『Title:夢を見る前に』



 夜、押し入れの中に入ってから、どれくらいの時間が経っただろうか。
 電気の灯りの消えた部屋の奥、更に色濃い夜の色で満たされている自分の寝室で、神楽は天井を仰いでいた。意識せずにはいられないほど高鳴っている心臓の音をきいているうちに、寝るときの自分に合う身体の向きがわからなくなり、左右に転がり続けた末、今は仰向けの姿勢に落ち着いている。
 更けていく夜のしじまに埋め尽くされてゆく空間の中。恐怖や寂しさを感じることも、早く眠らなければならないという焦りが生じることも、今日はない。むしろ、今、眠ってしまうのはもったいない、とすら思えてくるのだから、今日の自分がどんなに浮かれているのかがよくわかる。
 神楽は人差し指と中指で自分の唇に触れた。今日、自分の身に起きた夢のような出来事。一度目は軽く、二度目は深く触れて離れていった銀時の唇の感触を、神楽は思い出す。
 銀時は自分にとっての何なのか。地球でのお父さん、もしくはお兄ちゃんみたいな存在だと、友達に話していたこともある。しかし、これからは、違う。
 今日、銀時とキスをした。
 神楽は自分の顔に集まってくる熱を逃す術なく、枕に顔を擦りつけた。
 銀時は自分にとっての何なのか、これからこの関係を何と呼んでゆけばいいのか。のぼせた頭で考えながら、夢心地のまま過ぎてゆこうとする今日という日を、神楽は振り返る。
 何時間も前の出来事のように感じられるが、まだ、二、三時間前のことだ。夕飯を食べ、風呂に入り、テレビを観ながらソファでくつろぐ、何の変哲もない一日の終わり。それが、何の予兆もなく特別なものへ変わってゆくとは、このとき神楽は夢にも思っていなかった。
 テレビには、結婚式の前日、嫁にいく娘が両親に挨拶をしている映像が流れていた。お茶の間へ感動を届けるのが趣旨の番組なのだろう。涙を流す両親と娘の映像にもらい泣きをしている出演者の様子も、画面の隅には映し出されている。
 眠気も手伝ってぼんやりとそれを眺めていると、自分の隣でそれを見ていた銀時が、「神楽もいつか、こうやって嫁にいくんだろうな……」と口にするのがきこえた。
 独り言だろうか。焦点の定まらぬ目に、銀時が返事を求めていないことはわかったが、何も告げずにいると、銀時の発言を肯定することになってしまうような気がして、神楽は口を開いた。
「もし私がお嫁にいったら、銀ちゃんも泣くアルか?」
 銀時は一瞬、返事があったことに驚いたような顔をした。無意識のうちに出た言葉だったのだろう。自分の存在を今思い出したといわんばかりの表情を浮かべている。しかし銀時は誤魔化すことをしなかった。銀時は静かな声を落とし、自分に返事をくれた。
「……どうだろうな」
 否定でも肯定でもない返事。一度伏せられた銀時の目が、再びテレビ画面へと戻ってゆく。銀時の横顔が寂寥の色に染められてゆくのが見えて、神楽は頭の中で考えるより先に、声を上げていた。
「銀ちゃん! 私は、嫁になんていかないアルヨ!」
「…………」
 銀時はテレビ画面を見つめたまま、目を細めた。
「私はずーっとここにいるアル!」
 黙って自分の声をきいてくれている銀時の目元には、優しさが滲み出ている。数秒の間のあと、こちらを向いて、しかし目を合わさずに、銀時は苦笑した。
「……お前、一生ここにいるつもりかよ」
 子どもが語る夢に、大人が相槌を打つような声音だった。銀時は、自分がいつか万事屋を出て行くと思っているのだろう。そして、二度と帰って来ないとでも考えているに違いない。
 銀時と離れたくはない、これまでもこれからも揺らぎようのない気持ちであるのに、自分の想いは銀時に伝わっていなかった。
「そーヨ」
 幾分強い口調で銀時に返事をすると、銀時の大きな掌が自分の頭上に向かって伸びてくる。
 表情ひとつ変えない銀時に髪を大きくかき混ぜられながら、これ以上踏み込むなと言われているような気がして、神楽は口を噤んだ。
「明日は七時起きだからな、そろそろ寝るぞ」
 その話はもう終いだとでもいわんばかりに、銀時はテレビの電源を落とし、寝室へ向かおうとする。背中を向けて歩き出した銀時を追いかけることができず、銀時の背中を見つめながら、神楽は心の内で溢れている言葉を零した。
 銀時に聞こえるか聞こえないかの小さな声で、忍ぶ恋を、詠うように。
「私は、ずっと、銀ちゃんの側にいたいアル」
 銀時が立ち止まるのが見えて、神楽は小さく震えた。銀時がこちらを振り返る予感。目を合わせる勇気はなかったが、身体が硬直して動かない。見つめていた背中が振り返る。音のない静かな部屋に響く足音。天井にある電気の灯りが、銀時の影で遮られる。
「……神楽」
 自分の名を呼ぶ銀時の声は、これまで聞いたことのない男の声をしていた。
 見上げた銀時の顔は、これまで見たことのない男の顔をしていた。――瞬きすらできなくなるほど、釘づけにされてしまう。
 どれほどの時間、互いに見つめ合っていただろうか。時間の流れとともに、自分に落ちてくる影がしだいに濃くなっていき、唇にかすかな衝撃が走った。
 反射的に閉じた目を開く。部屋の灯りが目に眩しく、銀時がわずかに遠のいたのがわかった。
 自分たちは今、何をしたのだろう。
 熱い眼差しで見つめられて、どうすれば良いのかわからず、神楽は視線を落とした。自分の知らない銀時に戸惑いながらも、心臓の音は正直で、隠しようもなくなった恋心を露わにしてゆく。
 衣擦れの音がきこえて、思わず身構える。肩が震えてしまい、それをうまく誤魔化せずにいると、「嫌だったか?」と銀時の声がした。髪が乱れるのもかまわず、左右に大きく首を振ると、銀時が笑う気配が伝わってくる。
 銀時は自分の目の前に座り込み、これまでとは逆で、見下ろすのではなく、こちらを見上げてきた。目を逸らしてしまいそうになる前に、顎を摑まれ、銀時の目に逃げ場を奪われて、息を呑む。
 今度は互いの意思を確認し合うように近づいてきた銀時の唇が、自分のそれと重なった。顔を傾けた銀時に、唇を深く覆われて、縋りつくように銀時の肩に手を乗せる。
 長い間、キスを繰り返した。
「……銀ちゃ、もう……」
 呼吸のできない息苦しさを伝えると、銀時の唇が離れてゆく。大きな掌に頭を撫でられて、その心地よさに目を閉じると、「おやすみ」と優しい声が降りてきた。
 目を開くと、寝室へ向かう銀時の背中が見える。恍惚として、男の背中を神楽は見送った。
 それからわずか、二、三時間後。記憶を辿っているうちに、ますます眠れなくなってしまい、神楽は押し入れの外へと出た。窓から見える星に惹かれ、灯りのない部屋を歩き、窓辺へ寄った。窓を開けると、夏の名残ともいえる、湿気のある夜気に頬を撫でられる。
 静かな夜の景色を眺めていても、胸がそわそわとして落ち着かなかった。自然と緩む頬、弾む胸の音、顔の熱。眠っていないのに、夢の中にいるような心地がした。
 夜の天井の暗がりが、眼前に広がる小さな光の粒を輝かせる。いつもより今夜の方が、天に瞬く星が美しいと感じるのだから、いかに自分の見ている世界が、銀時を中心として回っていたのかを思い知らされる。
 遠くには、地上から天に伸びてゆくような、ターミナルの灯り。目を細めてそれを眺めていると、背後で小さな物音がした。振り返ると、和室で眠っているはずの銀時の姿がある。
「銀ちゃん?!」
「よォ」
 ぎこちなさそうに手を挙げた銀時が、大股歩きでこちらに近づいてくる。自分の立てた物音で起こしてしまったのではないかと心配になり、窓の前で隣に並んだ銀時に神楽は問いかけた。
「……起こしちゃったアルか?」
「いや」
 銀時の声は穏やかだった。銀時は窓の外に目を向けた。近くで見る銀時の横顔には、今まで眠っていたような様子が欠片も見当たらない。銀時もずっと起きていたのではないかと神楽は思った。
「銀ちゃんも眠れないアルか?」
「まァ、そんな所だ。お前こそ、こんな所で何してんだよ」
 銀時の視線がこちらに降りてくるのがわかり、神楽は慌てて窓の外へと視線をやった。
「べ……別に何もしてないネ」
 銀時とキスをしたことを思い出しているうちに眠れなくなり、今こうしているとは絶対に言えない。この不自然な振る舞いに気づかれてしまう前に平静を装おうとしていると、間延びした銀時の声がして、神楽は瞬きをした。
「今日の星は一段とキレイだなァ」
 銀時の言葉に、嬉しさが込み上げる。同じ空の下で、同じことを思う。それは、いくつもの星を越えてやってきた自分にとっての、儚い奇跡だった。
 銀時の視線が、夜空の星から、遠くの灯りへと注がれてゆくのがわかる。この街の夜空に光を与えるターミナルの灯りが、銀時を引き寄せたのだろう。
 沈黙が降りた。宇宙の遠い星が自分の生まれた場所であり、これからも忘れることのない故郷だ。もし自分が万事屋を離れるとしたら、今、銀時が見つめているターミナルが、別れの場所となるのだろう。
 しかし、どうしても、この恋だけは手離すことができない。だから、遠くの灯りに別れを告げることを、神楽はいつからか心に決めていた。
 銀時の寝間着の袖を、神楽はわずかに力をこめた手で、引っ張った。自分の意思は銀時に伝わっているだろう。今は、自分の想いが、銀時に許されることを願いたかった。
「……銀ちゃん、私、ずっとここにいていいアルか?」
「……お前の好きにすりゃいい」
「……ウン。じゃあ好きにするネ」
 銀時の袖を手放す。神楽は微笑した。銀時にとっての自分が、子どもや妹のような存在であったとしても、そうでなくても、銀時の応えは変わらない。そう思える、いつもの銀時らしい応えだった。自分達の関係が変わっても、全てが変わるわけではないのだと、安心できた。
 笑みを絶やさずにいると、低い男の声が隣からきこえてきて、神楽は目を見張った。
「そのかわり、お前が一生ここにいると決めた以上、俺も我慢しねーから」
「え?」
 銀時に腕を摑まれる。銀時の掌は、ひどく熱い。そのまま強く引き寄せられて、掌の熱が背中へと回り、銀時に抱きしめられていることを自覚した。
 どこからか、日付が変わったことを告げる時計の音がする。
 銀時は自分にとっての何なのか。自分は銀時にとっての何なのか。今日から、この関係を、何と呼び、どう語ろう。
 銀時以外、何も見えなくなった。銀時の背中に手を回して、男が今、何を見て、何を聞いて、何を思っているのかを考えた。
 目を閉じて、夢の中へと辿り着く前に、神楽は銀時と同じ世界を見ていたかった。



FIN





[初出:2013/3/24Twitter呟:2012/12/27 他]