映画ネタバレを含みますので、まだご覧になっていない方はご注意いただけますと幸いです。エンドロール後から○年後の捏造話(ご都合主義全開…)です。
『Title:この星(セカイ)の記憶』
日常で起こる、ほんの些細な不具合。
たとえば、何度も上書き録画されて使い古されたビデオテープの中身を観ているとき。上書きするタイミングが合わずに、上書きされたはずの番組がわずかに残っていたりすることがある。
普段ならばすぐに忘れてしまうような些細なことだが、それは銀時の記憶の縁に留まり、銀時の思考を大きく揺るがすきっかけとなった。
既視感と呼ばれる感覚にはじめて襲われたのは、江戸の象徴ともいえる塔を何気なく見上げたときだった。ターミナルは上部がへし折れ、それを取り囲む街は無残にも荒れ果てていた。信じられない光景に目を擦ると、ターミナルも街も、すべてが自分のよく知る元の姿へと戻った。
夢を見ていたのか。幻覚だったのか。現実なのかどうかさえも判別がつかなかったが、銀時にはその荒廃した光景に見覚えがあった。いつ、どこで見たのかも思い出せないけれど、沈んでいた記憶が浮上してゆくような感覚が、身体の底で静かに広がっていた。
その不可思議な現象は一度きりではなく、銀時自身を幾度も襲った。自分のよく知る世界の流れが途絶える瞬間。何度も上書き録画されたビデオテープの中身を観せられているかのように、銀時の目には世界の滅びゆく様が、幾度も映し出された。
記憶の混交に終わりはなかった。
夏の風。蝉の鳴き声。墓石に彫られた自分の名前。飛び起きると、目の前には見慣れた部屋の光景が広がっていた。夢と現の境目が曖昧となってゆく恐怖に、冷えた汗が背中を伝う。日めくりカレンダーに目をやり、日付を確認した。墓石に刻まれていた没年は、今から五年も前のものだ。銀時は乱れた息を整え、安堵の息を吐いた。
軒下に吊るされた風鈴の音に意識を掬い上げられて、これまで寝ていたソファから起き上がる。時計を見ると、午後五時を回っていた。神楽は外へ出かけて行ったまま、まだ帰って来ない。新八は買い物と定春の散歩に行くと言っていたから、今、万事屋にいるのは自分だけだった。
「……散歩でもするか」
部屋の中にひとりでいると落ち着かず、銀時は外出することにした。
世界の終わりを予兆するような赤黒い空と、穏やかに時を連ねゆく淡い橙色に抱かれた青い空が、銀時の頭上で交互に明滅を繰り返す。されど、地上に降り注ぐ陽の色は変わらず、この星を包んでいた。
行先は決めていない。何か探し物をしているわけでもないのに、足の歩みはとまらなかった。
橋を渡っている途中で、夕陽を受けて光を弾く川面に惹かれ、足が引き寄せられた。河原の土手に降り立ち、仰向けに寝転ぶと、天には自分のよく知る夕焼けの色が広がっていた。
目を閉じて川の音を聞いていると、「銀ちゃーん!」と、遠くから自分の名前を呼ぶ声がした。その声は、しだいに大きくなってゆく。
「銀ちゃん!」
首を反らして声のする方向を見ると、土手の上の道に神楽がいた。神楽はわずかに息を乱し、肩を上下させている。何か問題が起きて、自分を探し回っていたのかもしれないと、銀時は神楽に問いかけた。
「……何かあったのか?」
ところが、神楽の口からは、意外な答えが返ってきた。神楽がここへやってきた理由は、自分が外出した理由と似たようなものだった。
「……家に帰ったら、銀ちゃんも新八も定春も、誰もいなくて、それで……」
そこで神楽は口を噤んでしまった。
「どした? さびしくなっちゃった?」
子どもに言い聞かせるような声に近くとも異なる、自分の口から出た甘い声に銀時は自分でも驚いた。自分が神楽に向けている感情が、もう隠しようのないところまできていることを、思い知らされる。
目だけで神楽の姿を追うと、神楽の頬に一瞬だけ朱色が射すのが見えた。
「そ、そんなんじゃないネ!」
図星とわかる慌て振りだった。一際大きな神楽の声に、銀時は頬を緩ませる。
烏の鳴き声を遠くに聞きながら、穏やかに流れてゆく時間に身を任せ、銀時は空を仰いだ。
「……銀ちゃん、まだ帰らないアルか?」
川面が夕陽の輝きを失ってゆく頃。神楽が心配そうな声で問いかけてきた。銀時はその場に立ち上がり、着物の皺を叩いた。
「……俺ァちょっと寄るところがあるから、先に帰ってろ」
「…………」
何か言いたそうな顔をしている神楽に、目を合わさないようにして踵を返す。自分との距離を縮めようとしている神楽に反して、自分は常に神楽と距離を置くことだけを考えている。結果的に神楽を避けてしまっている自分に苛立ちが募り、銀時は自分で自分を責め立てた。
神楽と一緒に住みはじめてから五年。出会ったばかりの頃はまだ子どもだった神楽も、今ではもうすっかり大人の女へと変わってしまった。
神楽“ちゃん”ではなく神楽“さん”になってしまった。
神楽の成長に呼応して、自分達を見る周囲の目も、いつからか変わってしまった。ひとつ屋根の下で暮らしているという事実は五年前と変わらないのに、親子もしくは兄妹を見るような目が、男女の関係を探るような目へと変わってしまった。
変わっていないのは、おそらく自分だけなのだろう。あと一歩が踏み出せず、境界線上で足踏みをし、前へ進みゆく道を、神楽から距離を置くことで自ら断ち切ったままでいる。
その日は、空が夜の色に染まる前に居酒屋へと入り、神楽が眠っている時間を見計らって万事屋へと帰った。空腹の胃に酒だけを流し込んだせいか、二階へと続く階段を昇っていると、激しい吐き気をもよおす。千鳥足でようやく辿り着いた玄関先で一度嘔吐したあと、扉を開いてすぐ、銀時はその場に倒れ込んだ。
視界の先。薄汚れて埃にまみれた廊下に、既視感の影が見え隠れする。目の前に広がる孤独の色に、銀時は目を閉じた。
目を覚ますと、万事屋の玄関の床が目に入った。やわらかな温もりの心地よさに身を捩ると、自分の身体にかけられている毛布が手に触れた。
玄関で酔いつぶれている自分に毛布をかけてくれるのは、神楽だ。神楽がこの家に住みはじめてからずっと、それは変わることのない習慣のようなものになっていた。この家で自分の帰りを待っていてくれる温もりの存在は、銀時の心の中で日を重ねるごとに大きくなり、五年経った今ではもう、手離せない存在となってしまっていた。
手離せないとわかっていながら距離を縮めることのできない矛盾を抱えてゆく一方で、既視感はいよいよ視覚だけではない感覚にまで及びはじめた。
外が真っ暗になるまで依頼された仕事をし、万事屋へ帰って来た日のことだ。家に帰り着くなり、神楽は風呂場へ駆けていき、銀時と新八は疲れた身体を引き摺って部屋の中へと入った。
そこで、部屋の電気をつける前、事務机に目が行き、思わず銀時は声を上げた。埃にまみれた机の表面。それを指で撫でると、ざらついた砂埃の感触が指に広がった。
「何だコレ! 机の上、埃まみれになってるぞ」
「え?」
部屋の電気をつけた新八が、駆け寄ってくる。
銀時は瞬きを繰り返した。部屋に灯りが灯ると、埃にまみれていたはずの机は、仕事に行く前と変わらぬ姿に戻っていた。
「銀さん、埃なんてついてないですよ」
机を撫でた指を見るが、そこにも埃はついていない。
「…………」
「銀さん?」
「……ワリー、俺の気のせいだったみてーだ」心配そうな顔をする新八に、銀時は頭をかきながら答える。話題を変えようと時計を見れば、酒を飲みに行くのにちょうどいい時間になっていた。「もうこんな時間か。……どうだ、新八。一杯やるか?」
新八が成人してからというもの、一緒に酒を飲みに行く機会が増えていた。新八はいつも呆れた顔で、「しょうがないな」と言いながらついてくるが、今日はきっぱりと断られてしまった。
「銀さん、今日は飲みに行くのをやめてください」
「あん?」
「……最近、飲みに行き過ぎですよ」
「…………」
夜、酒を飲みに出かけることが増えたのは、嫌になるほど自覚している。返す言葉もなく沈黙を貫いていると、眼鏡を指で押し上げて、新八は言った。
「神楽ちゃんが、さびしがってます」
神楽に聞かれてはならないと、銀時は廊下へ目をやった。神楽が風呂場から戻ってくる気配はない。銀時は声を抑えて言った。
「神楽が、そう言ったのか?」
「いいえ。……アンタ達と何年の付き合いだと思ってるんですか。何を考えているかなんて、見てればわかりますよ。……神楽ちゃんも、そしてアンタも」
「……そうか」
「……銀さん。ひとりになることを、選ばないでください」
新八の視線が一瞬だけ、『糖分』の文字が入った額の端へと向けられたのがわかった。そこに飾られているのは、いつだったか、映画館の見回りの仕事を請け負ったときに手に入れた映画の特典だ。『嬢』『豚』『馬』のセル画風フィルム。三枚重ねるとひとつの図柄が出来上がる――三位一体のフィルムだ。
これまでにないほど強い既視感が、銀時を包んだ。白く白く焼き尽くされてゆく記憶の奔流の中で、自分の名前を叫ぶ神楽と新八の姿がはっきりと目の前に映し出された。
新八がこのフィルムに目をやった理由を考え、新八の言葉に込められた意味に、銀時は気づく。フィルムに宿る記憶を持っているのは、自分だけではない。
「新八、まさかお前も……」
新八は応えずに踵を返した。
「僕はもう帰ります。……明日、僕、朝は来ないんで、安心してください」
「お前、一体どこでそんな気の遣い方覚えたんだ?! 待て、新八ィィィ!!」
逞しく成長した新八の背中が、廊下へと消えてゆく。玄関の扉が閉まる音に、銀時は自分の置かれた状況を理解した。
今宵は、ひとつ屋根の下で、神楽とふたりっきり。
「銀ちゃん、お風呂空いたアルヨ」
風呂場から戻った神楽の声に、銀時は慌て驚いた。風呂上りの神楽の姿を見ないように、銀時は風呂場へと駆けてゆく。背中に視線を感じたが、銀時は気づかないフリをした。
風呂から上がると、部屋に神楽の姿はなかった。そのかわり、押し入れの上段に、神楽の背中が見えた。銀時は大きく息を吐いて、ソファの上に座り、天井を仰いだ。
ふと視線を感じて押し入れの下段を見ると、定春が自分を凝視していた。手招きすると尻尾を振って近づいてくる。顔を撫でてやり、しばらく定春と戯れていると、再び押し入れの方向から視線を感じた。
押し入れから姿を見せた神楽は、珍しいものでも見るような目でこちらを見ていた。
「……寝てたんじゃないのか?」
「……目が覚めたアル」
定春が席を譲るようにソファから離れる。神楽は自分の隣に腰を下ろした。ソファに乗せた手と手が、今にも触れそうな距離まで近づいた。
窓外からやってくる夏の風が、神楽の伸びた髪を静かに揺らしている。風鈴の音に似た儚い声で、神楽は自分に問いかけてきた。
「……銀ちゃん、私達を置いてどこかに行ったりしないヨネ?」
「どした、急に」
「……夢を……変な夢を……見ただけアル」
神楽が視線を向けている先を見る。事務机の上、『糖分』の文字が入った額の端――神楽の視線の先には、新八が視線を向けていたものと同じ、三位一体フィルムがあった。
定春が、「わん!」と一声鳴く。三人と一匹で、同じ世界を見ていることを、銀時は確信した。
「…………」
「銀ちゃんが夜にここにいるの、久しぶりネ」
「……そうだな」
「最近、飲みに行き過ぎアルヨ」
「……そうだな」
「家にいるのが……私と一緒にいるのが、イヤアルか?」
神楽の泣きそうな声に、銀時は優しく答えを返した。告げる言葉に、迷いはなかった。
「……そんなんじゃねーよ」
「じゃあ、なんで……」
「……五年前、お前がここに住みはじめたとき……お前が神楽“ちゃん”だった時だってギリギリだったんだぞ? すっかり大人になっちまったお前と、夜に二人っきりって……」
言葉が途切れた。神楽の視線を受けて、頬が熱くなってゆくのがわかった。
「ひょっとしてドキドキとかした?」
口調と相反して、神楽の瞳は緊張で揺れている。銀時は神楽から視線を逸らして口を開いた。神楽の言葉通りであることが、面と向かって話すのを躊躇わせた。
心臓の音は、どうしようもないほどに正直だった。
「あぁ……したよ」
神楽がはっとなったのがわかった。自分と神楽の間にある距離。そのわずかな隔たりを、銀時は縮める。小指と小指が触れ合うと、神楽は身体を大きく震わせた。
「……俺と、一緒になるか?」
「……え」
「言っとくが、一夜の過ちで終わらせる気はねーからな。一晩どころか毎晩――グハッ!」
神楽の拳が腹部にめりこむ音がした。戯れの範囲ではあるが、それなりに痛い。背中を曲げ、腹を両腕で抱え込むと、隣から弱々しい神楽の声がした。
「私達、間違ってるアルか?」
一夜の“過ち”、という言葉が、神楽の胸を揺らしているようだった。銀時は微笑して、否定の言葉を継ぐ。
「……いや」
指切りゲンマンをするように、銀時は神楽の小指に自分の小指を絡めた。
そしてそのままソファから立ち上がる。結んだ小指を引いて、寝室へといざなった。電気の消されている和室はひどく暗い。互いの表情がわずかに読み取れるだけだ。
繋いだままの小指に力をこめると、神楽が自分を見上げてきた。
「暗いと銀ちゃんの顔がよく見えないネ」
「電気つけるか?」
「……イ、イヤアル」
「じゃあ、どうすりゃいい?」
声が低く掠れる。神楽が甘えた声で言った。
「もっとよく……もっと近くで、顔、見せてヨ」
これまでで一番近い距離で、互いの顔を見た。照れと恥ずかしさに、互いの感情が混じり合って、ゆっくりとひとつに重なってゆく。
神楽に触れると、そこから先はもうとまらなくなった。
重なり合っていた時間が、過ぎゆく音がした。
時間の重複は、不具合などではなかった。この星(セカイ)が抱いていた尊き記憶だった。
この日を境に、既視感に見舞われることはなくなった。そうして、既視感に見舞われていたという事実さえも、しだいに記憶の中から失われていった。
すべてを知っているのはこの星だけ。すべてを覚えているのはこの星だけ。
この星がこれから記憶してゆく世界が、この先、自分達が歩んでゆく時代となった。
FIN
