダ・ブランドのニップスが同じくブッダのデブ・ラージと共にゴア・テックス、X.B.S.をフィーチャーした「PARTNERS IN CRIME」(「MIDORINOGOHONYUBI MUSIC」収録)も素晴らしい。どうにもクセのあり過ぎる彼等を使ってこれ程ムーディーかつアップ・テンポな曲を作れるとはさすがニップス。変人でもいいや(笑)。 そしてマイク・リレーと言えば何よりも…ランプ・アイ名義でリノ、ユウ・ザ・ロック、G.K.マーヤン、ジブラ、ツイギー、ガマ、デブ・ラージをフィーチャーした「証言」(「証言」収録)。10年前になされた彼等の証言は、現在も変わらず通用するんじゃないか。というのはつまり、今も相変わらずの無理解な世間だって事だ。日本語ラップとかヒップホップとかについて何か言うんなら、この曲だけは無視してはならない。知らないでは済まされない。 最後に、極めて個人的な意見だが、志人「LIFE」(「Heaven's恋文」収録)を聴いて、ヒップホップ/ラップがアリかナシか決めてもらってもいい。「今頃、君は窓の向こう側のビルで孫の夢を見る良いパパになろうと」―何で20代前半の若者にこの詞が書けるのか解らないが、ともかく頭韻も脚韻も無く踏みまくるこの詞がフリースタイルをそのまま書き留める様なやり方で作られたのは明らかだ。ならば、これ以上無くヒップホップだ。 以上、僕のダビング・テープを聴いてみてくれないか。 「カウボーイビバップ」は鼻についた。「サムライチャンプルー」は好きだがそう言うのには抵抗がある。何故か。アキバ系コンプレックスから来る嗜好の様に思えるからだ。しかし。
「N・H・Kにようこそ!」のO.P.のラウンド・テーブルの歌とまるで信藤三雄氏的ビジュアルには、違和を感じない。 そう、渋谷系―と言うと凄く語弊がある―『米国音楽』系の多分に趣味的な音楽は、そもそも極めてオタク的なものだ。 六畳一間の狭い世界の住人のものなのだ。 そして、原宿のひどくマニアックな女の子達100人位にあのフリッパーズが“発見”されたのは、もう15年以上前。 '95~'96年の渋谷系ブームの時には、ああ、流行っていうのはオタクの後を5~6年遅れて追ってくるものなのか、と痛感した(痛感―そう痛々しかった。サムかった!)。今、ズボンの裾を片方だけ捲り上げている若者達を見るがいい。ヒップホップやブラック・カルチャーに於ける意味合いを知らずにそうしている者には訊いてみたい。自分自身の美的感覚に照らしてそれをカッコイイと本当に思うのか、そして「それは最新型なのかい」(by森さん)と(ウータン・クラン「Enter the Wu-Tang 」の中ジャケでメンバーがこの格好をしてるけど、このアルバムが発売されたのは'93年だぜ!)。 メイン・ストリーム以外のジャンク・カルチャーの全ては僕等オタクのものだ。流行は、僕等の文化の上澄みだけを軽く掬い取って去っていく。 今回、「N・H・Kにようこそ!」のO.P.で僕等はそれを僕等の手に取り戻したのだ(E.D.については議論の余地ナシ!)。 |
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