は病気だった。昨日で死ぬはずの存在だった。俺はが好きだった。
は助かった。だが後遺症として断片的な記憶喪失を患った。
運が良いのか悪いのか、は丸井先輩のことを覚えてはいない。
丸井先輩はの恋人で、自分の臓器と引き換えに彼女を救って死んでいった。
俺は最後にこう言われた。
「お前が俺になってのそばにいてやってくれ」
その時から丸井先輩は元からいない存在になった。
俺はが好きだった。
「赤也がいるから私がいるの。本当に、ありがとう」
「いいんだよ。お前のためならさ、内臓のひとつやふたつくらい」
「嬉しい・・・。赤也が私の中にいるみたいで。これってすごく素敵なことだね」
違うのです、あなたの中にいるのは丸井ブン太です、僕は全部ここにあります。
だけどの頭の中での恋人は俺で、俺の臓器が彼女の中にあるという、とても愚かしい設定になってるのだ。
だけど、愚かな愚かな僕は、が好きでした。
「・・・ごめん。手術前の赤也とのこと、あんま覚えてない」
「・・・いいって。これから思い出つくればいいだろ」
「怒ってる・・・」
「怒ってねえよ」
「嘘吐き」
ああ俺は、嘘吐きなのか、そうか。を幸せにするための嘘なのにな。
俺は嘘つきなのだなあ。
「ねえ赤也、看護婦さんとケーキ焼いたの、食べて」
それはほのかなピンク色をしたシフォンケーキだった。そのピンクは彼女のリストカットの血だという。
はちょっとだけ精神が悪くて、俺は彼女のそういうところも好きだった。でも同様に
、丸井先輩も、彼女のそういうところも好きと聞かされたことがあった。
俺はきっと、丸井先輩には負けているし、丸井先輩みたいにはなれない。
俺はまだ彼女に愛されたことが無かったから彼女の命と引き換えに死ぬことは
できなかったのだ。だが、丸井先輩には、できたのだ。に愛された丸井先輩は、彼女の存在意義を知っていたのだろうと思う。だが俺は、そんなのは知らなかった。
「・・・美味いよ」
「うそでしょ!からかってるのよ」
だけどもし、俺が丸井先輩と立場が逆であったならば、恐らく俺も丸井先輩と同
じことをしただろう。こんなに美しくて愛しい生き物を誰が見殺しにするものか。
仕方の無いことだったのだ!だから俺は誓うのです。
「もしも、また臓器が必要な時があったら、命と引き換えにしてでも、俺がお前を守るから」
「本当に?」
本当以外に何があるというんだ?
丸井先輩のいない部活はひどく静かだった。もうすぐが学校へ通えるようになるというのにこんな暗い雰囲気のままでは駄目だと幸村部長は言った。
だから皆、丸井先輩のことを無かった存在にしようとした。学校も世間もそうだった。の親は有名な政治家で、大きな権力の持ち主だった。みんなを守ろうとした。
だから丸井ブン太が生きていたということを、必至になってなかったことにした。
丸井先輩はこの世に存在していなかったことになった。先輩ごめんなさい。
僕はが好きでした。
「赤也、部活帰りに急に呼んでごめん」
「いや、いいよ。病院好きだし。話ってなに?」
「まあ、そこの血液ケーキでも食べてよ」
「またか」
「・・・ねえ赤也、丸井ブン太って誰?」
「えっ」
「あのね、もうすぐ学校いけるようになるって言われたから、昨日学校のカバン
を整理したの。そしたら、その人からの手紙とか名札とか、色々はいってた
の」
はその細く青白い手で紙切れを差し出した。
ノートの端切れのそれには乱雑な字体でこうかかれていた。
〈 大丈夫?赤也にちゃんと礼言っとけよ。あと週末にどっか
いかねえ?じゃあ部活いってくるから。いつもの場所で待ってろよな。ブン太〉
「赤也に礼を言えって何?週末に遊んだり一緒に下校したり、私と彼ってどんな
関係だったの?」
俺は覚えていた。完全に覚えていた。礼を言えとか、それのこと。
入院する少し前、彼女に初経が訪れた。太腿に血を伝わせたながら訳の分からぬ
まま部室に現れたものだから、居合わせた俺がパニクって、それでナプキンを幸村
先輩が持ってて、結局俺が下着に装着してやって。当時は何で幸村先輩がそんな
もの持ってたのかとかいう話で学年が騒然としたけど、今となっては懐かしい思い出で
ある。
「ああ・・・そいつね、それ、えと・・・。俺の親友だよ。ほらお前、よく三人で遊び
とか行ってたの。今は、いないんだけどな」
もしもの時のために考えていた嘘をついた。我ながら嘘が上手いと思った。は訝しげに、あっそう、と言って黙った。俺は横にあった彼女の手作りケーキを
一切れ掴み、頬張った。少しだけ鉄の味がする。マジで血が入っているらしい。
仄かなピンク色の生クリームを舐めとる。口の中が気怠い甘さでたくさんになる。吐きそうだ。
が責めるようなまなざしでこっちを見ている。俺はケーキを頬張っている。大量の生クリームのせいで気分が悪い。罪の味がする。
俺は考えた。丸井先輩を知らないこいつを考えた。そして、丸井先輩を考えた。
このケーキは丸井先輩が食べるべきものだった。まるで丸井先輩との血が混ざ
って俺の中に流れ込んで吸収されたみたいな感覚になった。それは優しくて、でも本当は残酷だ。残酷なのはきっと俺だ。
俺は生クリームだらけで甘ったるい口を開けて、言葉を探した。真実の言葉を吐き出さなくてはならないのは分かっていた。口腔で生クリームが糸を引いたのがわかった。
俺は口を閉じた。喉まで出かかった言葉を生クリームと共に飲み込んだ、深い胃の中に沈めた、胃もたれがする。
俺はが好きなのだ。