真夏の昼の夢

 八月某日。大陸で発生した低気圧は、瞬く間に発達して、昼頃関東全域を覆った。空は一面分厚い雲に覆われ、辺りは夕刻のような薄暗さに包まれた。
 ここ第九研究室でも、職員たちは気候の変化に悩まされていた。無論彼らの仕事場は屋内で、空調は完備されている。だが夏のむしむしとした湿気や、肌で感じる微妙な気圧の変化に、職員たちはじわじわと苦しめられていた。シャツのボタンを外して胸元を開けたり、ファイルで顔を仰いだり、頭痛を訴える者もいた。小池などはクーラーが苦手な体質なので、トイレ休憩や水分補給にかこつけては席を立ちたがったが、外は外で息苦しいと、すぐにとんぼ返りしていた。
 とにかく皆が一様にストレスを感じていた。暑いわけではないのに、皮膚がうっすらと汗ばんでシャツが貼りつくのも不快だった。
 彼らのコンディションは、即仕事の成果に繋がる。その日彼らが扱っている事件は、二年前に都内で起こった猟奇殺人だった。犯人はすでに捕えられ、収監されている。だが最近になって新証言が上がった。それは共犯者の存在を指し示す物で、急きょ事件を洗い直すことになったのだ。
 証言が正しければ、殺人犯は今ものうのうと暮らしていることになる。一日も早く証拠を見つけなければならないというのに、捜査状況は一向に進展しない。
 誰も、何も口を利かなかった。他の人間に意見を求めたり、室長の薪を呼んだりすることはあっても、またすぐに無言になる。耳に入るのはMRIを操作する音だけだ。室内を占める奇妙な閉塞感に、皆の神経がささくれ立っていた。

 その時、遠くで雷が鳴った。

 間を置いて、もう一度。
 数人が手を止めて、窓の外を見る。昼の雷だ。どこへ落ちたかなど視認できるわけではない。しかし三度目の雷が落ちた時、ついに全員が作業する手を止めた。音が段々こちらに近づいてきている。
 岡部と宇野が窓際まで歩いていき、空を見上げる。
「近いな」
「この辺、落ちますかね」
「さあな。避雷針があるから大丈夫だろうとは思うが……」
 四度目の雷が落ちた。今度はかなり近い。
 宇野がびくりと首をすくめた時、室長室から薪が出てきた。
 さしもの彼も、今日の空気の悪さにはうんざりしているようだった。不機嫌そうな目つきで、部下の顔をゆっくりと睥睨する。
 指示か、それとも叱責か。彼の口からどんな言葉が飛び出てくるのだろうと、全員が室長に注目した時。
 それは起こった。

 頭上でバリッと割れるような破壊音がしたと思ったら、続けざまに激流のような爆音が轟いた。非常に大きな質量の物が、圧倒的な勢いで地面に叩きつけられたような音だった。腹の底からびりびりと震えが走る。
 そして、天井の照明が一瞬で落ちた。

 それまでとは違った、緊迫感をはらんだ沈黙が室内を満たす。誰しもが不安に包まれ、身動ぎ一つできなかった。そんな中、薪が声を上げた。
「停電か」
「……そのようですね」
 暗い室内でも、岡部の大きなシルエットは誰の目にも分かった。彼がデスクの受話器を取って耳に当てるが、すぐに腕をバツの形に交差させた。
「駄目です。繋がりません。施設全体の電気が落ちているようです」
「そうか。待っていれば、そのうち復旧するだろうが……」
 薪は言葉を切って、踵を返した。視界の悪さをものともせず、部屋の入り口まで歩いて行く。
 自動ドアの前に立つが、当然扉は開かない。彼は隣の壁に設置されている、緊急用のパネルを開いた。中のスイッチを押して、手動に切り替える。
 そして再度、ドアに手をかけるが。
「……開かない」
 何度か扉を揺さぶった後、薪は足を開いて腰を落とした。ぐっと体重をかけて、体全体で扉を開けようと試みる。
「俺、手伝います」
 入り口に近いデスクにいた青木がさっと立ち上がって、薪の元に駆け寄る。しかし反対側から青木が手を貸しても、結果は同じだった。
「これ、思ったより重いですね。二人がかりでも開かないなんて、構造に問題があるとしか」
「どれ、貸してみろ」
 力自慢の岡部も参戦する。しかし三度目の挑戦もかなわず、扉は一向に開く気配を見せなかった。
「切り替えができていないのか?」
 今井もやってきて、カチカチとスイッチをいじっている。
「復旧まで後どのぐらいかかるのか……」
 薪が腕時計を見る。落雷からすでに五分以上経過していた。
 そもそもこの研究所では、非常時には予備電源が作動するようになっている。これほど長く電源が戻らないというのはおかしい。何らかの異常事態が起こっているとしか考えられない。
「他の部署はどうなってるんですかね」
 曽我が言うと、宇野が立ち上がって窓から外を見た。
「……ここから見る限り、特に動きはないな。他の研究室も同じように閉じ込められているのか?」
「入り口が自動ドアじゃないところもあるだろ?」
「そうだよな」
 宇野は壁際まで行って、門の所にある守衛室を覗こうとしているが、角度的にうまくいかない。宇野はロックを外して、窓を開き──
「あれ?」
 宇野が不思議そうな声を上げた。窓を両手で引っ張っている。
「どうした、宇野」
「……岡部さん、ここの窓ってはめ殺しじゃなかったですよね?」
「何?」
「窓が開きません……」
 小池と曽我が別の窓に向かうが、やはり開かないらしい、それぞれ首を振る。岡部も確認し、結局全ての窓が開かないことが判明した。
 これは一体どうしたことだ。職員たちは戸惑った表情で互いを見る。
「窓はさすがに……停電とは関係ないですよね」
 青木が隣にいる薪に話しかけるが、彼は前を向いたまま答えない。よく見ると、彼の右手には携帯電話が握られていた。
「……当然、携帯も関係ないだろうな」
 薪の言葉に、全員がはっとして携帯を取り出す。そして彼らは、自分たちの携帯の電波状況が圏外になっているのを目撃するのだった。

コメント

あやさん

これとっても面白い自体ですね。
勿論、普通なら自家発電に切り替わるんでしょうけど。
警察もそうなのかな?パソコンと違って雷もデータに影響ないのかな?
薪さんと青木が2人だけで閉じ込められたらエロい方向にいきそうですけど(笑)
岡部さんは原作では怖がりなんですよね。続きが楽しみです^^

> 薪さんと青木が2人だけで閉じ込められたらエロい方向にいきそうですけど(笑)

あやさんナイスです!
私の三大萌えシチュの一つが「ソフト軟禁」なので、とっても心動かされる提案です〜。

> 岡部さんは原作では怖がりなんですよね。続きが楽しみです^^

そういえばそんなところもありましたね(笑)。
個人的「結婚したいキャラ」ナンバーワンなのにすっかり忘れてました。
そう思うと、3巻の残業とか青木に変わってもらえて良かったですねえ。
当初の予定通り岡部が居残りしてたら、一体どんな面白い事態になってたでしょう。

 

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