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月下桜園 (1)

◆ELbYMSfJXM氏

「雨宿の席、いいなあ。窓際の一番後ろはベストポジションだろ?」
お調子者な――良くいえばムードメーカーの市原が茶化してくる。
「替わってやる気はないが、理由は?」
「まず寝るにも内職するにもってこいだ。次はやっぱコレだろ」
手の平サイズのデジカメを取り出す。新聞部でも無いくせに常に携帯して情報通を気取っている。
「そこの体育館に向かう女子を撮るのに絶好の場所なんだよ。
歩いていく後ろ姿!薄い汗をかいて戻ってくる正面姿!アングルも距離もバッチリなんだここ!」
俺の肩を叩きながら、からからと笑いながら言う。
当女生徒達が聞けばセクハラだと訴えられそうなものだが、悪い噂は聞かない。
「聞いたからには譲る気はゼロになったよ。いい情報をありがとう」
俺は読みかけの本を開いて続きに視線を走らせる。
「……で、本当に女の子に興味あるんか?」
「男より探求心も愛護心も持ち合わせているように見えないか?そのファインダーは曇っているんじゃないのか?」
案の定席がどうのこうのと言うのはカマかけだっだ訳だ。
「オレのカメラは真実しか映さないんだ。男とか女じゃなくてヒトに興味ないって顔してるよ」
「それなら俺の次の台詞は分るな」
「ネタになって面白ければそれでいーんだよ。フツーのヤツを映したってつまらねえ。
対象としちゃあ二本指だからなあ、オレにとってアンタ――雨宿松月と新珠燐ってのは」

新珠燐。初めて一緒のクラスになった男に今だけは同情する。
尤もこの学園で彼を知らない人間はいない。入学式の答辞に立って以来、その他人と明らかに異なった容姿と頭脳は常に人目を引いている。
被写体ならば完璧だ。そこに俺を並べるのが不思議だが拒否しても我が道を進んでくるのが明白なので面倒だ。
「邪魔しなければ好きにしろ」
「ありがてえ。サンキュ」
「おはよう。市原、君は自分の席が不満なのか?」
話題の主が奴の後ろから声を掛けた。市原が座っている俺の右斜め前の席は本来彼のものだ。
「新珠。今日も美人だな」気にもせずにやにやとシャッターを切る。
その言い草に始業式当日は反論していたが、10日間繰り返しても相手が全く堪えないので諦めて溜息をつく。
「雨宿?この男に関わるのはやめておくよう忠告するよ」
「もう遅いな。ちゃああんと許可をもらったからな」
「本当に?」
「余計な事はするなと言ってある」
以降のやり取りは無視する。授業開始までにこの章を読み切るのだ。


ベルが鳴り授業が始まる。開始10秒前に読破した章に栞を挟み込み机に仕舞うと手早く準備をする。
斜め前の二人は俺が無視を決め込んでからも1分程度喋っていたが市原が笑って席に戻り新珠はまた溜息を残して決着がついた。
お前には同世代の友人が必要だと骨を折って世話をしてくれた虎尾教授には申し訳ないが、
人付き合いより勉強に興味を持つ俺に感情で友人と呼ぶ相手を作るのは無理がある。
俺に関わって愛想を尽かしていった人間は何人もいるが、市原はそれなりに切れる男という事だ。

奴に目をつけられたもう一人の可哀想な人間。
教壇に目を向けると必ず視界に入る。
成績は入学以来ほぼ首席で実技系も上級クラス、体育だけは肌が弱いという理由で屋内授業の一部のみ参加している。
すっきりと整った綺麗な顔立ちに腰まである髪を束ねて、
手足が長く華奢な体つきは宝塚の男役のような中性的魅力で女生徒(と一部男子)からは物腰の柔らかさも相まって絶大な人気があった。
その存在が誰からも好感を持たれる故に男女とも特定の相手と付き合うことはなかった。
ただ一人幼なじみという中学生でも通用する童顔眼鏡の奥丁字が弟のように一緒にいた。
俺とは反対の理由で彼は人を遠ざけていた。住む世界も反対で関係の無いことだった。

初めて会話をしたのは1年時の学園祭前の11月、図書室のことだ。
珍しく一人で書棚の最上段に手を伸ばして取り辛い格好だったので代わりに抜き出した。
シェイクスピアの十二夜。
「ありがとう」
受け取る手にはもう一冊抱えている。とりかえばや物語。
「男女入れ替わりね、」
どちらも男が女装、女が男装した結果で起こるトラブル話だ。ふと口に出すと
「古典から愛される設定だが君はどう思う?」
返ってきた。
「男だ女だと言うのは見た目の問題だろう?本質は変わらない」
くすりと彼は笑った。
「じゃあ君は、ぼくが好きだと言ったら愛してくれるかい?」
「行為なら入れるところが少しズレるだけだろう?問題は好きになるかどうかだ」
「……予想斜め上の答えだ。ふふ…ははは……。ごめん、笑ったりして。気に障ったなら謝るよ」
予想外の質問をしたのはそちらだろう。頭の良い奴は何を考えているのか判らない、不思議な男だ。
「呆れられるのは慣れているから気にするな」
「ふふ……わかった、気にしないでおくよ」
以来今日まで挨拶程度しか言葉を交わしたことはない。
たまに、ふっと抜けたような遠い目をしているのをこの席になってから知った。
後ろからだと良く判るけぶるように長い睫毛が見える。
それが?
それだけだ。


休み時間にその様子にたまたま行き当たり、たまたま見ていると気が付かれて目が合った。
「ぼくも優等生で疲れることがあるのだよ。君は無い?」
台詞とは裏腹に表情は明るい。
「俺は優等生でないから葛藤は無いよ」
「自分を卑下するのは自らの価値を認めていないことだよ。ぼくのライバルは君しかいないのに」
「成績順争いだけで認められるライバルなんてお手軽で気持ち悪い。順位や優劣は他人が決めた結果の測りで俺には関係ない」
「判断材料が他にない場合、測りは重要だろう?多くの人間は自分自身に確固たる基準を持たないことも多い」
「あんたが基準を持たないとは考えられない」
「買いかぶりすぎだよ。ぼくは弱いからね」
「嘘だ」
つ、と目線をそらして一瞬寂しそうな顔をした……ように見えたかもしれないと思うほどその表情は束の間だった。
「君がそう言ってくれるなら、悪くない。……だけど、負けないよ」
そっちこそ買いかぶりすぎだ、と言おうとして微笑まれた。言葉を呑み込む。
窓からの日差しが不意に強く当たり瞳が煌めいてその笑顔を際立たせた。
時が止まる。


バイトの上がり時間が押して門限間際に寮の玄関に走り込んだ。
さすがに息が切れてエレベーター内で6階に着くまで壁にもたれて休む。
突き当たりの手前の部屋にたどり着き、鍵を差し込むと心なしか入りが悪かったがくるりと回してノブを引く。
中が明るい。電気を点けて出かけたっけ?
ああ、だがもういい、早く寝たい。このまま倒れそうだ。家に着いた安心からか激烈な睡魔がやって来た。
ベッドへ倒れ込もうとして、見慣れないグリーンとベージュのアクセントに目を疑う。家具は備え付けで全部屋同じデザインだがファブリックは各部屋当然違うものだ。
エレベーターで階数を確認した記憶が無い。そういえばシャワーの音も聞こえる。
何気に本棚を見ると各教科の参考書や辞書に加え社会学や心理学、小説類が並んでいる。専門分野のものは俺も幾つか目にしたものがあった。
このレベルを読みこなす頭の人間はそう多くないと知っている。思い当たる相手など……

水音が止まった。慌てて玄関へ向かうがコートを脱ぎ捨てていたのに気が付き取り戻って出ていこうとする。
が、運悪く玄関横の浴室の扉が開いて行く手を阻まれる。部屋の主はバスタオル片手に現れ頭に巻いていたタオルを外すと長い長い髪が身体の上を舞った。
風呂上がりだから当然全裸だ。
白い肌にまだ水滴が残り所々流れている。なだらかな肩から胸の谷間、ウエストから腰、太股のいかにも美しい曲線、伝う滴がぞくりとさせる。
…………待て、
こうして考えを巡らせられるほど、お互い目を合わせたままたっぷりと固まっていた。
アーモンド型の大きな瞳、通った鼻筋、形の良い桜色の唇、下ろしているが腰まで届くサラサラの長い髪は紛れもなく同級生でクラスメイトの新珠燐だ。
男子しか居ない学年の。
だが、首から下には掌にもやや余りそうな柔らかそうで触って確かめたくなるふくらみに唇と同じ桜色の先端が付いたものがふたつ並んでいる。
内臓が入っているのか疑うほど細いくびれの下にはなだらかな丘と繁みの先には何も無い。
――――――――
――――――――
じっくりと観察してしまった後、深呼吸をして言う。
「部屋を間違えた。申し訳なかった」
平然を装い目を逸らし脇をすり抜けて玄関へ出る。ノブを回して音がした時に新珠がドアの前にするりと駆け寄って遮った。
「誰にも、言わないでほしい」
今までと変わらない意志のある瞳で俺を見据えて、言った。


「言わない」
言えるか。余計な話をする相手は初めからいない。市原に話題を提供する義務も喜ばせる友情なぞも無い。
「ありがとう」
目の緊張がわずかに緩んだ。湯上がりで白い肌がうっすらと色付いて艶めかしい。呼吸をする度に胸のふくらみが上下して石鹸の匂いが立ち上る。
片手にバスタオルを持っているものの申し訳程度にしか隠れていない。
……裸を見られても声一つ上げずに冷静に対処する様は見事と言う他無いが、俺も一応、男だぞ?無防備を通り越している。
「じゃあな」
「帰るのか?」
訝しげに見上げる。まるで茶でも飲んでいかないかと言わんばかりだが自分の置かれている状況を認識してないのか?
あるいは男として見られていないか。
男装している位だ。自分が女だとの意識が薄い可能性も高い。
「……お茶を出してくれるのなら服を着てくれないか。目のやり場に困るんだが」
「ああ、すまない。……見せられるような身体じゃなかったな。もう少し肉付きも良ければ自信が持てるんだが」
自分の身体を見回して残念そうに言う。そういう問題では無いだろう?
「君はどう思う?」
聞くな。
「……男の振りをするなら、もう少し男心を勉強したほうがいい。その態度は誘っている様にしか見えないからな。重々気を付けろ」
「こんな身体でも?」
「体つきの話じゃ無い!男なら裸の女の子が目の前にいたら、思春期のアホ男子なら想像しただけでもどうしようもなくなるものなんだ。
押し倒して色々したいとかやらしいことをな。俺だって今考えてる。
……それに、その身体は……充分魅力的だから自信を持て」
何故ここまで晒さなくてはならないんだ。もう少し嫌がるとか恥じらってくれたらすぐ逃げ帰る事が出来るのに、最低だ。
手で顔を覆って視界を遮る。
「じゃあ男心を教えてくれ。ぼくの身体で、君が」
「!?」
「明日の予習もあるから早くすませてもらえると助かる」
そう言うと俺の手を取って部屋へと入っていった。


何故この展開になる?
人間嫌いとは言っても別次元で欲情するのは男の悲しい性の部分だ。
さすがに無差別では無いが、その、新珠の姿は俺の理想に嵌りすぎた。
今までの俺の全てを根こそぎ持っていかれて頭の中が真っ白になった。
かろうじてそこから戻って来られたのは新珠の瞳の強い光。
薄汚い欲望を打ち消す理性の光。
……のはずなのに、止めるどころか煽って炎上させようとする。
本質が変わらなければ男も女も関係ないとほざいた癖に、女と判った途端に豹変する馬鹿に幻滅するのが筋だろう?
違った。幻滅は元々評価が高い場合に起こるものだ。俺の評価など初めからゼロだ。
「…………早くしてくれと、言ったのだが。さすがにこのままでは恥ずかしい」
ベッドに横たわった新珠が見上げる。腕を交差させて軽く胸を隠しながらうつぶせになる。絹糸のような髪が流れた。なめらかな背中が露わになる。
「無理に判ろうとしなくてもいいんだぞ」
こっちも全部脱いで上から見下ろしている状態で、この期に及んでだが、本能だけで押し切っていいのか。新珠の意志に関係無く。
「君こそ女心がわかっていない。もっと勉強することだ」
「自覚があったのか……」
「ぼくは女だぞ」
唇に指が触れる。普段の態度はどうなんだ、行動と言動が合ってない。
「……」
撫でる指が頬に移動する。かすかに震える指先から初めて見た目ほど落ち着いていないことに気が付く。
その手に俺の掌を重ね再び口元へ戻してくると手の平にゆっくりとキスをした。


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