[銀時Side]


 気温は高く陽射しは強いが、障子窓を開けると涼しい風が入ってくる昼下がり。今年は一足早い梅雨を迎えて、まだ五月だというのに雨ばかりが降り続いていたが、今日は久しぶりに青い空を望むことができた。
 仕事のない日は、ソファの上に寝転がってジャンプを読むか、昼寝をして過ごすことが多い。昼寝をするときはジャンプの読みかけのページを開いたまま顔に乗せて眠る。アイマスクのかわりにもなるジャンプは優れものだ。
 向かい合わせのソファでは神楽が寝転がって本を読んでいた。神楽が読んでいるのは絵本だ。「姉上と僕が小さい頃によく読んでた本なんですけど……」と、新八が紙袋いっぱいに絵本を詰めて持ってきたのは昨日のことだ。神楽が日本語を勉強するのに使えるのではないかと思ってのことらしい。新八からあずかった本を神楽に渡すと、神楽は興味津々といった様子でそれを受け取った。
 宇宙からやってきた少女は、日本語をまだあまりよく理解できていない。話をするのにはまったく問題ないが、読み書きに少々難があった。無理に覚えさせる必要はないが、江戸で暮らすのに支障のない程度には教えてあげるべきなのだろう。一昨日だっただろうか。そんな内容のことをひとり呟いた記憶がある。新八はそれを聞いていて、気を利かせてくれたのかもしれない。
 顔に乗せたジャンプをわずかに持ち上げて、銀時は神楽をこっそり覗き見た。最後の一ページをめくるのが見える。どうやら一冊読み終えたようだ。
「こうして姫は、王子様といつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。……コレ、絶対嘘アルヨ。知り合ったばかりの男とそうそううまく結婚生活を送れるワケないネ」などと神楽は独り言を言っている。顔の上に乗せていたジャンプをソファの上に置いて、銀時は言った。
「嘘にはならねーよ。お伽噺に出てくる王子様っつーのは、女の理想の塊で出来てるからな。顔良し、性格良し、そして金持ち」
「銀ちゃんとは正反対アルナ」
「うるせーよ」
 そこへ洗濯籠を持った新八が通りかかった。梅雨を迎えるとなかなか晴れの日に恵まれない。今日は久しぶりによく晴れたので、新八は朝からはりきって洗濯をしていた。
「神楽ちゃん、何を読んでたの?」と、新八は神楽に問いかける。
「白雪姫アル」
 神楽は読んでいた本を自分達に見えるように上に掲げた。本の表紙には、『しらゆきひめ』と平仮名で書かれてある。毒リンゴを食べて息絶えた白雪姫を、都合よく現れた王子様が救う話だ。
 本の表紙を見て、新八が懐かしそうな目をして言った。
「白雪姫かァ……懐かしいな。そういえば、デ○○ニー映画の白雪姫って十四歳らしいですね。この前ネットで話題になってましたよ」
「十四?! とんだロリコン王子だなオイ」
 十四歳といえば、目の前にいる神楽と同い年だ。白雪姫がお伽噺の中の人物であるとはいえ、とてもウチの神楽と同じ年とは思えない。
 神楽を見やると、酢昆布を口にくわえて、黙ったまま絵本の表紙を見つめている。何か考え事をしているようだ。一枚の酢昆布を噛みしめるようにして食べたあと、神楽は口を開いた。
「……王子様と結婚したら、酢昆布もご飯も食べ放題アルか?」
「そりゃ……お金持ちだからね」
 困ったような顔をして、新八が辛うじて答えを返す。神楽は矢継ぎ早に質問を重ねた。
「王子様はどこに行ったら会えるアルか?」
 新八が助けを求めるような目でこちらを向く。銀時は鼻をほじりながら聞いていたが、新八の代わりに神楽に答えてやることにした。
「神楽、よく聞け。王子様なんてどこにもいな――」しかし、答えている途中で新八に遮られてしまう。神楽に聞こえないよう声を抑えて、新八は言った。
「ちょっと銀さん! 女の子の夢を壊すようなこと言っちゃダメですよ!」
「新八、よく考えてみろよ。コイツが夢見るお姫様に見えるか? コイツはただ食いモンたかりたいだけだろ。大体こういうのはな、大人が答えるとロクな事にならねーんだ。何言っても嘘っぽく聞こえちまうからな。だから今のうちに現実を教えてやるんだよ」
「絵本の中の王子様みたいな人じゃないかもしれないけど……世界のどこかにいるかもしれないじゃないですか。神楽ちゃんの王子様」
「たとえいたとしても、いつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。とはいかねーだろうよ。王子様逃げ出しちまうよ。コイツと一緒に暮らしてる俺が言うんだ、間違いねェ」
 神楽に聞こえないよう小さな声で新八とそんな会話を繰り広げている間も、神楽の質問はとまらなかった。
「王子様は白い馬に乗ってるアルか?」
「絵本にはそう書いてあるけど……。でもね、神楽ちゃん、江戸にはいないと思――」
 新八が言い終える前に、神楽がソファから立ち上がった。銀時は嫌な予感がした。
「ちょっと出かけてくるアル」
 神楽は番傘を持ち、外へと出て行った。引き留める言葉が思いつかず、ふたりで茫然と神楽を見送る。嫌な予感は的中した。新八も同じことを考えていたようだった。
「……銀さん。神楽ちゃんは、王子様を探しに行っちゃったんでしょうか」
「……俺にきくなよ」
「…………」
 長い沈黙の途中で、銀時は神楽が王子様を探しに行った理由を思い起こしていた。銀時は独り言を呟くように小さな声で新八に話しかけた。
「酢昆布と飯、やっぱり足りてなかったのかな、新八君」
「……僕にきかないでください」
「…………」
 神楽が家を出て行ってから三時間が経過した。洗濯物もよく乾いたようで、新八はベランダに出て、洗濯物を家の中に取り込みはじめている。行商の豆腐屋が鳴らすラッパの音に、窓の外を見る。青かった空にはいつしか濃い橙色が混じり、夕焼けの色が広がっていた。
 テレビの電源を入れると、一昔前のドラマが放送されている。もう何度目になるかもわからないくらい再放送されているドラマだ。チャンネルを変える気も起きずそのままにしていると、画面の上部にニュース速報のテロップが流れた。ちょうど洗濯物を取り込んで部屋へと戻ってきた新八もそれに気がついて、「何かあったんですか?」と側に寄ってくる。
『ターミナル周辺で銃を持った男が逃走中』とテロップは伝えていた。
 その直後、画面が切り替わり、画面の右上に『LIVE』の文字が表示された。画面の中央に突如現れたニュースキャスターが、画面の外から差し出される原稿を受け取っているのが見える。ニュースキャスターは緊張した面持ちで原稿を読み上げた。
『番組の途中ですが、緊急生中継を行います。午後四時過ぎ、ターミナル近辺の駐車場にて銃声がしたとの通報がありました。犯人は、『君のハートを狙い撃ち!』などと意味不明な叫び声を上げ、駐車場を管理している女性に銃口を向け発砲。女性は、駐車場に停まっていた車を盾に銃弾から逃れたため、幸い怪我はありませんでした。現在、怪我人は出ておりません。えー犯人は白い馬に乗って逃走中との情報が入ってきております。ターミナル周辺にお住まいの皆さんは外に出ないようご注意ください。それでは、現場からの映像です』
 テレビの画面が、放送局の一室から、ターミナルを背景にした街の一角を映し出した。記者やカメラマン、野次馬などの人混みの先に、白い馬に乗った男の姿が見える。
「「……嘘」」
 銀時は新八と同時に声を上げていた。
 テレビの映像は、男が真選組と思われる黒い集団から逃げ回っている様子を伝えている。
「……銀さん、神楽ちゃんは白馬に乗った王子様を探しに行ったんですよね」
「アイツの頭の中じゃ、白馬に乗った男はみんな王子様ってことになってるかもしれねーな」
「……。……神楽ちゃん、遅いですね」
 神楽が外出してから四時間が経過しようとしている。ここからターミナルまでの距離を考えてみても、ターミナルまで十分行ける時間だ。
「……ったく、世話の焼けるガキだな」
 どこにいるのかは見当もつかないが、こんな事件が起きている以上、一刻も早く家へ連れて帰るべきだろう。銀時はソファから立ち上がり木刀を手にする。しかし迎えに行く必要はすぐになくなった。玄関の扉が開く音がし、続いて、「ただいまヨ~」と神楽の声がした。
 神楽は興奮した様子で部屋へと入ってきた。
「銀ちゃん! 新八! 今さっき白馬の王子様を見つけたアルヨ! 途中で逃しちゃったけど。警察の人がいっぱい追っかけてたネ。みんな幸せになりたいアルな」
 銀時は脱力した。木刀を元あった場所に戻し、何事もなかったような素振りで自身もソファの定位置へ戻る。
「神楽ちゃん……それ、たぶん違うと思うよ」
「警察に追われる王子様なんざやめとけ神楽」
「でも、酢昆布とご飯の食べ放題が……」
「んなもん、俺がたらふく食わせてやるから。お前は王子様なんか探してないで、ここでおとなしくしてろ」
「マジでか! アリガト、銀ちゃん!」
 勢いで言ってしまい銀時は後悔したが、今更なかったことにはできない。財布の中身を切なく思いながら、銀時は苦笑する。
 そして、知らずにいた方が良い現実もあるだろうと、神楽の目に入らないよう素早くテレビの電源を落とした。自分のこの行動に、新八は驚いたような顔をしたが、すぐに何かを悟ったような微笑を浮かべる。銀時はわざと咳払いをして、自分の行動の意味を誤魔化した。
 白馬に乗ったまま逃走した男は、結局一週間経っても捕まらなかった。いつまた発砲するかもわからないため、捜査の手が緩められることはなかったが、報道の様子から、捜査は難航しているように見えた。
 今にも雨が降りそうな六月のある日。街に宿る静けさは雨の予兆でもあるが、嵐の前の静けさという表現がふさわしいと思えるほどに、天には不気味な暗雲が立ち込めていた。
 新八は買い物に出かけ、神楽は定春の散歩で外へ出ていた。
 梅雨という季節の憂鬱さは、銀時の気分を下降させてゆく。気怠い身体を椅子にあずけてジャンプを読んでいると、家からそう遠く離れていない場所で銃声が鳴っているのが聞こえた。反射的に立ち上がり、窓辺に寄る。
 かぶき町が騒然となった。
 再び銃声がするのと同時に、玄関の扉を打ち破るような音が聞こえた。廊下から聞こえるのは聞き慣れた足音だが、どうも様子がおかしい。
 部屋の中へ入ってきたのは定春で、銀時が定春を振り返るより早く、着物の裾を定春に噛みつかれた。自分をどこかへ連れて行こうとでもしているかのように、強い力で裾を引っ張られる。
「オイ、どした? 定春」
「わん! わん!」
 定春の鳴き声に、胸騒ぎがした。息を呑む。冷えた汗が、背中を伝った。
「……神楽は?」
 定春と一緒に外へ出たはずの神楽の姿がない。定春が神楽を置いて家に帰ってきたとは考えにくい。神楽の身に何かあったとしか考えられなかった。
 木刀を手にし、握りしめると、手の汗が滲んだ。定春が走り出したので、木刀を素早く腰に携えて、銀時もその後を追いかける。玄関を通り抜けてすぐ、銀時は定春に飛び乗った。
「銀さん?! 定春?!」
 階段をくだる途中で、買い物から帰ってきた新八と擦れ違ったが、銀時には振り返る余裕はなかった。



[神楽Side]

 こうして姫は、王子様といつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
 新八の貸してくれた『しらゆきひめ』という名の絵本は、その文章で締めくくられていた。
 絵本に描かれていた、幸せそうに寄り添う男女の絵を神楽は思い出す。恋愛をして幸せになるという感覚は正直よくわからない。理解できるのは、三食ふりかけご飯が三食卵かけご飯になるといったような、目に見える幸せだ。
 白馬に乗った男を最後に見た日から一週間が経過した。その間、仕事の依頼が増え、お金が入るようになった。好物の卵かけご飯をおかわりできるという幸せも満たされているから、白馬の王子様を探す必要もなくなった。
 しかし、外出する度、無意識のうちに周りを見渡していることに神楽は気がついてしまった。遠くから見ていただけだから、顔もよくわからない。それなのに、絵本の中の王子様のような身なりをしていたというだけで、関心を向けてしまっている。神楽は探し人を未だ諦めきれずにいた。
 定春の散歩をしている途中。偶然にも神楽はその探し人を見つけた。しかし、はじめて近くで見るその探し人は、自分の想像とは明らかに異なる風貌をしていた。
 その男は拳銃を持ち、姉妹と思われる女ふたりに銃口を向けていた。人の往来の多い商店街の中で白い馬に乗り、何の躊躇いもなく拳銃を手にしている姿は異様としか言いようがない。とても『白馬の王子様』と形容できるようなものではなかった。
 どこからか叫び声が上がったのを契機に、忽ち周囲は騒然となった。これまで平穏だった商店街が、逃げ惑う人々の声で埋め尽くされてゆく。その場に立ち止まったままの自分と定春に向かって、人々の波が押し寄せてきた。
 街の騒がしさに苛立っているのだろう。煩わしそうに首を回した男が、引き金に手をかけようとしているのが見えた。それに気がついているのは、自分と銃口を向けられている姉妹だけだ。どちらを撃とうか思案するような動きを見せている男に、姉妹は目をかたく閉じて震えている。
 人々の壁を乗り越えて、神楽は男と姉妹の間に飛び込んだ。銃声が鳴り響くより早く、番傘をすばやく開いて盾にする。
 周囲にはまだ逃げ遅れた人がいるから、弾を弾き返すことはできない。番傘に弾が突き刺さる衝撃を受けとめると、定春が吠えながらこちらに走ってくるのが見えた。
「定春! こっちに来ちゃダメヨ! 早く逃げるネ!」
 定春は拒むような声で大きく鳴いた。体の大きい定春は的にされやすい。男の目が定春に向けられる前に、この場から遠ざけなくてはならない。神楽はもう一度、「早く!!」と定春に向かって声を上げた。定春は自分に何かを伝えるような声音で二度鳴いたあと、ようやく走り出した。定春の向かっている方向には万事屋がある。自分が誘導しなくても、定春なら家まで辿り着けるだろう。
 神楽は後ろを振り返り、自分の背後で怯えている姉妹に声をかけた。
「お姉さん達も、今のうちに早く逃げるアル!」
 うずくまっていたふたりが、こちらを見上げてきた。わずかに唇を開いてはいるが、恐怖のためか声が出せずにいるようだった。言葉はなくても、ふたりが何を言わんとしているのかはわかる。心配そうな目に、「私なら大丈夫ネ」と精一杯笑ってみせると、ふたりは目だけで礼を言って、駆け出した。
 目の前にいる男がふたりを追いかけるかもしれないと、ふたりの退路を守るために神楽は番傘を手に強く握りしめる。しかし男は、逃げて行ったふたりを追いかけようとはしなかった。
 銃口はまっすぐにこちらに向けられた。標的が変えられた瞬間だった。
「……お前、なんでこんな事するアルか?」
「女の心臓を撃ちたいからだよ」
 引き攣ったような笑いを含んだ声で、男が言う。肩まで伸びたサラサラの髪は金色だったが、太陽の光が隠された天の色を受けて、澱んで見えた。
 相手との間合いを詰めるために男の出方を窺いながら、神楽は銀時の言葉を思い出していた。
『警察に追われる王子様なんざやめとけ神楽』
「……銀ちゃんの言った通りネ」
 銃口が下を向いた。心臓を狙われると思っていたから、足元には油断をしていた。右の足首を銃弾が掠める。鋭い痛みが右足に走ったが、辛うじて身体を動かすのに支障はなかった。
 銃口がほんのわずかに上向いたのが見え、それを避けるために神楽は自分の身長ほどの高さまで跳び上がる。男の思惑に嵌ってしまったことに気がついたのは、左の足首に銃弾を受けてからだった。
「……ッ!」
 銃弾は貫通していなかった。撃たれた場所から血が噴き出すのが見える。着地はするが、立っていられなくなり、膝が地面にぶつかった。火傷したような痛みと身を抉られている恐怖に、額には脂汗が滲んだ。
 早くこの鉛を取り出さなければならないと思うのに、手の指が震えて思ったように動かない。非情な銃声のあとで、腕の付け根にも弾が撃ち込まれてしまい、神楽はとうとう番傘を握り締めることもできなくなった。
 自分の身体の中に埋められた異物に、動悸だけではなく吐き気をも催す。霞んでゆく視界の中で、白馬から身を降ろした男が、自分へと静かに銃口を向けた。
 心臓を撃たれる痛みはどれほどのものだろう。自分はこれからどうなってしまうのだろう。
 銃の引き金が引かれる瞬間を、自分の最期の一時を、一瞬たりとも見たくはないと思うのに、神楽は目を閉じることができなかった。
 一生を物語で例えるとするならば。今、自分の生が閉じられようとしているのは、絵本の中のお姫様が、王子様の存在を知らぬまま物語を終えるようなものなのだろう。
 神楽は自分の物語を振り返る。
 地球に降り立ってまだわずかしか経っていないけれど、故郷の星を想うように、この星を好きになりはじめていた。万事屋で銀時たちと一緒に住みはじめて、自分の帰る家を手に入れたような気持ちになっていた。
 自分の物語は、これから先も銀時たちと共にあると信じていたのに。
「……銀、ちゃん」
 今生で最期の言葉となるかもしれない声。唇に乗せたのは、銀時の名だった。
 続くと信じていた物語が、終わってゆく。
 その予兆だろうか。視界も少しずつ閉ざされてゆく。けれど、少しでも長くこの世界を見ていたいと神楽は思った。せめて最後に、一目でもいいから、銀時の姿を見たいと願った。
 天からの音が、神楽の耳元で優しく鳴った。故郷で降る雨に似た音。地面を濡らしてゆく雨の滴が、止まらぬ血の赤と混じり合ってゆく。
 ふと、目の前に、定春に乗った銀時の姿が見えたような気がした。次の瞬間、耳をつんざくような音が、神楽の鼓膜を震わせる。
 自分に向けられていた拳銃は地面に転がり、数メートル先にある店の棚には、金髪の頭がめりこんでいた。
 信じられない気持ちで、神楽は雨の中の世界を見つめる。
「ぎ……ちゃ……」
「オイ! 神楽!! しっかりしろ!!」
 駆け寄ってきた銀時の逞しい腕に、身体を抱かれる。銀時の腕の力強さと温もり、「神楽!」と名前を呼ぶ声に、心臓を摑まれて左右に揺さぶられているような感覚が身体の内側に広がる。
 痛みが流れ、温もりに満たされる心地良さに目を閉じかけて、銀時の背後に立つ影に神楽は我に返った。一度この場から弾かれたはずの荒んだ金色が、拳銃の照準を定める必要がないほどの距離にまで近づいている。
 必死に意識を取り戻そうとするけれど、唇が動かず、銀時に何も伝えられない。
「ぎ……!」
「銀さん!! 後ろ!!」
 すぐ傍で、新八の声がした。
 銀時の腰から再び抜かれた木刀が、男の腕を貫通する。銀時は男を一目も見ずに、拳銃を持つ男の腕を射止めていた。
 再び聞こえはじめた雨の音に、拳銃が垂直に落ちる音が重なる。
 腕を突き刺していた木刀が、容赦なく引き抜かれた。
 一声も発しない銀時が、静かな怒りを抱えているのを感じて、自分から一瞬たりとも目を離さないでいてくれる銀時に、優しさを感じた。
 意識が遠のいてゆく恐怖の中。銀時の腕の中にいる安心感に、神楽は微笑む。「銀ちゃん」と名前を呼ぼうとして、しかしそれは声にならなかった。
「オイ! 神楽!! 目ェ開けろ!! 神楽ァァァァァ!!」
 銀時が自分の名を呼ぶ声にも、応えることができなかった。



 目を開くと、物語の続きが見えた。
 見上げた先には、銀時が寝室として使っている和室の天井。しばらくの間、なぜ押し入れではなくここで寝ているのだろうと神楽は考えていた。
「……神楽ちゃん」
 新八の声が聞こえて、神楽は顔を傾けた。心配そうに自分を見る新八と目が合う。その隣には定春の姿もあった。「大丈夫?」と問いかけてくる新八の声に、神楽はようやく自分の身に起きた出来事をはっきりと思い出す。そして、この部屋に銀時の姿がないことに神楽の心は急いた。
 起き上がろうとしたが、腕の付け根と左右の足首に痛みが走り、失敗する。
「……ッ」
「神楽ちゃん! まだ動いちゃダメだよ!」
 新八が慌てた様子で近くに寄ってきた。「傷口はもう塞がりかけてるって病院の先生は言ってたけど、まだ安静にしてなきゃ……」
 腕の付け根に巻かれた包帯が視界の隅に映る。新八に言われた通り、神楽はおとなしく布団の上に背中をあずけることにした。
 布団に横たわったまま、神楽は新八に銀時の居場所を尋ねた。腹の底から絞り出すようにして発した声は、ひどく掠れていた。
「……ぎ……ちゃ……は……ど、こ?」
「銀さんは、さっき警察に呼ばれて出て行ったよ。たぶん事情聴取じゃないかな。……もうすぐ帰ってくると思うから、神楽ちゃんは安心して。薬も効いてるだろうから、眠った方がいいよ」
 新八の声に頷く。事情聴取とは一体何だろう。よくわからなかったが、銀時がもうすぐ帰ってくると知って、神楽は安堵の息をついた。吐き出した息は熱かった。
 耳を澄ませると、控え目な雨の音がした。外は真っ暗になっていて、随分と長い間眠っていたことを知る。一度眠ってしまったからか、再び目を閉じる恐怖からか、眠ろうと思うのに、一向に眠気は訪れなかった。
 自分の側から離れずにいてくれる新八が、小さな声で問いかけてきた。
「……眠れないの?」
「……ウン」
「じゃあ……絵本、読んであげようか」
 部屋を出て行き、再び戻ってきた新八の手には、一冊の絵本があった。布団の側で正座をして、新八は絵本の最初のページを捲った。
 絵本を読む新八の声に、懐かしい情景がよみがえった。
 夜、眠れずにいた自分に、母がよく読んでくれた絵本。それを胸を躍らせて聞いていた自分。
 故郷の言葉で書かれた物語が、この国の言葉で書かれた物語と深く重なってゆく。
 この星に降り立って、自分の居場所を見つけることができた。温かい帰る場所を見つけることができた。しかし、自分は欲張りで、それだけでは満足できずに漠然とした幸せを追い求めようとした。
 確かな幸せはこんなに近くにあったのに、どうして気づかなかったのだろう。
 新八の持っている絵本の表紙には、『あおいとり』と書かれていた。
 瞬きをすると、水滴が頬を伝って枕に落ちた。
 近くにある幸せを見つけたように。いつも自分の心に寄り添っていた感情を。今まで気づかなかった恋心を。神楽は見つけてしまった。
 めでたし。めでたし。と絵本を読み終えた新八に、神楽は掠れた声のまま、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……新八。私……今日、本物の王子様を見つけたような気がするネ」
「えぇ?!」
「髪はモジャモジャで、死んだ魚のような目をしてて、性格は天邪鬼で、お金も持ってないし、あと、足が臭いけど……」
「それ……本当に王子様なの?」
 新八の問いかけに、神楽は大きく頷く。
「絵本の中の王子様みたいに、私を助けてくれたネ。……白い馬には乗ってなかったけど、白い犬に乗ってたアル」
「……白い犬」
 新八の表情が目まぐるしく変わってゆくのを見て、神楽は微笑んだ。
「私にとっての王子様は、白馬の王子様じゃなくて……白髪のオッサンだったヨ」
「神楽ちゃん、それって……」
 玄関の扉が開く音がした。この万事屋の主人が帰って来ただけだというのに、胸が高鳴った。昨日まではなかった感覚だ。
 神楽は人差し指を口に当てて、新八に言った。
「銀ちゃんには、内緒アルヨ」
 新八の顔が驚きの色に染まってゆく。
 玄関先から銀時が盛大なくしゃみをするのが聞こえて、神楽は笑った。



『Title:幸せの白い王子様』



FIN




[初出:銀時Side 2013/6/2 神楽Side 2013/6/30、Twitter呟:2010/6/20]