『Title:恋人時間』



 じゃがいもとじゃがいもの間に姿を見せているのは、牛肉だろうか、豚肉だろうか。どちらにせよ、久しぶりの肉入り料理だ。深皿に盛られた肉じゃがを凝視し、神楽は喉を鳴らす。肉じゃがの隣には、炊き立ての白いご飯。湯気が出ているうちに食べてほしいと、艶々の白米がこちらを潤んだ瞳で見つめているような気がしてくる。早く、早く食べたい。しかし、その願いも虚しく、神楽は涎が零れ落ちるのを寸前で回避しながら、新八の声に耳を傾けるしかなかった。
「銀さん、神楽ちゃん」
「「…………」」
 ソファの上で、神楽は銀時と一緒に正座をさせられていた。夕食を人質にとった新八に敵う人間は、この万事屋にはいない。文句なしに美味しい新八のご飯を目の前にすれば、誰でも言うことをきいてしまうのではないかと思う。
 新八は、箸を持つことも許さない声音で、口を開いた。
「今日、道のド真ん中で、何をしようとしてましたか」
 神楽は背中に冷たい一筋の汗が流れてゆくのを感じた。
 依頼を受けた仕事を終えて、万事屋へ帰る途中の出来事だ。商店街の人混みの中で、誰にも気づかれないように、こっそりと、神楽は銀時の腕に触れた。そのまま、内緒話をするために銀時を引き寄せると、神楽が傘を高く掲げる前に、腰を屈めた銀時が傘の中に入ってきて、互いの距離が縮まり、目が合った。最近知ったばかりの、優しい表情をした銀時にすべてを奪われて、神楽はその場から歩けなくなってしまった。何も言わずに顔を近づけてくる銀時に、時間も場所もすべてを忘れて、神楽はゆっくりと瞼を下ろし――唇が触れ合う直前、「ちょっと二人とも! みんな見てますよ!」という新八の声で我に返ったのだ。慌てて周りを見渡すと、多くの視線が自分達に注がれていた。新八の声がなければ、自分達はおそらく、公衆の面前で行為に及んでいただろう。
 新八に何と答えていいかわからずにいると、隣に座っている銀時が口を開いた。
「アレだよ、アレ。神楽の目にゴミが入ったから、俺が見てやったんだよ。――こうやって」
 神楽は顔を上げた。確かに、傍から見れば、そう見えなくもない。神楽は「さすが銀ちゃんアル!」と心の中で感嘆し、自分の目を覗きこんできた銀時に倣って言った。
「そう! そーネ! 私の目にゴミが入ったから、銀ちゃんに見てもらってたアルヨ。――こうやって」
 銀時の顔に自分の顔を近づけてゆく。互いの距離が縮まると、瞬きもできぬほど、神楽は銀時と見つめ合う時間に夢中になっていった。しだいに銀時の顔が触れ合う距離にまで近づいてきて、神楽はゆっくりと瞼を下ろし――唇が触れ合う直前、「スト――――ップ!!」という新八の声で我に返る。
 新八は「二人がこんなバカップルになるなんて思わなかった……」と頭を抱え込んでしまった。
「「――新八?」」
 おそるおそる銀時と一緒に声をかけると、新八は顔を上げて言った。
「銀さんと神楽ちゃんが、こ……恋人同士になったのは、僕も嬉しいですよ。でも、時間と場所は選んでください」
 自分達のことを思って言ってくれているのだとわかる、新八の真摯な言葉に、神楽は耳を傾けた。神楽は銀時と互いに頷き合ったあと、新八に応えた。
「わかったアル」
「わかったよ」
 夕ご飯を食べたあと、新八は恒道館へと帰って行った。新八の言葉を幾度も反芻し、神楽はこれまでの自分の行動を振り返った。長い片恋が実り、正直、浮かれていたのだと思う。周りが見えていなかったと、神楽は反省した。
「時間と場所か……」と彼の独り言がきこえて、新八の淹れてくれた茶を啜りながら、神楽は隣に座っている銀時を見上げた。
「――銀ちゃん?」
 湯呑を持った銀時を見ると、彼は考え事を続けながら、時計を見ている。時刻は、十九時四十五分。しばらくの間、銀時の様子を窺っていると、彼はテーブルの上に湯呑を置き、言った。
「神楽。決めたぞ、恋人時間」
「――恋人時間?」
「場所は、家の中だけ。時間は夜の九時から。――どうだ?」
 恋人時間――恋人として振る舞ってもいい時間、と銀時は説明した。銀時の言う通り、時間と場所さえ決めていれば、今日のように、我を忘れてしまうこともなくなるに違いない。
「ウン! わかったアル!」
 銀時の提案に神楽は大きく頷いた。しかし、すぐにひとつの疑問が浮かぶ。時刻は十九時五十分。恋人時間までまだ一時間以上ある。それまでは、どのように振る舞えばいいのだろう?
 神楽はソファから腰を上げ、銀時から離れた場所に再び腰を下ろしてみた。彼が傷ついたような顔をしたので、慌てて元の場所に戻る。この行動は正しくなかったようだ。再び銀時の隣に座って、神楽は問いかけた。
「ねェねェ、銀ちゃん。恋人時間まではどうすればいいアルか? 何をしたらダメアルか?」
「――そうだなァ……。俺達がこうなってから、はじめてしたことがたくさんあんだろ?」
「…………」
 はじめてしたことは、彼の言う通り、たくさんある。答えを知るだけでよかったはずなのだが、そのはじめてしたことの記憶が次から次へと脳裏によみがえり、神楽は頭を垂れた。
 頬だけではなく耳まで熱い。熱を振り払うため、項垂れたまま頭を左右に振っていると、銀時の大きな掌が自分の頭の上に乗り、髪をかき混ぜるように撫でられた。
「――わかったよな? お前が今考えてることを、時間まで我慢すんだよ」
「――わ……わかったアル」
 きかなければよかったと、神楽はほんの少しだけ後悔した。
 顔を上げるタイミングを失ったままでいると、「風呂入ってくる」という銀時の声とともに、彼の掌が自分の頭から離れる。部屋を出て行く銀時の足音を聞き、神楽がようやく頭を持ち上げたときには、時刻は二十時を越えていた。
 銀時と入れ違いで風呂に入り、部屋へ戻ると、二十一時まであと十分、という時間になっていた。銀時はソファに横になり、テレビを観ていた。銀時と向かい合わせのソファに座り、神楽はバスタオルで髪を乾かした。テレビに向かって独り言を言う銀時に相槌を打ちながら、普段ならば気にならない時計の音を神楽の耳は拾っていた。時計の秒針が右回りに進む音に、神楽の胸は高鳴ってゆく。
 いよいよ時計は二十一時を知らせ、神楽は落ち着きなく、何度もソファの上で身動ぎをした。一方、銀時には何の変化もない。秒針の音が、ますます大きくなっていくような錯覚の先で、銀時は恋人時間になったことに気づいていないのではないか、と神楽は思った。神楽は小さな声で「九時になったアルナ」と言った。銀時の顔を見る勇気はなかった。銀時はテレビを観たまま「そうだな」と一言だけ告げた。
 十分以上経っても、銀時はテレビに目を向けたままだった。胸の音もいつしか落ち着き、風呂に入ったあとの心地よさも手伝って、欠伸が込み上げてくる。バスタオルを抱きしめソファに横になり、テレビの音を子守唄にして、神楽は目を閉じた。夢に落ちてゆく途中で、「――恋人時間ってヤツは、どうやってはじめりゃいいんだ?」と独り言を言っている銀時の声が聞こえた。神楽は「一緒にはじめようヨ」と言いたかった。しかし、神楽は起き上がることができなかった。
 目を覚ますと、朝になっていた。銀時がソファの上で眠ってしまった自分を運んでくれたのだろう。視界の先には、和室の天井がある。隣では銀時が眠っていた。ふたりでひとつの布団に寝ることには、まだ慣れていないけれど、目を覚ましたとき、一番近くで銀時の顔を見られるこの時間が、神楽は好きだった。
「銀ちゃん、起きるネ。朝アルヨ」
「……あと五分」
「しょうがないアルナ」
 時計を見れば、新八が来るまでまだ時間がある。また五分後に起こしに来ればいいだろうと、神楽は銀時を残して、布団の外に出ようとした。ところが、銀時に腕を強く引っ張られて、神楽は再び布団の中へ戻されてしまう。
「――神楽、いつものくれよ」
 いつもの、と言われて、毎朝、自分が銀時にしていることが思い出される。これは、彼の恋人となり、ひとつの布団で寝はじめてから、はじまったことだった。何時までかは決めていなかったけれど、朝は恋人時間ではないだろうから、これはしてはいけない。神楽は頭まで布団の中に潜り、小さな声で言った。
「ダメアルヨ。だって、今は、恋人時間じゃないでしょ?」
「コレは例外にしようぜ。コレがねーと、元気が出ねーんだよ」
 例外、という響きの甘さに、神楽はこっそり微笑む。自分と同じように布団の中に潜り込んできた銀時の顔を両掌で包んで、神楽は彼の唇の場所を探した。彼の顔を触ると、生えて間もないチクチクとしたヒゲの感触がある。神楽は銀時の唇からほんの少し離れた場所に、チュ、とキスをした。
「――元気、出たアルか?」
「おう」
 狭い布団の中で笑い合っていると、玄関の扉が開く音がした。
「おはようございまーす! ……入っていいですか?」
 新八の声に、銀時と神楽は慌てて布団の外へと飛び出す。万事屋の朝がはじまった。
 慌ただしく仕事の依頼主の元へ向かい、仕事を終えて帰る頃には、時刻は午後七時を回っていた。新八は直帰すると言って、恒道館へと帰っていった。
 神楽は銀時と並んで歩きながら、銀時を見上げる。そこから銀時の手へと視線を下ろしてゆくと、銀時と手を繋ぐ感触を思い出してしまい、神楽は左右に頭を振った。
「オイ、神楽。……どした?」
「な……なんでもないネ」
 銀時の声音に、銀時の態度が普段と全く変わっていないことに神楽は気がついた。自分も彼を見習わなくてはならない。時刻はまだ午後九時に届いていないのだから、と神楽は自分に言い聞かせた。
「定春ぅ~ただいま~」
 万事屋に帰り着くと、定春が腹を空かせた様子で、玄関先に駆けてきた。皿に山盛りになるくらいの量の餌を定春に与えて、自分達の分のご飯も準備する。
 卵かけご飯を食べ終わったあと、「今日は先に風呂入って来いよ」と銀時が言うので、神楽は風呂に入った。仕事の疲れを温かい湯で癒したあと、風呂場から出る。入れ違いで銀時が風呂に入るのを見届けて、神楽はソファの上で髪の毛を乾かしながら、点けたままになっているテレビに目をやった。現在の時刻が午後九時であることをニュースキャスターが伝えている。
 時刻がわかった途端、神楽は自分の心臓の音を意識した。自分の身体の中で、最も素直な場所が、息苦しいほど脈を打っている。
 神楽は銀時に触れたいと思った。狂おしいほどに、恋人となった男を求めていた。そして、これまでに気づかなかった、自分の中に渦巻く激情を知った。しかし、それは、自分ばかりが銀時を求めているのではないかという不安をも連れてきた。恋人時間を心待ちにしている自分と相反して、彼の態度は、恋人同士になる前の彼の振る舞いを思わせるものだったからだ。
 やまない時計の秒針に心がざわめく。神楽は両脚を抱えて、ソファの上で体育座りをした。テレビを観る気分にもなれず、神楽は自分の膝を見つめて、時間の経過に身を委ねた。
 どれくらいの時間が経ったのだろうか。風呂場のドアが開く音がして、銀時が部屋へと入ってきた。
 部屋に入ってすぐ、彼は「九時、過ぎてるな」と言い、素足で歩く足音を響かせて、こちらへやってくる。天井からの灯りが遮られ、神楽が顔を上げると、銀時の顔がすぐ目の前にあった。
「――銀ちゃん?」
 近過ぎる距離に銀時の名を呼ぶと、頬から首筋を指の甲で撫でられた。くすぐったさに身を捩り、目を閉じる。すぐ側で、銀時の声がきこえた。
「ワリー、もう限界だ」
 銀時の言葉を理解するより早く、視界が回転する。後頭部がソファに触れる前に、彼の大きな掌に支えられて、安堵したのも束の間、たちまち呼吸ができなくなり、神楽は目を見開いた。
「ぎっ……ンンッ!」
 触れるだけではない、唇に吸いつくようにキスをされて、神楽は驚いた。彼はいつも、優しい触れ合いからはじめて、少しずつ重なりを深めていくキスをする。長いキスに不慣れな自分のために、彼は呼吸をするための時間も与えてくれていた。しかし、今日は、一秒たりとも唇が離されることはない。
 隙間なく重なり合った唇から逃れる術はなく、息継ぎすら許されぬ混交の中で、薄く開いた目から、反射的に涙が零れ落ちてゆくのがわかった。鼻を啜ると、彼の身体がわずかに後退した。
 涙液の粒が頬に滲み、彼の親指に拭われたことを知る。薄い膜を張っていた涙液がひとつ流れ落ちたあと、ようやく視界が鮮明になり、彼と目が合った。
 これまで見たことのない銀時の顔が、そこにはあった。神楽は呼吸する機会を与えられていることを忘れて、見入ってしまう。いつもの彼らしくない、余裕のない大人の男の顔に、神楽の胸音は階段を駆け上るようにして速まっていった。
 上着が捲り上がり、熱のこもった大きな手に、直に肌を触られる。性急に先に進もうとする銀時の手に自分のそれを重ねながら、神楽は微笑んだ。
 ひとつ大きく息を吸い込んで、恋人時間を持つきっかけを与えてくれた新八に神楽は感謝した。待つ時間があったからこそ、こうして、今まで見たことのない彼の一面を見ることができたのだ。
 これからは、恋人時間を待つ時間ごと、愛おしいと思えるようになるのだろう。
「……銀ちゃん」
 名を呼ぶと、すぐに情熱的なキスを落とされて、神楽は理性を手放した。



FIN



[初出:2013/1/20、Twitter呟:2012/3/23]