※閲覧注意※(銀時×モブ要素含)



 神楽には宝ものがある。それは、銀時から未来の自分へのプレゼントだ。
 未来の自分のために、神楽はそれを押し入れの中で大切に保管していた。夜、押し入れの中で、それの存在を思い出しては、こっそりと声を出さずに微笑む、そんな日々を繰り返した。
 地球に降り立ち、万事屋に住みはじめてまだ間もない頃。銀時、新八、定春と一緒に昼間の商店街を歩いていたときのことだ。視界の隅に銀色の光が走って、神楽は見慣れぬ露店の前で立ち止まった。漆黒の厚い布の上に、自分には縁のない、きらびやかなアクセサリーが並んでいる。その中のひとつ――陽の光を反射させ、銀色の光を放つペンダントに、神楽は目を離せなくなった。
「どした? 神楽」
 銀時の声に我に返る。隣を見やれば、銀時と新八が不思議そうな目でこちらを見ていた。揶揄されることはないだろうが、女の子が身につけるようなアクセサリーに関心があることを、ふたりに気づかれてしまうのには抵抗がある。興味のない振りをしなければ、と神楽の心は急いた。
「な……なんでもないアル」
「……。……ほしいのか?」
 一瞬、心の中を読まれてしまったのかと焦ってしまい、肩が跳ね上がった。慌てて否定の答えを返す。
「……そ、そんなんじゃないネ。こんなチャラついたモン、ほしくなんかないアル」
「……そうか。じゃあ、行くぞ」
「……ウ、ウン……」
 用がないのであればここに留まる理由もないだろうと促す銀時に返事をした。だが、どうしてもペンダントの前から離れることができない。露店を離れ、前へ進んで行く銀時を追いかけられずにいると、今度は幾分大きな声で名前を呼ばれた。
「オーイ、神楽ァ!」
「…………あ」
 名前を呼ばれるのと同時に、ペンダントが不思議な形をしていることに神楽は気がついた。銀色の鎖の先にあるハート型のペンダントトップには、蓋がついていた。銀時が自分を呼んでいるのはわかっていたが、神楽は返事を忘れて、それに見入ってしまう。ハートの中身はどうなっているのだろう。触って確かめてみたいと思ったが、ペンダントのことを知れば知るほど、ますますほしくなってしまいそうな気がして、神楽は我慢した。
「おもちゃ屋の前で、ほしいモンがあると動かなくなるガキがいるだろ。アレだよアレ。お母さんは大変だな、オイ。……アレ? 俺、お母さん?」
「……ちょっと銀さん! 神楽ちゃんに聞こえますよ」
 露店からわずかに離れた場所にいる、銀時と新八の会話が耳に届く。これ以上、銀時達を待たせるわけにはいかない。神楽は店の前から立ち去ることを決意した。しかしそこで、これまで一言もしゃべらなかった店の主が口を開く。店の主は、白髪混じりの長い髪を後ろで束ねた、初老の女性だった。
「……これはロケットペンダントといってね、こうすると、中に写真を入れることができるんだよ」
 店の主はそう言うと、ペンダントトップに触れて蓋を開いた。神楽は思わず感嘆の声を上げてしまう。後ろから銀時が近づいてくるのがわかったが、神楽はかまわず店の主の声に耳を傾けた。
「お嬢さんに好きな人ができたとき、その人の写真を入れるといいよ」
「……好きな人、アルか……」
「……神楽。お前にはまだ早い」
 背後から銀時の声がして、神楽は後ろを振り返った。銀時はまっすぐこちらを見ている。新八と定春は、離れた場所から、様子を窺うようにしてこちらを見ていた。
「……そーアルな」
 神楽は声を落として返事をした。自分にはまだ早い、という銀時の意見には同意せざるを得ない。好きな人ができる――つまり、誰かに恋をする、ということが、自分にはまだよくわからないのだ。それに、好きな人の写真を入れたペンダントを身につけている今の自分の姿が、まず、想像できない。
 神楽は番傘を低く傾けて、自分の顔を隠した。聞き分けのない子どもだと叱られる前に、店から離れるべきだろう。靴で地面を擦りつけ、神楽は店に背を向け歩き出した。すると、定春が「わん!」と鳴き、その隣にいる新八が、後ろ、後ろ、と手で合図するのが見える。神楽は店の方向を振り返った。
「コレ、いくらだ?」
「お兄さん、お嬢さんに買ってあげるのかい?」
 銀時と店の主が会話をしているのがきこえる。こちらに向かってウィンクした店の主に首を傾げてすぐ、銀時が財布の中からお金を取り出し、店の主に渡すのが見えた。神楽は信じられない気持ちで、その光景を眺めた。
「はい、おつり。お兄さん、ありがとう」
「ああ」
 ハート型のペンダントを受け取った銀時は、店の主に礼を言ってから、こちらに向かって歩いてくる。
 銀時の大きな掌の上できらきらと輝くペンダントを目の前にして、神楽は泣きたくなった。泣きたくなるほどほしかったのだろうか。自問するが、理由は見つからない。
 目の前にやってきた銀時は、「ホラ、手、出せ」と、ペンダントを握りしめた拳を振った。お前にはまだ早いと言っていた銀時が、自分にペンダントを与えてくれようとしている。その矛盾に、神楽は手を差し出すことができないまま、銀時に問うた。
「銀ちゃん、どうして……」
「……今のお前にはまだ早いからな。……これは、未来のお前にやることにした」
「……未来の、私?」
 思いもよらぬ銀時の言葉に、神楽は瞬きをする。
 銀時は頷くかわりに笑みを浮かべて、「……お前が必要になるときまで、大事にとっとけ」と言った。
 今の自分にとっては、想像もできない未来。
 いつか、自分も恋をして、この銀色のペンダントに好きな人の写真を入れる日がくるのだろうか。
 信じられない気持ちが半分。そして、もう半分は――神楽は大きく頷いて、銀時からペンダントを受け取った。
「……アリガト、銀ちゃん」
 銀時の大きな掌から、一回り小さい自分の掌の上に、銀色が降りてくる。手から零れ落ちたペンダントの鎖が、陽を反射する光の粒を、穏やかな風の中にそよがせてゆく。
 神楽はペンダントを大事に手の中で抱きしめた。
 それは、優しい記憶だった。
 思い出は美しく胸の中で育まれていった。
 そして二年後。銀時の言う「未来」へと、神楽は辿り着いた。
 しかし、神楽を待っていた「未来」は、優しい記憶を苦しい現実で塗りかえようとしていた。
 ペンダントを銀時からもらったとき、こんな「未来」が待っていることは想像できるはずもなかった。
 好きになった人は、これまで恋愛対象として意識したことのなかった男で、すべてを失ってようやく気づいた初恋は、自分の胸だけに留めておかねばならない片恋となった。
 その男に恋人がいることを知ったのは、梅雨が明け、新緑に残る雨粒が陽の熱に恋焦がれる時期だった。公園で遊んでいる最中に水溜りで靴を汚してしまい、一度家に帰ろうと急ぎ足で万事屋に向かっていたときだ。公園から万事屋に続く曲がり角で、神楽は男と肩を並べて歩く女の姿を見た。最初は、男の知り合い、もしくは、仕事の依頼主だろうと神楽は思った。ところが、気づかれないよう男のあとを追いかけてすぐ、それは違うのだという現実を突きつけられた。再び角を曲がり、人の少ない通りに入ると、男は女の肩を抱いて引き寄せた。表情は見えないが、男の肩に寄りかかるようにして女が身を寄せている。それだけで、十分、ふたりがどんな関係であるかはわかってしまった。女の背中で揺れる長い黒髪が視界にちらついた。視界が知らない色で塗りつぶされてゆくのに耐えられず、神楽はふたりに背を向けて走り出した。
 その日から、眠れない夜がはじまった。
 電気の消された部屋の、更に暗い場所である押し入れの中で、神楽は寝返りを繰り返していた。目を閉じれば瞼の裏に、目を開けば押し入れの天井に、昼間見た光景がよみがえった。
 男は「自分は女にモテない」と口癖のように言っていたが、事実は異なっている。その証拠に、男は幾度となく周囲の女を魅了してきた。いつかこうなる日が来るだろう、と漠然と考えたことはあった。だから、もし、その日がやってきたとしても、万事屋にいられるという大切な日常さえ失われなければ、さしたる問題もなく受け入れられる、そう思っていた。だが、今の自分はどうだろう。時間が経てば経つほど胸に降り積もってゆく真逆の意思を、取り払うことができずにいる。
 神楽は枕に顔を埋めた。枕に浸み込んでゆく温かい滴を意識せずにすむよう、枕に顔を擦りつけた。子どもの頃のように、疲れるほど泣けば、眠れるかもしれない。目を閉じているのか開いているのかわからない暗がりの中。神楽は枕の隅を指で握りしめ、小さく鼻を啜った。
 ふと、押し入れの襖が開く音がして、神楽は硬直した。咄嗟に目を閉じ、眠った振りをする。よく知った男の気配に安堵してすぐ、視線を感じて身体が強張った。何のためにこんなことをしているのだろうかと考えている途中で、ゆっくりと襖が閉まる。襖の開閉はひどく静かで、自分を起こさないよう気を遣ってくれているのが手にとるようにわかった。
 男の足音が押し入れから遠ざかってゆく。その音の行先に、神楽の胸は不安で震えた。男は寝室ではなく玄関へと向かっている。足音が途絶えてすぐ、玄関の扉が開き、閉まる音がした。
 神楽は仰向けになり、天井を仰いだ。男は、自分が眠っているかどうかを確認したのだろう。そして、眠った振りは気づかれることなく、男を外へ向かわせた。酒を呑みに行くのには遅すぎる時間だ。男は恋人に逢いに行ったに違いない。
 その日、夜が明け男が帰ってくるまで、神楽は眠ることができなかった。
 眠れぬ夜に終わりはなかった。
 週に数回、男が夜中に外へ出かけてゆくのを神楽は知った。これまで気がつかなかっただけで、男は恋人ができてから度々こうして逢瀬を繰り返していたのだろう。
 夜中の男の行動を知ってからというもの、夜、押し入れの中に入ってからずっと、神楽は目を開いたまま耳を澄ませるようになっていた。男の足音を拾い、押し入れの襖が開かれるのと同時に眠った振りをして、男が外へ出かけてゆく音をきく。自分の心を痛めつけるとわかっていながら、それでも神楽は、現実を受け入れることに必死になった。
 しかし、とうとう失敗の日はやって来る。夜も更け、浅い眠気が訪れた頃。今夜は外出しないだろうと油断し、男の足音をきき逃した。男が押し入れの襖を開くのと同時に寝返りを打って目を開いてしまい、男と目が合ってしまう。男は一瞬驚いた顔をして、「眠れないのか?」と、子守をする大人の声音で問いかけてきた。
 眠れないのだと事実を告げる前に、自分にそれをきいて男はどうする気なのだろうと神楽は考えた。問いかけを否定し、いつものように眠った振りをすれば、男は恋人の元へ行ってしまうだろう。問いかけを肯定すれば――男はどこにも行かず、ここにいてくれるのだろうか。
「……眠れないアル」
 胸に吹き溜まりを作る、吐き気をもよおすほどの、罪悪感。自己嫌悪で男の顔を見ることができず、手には汗が滲んだ。男は「しょーがねーな」と言い、押し入れからよく見えるソファの上に寝転んだ。
「ここにいてやるから、何かあったら呼べ」
「……ウン」
 男はテレビをつけ、音量を下げた。以前、ラジオの音で眠ったのを覚えていてくれたのだろう。静寂が消えれば、眠れると思ったのかもしれない。神楽は押し入れの襖を開けたまま、男とテレビを交互に見つめた。
 眠れぬ自分に付き添ってここに残ってくれた男は、自分が眠ったあと、どうするのだろう。いつものように、外へ出かけてしまうのだろうか。
 眠った振りをするのではなく、本当に眠ることができれば、男が出かけてゆくのを知らずにすむのにと、神楽は目を閉じてこっそり涙を零した。
 次に目を開いたときには、朝になっていた。テレビはつけたままになっている。おそるおそるソファの上を見やると、男が眠っていた。男は上に何もかけていなかった。夏場とはいえ、このままでは風邪を引いてしまうだろう。神楽は押し入れから出て、タオルケットを探し、男の身体にかけた。
「……ずっと、ここにいてくれたアルか?」
 男に問いかけるには小さすぎる声で、呟く。眠っている男から答えが返ってくるはずもない。それに、返事はきかずともわかっていた。つけたままになっているテレビが、それを教えてくれている。男はずっとここにいてくれたのだ。
 どこへも行かなかった男の姿を見て安堵した自分に、神楽は苛立ちを覚えた。
 邪魔者にだけはなりたくなかったのに、そう思われても仕方のないことを、自分はしてしまったのだ。
 自分以外の女の元へ行ってほしくない。そう思ってしまった感情の行く先にある答えを、神楽は自分で認めなければならなかった。
 神楽は押し入れに戻り、銀色のペンダントを取り出した。銀時からペンダントを受け取った日に思い描いた「未来」。銀色に映し出されているのは、それとは異なった色をしている世界だった。
 神楽は押し入れの中にある写真をいくつか取り出し、その中から一枚を選び出した。写真に写る男の姿に、懐かしさが込み上げた。ペンダントトップの形に合わせて写真を切り取り、自分達が辿ってきた軌跡を指でなぞるようにして、そこに写真を嵌め込んだ。
「……銀ちゃん」
 銀色のペンダントに向けて、神楽は呼びかける。
 まるで最初からこうなることが決まっていたかのように、銀時の写真は銀色のペンダントによく合っていた。この銀色のペンダントが、銀時の写真を待っていたのではないかと、思えてしまうほどに。
 神楽は銀色のペンダントを首にかけ、何かにぶつかって壊れたりしないように、衿を摑んで上着と肌の間へと滑り込ませた。肌に直接触れるペンダントは冷たかった。胸のあたりで揺れるペンダントの存在に違和感を覚えたが、金属の冷たさが肌の温度で温められてゆくのと同時に、心臓に最も近い場所であるそこに、銀色が馴染んでゆくのがわかった。
 上着の上からペンダントの形をなぞっていると、ソファから銀時の欠伸がきこえてきた。慌てて手を下ろし、ソファへと目を向けると、銀時が大きく伸びをするのが見える。銀時はソファに座ったまま左右を見渡し、「アレ……俺、いつの間に寝ちまったんだ?」と独り言を言った。つけたままのテレビからは、朝の天気予報が流れはじめている。テレビ画面の背景には海があり、結野アナが「今日は全国的に晴れ。海水浴日和です」と告げていた。銀時は、結野アナの声で起きたのだろう。「もう朝か……」と更に独り言を続ける銀時に、神楽は近づいた。
「おはよう、銀ちゃん」
「……おう。……お前、昨日は眠れたか?」
 銀時の目はまだ完全に開いておらず、斜め下を向いている。寝癖なのか髪質なのか判断のつかない乱れた髪をかきながら、銀時は昨夜の出来事を思い出すようにして言った。
 昨夜を思い起こさせる銀時の言葉に、動揺する。神楽は震えそうになった声を一度押し留めて、小さく息を吸い込んだ。意識すればするほど自分の普段通りの声がわからなくなってゆくが、不自然な間ができてしまうことは避けねばならない。焦りが乗じて、早く、早く、と神楽は自分を急かした。声の走りはぎこちなかったが、すぐにいつもの調子を取り戻した。
「……ウン。アリガト、銀ちゃん」
 礼を告げると、頭をかいていた銀時の手がとまった。静寂に怯えてしまい、一歩後退する。顔を上げた銀時と目が合った。見慣れた寝起きの顔であるはずなのに、摩擦が生じたような、棘のある視線を向けられているのを感じる。しかしそれは、自分の気のせいだったのかもしれないと思えるほどに、一瞬の出来事だった。
 夜を迎え、押し入れの中に入ると、神楽は首から外したペンダントを枕元に置き、両手で抱きしめた。
 銀時の足音。押し入れの襖が開く音。玄関の扉が開く音。恋人の元へ向かう銀時の音に耳を傾けながら、神楽はずっとペンダントを強く抱きしめていた。
 音が静まり、銀時のいなくなった家の中。押し入れの襖を開き、月明かりを頼りにしてペンダントの蓋を開く。ペンダントの中で笑っている銀時を見て、神楽は笑った。自分のよく知る銀時が、この中にいる。そう思うと、自然と心が落ち着いた。
 ペンダントを抱きしめたまま眠り、朝を迎えた。首にペンダントをかけている途中で、押し入れの襖が開き、神楽は驚いて顔を上げた。襖を開いた銀時は、寝間着姿ではなかった。開いた襖の向こう側には新八の姿も見える。どうやら寝過ごしてしまったらしい。
 ふと、銀時の目がペンダントへ向けられているのがわかって、神楽は緊張した。銀時の視線の強さが、ペンダントを睨んでいるようにも見えてくる。鎖の先にあるハートを手の中に抱きしめると、銀時の視線はますます強くなり、そして、断ち切られた。
「顔、洗って来い」
 一言言い残して、銀時は自分に背を向ける。銀時の冷たい声に返事ができず、神楽は逃げるようにして洗面所へと走った。
 その日一日中、銀時は寡黙だった。ソファに座って手を組み、首を垂れ、何か考え事をしているように見えた。視線が重なり合うことはなかったが、銀時に見られていると感じるときが度々あった。時折感じる視線は、首筋で存在を主張するペンダントの鎖へと向けられていた。神楽は服の上からペンダントに触れて、自分の心が銀時に知られることのないよう祈った。
 夜になり、銀時はいつものように外へと出かけて行った。連日、銀時が恋人の元へ向かうのは、神楽が眠れぬ夜を過ごすようになって、はじめてのことだった。
 銀時との距離が日に日に離れてゆく。物理的な距離の広がりは、心のすれ違いを生んでゆく。万事屋での日常を守ってゆくためには、これから先もずっと、近づくことのない距離に耐えていかなければならないのだろう。神楽は枕に埋めた顔を左右に擦りつけた。心が押し潰されてしまう前に、思考を振り払った。
 朝を迎えても、銀時は帰って来なかった。テレビからは朝の天気予報が流れはじめている。「銀さん、どこに行ったんだろう」と首を傾げる新八に何も応えられず、神楽は俯いた。そして、心の拠り所とするように、神楽は上着の上からペンダントに触れた。
「……神楽ちゃん」
 新八に名を呼ばれて、神楽は顔を上げる。新八は「首から何か下げてるの?」と問いかけてきた。上着では完全に隠すことができないペンダントの鎖に、新八は気づいていたようだった。
「……ウン」
 新八に返事をして、神楽は衿に手を突っ込み、ペンダントを取り出した。
「神楽ちゃん、それは……」
「……覚えてるアルか?」
「覚えてるよ。銀さんが神楽ちゃんにプレゼントしたんだよね」
「……ウン。私の宝ものアル」
 掌の上に乗せたペンダントは、あの頃と変わらずきらきらと輝いている。銀色を握りしめると、涙腺が緩んだ。
「……神楽ちゃん?」
 堪え切れず下を向く。心配そうに覗きこんできた新八に「大丈夫アルヨ」と返事をした。
「……銀ちゃんはどこに行っちゃったんだろうネ」
 ペンダントを握りしめて、「早く帰って来てヨ、銀ちゃん」と心の中で呟く。逢瀬のために出かけて行った本人の前では言えない言葉だが、ペンダントの中で笑う好きな人には、素直に言うことができた。
 自分の声を聞き届けたように、ペンダントが銀色の光を生み出す。すると、急に辺りが静まり、波の音がきこえて、神楽はテレビに目をやった。テレビ画面の背景には、朝焼けの海が広がっている。天気予報の時間であったのにも関わらず、結野アナの声はきこえなかった。誰もいない海だけがそこに広がっている。不可思議な静寂の中。銀時の名を叫ぶ自分の声がきこえたような気がして、神楽はかぶりを振った。
 日が暮れても、銀時は帰って来なかった。明日の朝になっても帰って来なければ探しに行こうと約束し、帰ってゆく新八の背中を見送った。
 静かな夏の夜。窓の外から虫の鳴き声がきこえて、神楽は閉じていた目を開いた。夜も更け、銀時がいつも恋人の元へ向かう時間帯になってようやく、銀時は帰って来た。玄関の扉の音に続いて、足音が押し入れと近づいてくる。神楽が目を閉じるのと同時に襖が開いた。高鳴る胸の音が銀時に届きはしないだろうかと心配になりながらも、神楽は呼吸をおさえて銀時が立ち去るのを待った。
 いつもよりも長い時間。銀時は押し入れの前で留まっていた。銀時がわずかに身じろぐ音がして、頭に温かな掌の感触が広がった。銀時に頭を撫でられているとわかって、混乱のあまり寝返りを打ってしまう。銀時に背を向けてしまうと、銀時の手は離れ、しばらくしてから、押し入れの襖が閉まる音がした。銀時の足音は遠ざかり、寝室へと向かっている。音がきこえなくなったのを見計らって、神楽は目を開いた。心臓が激しく音を立てている。縋れるものを掌で探し、ペンダントを強く握りしめた。
 銀時の手は、自分の知っている頭の撫で方をしていなかった。大きく温かな掌に、大切にされていると感じた。恋人がいるのに、なぜ、こんなことをするのだろう。銀時の心がますますわからなくなり、胸から溢れ出る感情をおさえきれず、神楽は起き上がった。
 銀時に好きだと言ってしまいたかった。それが許されることではないこともわかっていた。もし言ってしまえば、恋人のいる銀時に迷惑をかけてしまうばかりか、万事屋での生活もぎこちないものになってしまうだろう。それだけは、なんとしてでも避けたかった。
 必然的な衝動は、朝に見た、誰もいない海の光景を、神楽の目の前に手繰り寄せる。――銀時に知られることさえなければ良い。誰もいない場所で、銀時のことを好きだと、叫んでしまいたい。
 月明かりが最も眩しくなる時間を待ち、神楽は服を着替えた。宝ものであるペンダントは押し入れに残して、いつも銀時がしていることと同じ手順を辿った。和室へ行き、銀時が眠っているかどうかを確認すると、寝息を立てている銀時を起こさないようにその場から去り、音を立てないよう慎重に玄関の扉を開いて外に出た。背中に番傘をくくりつけながら、静かに階下へと下り、夏の夜空を仰いだ。
 夜中に外へ出るのは、これがはじめてではないが、知っているはずの街がいつになく遠く感じ、神楽は駆け足で街を出た。夏の風が、熱を帯びる頬を撫でてゆく。自分の足音のせいだろうか、蝉が昼間だと勘違いしたような声で鳴くのを背後にききながら、神楽は走った。時間は多くは残されていない。朝、銀時が目を覚ます前に、万事屋へ戻らなければならなかった。
 夜空の底に、一筋の光が射し込む頃。神楽は走るのをやめて、立ち止まった。そこは、上を向かずとも、空を眺めることのできる場所だった。水平線の向こうから昇る陽が、空の闇に光を与えはじめている。道から外れ、砂浜に降り立ち、神楽は波打ち際へと歩んだ。
 波の音が近づくにつれて、これまで堪えてきたものが胸から込み上げ、溢れはじめた。雨の降りはじめのように、乾いた砂浜には涙が一滴一滴落ちてゆく。瞳に浮かぶ涙の膜には、朝陽を受けて輝く波の光が、いくつもの円となって描かれていた。一歩一歩進んでゆく足が砂に嵌まり込んでゆく。砂の窪みに足跡を残していきながら、靴の先がわずかに海水と触れ合う距離になるまで近づいて、神楽は胸に手を当てた。
 押し入れの中に置いてきた銀色のペンダントを思い出す。これまでもこれからも、告げることの許されない銀時への想いは、届くことなく、ペンダントの中へとかえってゆくのだろう。
 涙で唇が濡れてゆくのもかまわず、神楽は叫んだ。
「銀ちゃんがァァァァァ好きィィィィィ!!」
 鳥が飛び立つ。一際大きい波の音が、鼓膜を震わせる。大きく息を吸い込むと、夏に包まれた潮の香りがした。
「銀、ちゃんが……大好きィィィィィィィィィィ!!」
 腹の底から声を張り上げると、この地球を覆っている空の彼方まで、自分の想いが届きそうな気がした。
「銀ちゃんんんんんんんんんん!! 大好きィィィィィィィィィィ!!」
 神楽は声が枯れても叫んだ。それは、現実に苦しんでいる自分に向けての慰めでもあった。この星の優しい記憶が、神楽の哀しみを飲み込んだ。
 群れとなって飛び立った鳥たちが、空にまばらな点を描きはじめるのを遠くに見つめながら、神楽は小さく鼻を啜る。自然と顔が綻んでゆくのがわかり、神楽は目尻に溜まっていた涙を手で拭った。
 水面に映し出される夜明けの色が、神楽の頬を染めてゆく。瞬く間に空へ昇ってゆく陽を目の前にして、神楽は番傘を開き、頭上に高く掲げた。早く万事屋に帰らなければ、目を覚ました銀時に、自分の不在を気づかれてしまうだろう。
 神楽は朝焼けの海に別れを告げて、今、目の前に見えている現実の世界へと駆け出した。
 万事屋に帰り着く頃には、陽は天へと昇りつめ、街は朝の喧騒で溢れていた。階段を上り、音を立てないよう両手で静かに玄関の扉を開く。銀時はまだ眠っているだろうか。耳を澄ませながら靴を脱いでいると、こちらに向かって駆けてくる足音がきこえた。
「神楽ちゃん?!」
 新八の声に神楽は靴を脱ぐのをやめた。新八の後ろからは、銀時が大股でやって来る。
「神楽!」
 いつになく大きい声で銀時に名前を呼ばれて、神楽はすくみ上がった。「今までどこに行ってたんだ!!」と更に大きな声で言われて、神楽は銀時の顔を見ることができずに俯いた。
「……誰もいない所に、行ってたアル」
 身を包む静寂に、ふたりと目を合わせられないまま視線を彷徨わせていると、見慣れた銀色の鎖が、銀時の大きな手から零れ落ちているのが見えた。銀時の手の中には、押し入れに残してきた銀色のペンダントが握られていた。それを握りしめたまま、銀時がこちらへと近づいてくる。反射的にかたく目を閉じると、首に金属の冷たさが伝った。目を開けば、自分の首にかけられた銀色のペンダントが見える。銀時を見上げると、目が合ってすぐに、銀時の視線は玄関の扉へと逸らされてしまった。
「新八、ちょっと出かけてくる」
「はい」
 新八が返事するのと同時に、玄関の扉が閉まった。何の表情も読み取れない扉の音は、余韻だけをそこに残した。銀時はどこへ出かけて行ったのだろう。玄関の扉を見つめたまま佇んでいると、「大丈夫。銀さんならすぐに帰って来るよ」と、普段通りの声で新八が言った。そして、「……神楽ちゃん、お腹空いたでしょ? 朝ご飯、すぐ作るからね」と、部屋の中へ入るよう促す新八に頷いて、神楽は靴を脱いだ。
 新八の作ってくれた朝ご飯を食べ終えると、向かい側のソファに座っていた新八が、こちらを窺うように見て言った。
「そのペンダントの中にあるのは……銀さんの写真?」
「……ウン」
 否定することだけはどうしてもできず頷いたあと、新八が知っていることに驚いて、「なんで知ってるアルか?」と神楽は問い返した。
「……ペンダントから神楽ちゃんの声がきこえたような気がするって、銀さんが言ってたんだ」
「……え」
 明け方、目を覚ました銀時が押し入れの襖を開いたとき、その不思議な現象が起こったのだという。ふたりはペンダントの中身を見ていないようだった。しかし、ペンダントから発せられた自分の声が、ふたりに何を伝えようとしたのかは明白だった。
「神楽ちゃん。……まだ間に合う。まだ間に合うんだよ」
 新八の声に重なるようにして、玄関の扉が開く音がした。足音を響かせて部屋の中へ入ってきた銀時を見て、神楽は思わず立ち上がる。銀時の左頬には、平手打ちを食らったような痕が、赤く残っていた。
 新八は落ち着いた様子で救急箱を準備し、平静を失ってうろたえている自分にそれを持たせた。
「はい、神楽ちゃん」
「新八、これ……」
「銀さんと二人で、よく話し合うんだよ」
 救急箱を持ったまま佇んでいると、新八は「じゃあ僕、ちょっと買い物にでも行ってきます」と一言言い残して、玄関へと向かってしまった。ふたりきりになってしまったことへの動揺を隠すために、新八からあずかった救急箱を開いて、神楽は銀時にソファに座るよう促した。
 震える手で、救急箱の中から湿布を取り出し、銀時の左頬にそれを貼りつけた。湿布に寄った皺を伸ばすために銀時の頬に触れると、銀時が眉間に皺を寄せるのが見えて、慌てて手を離す。
「……痛いアルか?」
「……いや」
 明らかに痛そうな顔をしていたが、銀時は否定した。神楽は、今度はそっと頬に触れた。湿布の四隅を指でなぞっている途中で、銀時は「……女と、別れてきた」と静かな声で言った。
 平手打ちの痕が、別れ間際の銀時の恋人によるものだったと理解して、神楽は目を見開いた。
「……なんで」
「……お前が、そのペンダントを首にかけてるのを見たとき、気づいたんだよ」
「…………」
「……俺のやったモンに、俺以外の野郎の写真なんか入れんじゃねェ……そう思っちまった」
「…………」
「――バカだよな。今になってようやく気づくなんてよォ。俺はいつだってお前のことを一番に考えてきたっつーのに」
 神楽は信じられない気持ちで、銀時の声をきいていた。
 思い返したのは、夜、銀時が逢瀬を重ねてゆく日々だった。自分が眠っているかどうかを確認して外へ出かけて行った銀時の心が、眠れないと告げた日にどこへも行かず側にいてくれた銀時の本当の心が、今、目の前に見えたような気がした。
 神楽がペンダントを握りしめると、銀時は優しい笑みを深めてゆく。すべてを見透かされてしまうような気がして、神楽は慌ててペンダントから手を離した。かわりに、銀時の手が銀色のペンダントに届いた。
「銀、ちゃ……」
「……今朝、お前の声が、ここからきこえたような気がしたんだ」
「…………」
 銀色のペンダントを銀時の指がなぞっている。銀時が何をしようとしているのかがわかり、銀時から目を離すことができず、神楽は銀時を見つめた。
 急に辺りが静まり、ペンダントの蓋が開く音が、ふたりの間に響いた。
「――……俺だったんだな」
 自分の心の中を覗きこんだ銀時の声に、大粒の涙が神楽の頬を伝った。
 ――二年前。銀時からペンダントを受け取ったとき、泣きそうになったことを神楽は思い出していた。胸に迫り上がってくる感情は、あのときと同じものだった。今なら、あのときの自分の心がわかる。――確かな言葉を告げる前に、自分の気持ちが銀時に伝わったことが、嬉しかったのだ。
 神楽は頷いた。「ウン」と返事をしたけれど、それは声にならなかった。
 ペンダントから銀時の手が離れてゆく。神楽はその銀色を両手ですくいあげ、胸に抱きしめた。
 唇の上に伝ってきた涙の粒を飲み込む前に、銀時の唇がそれを吸い上げた。一瞬の接触のあと、銀時の大きな掌で両頬を包まれて、強く引き寄せられた。乾いて頬に張りついていた涙が、再びとけ出してゆくような感覚。幾筋もの涙が伝った頬を温める銀時の熱に、神楽は自分の告白が許されたことを知った。



 神楽には宝ものがある。それは、銀時から今の自分へのプレゼントだ。
「銀さん、神楽ちゃん、もっとくっついてください」
 カメラを持った新八に誘導されて、ぎこちなく距離を近づける。触れるか触れないかの距離で立ち止まり、不慣れな近さに、神楽は深呼吸をした。だが、それでもまだ距離が離れているらしい。写真を撮る側が後ろに退けば被写体は小さくなるはずだが、ペンダントに銀時と神楽の写った写真を入れることを提案した新八は、それをしなかった。
「銀さん、神楽ちゃん、もっとくっついてくれないとフレームに入りませんよ!」
「……わかった! わかったよ! ホラ、今だ、撮れ!」
「銀ちゃ……」
 銀時に肩を抱き寄せられて、神楽の胸が跳ね上がった。その胸の上では、銀色のペンダントが振り子のように揺れる。
 眩しいシャッターの光の中。銀色のペンダントの中に、今、この瞬間の写真を入れる日のことを思い、神楽はこっそりと声を出さずに微笑んだ。
 それは、優しい思い出となった。



FIN



『Title:未来の恋人へ』





[初出:2013/2/3&2013/2/17、Twitter呟:2010/6/3&2012/7/24]