Glitter in The Air

 担当医による面談は午後一で行われた。岡部が付き添いを申し出ると、医師は最初渋面を見せた。しかし患者本人の了承と、岡部の強い意思を知ると、ころっと態度を変えて同席を許可した。

「そういうわけですので、どうか否定的に物事を捉えないでください。薪さん、あなたはお一人ではありません。当院も、万全のバックアップ体制を取ることをお約束いたします。それにこうして支えてくれる方もいることですし……」
 里中が同意を求めるように、岡部を見る。岡部は自分がどういう風に見られているのか正しく認識した上で、こう答えた。
「そうですね。私もできうる限りのサポートをしたいと思います。薪さんの部下として」
 すると里中がぴたりと口を閉じて、真顔になった。何かに気づいたように、岡部を見る。
「あの、ひょっとして……あなたではない、のですか?」
 ひょっとしても何も。
 岡部はむすっとして首を横に振る。そして斜め下を見た。
 膝の上で握りしめられた彼の手が、かすかに震えている。岡部が「大丈夫ですか」と声をかけるが、薪の耳には入っていないようだった。瞳孔を開いたまま呆然としている。
 岡部は薪の耳元に囁きかける。
「電話してきます……福岡に」
 その瞬間、彼の肩が大きく揺れた。
「岡……」
 薪が何か言いたげな表情でこちらを見上げるが、その唇は戦慄くばかりでなんの言葉もなさない。結局彼は一言も発しないまま、俯いて肩を落とした。それを了承の合図と受け取り、岡部は病室を出た。
 病院の敷地内で携帯電話が使えるエリアは限られている。いや、それよりもまず人の耳のない所に行かなければならない。となると一旦建物の外に出るしかないだろう。
 エレベーターを待つ間ももどかしく、岡部は階段を急いで駆け下りた。

 その電話を、青木は室長室のデスクで取った。捜査中は携帯の電源を切るのが鉄則。下っ端時代に叩き込まれた慣習を、彼は今も実直に守っている。さすがに電源を切り忘れた部下の携帯を、ゴミ箱に投げ捨てることまではしないけれど。
 ディスプレイに表示された上三桁は、携帯のものだった。一体誰だろう。ここの直通の番号を知る者は限られている。
「はい、もしもし」
「岡部だ」
「あ、どうも。ご無沙汰してます、岡部さん」
「……ああ」
 番号は岡部の携帯だったのか。彼と話す際は室長室のホットラインを使うことが多いので、つい登録しそびれていた。
「どうしたんですか、一体」
「それが……」
 岡部の言葉が途中で途切れる。青木は大人しく待っていたが、向こうは押し黙ったまま、話し出すそぶりも見せない。こちらから「ご用件はなんでしょう?」と聞くと、なぜかチッと舌打ちされてしまった。
「青木、そっちで今、重要なヤマを抱えてるか?」
「え? いえ、特には……」
 管区によって扱う事件の性格は大きく異なる。ここ第八管区では、地域柄、暴力団絡みの事件を扱うことが多い。現在も福岡県警からの要請を受けて、先週起こった暴力団同士の抗争で亡くなった組員の脳を調べている。といっても被害者が誰に殺されたかは判明しているし、容疑者もすでに確保されている。殺人事件はむしろ口実で、青木達は脳データから得られる情報を調べている。
 殺された組員は、組の暗部に関わる役職についており、彼の記憶には現在進行形で指名手配のかけられている顔ぶれが多く出演していた。今はそうした関係者をつぶさに拾い上げ、素行を洗い出すという、実に地味な作業をしている。なので、今日明日にも結果を求められるような緊急性の高い案件ではない。
「大事な会議や出張の予定は?」
「ありません」
「そうか。じゃあお前自身は動こうと思えば、身軽に動けるんだな?」
「ええまあ……」
 青木が歯切れ悪く答えると、受話器の向こうで岡部が息をつく気配がした。会話の流れが段々見えてきた。
 そして岡部は、青木が予想した通りの言葉を告げた。
「青木、今すぐこっちに来い。一番早い便のチケットを取って、東京に来るんだ」
「え……」
「仕事は早引けしろ。とにかく出てこい。そうだ、俺に呼ばれたことにすればいい。うちを言い訳にしてもらって構わん」
 言い訳も何も、第三管区の室長に呼びだしをかけられている時点で、それは全くの事実なのだが。
「ちょっと待ってください、岡部さん。一体どうしたっていうんですか。そっちに行くのは構いませんけど、先に事情を説明してくださいよ。事件じゃないんですか?」
「事件?」
 はっと岡部が鼻で笑う。
「そうだな、大事件だ。少なくともお前の人生において、これ以上の事件が起こることはないと思うぞ」
「はあ……」
 岡部にしてはシニカルな口調に、青木は戸惑いを覚える。一体どうしたというのだろう、今日の岡部は。持って回った言い方が全く彼らしくない。それに何やら言外に含めるものを感じる。まるで青木に対して怒っているかのような。
 はて、自分は彼に何か迷惑をかけただろうか。受話器を持ったまま、ここ最近の第三管区との交流を思い返す。そんな青木の耳に、次の瞬間爆弾が投下された。それは、電話の相手の様子を気にする余裕もなくなるぐらい、大きな爆弾だった。
 岡部は声を低くして告げた。
「薪さんに大変なことが起こった。あの人は今……病院に入院している」

 福岡との遠距離通話が切れ、岡部は携帯をポケットにしまった。ため息をついて、空を見上げる。
 刺々しい態度で青木に当たってしまったことは自覚している。しかし、何も知らずにのほほんとしている彼の態度がかちんときたのだ。のんきに「ご無沙汰してます」と挨拶するあの声といったら! 一体誰のせいで薪が苦境に立たされているのだ。
 岡部は薪の個室がある辺りの窓を眺めた。ベッドの上で悄然としているであろう彼のことを思うと、胸がきりきりと痛む。今すぐにも部屋に引き返したかったが、岡部はぐっとそれを堪えた。今、彼に必要なのは岡部の慰めではない。一人になって現実を見つめる時間なのだ。
 岡部は午後から半休を取ることにした。不安定な状態の薪を放っておくことはできなかったし、岡部自身仕事に戻る気にはなれなかった。有給は溜まりに溜まっている。半日ぐらい羽を伸ばしても許されるだろう。
 部下に連絡して、自分がいなくても仕事が回るよう指示を与える。そして小一時間程辺りをぶらついた。売店を冷やかしたり、食堂で遅い昼食を取ったりして時間を潰した後、重い足取りで病室に向かった。
 ドアノブに手をかけた時も、岡部はまだ躊躇っていた。薪にどんな言葉をかければいいか分からなかった。
 ところが岡部が入室するや否や、向こうから話しかけてきた。岡部が戻るのを待っていたらしい。
 岡部は驚いた。薪はこの一時間の間に問題を消化し、とっくに乗り越えていたのだ。そして今は、これからのことに考えを巡らせている。それには岡部という協力者が必要不可欠なことも、彼はちゃんと理解していた。
 そして二人で話し合う中で、岡部は薪の考えと決意を知る。今後変わりゆくであろう自身をどう受け止め、どう対処していくか、その覚悟の程を。

 青木は可能な限り最短で東京にやってきたが、それでも到着は夜になった。タクシーの後部座席から転がり出てきた彼を、岡部が病院の入口で出迎えた。そして岡部は彼を、先に担当医の下に連れて行った。とっくに受付時間は過ぎていたが、特例で時間を作ってもらえたのだ。
 二人が通されたのは診察室ではなく、小さな会議室のような場所だった。縦に細長い部屋だった。壁は淡いグリーンで、中央には小さな風景画が掛けられている。色の濃い木目調のテーブルを囲むようにして、黒い革の張った椅子が十脚ほど並べられていた。
 その中程に二人の医者が腰かけていた。向かいの椅子を勧められ、岡部達も席につく。
「先生、こいつが……青木です。青木一行と言います」
 言葉少なな岡部の紹介に、里中が頷く。さすがプロである。にこにこと微笑んで、内心で何を考えているか相手に察せさせない。
 もう一方の医師も、これまた完璧な能面を顔に張り付けている。えびす顔の里中と違い、こちらは痩せぎすで病的な青白い顔をしている。なかなか身長が高いのだが、体に厚みがないので、青木とはまた違った印象を与える。
「青木、こちらが薪さんの担当をされている先生方だ」
「は、はい」
 青木はすっかり萎縮して、見上げるように医師達を窺っている。担当医が二人と聞いて困惑しているのだろう。それは、よほどの大病を思わせるからだ。
 里中の方から口火を切った。
「初めまして、青木さん。内科の里中です。僕が薪さんの初見を担当しました」
 続けて、隣の医師も名乗る。
「東原と申します。患者さんに関しては、今後は私の方がメインの主治医になると思われますので、どうぞよろしく」
「あ、はい。あの、薪さんのこと、どうかよろしくお願いします」
 青木が二人に向かって、深々と頭を下げる。そして顔を上げしな、彼はふと何かに気づいたように言った。
「ええと、東原先生のご専門も内科なのでしょうか?」
「いいえ」
 東原は表情も声音も無機質な男だった。泰然として、生まれてこの方一度も慌てたことがないような顔をしている。こういった性格の方が医者に向いているのかもしれない。
 彼はなんでもないような口ぶりで、さらりと言った。

「私の専門は産科です」

コメント

kahoriさん

医師の爆弾発言で終わっていて続きが気になるところです。
薪さんを甲斐甲斐しく世話してたり心配したりで忙しない岡部さんがたくさん見れて嬉しいです(^ ^)
これはもう岡薪ですか?
ここまで青木君の登場シーンを大幅に上回って岡部さんのいい人っぷりが語られているとと
岡薪小説に分類されてしまうと思います!
パパになった青木の子供への溺愛っぷりが見てみたいです!
身重の薪さん、冷徹に堕ろすとか言わないでください…。

> これはもう岡薪ですか?

違いますよ!(笑)
でも薪さんと岡部の間には、青木も立ち入ることのできない特別な絆があるなと思います。
鈴木が副室長だった頃とはまた違う、純粋に上司と部下としての絆が。
岡部といる時は薪さんもただの一上司として(なんか変な表現ですが笑)
振る舞えるので、割と気楽で楽しそうですよね。
岡部視点はもうちょい続く予定です。私も書いてて楽しいです!

> 岡薪小説に分類されてしまうと思います!

違いますってば!(笑)
実はこの話で一番書きたい繋がりは、青木と薪さんではなく、また岡部と薪さんでもなく、
薪さんと……ある人物なんです。
なんとかそこまで書けたらなと思っているので、どうぞ気長にお待ちください。

> パパになった青木の子供への溺愛っぷりが見てみたいです!

舞の時で散々身内バカを露呈しているので、それに輪をかけたぐらいじゃないですか?(笑)

> 身重の薪さん、冷徹に堕ろすとか言わないでください…。

うん、原作の薪さんならどう判断するかってことですよね。
自分以外の全ての命を大切にする人だと思うので、そういうことなんじゃないでしょうか。
願わくば自分の命を大事にすることが、周りを大事にすることに繋がるんだって気づいてほしいですね。

 

 (無記名可)
 
 レス時引用不可