Index(X) / Menu(M) / /

司5 (1)

◆aPPPu8oul.氏

「…先生、だ」
思わず口にした。周囲には誰もいないのに。
涼みに入ったデパートで、隆也が女子生徒に手を引かれていた。顔は知っているが名前は知らない。
たしか3年生だったと思う。
二人がいたのはよりによって水着売り場で、華やかな女性物の水着を物色している。
大胆な水着を体に当てて笑う女子生徒に、隆也も笑いながら何か言っている。
隆也がもてることは知っている。学校でも、男女問わず生徒に囲まれていることが多い。
「………」
足早に、逃げるようにその場から離れた。
隆也が笑っているのを見たくなかった。
これが学校の中でなら、きっと我慢できたのに。
苛立ちだけで家に帰ったが、自室に足を踏み入れた途端涙が溢れてきた。
バカだ、と自分を笑う。
きっと隆也は無理やり連れまわされているだけで、人が良いからああやってのん気に笑っているだけで。
きっとそうなんだ。それなのに。
「…ぅ…っ」
ベッドに倒れこむ。頭にくるくらい温かい布団に涙がしみこんで、こんなときだけ吸水性に感謝する。
わけがわからない。このくらいのことで泣くなんて。
携帯が鳴った。
隆也からの通話の着信音だ。この音が鳴るたびにドキリとする。
何度聞いても慣れなくて、心臓に悪いので普通の着信音にしようと思うのにできずにいる。
今は、出たくない。枕に顔を押し付ける。
十数回はコールがあっただろうか。着信音は鳴り止んだ。
「…馬鹿」
誰に対して言ったのかもわからない。そのくせ、言った途端にまた涙がこみあげてきた。
「………っ」
感傷的な気分なんてお構いなしに、外では蝉が鳴いている。


気温は体温並で、まだ窓も開けていない部屋はサウナのように暑い。
それでも、温かすぎる布団に身を沈め、枕に涙をしみこませていた。
じわじわと、汗が噴出す。堪えきれずに顔を上げ、立ち上がった。
そうだ、暑いのに耐えられないからベッドから降りたんだ。そう自分に言い訳して、窓を開ける。
放り出したままの荷物を拾い上げ、”仕方なく”携帯を手に取る。
画面を見れば間違いなくそこには隆也の名前がある。
唐突に(携帯なんてものは大体がそうだが)携帯が鳴った。あの着信音で。
反射的に通話ボタンを押してしまう。しまった、と思ったが遅かった。
耳に持ってくる前に、慌てた声が聞こえてきた。
「司?お前いまどこにいる?」
「…え…」
自分の声が泣き声だったことに気付く。気持ちを落ち着けようと、ベッドに腰掛ける。
「…あ、家に、いますけど…」
「あぁ…そっか。うん。さっき鳴らしたんだけど気付かなかったか?」
罪悪感に胸が痛む。
「いえ…ちょっと、手が離せなくて」
「そうか。あのな、さっきお前のこと見かけたんだけど、探してもみつからなかったから…もう帰ってたんだな」
「…はい…」
司の声がいやに低く小さいことに、隆也はようやく気付いた。
「…あー、その、だな。暇ならこれからどっか行かないか、って誘うつもりだったんだけど…機嫌悪いのか?」
司が嫉妬に胸を痛めていたなんて、想像もつかないのだろう。それが当然かもしれないが、それでもカチンときた。
「いえ、別に」
今度は確実に声にトゲが含まれている。
「別に、って…怒ってるな。何かあったのか?」
てめぇのことだよ、といささか口汚く心の中で罵って、どうやってこの怒りを伝えようかと考える。
「別に何も。でもそうですね、俺、機嫌悪いみたいだから、これからどっか行ってもこのままかもしれない」
電話の向こうで隆也が頭を抱えているのがわかる。司がこんなに機嫌が悪いのは初めてのことだ。
もっと困ればいいんだ、と思う。こんなことをしてもどうにもならないと、本当はわかっているのに。
「…なぁ司…少し、話がしたい」
「してるじゃないですか。まだ何かあるなら、どうぞ」
我ながら人を馬鹿にした物言いだ。それでもイライラは収まらない。
「司」


ぐっと。
心臓を掴まれた気がした。
それが緩むと、また涙腺が緩んだようで、胸から何かがこみ上げてくる。
だめだ。こんなの。
「…せん、せい」
今度こそ本当に泣き声だ。
それこそ隆也は困惑しているだろう。さっきまで怒っていたのに、いきなり泣き出すなんて。
「ごめんなさい。先生…ごめんなさい」
「…な…泣くなよ、おい…俺がでかい声出したからか?…いや、あー…その、だな…
 くそ…そこで泣かれても何もできないんだよな…」
がしがしと頭を掻いているのだろう。本当に困らせた。きちんと話さなければ、と司が口を開こうとしたとき。
「今から行くから、待ってろよ」
「え……」
一方的に切られた。
呆然としていた司は、はっとして洗面所に向かった。とりあえず顔を洗って、それから少し落ち着こう。
赤い目はなかなかもどりそうもなくて、途方にくれる。幸い両親は仕事に出ていて、夕方まで帰ってこない。
部屋に戻ってウロウロと歩き回りながら、何をどうやって話そうかと考える。
嫉妬しました、と言えばいいんだろうか。
たったあれだけのことで嫉妬して、怒って、泣きましたと言えばいいのだろうか。
笑われそうな気もする。それでもやっぱり、気持ちは収まらない。
もやもやを吹き飛ばすようにクラクションの音がして、窓から下を見下ろす。隆也の車が止まっていた。
降りてこないということは、これからどこかに行くつもり、なのだろう。
あわてて窓を閉めて荷物を手にとって、家を出る。
「先生」
迷わず助手席のドアを開けてすべりこむ。腰を落ち着けると同時に、隆也に抱き寄せられた。
「…もう、泣いてないな?」
優しい声を聞くと、かえって泣きたくなる。
「……はい」
背中をぽんぽん、と叩いて、隆也は手を離した。
「よし。じゃあ行くか」
にこりと笑う。なんというか、罪作りな人だ、と司は思う。
困ったことに今日の司は怒るか泣くかしかできないらしい。また嫉妬の怒りが復活して、ぐい、と隆也の肩を掴む。


「待って。その前に」
運転席にまで身を乗り出して、キスをする。戸惑う隆也の頭を抱いて、深く深く。
「ん…む……ちゅ……」
舌を絡ませ、唾液を注ぐ。いつもとは逆に、少し上にある司の頭を掴んで、隆也は無理やり唇を離す。
「っは、ちょっ、待て待て。どうした?今日のお前変だぞ?」
「嫌?」
じっと見つめると、隆也の頬が少し染まった気がする。
「嫌って…嫌じゃないけどな…その、さっきから怒ったり泣いたり…俺もどうしたらいいかわからないよ」
「…俺もわかんないんです」
お互い答えようがない。
「……とりあえず、ちゃんと座れ。車出すから……」
「はい……」
揺らぐアスファルトの上を滑り出した車の中には、変な空気が漂っている。
耐え切れずに隆也がラジオをつけると、何年か前に流行ったテンションの高い夏の歌が聞こえてくる。
この空気にはじつに合わない。
『♪水着のあとの/ヤらしさに身悶えて…』
そしてその歌詞が、司の地雷を踏んでいる。
「……先生」
「ん、何だ?」
ほっとしたような隆也とは対照的に、司の声は硬い。
「俺も、先生見かけたんだ、今日」
「何だ、そうだったのか?なら声かけてくれれば―」
「女の子と一緒だったから。水着売り場で」
隆也が固まる。うっかりブレーキを踏まなかっただけまだ冷静だろう。
「そうか…あれはな、3年生の…」
「知ってます」
『♪ためらうことに慣れすぎた/素肌の上で事件を起こせ』
起こしたくない事件の予感がする。隆也は先を促したいような促したくないような気分でハンドルをきる。
ためらいがちに司が口を開く。
「…先生がもてることは知ってるけど…」
「いや、待て。俺のはアレだぞ?モテるとかじゃなくて人気があるっていうか…今日のもつき合わされただけで…」
「わかってます!」


どうも下手なことは言わない方がいいらしい。隆也は今度こそ黙りこむ。
「…わかってるけど…でもやっぱり、見てていい気分じゃなかった。頭に来て…泣きたくなった」
横目に司の表情を伺う。むくれたような、泣きそうな、声をかけにくい雰囲気をまとっている。
「…泣きたくなって…こんなことで、落ち着いてられない自分が嫌になって…」
また泣くかもしれない、と思わせるような声だ。この距離感がもどかしい。
「……俺の家でいいか?ちょっと…遊ぶ気分じゃないな」
ようやく明るすぎる曲が終る。司は何も言わない。ただ、頷いたような気がした。
次の曲は静かだった。この空気には似合いだが、少し物悲しすぎて、司が泣き出さないかとハラハラする。
美しい月夜の失恋を歌った歌が終るころには、隆也のマンションについた。
「…司」
車が止まっても降りようとしない司に声をかける。見ると、自分の拳をもう片方の手で握りしめている。
そして、痛々しいほど真剣に、何もないダッシュボードを見ていた。
「…いくぞ」
助手席のドアを開け、司の手を引く。
部屋は暑く蒸していた。冷房をつけて何か飲み物を出そうと台所に足を向けたら、司に止められた。
服の裾をつかんだ司の、真摯な瞳が隆也を捕まえる。
「…泣いたんだ…俺、何でか、わかんないまま…」
司の頭をゆっくりなでる。
「うん…座ろう。ちゃんと、聞くから」
さっきまでの距離を埋めるように、ソファに腰掛け、自分の膝の上に座らせる。
後ろから抱きしめると、腕に手を添えてきた。
「…車の中で、考えてたんだ。何で俺、こんなに不安になったんだろうって…」
「…うん」
「……それで……きっとまだ、自信がないんだろうって、思って。それと」
それも否定してやりたかった。けれど最後まで聞かなくては。隆也は黙って続きを待つ。
「…俺が……俺より先生のこと好きだって言う人がいたら、先生がそっちに行っちゃうんじゃないかって…」
思わず、抱きしめる腕に力が入る。
「……馬鹿なこと言うなよ…」
「だって」
司が腕の中でみじろぐ。
振り向こうとしているのだと気付いて腕を緩めてやると、あっという間に隆也の腰にまたがった。
泣きそうな顔をしているくせに、やることがいつになく大胆だ。


「…俺、いっつも先生に言ってもらったり…して、もらったり…して、それを返してるだけで…
 だから、ちゃんと伝わってないんじゃないかって思って」
たしかに司は受け身だが、別に隆也はそれが不満というわけではない。
苦笑してなだめてやろうと思ったら、口を塞がれた。
そういえばさっきも司は唐突にキスをしてきた。こういうことだったのかと納得しながら、キスに応えてやる。
「んふ…ん、ぅ……ん……」
応えてやる、つもりが結局は隆也のほうが上手で、力の抜け始めた司の背を支えて、存分に舌を貪る。
「…んは…先生」
とろんと惚けたような目で見つめられると、このままどうにでもしたくなる。
ひょっとしたら自分が性急すぎるのだろうか、と苦笑せざるをえない。
「俺は今のままでも構わないぞ?ちゃんと司の気持ちは伝わってるし…」
「…そんなの、わかんない…」
司の眉間に皺がよる。
「わかんない、って言われてもなぁ…こればっかりは」
頭を掻く隆也に、司はただでさえ近い顔をさらに近づける。
「だから俺が、ちゃんと先生のこと好きだって、わかってもらえるようにするから」
「……するからって、何を?」
司の口元がにやりと笑った、ように見えた。
「……色々」
言った司の唇が、耳を食む。
「っう!?」
間抜けな声をあげてしまった隆也にはおかまいなしに、耳の形を唇と舌でなぞり、吐息をふきかける。
「お、おい、ちょっと…」
待てと言われて止まるわけがない。そのまま舌は頚動脈をたどり、手はいつの間にかシャツのボタンを外している。
意外に手際がいい。などと感心している場合ではない。
「つ、司、気持ちは嬉しいんだけどな…」
ついでに少し気持ちいいのだが、そんなことを言ったら取り返しが付かないことになりそうな、気がする。
「…俺にされても、気持ちよくない?」


Index(X) / Menu(M) / /