秋が深まり、澄んだ空を遠くに感じはじめる頃。仕事の依頼が減り、銀時は万事屋にいる時間が増えた。師走が近づくにつれて仕事の依頼は次から次へと舞い込むようになるから、それまでの僅かな休息といってもいいだろう。一日中、家にいる日も少なくなかった。仕事がなければ生活に困る、という考えは幼い少女にはまだ難しく、神楽は銀時と一緒にいられる時間が増えたことを素直に喜んだ。
家にいる時間が増えたので、銀時が神楽の遊び相手となってあげる時間も自然と増えていった。
最近、神楽が夢中になっている遊びは「おままごと」だ。神楽によると、自分と神楽は結婚していて、子どもがひとりいるという設定らしい。
今日は、旦那の帰りを玄関で出迎える若妻を演じたいらしく、銀時は部屋の外へと一度追い出されてしまった。「ピンポーン」とインターフォンの音を真似て銀時が口にすると、部屋の入口へと神楽が駆けてくる。小さな歩幅でトコトコと可愛らしい音を立ててやってくる姿には思わず頬が緩んだ。
「あなた、おかえりなさい」
「あぁ、ただいま」
ウサギのぬいぐるみを抱きかかえた神楽が、自分を出迎えてくれた。神楽はこのぬいぐるみを赤ちゃんの代わりにしているようだ。これは先日、自分が神楽に買ってあげたものだった。
「……銀ちゃん」
「ん? どした?」
懇願するような目で自分を見上げる神楽に、銀時は視線を下ろす。屈んでほしい、と手で合図する神楽に、銀時は床に膝をついた。神楽が顔を近づけてくるのを不思議に思っていると、自分の右頬に神楽の小さな唇が触れ、「チュ」と音が鳴る。おかえりのキスなんて、一体どこで覚えてきたのだろう。
「オ、オイ……」
四歳の少女が相手とはいえ、銀時は狼狽えた。神楽は恥ずかしそうな表情を浮かべてすぐ、「ご飯、作ってくるネ!」と逃げるように台所へ駆けて行った。
ソファに座り、銀時は何を見つめるでもなく虚空を仰いだ。やわらかな感触の名残を右頬に感じながら、銀時は考える。頬へのキスは愛らしい子どもの行動として受け取っていいだろう。だが、もっと特別な意味が込められているようにも思えてしまう。それが、銀時にとってはひどく不思議だった。
「ご飯できたアルヨ~」
神楽の声に振り向く。お盆を持つ小さな両手は、バランスを保つのが難しいのだろう、わずかに震えている。そのお盆の上には自分の箸と茶碗が乗っていて、しかも驚いたことに、その茶碗には中身があった。白いご飯の上に、黄身の形が崩れた卵が乗っている――言わずと知れた卵かけご飯だ。「おままごと」という遊びをしていたはずが、いつの間にか現実的になっていた。「おままごとセット」を買ってやるべきか思案しかけたところで、神楽が自分の目の前へとやってくる。差し出された箸と茶碗を受け取ると、神楽は嬉しそうに笑った。
卵かけご飯は、神楽が唯一できる料理でもあった。卵をひとりで割れるようになったのはつい最近の出来事で、神楽がそれをとても喜んでいたのを銀時はよく知っている。その喜びがどれほどのものかは、神楽の目の輝きを見ていればよくわかった。
「いただきます」
神楽が見ている横で、銀時は卵かけご飯を口に含んだ。ガリッとした卵の殻の食感すら愛おしいと思えるのだから、不思議なものだ。神楽の作ったものはどんなものであれ、銀時にとっては特別なものだった。銀時は一粒残さず、神楽の作った卵かけご飯を食べ終えた。
銀時が食べている間、神楽はウサギのぬいぐるみを抱きかかえて、赤ん坊をあやす動きを真似るように左右に優しく揺らしていた。一体いつ赤ん坊のあやし方を覚えたのだろう。そもそも、四歳の子どもが赤ん坊をあやしたいという願望を持っていることがまず驚きだった。
「銀ちゃん、食べ終わったアルか?」
「ああ、ごちそうさ……」
最後まで言い終えぬうちに、言葉が出なくなる。銀時は我が目を疑った。と同時に、「またか……」と思う。訪れた既視感に、銀時は眩暈にも似た感覚を得る。目の前にいるのは四歳の少女であるはずなのに、今、自分の目に映っているのは、少女の違う姿だった。神楽の生き写しであるかのような大人の女が、銀色の髪の赤ん坊を胸に抱いていた。
「銀ちゃん? どうしたアルか?」
神楽の声に我に返る。夢から覚めるように、一瞬で目の前に自分のよく知る神楽が戻ってきた。
「いや、なんでもねーよ。……うまかったよ、卵かけご飯」
「ホント? よかったアル!!」
神楽は全身で喜びを表現した。嬉しそうに、ぬいぐるみを抱きかかえたままソファの上で飛び跳ねている。四歳の子どもらしい行動に、銀時も思わず破顔した。そして、自分が出逢ったもうひとりの神楽のことは、優しい記憶として銀時の胸に残り続けた。
十一月に入ってすぐ、星海坊主から電話がかかってきた。神楽を呼ぶと、電話口へと駆けてくる。受話器を持つ小さな手を支えてやりながら、星海坊主と話す神楽を銀時は見守った。「銀ちゃんがネ」と話の中に自分の名前が何度も出てくる。それを微笑ましく思いながら神楽の声を聞いていると、話が落ち着いたのか、神楽が受話器を自分の方へと向けてきた。
「パピーが、銀ちゃんに話したいことがあるって」
神楽から受話器を受け取り、耳に当てる。神楽の目が、興味津々といった様子で自分を見上げてくるのを感じながら、銀時は受話器の向こう側へ声をかけた。
「もしもし? どうした?」
「あぁ、お前に話しておきたいことがあってな……実は、十一月三日は神楽ちゃんの誕生日なんだよ」
「三日?!」壁にかかっている日めくりカレンダーを見やる。今日は二日だ。「明日じゃねーか!!」
「そうなんだよ。プレゼントは明日届くように手配はしたが、当日祝ってやれそうになくてな……」
「……そうか」
自分を見上げてくる神楽と目が合う。微笑み返すと、神楽は甘えるように身体を摺り寄せてきた。神楽の頭を撫でてやりながら、受話器から聞こえる声に耳を傾ける。
「だから、明日はお前が神楽のこと祝ってやってくれ」
「言われなくても、そうするさ」
自分の声に、星海坊主が笑みを浮かべたのがわかった。それと合わさるように、受話器の向こう側が騒がしくなってゆくのを感じる。星海坊主がさすらう星に飛行機の時刻表のようなものが存在するのかは不明だが、出航を知らせるような音がけたたましく鳴っていた。
「……悪い、時間だ」
「ああ」
最後に短く言葉を交わし、銀時は電話を切った。
「パピーは、銀ちゃんに何て言ってたアルか?」
星海坊主と自分の会話が気になるのだろう。神楽が自分に縋り付くようにして着物を引っ張る。
「明日はお前の誕生日なんだって教えてもらったんだよ」
瞬きを繰り返す神楽を抱き寄せて、「明日はお祝いしような」と告げる。神楽はすぐ笑顔になり、「ウン!!」と大きな声で返事をした。
翌日。十一月三日。銀時は神楽を連れて外出することにした。神楽の小さな手を握り、手を繋いで街を歩く。今日は神楽の誕生日だ。神楽に誕生日プレゼントを買ってあげようと、店が立ち並ぶ通りへと向かう。
神楽と出会う前は、誰かと一緒に買い物に出かけることなどほとんどなかったけれど、今はこうして二人で商店街を歩くことが日常になっている。神楽と一緒に住むようになってから、銀時にとってはじめてのことも増えた。もちろん誰かに誕生日プレゼントを贈るのもこれがはじめてなので、何を贈れば良いのか銀時にはよくわからない。
「神楽、お前、何か欲しいモンあるか?」
「欲しいもの?」
銀時が問いかけると、神楽はその小さな顔を番傘の下から覗かせて、「酢昆布!」と言った。神楽らしい答えに、銀時は笑みを隠せないまま告げる。
「今日は特別だからな。酢昆布も買ってやるけど……お前、誕生日プレゼントは何がいいんだ?」
「えっ……」
神楽が立ち止まる。顔を覗き込むと、今まで今日が誕生日であることを忘れていたような表情をしていた。神楽は顔を俯かせて、考え込んでしまう。
酢昆布以外に欲しいものがないのか、欲しいものがありすぎて選べないのか、神楽の沈黙は長い。自分の手を握る神楽の手が、モジモジと動く。その小さな手を自分の方へ引き寄せて、銀時は言った。
「今じゃなくていいからな。ゆっくり考えろ」
「ウン!!」
神楽が大きく頷く。銀時は繋いだ神楽の手を強く握りしめて、歩を進めた。一休みするために、銀時は神楽を連れて公園に行くことにした。
公園に着くとすぐに、神楽は最近できたばかりの遊具の元へと駆けて行く。その遊具は「かまくら」の形に似ていて、ドーム型をしており、中は空洞だ。この遊具は神楽のお気に入りだった。
公園にいる人はまばらで、この遊具は誰にも使われていない。銀時は神楽のあとを追って、その遊具の中へと入った。中は大人でも入られるような広さになってはいるが、立ち上がることはできない大きさだ。
銀時は背中をあずけられそうな場所を探して、座り込んだ。遊具の中を楽しそうに歩き回っていた神楽だったが、しばらくすると慌てた様子で銀時の元へと駆け寄ってきた。
「どした?」
「銀ちゃん、おしっこ……」
小さな声で神楽は言うが、もう我慢できない、といった表情を浮かべている。銀時は神楽を抱きかかえて、公園の隅にあるトイレへと急いだ。神楽を中へと促し、銀時は女子トイレの前で待つ。ついでに自分も用を足そうと、手を洗って外に出てきた神楽に、銀時は言った。
「俺もちょっと行ってくるから。いいか? 絶対ここを動くなよ」
「ウン、わかってるアル!」
自分がトイレに行くときによく交わす約束なので、神楽もよくわかっている。目を離すのは心配だが、周囲には、まばらではあるものの、子どもやその母親たちがいる。ほんの少しの間なら大丈夫だろうと、銀時は男子トイレへと入った。
「神楽ァ、待たせたな。……神楽?」
用を足し外へ出てすぐ、銀時は異変に気がついた。
神楽の姿が見当たらない。周りを見渡してみても、神楽らしき子どもの姿は全く見えない。
「神楽ァ!!」
大きな声で名前を呼んでみるが、返事はなかった。銀時の背筋に冷たい汗が流れる。どこかへ連れ去られてしまったのではないか、と嫌な予感だけが脳裏をよぎる。銀時は居ても立ってもいられずに、その場から走り出した。
「神楽ァ! どこに行ったんだよ……神楽ァ!!」
いくら呼んでも返事はない。先程まで自分たちのいた遊具の中を覗き込んでみても、見知らぬ子どもたちがいるだけで、神楽の姿は見えない。周囲にいる大人たちに話を聞こうとしたところで、背後から、自分に近付いてくる小さな足音がした。後ろを振り返ると、神楽が泣きながら自分の元へと走ってくる。
「銀ちゃあああああん!!」
「神楽!!」
神楽が泣きながら自分に向かって走ってくる。銀時は膝を地面に擦りつけ、腕を広げて神楽を受けとめた。
「銀ちゃん……銀ちゃん……」
しがみついてくる神楽の手は震えている。小さな身体を抱きしめ、背中を撫でてやると、しゃくりあげる声がしだいに落ち着きをみせていった。
「何があったんだ?」
「……犬に追いかけられたアル」
そこで銀時は、自分たちを覆うような大きな影があることに気がついた。見上げると、これまで見たことのないような大きさの白い犬がいる。犬という生物に分類されるのか疑いたくなるほどの大きさだ。
その犬はつぶらな瞳でこちらを見つめている。この犬が神楽に危害を加えようとしたとは思えなかったが、あまりにもの大きさに驚き逃げ出した神楽を、遊び相手になってもらおうとしたこの犬が追いかけたのかもしれない。
「……この犬がお前を追っかけてきたのか?」
「違うネ。この子は私を助けてくれたアル」
銀時が男子トイレに入ってからの出来事を、神楽は話しはじめた。
銀時を待っていた神楽の目の前に、牙を?き出しにした黒い犬が現れたのだという。今にも噛みついてきそうなその犬に、神楽は恐怖のあまり逃げ出してしまう。泣きながら走る神楽を追いかけるその黒い犬の前に、この大きな白い犬が立ちはだかり、助けてくれたのだと神楽は言った。
神楽から話を聞き終わった銀時は、こちらを見つめてくる白い犬に礼を言った。
「神楽を守ってくれて、ありがとな」
「ワン!」
その白く大きな犬は尻尾を大きく振りながら、返事をするように一声吠える。神楽は銀時から離れて、犬の近くへと寄って行った。自身の身長をはるかに超える大きさの犬だというのに、神楽は安心しきった顔で大きな犬の体を撫でてやっている。
「銀ちゃん、この子と一緒に遊んでいいアルか?」
「遊んでもいいけどよ。コイツの飼い主はどこにいるんだ?」
公園には、犬を散歩に連れてきた飼い主の姿がちらほらと見られる。この犬もきっと飼い主が散歩に連れてきているのだろう。周囲にこの犬の飼い主らしき姿は見えないが、今頃、犬の姿が見えずに心配しているかもしれない。神楽もこの犬がどこから来たのかは知らないようで、犬に直接問いかけていた。
「お家の人はどこにいるアルか?」
言葉を理解しているのかどうかは定かではないが、その犬はまるで自分たちを案内するかのように、「ワン!」と吠えて、歩きはじめた。公園の隅、大木の下で犬が歩みをとめたので立ち止まる。
そこには、大きな段ボールがあり、『どなたか拾ってください』と文字の書かれた紙が貼ってあった。
「銀ちゃん、何て書いてあるアルか?」
神楽にどう答えていいのか躊躇する。捨てられた犬であることを神楽に告げるのは、あまりにも酷だ。だが、事実を伝えなければならない。銀時は言った。
「この犬……飼い主がいないみてーだな」
「……え?!」
神楽が大きな犬の顔を見上げる。「クゥゥン」とさびしそうな声を上げる犬に、神楽が寄り添う。神楽が自分に何を言ってくるのかは予想がついた。
「銀ちゃん、お願いアル! 私、この子の飼い主になってあげたいネ!」
真剣な表情で懇願する神楽に、銀時は言った。
「あのな、神楽。動物を飼うっつーのは大変なことなんだぞ。他に飼い主になってくれる奴がいねーか、探してやるから」
神楽は大きく首を振り、その犬にしがみつく。
「銀ちゃん、お願いアル。プレゼントいらないから、この子と一緒にいたいネ」
神楽の決意は固いようだ。
銀時は頭を掻き、息を吐いた。こんな小さな子どもの側に、こんな大きな犬を置いていいものか、銀時は思案した。神楽からの「お願い」に弱い自覚もあるが、その前に、この犬には神楽を守ってもらったという恩がある。今にも泣き出しそうな神楽の目に、銀時は心を決めた。
「わかったよ。ただし、条件がある」
「条件?」
神楽が首を傾げる。大きな犬に近づいて、銀時は言った。
「神楽のこと、これからも守ってやってくれるか?」
「ワン!」
一際大きな声で吠える犬に、銀時は微笑んだ。自分を見上げる神楽の表情が、笑顔へと変わってゆく。
「銀ちゃん! アリガト!!」
自分の脚に飛びついてきた神楽に、銀時は破顔した。よほど嬉しいのか、神楽は自分から離れようとしない。神楽の頭を撫でてやりながら、銀時は問いかけた。
「神楽。コイツの名前、決めてやらなくていいのか?」
脚にしがみついたまま、神楽が自分を見上げてくる。五秒ほどの間があったあとで、神楽は言った。
「名前は……“定春”にするネ!」
「……“定春”か」
五歳の子どもが考えたものとは思えない、まるで生まれたときからその名前を授かっていたかのように、しっくりくる名前だった。神楽は早速、「定春ぅ」と犬の名前を呼んだ。それに返事をするように、定春が、「ワン!」と吠える。
「じゃあ、そろそろけーるか」
「ウン!!」
家に着いたら、神楽のために、神楽の好物とケーキを作ろう。
家に材料があったかを思い起こしながら、足りない分はスーパーで買い足すことにして、家路を歩む。
行きは神楽とふたりきりだったが、帰りはふたりと一匹になった。今日の夕飯は、きっと賑やかになるだろう。
「神楽、誕生日おめでとう」
「ワン!」
「アリガト!!」
はじめて迎えた神楽の誕生日は、家族が増えた特別な日となった。
