放課後の教室で歯を見せて笑っていたあの日の君は幻だったのか。
君の口腔はキャンディーとクッキーの味がしたように思う。
そして私は、狂おしいビートを刻むキ印ロックを聴いていた。
シブヤは肉の海だと歌っていた気がする。彼も。丸井君も。
「この世界の条理が俺にとって不利だから。ずるいから。
別に俺が変なわけじゃなくてその環境がそうしているだけなのに、
必然的に俺が悪くなるじゃん。あーあーあーあーあーあーあーあー」
丸井君は私を綺麗だと言った。そして自分の血のほうがもっと綺麗だとも言った。
丸井君は私の筆箱からカッターナイフをとり出して、己の左腕に
線を引いた。滑らかに傷口が創られた。何度も引いた。何度も引いた。何度も引いた。
いつのまにやら、空は燃えるようなアカだった。丸井君の為の空に違いないだろう。
「俺戦争に行きたい。は大切だから、連れて行かねえ」
「・・・ついてくよ」
丸井君の左腕は、今日も血だらけだ。あの日・・・幻の中のあの日、
私の乳房を舐めた、彼の舌の色と全く同じのアカ色だった。丸井君の中身は全部アカなのだ。
だから髪の毛もアカいんだ。舌も血も同じ色をしてるんだ。でもねえ、瞳から流れる液体は、何故透明色なのです。
「は綺麗だね。美しくて。純情で。可憐だね」
「それは丸井君のほうだと、私は思うよ・・・」
丸井君のような儚さといじらしさを兼ね備えた美しい少年が何故こんなふうに
なってしまったのだろうね。だから私は彼のアカまみれの左腕を舐める、この汚い舌で
構わないのなら。だから透明色なんて見せないで。そんなのは全然アカくないのだから。
「ライオンになりたい」
丸井君の瞳はみるみる濡れてゆく。もうどうせなら、全部その液体出しちゃって、
次からはアカい涙を流してほしいな。ごめんね、丸井君。ごめんね、丸井君。そんなに見ないでよ。
「あ、終るわ。もう、あ、ああ、終るわ・・・」
丸井君の薄い唇がそう嘆いて、暗い教室に彼は蹲った。空はアイ色、星はキ色、どちらも全然綺麗じゃなかった。
この星で正常で綺麗な肉は丸井君しか存在しないのだろう。彼に認められた私と。
キャンディーとクッキーのあの幻の日から、少しずつ歪み始めていた。
丸井君はひとりぼっちの、可哀そうな綺麗な馬鹿な子供だ。孤独な日々をずっと見てきた。
「丸井君、私はずっと丸井君の味方だからね」
丸井君はふるふると肩を震わせながら、私に助けを求めるように抱きついてくる。
私は彼の華奢な背中をやさあしく、やさあしく撫でる。私は彼の母になる。
惨めな丸井君、丸井君はすごく可哀そう。言うならば下界に放り込まれた天使。
魔女の宅急便のキキ。海に落ちたハレー彗星。それらなんかよりももっと綺麗で
特別なのが丸井君。丸井君は可哀そう。丸井君はズット傷だらけ。
「はいつかきっと俺を嫌いになるよね。それはしょうがない事だろうね」
丸井君の口腔からは、既にキャンディーやクッキーやケーキやチョコの
味は消え去っている。もう二度と戻らないかもしれない。くだらない孤独感を巧みに操作する愚かな肉達がこうしたのだ。
私の携帯電話からは相変わらずロックが流れていた。そのうち奇妙なクラシックに変わった。
丸井君の目玉は透明色を次々と生み出した。止まることは無かった。これからも無いのかも
しれない。私は彼を精一杯抱きしめるけれど、丸井君はそれでも心を震わすのですよ。
こんなことってあります。
「俺を嫌わないで。脳髄と精神がきっと悪いだけだから」
丸井君の唇から零れるアカ、何もかもが美しくて儚い。丸井君が終わるなら、私も終わる覚悟だから。
だから安心して聴いて下さい、ショパンでもシューベルトでもエグザイルでもオレンジレンジでも、何でも。
左腕の傷は艶めかしい血を流すけど、明日は来るのですよ。だって丸井君は何も悪くないから。
ただ、君をこうしてしまった壊れた世界をどうか許して。