真夏の昼の夢

「薪さん!」
 青木の声に全員が振り向いたが、その中でも一番俊敏に反応したのは、やはり彼だった。
 青木が次の言葉を発する前に薪は彼の下に行き、そして一目で状況を理解した。
「これは……」
「電気が戻ったのか?」
「やった、これで助かる!」
 いつの間にか他のMRI機器も同様の状態になっていた。モニターは暗いままだが、電源ボタンの緑の光が点いている。職員達は歓声を上げて、各々のデスクに飛びついた。ようやく救助を呼ぶことができる。皆の顔は喜びに輝いていた。
 だが、その中で固い表情を崩さなかった者がいた。室長と副室長代理の二人である。彼らは端末に触るより先に、天井を見上げた。そして互いの行動に気づき、視線を交わせる。
 次の瞬間、岡部はくるりと方向を変えた。彼が足早に向かうのは部屋の入口。薪が固唾を呑んで見つめる中、岡部は扉の前に立った。
 けれど、扉は開かない。
 岡部はたたらを踏んで行きつ戻りつしていたが、そのうちこちらを振り返って肩をすくめた。薪は目線だけで頷き、手元のモニター画面を見る。
「青木、画面に変化はなしか」
「はい……」
 青木はずっとコンソールを弄っている。しかしモニターもハードディスクも、全く動く気配がない。通常の立ち上がりにかかる時間はとっくに過ぎているのに、これはどうしたことか。
 薪は他の者たちにも声をかける。
「今井、宇野。そっちはどうだ。端末は動いたか」
「いえ、それがまだ。やけに時間がかかってます」
「こっちもです。もしかしたらさっきの停電でシステムがやられたのかも……」
「嬉しくない予想だが、ありえることではあるな。小池と曽我はどうだ」
「こっちもさっぱりです」
「うんともすんとも言わないですねえ」
「そうか」
 薪は部下の報告を聞いても、動揺することはなかった。
 そもそも復電するにしろ予備電源が繋がるにしろ、最優先で電気が通されるのは、電灯や自動ドアなどの安全に関わる部分のはずだ。真っ先に天井の照明が戻らない時点で、何かがおかしいと気づいてはいた。
 青木はいっそ最初からやり直そうと、強制シャットダウンをかけようとしている。しかし、それもうまく行かないらしい。電源ランプは確かに点いているというのに、なぜなのか。
 いや、むしろ。

 ──むしろ、なぜ電源ランプだけが点いていると考えるべきか?

 不可解な事態に、薪の頭脳が高速で回り出す。
 その時、彼の首筋にヒヤリと冷気が当たった。咄嗟にうなじを押さえて上を見る。空調が戻ったのかと思ったのだ。しかし、天井の吹き出し口が動いている気配はない。冷気は徐々に下に降り、やがて足元でわだかまり始めた。
 他の者達も、遅れて異変に気付いたようだった。先ほどまでの肉体労働のために、全員がジャケットを脱いでシャツ一枚になっていたが、今は寒そうに腕をさすっている。
「なあ、急に寒くなってきたと思わないか?」
「確かに……これってクーラーが利き始めたってことだよな?」
「じゃあ、やっぱり少しずつ電気が復旧し始めてるんだよ」
「なんで一度に戻らないんだ?」
「さあ……」
 全員複雑そうな顔をしている。もう何度も希望を持っては打ちのめされたのだ。今度も安易に喜んでいいのか分からないのだろう。
 薪にとってもそれは同じだった。見慣れたはずの電源ランプの光が、何か禍々しいもののように映る。まるで自分たちに悪意を持つ何者かがそこに潜み、罠を仕掛けて待ち構えているかのようだ。
 その時、隣で青木が声を潜めて言った。
「薪さん、ここ見てください」
 彼が画面の中を指さす。しかし何が映りこんでいるわけではない。モニターは黒いままだ。屈みこんで顔を近づけると、画面の中央がかすかに白く曇っていた。
 液晶割れではない。汚れだろうか? いや、それならば布で拭けばいいだけの話だ。青木がわざわざ自分に見せるはずがない。つまり、これは──
「お前、まさか……」
「はい」
 薪が青木を見ると、彼は力強く頷き返した。
「どういう理屈か分かりませんが、多分これ、起動しないから画面が動かないんじゃなくて、もう起動してしまってるんだと思います。つまり……」
「この黒い画面がMRI画像だと言うのか?」
「恐らくは」
 薪は咄嗟に返事をすることができなかった。それはあまりにも想定外の言葉だった。電気の通らない部屋でMRIだけが起動していること自体すでに想定外だが、通常の手順も挟まずいきなりMRI画像が映るなど、いくらなんでも非常識すぎた。
 薪は少しの間黙り込み、現在の状況と青木の発言を頭の中で照らし合わせた。そして今一度画面を見つめ、そこに確かに白い翳りが見えるのを確かめると、彼は一つの指示を出した。すぐさま青木が席を立ち、部屋の前方にあるメインモニターに向かう。
 起動する保証はなかったが、青木が操作盤の上で手を動かして間もなく、無事にスクリーンが立ち上がった。薪のいるデスクに映像を繋ぐ。小さな画面では殆ど分からなかった影も、大型モニターではそれなりの大きさになった。
「青木、お前何やって……」
 青木の挙動に気づいた他の職員達が彼に声をかけようとして、言葉を失う。
 画面の一部分を抽出して拡大作業を二回。そうすると誰の目にもはっきりと分かるほど、明確な画像になった。
 それは項垂れた男の姿だった。中肉中背の体に、物憂げで繊細な顔立ち。若干頬がこけており、それが男を神経質そうに見せている。彼は何かに苦慮するように、眉間に深いしわを寄せていた。
「薪さん……これは」
 いつの間にか岡部が隣に来ていた。薪は視線を前方に固定したまま頷いた。
「ああ。今回の事件の被害者、大泉秀俊だ」

コメント

あやさん

私も薪さん、力仕事は岡部さんにやらせたら?と思いました(笑)
MRI機器って水に弱いんでしたね。
でも、原作の薪さんも事件のデータよりメンバーの命を優先すると思います。
こんな頼れる上司ほかにいないな。
閉じ込められるって恐怖ですね(>_<)
でも皆が一緒だからちょっとほのぼのしていい気もします(*^_^*)

> 私も薪さん、力仕事は岡部さんにやらせたら?と思いました(笑)

実際薪さんどのぐらい力あるんでしょうね。
警視総監には非力なように言われてましたが。
(調べた所、30代男性の平均握力が47.86kgだそうです)
あと手動に切り替えた扉って、実はそんなに力入れなくても簡単に開くんですよね。
だから薪さんも最初はそんなに構えてなかったんだと思います。

> でも皆が一緒だからちょっとほのぼのしていい気もします(*^_^*)

青木じゃないけど、皆「薪さんがいるからなんとかなるだろう」って、
楽観的に見てる節がありますね。精神的支柱というか。
その中で薪さんと岡部の二人だけは、事態を深刻に受け止めてるんだと思います。
自分で書いててなんですが、やっぱり役職付きの人間は違いますね!笑

 

kahoriさん

最初に薪さんが扉を開けようと必死になっているところを想像して萌えましたV
どう考えてもウェイトも腕力もない薪さんが力仕事を必死にしているところが可愛すぎます。
それは青木君もすぐに駆けつけてしまいますね!
閉じ込められた部屋を出るために捜査と人命を天秤にかけて、
迷わず部下の安全を優先した薪さんがとっても格好良くてジーンときました。
こんな上司みんな惚れてまうやろ!
…感動していたら何やらオカルト色が強くなっていって、
家族の寝静まった家で一人で読んでいると怖くなってしまいました。
原作の3巻までの間に出てくる幽霊系のネタも結構怖くて、夜にはあまり読まないようにしています。

> 最初に薪さんが扉を開けようと必死になっているところを想像して萌えましたV

薪さんは外見こそ儚げですが、中身は誰より度胸があって、度量が深くて、本当に男らしい人ですよね。
人に指図せず率先して自分が動く。だからこんな時もきっと人任せにしないだろうなと思いました。

> こんな上司みんな惚れてまうやろ!

ええ、メロメロにさせてやりました。
それもこれもこの後全員を突き落すために……ごほごほ!
注意書きに偽りはありませんので、まあ色々とお楽しみに☆

> …感動していたら何やらオカルト色が強くなっていって、

大丈夫です、コメディですから
でもそこまで物語に入り込んでくれたんだなって思って嬉しかったです。書き手冥利に尽きます。
ホラー分野に関しては全く自信がなかったんですが、ちょっと調子に乗ってしまいそうです(笑)。
いやいや、私の力じゃなくて、kahoriさんの感受性が豊かなおかげなんだって。
シリアスパートはもう少し続く予定なので、せっかくなので
kahoriさんにもっともっと怖がって頂くために、はりきって書きますね☆

 

 (無記名可)
 
 レス時引用不可