時空を越えた歪みだろうか。初めて会ったその人は、風のように揺らめいて見せて、いつの間にか俺を 呑みこんでいた。悲しい人だ、見つめれば見つめるほど。安らぎを知らない、温もりを知らない、幸せ を、愛を。今にも溶けて、奈落の底へ真っ逆さま。知らず墜落を待っているように見えた。
受け止めたいとは思わない。貴方は俺の腕には収まらない。無理矢理縮めて押し込んだって、一時の安 らぎさえ与えられない。罪だ、悪だ、無力さゆえの過ちだ。貴方に会わずにいられなかった。救いを求 めずにいられなかった。どうしようもなく汚れた魂、唯一の誇り、せめて貴方だけは気高いままで、居 てください。






「おい、お前・・・・トランクス」
「あ、すみません。ぼんやりしてて」
「ついて来い」
一言目で応えずにいると、名前を呼んでもらえることに気が付いた。硬質な声が、俺をかたどる心地好 さ、ふらふら波間に揺れるよう。貴方に名前を呼んでもらえたのは、一体何日ぶりだろう。黒い目が、 貴方の意識が世界で一人、ただ俺だけに向いている。この瞬間の為ならば、俺は何だって出来るので す。
弱さを見せれば良いですか、それとも圧倒的な強さを?貴方の興味を惹き得るもの、それが真だ。貴方 の興味を惹き得ないもの、そんなものは嘘だ。いつしか全ては意味を無くした。ただ貴方という物差し があれば充分だった。父さん、貴方で出来ている世界の、なんという美しさ、なんというきらめき。時 折泣きそうになるのです。
「入れ」
「どうして」
「拒めるのか?」
行き着いた先には貴方の部屋が。どうして、だって、ここ数日、俺を見ることさえしてくれなかったじ ゃないか。だから俺は想いを隠して、ただ貴方を見つめていられたのに。それが突然部屋へだなんて。 まさか、知られた?そんな、終わりだ、もうこの世界には居られない。
「早くしろ」
入りたくはなかった。けれどこの人の勝ち誇った笑みを見ると、拒否という選択肢は消え失せた。ノロ ノロ一歩を踏み出すと、後から入った貴方がベッドに座る音が聞こえた。立ち尽くすことしか出来なか った。
見ていたい。恐らく最後の貴方の姿。必要に迫られて時間を逆走している訳じゃない、ただ貴方の存 在に触れる為。味気無い未来に定着するんだ。それでも顔を上げられなかった。頭が恐怖に塗り潰さ れる。目を閉じた。せめて涙は零すまい。最後くらいは、貴方の息子らしく飾りたい。
「率直に言おう」
ああ嫌だ、言わないで、見捨てないで、きっと貴方は蔑むでしょう。死ねと言うならすぐに死ぬから、 どうか嫌いにだけはならないで。ゴメンなさい、俺が息子で、こんなにも汚れて、許して、父さん、ゴ メンなさい。お願い、俺を嫌わないで、殺さないで。
「お前は俺を憎んでるな?」
「・・・・え、そんな、違います!」
「無理はするな。俺は父親とは呼べん男だ」
「そんなことっ!俺は貴方を、尊敬してます」
「尊敬か・・・笑えるな」
「どうして」
「嘘じゃないなら目を見て話せ」
何がなんだか分からなかった。どうして、貴方は、何の為に。もう知られているのか、未だ知られては いないのか。いや、どちらにせよ同じこと。たとえどうあれ俺は罪の子、貴方を汚す盛った犬だ。罰 だ、堕落だ、それだけが俺を待っている。
ねぇだけど、大好きなのです、父さん、貴方が。ただ大好きなだけなのです。なんてくだらない罪だこ と。さぁ罪人が顔を上げるぞ。いっそ不遜に無遠慮に。できる限り厭らしく。
「・・・・・っ」
息が詰まった。呼吸を忘れた。薄い唇がゆるりと曲がって、柔らかな瞳、ああ父さんが笑っている。見 たこともない鮮やかさ、貴方だけを見続ける目になれれば良いのに。罪悪、禁忌、忘れてしまえ、そん なもの。だって父さんがここに居て、俺に笑いかけていて、この幸福、この満足に、どうやって嘘を吐 いたらいいの。






今だけだ。二度とここには戻らない。貴方の他に望むものなんて無い。受け入れてほしいなんて願わな い。だから密かに、貴方を想っていても良いですか。貴方さえ笑ってくれるなら、他に誰からの許しも いらないのです。
「トランクス・・・」
立ち上がった父さんが、腕を伸ばして近付いて、白い手が俺の頬を。なぞる、包む、まさか貴方が、信 じられない、まるで天国。掌の温かさ、微笑みの柔らかさ、鼻の奥がつんと痺れた。
「お前は本当に汚らわしい。こんな所まで俺に似るとは。信じられない醜さだ。顔を見るだけで不愉快 だ」
一層深く刻まれた笑み、なんという美しさ、なんというきらめき。貴方と過ごせた記憶があるなら、そ れだけを糧に生きていける。今日まで生きてこられたのは、きっとこの瞬間を迎える為。
「・・・・と」
「全くどうしようもない豚だ。憎んでいながら俺に惚れたな?俺とヤりたくて堪らんだろう?」
「・・・・と、うさ」
「お前は救いようの無い変態だ。救ってやる気さえ起きない。忌々しいほど厭らしい」
月光に似た笑顔、低く穏やかに紡がれる声。無重力を彷徨うような、現実感が戻らない。内臓が縮む、掴 まれたような、ああ吐いてしまいそうなのか。
涼しげな顔が近付いた。額に優しい何かが触れた。天使のような口付けだった。
「・・戻って来たけりゃいつでもおいで」
軽やかな摩擦音、何事も無かったかのように、あの人が部屋を出たらしい。途端に全身の力が抜けて、絨 毯に倒れこんでいた。喉が何度も痙攣した。息が出来ない。多分あの人が捻じ込んだ爆弾が、俺の呼吸を 邪魔しているんだ。いつの間にか頬が濡れていた。自分がバラバラになりそうな気がした。
この痛み、この苦しさ、父さんが与えてくれたものが、今確かに俺の中にある。なんだか夢を見ているみ たい。重みが感じられなくて、どこへでも飛び去れてしまいそう。世界は恐いくらいに鮮やかだった。見 慣れない極彩色が、腫れぼったい目を刺した。
「・・・・ハ」
ようやく絞り出せた息は、みっともなく震えていた。途端に重みが降り掛かる。爆弾が中で暴れているん だ。痛い、苦しい、どうしてこんな、ああ知られていたんだ、とっくの昔に。このままどんどん小さくな って、俺なんか見えなくなれば良いのに。視界に瞬く誇らしげな笑み、憎悪に輝く黒い瞳、あれより綺麗 なものを知らない。まるで奇跡、目を向けてもらうことすらおこがましい。
ゴメンなさい、貴方の血を継ぐのが俺だとは、醜い想いを抱くとは。ただ静かに貴方を見つめたかった。 貴方の寂しさに溶けたかった。ああ信じられないくらいに邪悪だ。自分の腐敗臭で吐きそうだ。これが罰 だと言うなら余りにも。
父さん、貴方が大好きです。貴方さえ居れば良かったのです。たった今、この瞬間までは。来いと言うな らいつでも行きます。ただ次に貴方に会う時は、誰よりも息子らしく、誰よりも忠節に。罪を塗り潰し、 貴方の望む姿になります。何よりも精巧に、寸分の狂いも無く。自分の想いくらい、いくらでも殺して やる。






「・・・・・ハァ」
湿気た溜め息を一つ、よたよたと起き上がって、洗面所を借りた。鏡を見たくなくて、できる限り急いで 顔を洗った。しつこく目に残る熱が情けない。さぁここまでだ。この部屋を出て、未来に帰って、またい つかここへ来る時は、もう俺は平凡な息子、それでなくちゃならない。この世界は美しい、それを知れた だけで俺は、幸せでした、お父さん。
「・・・・・・!!」
ドアを開けた。幻覚だと思った。廊下に父さんが居る。力なく壁に凭れて、潤んだ瞳、唇に微笑。さっき 俺を見捨てたじゃない、あれ以上に一体何が。ああこの上もなく貴方は正しい、あれより公正な裁きなど 無い。許し?糾弾?嫌だ、どちらも耐えられない。もう迷惑なんか掛けやしないから、どうか今だけは忘 れてください。お願い、混乱させないで。
「トランクス・・・つい言いすぎた。お前はずっとここに住め。俺もいるし、鍛えてやれるし、こっちの 方が豊かだろう?それとも、もう俺といるのは嫌か?」
「・・・・・・」
理解出来ない。一体何だ。父さんが俺の腕に縋って、目線、眉間、首の角度、全ての効果を計算し尽くし たような。多分貴方は、たとえ縋ろうと俺が不快に感じないことを確信している。だけどどうして。甘え ?まさか、何のために?誘惑?それこそ意味が無い。自尊心を傷付けて、貴方が何を得るとも思えない。
「トランクス、俺を憎むな。今はお前が頼りなんだ。だからずっとここに居ろ。俺の見えるところに居ろ」
腕が、腰に回されて、俯いた父さんが、俺の胸に顔を寄せた。怖かった。貴方が貴方でない気がした。自分 が自分でなくなる気がした。
「お前の心臓、すごく早い」
目だけを俺に向けて、父さんは楽しそうに笑った。どこまでも黒い瞳、爆ぜるような美しさ、挑むようなき らめき、ああ貴方が捕えてくれるなら。最初から俺に選択肢なんて無かったじゃないか。何を恐れる必要が ある。貴方に触れることが、今やっと許されたんだ。この想いはもう禁忌じゃない。
「・・・・・父さん」
父さんが瞼を閉じた。考える余裕なんて無かった。怖々と唇に触れる。
甘い、柔らかい、止められずもう一度触れた。心臓が止まった。
「・・す、好きです、大好きです、嘘じゃないです」
「こういう時は愛してるって言うもんだ」
「・・・愛しています、父さん」
口にしてようやく自覚した。貴方にキスをしたんだ、この俺が、それも何度も。信じられない、夢かもしれ ない、ああもう夢でも構わない。嬉しくて恥ずかしくて、本当は叫びたかったけれど、上手く声が出なかっ た。どこまでも美しい世界、その隅々にまで広がって、今や俺は貴方そのもの。天国にだって、こんな満足 はあり得ない。
愛している、心に思う度に温かくなった。綺麗な響きだ、汚しようが無いくらい。父さんがにっこり笑っ た。やっぱり綺麗だ、貴方もけして汚されやしない。俺が貶めてしまうだなんて、なんて愚かな思い上がり。 爆ぜるような美しさ、挑むようなきらめき、気付けばぼんやり魅入っていた。






不意に鼓膜が震えた。父さんが大声で笑っていた。俺はロバみたいに立ち尽くすのみ。頭が上手く働かない。
「ハハハ、お前は本当に可愛いな、トランクス。まったく俺にそっくりだ」
何度か俺の肩を叩いて、父さんは笑いながら部屋へ消えた。煙みたいだ、いくら頑張っても掴めないのに、気 付いた時には囲まれている。逃げる貴方、逃げられない俺、理解しようと思う時点で間違っている。
ただ貴方の目が、その黒さが、憎悪で出来ていることだけは、いつだって生々しいほど確かだった。どんな想 いを抱こうと、貴方に触れようと触れまいと、きっと父さんは俺を憎む。俺が息子である限り、貴方が貴方で ある限り。たとえ誰に恋をしようと、貴方だけは選ぶべきじゃなかった。だけどそんなこと最初から。
受け入れてもらうつもりなんて無かったのです。ただ密かに想い続けることを、許してもらえれば良かったの です。ゴメンなさい、俺の醜い欲望のせいで、貴方の憎悪を掻き立てるような、ああ貴方の安寧をこそ、一番 大事にしなきゃいけなかったのに。罪だ、悪だ、無力さゆえの過ちだ。貴方を受け止める気になった。貴方を 救えると過信した。この手は罪しか掴めないのに。
そうだ、元より俺は罪の子、貴方に焦がれた罰ならばいくらでも。絶え間ない憎悪の連鎖、それはきっと俺の 想像以上に苦しい歯車。だから逃避でも巻き添えでも構いません。たとえ一時の安らぎにせよ嘘にせよ、何か を貴方が得られるのなら、俺を利用してください。罰だ、堕落だ、待ち受けているのはそれだけだ。それでも 良い。俺は貴方を愛しています。貴方もそれを願ったのでしょう、だからあんなにも憎んだのでしょう。だけ ど心配はいりません。俺は父さんが大好きなのです。ただそれだけなのです。
脚をもつれさせながら、なんとか自分の部屋へと向かう。廊下、窓、外の景色、ありふれているという安ら ぎ、まるで平穏さに抱き締められているような。澄んだ空気、柔らかな日差し、思わず微笑んでしまいそう。 この世界のなんという美しさ、なんというきらめき、多分驚いて涙が出た。何故か拭うことも止めることも出 来なかった。今度貴方に会う時は、必ず笑顔を見せるから、だからどうか今だけは、一人静かに泣かせてくだ さい。


日記のSSSにしようと思っていたのですが、驚くほど膨張したのでこちらへ上げました。 ネタがマイナー気味なのはきっとそのせいです;; とりあえずセル戦後、どっぷり依存な未来トラ→カカ不在で情緒不安定な王子のつもりですが、 いつも以上に意味不明で本当にすみません!!収拾つきませんでした・・・orz
情緒不安定な王子の最低っぷりは、意識下無意識下問わず萌えますが、これは 全て分かった上で行動している設定です。うぁぁ、説明下手な書き手ですみませ・・・っ!