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インターネットの普及により、一億総表現者の世となった。
果たして、かつては少なからず一般にあったそれを訝る志向(例えば自己満足的な自己顕示への嫌悪感とかetc.)というのは、もはや完全にメイン・ストリームには無い。 …なんてのは今更言うまでもない。 佐伯薬氏はインターネット上でホームページを開設しつつのネット嫌悪派であって、その矛盾から絞り出す様な創作スタイルの為、大変寡作である。 それでも、この度自身を追い詰めひり出した新曲「Insensible」のアップにより、彼のサイト上で聴けるのは5曲に達した。 日記での発言等で、彼の極めてストイックな創作姿勢が分かるが、軽快なハード・ロックがその様にして鳴らされる事実を知り、襟を正すのもいい。 佐伯薬氏H.P.「廃墟で甘い葉っぱ」(http://www.geocities.jp/planetruin/) 男マンさん(「デジタルボウイズ」http://www.otokoman.com/)がネット・ラジオを始めた(http://www.otokoman.com/cat12/)。
氏は饒舌ではないが寡黙ではない、が、文章に於いて、僕等が何だかもやもやと抱いてるものを簡潔に言い表す事の出来る氏が、音声メディアで話し言葉で表現する事の意義はそこにあるか? とか考えないではなかった。同時に、手放しの期待感も抱いた。 …相方が世良敬。さんだ! これは嬉しい。何がって、厳しい批判精神はあるが情熱的なマン氏と冷静でニヒルな?世良氏の対談形式、この2人の会話は面白いのだ。雑談ではなくテーマを持った表現として意識的に行われるそれは、果たしてどうか? 何となくスロースターターだったのは否めない。声も少し小さいかも知れない。テスト・ショットたる第0回の方が声も大きくノリもイイかも知れない(苦笑)。だが…。 一聴すべし(第1回目のお題はひぐちアサ「おおきく振りかぶって」)。 p.s.男マン氏のサークル「デジタルボウイズ」は今度(5/5)のコミティアに参加する模様(スペース・ナンバー「つ29b」)。 因みに、僕も「時計屋(わ28a)」で参加。エキゾチック組合(http://www.geocities.jp/wel_mr/)の仲間の水凪樹君の小説本を出すよ。 面白いかどうかの前に、この設定は言うまでもないある1つの意味に於いて、存在そのものが有意義だ。
全く、何て悪趣味なんだ(笑)。が、図書検閲の厳しい世界という設定を冒頭のナレーションだけでさらっと済ませされても、違和感無く受け容れられるのは確かだろう。 いつか「マクロス7」について、アニメという文化系のジャンルに於いて描かれる無頼漢には余りリアリティを感じないがバサラは違う、という様な話をした気がするが、無頼漢でそうなら、“本”っていうものをテーマになんかしちゃった場合はもうカクジツにインドア派の論理で語られる世界となる。なのに、この「図書館戦争」は、図書の検閲やそれに対抗する、いわゆる憲兵の様な人達の物語である故に、寧ろ体育会系的であるのが面白い。 主人公は、本は好きかも知れないが座学は苦手な筋肉少女だ。 まだ2話目、今後どう展開するのかも、物語のテーマも、何も解らない(えっ、原作小説は最終巻まで出てるの?)。 ショートカット少女が憧れの謎の人物を「あの人」と呼ぶ所が、「ストリート・ファイター・ゼロ」シリーズを彷彿とさせるなぁ、なんてのは勿論余談だ。 原作漫画もテレビ・アニメ版もよく知りはしないのだが、「ネウロ」のアニメ版を初めて見た時、原作そっくりの絵だ!って、ちょっと感動した。
何というか、ぶっちゃけ、画力がアレな漫画をアニメ化すると、大抵イヤに垢抜けた感じになってしまうもので、即ち、ヒロインの女の子なんかもヤケに萌えな感じになってしまうもんだけど、「ネウロ」は原作のイマイチ華の無い絵を最低限整えてるだけな感じな所が、何か小気味好かった。 …っていうか、萌えなアレンジの施されない弥子ちゃんが作品内のみならず番組スタッフにも女の子扱いされてない感じがして、それが却って萌えた(笑)。 五月五日氏の「かるかん!」が単行本化された。今は亡き『メガプラス』誌に連載され今も後継誌『0EX(ゼロエクス)』誌で続いているこの漫画は、P.P.(Personification-Pet)という人間の形態をした動物―獣人ペットの猫娘珠ちゃんと、その飼い主である小説家ほづみさんと周りの人々のドタバタ・ギャグだ。
いちいち納得出来る理屈の通ったギャグをぽんぽんとテンポよく繰り出してくる所が大変小気味好い。 他にも好ましい点は幾つもあるが、特にイイなあと僕が思うのは、主人公が皆大人―いや珠ちゃん達P.P.はガキンチョっぽいけど(笑)周りのレギュラー・キャラ達は皆社会人(?…怪しいのも居るが)の大人―で、こういう大人が主役のギャグ漫画は例えば「こち亀」然り、世の中そう捨てたもんじゃなさそうだって感じさせてくれて、好きだ。 友達から返してもらった荷物の中身に、SABE『地獄組の女』1~4巻(全4巻)もあった。
今読み返して、印象も感想も全く変わらない。 それはその過激さがどうこうじゃない。テーマとドラマにやはり重みがある。一貫したものが通っている。 如何にもSABE氏的なおフザケは、勿論ふんだんにあって、地獄組に改造された主人公は、怪人バニー女―バニー・ガール姿の少女だし、平戦闘員は何故かバスケのユニフォームを着ていて、バスケット・マンと呼称される。 シリアスな残酷シーンも、ナンセンス・ギャグ漫画風のいい加減な絵で描かれたり、よくある、マジメなテーマもあるかも知れないが基本的にはギャグ漫画だ、な作品そのものの外観だ。 ところがこの作品は、そんなギャグ漫画的カオスをしれっと、それこそが人間の心の闇だ、本性だ、世の中だ、と断じ、狂った世界の描写として解釈してしまう。 その妙なリアリティーと空恐ろしさの要因に、登場人物に"マトモ"な奴が居ないというのもあるだろう。 冷静に客観視出来る奴等も居る、でも悪役だ。イカレた人殺しだ。 「キサマいったい今まで何人殺してきた!」「およそ一万二千人だ」 そんな悪党だからこその客観視で、だからこそ、 「元々調和って言われてるものだって生物同士が個々の種の繁栄と存続のために勝手にやり合っていたものが煮詰まってそうなったってだけのことだし」 とさらっと言えてしまう。寧ろ“マトモ”な奴が居ない世界観こそリアルなんじゃないか? ナンセンス・ギャグ、荒唐無稽な展開、いい加減な絵―それ等を以って成す決して曲がらない骨太のドラマ/テーマ。 これは、マイナー/エロ漫画シーンの鬼子、いや、そもそもSABE氏作品としても鬼子なんじゃないか? |
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